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2023.12.27
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第三十四回「真の神の日」午前零時の御言

成約九年 2001年1月1日午前零時
天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿

 真のご父母様は、新世紀と新千年紀を韓国、清平の地で迎えられました。午前零時を期して、真のお父様が祈られた祈祷文と、引き続き、年頭標語の揮毫に先立って語られたみ言です。


 祈祷

 愛する天のお父様。
 たった今、キリスト教歴史二千年を終え、三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の新しい年を迎えました。
 お父様。天と地が注視するこの場、天宙のすべてが、神様の愛の因縁に従い、勝利的地上、天上天国建国という、あなたが願われたみ旨の役事が二〇〇〇年を通過するこの時でございます。
 今まで第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏を越える蕩減と怨恨の時代を経ながら、解怨成就の道を開き、また、この地上に真の父母を立てるための道を開かんがために、第一イスラエル圏にメシヤを送ることを約束されましたが、来られたメシヤを真の父母として侍ることができないことによって、十字架で亡くなられたのでございます。
 その日からキリスト教は、失ってしまったイスラエル圏を世界舞台において編成し、国家の中心と世界の中心を連結することができる第二イスラエルの建国を、キリスト教国家であるアメリカを中心として成し遂げ、第二次大戦後のキリスト教文化圏の勝利によって、来られる真の父母に侍るという約束を成就させるために、分かれていた地上と天上、分かれていた東洋と西洋、分かれていたすべての民族と国家、家庭、個人、そのような分別の役事によって残してきた、すべてのものを統一する役事を成して、解放のみ旨を成し遂げようとされました。
 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一体となって、イエス様の三十三年生涯の目的であった、氏族的メシヤとしての使命的責任を果たすべきでしたが、それができないことによって、無念で恨めしい十字架の道が、この地上に広がりました。

 その日から二千年間、数多くの血の歴史を綴ってこられた、天の悲しい心情を解怨成就するすべをだれも知らないこの地に対して、耐えて、また耐えて、千年が過ぎ、二千年の最後まで耐えてこられました。そのようなお父様の無念なる心情と、この地上の子女たちが父母を十字架に架けたという悲しい歴史と曲折を抱いておられる神様の心情を知る者はおりませんでした。
 そのような死亡が波打つ濁流の世界に、新しい泉を備えるためのお父様のみ旨があった、という事実をだれも知らない中で、雲に乗って来られる主を待ち望むこの地上に、人を通して失ってしまったものを再び蕩減復帰しなければならない歴史的な事情と恨の心情を抱かれた神様がいらっしゃったということ、そして、そのようなみ旨があったということを理解できないキリスト教と、すべての宗教と歴史は、統一の基準を忘却した立場において、お互いを紛争と死の道に追い込もうとする闘争の歴史を経てきたのでございます。
 そのようなカイン、アベルの歴史が第二次大戦以降を中心として、肉的世界と霊界が分かれ、イエス様が霊界に行って霊的に父母の責任を果たされ、その父母を中心として地上に統一された世界を備えることによって、霊的世界の完成を標準とした地上世界の完成基準を代身することができる実体的勝利の基盤において、真の父母の権限を準備した第一次大戦以降の旧教と新教が一つとなり、イエス様と聖霊を中心として、それを相続させることができる霊的基準を一つにした基準の下で、地上世界に真の父母を立ててこれを相続しなければなりませんでした。
 そうしていたならば、第二次大戦以降、七年以内に勝利の基盤を築き、今日、私たちが願う神様の解放はもちろんのこと、神様が、この地上の中心存在として復権され、人間が完成できなかったという恨の峠を踏み越え、真の父母の解放的権限をもって個人、家庭、氏族、民族、天宙史的解放基盤の上で、神様までも解放することができる特権的な恵沢を中心として、偽りの父母によって失ってしまった神様のすべての主権と愛の権限基盤を真の父母によって復権できたのです。
 今から五十年前に、それを成すことができる時を失ってしまい、家庭を中心とした恨の四十年路程において、荒野で苦難を受ける生活を通して四十年を迎えるこの時において、二千年を締めくくるこの年を中心とした真の父母の八十歳を中心として、モーセがイスラエル建国のために出発したことと同じように、天宙の解放的地上、天上理想を中心とした神様の祖国光復のために、二千年のこの年に家庭的解放と氏族、民族、国家、世界、天宙的解放を成し、霊界の楽園と地獄を撤廃し、天上世界のすべての壁を崩し、個人的自由圏から家庭的自由、氏族、民族、国家、世界の八段階の自由圏を中心として、地獄と天上をふさいだすべての壁を崩して解放の高速道路を築き、地獄にいる霊から天上世界の楽園以下にとどまっている霊を解放し、彼らが悲しい恨の中で待ち望んできた父母の祝福の日を成すことができる条件を立てて蕩減してまいりました。
