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2020.06.21
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​​​​​​​​​​​​​​ 韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁





第2部 聖婚と天の新婦の道

2. 約婚式と聖婚式



人類始祖アダムとエバの失敗を回復するために、6000年という長い歳月の間に数万回立てられ、あなたの心血を抱かせて送った天の働き手が、反逆に明け暮れ、排斥と呪いと恨みに明け暮れたことを、私たちははっきりと知っています。今日のそのような子孫たる私たちの裏切りの峠も越えられ、曲折の心情も制裁され、悲しみの涙も禁じられ、度重なる困難な峠を訪ねてこられたお父様の前に心を開いて感謝することのできる息子、娘にならなければなりません。

私たちの心情にほとばしり湧き上がる切実なる心をもって、無力な手を天高く挙げ、お父様を呼んだ懇切な願いの心情を、今や成し遂げられるようにしてくださいませ。会いたく、聞きたく、共に生きたく、離れたくない天の心情をもった統一の群れであることを、あなたは御存じであるはずです。この群れは、この世的に因縁づけられたのではなく、天情を受けて生まれた人間なので、その祖国の本郷を求めてきているがゆえに、心情に感じられる、この一つの血肉の動きが、鳴り響く脈拍の鼓動が、千年の心情に代わることのできる瞬間であることを知っています。

この時間は悲しみの時間ではなく、込み上げてくる切なる心情がこもっているこの心を抑制できず、喜びのあまり泣き叫びながら訴えずにはいられない時間ですので、お父様、40年の生涯を導いてこられたお父様の御苦労の労苦をこの時間、解きほぐしてくださいませ。誰よりもあなたが孤独であることを私が知り、誰よりもあなたが無念に思われていることを私が知りましたので、真の父母の名を先立たせてきたすベてのことが天のためであったことをあなたが御理解してくださることを願います。ここにおります、あなたのみ旨を心配するあなたの息子、娘も、今やみ旨を成し遂げるために、残る余生をすべて捧げ、死にようが生きようが、天の前に一点の傷を残す息子、娘にならないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。

行けば行くほどに孤独な道が、お父様の行く道であり、知ってからも、またもや心配しなければならないそのような歩みをすることがお父様の歩みであることを知りました。

お父様、6000年間、探しに探してきたその日を見いだされ、この日を歴史にお立てになり、お父様の新しいみ業を全天宙の前に立てる日となるよう、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

お父様、時と時期を決意すれば、その時期を超えないお父様の作戦の歴史であることを知りました。私たちはこの場で、天に対し心ゆくままに、身にしみる悲しみの涙を流し、お父様の前に感謝の言葉を差し上げる立場にありますが、いまだに暗闇の権勢にとらわれている3000万民族がおり、死亡圏内で行くべきところを知らない28億の生命がございますので、私たちが彼らに責任を負わなければなりません。私たちに力が足りなければ力を与えてくださり、能力が足りなければ能力を与えてくださいませ。

この一日を勝利の日としてお立てになり、天上の創造されたすベての被造万象の上に現れてくださり、見いだそうとした解怨の条件を完備させてくださいませ。サタン世界の前において勝利の決算ができるこの時間であることを感謝します。私たちは勝利の凱歌を、サタンは敗北の悲しみを味わう、私たちの生活と彼らの生活が入れ替わる、この一時点となったことを存じておりますので、天よ、勝利の凱歌を上げ、地よ、歓喜の報いを父のみ前にお返しください。

栄光、栄光、無限なる栄光!天地が合わさって喜びで和することのできるこの時間であることを知っておりますので、末長く後代万世まで、この喜びの時間を、お父様、終わらせることなく、サタン世界に向かって進軍に進軍を重ね、お父様の子女を一日も早く復帰の勇者として立てるために、あらん限りの心血をすべて注ぐ私たちとならしめてくださり、誓いを立てる私たちとならしめてください。

(150-112, 1960.3.27)

お母様は、聖婚式の時、17歳でした。お父様は40歳でした。40歳の男性が17歳の娘をお母様にすると言ったのです。しかし、摂理史においては、どうしようもありません。そのようなお母様をお連れして成し遂げてきたのです。ですから、約婚の時、お母様に「私はこのような道を行かなければならない」とすべて話しました。プログラムどおりに行くので、お父様を尊敬するのです。このように攻撃する時にはこのように乗り越えなければならず、ここで攻撃する時にはこのように乗り越えなければならないと教えてあげたのです。その道のとおりに行くので尊敬するのです。その道が困難でも、越えなければならず、行かなければなりません。

