セレンディピティ

セレンディピティ

年表

日本人=アキヒ族=東夷=シュメール民族

(ウガヤ王朝を構成する人々)

アッカド人(イザナギ族)

月氏=サカ族=蘇我氏 

フェニキア人=エビス人             

アラム族=匈奴


紀元前

◆前1万5000年
氷河時代の寒気の影響は、南西アジアの中心部まで及んでいた。
東部地中海は北東からの高気圧性の風の影響下にあり、スカンジナビアと
シベリアの氷床上にある高気圧団の風は、季節によっては雨を齎すものの
全体的には乾燥しており、半乾燥気候と呼べるものであった。

氷河時代末期の狩猟集団の多くは、レヴァント地方に十数名規模で住んでいた。
冬には湿って寒く、夏には乾燥した暑い日々を、生物の最も豊富な海岸
沿いの地帯で過ごした。4月~6月は種子類が豊富で、9月~11月は果物
の季節であった。

動物類は、レイヨウ、ガゼル、オーロックス、鹿、イノシシで、気候が乾燥
し過ぎていたので、植物性食物の重要度は低かった。


◆前1万3000年~1万1000年
氷河時代の大型動物がいなくなるにつれ、植物性食物を重要な常食の一部に
するようになる。太古の湖の花粉資料から、この時代は温暖になりドングリ
の実るオークの森が急速に広がったことがわかるという。
それまで地中海沿岸のケラバ洞窟等に住んでいた人類は、大温暖化とともに
レヴァント地方からネゲヴ砂漠シナイ半島、ユーフラテス川、アナトリアまで
活動範囲を広げていった。

彼らは、小さい狩猟集団ごとに暮らし、広大な狩猟領域を利用して、道具は
細石器だけでおもにガゼルを食糧として植物性食物は殆ど食べなかった。

イスラエルのスクバ洞窟近くのワーディ(枯れ川)・エン・ナトゥフの遺跡から、野生の
穀物の刈り入れに使われた骨製の柄に鋭いフリントの刃付きの鎌や
木の実を 砕くための擦り石と擦り台などの人工遺物が見つかった。

イスラエルのフーラ川流域にあるマラハ遺跡のゴミの山からはハツカネズミ
が大量に見つかり、そこに定住地が存在したことがわかった。丘の斜面を
壇上にならし、家を建て貯蔵用の穴倉を掘ってつくった村は、1000平方
メートル以上に及んだという。

ドングリとピスタチオが充分すぎるほどの余剰食糧をもたらしたので、
共同体は一箇所に長く留まれるようになって定住化するが、それは、
かつての柔軟性と移動性にとんだ狩猟生活とは全く異なるものとなった。

◆前1万1000年 ヤンガー・ドリアス期:極寒の世界
植物性食物の豊かな時(前1万1500年)から悲惨なヤンガー・ドリアス期に
跨る遺跡としては、シリアのユーフラテス川沿いに11.5ha規模のアブ・フレイ
ラ(1)遺跡がある。

住居跡の灰と砂土からは、150種以上の食用植物の種が見つかり、当時は
ピスタチオ、ブラックベリー、プラム、セイヨウカリンなどの生える森が
歩ける距離にあり、ガゼルなどの食肉資源も手に入ったので、3~400人規模の
集落を500年も形成できたが、急激な寒冷・乾燥化で前1万年頃にその村を放
棄せざるを得なかった。


◆前1万年頃            カルメル山の周辺に大麦や小麦の先祖の野生種が自生し、

                 動物の骨の柄に石の刃を埋め込んだ原始的な鎌で採取し始める。

                 まもなく栽培農業に発展し、



◆前9500年頃 プレ・ボレアル期(再温暖化):農耕の伝播
同じアブ・フレイラ(2)遺跡に再び定住地が出現するまでに500年の時が流れる。
遺跡から発見された女性の人骨から判明したのは、爪先立てて跪いて身を屈
めた作業特有の症状(爪先の変形と腰の関節炎)から、体重をかけた穀物挽
きを長時間にわたって行っていたということ。