 そうして、地上世界の祝福拡大とともに天上世界の解放的祝福を成し、二つの世界が一つの心情を中心として神様の血縁的愛の因縁を持ち、神様の絶対愛、絶対生命、絶対血統を中心とした勝利の覇権の上でサタンを屈伏させて、自由解放世界へと越えていくことのできる一九九九年三月二十一日を期して、サタンが屈伏したその日から霊界の整備を急ぎ、二〇〇〇年の最後の日まで急いで、急いで、忙しい日々を経て、きょう、新年の新しい日、二〇〇一年、三〇〇〇年に向かって出発する新しい千年の解放的世界を迎えました。
 旧約時代の恨、新約時代の恨、成約時代の恨を解怨成就して、解放的第四次アダム心情圏を発表するときまで、天がどれほど悲しまれたのかという事実を知る者がいない中で、お父様の命令に従って、忙しく足を速めながら歩んできたこの息子が、真の父母の名をもって孝誠と忠誠と聖人、聖子の道理を果たすべき責任遂行が不完全な自らであることをご存じであるにもかかわらず、このように天の前に不足な者がひざまずき、周辺を導いてくださって、きょうのこの栄光に満ちた三〇〇〇年に向かう新しい出発を迎えることができました。
 この新しい出発を成約時代の開門とともに勝利の栄光を中心として、神様の解放はもちろんのこと、真の父母の解放圏を成して、天地父母と子女が一心一体となって、すべての世界に神様が願われる主体的み旨の完成、絶対、唯一、不変、永遠であられるみ旨の完成を成すべき使命的責任に対して、完成の条件だけでも立てて越え、この峠を行き来することのできる解放圏を、この地上はもちろん、天上にまで連結することができる道を開拓されたお父様のご苦労の前に、心から、心から感謝いたします。
 お父様、ここに集まったあなたの子女たち、主に祝福を受けた家庭が集まりましたので、祝福がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。
 神様が創造理想として願われた真の父母の家庭を立てるという本然のみ旨を失ってしまい、何千万年という恨の歴史を抱かれ、事情を通告することができない孤独単身の恨に満ちた神様であられたということをだれも分かりませんでしたが、幼い身でそのみ旨を知ってからは、他人が理解してくれようと、理解してくれまいと、一方通行で越えてまいりました。
 そうしてまた、越えてきてみると、今日の世界の頂上を越えて、地上はもちろんのこと、天上と連結させ、すべての国家を超越して地上解放を支えることができ、天上世界の民族と国家、宗教、宗派を超えて、統一的基準の解放という恵沢の祝福を許諾することができる家庭の日を、地上一辺倒と天上一辺倒の権限を中心として、だれも反対することができない勝利の覇権を打ち立てるようになりました。その位置において、これを備え、きょうのこの日と三〇〇〇年に向かって出発する年を新しく迎えたことを心から感謝いたします。

 二〇〇〇年の最後の日は、十二月三十一日であると同時に聖日であり、その日までにすべてのことを終え、きょう、月曜日からの一週間を、新千年を出発することができる一週間として、天が明確に限界的区別をしてくださり、ここに解放的な千年の冒頭に勝利の栄光と勝利の尊厳性と天の権威を立てることができる祝福の時代を迎えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。
 お父様。今、千年間に収拾すべき不完全なことが多く残っており、このことを、今から天が責任を持たなければならない時代に入ってきたと思いますので、あなたの愛する真の父母、この息子が、使命的責任を完遂できないことによって残されたすべてのことに対して、再び天の権限に頼っていかなければならない恥ずかしいご自身の息子の姿を受け入れてくださることを……。
 しかし、一つの所に向かっていく心は、過去も、現在も、未来までも変わらず、その道を厳粛に受け入れていくことを願う忠孝の道理に変わりがないことを、宣言とともに宣誓を奉献いたしますので、み意のとおりに導いてくださり、勝利の覇権的権限をこの地上に立て、お父様の祖国光復に向かって、地上、天上天国に向かって、称賛することができる勝利の日に向かって、十年という期間を定めて、あらゆる精誠を尽くし、世界のすべての国家を超越して集まった祝福家庭が、一つになって決意いたしますので、受け入れてくださいますことを心からお願い申し上げます。
 残された、この千年期間、お父様の栄光のみ旨が現れ、地上地獄となっていたすべてのものが、深い所から広く、高い所まで、天上世界にまでも一心統一圏を備え、その栄光の頂上の位置に立ってお父様が君臨され、万国、万宇宙を統治することができる自由解放圏、地上、天上天国に前進、前進、前進することを真の父母の名によって誓い、願われるみ意のままに成就してくださいますように。
