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この人について、今さらコメントすることなど何もないような気もしますが・・・1940年10月9日生まれ、1980年12月8日没。享年40歳。ビートルズというグループをつくり、初期の頃はリーダーとして(本人はリーダーであることを公式に認めなかったようですが、グループ創世記は明らかに彼はリーダーの役割を果たしていたといえると思います)、その才能をいかんなく発揮し、グループの偉大なる活動に大いに貢献してきました。ビートルズとして成功し、富と名声を得た後は、オノ・ヨーコとともに、平和活動に新たな活路を見出すようになりました。そして後に結婚したヨーコとの間に子供(ショーン)が生まれると、一切の活動を停止し、「ハウス・ハズバンド」と称して育児に専念するようになりました。ショーンが物心つくようになり、活動を再開した矢先、帰らぬ人となってしまいました。個人的には、平和活動にのめりこむジョンのことはあまり好きではありませんでした。もっともっと彼の素晴らしい音楽をたくさん聞きたかったと思います。1980年の活動再開後は、大規模なワールド・ツアーの計画もあったと聞いたことがありますが、あの不幸な事件の犠牲にならなければ、もっと彼の素晴らしい作品に触れることができたと思うと、残念で仕方ありません。
2005.07.09
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本名 ジェイムス・ポール・マッカートニー1942年6月18日生まれつい先日、63歳になったばかりですね。もちろんビートルズの中心メンバーで、YESTERDAY、HEY JUDE、LET IT BEなど、彼の手になるスタンダードナンバーはあまりにも多い。アルバムにおいても、最高傑作といわれているSERGENT PEPPER'S…は彼の作品が圧倒的に多く、彼の影響が最も強く出たものといわれています。ビートルズ中期以降、マネージャーのブライアン・エプスタインの死後、グループを存続させるため実質的なリーダーの役割を担おうと孤軍奮闘した彼ですが、その独善的な態度は他のメンバーの反感を買うことになり、結局彼はグループ内で孤立していったようです。ビートルズ解散以降も、妻のリンダと結成したWINGSでの活動や、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンとの競演など、常に第一線で活躍し続けています。その一方、麻薬不法所持での逮捕歴はメンバーの中で最も多いといわれており、常にトップスターであり続けるというプレッシャーを長年受けていたのではないかと思います。いろんな意味で、20世紀で最も成功した音楽家の一人であるといえると思います。
2005.07.03
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本名リチャード・スターキー、1940年7月7日生まれである彼は、ビートルズへの正式加入はメジャーデビュー直前であり、そういう意味では非常に幸運だったといえるでしょう。他の3人に比べるとやや音楽的な才能には恵まれなかったようですが、その人柄は多くの人を魅了したようです。彼が結婚した1965年当時、ビートルズの人気は一時的に落ち、雑誌の人気投票でプレスリーに第1位の座を明け渡したことがあり、またショックで少なくとも3人のファンが自殺したいわれているなど、彼の人気の裏付ける様々な噂が流れたりしたようです。彼自身、「ビートルズのメンバーで人気投票をやっても、自分は絶対1位にはなれないだろう。でも2番目に好きなメンバーの投票なら、1位になれるかも」と語っています。解散後に発表した彼のソロアルバムの製作において、ビートルズのメンバー全員が曲を提供したり、ビートルズ以外にも錚々たる面々が彼のために協力を惜しまなかったことからしても、彼が多くの人々に愛されていたことがよくわかると思います。また音楽的には他の3人に遅れをとった彼ですが、ビートルズの映画である「A HARD DAY'S NIGHT」「HELP!」では堂々主役の座を射止めていますし、その他にも単独で映画出演を果たしており、俳優としての才能を開花させました。今ではあまり表舞台に出てこなくなった彼ですが、また音楽活動を再開してもらいたいものですね。
2005.06.25
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ジョージはご存知のとおり、ビートルズのメンバーの中で最年少でした。「ヤング・ビートル」と呼ばれ、音楽的な才能にも恵まれていたのですが、ジョンとポールというあまりにも偉大なソングライターコンビの陰にかくれ、なかなかその才能を認められずにいました。ビートルズのメンバーの中でソロアルバムを最初に出したのも彼だし、解散後全米第1位の曲を最初に発表したのも彼でした。確かに自分の曲がシングルのB面としてリリースされることもまれで、A面としてリリースされたのは「SOMETHING」のたった一曲だけだったし、LPについても片面一曲のみの割り当てということでは、ジョージにとってビートルズのグループとしての活動には、決して満足のいくものではなかったのでしょう。彼はまたリードギタリストとしてサウンド面を支えてきたのですが(彼のギターはEMIのオーデションで合格の決め手の一つになったといわれています)、ギタリストとしての腕前は残念ながら一般的にはあまり認められていなかったようです。ビートルズ中期以降、多重録音が可能になり、ギターの腕前はジョージより上であると自負しているポールが、自分の曲ではリードギターを弾くようになり、ジョージは大いにプライドを傷つけられたのではと思います。こうしたポールの独断的な行為が、結局解散の引き金の一因になったのではないかなという気がします。ビートルズ時代、決して恵まれた音楽活動を行えなかったかもしれませんが、ジョージの曲には名曲が数多くあります。私は先にあげた「SOMETHING」が一番好きなのですが、他にも「HERE COMES THE SUN」「I NEED YOU」「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」などは、素晴らしい曲ですよね。
2005.06.18
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ビートルズ初期の頃、オリジナル曲の多くがジョンとポールの共作で作られたのは良く知られたことです。一般的にジョンが作詞、ポールが作曲担当といわれていた時期もあったようですが、実際にはそんなに単純なものではなく、どちらも詞も曲も書いていました。そして彼らの約束ごととして、どちらかの手になる曲は、たとえその曲作りに関与していない場合でも、「レノン・マッカートニー作」とクレジットすることを取り決めたのでした。この約束を取り交わしたときは、まさか自分たちが20世紀最大のソングライターになるとは思っていなかったでしょうから、ほんの軽い気持ちだったのだと思います。しかし、彼らの曲が世界中で大ヒットし、様々な利権が発生するようになるにつれ、いろいろな問題が生じるようになってしまったようです。たとえばあの「YESTERDAY」は、詞も曲もポールの手になるものであることは周知の事実ですが、「レノン・マッカートニー作」とクレジットされている関係上、カヴァーで取り上げた場合の著作権使用料がジョンにも支払われていました。「YESTERDAY」は、ギネスブックにも取り上げられているほど、カヴァーされた数が多い曲で、その著作権使用料も莫大なものであったので、ジョンの生前はそうでもなかったようですが、ジョンの死後、そのお金がヨーコに支払われることになったとき、ポールとしては心中穏やかではなかったようです。(今では、様々な紆余曲折を経て、レノン・マッカートニーの曲を管理する「ノーザンソングス」の株は、マイケル・ジャクソンが保有しているということですが)元をただせば些細なことでも、金銭(しかも莫大な)が絡んでくると、いろいろ複雑な問題が生じてしまうものですね。余談ですが、一時期「レノン・マッカートニー」は、「マッカートニー・レノン」とクレジットされている時期がありました。(確かデビューLP「PLEASE PLEASE ME」の頃)その後いつの間にかまた「レノン・マッカートニー」に戻ったのですが、どちらを先にするかで、ジョンとポールの間で話し合いがもたれたのか?と思ってしまいます。(「レノン・マッカートニー」で落ち着いたということは、結局ポールが折れたのかな?)
