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「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言(後編)
1997年8月9日(陰暦7月7日)九里市水澤洞・中央修練院


  孤独な神様

 真の愛とは何ですか? 神様にとって、最も胸の詰まる事実を、皆さんは知るべきです。忘れることができないことを忘れてしまわなければならない、ということです。
 アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか? 忘れられないことを忘れなければならない神様の身の上を知る人が、どこにいたでしょうか?

 ですから、終わりの日になれば、そのような四分五裂になった形態が広がるのです。自分の夫や妻を奪っていったとしても、神様が忘れることができないものを忘れられたように、それを平凡なこととしてしまうことができるように忘れてしまう環境(当たり前のように何も感じなくなる環境)へと引っ張っていくのです。

 そのために近親〇姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか? 親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。サタンの悪なる世界では、愛の痕跡は一つも残り得ません。神様までも放り出すのです。

 おじいさんが孫娘と暮らします。父親、母親がいるにもかかわらず、その娘と暮らすのです。まったく、信じられないことです。姉と弟の姉弟同士で暮らしています。そこまで落ちているのです。ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。

 神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親〇姦関係ではありません。それを近親〇姦関係にしてしまったというのです。サタンは、そのことを知っているので、神様が立たれることのできる足場を完全に破壊させるための行動をするのです。ですから、愛という痕跡はありません。神様の前に愛をもって立てるべきものは一つもありません。すべて壊れてしまいました。分かりましたか?

 神様はなぜ、そのような立場に立てたのでしょうか? アダムは十六歳で堕落しました。十六歳といえば、男性と女性は思春期の気分を感じることのできる環境ですが、もう少しだけ待って、一年半だけ越えて十八歳になれば、天が祝福することのできる年齢になっていたのです。それなのに、それをサタンが知りました。ですから、誘惑して堕落させたのです。

 堕落することによって、どのようなことが起こったでしょうか? 今の世の中ならば、男性ならば女性と相姦関係を結んで結婚すれば、それでいいかもしれませんが、ここでは結婚してはいけません。主人が変わってしまったのです。



 しかたなく神様は、恨を抱かれながら再び取り戻さなければならないというのです。ですから、再創造を始められたのです。救援摂理歴史は復帰歴史であり、復帰歴史は、蕩減原理を通して再創造の過程を再び経なければ、永遠に完成を成し遂げることはできない、という基準を中心として摂理されたのです。気の遠くなるようなことでしょう。

 ですから、対することのできない、忘れてしまうべき、このサタンの息子・娘を忘れてはならないのです。忘れるべき者を忘れることのできない神様の苦しみが、どれほど大きかったでしょうか? その忘れてしまうしかない者を忘れられない立場に立てておいて、そのためにどれくらい投入されたのかというのです。投入できないものを投入してこられたのです。

 それでは、投入してから何をしようというのでしょうか? 愛の対象を捜していくのです。愛そうとしても愛することのできない立場で愛される神様の孤独な身の上を、だれが知っていたでしょうか?

 あなたたちはどうですか? 一代を中心とした、あなたたち一世代の悲惨なものは、この天地の中では一点の雲ほどにもならないのです。天地のすべてのものが生死の圏を越えて、破壊一筋に地獄へと向かう破滅の道を行くのですが、手をつけられない立場、忘れてしまうべきものを忘れることのできない立場に神様は立たれ、全部、け飛ばしてしまうべき者であるにもかかわらず、堕落人間たちを抱かれるための投入の役事をされたというのです。

 しかし、それで終わったのではありません。堕落した人類を、本然のアダム・エバよりも、もっと愛さなければならないというのです。ぼう然とする話です。皆、分かりましたか?(はい)

 忘れてしまうしかないものを、忘れてしまわれることのできない神様の孤独単身の立場。投入して再創造できないものを、歴史を通して数千万年の間投入されながら、投入されたものを忘れてしまわれた神様の身の上。

 そのように恨み多い峠と恨み多い傷あとを残した人たち、愛することのできない人たちを愛さなければならない神様の心情を、だれが知っていたかというのです。今日まで、そうなのです。

  真の父母の歴史的路程

 先生はそのような伝統を知ったので、忘れることができないものを忘れてしまったのです。怨讐たちがどれほど多かったでしょうか? その怨讐の子供たちを、棒一本でたたいて地獄に飛ばしてしまうべき人たちを、自分の子供たちの血肉と生命線まで投入して、救ってあげようとしたのです。

 愛するならば、自分の子供を愛するよりも、自分の子供を犠牲にしても同情することのできる立場で愛さなければならないという立場に立ったのが、真の父母の歴史的路程であったという事実を知らなければなりません。そのことを忘れてはならないのです。分かりましたか? 

 その涙の谷は、海の水がどんなにたくさんあるといっても埋めることはできずに、今に至るまで、その谷が残り得るほどの歴史であるというのです。高いといえば限りなく高い所、深いといえば限りなく深くなり得る事情があるというのです。埋めることができず、上がっていくこともできない恨みを残された神様の心。それが平地の平和の心のように映されるのですが、このような内外の受難の道を行った真のお父様、天の父母と真の父母の歴史を忘れてはならないということを知らなければなりません。

 そのような観点から、このすべてのものを埋めることができるのは、真の愛が行く道しかなかったという事実を知らなければなりません。分かりましたか? 



 旧約時代に失敗し、新約時代に失敗し、成約時代に失敗しました。先生一代の四十年荒野路程というのは、悲痛なものです。アダム家庭の一代の失敗が問題ではありません。イエス様が国家的基準で成して、万国を統治することのできる以上の立場、天下を解放することのできる、地上・天上天国が開門され得る勝利的基準を打ち立てる瞬間であったにもかかわらず、サタンが追放することによって、神様は何もない荒野、無の世界に引き返された立場に立たれたという事実を、だれが分かるのかというのです。

 その道を開拓するために、恨みも多かろう、悲しみも多かろう、苦痛も涙も苦役も多かろう、ため息をつくような峠を耐えながら五十年の歴史を経て、世界の家庭を中心として万国解放の門を開いて、万国、万民を全部一つの道に追い込むことのできる瞬間を迎えたというのです。

 「エジプトで苦役をしていたイスラエル民族が、イスラエルの建国に向かって出動できるその時と同じく、サタンの前に囹圄(監獄)の身になって、監獄に捕らわれているすべての家庭を、門を開けて理想的天国の一族となさしめて、解放天地の国に移せることを宣布する瞬間に、私たちが同参したという驚くべき感謝と栄光を何によって褒めたたえるか?」ということを忘れてはならないのです。そのような瞬間が、きょうの「天地父母天宙安息圏宣布日」なのです。

 なぜ、安息圏なのでしょうか? 堕落することによって、かの鉱物の元素までも嘆息するのです。

 「私たちが、主体・対象的分子を中心として陽イオン・陰イオンとして活動できる天運の因縁を受けて創造されたのに、どうしてこのような姿なのか? 何のためにつくられたのか? 愛を中心として愛のためにつくられたはずなのに、真の愛を失ってしまって、暗黒の世界になった。どうして真っ暗な暗黒の世界になったのか?」と嘆息しているのです。



 アダムの悲しみも、天のあふれるほどの恨みの峠を残したのですが、数千万年の歴史を通して四千年間のイスラエルの摂理圏を中心として立てておいたイスラエルの前に、メシヤがこの地上に降臨されることに関するすべてのことを教えてあげ、メシヤを降臨させたにもかかわらず、そのメシヤを無責任にも殺してしまったのです。

