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2020.07.13
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​​ 韓鶴子総裁御言選集4巻 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁

第4部 女性時代の開幕と世界巡回

4.母の国日本の使命と宣教師たちの試練

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先生が日本をエバ国家に立てなかったら、日本は発展できなかったでしょう。悲惨な国になっていたことでしょう。キリスト教文化が先生を受け入れていた場合、イギリスがエバ国家でした。アダム国家は韓国です。フランスが天使長国家として自動的に一つにならなければなりませんでしたが、それらが神様に背き、反対しました。それゆえ、統一教会を中心として、アダム国家、エバ国家、天使長国家を立てたことを忘れてはいけません。したがって、日本を祝福したのは、日本のためではありません。世界のためであり、統一教会と韓国のためなのです。 (186-116, 1989.1.29)

アジア人を代表して、日本を前に立てるのです。また、日本はエバ国家であるだけに、世界の人々のために母の使命を果たさなければならないので、血と肉を抜き出して食べさせてあげるべき責任があるのです。母の手を経てこそ発展をするのです。したがって、アジア人を代表して、そのような日本を前に立てて、伝統を立てようとするのが先生の計画です。 (55-345, 1972.5.9)

日本にはエバ国としての使命があります。日本の財産は、日本人のためにあるのではありません。日本は、アダム国家を中心として、アジアにイエス様の実体圏を復帰するために、エバ国家の名前をもっています。エバ国家はイエス様の体を復帰しなければならないのです。 (249-137, 1993.10.8)

韓国の女性は、日本の女性に対してお姉さんの立場にあるので、お母様を中心とした復帰時代において、世界の運勢に乗ったエバ圏を通して次子を復帰することによって、長子を救ってあげなければなりません。お母様は、次女の立場である日本を復帰し、長女の立場である韓国を復帰してあげなければなりません。お母様は、エバ国家の代表として立った日本を次女として立て、長女である韓国と一つにすることによって、長女圏のお姉さんと次女圏の妹を神様の懐に抱かせるようにするのです。そのような時が来ました。日本食口と韓国食口がそのような交叉的立場で兄弟になったのです。この兄弟を誰よりも愛さなければなりません。別れていた者たちが6000年ぶりに出会ったので、韓国の人たちよりも彼らを愛さなければなりません。 (232-32, 1992.7.1)

韓国の女性と日本の女性を姉妹関係にするのですが、一方はレアで、もう一方はラケルです。誰がレアで、誰がラケルでしょうか。初めに生まれたお姉さん、「アジア平和女性連合」を先に創立した日本がレアです。ラケルは韓国です。それゆえ、長子(権)復帰をしなければなりません。レアとラケルはヤコブの家庭で闘いました。しかし、今は闘ってはいけません。レアはラケルを先頭に立てなければなりません。「よく分かりました。よろしくお願いします。どのようなことがあっても、お仕えいたします」と言って、一つにならなければなりません。母子協助において、天下統一は女性から始まるのです。これが原理的な公式です。 (224-193, 1991.11.24)

お母様と連結した韓国の女性はお姉さんの立場であり、日本の女性は妹の立場にあります。復帰路程では妹が神側にありましたが、完成時代には神様の前にお姉さんが立つのです。お母様が世界女性解放を宣布した時、韓国の女性世界が初めてつながりました。お姉さんが先に祝福を受け、お母様と一つになり、お姉さんが妹と一つになれば、それでよいのです。そのようになれば、本然のエバの立場が形成されるのです。そうしたあとに、アダム国家と女性が一つになり、天使長世界にいるカインとアベルを救うのです。失ったその子供たちをどのようにしてつなぐのでしょうか。母の位置にある完成した新婦の立場を選び、再びカイン国家とアベル国家を復帰するのです。カイン国家はヨーロッパであり、アベル国家はアメリカです。そうして、父母様を中心として韓国の女性と日本の女性を連係して、天使長世界のカイン女性とアベル女性を救うのです。アベル女性はアメリカの女性で、カイン女性はヨーロッパの女性です。 (244-213, 1993.2.7)

エバ国家から母の国家に

エバ国家はタマルの実です。タマルの実であり、マリヤの実です。それゆえ、日本の国はタマルやマリヤと同様に、自分の息子、娘を否定し、父を否定し、自分の夫を否定して行かなければ、神様の国に入ることができません。全体的責任を負ったのがエバ国家なのです。最後に、母が世界的母になるためには、蘇生的タマル、長成的マリヤ、完成的お母様の責任を、全世界の人類に代わって負わなければなりません。全世界の息子、娘を中心として、神様を中心として、サタンを否定しなければなりません。それゆえ、エバが、自分の威信と体面を立てられる今までの歴史的な内容を引きずって母の国に入ろうとするならば、それはすべて摂理観的な矛盾というものです。これを否定して全体を抱かなければなりません。失った万物を抱き、失った息子を抱き、失った神様を抱いて帰っていく責任が母にあるのです。 (313-14, 1999.11.9)