2005.06.12
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ビートルズのリードボーカリストって、誰でしょう?言うまでもなくジョンとポールという答えが返ってきそうですが、確かに初期の頃は彼ら二人のツインボーカルがビートルズの魅力の一つでした。ただ、こうしたツインボーカルという形も、当時はかなり斬新だったようです。ビートルズがEMIレコードのオーディションを受けたとき、合格の決め手になったのはポールのボーカルとジョージのギターといわれており、プロデューサーのジョージ・マーティンも当初デビューに当たっては、ポールのボーカルを前面に押し出そうとしていたという話もありますが、結局ビートルズの音楽のスタイルはジョンとポールのツインボーカルという形で確立していると判断し、変にこれをいじらないようにしたということです。もしポール一人がリードボーカルとなっていたら、ビートルズは「ポール・マッカートニー&ビートルズ」という名前になっていたかも知れませんね。余談ですが、ビートルズはEMIのオーデションを受ける数ヶ月前に、デッカレコードのオーデションも受けており、こちらはあえなく不合格となっています。デッカ側は彼らの才能を見抜けず、結局大損してしまったのなりますが、当時オーデションに関わったデッカの関係者たちは、後年のビートルズの活躍をどんな思いで眺めていたのでしょうね・・・
2005.06.11
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ロックアーティストが、世界各地を周る大々的なワールドツアーコンサートを行ったのは、実はビートルズが最初だったといわれています。また、野球場やフットボール競技場など数万人単位で集客できる大規模な会場でコンサートを行ったのも、彼らが最初だったそうです。当時絶大な人気を誇り、それだけの集客力が彼らにはあったわけですが、こうした前例のないコンサートは彼らやそのスタッフたちも手探り状態で行われていたため、彼らのライブパフォーマンスは自身にとっても満足のいくものではなく、歓声と混乱に終始する単調なコンサート活動に次第に嫌気がさすようになり、こうしたことが積み重なることによって、結局ビートルズは1966年夏の全米ツアーを最後に、一切のライブ活動を止めてしまうことになりました。そういえば、1964年2月に初めてアメリカに上陸したとき、ニューヨークでコンサートを行ったカーネギーホールは、ポピュラーアーティストとしてはビートルズが初めてコンサートを行ったそうです。日本公演でいえば、今では世界的なコンサートホールとして有名となった日本武道館で初めてコンサートを行ったのも彼らでした。こうしてみると、現在は音楽界の常識となっている数多くのことが、コンサート活動についてだけでも、彼らがパイオニアとして「初めて」行ったことがたくさんあることに、改めて驚かされますね。
2005.06.05
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ビートルズは20世紀最大のスーパースターですが、彼らのデビューはそのルックスのよさからしても、明らかに「アイドル」として売り出されました。デビュー当時、ティーンネージャーの女の子から絶大な支持を受けたことからしても、それは確かなことだったようです。しかし、そのアイドル時代のポートレートにも、結構タバコを吸っている姿が写されていることからしても、ただのアイドルではなかったようです。アメリカに初めて上陸したとき、海千山千のアメリカのマスコミ相手にして、彼らが記者会見で対等にやりあったことは、数々の逸話として残っているところですが、当時のアイドルグループが、マネージャーの同席なしにマスコミの取材を受けること自体、異例のことだったようです。(自分たちだけでマスコミに応対して、その受け答えのまずさを露呈することは、自分たちの馬鹿さ加減を明らかにするだけのものだったため)しかしマネージャーだったブライアン・エプスタインは、彼らにはマスコミに負けない聡明さを持ち合わせていると判断し、彼らだけでマスコミの記者会見に応じさせました。そして彼らは見事にそれをやってのけたのでした。彼らには素晴らしい音楽性があり、ただのアイドルグループで終わらなかったことは周知の事実ですが、彼らがその音楽性を認知される前に解散していたら、彼らの音楽は今ほど多くの世代に渡って愛されたかどうか・・・現代の音楽事情はまったく異なったものになっていたのかも知れませんね。
2005.06.04
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ジョン・レノン:1940年10月9日生まれ。ポール・マッカートニー:1942年6月18日生まれ。ジョージ・ハリスン:1943年2月25日生まれ。リンゴ・スター:1940年7月7日生まれ。そしてご承知のとおり、ジョンとジョージは既に故人であります。4人とも第2次世界大戦中の生まれで、少年時代ロックン・ロールに魅了され、特にエルビス・プレスリーは彼らのアイドルだったようです。エルビスを超えるロック・グループになる!という夢を追い続け、20代前半でその夢を実現した彼らは、20世紀最大のスーパースターになりました。そして21世紀となった今でも、彼らの曲は愛され続けています。個人的な話ですが、私の娘(8歳)は、ジョンと同じ10月9日生まれです。今ではまだビートルズの存在すら知らない彼女ですが、数年後彼らの音楽に魅了され、ジョンと同じ誕生日であることに喜びを感じる日がくるかも知れませんね。
2005.05.29
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ビートルズが世に出たとき、世間の度肝を抜いたのは、その音楽性よりも、まずその容貌にあったと思われます。特にあの「マッシュルームカット」と呼ばれるおかっぱ頭は、衝撃的だったようです。それまで男性のヘアスタイルが長髪であったということは、洋の東西を問わず全く一般的でなく、男性の女性化とさえいわれたようです。実際今から思えば、デビュー当時のヘアスタイルは、それほど長いわけでもない思うのですが、当時としては男性がこの髪型をするのはすごいことだったのでしょうね。しかしマッシュルームカットは、ビートルズが有名になるにつれ、世界中で大流行し、廃業する理髪店が続出したという噂がまことしやかに流れたりしたようです。彼らの音楽性はデビュー当時から素晴らしいものでしたが、まずはアイドルとして世に認められた若者のファッションリーダーだったということでしょうか。
2005.05.28
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今日は大変下世話な話題ですが、ビートルズの収入って一体いくらくらいだったのでしょうか?20世紀最大のスーパースターといわれる彼らですから、個人の所得としては天文学的な収入を得ていたのでしょうが、今現在でもCD等が売れ続けていることを考えると、いまだに彼らの元にはかなりの額の印税が入り続けていることでしょう。60年代半頃、かなり少なく見積もっても15億円くらいの年収があり、またその気になって仕事をすればその倍の収入が簡単に得られるという記事を読んだことがありますが、当時の貨幣価値でこれだけの収入があったというのは、今さらながらですがやはりものすごいですね。1966年の武道館公演のギャラは、5回公演で10万ドル(当時のレートで3600万円)だったそうですが、当時のビートルズのネームバリューからするとこの金額は決して高いものではない、と日本公演を招へいしたプロモーターが語っていたことがありました。コンサート活動にうんざりしていた当時の彼らにすれば、損をさえしなければ来日公演をしてもいいという考えだったそうで、金銭面からは割りとスムーズに話がついたとのことでした。10万ドルという金額は当時の彼らからすれば一ヶ月の小遣い程度だったとのことで、年収15億円からすればそんなものかとも思いますが、やはり庶民には想像もつかない話ですね。しかしその一方で、彼らが設立した「APPLE」の経営状態が思わしくなくなったとき、彼らがあちこちで借金しているという噂が流れたり、また高額所得者ゆえ納税額もはんぱでなく、意外と手取り額は多くなかったともいわれています。(もちろん実際には、そんなことはなかったのでしょうけど)ジョンがアメリカに永住することになったのも、節税対策がその理由の一つにあったと聞いています。そういえば、ジョージはソロになってから盗作問題で裁判に負け、多額の借金を背負ったと記憶していますが、あの賠償金はどうなったのでしょうかね?