聖婚式の意義

イエス様は新婦を探し出すことが一代において果たすべき目的であったにもかかわらず、その使命を果たすことができませんでした。そうして、「私は新郎であり、あなた方は新婦である」という最後の遺言を残されたのです。ですから、神様は、第2イスラエル圏内にある世界で国を問わず、最も篤実な信徒を中心として特等の新婦を探しておられるのです。その新婦を探し求めてきたのが、イエス様以降の2000年の歴史です。新婦を探し出すことによって真なる先祖が現れ、真の先祖が現れることによって真の父母が現れるのです。本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が現れるべきでしたが、人間の堕落によって6000年が過ぎた今になって、初めて神様は、再臨時代を中心として真の先祖を探し出したのです。 (19-163, 1968.1.1)

「歴史は1960年代から大変遷時代に入った」と歴史家たちは言います。「統一原理」を中心として言えば、「1960年代に、神様の名を中心として地上のすべての困難をかき分け、キリスト教文化圏がすべて失敗し、その基地となる韓国が反対する環境にもかかわらず、初めてこの地上で神様と真の父母の名を中心として聖婚式をしたところから、歴史は新しい方向に変わるようになった」と言うことができます。変化するその歴史の環境が死亡世界へと次第に落ちていき、人類が分裂して破綻の世界へと向かうように思えますが、変化する歴史時代は、次第に互いに異なる地域的環境を越えて、世界へと進む時代に急変していくというのです。神様と共に、父母様の血族を中心として横的に拡大すべき摂理時代を迎え、思想の混乱が起き、伝統の混乱が起きます。揺さぶるのです。キリスト教もすベて揺さぶるのです。

それゆえ、解放されてから14年がたつまで、韓国のキリスト教自体を見ると、再建教会も、神社参拝をした教会も、同様でした。そこから、韓国を中心として世界に向かって跳躍できる神様の摂理の道が開き始めるのです。その始発点が、正に1960年4月の聖婚式でした。この聖婚式をして、「父母の日」が設定されることによって、人類歴史において偽りの父母から受け継いだ、汚れた愛と生命と血統を初めて清算し、神様を中心とした本然の新しい愛と生命と血統の関係が、この地上に根を下ろし始めたというのです。この世界は今まで、堕落した天使長の血統を引き継いできましたが、1960年に父母様が現れたその日からは、本然のアダムとエバの血統が、神様の愛を中心として根を下ろし始めたのです。 (196-218, 1990.1.1)

父母様が聖婚した1960年4月11日、その日は外的に見ると平凡な日であって、特別に変わったことはありません。しかし、その日、聖婚式をしたことが、他の日とは全く違うというのです。聖婚式をしたので、今や歴史は一人の人によって左右されるようになりました。その一人の人が現れるまでの時間が、民族的で世界的な関係をもったものだったのか、また、その期間が歴史的な関係を経て、時代的な関係を経て、未来の関係を経ていける基盤になっているのか、現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核になる時、歴史はその日を研究するようになるのです。 (32-69, 1970.6.21)

1960年に家庭という基盤をもったので滅びません。家庭の基盤をもてなかったら滅びるのです。1960年の聖婚式がどれほど歴史的な事件だったでしょうか。これまでの6000年間の摂理歴史時代においてアダム一人を探し出すために苦労したその基盤の上に、アダムが地上で基準を築き、エバを完成したエバとして迎え入れることができるということは、分かれていた霊界と肉界が初めて地上世界において連結するということなのです。男性は天の代わりであり、女性は地の代わりです。分かれていた霊界と肉界が連結するのです。アダムとエバが怨讐だったその壁が崩れるのです。アダム、エバと神様を会えなくしていた壁が崩れるのです。サタンが抜け出ていくということです。 (I22-97, 1982.11.1)

復帰摂理における最高点、頂点は1960年でした。その時、お父様は、国家と国民、すべての教会、そして、すべての人たちから迫害を受けました。その当時、死ぬか生きるかを決定しなければならない、切迫した立場でした。統一教会が生き残るか滅びるかの瀬戸際にありました。その困難を切り抜けて聖婚式を挙行したのです。その時点から新たな歴史が出発しました。その時が歴史の転換点だったのです。多くの歴史家たちも、「1960年は歴史の転換点だった」と言っています。その時からすべての問題が解決し始めたのです。 (52-68, 1971.12.22)

