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文鮮明先生御言選集 19560606 - 統一しようとする神様の愛の御旨をなそう


統一しようとする神様の愛の御旨をなそう

1956年6月6日(水) 本部教会


 預言者たちを立て摂理される神様の希望

 アダムの堕落によって神様の御旨が成せなかったため、今日まで歴史路程を経ながら復帰摂理は反復されています。

 神様と人間が一つの御旨を中心として、一つの愛に和合して住み、全天地が神様の愛を喜びながら、その愛を実際の生命の中心として立てた中で、全部が一つになって生きることが神様の創造本然の御旨でありました。ところがアダムとエバが堕落することによって神様の愛は神様の愛だけに止どまるようになってしまいました。即ち、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結べず、人間から去るようになり、全被造世界から去るようになりました。

 それで神様は御自身が立たせようとするその愛を中心にして全万物を糾合して、神様と万物が共に喜ぶことのできるその一日を求めながら、今まで6千年歴史を経て来られました。しかし未だ神様の愛を中心にして全被造万象が一つに統一できないまま、その神様の理念は理念のまま残っており、求めなければならない希望の愛もそのまま残っているのであります。それで神様のその御旨を必ず成し遂げるために今まで摂理して来られているのです。

 このように神様は人間堕落以後、今までどの時代をおいても神様の希望を成して、人間に対して信じることができる心と、愛することができる一つの心を訪ねるために、長い間摂理して来られたのですが、未だそれらを成せないで、探せないで来られたのであります。

 私たち天の摂理歴史を回顧して見るならば、神様はアブラハム一人を立てて、人間に対する希望と、人間に対する理想と、人間に対する愛の変わらない基準を立てようとされたのを知ることができます。このような神様の御旨が成し遂げられる日が来てこそ、そういう愛の中心が立つ日が来てこそ、神様と人間と関係が結ばれるようになるし、その結ばれた関係の土台によって神様は新しい理想の喜びを享受できるので、アブラハムを選び立てたのであります。ところがアブラハムが愛の中心を立てられないことによって、神様はそれ以後イエス様の時代に至るまで、天の愛の御旨を立てるための足場を築いて来られたのです。

 そのためにイエス様までの4千年歴史は、全体摂理の御旨の前にあって、神様の希望と信仰と愛を成した一つの実証的な存在を立てなければならない期間でありました。そういう存在を立てられないならば、神様の希望と信仰と愛は、各自各々分離してどの一時期にも統一を見ることができない歴史として綴られたので、神様はまず希望の基盤を築かれました。そうしてその希望の上に信仰の希望を築き、その信仰の基盤の上に愛の基盤を築かれようとしたのです。そうして後にはこのすべてのものを結実した一つの化身体、即ち全体の希望の実証的自体、全体の信仰の実証的自体、全体の愛の実証的自体を天地の前に押し立てることができる日を迎えようとされたのです。ところが万一そういう日を迎えられないとしたら、神様の愛を中心に統一の理念はこの地上に成就できなくなるのです。

 その日を立てるために神様は、アブラハムから始めてモーゼを経て、洗礼ヨハネに至るまで4千年摂理歴史を三段階に分けて、希望の基盤を築きながら苦労して来られたのです。そういう希望の基盤の上に一つの実体として現れた方が誰だったかと言えば、即ちイエス・キリストでありました。イエス・キリストは神様が4千年の間希望された一つの実体として現れた存在だったために、神様が4千年間希望を目指して摂理して来られた総合実体でした。



 それならばその信仰の福音が結実した基盤の上に天地を代身して、全体の愛の実体として現れる一つの存在が誰かと言えば、それが即ち来たるべき 再臨主 ということを皆さんは知らなければいけないのです。それでは神様はに何をしようとされるのか? 来られる 再臨主 を中心に今まで築かれて来た信仰の基盤の上に、一つの生命の種を蒔いて結実するようにすることが神様の6千年摂理歴史の目的であることを、皆さんは知られなければならないのです。


 成約時代の中心要素

 今日私たちは神様を自分たちの希望の主人公として見つめており、信仰の主人公として見つめています。また私たちの愛の主人公として見つめています。この希望と信仰と愛の主人公であられた神様は、人間をして歴史の過程で希望を代身する旧約時代、信仰を代身する新約時代を経るようにされたので、これからは愛を中心とする成約時代を経なければならないのです。