2005.05.22
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2005年5月20日(金) ヨーコ、ジョン・レノン暗殺者の番組を非難(BARKS) ヨーコ・オノは、英国のテレビ局チャンネル4がジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンのドキュメンタリー番組を放送することに抗議している。チャンネル4は、今年の12月、レノンの20周忌を記念して同番組を放送する予定でいる。dotmusicによると、番組は'81、'91、'92年の3回に渡って撮影されたチャップマンのインタヴューを元に構成されているという。しかしヨーコは、番組は遺族やファンに対する思慮に欠けると声明を発表した。「ジョンの美しい人生に起きた痛ましい思い出に対し理解が欠如していると思います。わたし自身、そしてジョンの家族やファンは、このような番組が放送されることによって深く傷ついています」チャンネル4のスポークスマンは「番組はシリアスなドキュメンタリー」であり、予定通り放送すると話している。チャップマンは昨年10月に開かれた仮釈放のための聴聞会で、レノンを殺害したのは彼の名声を奪うためで、数ヶ月前から計画していたと認めている。Ako Suzuki, Londonヨーコがチャップマンのドキュメンタリー番組の放送について抗議しているということです。この記事の中で「レノンの20周忌を記念してとありますが、ジョンは1980年に殺害されたので、今年は25周忌のはずです。(単純な間違い?)チャップマンも今年で25年間服役しているわけですから、かなり長期間になりましたね。よく覚えていないのですが、チャップマンの刑期は何年だったのでしょう?もしかして終身刑?何年か前に、仮釈放の話があったとき、「自分たちジョンの遺族がが危険にさらされる」とヨーコが声明を発表したことがあったと記憶していますが、このときは結局、仮釈放は実現しなかったのでしたよね。ジョンを殺害した理由としては、前述の記事にも触れられていますが、私の聞いたところによると、1966年ごろに「ビートルズはキリストより有名だ」というジョンの発言が大問題になったとき、敬虔なクリスチャンだったチャップマンの心のなかに芽生えた憎悪が、十数年後にああいう形で爆発してジョンの命を奪ったという説や、平和活動を精力的に行い、危険人物のブラックリストにのってしまったジョンが、活動を再開するのはまずいと判断した当局が、チャップマンに催眠術(?)をかけて暗殺した、という話もあったりします。特に後者の方はほとんどフィクションとしか思えない話ですが、チャップマンははじめジョンではなくポールを狙っていたという説もあり、真相はよくわからないところです。いずれにしても、ジョンの死によってビートルズ再結成は永遠にかなわない夢となりました。
2005.05.21
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ビートルズがメジャーデビュー直前に、ドラマーをピート・ベストからリンゴ・スターに交替したことは良く知られている話です。交替の理由は、ピートのドラムスの技術が未熟だったためプロデューサーのジョージ・マーティンが気に入らなかったなどといわれていますが、実際にははっきりしたことはわかっていないようです。確かに、たとえ技術的に多少問題があるとはいえ、長年一緒にプレーしてきた仲間を一夜にして見限るというのは、いくらプロデューサーの意向とはいえ、他のメンバーも随分冷酷だといわざるを得ません。実際のところ、ピートと他のメンバーの仲は、あまりしっくりいっていなかったようです。いずれにせよ、ピートはビートルズを首になり、その代わりにリンゴがドラマーとして迎えられました。「ビートルズは私の青春そのもの」と、ビートルズをリアルタイムで聴いてファンになった人々の多くはそう語ると思いますし、私のように解散後ファンになった者も同じ気持ちです。しかし世界中で、「ビートルズは青春の挫折のシンボル」として生きている人は、ピート・ベストただ一人だろう、と何かの記事で読んだ記憶があります。もしピートにドラマーとしての才能があり、リンゴと交替することがなかったら、ビートルズは全く違った形で世にでたことでしょう。
2005.05.07
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「LET IT BE」は、イギリスにおけるビートルズ最後のシングルとしてリリースされました。同名のアルバムはビートルズのラストアルバムとしてリリースされたのはご承知のとおりです。メジャー調なのに、どこか物悲しい雰囲気を持つこの曲、繰り返される「LET IT BE」という歌詞-「なすがままに」という日本語訳は、実は「どうにでもなれ」という意味で、グループ解散前に一人孤立していたといわれているポールの心情を表しているともいわれています。私がはじめてこの曲を聴いたのは、中学2年生ごろで、今から30年近く前。たまたまFMラジオでかかったのをカセットテープに録音し、繰り返し聴いた記憶があります。私が本格的にビートルズのファンになる直前でした。まだこの曲がリリースされた頃の状況も良く知らなかったので、単純にいい曲だなあ、と思って聴いていたのですが、やはりどこか寂しげな印象を与えるものであることはなんとなく感じていたように思います。そういう印象が、かえってこの曲に惹きつけられた要因だったのかもしれません。同じ年の秋、ビートルズの武道館ライブが来日以来ひさびさにテレビでオンエアされ、そのときビートルズのとりこになって以来、今日までビートルズを聴き続けています。
2005.05.04
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ビートルズが1966年6月末に来日し、日本武道館で合計5回のコンサートを行ったことはよく知られているところですが、2歳になったばかりの私には当然のことながら当時の記憶がまったくありません。私は関西在住ですが、実は以前の職場に武道館公演に行った人がいました。その人も大阪に住んでおり、当時高校生だったその人は、その頃付き合っていた彼女と二人で上京したとのことです。ビートルズファン=不良といわれていた当時、まだ高校生だったにもかかわらず、彼女と二人きりで東京まで出かけるとは、自分が高校生の頃を振り返ってみれば、奥手だった私からすればかなり進んでいたのだなあ、と感心してしまいます。いまではいいおじさんになってしまったその人ですが、武道館公演をみたということは一生の思い出になることでしょうね。
2005.05.03
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「MICHELLE」は、アルバム「RUBBER SOUL」に収録のナンバーです。フランス人の恋人への想いを綴るラブソングで、赤盤にも収録されており、人気の高いナンバーですね。私もお気に入りの一曲です。特にフランス語の歌詞の部分が渋くてかっこいいですね。私はフランス語には全く疎いのですが、あるインターネットの掲示板でその意味を尋ねたところ、一番はじめに同じ部分を英語で歌う歌詞(THESE ARE WORDS THAT GO TOGETHER WELL)とほぼ同じ意味であると教えていただきました。ビートルズの曲で、フランス語の歌詞があるのはおそらくこの曲だけですよね。残念ながらシングルカットはされませんでしたが、もしされていたら大ヒット間違いなしだっただろうといわれています。
2005.05.01
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「HEY JUDE」は、ビートルズ最大のヒット曲といわれています。ビルボード誌による全米チャートでは9週連続1位を記録、21週のランクインとなっており、発売された1968年の年間チャートでも1位に輝いています。また、1969年にイギリスで実施された「最も重要視するナンバー」でも、堂々1位となっております。この日記でも何度かふれましたが、私の一番好きなビートルズソングです。メロディ、歌詞、7分を超える演奏時間、延々とつづくかのような後半のコーラス・・・何をとっても新鮮で、素晴らしいとしかいいようがありません。この曲の発表当時、ジョンはヨーコに夢中になり、先妻のシンシアと離婚問題でもめており、寂しい思いをしていたジョンの息子のジュリアンを励ますための「応援歌」としてポールがこの曲を作ったといわれています。私も気分が落ち込んだときなど、この曲を聴いて元気をもらうことが今でもたびたびあります。もう30年近く聴き続けていますが、いまだにこの曲を聴くたびに心が洗われるような新鮮な気持ちになります。これからも一生聴き続けていくと思われる「HEY JUDE」、こんな曲にめぐりあうことはこの先もうないのではないかと思います。
2005.04.30
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ビートルズのベストアルバムとしては、赤盤・青盤や、ビートルズ1、パストマスターズVOL.1、2などがありますが、CD化されていないベスト盤として、「OLDIES」というアルバムがあります。1966年の暮れに発売されたこのアルバムは、それまでのビートルズのシングル曲でアルバムに収録されていなかったものを中心に編集されました。ビートルズというグループが存在しているときに発表された唯一のベストアルバムです。当時、レコード会社のEMIとの契約で、年に2枚アルバムをリリースすることになっていたそうで、1965年まではそれを忠実に守っていたのですが、66年は前半をアルバム「REVOLVER」の制作に全勢力を注ぎ、これを8月にリリースした後は、もう新しいアルバムを制作する余力がなかったため、ベストアルバムを発売することになったようです。収録曲の中に「BAD BOY」という曲があるのですが、この曲はビートルズの曲の中で唯一イギリスよりアメリカで先に発表されたものだそうです。ビートルズ初期の代表作を集めたこの作品、CD化される予定はなさそうですが、LPで聴いていた当時は、私のお気に入りの一枚でした。今となっては懐かしい思い出ですね。
2005.04.16
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ビートルズの初期を代表する曲で「SHE LOVES YOU」という曲がありますが、私がこの曲を初めて聴いたのは、エドウィンジーンズのCMソングとしてでした。もうかれこれ30年以上前になると思いますが、当時の人気番組「TVジョッキー日曜大行進」という番組のスポンサーであったエドウィンが流していたCMに、この曲が使われていたのです。ベッドから飛び起きた女性が、横から飛んできた(?)ジーンズを、音楽に合わせてお尻をふりふりはくという他愛のないものでしたが、出だしのフレーズが印象深く記憶に残っています。当時まだ小学生だった私ですが、このフレーズは強烈なインパクトとして残っておりましたが、この曲がビートルズの「SHE LOVES YOU」であるということを知ったのは、かなり後になってからでした。この「SHE LOVES YOU」に限らず、ビートルズの曲は、曲名を知らなくても曲のフレーズだけが頭の片隅に残っていて、はじめて赤盤・青盤をきいたときなど、「どこかで聴いたことのある曲だな・・・」と思うことが数多くありました。例えばデビュー曲の「LOVE ME DO」や「PLEASE PLEASE ME」、「PS I LOVE YOU」などは、三ツ矢サイダーのCMソングに使われていました(これも日曜日のお昼に放送していた「スター誕生!」のCMで流れていた。)。またCMではありませんが、現在もテレビ東京系で放映中の人気番組「開運!何でも鑑定団」のオープニングテーマに、「HELP!」が使われていたりしています。特にビートルズファンの方でなくても、知らず知らずのうちにビートルズの曲をあちこちで耳にする機会が多くあるということですね。みなさんも、印象深いビートルズのCMソングってありますか?