 このようにして、国家的基準の勝利圏を失ってしまって、恨み多い救援の役事をされ、さらに、再臨して一つの家庭を捜し立てることのできなかった怨恨の心情圏を抱かれ、エデンの園で失ってしまったものを再び回復するための摂理をされたというのです。

 そうして、第一次世界大戦と第二次世界大戦のとき、世界のキリスト教文化圏を中心として、世界的版図の基準である統一世界を備え、英・米・仏の三か国を立てたのです。

 英国は島国で、エバ国家を代表し、アメリカはその息子に当たるアベルを代表し、フランスは英国と戦った国ですが、怨讐国家が一つになったことを指します。

 連合国を中心として、キリスト教文化圏は霊的文化圏ですが、実体的基盤がないことによって、実体圏である東洋を中心として、英・米・仏の内的なイスラエルの内容を中心として枢軸国と戦うのです。どちらが先に攻撃したのかといえば、サタン側です。サタン側が、体を中心として良心を攻撃したことと同じだというのです。体が、いつも良心を引っ張って、死亡の世界へと引っ張っていったことと同じです。

 良心がいつも屈伏していたものを、第二次世界大戦を通して世界的版図で、国家群を中心として闘争する歴史で勝利したのですが、それにもかかわらず、国家自体で勝利的世界版図の主人として来られた再臨主に侍って、天下統一の峠を越えなければならなかったのです。その統一の世界の起源となることのできる、キリスト教文化圏が初めて世界を統一できる、英・米・仏圏時代になったというのです。

 そのような恵沢を受けて、韓国が独立して万歳を叫ぶのですが、先生は万歳を叫ぶことができませんでした。いまだに叫べていないのです。万歳を叫ぶことのできなかったこの恨みを解くために、統一教会では万歳を叫び始めたのです。

 神様は、私たち人間の完成の時を迎えて、白昼に活気を広めて、朝、鮮明な太陽の光が力強く昇るときに、それを正面で眺めながら神様の喜ぶ心情を持ち、環境的大王陛下である太陽や、新しい空気と、本然の水と生命体の根本となり得る新しい海の水などの天地創造された万物に侍って愛することができなかったのです。

 環境の王となり得る太陽を愛することができず、水を愛することができず、それから、空気を愛することができず、地を愛することができなかったというのです。なぜでしょうか? 嘆息圏にいるからです。そこにあるすべての存在物、鉱物、植物、動物を愛することができなかったのです。これを愛さなければなりません。

 ですから、真の父母たる人は、僻地に流れる水までも訪 ねていって、そこにある、目に留まることもない一株の草を見ながらも、「主人の愛を受けていた本然の心情と、どのように因縁を結ぶのか?」と言うのです。

 私は、山ならば見て回ったことのない山はありません。海ならば海、川の水ならば川の水を見て回らなかったものはありません。魚は、どのようなものでも全部、眺めてみるときには、「神様がこれをつくられるときは、どのように喜ばれただろうか?」と思うのです。主人の資格を持とうとすれば、その主人のすべての内的な愛の因縁を通して生み出された動機から彼らと因縁を結び、彼らを愛することのできる主人の資格を備えなければならないと考えて、陸地を遍歴してから海上を遍歴して、今や帰ってくるようになっています。

 今回、このような祝賀の日を迎えるようになるとき、海の時代は過ぎ去るのです。ですから、アルゼンチンやウルグアイやパラグアイやブラジルにある、今まで計画していたものを総清算できる内容であったので、この十日間は、とても忙しかったです。お母様は、「お願いですから行かないでください」と言ったのです。

 けれどもお母様は、お父様の行くべき道を知りません。お母様の話を聞いて、私が行くのではありません。今回、私の代わりに精誠をささげる人を三人ずつ立てておいたのです。四位基台です。先生が代表です。

 今まで、先生が活動していた内容を中心として、それを基準として連帯的な相対関係で続けていくのです。その息子・娘と教会全体が、そのような使命を果たすことができるように、平準化させることのできる教育をしなさいというのです。海を守り、魚を愛しなさいというのです。

 今や安息圏を築くのですが、海だけではありません。陸地の安息圏を策定しなければなりません。今からは、山ならば山、景色の良い所を訪ねて行くのです。行ってから何をするのでしょうか? ただ行くことはできません。狩猟場をつくるのです。自然界のすべての動物を殺すのではありません。私が育てます。そうして、趣味産業と連結させるのです。その内容は、皆さんは知らないことでしょう。

 自分が育てて、捕まえて食べるべきなのです。分かりましたか? 人間は、動物をすべて捕まえて食べるでしょう? 植物をすべてちぎって食べるでしょう? 鉱物の栄養素をすべてすすって食べるでしょう? それらは、自然の前に罪を犯すことです。泥棒をしているのです。

 それらの万物は、神様の息子の血肉となり、体になって骨肉にならなければならないのに、泥棒して食べるので泥棒の血肉になっています。これをやめさせて、本然的愛と一つになることのできる趣味生活を中心として、歴史の大転換期を標準として定めて、三百六十万双の頂上の転換点を目指して今まで準備してきたのです。何の話か分かりましたか? 

  愛の定着する目的地

 先生は、どこかに訪ねていけば、農地を見ても自分のための土地にしようとは思いませんでした。「神様の土地をつくって、万民を復活させることのできる農地をどのように開拓するか?」と思ったのです。僻地に行ったとしても、その僻地の景色が良ければ、「観光の一等地として、万国の名のある人たちが訪ねてきて、驚くべき景色を褒めたたえることのできる所としてどのように開発するのか?」、と考えました。

 お金を稼ぐのが目的ではありません。自然的な価値を本然的基盤で表し、万民共義の趣味基盤として、どのように拡大させるのかという思想を持って動かすのです。そこには国境がありません。どこであれ、必要になればするのです。

 堕落することによって、万物の嘆息圏に包容されているという事実を知らなければなりません。分かりましたか? ロマ書の八章を見れば、「万物が嘆息している」とあります。太陽の光の中で生き、天下に自分の容姿を誇ることのできる主体的権限を持てる存在物が、無色で真っ暗なえたいの知れない有名無実の存在になったので、嘆息せざるを得ないのです。

 これを白昼のような愛の光、愛の太陽の光の前に、神様の愛とともに本然的基準で自らが褒めたたえることのできる栄光を天の前に表して、「私の命は神様である」と褒めたたえることのできる根源である神様と、再び連結しなければならないのです。

 愛のためにつくられたあらゆる万物は、愛の大王、愛の主人になることのできる、天地父母の愛の本質に吸収されるのです。チャールズ・ダーウィンが進化論を中心として弱肉強食であると言ったのですが、そのような論理はあり得ません。愛の価値が低い相対は、主体・対象関係によって、愛の高い所に吸収されるのです。

 それでは、このようにしてどこに行くのでしょうか? それは、神様の愛に接触することのできるその場が、この存在世界において最高の理想として願う定着地なのです。目的であり、終着点であるというのです。

 皆さん、男性と女性が、堕落しない復帰された神様の息子・娘を生むことのできる生殖器に向かって、全存在世界は、自分の生命全体を投入して高い次元へと吸収されていくのです。

 鉱物は植物、植物は動物、動物は自分よりもさらに大きな動物、さらに大きな動物へと吸収されるのです。人間は、すべてのものを吸収、消化できる能力があるのです。ですから、人間はそれらのものを愛し、食べてあげなければならないのです。皆さんは、そのように愛しましたか?