 それでは今そういう成約時代即ち ​再臨時代​ にあって、永遠不変の一つの中心要素として残れるものは何なのか? それは神様の愛であります。それは全体の中心要素であると同時に、全体の理想の要素にもなる のです。

 そのために今まで人間たちはこの愛のため、希望の摂理路程と信仰の摂理路程を経て来ました。しかし今愛の摂理路程を皆さん一人一人が歩かないならば、神様がこの地上に愛を中心として成さなければならない統一の基盤は崩壊してしまう事実を皆さんが知らなければならないのです。

 希望の基盤の上に信仰の中心として現れたイエス・キリストは、この地上に信仰を立てるための御言を語られました。万一こういうイエス・キリストをその当時の人間たちが信仰の実体として受け入れたならば、即ちイエス様を神様の4千年摂理歴史の希望の結実体、永遠無窮なる信仰路程にあっての信仰の中心存在、また永遠なる神様の愛を証しして統合させることのできる一つの実体として侍るならば、その当時の人間たちはイエス様一人によって永遠無窮なる神様の希望を持つことができたであろうし、永遠無窮なる神様の信仰を持つことができたであろうし、永遠無窮なる本然の愛を体恤することができたのであります。

 ところがユダヤ民族の不信でイエス・キリストが亡くなられることによって、今日私たちは信仰路程で霊的な希望の実体だけを完成するようになり、霊的な信仰の実体を完成するようになり、霊的な愛の実体だけを完成するようになったのであります。

 それでは神様の愛の勝利の基準は何であるか? 天上天下のどんな存在物でも神様の愛を中心として動いています。ところがその神様の愛の化身として来られたイエス・キリストが亡くなられることによって、そのすべての願いが崩れてしまったのです。



 そのために今日私たちは、今イエス様が残して行かれた遺業を 継承して成就しなければならないのです。イエス様の一身の霊肉を備えた一つの希望の実体となることと同様に、私がそういう人となって彼を代身することができなければならないし、またイエス様が信仰の実体だったのと同様に、私がそういう人となって彼を代身することができなければならないのです。また愛を中心とした一つの実体であったのと同様に、私がそういう人とならなければならないのです。そうして神様の御前に立ってイエス様の希望と信仰と愛を代身して出て、 聖霊 の希望の実体として、 聖霊 の信仰の実体として、 聖霊 の愛の実体としてその使命を代身しなければならないのです。

 これがイエス様が来られ行かれた以後、今日この地上の人間たちがお父様の御前に成さなければならない使命だというのです。したがって私たちがその使命を完遂しようとする時、イエス様の希望の終結を、 聖霊 聖霊 の信仰、イエス様の愛と 聖霊 の愛の終結を見ることができます。そうして皆さんがそのすべてのことを終結することのできるその日を成し遂げてこそ、この地上に 再臨主 (真の父母) ​​ が現れることができるというのです。


 神様の信仰・希望・愛の実体とならなければならない人間

 神様の希望は神様自体のものではなく、人間のための希望でありました。神様の信仰も神様のものではなく、人間のための信仰でした。また神様の愛も神様自身のための愛ではなく、人間のための愛だったのであります。そのために人間がそういう神様の希望を代身して、信仰を代身して、愛を代身できなければならないのです。その時にそういう人間自身を全体の希望、全体の信仰、全体の愛を代身する存在として神様が万物万象の前に誇ることができるのです。言いかえれば、彼自身をこのすべての万物が願う希望の中心体だと誇ることができるのです。また全被造万物即ち、天地にあるどんな存在物でも信じて生きることができる主人公として誇ることができるのです。のみならずすべての存在が愛することのできる一つの敬慕の中心体として誇ることができるのです。イエス・キリストが神様の愛を代身する仲保的な化身として現れたのと同様に、今日私たちはイエス・キリストの希望と信仰と愛を受け、この地上にどんな悪い人の前にも一つの希望の実証体、信仰の実証体、愛の実証体として現れなければならないのです。

 そういう存在とならないならば、そのどこへ行ってもイエス・キリストの希望の基準、信仰の基準、愛の基準を蕩減する条件を成立させることができないのです。そのために今日私たちは、このサタン世界の前に神様の希望、神様の信仰、神様の愛の実体として現れたイエス・キリストに応えなければならないのです。

 ところでイエス・キリストの部分的な希望に対して応えるのではなくして、イエス・キリストの部分的な信仰に対して応えるのではなくして、イエス・キリストの部分的な愛に対して応えるのではなくして、全体に対して応えなければならないのです。人間たちは今までその一つの基準をこの地上に探し出してそれに応えようとしましたが、全体に対して応えて差し上げることができませんでした。しかしイエス様は3弟子を通じてそういう家庭形を現そうとされたことを皆さんは知らなければならないのです。