穀物と木の実を加工する骨の折れる食糧加工の仕事は、女性を定住地に縛り
つけ、狩猟採集社会を特徴づけてきた移動の連続の暮らしを終わらせた。
それでも、最初の700年間は、男たちは春になるとガゼルを大量に仕留めてき
た。ところが前9000年頃には、村は突然ヤギとヒツジを飼うように切り替えら
れる。農耕・牧畜の黎明である。


◆8000年頃                  世界最古の町エリコで            世界最古の農業が始まる。

◆4000年頃         ラピスラズリ(宝石)を商うサカ族と月氏の遂商が馬や船によって

              スサからウルに入った。

◆3800年頃        古代バンチェンに青銅器文化起こる。回転印象、蚕による絹織物、文化栄える。

◆3700年頃        バビロンのジックラトにいた 4氏族 が移動を始め、氏族の長である苗族とナーガ族、移動する

 黄きゅう氏(こうきゅうし)

                              青氏(チュルク族)

             白巣氏(シュメール系初期エジプト族)  

             黒巣氏(インドに南下したシュメール系ドラヴィダ族)


(苗族)天山州~ウラル山脈北上~極北~アルタイ山脈~中国雲南~タイのバンチェン

                              (ナーガ族) 苗族と極北まで同行、2派に 別れ、アフガニスタン~インダス河谷流入。

             彼らはアスラ族 と呼ばれ、ドラヴィダ族とに古代インダス文明の基礎を築き

                            焼きレンガの伝説の都、バタラから出発し、幾つかの都市国家を作り、

                              「壇君教」を奉じる集団となり、バンチェンに入り、

                            再び苗族と合流して黒陶文化を展開させた。(バンチェン文化)

◆3500年頃         バンチェン文化を展開したシュメール人がメソポタミア及びエジプトで古代文明を開く。

                              ウルもウルクも牛のこと、大事なものとした。

                                農業の手助け、牛を有り難いと思った。

                                メソポタミアには産物が無い。他所から持ち込んだ。

                 倉庫、はかり、分銅、何をどれだけ預かった。記録のために楔形文字の発明

◆3000年頃         カスピ海周辺の出自のアッカド人サルゴン(史記の黄帝)王朝は、民族移動の後、

◆2350~1700年頃        インダス渓谷を支配・・・インダス文化

◆2360~2180年頃        バビロンを支配

               シュメールのアッカド王(黄帝系)とラガッシュ人(ニギハヤヒ)、は、インダス亡命後、

                                  祖地でウラルトゥ国を造りアッカド人の王の世 襲名アマテラスになった。

                              アッカド人と共にインダス渓谷に亡命したウル人は、その後、チベットで月氏になった。

◆2004年頃        
                                シュメル文明はに、北西セム語系遊牧民のアムル人により滅ぼされた。

                                  滅亡の原因は、耕地の塩化現象でラガッシュ で麦の収穫量が40%減少したこと、

                            都市への人工移動で、農村の荒廃が起こったこと。

◆1530年頃        
                          月氏族は、カッシト人ともいい、ヒッタイトがバビロニアのハムラビ王朝を倒した後

                                カッシト王朝」を造り、後世「カルデア」と、呼びました。この内一部の人々が

                                ペルシア湾を渡ってサカ族となり、扶余国を建てた。

              他の一部人々がバーレーン島を根拠地として海の国を作りアッカド人とシュメール人が

                              建てたイシン王朝と連合していた。

              シュメールのウル人→月氏→この後匈奴に破れ、大月と小月に分かれる。

                                 大月氏+スキタイ→クシャン王朝→シルクロード(中国経由カルデア人)サカ族→

                                    藤原氏(スキタイ)大月氏(蘇我氏)

                              小月氏(カッシート)朝鮮半島経由→ウラルトゥ→扶余→蘇我氏


◆1300年頃           エビスの命は、カナンのエブス人の王で、フェニキア船団によって北九州に上陸して

                              宇佐八幡(東表国)に大製鉄所を造り、イシンの植民地、中国大陸に「殷」を作った。


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