 万物に隠されている神様の創造的愛の因縁が、自分の前に現れるとき、それは解放された愛の実体として、主体的主人の前に自分自身を奉献しようという心で現れたのです。

 それをそれ以上に主体的に愛し、食べるようになるときは、その万物は死なないというのです。吸収されて人間の体の中に入ってきて、この上なく高い神様の愛の細胞の場所まで行って、神様の子供を造成することにおいて、根源的な立場で愛を体恤しながら、「私が存在するのは神様の創造理想であり、目的である」ということを知るというのです。その場所に全部が動員されているのです。

 それがどのような所だと言いましたか? 生殖器です。生殖器(「センシッキ」と発音)は「生きた食器(同じく「センシッキ」と発音)」ということです。それは、生命を捕まえて食べる食器です。それが愛の王宮です。それがなければ、女性も男性も愛を感じることができますか? それがなければ男性、女性の生命が一つになることができますか、できませんか?(「できません」)。なぜ、声がこんなに小さいのですか? 先生の声の数千倍にもならなければならないでしょう。できますか、できませんか?(「できません」)。

 天地が壊れても「できない」と言うとき、死んだすべての万物が目をぱっと開けて、「そうです。もう分かりました」と言って、「復活できる実体が現れた」と言うのです。できますか、できませんか?(「できません」)。そうして復活するというのです。そのような心を持たなければなりません。

 そのようになれば復活するので、行くべき道を探していくことができるのです。動物世界も、植物世界も、鉱物世界も、真の愛がある所を訪ねていって、天運がその場に駆りたてられていくのです。

 そうして、そのことによって、統一教会に「滅びろ」と言っても滅びないという論理が成立し、統一教会に「分散してなくなれ」と言ってもなくならず、天運が保護する枠が家庭となって、反対する以上の天地の形態として、万国の一番、万天下の一番の座を占めるのです。愛の定着する目的地がそこまで連結されるので、不可避的な論理的結論なのです。アーメン。(「アーメン」)

 「愛だけがあります」と言ってみてください。(「愛だけがあります」)。私も愛が絶対に必要です(「私も愛が絶対に必要です」)。私が十回死んで復活したとしても、それをあきらめずに少しも未練なく恥ずかしくない道を行くことのできる神様の息子・娘になるうえで不浄なことはありません。アーメン。(「アーメン」)(拍手)

 これくらい話せば、序論は十分です。
 あとは、骨があれば肉になることのできる環境的条件を知ったのですから、直線コースの真の愛に従っていかなければなりません。アーメン。(「アーメン」)

  統一の限界線

 結論は簡単です。皆さんの心と体が神様の安息の家になりなさい、ということです。心と体を統一しなさいというのです。どこまでが統一の限界線ですか? それは、神様の立場で愛さなければなりません。

 例えば、千年思慕した恋人に会って、何も身に着けずに、「私の恋人よ」と言って愛し合うような瞬間でも、そこから無に帰ることができる位置を探して帰っていかなければならないというのです。最初にサタン的に動いたことを、二回目は克服して、それを取り戻すことのできる位置を探し出さなければなりません。そうして、本然的愛の道を求めていかなければならないのです。

 ですから、長子圏の愛の土台の上では復帰がなされません。次子圏の愛の土台の上で復帰がなされるのです。正妻の系統ではなく、妾や庶子の系統を通して復帰されるのです。なぜでしょうか? 神様の前に二つの母と子供がいるのです。堕落した母と子供と、復帰された母と子供なのです。

 天国に入ったとしても、二組の父と母が、共に横的に入ることはできません。天国に入る際には、一人の母の立場で入らなければならないのです。そうするためには、転覆させるみ業しかないというのです。兄が弟になり、弟が兄になるみ業をしなければならないのです。

 ヤコブの家庭において、姉のレアを中心として妹のラケルの家庭を奪ったのですが、これは天理に違反するのです。たとえ姉が、ラケルの家で裏部屋暮らしをしながら冷遇されたとしても、一つになるためには、お姉さんが妹になる立場で僕にならなければならないというのです。

 ここからヤコブの息子の十兄弟がヨセフとベニヤミンの僕にならなければならないというのです。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従せずしては、本然の世界に入ることはできないのです。まさしく、それが戒めです。

 神様が天地を創造されるとき、神様ご自身が絶対信仰の上で創造されたというのです。絶対信仰の上で、絶対愛の対象として天地を創造され、神様の愛の心ですべてのものを投入されたというのです。そしてその次に、絶対服従されたというのです。あるものはすべて与えられたのです。

 女性たちは、「あなたにあるものをすべて欲しい」と言うのです。そうでしょう? 結婚が間近に迫ってデートをしたときや、結婚して迎えた初夜には、「あなたは私をどれくらい愛しているの? 死ぬことも問題ないの? 命を懸けて、絶対無の境地で服従できる立場に立つことができるの?」と言うのです。

 そのようなとき、「そのとおりだ」と言えてこそ、新婦が安心するのです。そうしてこそ、万事オーケーだというのです。相対に対しては同じです。死の峠を何回越えたとしても、愛の貞操を曲げることのできないその道こそが、ふたりが統一され得る道であり、神様の息子と娘になることのできる道である、ということを知らなければなりません。

 それで歴史について見るとき、私たちが犯したすべての罪を清算しなければならないのです。歴史的に見るとき、だれが罪を先に犯しましたか、エバが先に犯しましたか?(「エバです」)

 エバは絶対服従しながら肥料になり、支えになり、床一面の涙を流し、血と肉のようなものすべてが水のようになって、アダムがつくろうとするとおりにならなければなりません。

 例えば、子供たちが何か償うべき行いをしたときに、その穴埋めをアダムが、「思いどおりにしなさい」と言って、エバに任せることのできるような女性の道を選ばずしては、この道を修繕して本然の基地に帰ることができないというのです。

 ですから、女性は堕落した以後、愛の夫を捜して、数千万年の間犠牲になってきました。今まで抱いてきたのは、天使長です。偽りの夫をつかまえているので、愛の泥棒です。一生の間暮らしながら、妻の体を両手両足から胸、顔、心まで傷だらけにした夫であったというのです。ですから、恨み多い歴史的な涙を流してきながら、犠牲の祭物になったのが女性であったというのです。

 その女性たちが願ったものが、何なのでしょうか? 私たちが心から願う、心と体が願う本然の夫を捜すことです。本然の夫がどこにいますか? これを捜すために数千年、数万年の間恨みの峠として、涙と死の道を行くためにも、息絶えるその瞬間にも、自分が願った本当の夫を自分は捜せなくても、「女性である自分の娘や、自分の後孫は見いだすことを願う」と言いながら、恨みを抱いて精誠、至誠をささげて亡くなっていった人たちが多いということを知らなければなりません。

 神様は、そのことを忘れられることができないのです。神様も寂しく、悲しく、耐えがたい悔しい立場におられたのですが、その女性たちの泣き叫ぶ声を聞かれた神様は、やはり神様でいらっしゃるので、その声に同情されて、投入することもできず、忘れることもできない人たちを愛するための難しい峠を、呻吟しながら来られた神様であられるということを知らなければなりません。分かりましたか? 

  祝福の十二峠

 家庭に悲しみがあるといって、ぺちゃくちゃと口を開けてぶつぶつと不平を言ってはいけないというのです。夫もそうです。どんなに国のこと、世界のことが目前に迫ってきたり、いっぺんに十二峠のものが胸に迫ってきたとしても、それを引き受けて、自分が越えるべき責任を果たそうと身もだえし、はいつくばりながらも越えようといって、途中で倒れて死ねば、その代を引き継いで十二峠を越えることのできる後継者を神様が立てて連結し、十二峠を越えさせてあげようとされるのです。分かりましたか? 