 それでは信仰の結実体として現れた人は誰だったのだろうか? これはペテロでした。また希望の結実体として現れた人は誰だったのだろうか? これはヤコブでした。そして愛の結実体として現れた人は誰だったのだろうか? これはヨハネでした。

 この3人がキリストの福音の一部分一部分を責任持って一つになって進むことによって、今日私が希望の結実を譲り受けることができ、信仰の結実を譲り受けることができ、愛の結実を譲り受けることができるようになって、また摂理歴史はそのようになるのを願いながら流れて来たのです。そのために3人が一つになって一つの完成体として完結し終えることが最後の道であります。これが、キリストがこの地上に残された最後の教えだったのです。

 だから今日皆さんが最後の完成者として現れるためには、キリストの代身体とならなければならないのです。ところが万一皆さんがキリストの3弟子を根とした一つの不変の実体として立てないならば、三弟子を立てて行かれた新郎になられるイエス様の御前に、出ることができないようになります。これを考える時、今日私たちはペテロを立てようとされたその信仰の希望を私自身で成し遂げて差し上げなくてはならないのです。ヤコブを立てようとされた希望の実りを私自身で成し遂げなければならないのです。ヨハネを立てようとされた愛の実りを私自身で刈り取らなければならないのです。

 このような皆さん自身となるならば、即ち皆さんが終りの日のイエス様の御前に立つことのできる一人の新婦となるならば、皆さんは神様が6千年間悲しまれた希望の願いが自分自身で結実された喜びを感じるようになって、お父様の御前に感謝をお返しできるようになるでしょう。

 更に皆さんは神様が今まで6千年間願って来られたその信仰の希望が、イエス様の愛を中心として成し遂げられたという、すべての万象を代身して成し遂げられたというその喜びの事実を現さなければなりません。そして神様が喜び愛する中でその愛の喜びを感じて、お父様の御前に感謝することのできる皆さんとならなければならないのです。このことが今日皆さんに歴史的な責任として残っていることを知らなければなりません。


 摂理が要求するもの

 それでは皆さん自身が「アバ父よ」と呼びながら、希望の結実を持たなければならない、信仰の結実を持たなければならない時、愛の結実を持たなければならない時となったのですが、今皆さんに要求することは何か? 神様が6千年間希望を抱いて切なく思われたその切なさを感じとれなければなりません。または6千年間信仰を立てるために苦労されたその苦労を感じとれなければならないし、6千年の間神様が愛を成すために犠牲の路程を繰り返して来られたその事実を感じとれなければならないのです。

 イエス様一身において、神様の4千年の希望の結実を代身する実践的な路程を立てたものが信仰の摂理であって、その信仰を代身する実践的な路程に立てられたものが何かと言えば、神霊の歴史でした。またその次には愛を代身する実践的な路程が見せてくれたものが何かと言えば、統一の歴史でありました。このようにイエス様は希望を持って摂理の道を立てたし、神霊を持ってここに種を蒔いて繁殖させたし、その繁殖したことなどを一つにまとめようとされた のです。

 したがって今皆さんは神様の愛、イエス様の愛、 聖霊 の愛を実現しなければならないのです。そしてイエス様の希望が神様の希望として変化する時が ​再臨時代​ であり、イエス様の信仰が神様の信仰として変化する時代が ​再臨時代​ であり、イエス様の愛が神様の愛として蒔かれる時が ​再臨時代​ であることを皆さんは知らなければならないのです。

 イエス様の希望の結実、イエス様の信仰の結実、イエス様の愛の結実が皆さん自身の中で結ばれていなかったということであれば、皆さんはまた再び神様の新しい希望の中心を探し立てなければならないし、神様の新しい信仰の中心を探さなければならないし、神様の新しい愛の中心を探さなければならないのです。これが皆さんに与えられた課題であります。

 それではそれらを探すために皆さんはどのようにしなければならないのか? 皆さん自身がイエス様の希望を成して、 聖霊 の希望を引き継いで、イエス様と 聖霊 の信仰を引き継いで、イエス様と 聖霊 の愛を引き継がなければならないのです。そうして、「お父様、 聖霊 の苦労がわかりました。 聖霊 の希望がわかりました。 聖霊 の信じて来られた歴史(役事)がわかりました。イエス・キリストの希望がわかりました。イエス・キリストの信仰がわかりました。イエス・キリストの愛がわかりました」と言えるようにならなければなりません。このように言いながら、お父様の御前に出て行くことができるその一つの存在が、今日この地上に現れなければならないということを皆さんは知らなければならないのです。