 そのことを、真の父母は、すべての家庭とすべてのみ旨の中心の位置において、これを懇切に報告し、願いますので、み旨成就を成すことを真の父母のみ名によって報告、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。




 み言

 標語は、何だと思いますか? 「家庭盟誓」の最後の八番に、最も重要な単語があるのですが、それは、どのような言葉ですか? (「『解放』です。」)「解放」という言葉です。神人一体となり、地上天国と天上天国の解放圏を完成するのです。分かりますか? その解放ということです。解放された天地の父母と子女が一心一体となり、真の愛の主体性……。

 この標語は、今からの一千年間にもぴたっと合うのですが、特に子女と父母が、共にこれを成して、今から地上天国を成し遂げなければなりません。神様だけではありません。先生だけではありません。皆さんたち。解放された天地父母と子女が……。解放された子女が一心一体となり、一つの心になるのです。
 そして、真の愛の主体性……。主流思想です。主体性といえば、骨子です。骨子とは何でしょうか?
 神様の属性の骨子とは何かというと、絶対愛を求め、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げようとされた、そのみ旨を成し遂げなければならないということです。分かりますか? 
 それで、創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。もちろん、すべて解決されるだろうと思っています。そのような決心の下で、昨日とは違い……。
 昨日までの二千年間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なので、今からは、そのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。
 ですから、この標語は、一時だけではなく、永遠な……。皆さんが、あの世界に行くまで残る課題であるということを理解し、家庭がどれほど貴いのかということを理解し、一心同体となって、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 完成してさしあげるにおいて、世界の主権を取り戻すのは、簡単なのです。すべての主権下にいるすべての家庭は、天地父母、神様の伝統の思想、家庭を取り戻し、氏族、民族、国家、八段階の真の愛の理念による国家観を形成しなければなりません。
 また、真の父母の理念となる、この国家観を形成しなければならないということが、祝福を受けたそれぞれの家庭における責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。分かりますか? 今までは、真の父母の勝利圏を何ですか? (「祝福で受け継いだ……。」)
 祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参することはできません。なぜですか? 真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新しく連結させたので、真の父母の息子、娘としての因縁を結んだのです。
 皆さんは、堕落した血筋を断ち切って、神様の血筋を受け継いだのですが、その血筋が引き継がれていくためには、どうすればいいのでしょうか?
 神様の真の愛、永遠不変な神様の真の愛と神様の生命体、この二性性相に治められるすべてのものが、堕落していないアダムとエバの実体圏において、生命を結合させることのできる祝福を受けたならば、神様の愛と神様の生命を連結させ、神様の血筋が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から結ばれ、これが種となって拡大されるのです。しかし、三代を通して結実する血統の種が植えらなかったのが堕落です。
 皆さんも、そうです。先生が一代ならば、皆さんが二代であり、皆さんの息子、娘を正しく育てることができなければ、堕落した後裔の伝統を抜け出すことはできないということを知らなければなりません。
 皆さん。統一教会の群れをじっと見てみると、世の中の汚れた習慣性がつきまとっています。先生が学校を建てるために、どれほど苦労したか分からないのですから、学校へ行くのならば、鮮文大学やUTS(統一神学校)に行かなければなりません。
 そのようにしなければならないのにもかかわらず、生活的な方便や、経済であるとか何であるとかと言って、外的な世界……。サタンが楽しむ舞踏の場となり、サタンの基盤となったのが、大学なのです。それが名のある大学だというのです。
 そのような所に入ろうと目を真っ赤にして、天国理想に連結することができる信仰という心の基盤を捨てて、外的な物ばかりを求めていく群れが、たくさんいます。きょうから、そのような観念を一新しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりましたね? (「はい。」)
