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第2回「七・八節」敬礼式後の御言
宿命的提案解怨
1998年年8月28日(陰暦7月7日)
ブラジル・ジャルジン

 第二回「七・八節」の敬礼式後に語られたもの。日本語で語られた部分は録音状態が悪く、聞き取り不能なため、韓国語で語られた部分を翻訳。


 旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成ということを考えるとき、旧約時代は万物を祭物として所有権を決定するための闘いをしました。供え物を半分に切って祭祀を執り行ったのです。これは神側とサタン側に分けることでした。

 エデンの園において、右側は天側であり、左側はサタン側なので、そこで分かれた世の中を統一するためには、分かれたそれ自体においては統一することはできません。分かれるそれ自体を眺める神様が統一的立場を持ったとしても手をつけることができなかったので、終末に分かれた世の中を清算しなくては、手をつけることのできない時が来るのです。それゆえ、二つに分けて、天側、サタン側の所有物を決定しておかれたのです。

 そして、宗教という儀式を通して、またシャーマニズムであるとか、ムーダン、占い師などを通して役事をします。一時は、神様とサタンが人を中心として役事してきました。天使長を失ったので、男性の側は天側の天使長を立てるためのみ業をなし、女性はサタン世界の側を代身してきたのです。

 ムーダンと呼ばれる人たちは、道義的な面で中心がありません。大概、淫らな女性たちです。自分の家庭を失敗した人たちに悪霊やサタンが接してする業によって、自分の運命的な道について分かるようになるのです。

 悪霊がさまざまなことを教えるのです。ですからここには、サタン側と接する人たちを天の側に連結し得る道はありません。



 ムーダンの中に男性もいます。このような人たちの起源も大概良くありません。性関係に対しての紊乱によって二つに分かれます。

 道義的な道を行く人たちは、宗教圏と連結されます。宗教圏を中心として、道義的な出発を中心にして、人間は道義的に生きなければなりません。人間は天を中心として正しい道を行くという家庭生活の伝統を正さなければなりません。

 「自分の思いどおりに生きて、愛の関係を自分勝手に持つ人たちは悪い」と言い、人間世界でこの愛の道理を立てていくためのものが宗教です。

 儒教がそのようなものです。礼式において人類を代表することのできる内容を教えてくれたのが孔子です。

 李相軒氏の霊界からのメッセージによれば、孔子様は何をかぶっていますか? 笠をかぶっていますか? 韓国の道袍(韓国の男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服)を着て、テエニム(韓国の男性のズボンの裾を締めるひも)を結んでいます。いつでもそのような人たちが近くに集まっています。

 李相軒氏が行って出会った事実について見るとき、孔子は韓国人です。それゆえ、東方の国を相当追慕したのです。そのようなかたを通して、人間の外的な道義的な面のすべてのことを教えてくれました。

 孔子の伝統的思想とは何かといえば、「元亨利貞は天道之上」と言いました。天が行くその道は天道之上です。天地が行く道です。「仁義礼智は人性之綱」と言いました。

 孔子は、理知的な神は分かりましたが、人格的神が分かりませんでした。これは、天使長型です。道義的な面で世界人類に影響を及ぼしました。アジアが根源なのです。アジアに影響を及ぼしたという事実は驚くべきことです。

 今まで私たちが生きている周辺にも、シャーマニズムやムーダン、占術などがありました。宗教はそれ以上の立場にありますが、宗教がそれ以上の立場にあるということが分かりませんでした。

 宗教の中でも四大宗教を中心として、心情的宗教を教えてくれたのはキリスト教しかありません。それ以外の宗教は、アダムの前に反対していた男性・天使長型ではなくて、天を中心として順応することのできる天使長の代表宗教型として現れたのです。

 神様はアダム・エバをつくられる前に天使長をつくられたように、儒教や仏教のように古い宗教が過去にはたくさんありました。



 そのイスラム教が、キリスト教と相入れませんでした。キリスト教文化圏が失敗し、後退する可能性のある立場に立つようになったのも、キリスト教が責任を果たすことができなかったからです。

 それでは、中世キリスト教がすべきことは何であったのでしょうか? 絶対的な神様、絶対的な人間、絶対的な万物、このような基準のすべてが展開されたならば、絶対唯一の神様は絶対神を代表し、人間は絶対人を代表した神人一体理想を中心として、この世の中の万物、絶対神、絶対人、絶対万物一体圏を成さなければならなかったのです。