 ですから、神様は韓国を愛されて、「アリラン峠」という歌を与えてくださったのだと思います。アリラン峠とは、何のことですか?

アリラン、アリラン、アラリヨ
 アリラン峠を越えていく
 アリラン峠は十二峠……

 悲しくても、つらくても、苦しくても越えていかなければなりません。
 その「アリラン」という言葉が何かと言えば、私はこのように考えます。それは、原理的に正しい話なのです。「アリラン」とは、「愛(エ)」の字と、「里(リ)」の字と、峠の「嶺(リョン)」という字なのではないかというのです。「愛里嶺」だということです。それが「アリラン」という言葉になり得るのです。つまり、「愛する里を訪ねていく」のです。愛する里を訪ねていくときには、峠もこのようにたくさんあります。十二峠があるのです。

 私たち韓民族の民謡や、過去の歴史を中心とした忠孝の道理、そして理想圏を中心として宇宙を友とするための伝統的思想があるということを知るようになるとき、それらは皆、愛する里を訪ねていくための本然の道であったというのです。それは、アダムが本然のエバを訪ねていく道なのです。

 新郎と新婦が別れた峠、それが十二峠に分かれてしまっているのです。世界を全部滅ぼすこの限界線を、千辛万苦の困難があったとしても越えていって、一つに出会うことのできる道を訪ねてくるというのが、神様が創造理想完結を目標とされたものであったというのです。

 第一アダムが失敗し、第二アダムが失敗したとしても、第三アダムを送って、アリラン峠の世界版図の峠を越えて、本郷の地に帰って、千年万年真の父母に侍って生きるべし、という歌まで連結されたということを眺めるようになるとき、この「愛里嶺峠」を、だれが責任をもって越えていくのでしょうか?

 エバは越えることができません。エバは何も知りません。新郎であられるそのおかたが、世界的峠からあの愛の里の峠へと訪ねていくのです。それが十二峠です。

 ですから、このような十二峠は、何によって橋を架けるのかといえば、世界の祝福結婚というものを中心としてなすのです。これは超民族的です。分かりましたか? 超民族的な家庭が行くことのできる伝統の道を、高速道路のように築かなければなりません。ですから、統一教会は十二峠の祝福の基盤の峠を越えてきた、ということを皆さんが知らなければなりません。

 最初は何家庭ですか? 三家庭です。その次は三十六家庭。その次は七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭です。ここまででいくつですか? 八つです。

 六千家庭は八数目で、そのときから内外として東洋西洋、世界版図圏のプラス・マイナスの基盤を統一し、六千五百家庭を中心としては、その基盤の上に九数を超えて十数、帰一数に至るのです。

 帰一数で世界的家庭版図の縦的な基盤を立てたのが、一九九二年八月二十五日でした。そのときにおいて、初めて世界的蘇生的であるというのです。超民族的水平圏内において、縦的な蘇生の基盤を立てるのです。その次に三十六万双、そこで完成基準が三百六十万双です。

 文総裁が、統一教会を率いる責任者としての三万双結婚を宣布するときも、狂った人として扱われました。私は賢い人なのです。

 「三万家庭? 六千家庭も何年間もかけてしたのに、数年間で三万家庭などやれるものか」と、皆、笑ったのです。ところが、やったでしょうか、やれなかったでしょうか?(「やりました」)。世界的です。超民族的、超国家的、超宗派的です。ですから、三万双の結婚をするときは、すべての宗教を超えて行ったのです。

 そのとき、「モスレムや仏教やヒンドゥー教の人たちを祝福式に参加させなさい」と言うと、郭錠煥の目がまん丸くなったのです。それを思い出しますか?(「はい」)。「できない」と言ってしり込みしたのが、ついこの間のようで、硬直させた顔を見詰めたことが忘れられませんが、神様が助けてくださって、無難に突破しました。

 三十六万双のときも、先生の側に立って押してくれた人は、一人もいませんでした。郭錠煥は信じましたか?(「少し信じました」)。「すべてを信じられなかった」ということも、「少し信じた」ということも同じことです。全部、「信じられなかった」ということです。落第の点数であるのに、五〇点や六〇点をもらったからといって、それでどうするのですか? それは零点と同じことなのです。

 ただ一人、絶対信仰を持った人がいるとすれば、それは文総裁です。絶対愛の心、絶対服従の心、一つの心を持った人は文総裁しかいません。監獄に行っても、どこに行っても、その心は一秒も忘れないのです。「秒」を克服しなければならないし、「分」を克服しなければならないし、「日」を克服しなければならないし、「月」を克服しなければならないし、「年」を克服しなければならないのです。

 そして、世界の歴史を克服すべき使命を負ったので、いくら風の吹きつける歴史を代表するような試練の峠でも、私を曲げることはできません。絞首台の露と消えるとしても、「私の精神は千里万里を跳躍して、神様の心情を感動させて、地上に私よりも立派な人を送ることができる」と信じてきたのです。

 そうして、神様が助けてくださって、文総裁だけが信じたのです。「信じる者は、絶対にしのげないものがない」というその言葉どおり、三十六万双も無難に突破したのです(「アーメン」)。(拍手)

  恨みを抱いた息子の立場

 もう、これくらいで分かると思います。先生がどれほどかわいそうでしょうか? 私には友達がいません。お父さんもいないし、兄弟もいないし、独り、独りなのです。神様と私しかいません。

 統一教会にはたくさんの人がいますが、私はどこのだれとも復帰摂理について相談はしませんでした。相談した人は一人もいません。だれとも相談したことがないのです。お母様にも話すことができません。

 世界の万国・万民が、愛の巣を中心として、真の家庭を中心として、そのすべてに解放圏が始まり、このすべてのものを、神様が創造されるときの本然の環境の愛の雰囲気に合うように、どのように導くかというのが、先生の悩みであり、願いです。

 先生は、一時間たりとも、行くべき復帰の道を忘れたことがないということを知らなければなりません。そのために、人がよく寝ている時間に、夜を明かしてそれを成そうと身もだえしました。人がよく遊び、習い事などに通っていても、私は世の中のだれもうらやましく思わす、それらのことも皆、することができますが、すべて放棄しました。

 ですから、「クリスマスには行くな」と言ったのです。年の初めになれば、「行くな」と言ったのです。クリスマスや年初という、まかり間違えば、審判され、神様の恨みの峠さえ残しかねない、というときに、それを守っていけば残され得る未来の希望の土台があるので、そのように語ったのです。それが罪でしょうか? 物事をそのように考える親は、全部、終わりの日になる前に、統一教会に巻き込まれて入ってくるというのです。

 先生は賢いでしょうか、愚かでしょうか?(「賢いです」)。どこが賢いというのでしょうか? 国を失い、王宮を失い、天下を皆失い、追い出されて放浪の身です。本然の家庭、本然の国、本然の王宮、本然の天上世界を成し、神様を案内してさしあげることのできる基盤のない、恥ずかしさを感じる立場です。

 このような贖罪の恨みを抱いていくべき子供の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理の道を開拓するために、あまりにも遠い距離を残している、恨みを抱いた息子の立場をだれが同情しますか? 神様も同情できません。

 考えてみてください。神様は祝福してくださり、天下にまたとない約束をしておかれながら、先生を監獄にほうり込まれるのです。そうでなければ、その峠を越えられないのです。ですから、行く息子をむち打たざるを得ない、そのような神様の事情を知ったので、恨みも多く、事情も多いそのような歴史過程を今まで経てきたのです。それらすべてのことを、皆さんは知りません。先生が何をするのか、皆さんには分からないのです。