 とりわけ韓国人。苦労して暮らしてきたといって、そのような習慣性が濃いということを知らなければなりません。韓国の伝統的な乞食は、凍え死んでも隣の火はつつかないという言葉があります。飢え死にしても、乞食のように天の国の威信を損失させるような「破倫息子」や家庭になってはならないということを知らなければならない、というのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」)
 そのようなことを思えば、「裸になって、冬の三か月を過ごそう」と、新しく覚悟をしなければなりません。
 祝福が……。皆さん、考えてみてください。祝福です。祝福を受けるためには、再臨主一人……。失ってしまったアダムを創造するのに六千年かかりました。先生が来なければ、考えられないことです。真の父母が来なければ、アダムのみ旨、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。これが、どれほど複雑でしょうか。
 千辛万苦の果てに、この峠を何の功労もなく越えさせてあげたにもかかわらず、のらりくらりと遊びまわり、賭博場から出てきて王宮で祝宴をするというので、王の前に供えられた祝宴の食膳が、どれほど貴いのかということも分からずに、箸を持って、むやみやたらに食べれば、毒薬を食べるよりも、もっと恐ろしい審判の舞台に流れていくということを知らなければなりません。
 自分勝手に生きてきた野良犬のような者たちが、この環境を汚しているという事実を知らず、自分たちが生きてきた姿が、統一教会の主流的思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。今までは、そのように暮らしながら祈祷しても、少しは面目が立ったでしょう。しかし、これからは違います。
 真の父母の勝利圏を何ですか? 何によって受け継いだのですか? (「祝福です。」)何によってですか? 皆さんの功労ではありません。十年間、四十年間断食祈祷しても、受け継ぐことはできません。祝福によって、血統転換することができる特恵権を与えてあげたのですが、その価値をどれほど理解しましたか? 
 神様の何百分の一、先生の何百分の一でも知っているのかというのです。言葉では簡単でしょう? 神様の王権を失い、神様の職位と神様の権限をすべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もない、主権もない世界において、神様に主権を取り戻してさしあげるためには、その主権を成す時まで間隔を置かなければなりません。
 アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的時代や世界的時代ではありません。家庭的時代を超えて世界的時代において、天国の完成を成したという条件基盤を満たした位置で、その築いた勝利の覇権基盤を中心として、それを皆さんに渡してあげたのです。それは、「入籍祝福」でしたか? 先生自身も、そこに立つことに恥ずかしさを感じているのです。今、わたしが祈祷しました。分かりますか? (「はい。」)

 これから自分自身が、どれほど足らないかということは、み言を通して分かるでしょう。これまで約二年間、「訓読会」をしてきたので、分かるはずです。自分たちが、どれほど足らない者であるかということを……。
 先生が、これを積み重ねてくるために、どれほど苦労したのかということを知りません。息子、娘たちも、何も知らないのです。自分勝手に生きる者たちを懲らしめなければならない時が来ました。
 皆さんたちのために、ここにいる子女や一族の面倒は、見ませんでした。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)はっきりと言ってください。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)だれのためですか? カインの息子、娘を救ってあげるためです。
 神様がそうです。世の中を救うために、独り子とキリスト教を犠牲にしたことと同じです。先生の家庭を犠牲にすることは当然のことだと考え、皆さんのために、すべてのものを投入しました。すべてのものを投入したのです。
 投入した結果が何ですか? すべて流れていきました。入籍できる人は、一人もいません。全員、失敗しました。
 これを、先生が地上で再び責任を持ち、霊界まで引っかかっているので、霊界の興進君にそれを任せているのです。先に霊界が、このことを受け持たなければならないので、先生が地上で成すべきことを霊界の興進君に任せ、すべての罪を霊界で赦してあげ、祝福の恩賜を……。荷物を背負ったので、先頭に立って苦労しているという事実を知らなければなりません。
 父母が、カイン世界を救うために犠牲になったのと同じように、興進君と霊界に行っている四人の子女たちは、皆、自分の持って生まれた寿命を全うできずに、中途で急死した人たちです。皆、事故死です。