エバ国家である日本は、タマルとマリヤの世界的な結実体です。世界的な結実体というのは、国家を中心としたマリヤとタマルの立場にあるということです。タマルは民族的な解放のための立場にあり、マリヤは国家的な解放の立場にありました。お母様は天宙の解放のための立場にあります。そのような責任があるので、サタン側のすべてを否定しなければなりません。それゆえ、神様について行くためには、世界的なサタン圏を完全に切り捨ててしまい、180度反対側に帰らなければ、エバ国家、母の国家の国民として責任を全うすることができないというのが原理観です。救いの摂理の最終的な結論です。そして、母の国家としての責任を全うするためには、民族的なタマルの使命圏と国家的なマリヤの使命圏を越えなければなりません。そうしなければ、母の国家として定着することができません。タマルも神様のために、マリヤも神様のために、お母様も神様のために定着するのです。 (313-15, 1999.11.9)

(295-215, 1998.8.28)

世界宣教と宣教師たちの試練

1980年12月にアフリカで、私たちの宣教師が犠牲に遭いました。そのような報告を聞いた時に、「あなたは、あなたとして行くべき道を行ったのである。その国の統一教会の先祖になるだろう」と言いました。「あなたがもし私のような立場で世界のためにそのように死んだとすれば、世界の先祖になるだろう」と思うのです。私もそのような道を歩んでいます。彼のために思いやらなくても、彼はどこの誰よりも公的な生活を送ったのです。 (111-19, 1981.1.11)

ある宣教師がアフリカで暗殺されました。今まで根拠地がなかったので、多くの苦労をしました。共産勢力が父母様に従う人々を見ると、すべて問題なので、暗殺したというのです。暗殺する時に、「お前の望みは何か」と尋ねると、「望みはない。私は父母様のいらっしゃる所に向かって敬拝してから逝くならば、何の悔いもない。私は勝利者としてアフリカの辺境地で父母、親戚、故国を離れて、一人で逝っても悲しみを抱かない。愛の道理である天道を明らかにして逝くのに、死が怖いものか」という遺言を残して逝きました。その人は日本人です。愛が恋しくて、愛の天国に行くと言って、国境を越え、世界の孤独な場所で死ぬ道を行っても、死を恐れずに行くことのできるその男は、どれほど歴史的な人でしょうか。そのように生きたのは、父母様を通して愛の道を知ったからです。愛の道において教えてあげる教育は本当の教育です。愛の場で約束した約束は、千年、万年経っても忘れないのです。霊的な体があり、肉的な体があれば、霊肉の細胞がすべて共鳴する場において愛の心が通じる過程では、そのようになるのです。それゆえ、愛を中心として、愛する間柄で約束したことは、千年、万年経っても忘れられません。 (139-55, 1986.1.26)

私たちの兄弟たちが今、鉄のカーテンや共産圏国家の地下で、命を懸けて闘っています。彼らの中の一人がお父様に遺書を送ってきたのですが、「お父様、最後の時が迫っていますので、これから霊界に行ってお目にかかります」という内容の手紙でした。このような闘いをしています。誰が共産主義を防御するのでしょうか。私たちしかいないのです。 (87-25, 1976.4.23)

ソ連やその衛星国家を開拓するために活動する中で死刑に遭った、私たちの宣教師が数人います。み旨ゆえに死んだのです。拷問を受け、4年、7年獄中生活を送って出てきた人たちが大勢います。そのような報告を聞いています。それを誰に話しますか。顔もよく知らない人が、アジアの一介の国である韓国を遠くながめながら、死の道を行きながらも、「先生、さようなら。私は先に行きます」と祈る、その宣教師たちの道を知る私が、どうして安らかに手足を伸ばして休むことができるでしょうか。今でもそうです。習慣になって、仰向けになって寝ることができません。横向きにエビのように背を丸くして寝るのです。彼らに借りをつくらないようにと、そのようにするのです。 (212-267, 1991.1.6)

私は皆さんに借りをつくりません。皆さんが開拓精神をもって宣教師として出ていき、泣きわめいていましたが、私はその人たちに借りをつくりませんでした。父母として備えるべき道理を、常に備えています。台風が吹けば、台風のその音、子供を海に送り出した父母が、その台風の音を聞いて休めるでしょうか。世界の一線の地帯に送った子供が、父母に対して、この時間も両手を合わせて福を祈っているのです。そのような息子、娘がいるのに、その胸をしめつけられる心情を前にして、天の前に報告せずに、どうして先に寝ることができるでしょうか。 (181-272, 1988.10.3)

真の父母の名をもった者として、借りをつくって生きることはしません。昼も夜も、時間を超越して生きるのです。雨が降る日には、全世界の統一教会の宣教師たちが、軒先を見て、涙を流しながら食べることもできずに、この夜を明かしながら、父母様の健康を祈っているだろうに、私が手足を伸ばして御飯を食べることができるでしょうか。罪人の立場から抜け出せない父母様を考えなければなりません。その思想は高く貴い思想です。そのような思想をもち、一族のために苦労し、投入して忘れなさいというのです。そうすれば、間違いなく中心存在になります。中心存在は責任を負うのです。 (227-290, 1992.2.14)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.07.13 20:25:12
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