 きょうの朝も、祈祷をするとき、痛哭しなければ倒れそうでした。意識なく倒れてしまうのです。そのように寂しい人なのです。一言語れば、悔しく、のどが詰まって、千年の恨みを解くことのできない身もだえをしなければならない男として生きてきた、ということを知らなければなりません。

  自由解放圏の到来

 今は、大韓民国の女性たちが連合して家庭解放圏を成せば、その女性たちの前にすべての天使長圏はひざまずき、助けをこいねがい得る日が、目前にまで来たということを知るべきです。(「アーメン」)。(拍手)

 歴史以来、女性たちを蹂躙してきた者たちが、女性の前に千年万年の恨みと事情を解き、許しを求めるときが来るというのです。私はそのような女性の解放のために働いてきたのです。そして今回、南北の女性たちをまとめて、十六数を超えました。サタン数の完成数を越えたのです。国連も十六数なのです。韓国が国連に加入したのも百六十一番目だったのです。そこに男性と女性を合わせて、南北で十八数を総蕩減し、きょうのこの「解放の日」を迎えるための準備をしたのです。

 そのためには、南北米の主流思想の方向を全部、実として韓国に持ってきて植えるのです。お母様を中心として三度、このような大会を先立たせて行い、韓国が天の祝福を受けることができないで、この敗者の悲しい立場にいるのを、自分が旗を立てて、「長子と庶子と養子たちが、本然の祝福を受けられる橋をどのようによみがえらせるか」ということに苦心したのです。外国で私が涙を流し、冷遇されながら、韓国をどのように取り戻すかということに、だれよりも心を痛め、気をもんだということを、だれも知らないのです。しかし、天は知っておられます。

 かわいそうなレバレンド・ムーンが、このように苦労して導いた韓国が、祝福家庭の系列において十位以下に落ちてはいけないといって、ここにお父様とお母様がふたり来て、今まで家庭、氏族を救うために千辛万苦したというのです。

 そうするためには、アメリカと南米を中心として、キリスト教文化圏を中心として結実したものを、この地に持ってきて植えなければならないのです。カイン・アベル圏を中心として、お母様を中心として復帰してくることによって、エバが植えてあげるみ業をしなければならないので、今まで三次まで経てきながら、今は最上の為政者たち、政治指導者たちは、お母様の後ろに従わざるを得ないという環境的与件が皆、備えられたのです。

 ですから、今から南北の女性大会をしなければなりません。平壌の陵羅島とソウルの五・一六広場を中心として、南北女性大会と世界女性大会を結合するようになるならば、世界の開門がなされ、政治風土においてもサタン世界の長子圏は退き、天の国のアベル圏を中心として、真の父母と真の子女を中心とした解放の世界が、万国に充満すべきなのです。そのような時代が来るのです。(「アーメン」)

 ですから、今年、飛行機を買いました。(拍手)大きな飛行機は必要ありません。ですから、カナダの飛行機会社を中心として、技術支援をして、今後、陸海空の主人にならなければなりません。今、空の主人にはなれていないので、最高の技術を持った会社を中心として、技術提携して行うのです。

 そうして、飛行機を買って、名勝地を開発できるすべての場所に飛行場をつくって、名勝地を案内することのできる仕事をしようと思います。そのような万端の準備をしたのです。

 それから、船を造って、南極と北極を連結するのです。北極はコディアクを中心として、アメリカが私たちを押してくれているのです。フィッシュ・パウダーを作って、南極までつなげるための仕事をするのです。だんだん広がっていくのです。

 旧ソ連が、世界的に南極水産業の先頭を走れるように、という目的で造った船を競売に付したのですが、それを引き取りました。競売の価格は安いのです。本当の価格は、私は話しません。その船を専門家たちが修理するために調査をしたのですが、アメリカの最高の造船専門家、検診専門家たちが調べてみると、「六百万ドル以上の利益が出る船を買ったが、レバレンド・ムーンは、そのようなことをどうしてすべて知って買ったのか?」と言うのです。(拍手)

 ですから、南極を開発することのできる一番の会社として登場しようというのです。私がクリーン産業を上手につくったということをだれも知りません。クリーン産業を中心として、人間の食糧をつくり、漁具をつくることのできる準備ができています。それは、文総裁をつかまえていなければできないようになっています。

 無限な原材料を通して、無限な食糧開発ができるので、全部、レバレンド・ムーンに任せてみなさいというのです。

 そうして次には、穀物です。農業を営むことのできる穀倉地帯が問題です。ですから、土地を全部、引き受けて行うのです。これを引き受けるためには、少なくとも全部で二十万ヘクタールほどになるのですが、それを「この土地の収益を十倍以上に高めてあげるから、私に任せなさい」といって引き受けて、株式会社をつくろうと思うのです。

 そうして、北韓の国民や、アフリカで餓死していくような人たちを連れていって、助けてあげるのです。そのように、中流社会以下のかわいそうな民族、食糧がなくて飢饉であえぐ人々を解放してあげることによって、その恩恵を被る人たちは十年以内に数十億の数に上ることでしょう。(「アーメン」)。(拍手)

 世界平和家庭連合は、すでに世界的につくりました。今からすべきことは、世界平和親族連合、宗親連合を編成するのです。分かりましたか? この時代が来たので、文氏、韓氏、真の父母を中心として、主流氏族を収拾できる世界的出発をしなければならないので、今年の四月十日、宗親長たちを中心として、その一族たちに「韓氏、文氏の子女はもちろん、家庭は全員、祝福を受けなさい」と言いました。今、その運動に火がついているのです。

 韓半島で一番大きな川は何という川ですか? 漢江ですか、どこですか? 鴨緑江でしょう? 鴨緑江なら鴨緑江の河口に立って、反対に見るのです。今は、私が世界版図を全部収拾したので、今からは宗親が行くことのできる主流を編成することでしょう。
 そこで堕落した世界を収拾して、勝利圏をつかんで帰ることができるようにするためには、その主流の前に大きな支流から小さい支流、山の峠の岩の間に流れるわき水まで全部、反対に結びつけておかなければならないのです。分かりましたか? 

 このように結びつけて、先生がどこに行っても妨げがなく、ある村の東、あるいは西に行っても、遮られることのあり得ない自由天地になるのです。そのことによって、神様が先生に従って、どこにでも行くことのできる時代になるので、神様が解放され、真の父母の解放と解怨が可能となるということを知らなければなりません。分かりましたか? 

 その行く所ごとに反対する人がなく、歓迎することでしょう。パーティーを開かなければなりません。行く所ごとにパーティーの日が連結されるというのです。
 私があなたたちの家に訪ねていくとき、パーティーをしますか、しませんか?(「します」)。家庭もパーティーをしなければならないし、氏族もパーティーをしなければならないし、民族もパーティーをしなければならないし、国家もパーティーをしなければなりません。

 そのように、家庭連合が宗親連合になり、国家時代に国家連合を中心として世界連合に直通できるときが来たので、巡る所には妨害がないときが来たということを知らなければなりません。分かりましたか? 