 それならばその一つの存在はどういう存在なのか? その一つの存在が持っている希望はキリストの希望であり、信仰はキリストの信仰であり、愛はキリストの愛であります。ところでその一つの存在がこれらを神様的な希望と神様的な信仰と神様的な愛で終結される時に、初めて神様はイエス・キリストの希望として残されたその目的を終結し終えて御旨を立てることができます。したがってその一つの存在は神様のイエス・キリストが祈られた歴史、イエス・キリストが今まで私たちのために神様の右側で立って祈られたそういう歴史を越えなければならないし、更に霊肉を持つ完成体として天の御前に立て得るようにならなくてはならないのです。またそういう存在が私と天の喜びをキリストを通して体恤するようになる時、初めて神様と人間が 一つになれるのです。そんな位置まで上がって行かなければならないことを私たちは知らなければならないのです。

 そのために今日私たちは、神様が4千年間苦労して立てられたキリストの心情、またキリスト以後2千年間苦労して立てようとされた 再臨主 の心情まで体恤しなければならないのです。そして今日私たちにはイエス・キリストが霊的な完成の立場を越えて、肉的に完結しなければならない希望の実体を完結できず、信仰の実体を完結できず、また愛の実体を完結できないために、その実体を完結しなければならない責任があるというのです。

​  再臨主 は信仰・希望・愛の代表者​

 イエス・キリストの愛を中心として来られるところの 再臨主 を立てて、神様と繋がることのできる関係を結ばなければならないのです。

 それでは、今日私たちはこのためにどのようにしなければならないのか? 実証的な希望の実体として現れなければならないし、信仰の実体として現れなければならないし、愛の実体として現れなければならないのです。そんな皆さんの基盤の上に 再臨主 が来られたならば、神様がイエス・キリストを立てられて願われたその希望が皆さん自身を通して決定するのです。そのためにその 再臨主 は私全体の希望として現れて、私全体の信仰として現れて、私全体の愛として現れるというのです。

 ところで 再臨主 がそのような愛として、希望として、信仰として現れるようになる時、皆さんは皆さん一人で喜ぶだけではいけないのです。その喜び、希望の喜びがその方によってなのですから、その方に感謝しなければならないのです。私が信仰の実体に立ったその事実に対して感謝しなければならないのです。そうする時、全天地が皆さんに和合して、皆さんを愛の実体として対することのできるようになるのです。このように全天地が動く感じを皆さんは持たなければならないのです。

 そういう感じの中で皆さんは、神様がイエス・キリストに対して希望されたことを、希望を代身する実践の路程を通して開拓しなければならないのです。 また信仰を代身する心霊的な歴史(役事)を開拓しなければならないのです。更に愛を代身した侍る生活を実践して、統一の歴史(役事)を成して、すべての万民が栄光に侍って差し上げることができる人々とならなくてはならないのです。

 そのために最後の神様の愛を成し遂げるには実践的な希望、心霊的な信仰、心霊的な愛をすべて備えなければならないのです。その時私たちは主に侍り、永遠に生きることができ、神様に侍って永遠に生きることができるのです。

 そして今日の私自身は天の喜びに満ち溢れて、地上の万物の前に喜びに満ち溢れ、地上の人間の前に喜びに満ち溢れていなければならないのです。そうしてその一つの喜びを全世界が統一するように感じながら、永遠に生きることができる時代を皆さんが建設しなければならないのです。

 そうして皆さんがいる所隅々まで、そこは神様の希望の実践的な場となって、信仰的な場となって、愛の化身的な場とならなければならないでしょう。そうして神様が希望した御旨を地上で成し遂げて、神様がイエス様を通じて成し遂げようとした希望が、私たちから成し遂げられるようになって地上の万物に結ばれなければならないのです。また神様の喜びが人間を通して万物にまで結ばれる時、初めて神様が願った統一の歴史が成立されるのです。

 そのために今日皆さんは、自分が神様の御前に希望の存在として立つためには、まず天上天下のすべての万物を代身して希望の結実体として喜んでいたかを自問自答してみなければなりません。また皆さんは、今まで地上の多くの人間が天を信じてきたその信仰の全体を代身して喜ぶことができる存在となったか? 更に神様から愛を受け、愛するその愛の感じを感じることができる存在となったか反問してみなければならないのです。