2005.04.02
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ビートルズいえばYESTERDAY、といわれるほど、ビートルズの代表曲になっているこの曲は、私たちの学生時代からすでに音楽の教科書に掲載されていました。カヴァーに取り上げられた数がギネスブックにのっているというように、今では世界中で知らない人がいないのではないかと思われるほど、広く知られている曲であります。夢の中でポールがひらめいた曲を、朝目覚めた後で書きとめたといわれており、朝食のイメージから当初「スクランブル・エッグ」という仮題が付けられていたといわれています。弦楽四重奏のストリングスを取り入れたアレンジは、曲のイメージにぴったりで、まさに名曲にふさわしい仕上がりとなっています。この曲はコンサートでも演奏されており、日本公演でも歌われていました。ストリングスの再現は不可能でしたが、ポールのボーカルは素晴らしいものでしたね。ビートルズファンの中にはあまり好まれない傾向にもあるようですが、私自身大好きなナンバーの一つですし、やっぱりビートルズを語る上で忘れられない曲の一つですね。
2005.03.27
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ネット上でたまたま、「HEY JUDE」のプロモーション・フィルムを観る機会がありました。やっぱり、素晴らしい演奏&曲ですね!久しぶりに観たのですが、またまた感動してしまいました。ピアノを弾きながら歌うポール、ジョンとジョージのコーラス、タンバリンとドラムスを叩くリンゴ・・・ビートルズの素晴らしいパフォーマンスが楽しめました。後半の長いコーラスも全然退屈しないで、いつのまにか一緒に口ずさんでいました。ビートルズ最大のヒット曲ということですが、そんなことは関係なく、本当に素晴らしいメロディだと思います。今日通勤電車で聴いたMDで、さっそく「HEY JUDE」を聴いている私でした。今まで一体何回くらい聴いたのだろう・・・でも決して飽きることのない曲です。
2005.03.25
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ここのところ、ずっとビートルズのアルバムについてのことを書き続けてきましたが、ほとんどそれも終わったので、今日は少し違う視点からビートルズの曲について書いてみようと思います。基本的にビートルズの曲はもちろんどれも好きなのですが、個人的にやはり中にはちょっと苦手かな・・・と思うものもありまして、それらの曲をここで紹介してみます。「LONG LONG LONG」:ホワイトアルバム収録のジョージの作品。ボーカルもいまひとつはっきりしないし、メロディもあまり好きになれない。ホワイトアルバムは全部で30曲収録の大作ですが、ジョージの曲はたった4曲しか収録されていません。そのうち何故この曲が選曲されたのかちょっと疑問に思っています。「YELLOW SUBMARINE」:レノン・マッカートニー作のリンゴがボーカルの曲でシングルにもなっていて赤盤にも収録され映画にもなっているおなじみのものですが、やはりメロディラインは退屈なものと思えてしまいます。「子供の曲をつくるつもりで作った」と作者のポールはコメントしていますが、ちょっとビートルズらしからぬ作品といえると思います。「REVOLUTION 9」:ホワイトアルバム収録のジョンの作品。ここまで前衛的な音楽だと、ちょっと凡人には理解不能であります。「I WANT YOU(SHE’S SO HEAVY)」:ABBEY ROAD収録のジョンの作品。歌詞もメロディもシンプルなものですが、それを延々と演奏し続けるところが、聴いているとつらく感じてしまいます。これらの曲が特別嫌い、というわけではないのですが、やはり苦手意識はぬぐえないところです。まあそれでも、あまり何度も聴きたいとは思わない、という程度のものですけれど。みなさんは、そんな「ちょっと苦手な」ビートルズソングってありますか?
2005.03.20
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2000年にデジタルリマスターされてリリースされたベスト盤です。赤盤、青盤の曲数を少なくし、1枚のCDに収めたかのような選曲内容ですが、珠玉のヒット曲が目白押しで、日本でも大ヒットしましたよね。改めてビートルズの作品群の素晴らしさに感動させられたアルバムです。個人的には、「PLEASE PLEASE ME」が収録されていないのが不満なのですが・・・あと、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」がないのも残念!でも、その他は収録曲の内容に大いに満足しています。やはり「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND」「YESTERDAY」「HEY JUDE」「LET IT BE」「THE LONG AND WINDING ROAD」など、珠玉の名曲が勢ぞろいしており、ビギナーからマニアまですべてのビートルズファンに聴いてもらいたい名盤だと思います。ザ・ビートルズザ・ビートルズ1<CD/洋楽>
2005.03.18
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ビートルズ解散後、ジョージ・ハリスンが中心となって収録曲が決められたといわれているベスト・アルバムです。この2枚組2セットにより、公式発表曲の4分の1がコレクション可能です。ビートルズ前期の作品を集めた「1962~1966」は赤を基調としたジャケットで、通称「赤盤」、後期の「1967~1970」の方は青が基調の「青盤」と呼ばれています。まさにこのアルバムを聴くことにより、ビートルズの歴史、その偉大な軌跡を追うことができるものです。赤盤のジャケットは、デビューアルバム「PLEASE PLEASE ME」と似ていますが、同一ではありません。青盤の方は、もともと発売中止となった「GET BACK」のジャケットとして使われる予定で撮影されたものでした。解散後にビートルズファンになった人は、大抵このアルバムから聴き始めるといわれているほど、ビートルズをまず知るために最も適した入門編というべき内容のものとなっています。私も中学生のとき、LPでしたが初めて聴いたのがこれらのアルバムでした。このアルバムを聴くたび、当時のことを思い出したり、その素晴らしい作品群に毎回感動したりしています。ザ・ビートルズ1962年‐1966年<CD/洋楽>ザ・ビートルズ1967年-1970年<CD/洋楽>
2005.03.13
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以前に取り上げた「YELLOW SUBMARINE」とは異なり、今回取り上げるのは1999年に完全版の映画「YELLOW SUBMARINE」のVHS、DVDが発売されたときに同時にリミックス&デジタル・リマスタリングされて発売されたCDの方です。収録曲はすべて映画で取り上げられたビートルズの曲で、映画が公開された当時にリリースされたサウンドトラック盤(B面にジョージマーティンオーケストラの演奏が収録されているもの)とはかなり趣きが異なり、ほとんどビートルズのベストアルバムのような内容になっています。公開当時、「Hey Bulldog」の演奏シーンはカットされていましたが、このときリリースされたものには収録されており、まさに「完全盤」といえる内容となりました。この曲のシーンがカットされた理由は、この曲が流れるシーンで登場する三つ首だか四つ首だかの怪獣(?)が、宗教的な理由とかでアメリカでNGとなり、日本でもカットされたものが公開されたためであるとのことです。個人的には、ビートルズの曲がより多く収録されているこちらの方が好きですね。純粋なサウンドトラック盤は唯一CDでは持っていないものであります。(LPは持っていました。)ザ・ビートルズイエロー・サブマリン~ソングトラック~<CD/洋楽>
2005.03.12
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ビートルズが後期に発表したオリジナルアルバム未収録のシングル曲を収録したものです。「GET BACK」「LET IT BE」はアルバムとは別テイクのもので、「ACROSS THE UNIVERSE」はイントロに鳥のはばたきが録音され、アルバムバージョンよりかなりアップテンポな曲となっています。ビートルズ最大のヒット曲である「HEY JUDE」が収録されています。私はすべてのビートルズソングの中でこの曲が最も好きで、もう何百回と聴いていると思いますが、何度聴いてもその素晴らしいパフォーマンスに魅了されます。7分を超える演奏時間も、あっという間に過ぎてしまいます。その他、「LET IT BE」については、聴くたびにその物悲しいメロディに心を揺さぶられてしまいます。作者であるポールの解散間近の心境がつづられた曲だと思います。この「PAST MASTERS」によって、ビートルズの公式録音された曲がすべてCD化されることとなりました。(後にアンソロジーに収録された「FREE AS A BIRD」「REAL LOVE」などは除く)ザ・ビートルズパスト・マスターズ Vol.2<CD/洋楽>
2005.03.06