 ですから、自由解放圏であり、自由奔放な行動をしても、たとえ、「ある歴史的伝統を備えた」と誇ったとしても、ここに妄動者になって反対する人は一人もいません。全体が「アーメン」と言うことのできる自由天地になることによって、神様が個人でも解放、家庭でも解放、国家でも解放、世界でも解放、天宙でも解放されるのです。

 そのようにして、神様の前に行ってその胸に抱かれるとき、私が神様の前に到着して、「天のお父様 私が帰ってきました」と申し上げるとき、神様は座っておられるその王座から「おまえ、来たのだな。あっちに行け」とは言われません。ごらんになるや否や、王座から駆け下りてこられて、抱き締めて痛哭されるかもしれない神様であられるのです。そのような神様としてお迎えすべきである、という責任を感じて生きる人が、レバレンド・ムーンであるということを知らなければなりません。

 その日のために汚点を残さず、ひたすら、一方通行で勝利者の覇権を立てようという切ない心情を持って生きる男が先生であるということを、皆さんは忘れてはいけません。皆さんは、そのような目的達成の標準を立てた限界に向かう群れたちなのです
 三千六百万双が問題ではありません。三億六千万双が問題ではありません。「三百億、三千億でも、私はしよう」という燃える心を持てば、八か月以内にすべてのことが終わるであろうと見ているのです。

 そうすることによって、神様の自由天地をつくり、千年万年、恨みを解き、真の父母に侍り、永遠不変の統一の世界に君臨する天の民族を中心とした世界人類になるべきなのです。それが、レバレンド・ムーンが生涯をささげて目的とし、標準にして闘争してきた路程であったという事実を忘却すべきではありません。(「アーメン」)

  心と体の統一圏

 ですから、個人において心と体を統一すべきです。この心と体が一つになるためには、真の愛に侍ろうとしなければなりません。真の愛を感じようとしなければなりません。神様を忘れ、数千万年の間、神様に反対してきたこの体を料理しなければなりません。

 皆さんがだめになるのは、体に引っ張られていくから、だめになるのです。行くべき道を行くことができず、本然の園に行くべき道を行くことができずに、願わない道を行って涙の事情で編まれた嘆きの歴史が、この体によってそのようになったという事実を忘却してはいけません。体を弱めなければなりません。

 そうなれば、どこまで行かなければならないでしょうか? 世界で一人しかいない自分の愛する人を、自分の怨讐に自ら祝福して譲ってあげることのできる雅量を持たなければならないし、愛する男女が一つになることができる愛の場で、無に帰ることのできる主導的な体裁を男性が示すことができなければならないという事実を知らなければなりません。そうでなくては、体を屈伏させることのできる道がありません。何の話か分かりましたか?

 自分の愛する夫と妻を怨讐に抱かせてやり、そのうえ福を祈ってあげることのできる事情と事由を抱いてこられた神様であられた、ということを知るべきです。よこしまなあらゆる女性が蹂躙してくる環境において、ありとあらゆることがありましたが、それを克服してくることのできる、罪を犯さないで済ませ得る主管力を持ち、女性たちの誘引圏を越えることのできる男になって、数十回、数百回を越えてきたのです。何の話か分かりましたか? 

 愛する妻を怨讐に抱かせてやり、祝福を祈ることができ、愛する相対と関係して、最高の絶頂の場でも、そこから無に帰り得る立場を見いださずには、体を絶対屈伏させて、真の愛に抱かれ得る道がないということを知らなければなりません。

 今まで、先生が行く道は、女性たちの誘惑の世の中から逃れてきました。私がやらないというときは、やらないのです。ですから、たとえ手首を切ってまでも、賭博に熱中してはいけません。行きたい所があるとしても、「中断」と言えば、きれいに百八十度回ることができなければいけません。

 ですから先生は、「ノー」と言えばノーなのです。そのような意味で、神様が後押ししてくださるのです。分かりましたか?(はい)。そうでなくては、心と体が一つになることのできる統一の思想など、あり得ないのです。

 歴史性を克服して、天に反対し、天が行く道に対して破壊的な行動をしてのけたその根源地を、皆さんが制圧し得る人にならなくてはなりません。百八十度回ることができなければなりません。分かりましたか?

 そのようにすることができなければ、心と体の統一圏を見いだすことができないのです。率直に教えてあげるのです。皆さんの愛する妻と、愛することのできるクライマックスに至って、零に帰ることができなければなりません。そのような自主力を持たなくては、克服することができません。

 先生も、そうすることができなかったならば、神様の天罰の雷が落ちかねないという道が一、二度ではなかったというのです。守るべき道理の道が、このように、とてつもなく厳しい道であるということを知らなければなりません。

 体を占領しなければなりません 体と連結された五官を占領しなければなりません 肉的な愛に従いますか、精神的な愛に従いますか?(「精神的な愛に従います」)。千万回、死ぬような道があっても、貞操を守らなければなりません。結婚する前の子供たちは、純潔を守らなければなりません。純潔を守り、真の愛を中心として結婚すれば、貞操を守らなければなりません。分かりましたか、女性たち?(「はい」)。

 そうしなければ、個人的な聖殿をつくることができません。神様が安息所をつくられることができないのです。これをつくることができなければ、永遠に安息所をつくられることができず、夫婦的安息所、家庭的安息所、氏族、民族、国家、世界的安息所が全部なくなるのです。これは単なる話ではありません。事実なのです。

  家庭的安息圏

 さあ、家庭的安息圏を通過しましょう「した」ですか、「しよう」ですか? どちらですか?(「した」です)。「した」という人、手を挙げてみなさい。そのことが、どれくらい大変でしょうか? 歴史始まって以来、今まで数千万年間にわたるこの闘いの戦争は、まだ、開門したばかりであり、原子爆弾の洗礼以上の恐ろしい闘いに入れ替わりつつあるという事実を知らなければなりません。この闘いを、私一人で平準化させなければならないのです。
 真の愛を中心として統一しましたか、できませんでしたか?

 このようにはっきりと教えてあげたのですから、今後、天国に行くときに「入ることができない」と言って、先生に不平を言うことはできないのです。分かりましたか? 
 鶴は、エベレスト山を越えて平原地帯で安息するというのです。下には高い山や低い山、また谷があり、海があっても、エベレスト山頂を通って光を放つことのできる標準を定めたその場所に行くときまでは、受難の道があっても、忘れることなく、そこまで行き着くことのできる自我守護の精神を持っていくのです。

 ですから、そのエベレスト山頂を撃破し、越えれば、天地万物のすべてが褒めたたえ、栄光で自らを歓迎してくれることのできる自由の天国が待っているということを知るときに、どうして越えられないことがあろうかというのです。先生は、そのような考えを持ち、闘ってきました。

 「自分の道を行くのに忙しい。反対しろ。これは逃げるのではない。周りの犬がほえたとしても、関係ない。それは、「もう一歩早く行け」、「町内を早く抜け出せ」といって反対しているのだ。それは、まごまごしていると行く道が遅れるのではないか? 山がますます高くなるので、それを越えることができないのではないか? といって、催促してほえる犬の鳴き声である」と思い、「迫害する怨讐たちのときの声と、追ってくる怨讐を遠く引き離して、あの峠を越えなければならない」という考えを持って、今まで越えるために、越えるために、越えるために 越えるために 越えるために 忙しい生活をしてきたのです。分かりましたか?(「分かりました」)

 そして、私たちの行く道が何かというと、「私たちの理想家庭は神様の安息所を見いだす家」ということです。自分個人の家を撃破し、その次は夫婦の家です。

 自分個人の安息所にも、神様が臨在されることができ、妻の家にも神様が臨在されることができますが、これよりもっと大きな愛を中心として神様に侍るのです。伝統も異なり、人格も違い、主張も異なり、姿も異なります。百八十度異なったふたりの形が一つに結ばれることのできる、統一的夫婦の形態を中心とした安息所を訪ねてこられる神様に、その家庭で侍るべきなのです。(「アーメン」)

 そのようになっていますか? ご父母様が来たのに、けんかをして、千年万年けんかをして、元気もないというのです。問題が大きいのです。

 ですから、家庭的、夫婦的安息所をつくらなければならないのです。ここに神様が入ってこられて、真の愛を中心として主体になられます。そうして、アダムとエバは実体の体のように、神様は無形の心のようになられて、心と体の統一的基準が生じるのです。心と体に一つになった愛の安息所を連結させた男性と女性の基盤、土台の上に、夫婦の安息所が生じることによって、家庭に神様が休む場所が生じるようになっているのです。分かりましたか? 