 事故が起きたのですが、だれが運転していたのかというと、自分たちではなく、皆さんが間違った環境をつくり、皆さんが間違った運転をし、皆さんによって、そのような事故が起きたということを知らなければなりません。
 それゆえに、そのようにして行った人たちは、皆さんたちよりも公的なみ旨を知らずに行ったとしても、解放される恵沢圏内にいるのです。(なぜならば、)真のご父母様が、彼らのために行くべき道を備えてあげるべき責任が残っているからです。分かりますか? (「はい。」)
 そのような興進君の前に、あなたたちが入籍するためにすべての不足なこと、蕩減復帰の恨を抱いていく神様と真のご父母様に重荷を負わせたという恥ずかしい事実を知らなければなりません。これが分からないときには……。先生に無念な思いをさせるなというのです。
 今から、死んでいく人は、審判台に出ていくときにサインをしなければなりません。国家の重犯罪人を死刑場に立たせるときに、大統領がサインをするのと同じように、今からは、赦す法がありません。
 それで、息子、娘もすべて分けておいたのです。父の家だといって、思いどおりに来ることはできません。息子のふるまいをするのですか? もう私は会いません。
 ですから、より一層、妻がしっかりしなければなりません。このような厳粛な課題が、まだ残っているというのです。解消すべきことがたくさんあります。
 皆さんを解放しておいて、裏部屋でろうそくをともしながら、隠れて祈祷しなければならない道が残っており、闘わなければならない歴史的な悲運の道を、再び開拓すべき責任を負っているということを忘れてはなりません。分かりますね、この頭たち? 何がどうだこうだと言うのですか? この息子、娘たち。み旨が分からなければ、訪ねてくることができません。自分勝手には、来ることはできないというのです。そのような時が来ました。救援摂理時代は過ぎていくのです。
 アダムとエバが堕落した後の直結時代に入っていきます。父母の家庭においても、今から直結時代が来るのです。ですから、私の息子、娘を見れば、皆、ここに座っていますが、かわいそうに思うのです。
 わたしが、かわいそうに思う心がなければ、あの者たちがどのようになるのか知っています。あの世で、どのように引っかかるのかを知っているというのです。父親なので、そのことまでも責任を持たなければならないという問題があるのです。深刻です。統一教会をよく信じた人以上の位置に立ててはならないようになっています。
 きょうから、あなたたちは新しく決心しなさい。父親に対して友達のように対する、そのような行動をしてはなりません。祖父のことを、ただの肉の塊だと思うなというのです。分かりますね? 分かりますね? 孝 進。父親の言うことが分かりますか? ええ? 答えなさい。分かりますね? 分かりますね? この者が。
(聖進様のご子女様に対して)あなたは、何をしてきたのですか? この者が。自分の父親について行くのですか? 母親が、よく分かっていなければなりません。食べていけるだけでも、ありがたいと思わなければなりません。統一教会に負債を負って暮らしながら……。
 それは、祖父のお金ではありません。統一教会の血肉を搾り取って食べているということを知らなければなりません。わたしが手を放せば、あなたたちは、どこに行くか分かりません。何が「おじいさん」ですか? アダムとエバが過ちを犯したとき、追い出してしまったのです。逆さまに打ち込まれたのです。
 あなたがたのおじいさんは、恐ろしい人です。(後列に座られた女のご子女様たちに対して)あなたたちもそうです。この女性たち。正しく生きなければなりません。
 お母様、 今からは息子、娘に対して心配してはなりません。涙を流したりしてはいけません。分かりますか? 自分がしたとおりに対する時が来ました。
 先生は、恐ろしい人です。ふらふらして、こうしても通じ、ああしても通じ……ということは、通用しません。日本の息子、娘たちもたくさん来ていますね。間違ったことは間違っているというのです。清算すべきことは清算しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
 濁り水が、大海に向かって流れていくときは悠々と流れていきますが、浮かんでいる汚れたものは、沈んでいくのです。分かりますか? 海に入っていけば、一瞬のうちに水平に流れていくのですが、それを一週間もせき止めて、汚れたものを沈殿させるように整理作業をするのです。
 そのことと同じように、皆さんが二〇〇〇年を越えて、三〇〇〇年に向かって出発するという課題において、濁り水をそのまま……。悔い改めなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
 悔い改めるために「訓読会」をするのです。それは、遊び事ではありません。「訓読会」を最も一所懸命にする人は、先生です。皆さんは、先生の何十倍も一所懸命にしなければなりません。それは、先生がすべて成したうえで宣布したみ言です。
 今日、自分がしたいと思うとおりにしながら、み言をどれほど冷遇し、先生の行動に対して、どれほど不注意なのかというのです。分かりますか?