 そこにおいて唯一神と絶対に一体となることのできる唯一先祖を絶対中心として、唯一万物、絶対的相対圏と一つになることによって、統一の世界ができるのです。それゆえ、中世キリスト教は、神様は人格的神であり、自分の父であるということを絶対的に知らなければなりませんでした。このことが分からなかったのです。

「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 を中心とした一体理想を描いてきたということを中世キリスト教は知りませんでした。根源がはっきりとしていません。出発が誤っているのです。ですから、過程はどんなに徹底していたとしても目的が変わってしまいました。

 そして、数多くの教派が一つの道を行かなければならないはずなのに、一つの道を行くことができずに、数多くの道ができました。後には世界の方向を決定しなければならない終末を迎えて、地上のサタン世界を整備しなければならないという観はありません。なぜでしょうか? 出発が間違ったからです。



 中世キリスト教が宗教を統合して、一つの宗教理想圏、神様のみ旨の世界に行っていたならば、すべてのものは整備・整理されるはずであったのですが、キリスト教が教条主義的な思想を持って自分の教派、自分が置かれているカトリック絶対主義を中心として、神様の絶対主義、摂理の絶対主義、目的の絶対主義を忘却してしまいました。

 ですから、サタン世界で攻撃を受けるのです。攻撃するのはだれかといえば、サタン側を代表した宗教形態をもって現れたイスラム教です。

 先生がいちばん心配するのは、共産党を消化し、イスラム教を消化することです。民主世界が戦うときに、イスラム教が共産党と一つになりました。イランやイラクが、そのような圏内に基盤を築いてきたのです。これを消化しなければなりません。

 体的な基準を中心として代表したサタン的基準は共産世界であり、体的な共産世界と一つになり得る心的な宗教の形態を備えたのがイスラム教です。それは唯一神を否定するからです。

 ハガルを中心としたアブラハムとイシマエルの一族の出発を中心として歴史をひっくり返して、自分たちがアブラハムの直系であるという民族の伝統を主張するのです。そのことによって神様を断ち切ってしまい、神様が人間との関係を結ぶことができないようにするための歴史的過程の闘争歴史を繰り返してきたのです。

 今日の人間、歴史家、あるいは人間の伝統を誇る世界的な主導国家も、そのような内容を知らずにいるので、その国家の末路も落ちて悲惨になっていくのです。

 今現世になって、世界を指導するアメリカがどこに行くのでしょうか? 行くべき所が分かりません。み旨の道を知りません。

 そして、真理を知りません。自分・人間が行くべき道、正義の道を知りません。知情意の人格的神の創造理想の目的点と過程と根源とを結託させることのできる私たち人間自体を見つけることができないので、人類はどこまでもサタンの後孫であり、サタンの血統が連結された後継者であるということを考えなければなりません。

 このような分裂した実情が今日の私たちの個体に連結され、この闘いの根源が残っているのが心と体の闘争であったのです。

 心と体の闘争が解決されない限り、歴史的闘争過程、神様とサタンの対立歴史を整備することはできないのです。整備することのできることは神様がされるはずですが、哲学や、知識を通してはできません。知識と情は違います。

 情を中心とした意志と知識がないことによって、外的な基準に立った体を中心とした基盤にサタンが触れて、人間の情的世界まで血統を占領して人間の家庭的理想を破綻させ、人間の意志である世界統一理想天国を破綻させ得る自分自身の出発起源が、今日、自分自身に残っているという事実を知らずにいるということが分からなければなりません。意志が確定しなければなりません。

 意志の「志」という字は、「士」に「心」です。知識に通じることのできる統一された心を備えることのできるのが志の道です。

 「知」という字は、矢を中心として入り口の「口」を書きます。み言を口で射なければならないのです。「情」という字は、心の中に「青」です。いつも変わらない不変の愛は、統一的内容を備えています。

 この知情意理想が神様を中心として結託できないことによって根源がはっきりとしていないので、歴史も目的もはっきりとしない世の中、混沌、暗黒の世界で、覆いかぶさる暗闇と光が混沌となって、暗闇の権限が光よりも強くなり得るのが夜の世界です。

 夜のような混乱した世界で黎明を過ぎて光り輝く朝の陽光が昇るのが、私たちの神様の心情を中心とした知的王宮であり、情的王宮であり、意的王宮です。このような時代を眺めるのが統一家を中心とした神様の理想・天上天国、地上天国であったのです。(「アーメン」)。歴史をこのように見なければなりません。

