2006年02月13日
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角田光代さんの最新紀行エッセイ「いつも旅のなか」を読み終えて、
酒井順子さんの2000年7月に書かれた「観光のたのしみ」を続けて読んでいたら・・。

どちらの本にも、旅と読書の共通項について、巻末のほうで触れている文章が出て来たので、くすりと笑ってしまった。

言うまでもなく、
角田光代さんは去年のちょうど今頃に直木賞を受賞なさってるし、
酒井順子さんといえば、「負け犬の遠吠え」の著者として、
国会までも巻き込むような大旋風を起した張本人。



☆セーヌ川にかかる現在のアルマ橋周辺には1820年頃まで人がほとんど住んでいなかったため、両岸を結ぶ交通手段は何もなかった。しかし、1855年のパリ万国博覧会のため架橋されることが決定し、1854年に工事を開始したものの万博には間にあわず、1年後の1856年に完成。
この橋の右岸側に、Bateaux-Mouches(バトームーシュ:セーヌ川遊覧船)乗場がある。約75分でセーヌ川をひとまわり、セーヌにかかる数々の橋を水面から見るのも楽しい。エッフェル塔を間近に見る橋のたもとから、いろんな種類の遊覧船が優雅に発着する姿は、時間を忘れさせる。


不可思議なぞうさんのはながいっぱい


(たまに、錯覚してるひとも居るけど。汗)

いかに深く感じたか、そしていかに変わった思い出を持っているかが、旅の、そして旅人の価値を決める基準になったり、します。
だからこそ、誰もが旅先で、下品なほどに思い出漁りをしたりする。
そして帰って来てから、思い出を見せびらかそうとする。

そこで、酒井順子さんの本では・・・

しかし、どんな旅行でも「思い出」をつくることが出来るなどと思うのは、大間違いで、「旅行中はそれなりに楽しかったが、帰って来てしばらくすると、どこに泊まったかも何を食べたかもすっかり忘れてしまう」のが、普通の旅行。そして私は、旅行などそんなものなのだと思う。
その点で、旅行は読書と似ています。

本も、実際に読んでいる時は「ああ面白い」と思っても、読み終えてしばらくすると、主人公の名前もストーリーも忘却の彼方へ。あとで同じ本を途中まで読んで「あれ?どこかで読んだことがあるような・・」などと、思って再読であることに気付いたりするものです。
そのあまりの忘れっぷりに、「こんなにすっかり忘れていて、私が読書する意味ってあるのだろうか?」と非常に不安になるらしい。

旅行にしても同じで、数年前のヨーロッパ旅行の記憶には、美術館や博物館、教会だの遺跡のことは一切残らず、鮮明に覚えているのが汚いトイレや、それに付随した便秘のことだったり、する。

人力車も走る小樽

旅と読書の共通点はまだあって、

「何かが見つかるのではないか」とか、
「人生が変わるのではないか」といった、
過剰な期待がかけられやすいこと。

でも、そんな奇跡は滅多に起こらないということも、両者に通じるのにね・・。

角田光代さんにとって、「旅することは、数少ない私の純粋趣味」ということ、らしい。(「いつも旅のなか」あとがきより)


旅は読書と同じくらい個人的なことで、同じ本を読んで感動する人もいればまったくなんにも感じない人がいるように、同じ場所を旅しても、印象は絶対的に違う。
ときとして見える光景すら違う。

さらに読書よりもっと刹那的だ。
去年旅した同じ場所を、今年になって訪ねてみても、見えるものも印象も出会う人も、確実に違ってしまう。
旅は一回こっきりだ。
終ってしまったら、その旅はもう過去になる。
二度とそれを味わうことはできない。

旅の思い出を、しずかに噛み締めることくらいは可能だけど。

せつないなあ。

でも、そのとりかえしのつかない「せつなさ」が良いんだけどね。






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最終更新日  2006年03月16日 09時21分52秒
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