 教区長であるとか、何かの責任者であるとか、わたしの目には、そのようなことは関係ありません。天国の神様の前に直行することができる人なのか、ということを測定しようと思っているのです。そこから外れれば……。今からは、救援摂理の歴史が過ぎていくというのです。分かりますか?
 第四次アダム心情圏時代に入っていくので、今から祈祷するときには、救世主の、真の父母の勝利圏ではありません。皆さんは、すべて相続したのです。
 ですから、先生が世界を中心として、深刻な立場で身もだえしたことと同じように、先生を代身して相続されたのが自分の家庭なので、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……。」と、このように祈祷しなければなりません。そのようにできなければ、入籍を取り消さなければなりません。
 入籍が、驚くべきものであるということを思うとき、恥ずかしくない立場に立ち、一日一日の生活において、み旨の前にプラスした実績を持たなければ、祈祷することができない時代に入ってきたのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」)
 「分かった」という人は、手を挙げてください。全員、分かったというので、分かったということにして、み言を終わります。
 悔い改めをしなければなりません。それも、深い悔い改めを。

 また、二千年最後の訓示の言葉が何かというと、父母の心情で何の体ですか? (「『僕の体』です。」)そこに、真の父母の心情で僕の体となって、それから、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して、「生畜」の祭物として献納いたします。それが結論です。総生畜献納物です。
 そのようにしようとすれば、自分の手の皮がそうであり、自分の肉がそうでなければなりません。
 皮が汗を流さなければならず、皮が涙を流さなければならず、皮が血を流さなければならず、肉がそうでなければならず、骨がそうでなければならず、骨髄までも骨髄の汗を、骨髄の涙を、骨髄の血を流して、恨多き六千年歴史の受難の峠を、お独りで苦労された神様を解放しなければならないというのです。
 それゆえに、このありったけのすべてのものをささげても、皮をはいでも、肉を取っても、骨を削って骨髄を搾り出してささげたとしても、恨みを持つことはできない罪人になっているということを知らなければなりません。
 終わりの日には、自分が重要視していたものが、絞首台で自らの首を絞める帯になるということを知らなければなりません。愛する人が怨讐であり、好きだった人が怨讐です。道をふさぐというのです。
 ですから、皆、「統一教会に行くな」と言うでしょう? 家を追い出されたでしょう? 追い出されて、また帰り、家庭とすべての一族と一国を、神様の前に奉献するのです。
 奉献するからといって、それがなくなるのではありません。その条件に膨大な天の国の何十倍、何百倍の福が連結されているということを知らなければなりません。釣ろうとすれば、良い釣りえさが必要なのと同じです。
 ところが、それを抱えて、うじ虫がわくようにして行楽にふけったという事実……。この者たち。先生には通じません。
 わたしは、一銭のお金も息子、娘のためには使いませんでした。そのような話は、する必要もないのです。分かりますか? (「はい。」)
 真の父母の心情で僕の体となり、汗は何ですか? (「汗は地のために。」)汗は地のために、涙は何ですか? (「人類のために。」)血は何ですか? (「天のために。」)涙を流す悲しみがあるとすれば、それは自分の涙ではありません。天の前にささげる涙です。
 汗を流すことがあるとすれば、あなたがたが流す汗ではありません。自分のためのものではありません。天のためのものです。
 血を流すことができるとすれば、死なずに生きている限り、血は自分の血ではありません。天の血として奉献すべきものと考え、死地であっても願う道ならば、直行しなければなりません。
​ 先生は、復帰路程から帰ってきました。父母が反対し、妻子が反対し、息子が反対し、師が反対し、だれが反対しても直行していくということは、どれほど孤独単身でしょうか? 友達がいません。師もいません。そのようなことを知らなければなりません。 ここに一緒にいるお母様が、蕩減復帰の道を知っていますか?  そのようなことを知らなければなりません。ですから、絶対に従ってこなければならないのです。​
 骨の汗、骨の涙、骨の血、骨髄の汗、骨髄の涙、骨髄の血まで流しても、神様からの恩徳に報いる法はないのです。強盗のような者たち。自分勝手に生きたのです。刀で腹を切り裂いて手術し、再びつなぎ合わせなければ、天の前に連れて行くことができない、ぼろぼろの服です。同じぼろぼろの服でも、うじ虫がわいた服です。
 そのような、うじ虫がわいて、うじゃうじゃしているものに継ぎはぎを当てて、天の国の宮殿に敷くことができる毛布をつくろうというのです。この者たち。しっかりしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)二〇〇一年から時代が変わったということを知っていますか?