 「私」という存在は、歴史を起源としているので、歴史的過程と自分を引き離すことはできません。「私」において歴史を全部清算しなければならないのが蕩減歴史です。

 それゆえ、偽りの父母によって蒔かれたものを、真の父母を立てることによって、その個人と家庭で清算することのできる世界大転換運動として提示したのが今日の統一家における新しい青少年運動です。

 アダムとエバが自由奔放な立場で堕落して、神様の天理の大道を破壊したことを正すみ業をしなければなりません。それが人類歴史を通したカイン・アベルの闘争歴史です。そこに、父母という言葉はありません。人類の歴史は、兄弟の因縁を正すための闘争歴史をつづってきたのです。

 儒教には、三綱五倫というものがあります。五倫とは、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信です。この五大条件は全部、忠孝烈を指すのです。その人間が行くべきすべての内容を見れば、神様のみ旨の前に外的内容を中心として、サタンを防御することのできる環境的与件を成しておいたのが、天使長的み旨の宣布であったということを知らなければなりません。

 ですから霊界を見ても、神様は、孔子を釈迦やマホメットよりも愛され、いつも重要な行事の時には参席させています。外的相対基準に立っているので、イエス様と同位的な立場に立てられたのです。縦横は異なりますが、横的な代表の立場に立ったのが体を代表した儒教思想であったのです。宗教形態ではなく、教育形態になっています。

 アダムとエバは青少年のときに堕落しました。神様を否定し、理想的男性も否定し、理想的女性も否定し、理想的子女も否定し、理想的兄弟を否定したという事実を知らなければなりません。

 結局は、神様のみ旨を広めていく創造理想圏内でサタンが否定的全権を広めていくことができたのは、血統を中心として結託したためです。不可避な結果です。

 ですから、このように否定的基準に分かれた左側、サタン側にいるこの人間は神様と関係がありません。

 神様がエデンの園で、アダムとエバの堕落に干渉できなかったのはなぜでしょうか? エバは、いわば神様ご自身が婚約された女性です。婚約した女性と結婚する日を決めておいて、結婚をするために成長するのを願っているのに、十六歳で堕落しました。

 十七歳、十八歳さえ越えていけば、結婚することができるのです。十六数は四位基台の理想数です。それゆえ、十六歳で堕落したという話も理にかなった話です。それを通り越すと、十七、十八、十九、二十歳までが四数です。

 二十歳までを中心として天の子女、天の兄弟、天の父母、天の夫婦、天の父母形態を立てられず、堕落することによってサタン的子女、サタン的兄弟、サタン的夫婦、サタン的父母になりました。天側の子女としてアダムを創造し、天側の兄弟としてアダムをつくり、天側の夫婦、家庭としてアダムとエバを願われた基台の上で自分の血代を打ち立てようとしたすべてのものが崩れたのです。

 これを蕩減するために、十六歳を中心とした基盤の上に四年を通じて二十歳まで……。二十歳を乗り越えさえすれば、そのような基盤を築くことができるのです。

 その基盤が崩れたので、これを再編成するために、四年ならば四×四=十六となり、四千年の歴史を子女を中心として蕩減復帰する役事をするのです。いつも四百年、四十年が問題になります。この四数は四位基台から来ています。それは原理が教えてくれるものです。

 二十歳さえ越えたならば、二十一歳を迎えるときに神様と人間が一つになることができました。

 私たちの先祖が復帰過程を経てくるために個人的整備時代から家庭的整備時代、氏族、民族、国家……と、八段階の整備過程を経てくるときに、カインとアベルを中心として血を流す歴史をつくったのです。このような悲しい歴史としてつづられたことを皆さんは知りませんでした。

 アベルが殺されました。アベル側は、死の道を乗り越えなくては行く道がありません。善なる人が踏まれ、宗教人、義人が血を流す役事がなされてきました。血を流す中で復活し、死んだとしても「死ななかった」ということのできる実力を持ち、そこから永遠な生、絶対的信仰、絶対的愛、絶対的服従が成されなければならないのです。

 神様が創造されるとき、 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 の上に理想的な絶対愛の統一世界を願われました。神様ご自身がそうであられたので、私たちもその神様ご自身の相対圏を捜し求めていくためには、 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 をしなければならないのです。それは不可避です。