 ところがそのすべての完結体として来られる一人の存在が誰かと言えば、即ち ​再臨主​ なのです。即ち、その ​再臨主​ は全体の希望、全体の信仰、全体の愛を代表して現れる方だというのです。ところでその方が現れるようになる時、皆さんは彼を迎える準備ができていてこそ、彼の希望と彼の心霊的な信仰と彼の愛を所有することができるのです。またその時皆さんは、 神様の御旨を成すために行くまいとしても行かずにはおられないし、行わないでおこうとしても行わざるを得ないのです。そのために皆さんは今日この地の堕落圏内で生きている人間たちの感情を超越した希望の化身として、信仰の実体として、愛の実体として現れなければならないのです。万一このような存在がこの地にいるならば、 ​再臨主​ はそのような存在を訪ねて来られるのです。

 それならばそういう存在を求めて来られる目的は何であるか? イエス・キリストが残した使命、肉的に完結しなければならない使命のために尋ねて来られるのであります。6千年前から神様が希望される霊肉を中心としたその御旨を成し遂げようと尋ねて来られるのです。

 したがってそういう御旨を条件として手本となれる隠れた存在がこの地上に現れるようになる時、どんな存在であっても彼を希望の存在として、信仰の存在として、愛の存在として侍ることができなければなりません。愛を中心としてこそ統一の理念が成された一つの世界は希望を越え、信仰も越えた世界なのです。だから今皆様には、愛を中心とした自分の生活に天上天下が和合できる日を成し遂げなければならない重大な責任があるのです。


 再臨主の実践的な基盤

 たとえ 再臨主 がこの地上に来られると言っても、人間の実践的な基盤がなければなりません。たとえ永遠なる神様の愛を代身した存在だと言っても、人間即ち皆さんの基盤がなくてはならないのです。このような重大な責任が皆さんにあるのです。したがって今日皆さん一人は24億人類に代わって、今まで天上にいる億兆の先祖たちを代身していることを知らなければなりません。更に私一自身は天地のすべての存在物が希望する存在であり、全天地は私一自身が信仰の個体、愛の実証的な個体となることを願っているのです。

 だから今皆さんはそんな心を感じ取って、食べても飢えても生きても死んでも、その日常生活にあって全体の中心を証して保護して差し上げなければならないのです。そうして自然万物を通して神様の御前に栄光を帰し得る、このような歴史(役事)まで皆さんがやらなければならないのです。このような重大な責任を 今日皆さんは背負っているのです。

 それでは皆さんたちの過去の信仰生活を振り返って見る時、希望を成したと言って証しできる自分となっているか? 信仰を成したと言って証しできる自分となっているか? 愛を成したと言って証しできる自分となっているかということが問題です。

 そんな皆さんになる時、イエス・キリストの希望が、イエス・キリストの信仰が、イエス・キリストの愛が皆さんに神様の希望として、信仰として、愛として体恤されるようになるのです。したがって今皆さんはイエス・キリストを通じて残された神様の希望を、残された信仰を、残された愛を感じることができなければならないのです。

 そのような感じを感じる人がいるとすれば、彼は神様の直接的な恵みを受けている人です。またその様な人は、神様の希望を現すまいと思っても現さないではおられない、神様の信仰を現わすまいと思っても現さないではおられない、神様の愛を現すまいと思っても現さないではいられないのです。万一皆さんがそういう存在となるならば、皆さんがどこへ行っても神様の希望を分け与えることができ、どこへ行っても神様の信仰を分け与えることができて、どこへ行っても神様の愛を分け与えることができるのです。

 また皆さんがそのようにしてこそ、来られる再臨主を地上で神様の代身としてお迎えできることを、皆さんは肝に銘じなければならないでしょう。


 祈祷

 愛するお父様、天倫の隠された御旨の世界が成らなかったことがすべて神様に責任あると思ってましたが、人間の堕落によって私たちにもあることを知りました。

 神様の永遠なる希望が残っている限り、今日私たちにも永遠なる希望が残っており、神様の永遠なる信仰の願いが残っている限り、今日私たちにも永遠なる信仰の願いが残っており、神様の永遠なる愛の実践が成し遂げられない限り、今日私にも永遠なる愛の実体を成さなければならない責任が残っていることを知りました。