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ビートルズの全オリジナルアルバムのCD化が済んだ後、アルバム未収録のシングルを中心に集められたベストアルバム的な内容のものです。一応前期の作品を中心とした「VOLUME ONE」と、後期を中心とした「VOLUME TWO」に分かれております。このアルバムでは、「LOVE ME DO」のイギリスでのシングルバージョン(リンゴがドラムスを叩いている…アルバム収録バージョンは、セッションドラマーがドラムを叩いており、リンゴはタンバリンを担当したそうです)や、シングルの代表曲である「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND」やそのB面収録曲、また「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND」のドイツ語バージョン(実際は上手なドイツ語ではないそうですが^_^;)、イギリスではコンパクト盤で発売された「LONG TALL SALLY」「I CALL YOUR NAME」「SLOW DOWN」「MATCHBOX」など、アルバムでは聴けない曲やバージョンが集められており、大変興味深い内容となっています。初期の代表曲である「SHE LOVES YOU」などは、これぞビートルズ!といったもので、いつ聴いても元気が出るノリのよい曲ですよね。ザ・ビートルズパスト・マスターズ Vol.1<CD/洋楽>
2005.03.05
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ビートルズ最後のオリジナル・アルバムですが、何度もいっているように録音は前作「ABBEY ROAD」の方が後になります。同名映画のサウンドトラック盤ですが、元々「GET BACK」という名でセッションを開始し、録音も終了したのですが、ビートルズのアルバムとしては出来が悪く、結局発売中止になってしまったものを、フィル・スペクターというアメリカ人のプロデューサーの手により、「LET IT BE」として完成した、という経緯があります。収録曲の「The Long And Winding Road」は、作曲者のポールの同意なしにフィル・スペクターによってストリングスをオーバーダビングされ、ポールのシンプルなイメージは壊されてしまい、このことがビートルズの解散の原因の一つともされています。個人的にはこの「The Long And Winding Road」も決して悪くないし、他にも表題曲の「Let It Be」や「Across The Universe」など名曲揃いですが、やはり全体的に「物悲しい」雰囲気が漂っているような気がします。それは、ビートルズ最後のアルバムというだけの理由ではないと思います。ザ・ビートルズレット・イット・ビー<CD/洋楽>
2005.03.04
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録音時期からすると、ビートルズの最後の作品ということもできるこのアルバムは、ビートルズの全アルバムの中で最高の売上枚数を記録したものであり、メンバーがバラバラになりつつある状況の中で、奇跡といえるほど素晴らしい内容に仕上がっています。特にアルバム後半(LPでいうB面)のメドレーについては、その展開の素晴らしさには目をみはるものがあります。ジョンとポールの作品はもとより、ジョージの作品2曲「SOMETHING」「HERE COMES THE SUN」はともに彼の傑作だし、リンゴの「OCTOPUS'S GARDEN」も、彼の最高傑作といえるものです。ABBEY ROADを横切る彼らの撮影したアルバムジャケットも、当時世間を騒がせていた「ポール死亡説」の証拠として物議をかもしたようです。(ポールが裸足で、目をつぶっているのは死を意味する、左利きの彼が右手にタバコを持っているのは別人であることを意味する、ジャケットに写るフォルクスワーゲンのナンバー「28IF」は、IF(もし)ポールが生きていれば28歳であるという意味である、等々・・・)私にとっても、このアルバムは初めて買ったビートルズのLPで、思い入れもあり、お気に入りのアルバムの一つです。(もっともビートルズのアルバムは、ほとんどお気に入りなのですが・・・(^^))「OH!DARLING」「BECAUSE」「SOMETHING」などが特に好きなナンバーですが、先ほども述べたように、後半のメドレーは、何度聴いてもただただ魅了されてしまいます。10年ほど前、ABBEY ROADの横断歩道を自分の足で渡ったとき、言葉にできないほど感激したことが今でも思い出されます。また機会があれば、ABBEY ROADを訪ねたいと思っている今日この頃です。ザ・ビートルズアビイ・ロード<CD/洋楽>
2005.02.27
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ビートルズを主人公にした同名アニメーションのサウンドトラック盤で、私がCDで唯一購入しなかったものです。(ただしアナログ盤は持っていました)A面にビートルズ演奏の挿入歌、B面にジョージ・マーティン・オーケストラの演奏という構成のこのアルバムは、A面のビートルズの6曲も、うち2曲は既発表曲で、純粋な新曲は4曲ということになっており、私自身あまり魅力あるものとはいえず、特にB面は1~2回くらいしか聴かなかったのではないかと思います。映画の方は結構面白いものでしたが(あのエリザベス女王のお気に入りとか)、アルバム自体は・・・という感じです。1999年にデジタルリマスターされて再販されたCDは購入したのですが、こちらはビートルズの曲のみの構成で、映画で使われた曲を収録しており、内容も良かったと思います。ザ・ビートルズイエロー・サブマリン<CD/洋楽>
2005.02.26
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このアルバムは全30曲、2枚組の大作で、白いジャケットデザイン故に通常「ホワイトアルバム」と呼ばれています。LPの方は、アルバム固有の通し番号が打たれていました。「SGT.PEPPER'S~」のトータルアルバムの対極ともいえるような、自由奔放にやりたいようにアルバムを製作した作品で、アルバムとしてのまとまりに欠けるという意見もありますが、私自身はそのバラエティに富んだ内容は、大変楽しめるものになっていると思います。このころから、グループのリーダーとしてポールがイニシアチブをとるようになったのですが、他のメンバーとしてはそれがあまり面白くないところもあり、メンバー間の軋轢も増えていったようで、レコーディングの間は緊張の連続だったようです。「BACK IN THE USSR」「OB‐LA‐DI, OB‐LA‐DA」「I WILL」「BLACKBIRD」「BIRTHDAY」「HELTER SKELTER」「SEXY SADIE」・・・等々、お気に入りの曲は数多くあり、個人的にも大好きなアルバムの一つです。リンゴが自作の曲(「DON'T PASS ME BY」)を収録したのもこのアルバムが最初でした。ただジョンの作品で「REVOLUTION NO.9」のような前衛的な音楽もありますが、この曲だけは苦手ですね。(-_-;)これは当時ヨーコの影響を受けたものといわれています。ザ・ビートルズザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)<CD/洋楽>
2005.02.20
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大作「Sgt. Pepper's~」を完成させた後、次に彼らが思いついたのは、テレビ映画を製作し、その音楽に自分たちの作品を使うということでした。テレビ映画の方は、特に台本も作らず、思いつきで撮影して1時間のものに編集するという方針だったようですが、そのテレビ映画に使われたのがこのアルバム(レコード)のA面に収録された曲でした。B面には当時のシングルを収録していました。もっともこれはアメリカでの話で、本国イギリスでは、映画挿入の6曲だけを一枚のレコードにするのは難しいということで、2枚組みのコンパクト盤(ドーナツ盤の大きさで、33回転で再生するもの)という変則的な形でのリリースとなりました。製作中にマネージャーのブライアン・エプスタインが死亡するなどというアクシデントもありましたが、1967年暮れのクリスマスに、イギリスBBCで無事放送されました。ところがテレビ映画の評判は散々で、ビートルズ初めての失敗とさえいわれたそうです。確かに特にストーリーらしいストーリーもないもので、いわゆるMTVのはしりみたいな作品となっており、当時としては早すぎたのではないかと思われます。音楽の方は、ビートルズの才能が更に開花したといっても良い名曲揃いだと思います。特にジョンの「I Am The Walrus」は、言葉遊びのような歌詞といい、メロディといい、傑作といっていい出来ばえと思います。私のお気に入りでもあります。LPのB面(CDでいう後半)のヒット曲集も、やはりジョンの作品である「Strawberry Fields Forever」は素晴らしい作品ですね。この曲が、テンポもキーも違う2つのテイクをつなぎ合わせてつくられたというのは有名な話ですが、ビートルズの才能はもとより、こういうことを可能にした音楽プロデューサーのジョージ・マーティンの手腕も優れたものだと思います。ザ・ビートルズマジカル・ミステリー・ツアー<CD/洋楽>
2005.02.18