 このように忠告しているにもかかわらず、だれが死んだとか、だれが何をしたとか、今からは、そのようなことをわたしに報告するなというのです。今からは、もう聞きたくありません。報告があれば、わたしが十字架を負って、ありとあらゆる……。父母の葬儀費用まで、わたしがすべて支給してあげたのです。野良犬のような者たちです。
 先生の所に、思いどおりに訪ねてくることはできません。今後は、ここにいる人も、思いどおりに来ることはできません。
 これからは、条件を提示します。国ができれば、本当に厳格にするのです。世の中の法の十倍以上の法を中心として越えていかなければならない道が残っているということを知っているのです。
 生涯において、それを越えていかなければなりません。そのような課題が残っているので、今から、皆さんの生活において、先生を信じてはなりません。先生の祈祷もしてはなりません。

 祈祷時代は、過ぎていきました。分かりますか? メシヤがいて、救世主がいてこそ祈祷も通じるのであって、救世主が、解放圏にすべてを導いて、送っておいたというのです。
 それゆえに、今日の課題は、解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成いたしましょう、ということです。一緒に協力するのです。
 ですから、協力して報告すべきことがきちんとできたのか、できなかったのかという問題を中心として、きちんとできないときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉は、片付けてしまいなさいというのです。報告です。良い報告を持たない人は、このような集いの場に……。
 今までは、自分勝手に教区長だ何だといって、一人も伝道せず、実績もなく、自分の所属要員の血を吸う吸血鬼のような者が大勢いました。旅費を使って自分勝手に……。「来なさい」と言えば、「ああ、いいな」と言いながら行ったり来たりし、すべきことをすべて忘れて、ただ食いして暮らす人が大勢いるというのです。分かりますか?
 今からは、チェックしなければなりません。何でも適当に連れてくることはできません。実績がなければ、行くことができません。報告する内容がなければならないでしょう? すべて相続してあげました。
 先生は、み旨をすべて知っているので、祈祷もしません。二十四年間、祈祷しませんでした。知っているのになぜ祈祷するのですか? すべて許諾したのに、何を下さいというのですか? それは、どろぼうでしょう?
 お母様も不思議に思ったでしょう? おととしの八月から三年を残して再び……。その祈祷は、あなたたちのための祈祷ではありません。新しい時代に向けて、祈祷を中心として、急いで仕切りをなくし、平地を通して敷居を乗り越えることができる位置において、全宇宙史的な神様の職位圏を解放させようとしてきたのです。
 今では、もうすべて越えました。先生は、すべて越えていったというのです。あなたたちは全員、越えることができていません。分かりますね? (「はい。」)
 水産事業を中心として、わたしは、早朝五時から暗くなるまで釣りをしたのですが、最近は、釣りをすることができる時が終わったので、一日に二時間くらいずつするようになりました。すると、あなたたちも二時間だけしようとするのです。この者たち。
 あなたたちは、入籍したので、皆さんの一族を中心として、金氏なら金氏のメシヤです。氏族的メシヤとは、どのようなメシヤなのかというと、韓国全体のメシヤではありません。氏族的メシヤは、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏のメシヤです。
 親戚以外を伝道することは、国のために忠誠を尽くさなければならないのに、忠誠を尽くさずに外国に行って、その国を手伝うのと同じ扱いを受ける時が来たというのです。分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。
 ですから、負債を負ってはいけないというのです。負債を返すのです。負債を負うことを、わたしは好みません。
 では、訪ねていっても、先生が門前で冷遇すれば、「なぜ、昔と違う先生になったのか?」と思って、泣いて帰りますか、どのようにして帰りますか? 

 郭錠煥 氏。(「はい。」)わたしがすべきことを、「自分が栄光を受けよう」と思いながら、巡回しているのでしょう? 自分が王と会って、大将の振る舞いをしているではないですか? 郭錠煥氏は、夢にも思わなかったのではないですか?