 あなたたちが布団を敷き、夫婦同士で愛し合っているところに神様が訪ねてこられて、「おい、息子よ」と言われるとき、どうしますか?「ああ、神様、ちょっとお待ちください」と言いますか、「早くお入りください」と言いますか?(「『早くお入りください』と言います」)。本当ですか? それなのに、なぜ先生の目を見ずに、下を見ながら答えますか? 私の目をまっすぐに見て、答えなさい。笑いが出て、うつむいているのは全部、偽者たちです。

 「早く、お入りください、神様 エデンの園でアダムとエバが裸になっていたのをごらんになったでしょう。私もそうです。あなたが愛されることのできなかった恨みがあるので、あなたの前で愛し合っています。証しとして、私たちの額に印を押してください」と申し上げれば、神様は「私の娘の愛、私の息子の愛は素晴らしい。私の安息的な家庭が始まる。アーメン」と言われるのです。(「アーメン」)。(拍手)そうすることができるのです。皆、そのようになって、「アーメン」と言わなければならないのではないでしょうか? 

 郭錠煥(「はい」)。そのような家庭が何パーセントですか?(「とても及びません」)。それでは零パーセントですね。「とても及ばない」と言うのならば、零パーセントだという話ではないでしょうか? 最初から始めてみることもできず、落第の中の落第の王になったという話でしょう。

 問題が深刻なのです。冗談ではないのです。安息所を見いださなければならないのです。そうでしょう? 個人安息の家、夫婦安息の家、夫婦を中心として子供を生んだならば、息子・娘を中心として主体・対象で安息の家。これが一番重要です。家庭で蘇生、長成、完成なのです。

 ここから夫婦安息の家を捜すべきですか、捜さないようにすべきですか?(「捜すべきです」)。捜すべきです。死ぬほど大変でも、自らやるべきですか、やるべきではないですか?(「やるべきです」)

 ですから、神様がおられなくても、自分がいなくても、神様が休まれる場を成就してさしあげるようになれば、神様が千年万年、安息されるというのです。千年万年、一つになって、神様に侍ることのできる孝子になり、孝女にならなければなりません。この孝子、孝女に出会われることのできなかった神様、夫婦に出会われることのできなかった神様の恨みが、どれほど大きかったかということを知らなければなりません。

 その心の恨みを、根まで晴らしてしまおうといって、神様が、永遠に自分と共に暮らされることができ、神様ご自身がそれを誓われることができ、神様をお父様として侍ることのできる土台をつくろうとしなければなりません。そのようにしたいですか、したくないですか?(「したいです」)

 そのようにしたい人は、静かに自分の手を見詰めながら、両手を挙げてみなさい。笑ってはいけません ああ、美しい手ですね。「アーメン」と言ってみなさい。(「アーメン」)。七千人集まったならば、七千人を連結させて、それを自分がまずやって、代身することのできる、そのような勝利者が一人はいるような気がしますので、勝利したという条件を認定し、今はまた、越えていきましょう。

 それから、どのような安息所でしょうか? 家庭的安息所を捜して行こうというのです。これはほとんど同じです。ですから、蘇生、長成、完成期になるのです。息子の家にも神様が永遠に、夫婦の家にも神様が永遠に、個人の家にも神様が永遠にいるので、その家庭全体は神様の愛の中で永遠に存続すべきなのです。結論が「アーメン」です。(「アーメン」)。永遠に「アーメン」です。

 それで、これが地上・天上天国の起源となり、そのような家庭の出発を見ることができるのです。これを中心として家庭を連合しなければならないので、統一教会において家庭メシヤを中心として、一族を中心として家庭から氏族へと、氏族メシヤ圏に越えていくのです。

 投入して忘れてしまわなければなりません。忘れてしまうことのできないものを忘れなければならないのです。投入できないものを投入しなければなりません。愛することのできないものを愛さなければなりません。神様の無念な事情を中心として、その峠を越え、神様が休まれることのできる場を探すということを知らなければなりません。もう皆、分かりましたね?(「はい」)

 そのために、家庭を投入しなければなりません。食口全体が、個人も「アーメン」、夫婦も「アーメン」、子女も「アーメン」と言うことのできる家庭を中心として、氏族のために投入しなければなりません。その氏族と一つになったこの全体が、国家のために投入しなければならないのです。

 そのことによって、この国家の安息の土台になるのです。そしてこれが一つになって、世界のために投入しなければならず、これがまた一つになって、天宙のために投入しなければならないのです。そしてさらに、これが一つになって神様のために投入することによって、鉄壁のような安息圏解放が始まるのです。ですから、このようなことを家庭を中心として、世界の基準を超えなければならないのです。

  全世界祝福化

 ですから私たち統一教会は、それを収拾するために国際合同結婚式を中心として、三十六家庭から十数を中心として三万双、それから三十六万双、それから三百六十万双をして頂上の峠を越えていくのです。今や分水嶺を越えました。分かりましたか? ここまでが大変であって、今は、世界のすべての祝福の門を開いたのです。

 サタン世界は、すべてを失ってしまいました。国も失ってしまい、伝統的思想も皆、失ってしまいました。先祖も失ってしまい、王も失ってしまい、おじいさんも失ってしまい、お父さんも失ってしまい、お兄さん、夫も失ってしまい、息子・娘も失ってしまった混乱時代になったのです。そうしながら、混合的セックス時代になってしまいました。

 天理の大道を明かすことのできる標準になるべき愛の系列、秩序の系列が皆、崩れたのです。崩れたのはいいのですが、問題は、この崩れたものは、主人にはなり得ないアダム家庭以外の天使長家庭理想を抱いたものであるということです。

 さらにアダムが、十六歳のときに体を連結させ得るという、偽りの伝統を後代に受け継がせたので、神様の行くべき道を、血統に則って反対し得る伝統を連結させてしまった、という事実が問題なのです。そのような堕落した起源が、世界の終末時代に、家庭を中心としてすべてのものを破綻させてしまったというのです。

 その反面、真の父母を中心としては、個人完成から家庭理想完成、氏族、民族、国家、世界、天宙解放圏完成まで引き継ぐことのできる準備をしたので、それをこの世界に注入するのです。

 家庭を取り戻す運動に入るのです。全世界の家庭を取り戻すことによって、そこでは全世界の氏族的編成は自由であり、全世界氏族が変わることによって民族編成も自由であり、民族が変わることによって国家編成も自由であり、国家編成をすることによって世界、地上・天上天国編成は自由化圏内に移っていくのです。

 家庭を占領する大王様が現れたということは、そのかたは、すなわち再臨主であり、真の父母であり、真の先生であり、真の王であるということを知るべきです。

 ですから、今回、お母様が講演した内容では、これを教えてあげるのです。神様は真の父母であり、真の先生であり、真の王であられます。これを歴史で見てみれば、真の家庭圏を失ってしまい、真の父母圏を失ってしまい、真の王圏を失ってしまったということなのです。