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このアルバムは、一般的にはビートルズの最高傑作といわれています。コンサート活動を止め、その音楽活動の中心をレコーディングに重点を置くようになったビートルズの最初の作品として、贅沢にお金と時間をかけて製作された作品であります。トータルアルバムとして、「SGT. PEPPER'S~」という架空のバンドにビートルズが扮して演奏するというコンセプト、アルバムジャケットに集められた錚々たる顔ぶれの人々、ジャケットに収録された全曲の歌詞を掲載したことなど、斬新なアイデアがいたるところにちりばめられており、大変良く出来た作品に仕上がっています。当時彼らは「ドラッグ(いわゆる麻薬類)」の多大な影響を受けたとされていますが、収録曲についてもその影響を受けた作品が収められています。例えば、リンゴがボーカルをとった「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」という曲(作者はポール)の、「HELP」は友達から麻薬をもらうこと、という意味であるといわれていますし、ジョンの作品「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」の頭文字をとると「LSD」という、彼らが好んで用いていた幻覚剤の名前になることや、この歌はそもそも麻薬でトリップ状態になったときに見た幻覚を歌詞にしたという説もあるほどです。アルバムのラストナンバーである「A DAY IN THE LIFE」は、歌の雰囲気や歌詞の内容が麻薬を連想されるという理由で、BBC(英国の公共放送)から放送禁止とされてしまいました。ジョージの曲は、インド音楽を彷彿させる「WITHIN YOU,WITHOUT YOU」の一曲だけでしたが、当時のジョージがインド音楽に傾倒し、大きな影響を受けていることが窺いしれる大作です。アルバム自体はコンセプトのアイデアなど、ポールの影響を大きく受けたといわれており、ポール作の収録曲が群を抜いて多いことからもそのことは容易に想像できます。アルバムジャケットには当初マハトマ・ガンジーやヒットラーも載せる予定だったそうですが、さまざまな問題がありボツになったようです。また、アルバムに写っている「福助」は、日本公演のときに購入したものだとか。その他にも、ポール死亡説の根拠がいわれだした最初の作品でもあり、表ジャケットにおいて、ポールの頭にかざした手は死を意味するとか、黄色い花で形作られたベースギターは左利き用で、ポールの遺品であるとか、裏ジャケットではポールだけが後ろを向いているが、これは死を意味するなど、というのがありましたね。個人的には、素晴らしい作品であることは間違いないと思いますが、先に述べたようにポールの影響が強すぎるし(私自身どちらかというとポール派なのですけど)、世間でいわれているような「最高傑作」というほどではないかな、と思っています。まあこれは、好みの問題でしょうかね・・・ザ・ビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド<CD/洋楽>
2005.02.12
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このアルバムを製作以降、ビートルズはコンサート活動を一切しなくなりました。このアルバムを発売したとき、ビートルズは最後の全米ツアーの直前だったはずですが、このアルバムの収録曲でステージで演奏されたものは一曲もありません。当時の技術では、ステージでの再現は不可能だったのです。ステージでの再現不可能な楽曲を作るようになったことからしても、ビートルズ自身その活動範囲をレコード製作に重点を置くようになったといえます。アルバムジャケットのリトグラフも、写真を使わないものとして当時は大変斬新なものであったようです。アルバムトップにジョージの曲(TAXMAN)がフィーチャーされているのも、ジョージの曲が3曲収録されているのも、このアルバムが唯一でしたね。内容は益々ビートルズの才能が開花しており、素晴らしい楽曲が揃っています。「HERE THERE AND EVERYWHERE」「FOR NO ONE」「ELEANOR RIGBY」など、ポールの作品に傑作が多く、これらは私のお気に入りでもあります。アルバムタイトルはいろいろな案があり、かなり難航したようですが、最終的には日本公演に来たときに警備にあたった警官の拳銃に目が留まり、それにちなんで「REVOLVER」とつけられたそうです。ザ・ビートルズリボルバー<CD/洋楽>
2005.02.11
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ビートルズにとって、初めて独自のアルバムタイトル(「BEATLES」ということばをつけず、収録曲をそのままタイトルにしたのでもない)が付けられたこのアルバムは、ある意味でグループの大きな転換となった作品であると思います。この曲以降、スタンダードナンバーを取り上げることはなくなり、原則としてすべてオリジナル曲でアルバムを製作するようになりました。基本的にラブソングが中心ですが、その表現方法もかなり意味深なものとなり、BEATLESの世界が大きく広がった作品に仕上がったといえます。実際は発売日に間に合わせるため、かなりタイトなスケジュールで作られたようですが、そんなことは微塵も感じさせない素晴らしい出来上がりとなりました。私にとってもBEATLESのアルバムの中で、最もお気に入りのものであります。もしBEATLESがこのアルバムを発表する前に解散していたら、BEATLESの評価は、ただの人気アイドルグループにとどまっていただろう、とLP盤の解説書に書かれてあったと記憶しています。私のお気に入りの曲は、「MICHELLE」「IN MY LIFE」「YOU WON'T SEE ME」などですが、どの曲も素晴らしいものだと思います。特に「MICHELLE」のフランス語の歌詞は渋くて格好良くていいですね(^^)アルバムジャケットも、のっぺりした感じの写真で、かなり斬新なものでしたね。ザ・ビートルズラバー・ソウル<CD/洋楽>
2005.02.09
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ビートルズ2作目の主演映画のサウンドトラック盤で、前作の「A HARD DAY'S NIGHT」同様、前半(LPではA面)に映画の挿入歌、後半(LPではB面)にその当時に録音された曲を収録しています。映画の「HELP!」は、ドキュメンタリータッチの前作と異なり、ハチャメチャ系の娯楽コメディ映画となっています。前作との大きな違いは、カラー作品であること。映画の主役は前作に引き続きリンゴがつとめています。挿入歌にリンゴのリードボーカルの曲はありません。リンゴの指輪をめぐって追われるビートルズが、アルプスでスキーをしたり、カリブ海で海水浴をしたり、話の展開はかなりのものです。音楽の方は、「HELP!」はテレビ東京系の人気番組「開運なんでも鑑定団」のオープニングテーマにも使われているのでおなじみですね。(番組を見てる人で、この曲が「HELP!」であることを知らない人もいるかも・・・)実際にはこの曲は、当時のジョンの心情を歌った曲だったそうですが・・・挿入歌はすべて、覚えやすいメロディのいい曲揃いですね。特に「TICKET TO RIDE」は、映画ではアルプスでビートルズのメンバーがスキーを楽しむバックにかかっていたのが印象的でした。しかしLPの中で最も有名なナンバーは、後半に収録された「YESTERDAY」でしょう。この曲は他のアーティストが取り上げた回数がギネスブック載っているほどで、やはり名曲ですね。私の好きな曲でもあります。今では音楽の教科書にも載せられている曲となりました。ザ・ビートルズ4人はアイドル<CD/洋楽>
2005.02.05
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このアルバムは、ビートルズの全アルバムの中で、私自身少し地味な印象を持っています。イギリスのハイド・パークで撮影されたとされるアルバムジャケットも、晩秋をイメージするもので、世界的な名声を得た彼らが、自分たちを取り巻く環境の激変に少し疲れたような表情を見せているような気もします。オリジナル8曲、スタンダード6曲の全14曲ですが、日本公演でも歌われた「BABY'S IN BLACK」「ROCK AND ROLL MUSIC」なども収録されています。この時期にスタンダードナンバーが6曲と比較的多いのは、当時殺人的なスケジュールで忙しい日々を送っていたため、オリジナル曲をあまり作る時間がなかったといわれています。確かにジョージの曲は1曲もなく(リードボーカルをとっているのもスタンダードの1曲のみ)、あまり精力的にアルバム製作に取り組めなかった事情があったのではないかと思います。イギリスでのシングル発表曲は収められておらず、彼らのシングルとアルバムを別物として製作するという姿勢はこのアルバムでも見て取れます。私が個人的にお気に入りの曲は、ポールの作品である「I'LL FOLLOW THE SUN」で、先の「BABY'S IN BLACK」も好きな曲の一つですね。ちなみに、イギリス製作のLPが見開き型となったのは、このアルバムが最初でした。ザ・ビートルズビートルズ・フォー・セール<CD/洋楽>
2005.02.02
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ビートルズ初の主演映画のサウンドトラック盤ですが、実際には映画で使われたのは前半の7曲(LPではA面)で、後半(LPではB面)にはこの時期に録音された曲が収録されています。特徴としては1.すべてレノン・マッカートニーの作品である。特にジョンの作品が目立ちます。この時期、ジョンはビートルズとしての活動にかなり精力的だったようで、特に後半はほとんどジョンの作品で占められています。2.リンゴがリードボーカルの曲が一曲もない。映画では主役をつとめたリンゴですが、挿入歌では一曲もリードボーカルをとっていませんでした。(これは次の主演映画「Help!」もそうですね。)主題歌をはじめ、ジョンとポールのハーモニーが素晴らしい作品が揃っていて、なかなかの名盤だと思います。個人的には、「IF I FELL」や「AND I LOVE HER」などがお気に入りです。こんな文章を書いていたら、また映画を観たくなってきたなあ・・・ザ・ビートルズハード・デイズ・ナイト<CD/洋楽>