 わたしが、「しなさい」と言うので、しかたなく始めたのでしょう? (「はい。」)しかたなく始めて、仕事がうまくいくので、喜んでいるようですね。喜んで行きましたか、泣きながら行きましたか? (「うまくいくので、笑いながら行きました。」)笑って行きながら、先生のことを考えましたか? (「はい。」)
 今でも、先生は泣きながら歩んでいるのです。「自分がお金を使って、自主的な立場に立ちなさい」と言ったのにもかかわらず、立てた計画の三分の一を削ってしまい……。そのようにすれば、三分の二を削らなければならないのです。それで、風が間違って入ってくるようにしたのです。助けてあげて、うまくいく者はいません。もっと助けてくれることを願うからです。
 顯進も、知らなければなりません。二世たちに対しても、横っ面をたたき、足でけ飛ばして、十分の一だけ助けてあげなさいというのです。真のご父母様を通した協助も、十分の一ではなく、百分の一でも、血を流しながらでも、ありがたく思わなければなりません。
 あなたたちの思いどおりになると思いますか? あなたたちの思いどおりになるのならば、わたしは(今まで)思いどおりに生きてきていたというのです。豊かに暮らす世の中が、悪口を言いながら、あらゆることをすべてしたのです。アメリカで三十年間、こっちに追われ、あっちに追われながら暮らしました。あなたたちは、そのことを知らなければなりません。
 何を知っているとか、MBA(経営学修士)になったとかどうだとか……。父親が、どのような話をしているのか、理解して答えることができ、自粛することができなければなりません。あなたたちにも試験をするのです。この者たち。このような話はやめます。目の色をうかがって、(それに合わせて)態度を執ることができなければなりません。
 ですから、足でけ飛ばし、激しくたたくのです。宣言するのです。そのようなことが嫌ならば、荷物をまとめて出ていきなさいというのです。この妻たちも、分かりますか? ただの妻たちではありません。皆、神学校を出ているのです。
 神学校を出ていない者、そのような統一教会の者は、今後、出世はできません。一つの谷間に激しく追い込まれるべきところを、先生が一所懸命にしたので、あなたたちが、そこに引っかからずに救われているのです。顯進、分かりますか? はっきりと知らなければなりません。
 さあ、先生が怒ったりもし、足で激しくけ飛ばして、踏みつけておいてこそ、過ちを赦すことができる条件になるのです。分かりますか? (「はい。」)それを喜んで受け入れれば、目が開かれ、道が見えてくるのであり、喜んで受け入れなければ、引っかかって倒れるのです。これからは、優秀だという人を、霊界がたくさん連れて行くのです。見ていてください。
 今の太平洋圏を考えてみてください。韓国の大統領、南北の大統領も問題です。台湾の大統領も問題であり、日本も今、問題なのです。分かりますか? それから、フィリピンも問題です。それから、インドネシアも問題です。それから、アメリカまでも問題なのです。
 太平洋圏においては、すべての首相や大統領が艱難を受ける時が来たというのです。それを揺さぶって掃いてしまってこそ、わたしが太平洋圏に手を出すことができるのです。それで今、わたしが手を出しているのです。今から、全員をそこに任命するかもしれません。
 嫌ならやめなさいというのです。簡単です。大統領も、自分が嫌ならば、やめるのです。平壌の長官も、嫌ならやめるのです。(人に)仕事をさせれば、自分が負債を負おうとする人ではありません。その何千倍を返しても余りあるということを知っているので、そのようにするのです。分かりますか、梁(昌植)さん? 教育させないのなら、やめなさいというのです。
 さあ、手を挙げてください。口を開けて、「ははは」と、一度笑ってみてください。(「ははは……。」)すべて、洗ってしまいました。喜びで消化することができてこそ清算されるのであって、泣きながら悔い改めることではできません。
 お父様の前に、相対的な立場で、すべてのことを喜びで報告することができる時代が来たので、祈祷するときに「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ、だれだれの名によって……。」と言う時が過ぎていきます。分かりますか? (「はい。」)「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」です。祈祷ではなく、「報告いたします。」と言うのです。
 報告しようとすれば、善の結果がなければならないでしょう? うそつきのように、いつも「願います、願います。」と言いながら、野良犬のように、糞にまみれてはいけないというのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。分かりますね? (「はい。」)
 手を挙げたので、そのことを分かったという人は、下ろしてください。激しく踏みつけられ、傷つき、耳が落ちても笑いましたが、(本来は)うれしくて笑わなければなりませんが、うれしくて笑ったのですか、悲しくて笑ったのですか?(「うれしくて笑いました。」)そうですか、そうですか、それで良いのです。それで良いのです。(拍手)​​​​




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.12.27 23:39:00
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