 この一日に蕩減的な歴史を継承するために、私たちは4千年希望を継承して6千年の希望として、4千年の信仰を継承して6千年の信仰として、 4千年の愛を継承して6千年の愛として現さなければならないのです。神様の御前に立って6千年の希望を永遠なる希望として、6千年の信仰を永遠なる信仰として、6千年の愛を永遠なる愛として立てるべき責任が私たちに残されていますから、この日の私たちの至らなさと不足さをお許し下さい。この日の私たちの不忠さと不孝さを許し、私自身を高く立てていたことをお許し下さい。 今万民の希望を結実しなければならない時になりましたし、万民の信仰を結実しなければならない時になりましたし、万民の愛を一つの実体として現さなければならない時になりましたが、その一つの実体がいずこに結実されておりますか? 取るに足りない私たちでありますが、新しい新婦として正装しなければならない自分たちであることがわかるように悟らしめて下さい。

 その時内的な面で完結を成し遂げられたイエス・キリストの苦労の歴史が、外的な私たちを通して結実されることができるのであり、再臨理想が実践されることができるのであり、外的な歴史を展開できることを知っております。

 今日天地の中心的な役割を担当すべき人が誰かといえば、終末の再臨歴史を前においている聖徒たちだということを知っています。お父様はそのような人々に永遠なるお父様の希望を任せようと願っておられますが、彼らがその希望を受け持つ者となっているか、永遠なるお父様の信仰を任せようとされていますが、その信仰を受け持てる者となったか、永遠なる神様の愛を任せようとしましたが、その愛を受け持つ者となったのか、それが心配なのです。

 そのすべてのものを主の代わりに受け持って、お父様の御前に永遠に変わらない姿でお父様の愛に属した人になる事を通じて、今は永遠なる希望の種族となった者として立たなければならないのです。永遠なる信仰の種族となった者として立たなければならないし、永遠なる愛の種族となった者として立たなければならないのです。このような責任が私たちに分担されている事をわかるようになさしめて下さい。

 選ばれたイスラエルの一つの勝利的な中心実体としておられるイエス・キリストの目的を、今日私たち一人一人で成して、即ち全体を代身する希望の実体を備えて、信仰の実体を備えて、愛の実体を備えなければならないのです。今再臨歴史以後には、キリストがこの地上に来られて行なわれたそのすべてのものを代身する、即ちイエス・キリストの希望の実体として立たなければ ならないのであり、信仰の後継者たちとならなければならないのですから、これをはっきりわかるようになさしめて下さい。

 今堕落の峠を越えなければならない復帰過程にある私たちが、「お父様の希望に責任持ちます。お父様の信仰に責任持ちます。お父様の愛に責任持ちます」ということができなければならないし、その希望、信仰、愛を、お父様の御前にお返しできなければならないし、更に万民の前に不変の愛を中心として立たなければならないのです。そうしてお父様の御前に愛される事のできる勝利的な存在となってこそ、終末に最後の栄光を代身する事のできる資格者であることを知っておりますので、今日ここに集まった子女たち、どうぞお父様が、「お前は私の希望の存在であり、私の信じる事のできる者であり、私が愛するできる者」という事のできる姿となるように導いて下さい。

 更に天上天下すべての万物の前に宣布して、判定の恵みを受けて和動の一つの条件を立てる事ができる勝利の子女たちとなるように導いて下さることを、お父様、切にお願い致します。

 そのためにお父様の喜びがこの地の喜びとして置きかえられ、お父様の愛がこの地の愛として置き換えられて、お父様の希望と信仰がこの地の希望と信仰として置き換えられなければならないのです。再臨理想を迎え受けながら、平面的な喜びをお父様の御前に置き換える事ができるように導いて下さり、お父様の願いが地を中心とする私たちによって成就されることのできる栄光を、全被造世界に現すことのできるように導いて下さい。

 私たちの生活を通して生涯を通して、モーゼの栄光を称えることができなければならないし、モーゼの愛によって私たちすべてが一つとなれるよう導いて下さい。そうして24億人類を全部すべて合わせて霊界にいる千々万聖徒たちまで合わせてこそ、一つ誇りを誇ることは神様の御旨を成就することであることを知っていますので、その成し遂げたすべての希望、成し遂げたすべての信仰、成し遂げたすべての愛を永遠に誇ることのできる条件として、天地の中心の中で立てる事のできるようお導き下さることを切にお願いしながら、すべての御言を主の御名によってお捧げ致します。アーメン。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2023.01.01 01:48:59
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