2005.01.30
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イギリスでのセカンドアルバムであるこの作品は、何と言ってもそのジャケット写真が有名ですね。メンバーの顔の半分のみが写るハーフシャドウのモノクロ写真は、マネージャーのブライアン・エプスタインも特にお気に入りだったそうで、自宅に飾られていたとのこと。全米のデビューアルバムとなった「MEET THE BEATLES」でも、全く同じ写真が使われていました。デビューアルバム「PLEASE PLEASE ME」がイギリスで29週連続1位だったのを、この「WITH THE BEATLES」が1位の座を奪い、その後21週連続1位をキープしたとか。原則的に当時のビートルズはシングルとアルバムを別物として製作していたようで、いわゆるイギリスでのシングルヒットは一曲も収録されていないのも特徴的ですね。それにもかかわらず、収録曲は全14曲ということで、彼らのレパートリーの広さが窺い知れる作品といえるでしょう。全14曲中、オリジナルは8曲、スタンダードナンバーは6曲ですが、スタンダードもビートルズが演奏して有名になったような曲も多いし、彼らの大物ぶりがよくわかると思います。また、ジョージの処女作(「DON'T BOTHER ME」)が収録されているのも特徴です。アルバム収録曲の中で、私のお気に入りは、唯一赤盤に収録された「ALL MY LOVING」ですね。社員旅行でこの曲を皆の前で演奏した経験があるのですが、(ちなみに私はボーカル担当でした(^_^))今となっては懐かしい思い出です。ザ・ビートルズウィズ・ザ・ビートルズ<CD/洋楽>
2005.01.29
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この「PLEASE PLEASE ME」は、本国イギリスでのファーストアルバムですが、その録音時間がたった1日だったということです。全14曲収録ですが、シングルになった「LOVE ME DO」と「PLEASE PLEASE ME」のA・B面を含んでいるので、全部で10曲を1日で録音したことになります。アルバムの一曲目の「I SAW HER STANDING THERE」のカウントは、実は別録りだという話ですが、この曲に代表されるように基本的にロックンロールを中心とした、荒削りだけど若々しいエネルギーに満ち溢れたアルバムに仕上がっていると思います。ラストナンバーの「TWIST & SHOUT」は、録音も一番最後に行われたとかで、ジョンの声がつぶれる寸前だったということです。いわゆるスタンダードナンバーも、どれもいい味を出していると思います。それにしても、1日でアルバム一枚を完成させるとは、今では考えられませんよね・・・ザ・ビートルズプリーズ・プリーズ・ミー<CD/洋楽>
2005.01.27
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1966年6月末~7月初め、ビートルズ待望の日本公演が実現しました。当時2歳になったばかりの私が、当時のことを記憶しているはずはありませんから、すべて後から聞いた話ばかりですが、当時の熱狂ぶりはすさまじいものだったようです。実は以前の職場で、ビートルズの日本公演を実際に見た人がいました。私は関西在住で、その人も大阪の人だったのですが、当時高校生だったその人は、当時の彼女と二人で武道館に行ったそうです。ビートルズのファンであるだけで不良と呼ばれていた時代に、まだ高校生で彼女と二人連れではるばる大阪から東京まで出かけたその人は、今から思えばかなり進んでいる人だったのでしょうね。自分の高校生の頃を思い返しても、女の子と二人ではるか東京まで旅行に行く度胸なんてとてもありませんでしたね。実際にビートルズの日本公演を武道館でごらんになった方には、あれからもう40年近い月日が流れ、今では素晴らしい人生の思い出となっていることでしょう。うらやましい限りです。
2005.01.23
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今日は大変疲れました・・・仕事が思いのほかハードだったし、何か体調も良くなかったし、もうボロボロって感じでした。帰りの電車で聴いたのはもちろんビートルズ。今日はアルバム「HELP!」でした。ビートルズのアルバムはどれを聴いても元気がわいてきますよねえ。また明日もがんばろう!という気にさせてくれます。今年になってから、「ABBEY ROAD」「REVOLVER」「SERGENT PEPPER'S」と聴いてきましたが、明日は何を聴こうかな。とりあえず「A HARD DAY'S NIGHT」にしようかな。また、明日出勤前に気が変わったりするかもね。さあ、明日もがんばろう!
2005.01.18
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本日、大学入試センター試験が行われています。私たちのころは「共通一次試験」と呼ばれていましたが、いよいよ本格的な受験シーズンの到来といった感じですね。私は一浪しているので、後がない浪人時代はかなりつらいものだったし、ゆっくり音楽鑑賞する時間もありませんでしたけど、「がんばって大学に合格すればまたビートルズが聴ける」と思いながら、日々勉学に励んでいたような気がします。何とかがんばったおかげで無事志望校に合格できたのですが、思い返せばビートルズが心の支えになっていたのではないかと思います。受験生の皆さん、ぜひがんばってこの試練を乗り越えてください。必ず春はやって来ます。またビートルズを好きなだけ聴ける日がやって来ますから、お体に気をつけて、悔いのないように全力で入試に取り組んでくださいね。
2005.01.15
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昨日、今年初めてビートルズを聴きました。聴いたのはアルバム「ABBEY ROAD」、ということで、このアルバムの一曲目の「COME TOGETHER」が今年初めて私が聴いたビートルズナンバーということになりますね。この「ABBEY ROAD」、ビートルズのアルバムで最も売れたものだそうで、以前にも書きましたが私が初めて買ったアルバムでもあり、個人的にも思い入れがあるものです。ジャケット写真が発売当時、ポール死亡説の証拠があるということでも話題になったようです。(アルバムの売れ行きにもかなり影響したようです。)主なものでも1.ポールの裸足は死を意味する 2.ポールが目をつぶっているのは死を意味する 3.左利きであるポールが右手にタバコを持っているのは彼ではない別人であることを意味する 4.フォルクスワーゲンのナンバープレート「28IF」は、「もし(IF)ポールが生きていれば28歳である」という意味であるなどなど・・・実際ポールの死亡説はデマだったわけですが、当時はかなりの騒動になっていたようですね。
2005.01.13
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皆さん、遅まきながらあけましておめでとうございます。年末年始は何かと忙しくて日記を更新できませんでしたが、今年もよろしくお願いいたします。タイトルには今年もビートルズを聴くと書きましたが、実は今年になってまだビートルズをほとんど聴いていません。結構聴きたくなる周期みたいなのがあって、またその周期に入ったときに聴きまくるようになるのではと思います。ところで、去年の年末にふと思いましたが、ビートルズのクリスマスソングってありませんよね?ジョンレノンが名曲「ハッピークリスマス」を書いていますが、ビートルズの作品としてのクリスマスソングって思いつかないのですが、ありましたっけ?また今年もビートルズを愛していきたいと思います。
2005.01.08
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ビートルズとは関係ないテーマですが、今夜はクリスマス・イヴということで、これにちなんだ日記を書きます。私は神戸在住。神戸のクリスマスといえば、「ルミナリエ」ということで、家族四人+娘の友達の合計五人で、行ってきました。まず6時過ぎに夕食にお寿司を食べた後、いざルミナリエ見物へ!今回でルミナリエは3回目なのですが、相変わらずすごい人ごみの中、子供たちが迷子にならないように、しっかり手を握りしめて行きました。しかし、例年に比べて、意外と混雑していないようで、(時間的に丁度空いていたのか?)わりとスムーズに見物できました。で、感想ですが・・・大変陳腐な言い方なのですが、やはりほんとにとっても綺麗でした♪素晴らしいの一言につきますね。最近各地で同じような電飾系のイベントが開催されるようになりましたけど、ルミナリエは阪神大震災の鎮魂を目的としてはじめられたイベントということや、今年で10年という節目でもあったので、子供たちにもみせてあげることができたのは、よいクリスマスの思い出になったのではないかと思います。もう子供たちは夢の中・・・さて、今夜サンタクロースは来てくれるのかな?