激しい迫害の中で行われた聖婚式

先生の聖婚式は、地上において記念するに値する世界的、天宙的な大事件でした。世界的基準において縦的蕩減条件を横的に解決する実体として、霊肉共に勝利の基準を立てたのです。先生は、聖婚式をするために、聖婚式の前にイエス様の3弟子、反逆したその弟子を復帰すべき立場にありました。

聖婚式の目的は、アダムの家庭を蕩減する条件を立てることです。私たちの父母であるアダムとエバは、夫婦関係において堕落しました。堕落が夫婦を通して起きたので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰されません。女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰して、真の父母の基準を地上で立てなければならないのです。 (22-189, 1969.2.2)

(韓国の)解放後14年を経て聖婚式をしました。蘇生・長成・完成時代において、蘇生時代を7年とすれば、長成時代まで14年なので、解放後14年を経たのです。イエス様は、長成級アダムとして来て、その国家的基準で失敗したので、統一家においては、大韓民国の版図で蘇生・長成の両次7年路程を経て、統一教会の環境を取り巻いて反対するすべての与件を抑えて闘う戦場で聖婚式をすることになったのです。

なぜそうしなければならないのでしょうか。イエス様が十字架で亡くなられることによって、霊肉の復活をもたらすことができませんでした。霊的復活はもたらしましたが、肉的復活をもたらすことはできませんでした。霊的救いの摂理の道理は立てましたが、肉的救いの摂理の道理を立てることができなかったので、半分に分けられたようになったのです。それゆえ、イエス様が失敗したことをすベて収拾するためには、霊的な世界のすべての版図を天から引き継いで地上世界に現れ、サタン世界と対決しながら前進すべき過程が残っているので、一大激戦をしながら聖婚式を行いました。アダムとエバが長成期完成級で堕落したので、長成期完成級14年の基準を中心として、霊的基盤を引き継ぎ、実体的基盤の拡大のための闘いの路程を経ていくようになっているのです。



では、なぜ聖婚式を終えた後も迫害を受けなければならないのでしょうか。それは、聖婚した基準が長成期完成級であり、7年路程が残っているからです。この7年路程をいかに越えるかということが問題です。この7年路程を越えてこそ直接主管圏に到達します。原理結果主管圏を経て、直接主管圏まで到達するためには、責任分担というものがあります。

アダムとエバが、神様を中心として絶対的に一つになり得る愛の理想を備え、再び分かれようとしても分かれられない立場にまで進み、直接主管圏内で神様を中心とした家庭、愛を中心とした家庭の基盤を築けば、その基盤から天地が合徳し、男女が合徳する基盤から、新しい愛的基盤、新しい生命的基盤、新しい血統的基盤を中心として四方に平面的に拡大する理念が成されるのです。そのような基盤を築くためのものが聖婚式だったのです。 (196-213, 1990.1.1)

お母様を迎える前日まで、内務部で調書を作りながら、お母様まで呼ばれて闘わなければなりませんでした。イエス様は法廷で亡くなったので、法廷から取り戻してこなければなりません。蕩減復帰です。 (182-297, 1988.10.26)

お父様は結婚式場に出る前日まで、警察署で調書を作りながら闘いました。大勢の裏切り者たちが讒訴する出来事や、イエス様の12弟子が反対したように、統一教会で信仰の篤かった12人が一つになって反対する出来事が起きたのです。統一教会の味方だった人も反対し、キリスト教徒も反対し、国も反対したのです。イスラエルの国とユダヤ教とイスカリオテのユダが一つになって、イエス様の命を奪ったのと同じ運命に追い込まれました。その時が正に1960年陰暦3月16日です。その時が反対の絶頂期でした。もう一歩進むか進めないか、生きるか死ぬか、ここから新しく出発できるかできないか、という境界線にいました。このような境地で、新しい歴史的なことを成し遂げたのです。その日は、神様が最高の天運を宣布する日になりました。イエス様が語ったように、新婦を迎えられる歴史的な日となったのです。それが聖婚式です。そこから巻き返しの第一歩を踏み出したのです。初めて天の中心をつかみ、環境を処理して、急進的な発展を計画し始めたというのです。 (67-250, 1973.7.1)

11時に法廷で殴られながらも、早朝の4時に結婚式を始めました。そのような闘争の真っ最中に基準をつくったのは、万人に平安と喜び、幸福の基台をつくってあげるためです。 (183-162, 1988.10.31)

(111-199, 1981.2.20)


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Last updated  2020.06.22 10:06:28
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