 自分が死の場に行ったとしても、「この生命が断たれるのは、歴史時代に、すべての祭物を半分に割いたのと同じである」と思わなければなりません。半分に割く祭物の代表的な立場に立っているので、割かれても復活しなければならないのです。

 イエス様が死後、復活することによって、キリスト教の霊界統一圏が始まったように、死んだ立場に行ったとしても……。死なんとする者は何といいましたか? (「生きる」)。死んだとしても自分は復活するのです。そのような決心をすることによって、第二次的な復活の実体を所有するのは神様なので、神側は今まで血を流しながらも耐えてこられました。

 神様の怨讐がだれなのかといえば自分の父母なのですが、これが自分の怨讐であり、あなたの怨讐です。

「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 です。投入し、投入して忘れてしまい、個人的な死亡圏、家庭的な死亡圏、氏族、民族、国家、世界的な死亡圏があったとしても、乗り越えることのできる 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 の基準に立たなければなりません。

 それによって、神様が絶対信仰の上に絶対愛を捜し求められるために、絶対投入をされながら、投入して忘れてしまう歴史を経てこられたお父様の息子の姿に似ることができるのです。

 キリスト教はイエス様から家庭、氏族、民族、国家的な犠牲の祭物の道を行くのです。共産党、スターリンを中心として一億七千万人を虐殺しました。ヒトラーは、イスラエル選民六百万を虐殺しました。六数です。それらのすべてのことを許されたのです。神様が「だめだ」と言われることのできる条件があったならばできなかったのですが、そのような条件を提示することはできませんでした。

 なぜでしょうか? エデンにおいて「だめだ」と言えないことを、世の中に対して「このようにしなさい」と干渉することはできません。ですから、サタン側の堕落した怨讐の前に、天側の天使長である宗教を立てて整備するのです。このことをはっきりと知らなければなりません。

 自分の出発において、祭物の前で天とともに右側に第一歩を踏み出すのが、人生の犠牲の道であり、希望の出発の道であるということをはっきりと知らなければなりません。

 それゆえ、 絶対的な信仰 を持たなければなりません。絶対的な神様であられるので、絶対的な信仰の主人であられ、 絶対的な愛 の主人であられ、 絶対的な服従 の王であられます。

 神様の息子・娘になり、神様の愛と一致し、一体となるためには、嫌でも、個人否定、家庭否定、氏族否定、民族否定、国家否定を標語として越えなければならない峠があるのです。ですから、サタン世界において宗教は、「あなたの家を捨てて、出家しなさい」という命令を下したのです。

 それは、サタン世界を否定することです。サタン世界の国、サタン世界の民族、サタン世界の氏族を否定することであり、サタン世界の家庭において、おじいさん、お父さん、お母さんを否定し、夫を否定し、妻を否定し、子女を否定することです。歴史は、そのようなサタン世界を否定することのできる時代を捜し求めてきたのです。

 世界の先進国、優れているという知識人は天上世界のすべてのものを全部推し量ることができ、知識という万物の公式現象を中心として私たち人間の理想と一つになることによって、想像することのできない文化世界を創造しましたが、その世界が自分と関係がないので否定されなければならないのです。否定を受けた後でアベルの肯定が始まるということを知らなければなりません。

 否定できない人は、天の前に公的な内的条件を立てることができません。夫婦もサタン側であり、子女もサタン側であり、万物もサタン側に属するので、これらを否定できない人は天の国に帰っていくことはできないのです。

 祭物的歴史過程において、左側に回っていったサタン側になることはできるとしても、天側に帰っていくことのできる道は永遠にないのです。祭物過程には日本という国はありません。日本の何々であるという自分の姓はありません。一族も、自分の名前もないのです。

 ただ、神側なのか、サタン側なのかということだけが問題になります。万物も天の側になることができずにいます。これを分立して、サタンを否定するのです。

 本来の主人は神様なので、サタンは、「あなたは右側を行ってください。私は愛を中心として体を占領しました。体を占領した愛の種を蒔いたので、秋になるときまではあなたはこれに干渉できません。これを根元から引き抜いて、切って燃やしてしまい、穀物を収穫しなければなりません」と言うのです。終末までにそのような歴史過程を経てくるので、闘争歴史があるのです。その代表的な戦争が唯心論と無神論です。

 サタンは今まで、「神様はいない」ということを中心として自分が主人のようにふるまってきました。世界を見れば、サタン的頭が出世しました。その次には肩時代です。肉体を中心として力で世界を占領しました。「神様はいない。だから力のある人間が神様の代身である」と言ったのです。