2004.12.24
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今日は、ビートルズの出演した映画について書いてみます。まずは、初の主演映画「A HARD DAY'S NIGHT」、「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」という邦題がついたこの映画は、日本のファンが「動くビートルズ」に初めて触れたものとなったようです。などと偉そうに書いておりますが、実は私はこの映画が製作された年に生まれたので、これらの話はすべて後から聞いたものばかりで、いわゆる受け売りですみませんm(__)m初めて私がこの映画を観たのは、テレビで放送されたものだったのですが、中2くらいの丁度私がビートルズファンになったばかりの頃に、たまたま地方のUHF局でやったのを観たのではないかと思います。(記憶が少し定かではありませんが・・・)以前にも書きましたが、家庭用ビデオが高級品で、もちろんレンタルビデオ店もない当時、この機会を逃したら次にいつ観ることができるかわからない状態だったので、確かテスト前だったと思うのですが、観てしまいました。4人の日常をドキュメンタリー風に描いた作品で、4人の若々しい姿を観て、ほんとに感激したことを覚えています。次に観た映画は「HELP!」(邦題「4人はアイドル」)この映画は、ジョンレノンが亡くなった年の暮れ、追悼特別番組として深夜に放送されました。ちょうど冬休みだったので、眠い目をこすりながら夜更かしして観ていました。前作の「A HARD DAY'S NIGHT」とは違いカラー作品でしたが、内容はいわゆるハチャメチャ系のコメディで、純粋に娯楽作品として楽しめましたが、前作とは随分作風が違う印象でした。ところで、次のビートルズ映画といえば何になるでしょうか?正確な言い方をすれば、4人が出演した映画としては、「LET IT BE」ということになるのでしょう。この映画もテレビで放映されたので観る機会はあったのですが、確か高校2年生の冬休みの深夜に放送されたので(午前1時ごろ始まったと記憶してます)ほんのさわりだけ観たのですが、眠気に負けてしまいました。(ビデオデッキがあれば録画できたのに・・・)現在、この映画のビデオあるいはDVDが正規に発売されていません。リリースされる噂は絶えないのですが、未だ実現に至っておらず、早急に発売されることを望んでいます。その他、映画ではないのですが、4人が出演したテレビ番組用に制作された「MAGICAL MYSTERY TOUR」があります。この作品は結局ビデオで発売されるまで観る機会がありませんでした。放送当時その内容を酷評されたそうですが、確かにMTVのはしりみたいなものなので、60年代当時ではあまりに早すぎたのでしょうね。最後に4人は出演していませんけど(正確にいえばエンディングに登場するのですが)アニメ作品の「YELLOW SUBMARINE」があります。これも高校生くらいのときに、地方のUHF局でたまたま放送されたものを観たのですが、結構面白かったです。何故挿入歌としてアルバムには収録されている「HEY BULLDOG」が映画で歌われていないのかは長年の謎だったのですが、1999年頃に「完全版」が再リリースされたとき、その理由がわかりました。「HEY BULLDOG」が流れる場面の映像で出てくる3つ首だか4つ首の怪獣が、アメリカでは宗教的な理由?とかでカットされたから・・・ということでした。今となっては、唯一観ていない「LET IT BE」のDVD化を心待ちにしているところです。
2004.12.18
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今「抱きしめたい」を聴きながら、この日記を書いています。改めてこのCDを聴く機会が意外となかったので、結構新鮮です。このCDに「Please Please Me」が収録されなかったのは意外に思ったのですが、これはアメリカでは1位にならなかったからでしょうか?曲は変わって「Can't Buy Me Love」となりました。この曲は全米のビルボード誌のヒットチャートでビートルズが1位から5位を独占したときに1位だった曲ですね。初期の頃の曲はどれも演奏時間が短いですね。今は「A Hard Day's Night」が流れています。リンゴが映画撮影時にふともらした言葉がタイトルとなったこの映画、リンゴが主役に選ばれたのは当時意外だったようですが、リンゴの役者としての才能も改めて認識されたものとなりました。ビートルズがメジャーデビュー直前にドラマーをピート・ベストからリンゴに変えたという話は有名ですが、もしリンゴがビートルズのメンバーになっていなかったら、ビートルズのその後の活躍も全く違ったものになっていたのでしょうね。今日は嫁さんは子供たちを連れて、近くの教会のクリスマス会に出かけました。今から私一人でビートルズの世界に浸りたいと思います。
2004.12.11
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ビートルマニアなら忘れられない日。1980年12月8日、ジョン・レノンがこの世を去った日。あれからもう24年・・・。当時高校1年生で期末テスト中でした。夕刊を先に見ていた兄に、「ジョン・レノンが死んだ」と聞いて、すぐにはとても信じられなかった。何かのデマか、ジョン一流のブラックユーモアか、とても真実とは思えなかったです。テレビのニュースや次の日の朝刊で大々的に報道され、ほんとのことだと知り、愕然としてしまいました。テスト中だというのに、学校ではその話題で持ちきりでした。今年私はジョンが亡くなったときと同じ40歳になりました。改めて、ジョン偉大さを感じるこの頃です。
2004.12.08
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1993年秋、私は長期海外出張に行く機会に恵まれました。3ヶ月の予定で、カナダ・ヨーロッパ・オーストラリアなどを歴訪するものだったのですが、ヨーロッパ滞在中にイギリスに立ち寄ることができ、永年の念願だったロンドンとリバプールにも訪問しました。ロンドンでは出張の空き時間を利用して、「ビートルズのウォーキングツアー」なるものに参加し、徒歩と地下鉄でゆかりの地を訪問しました。ハード・デイズ・ナイトのオープニングシーンで使われたマリルボーン駅、「PLEASE PLEASE ME」のジャケットが撮影されたEMIハウス、ジョンとリンゴが暮らしていたフラット、その他もちろん世界一有名な横断歩道「ABBEY ROAD」にも立ち寄りました。「ABBEY ROAD」は結構車の交通量があり危険なのですが、横断中の写真を撮る人が後を立たず、またドライバーも心得たもので、スピードを落としたりして気を使ってくれるのです。(私は横断中の写真は撮らなかったのですが・・・)また「ABBEY ROAD STUDIO」の外壁には、世界中から集まった若者たちのビートルズたちへのメッセージが描かれており、改めてビートルズ人気のすごさを思い知りました。リバプールの方は地元のバスツアーに参加し、各メンバーの生家やストロベリーフィールズ、ペニーレインなど、やはりファンには見逃せないところに行けて、とても感激ものでした。もう一度ロンドンやリバプールを訪問することができたら、ぜひこれらの地にまた行きたいと思っています。
2004.12.04
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