 今、世界の祝福、天の国の祝福は、家庭から占領できる時代に来ました。世界が反対することができない超国家、超民族、超宗派的基準を中心として越えていくことのできる祝福をしたので、サタン世界は門を閉め、これを歓迎しなければならないというのです。

 神様も主管することができず、サタンも主管できないのです。ただ、これを収拾できるのは真の父母だけであり、神様も真の父母に頼り、サタンも真の父母に頼ることによって、三億六千万双の峠さえ越えるようになれば、世界は、真の愛を中心とした私たちの世界になるのです。

 それから、どのような天国が始まるのかといえば、個人的天国ではありません、地上天国ではありません。混合時代となり、破壊をもたらす終末において、親族相姦関係で血統の起源を混合させたものを、愛の伝統である本然的神様の伝統に従って、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上天国の完成を決意できる時代が来たのです。

 そのことを実践躬行することが目前に到来したので、そのような基準においてサタンの反対がなく、前進するうえにおいても自由環境で勝利の権限を実践できる基盤を築いたのです。その基盤の上にきょう、「天宙安息圏宣布」を完成すべきなのです。(「アーメン」)

 ですから神様は、ある一個人にも入られることができなかったのですが、そのようなすべてのものを全部破壊し、どこにでも行かれることのできる自由天地になったので、すべての解放が起こるというのです。こちらに行かれていた神様が、こちらの方に思いどおりに行かれ、行かれてからも帰ってこられることができ、ここに来られて縦的に天の国まで連結させられることができるというのです。

 三百六十万双という絶頂において横的基準が始まることによって、この縦的基準も、比例的に高くなるのです。そのことによって、地上の全世界の氏族、民族、国家を超えて祝福したことと同様に、天上世界の天使長圏世界の祝福まで成すことができるのです。

 さらに、アダム完成実体の基盤を中心として連結させて、天使長の弟、アダムの立場に立てて万民を分別させて、女性たちを中心として第二アダムを創造して、祝福を受けて天の国に入ることのできるみ業をするのが、今日の統一教会の全世界祝福化運動なのです。アーメン(「アーメン」)。(拍手)

  十家庭を祝福

 ですから、今、皆さんが行って成すべきことは、簡単です。「三千六百万双を忘れよう」ということです。言ってみなさい。(「三千六百万双を忘れよう」)。三億六千万双を忘れよう(「三億六千万双を忘れよう」)

 今は、世界の峠を越えたのです。皆さんの氏族たちがいます。氏族編成は、無難に突破できる時代が来ました。分かりましたか? ですから、おじいさんとおばあさんの直系からお父さんとお母さんの直系、自分の姻戚の直系、息子・娘の姻戚の直系、それからその親族の直系を中心として十人だけ祝福圏内に連れてきなさい、というのです。分かりましたか?

 三百六十万双の人が、十人ずつだけ伝道すればいいのです。それからは遊んでもいいです。(笑い)分かりましたか? 三億六千万双、三千六百万双はあまりにも遠い距離です。それは太平洋の向こう岸よりも遠いです。それは考える必要がありません。自分がすべきことは、自分の近い所にいるお父さんとお母さんの親戚、姻戚の八親等までを動員して、涙を流して祝福するのです。

 そのときには祝福の世界化によって、祝福による恩恵の範囲が隅々まで広がり、村々が旗を立て、褒めたたえる喚声の歌が、太鼓の音やラッパの音とともに聞こえてくるような場面が展開されるのです。そうなれば、「向こうに行って、早く十人にだけ私の話を聞かせれば、天国のチケットを上げます」といって行うのです。分かりましたか? 

 百八十人祝福をしたならば、百八十人のために「そのようにしなさい」と、祈祷さえしてあげればいいのです。分かりましたか? 三千六百万双は忘れなさい。何人するのですか?(「十家庭です」)。十家庭です。今までやってきた実力と手際から見れば、十家庭を何日間でやりますか?(「一日です」)。一日です。二日あれば皆、終わるのです。二次において三千六百万双をすれば、三億六千万双は一日の十分の一の時間だけでいいという話になるので、どれほど簡単でしょうか? 

 ですから、あまりにも簡単で「ああ、そのようにしなければいいのに」という思いがしませんか?(笑い)そうですか、そうではないですか?(「そうです」)。(笑い)

 三億六千万双を何日間でやりますか? 一日二日でやりますか? それは正気のさたではないと思いますか、思いませんか?「正気のさたではない」と言う人は正常ではないのであり、「正気のさたではない」と言われた人は正常なのです。分かりましたか? アーメン(「アーメン」)

 やることがなく、遊んで暮らすべし、という話です。皆、終わりました。十双ずつは問題ないでしょう? 今まで、一日に何百双までも皆、やってきたのですから。

 三千六百万双のことは、考えてはいけません。それは人の仕事です。あなたの仕事をしなさい。あなたの仕事は十人です。母方のおじいさんの所に行っても親族であり、母方の叔父の所に行っても親族であり、それから同窓生の所に行っても友達という話であり、小学校の友達、中・高等学校の友達、大学の友達、会社も十回転職したならば、十の会社の友達。どれくらい多いでしょうか? 百軒は、かぼちゃのお粥を食べるのよりも簡単です。ほかのお粥はざらざらしていますが、かぼちゃのお粥は、かぼちゃが溶けて水のようなので、たやすく食べられるのです。

  真の愛を中心とした天地父母統一

 さあ、きょうは何の日ですか?(「『天地父母天宙安息圏宣布の日』です」)。天地父母というのは、神様は内的な父母であられ、外的な父母は真の父母です。これが一つにならなければなりません。それが何を中心として一つになるべきなのでしょうか? 真の愛を中心として一つになるのですが、真の愛がどこで連結されるのかというと、神様の息子・娘を生む、正にその場所で連結されるというのです。生殖器のことです。これが今まで、一番ないがしろにされました。

 天地を引っ繰り返したので、一番ひどいものとして扱われたのですが、復帰の世界では、これが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、良心の本宮なのです。これがなければ国も生まれてこないし、理想世界の発展的起源もなくなるという事実を知らなかったのです。きれいに理論的に内外にすべて分かったので、私たちは天下統一の行脚の路程において、失敗ということはあり得ません。(「アーメン」)。アーメン(「アーメン」)

 さあ、こうして先生のきょうの講演も皆、終わりました。皆、分かったでしょう?(「はい」)。神様に侍らなければなりません。そうして、自らが神殿にならなければなりません。先生もそのために涙をたくさん流したのです。

 誘惑する女性たちの行脚の路程に巻き込まれてはいけません。私は、ありとあらゆる格好を見たのです。裸になって入ってきて、「私を助けてくれ」と痛哭するのまで皆、見ました。しかし皆、退けました。そうでなくては、心と体の統一が成されないというのです。

 さあ、先生はもう成すべき使命を皆、終えたので、故郷に帰ります。アーメン。(「アーメン」)。もう、私が現れなくとも大丈夫でしょう?(「いいえ」)。こうして汗をかかせたのですから、もういいでしょう。(拍手)

 さあ、もう一度、朗読してください。分かりましたか? 私たちの理想家庭は(「私たちの理想家庭は」)。神様の安息の家(「神様の安息の家」)。私たちの理想家庭は(「私たちの理想家庭は」)。神様の安息の家(「神様の安息の家」)。大きく 私たちの理想家庭は(「私たちの理想家庭は」)。神様の安息の家ー(「神様の安息の家ー」)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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