 その次に、腹(度胸)によって世界を制覇しました。政治家が腹でくだらない者になって、王になろうとしたのです。そのような人が、皆出世しました。

 頭、肩、腹の次は手足です。労働者、農民のことです。労働者と農民の出世、労働者と農民の全権時代を中心として、頭だとか王などの天が捜し求めてきたものを否定します。無神論なのです。

 今まで優待されていたサタンは、自分勝手に神様を代身していたのですが、もはや足まで追い出されたので行く所がありません。自分の足までしか占領することができないのですから、共産党が世界制覇するようになってはいません。

 真の父母と一つになったならば、共産党はこの地上に現れることもできず、わたしの手できれいに整備されるのです。神様の摂理観を知っているのできれいに整備できるのです。

 皆さんが今聞いている話は、先生が八十年の生涯を通して学んだものではありません。すでに二十代の青年のとき、二十七歳以前にすべてのことを完了しました。イエス様は二十七歳のときからマリヤと談判した三大勧告の闘争過程で、天の国を分家して出家することのできる準備を完全にしたのだそうです。

 そのような内容を、皆さんはすべて分からないでしょう。霊界の秘密、神様の秘密、サタンの秘密、人間の秘密を見るとき、歴史がどのようになったかという事実がすべて分かるのです。シャーマニズムから文化世界の高次的な宗教までが編成されるためには、三時代を中心とした祭物過程を経てきたのです。それが物質的祭物時代です。

 堕落することによって物質よりも低い立場に落ちたので、物質をつかんでぶら下がっていれば、神様はその物質を餌としてしっかりとつかまえてくださるようになっています。そのようにして神様と絶対に一つになっていれば、歴史の発展とともに引っ張り上げられて、個人的勝利時代、家庭的勝利時代へと上がっていくのです。そのようになれば、歴史過程を中心として永遠に不変なのです。

 永遠、不変、唯一、絶対! 神様の属性に該当する信仰基準を中心として、千万世代の恨みを解かれていく神様の恨を知ったので、そのかたを呼び入れるのです。そのかたは私たちの父親です。父親の歴史の怨讐を整理するために、血を流すような悪なる場に行かなければなりません。その場に神様が立たれることはできないのです。

 血を流す立場に立てば自然屈伏させることができます。そのようなみ業をしたので、数多くの歴史で……。人類歴史は数千万年です、数千万年。六千年ではありません。動物のようなものも二億五千万年の歴史があると考えられています。シャーク(サメ)のようなものは二億五千万年前に人間のためにつくられました。そのようなものを愛することのできる主体として人間をつくられたのです。

 その愛することのできる象やワニやシャークのようなものを二億五千年前につくられたならば、何千万年待ってからそれらをつくったのでしょうか?

 シャークのようなものは一般の魚とは違います。これは子を産むのです。鯨のようなものもみなそうですね?

 パンタナルに行けば海があります。魚が三千六百種類くらいいるのですが、小さな魚を餌食にする大きい魚は、口を広げて入ってくるものは鯨の赤ちゃんでもすべて食べてしまいます。循環運動と同じことです。「鯨は私のお父さん・お母さんを餌食にするが、私は鯨の赤ちゃんをみな餌食にする」というのです。循環運動するのです。

 パンタナールに行けば、そのようなものをたくさん見るでしょう。パクがワニの赤ちゃんを餌食にします。餌食にするときに、「おい、おまえのおなかに糞がたまっているだろう」といいますか? 虫を捕って食べるとき、虫の羽に糞のような汚いものがいろいろとくっついているのですが、それをすべて洗って食べますか、それとも丸ごとのみ込みますか?

 丸ごとのみ込まない人は、天下統一できません。(笑い)丸ごと食べることができなければなりません。良いものも食べ、悪いものも食べなければならないのです。堕落した人間たちは悪いものは取って投げ捨てて、良いものだけを食べようとしますね? 愛はそのようではありません。愛は地獄まで消化しなければならないのです。

 皆さんの生殖器から何が出てきますか? 生命が出てきます。そのほかに何が出てきますか? 小便が出てきます。糞の従兄弟です。

 教主がこのような話をするので統一教会は淫乱な教会だといううわさが立ちますが、仕方がありません。真理がここにあるのです。ここに対する知識が矢を通して口で射るのです。それが「知」という字です。口とは真理であり、言葉です。

 男性も、女性も口づけをしますね? 何のためにですか? 愛の矢を射るためです。それが知識です。

 何を知るのでしょうか? 男性と女性の愛の根本を知るのです。それが万世の真理の中の真理です。そこに愛と生命と歴史的伝統があり、良心の平和基盤があるのです。

 そこに男性・女性が矢で射て、愛に定着して目的の理想世界に向かっていくのです。愛と生命と血統と理想世界が結ばれ、平和の世界が連結されます。それがなければ平和世界もすべてなくなります。自分もなくなるのです。女性も、男性も、家も、国も、何もありません。

 その生殖器を通して私たちの家庭が生まれるのです。このことが分かりませんでした。簡単なことです。これは永遠の真理です。

 知情意というものを考えるとき、愛を成さずに知がどうして分かりますか? 矢を口でどのように射ますか? 口というものは真理を語るものです。真理を感じることができるのです。

 情をどのように関係を結びますか? 情のない意志に何の意味がありますか? 男性は、女性がいなければ何の意味がありますか? 女性も、男性がいなければ何の意味がありますか? 愛がなければ意志も何もありません。愛のために意志も生まれるのであり、愛を立てるために知が必要なのです。

 その知識と意志が完全ではないものなので、世の中の愛は不完全なものとして流れていって当然です。流れていくごみ箱の主人がサタンなので、地獄に行くしかないということを理論的にしっかりと結論づけることができるのです。


 皆さんの特権は、「真の父母」という名前です。私(自分)の骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、血の中の血であり、心の中の心であり、私たちのすべての基本中の基本です。それが愛と一体化しなければならないのです。このような話をしようとすれば、原理講義をすべてして、数千年の歴史を解かなければならないのです。

 問題は何でしょうか? 神様が問題ではなく、サタンが問題であり、自分が問題です。怨讐の中の怨讐が「私」です。

 きょうのような日を中心として、天地の大道の出発がこのようになって、宗教圏から理想世界へと向かう道においては祭物にならなければなりません。祭物とは何でしょうか? 所有権を決定するための条件です。

 さて、文総裁は何でしょうか? サタン世界のすべてのムーダン、占い師に天の側から対抗できる代表者です。彼らを教育できる代表者であり、その次に神様の愛の世界を中心として神様が願われた内容を代表して教えてあげることのできる人なのです。

 そのような人が祭物を否定して、祭物が必要ないという代表者として登場しているのです。祭物をささげずに、生きた祭物としてすべてをささげることのできる人を教育するのが統一教会です。左側のサタンがいなくなるのです。

 先生がだれなのかといえば、先生も占い師です。さっと見れば分かります。天使長のことも分かります。先生は独りで暮らしていた時代を経て、お母様に出会うことによって地上に定着して、家庭的基準、氏族的基準へと上がっていき、世界基準に上がってきたのです。サタンが世界に数多くの国家をつくっておいて、国家を使って、どれほど文総裁を殺そうとしたのか分かりません。蘇生、長成、完成的国家権限を中心として……。

 百六十国家以上です。百二十家庭の祝福(一九六三年)をするときに、国連に加入していたのが百二十国家でした。それらの数がすべて合わなければなりません。千八百家庭を中心として世界宣教を出発するときに、国連の加入国は百八十国家でした。今は百九十近くの国が加入していますね?

 日本女性を中心として世界国家の母、代表として先頭に立てたのが一か国百二十人の女性たちです。南米には四千二百人を派遣しました。先生まで含めて、摂理的にみれば四千三百人と同じことです。四、三数です。先生の家庭を代表に立てるのです。そのような歴史において蕩減があってはなりません。

 ですから、百八十五か国に派遣しなければなりません。二万二千二百は六数です。蘇生、長成です。数理的にぴったりと合います。神様は本当に科学者です。ですから、二万二千二百人を百八十五か国に、宣教師を百二十人ずつ派遣しなければなりませんか、しなくてもいいですか?

 母国家の責任を果たすためには、女性たちが夫の願いを受けて子供たちを善なる方向に導いていかなければならないのです。世界で赤ちゃんたちを生んで、その国を神様を中心とした国にするのです。

 その国を生むときまで、血を流して骨を削って地に埋もれたとしても、その国を神様を中心とした国にしなければならないのです。それは母の国の責任です。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2023.06.29 04:50:05
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