ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Mar 1, 2006
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カテゴリ: 映画、テレビ
 今度の日曜日は米アカデミー賞の授賞式。僕は最近映画を観ていないので、ノミネートされてる作品も俳優も全然知らないのだが、今年もたぶん式の生中継は観てしまうと思う。式自体をひとつのエンタテイメントとして楽しむことができるし。

 いつも感じるのは、このようなショーの司会はどうあるべきかということ。日本と異なり、司会はたった一人であることが多いから、ショーの良し悪しは司会者(ホスト)の腕にかかっている。相方がいるわけじゃないので、観客に向かって一人でしゃべり続けるしかない。かと言ってべらべらしゃべりすぎると、客は興ざめするだろう。(ジョークとアドリブは歓迎されるが。)

 不思議なことに、この国の場合、式の司会者は受賞者に対して受賞の感想を直接聞いたりは決してしない。まして感激して一緒に泣いたりなどしない。受賞者はスピーチ以外のことはせず、司会者は進行以外のことはしない。

 一方、日本の場合、司会と言えば男女ペアが基本。メインの進行係と「コメンテーター」数人という設定も多い。司会者どうしで「ボケとツッコミ」をするのがひとつの手法にもなっている。NHK紅白歌合戦にいたっては、総合司会、紅組司会、白組司会、それに紅組キャプテン、白組キャプテンの、合計五人で進行していたように記憶している。当然、喜びや悲しみは司会者を含め出演者一同で分かち合う。

 僕はこてこての日本人なので、日本式の良さは理解できる。
 ただ、例えば、スタジオの司会やタレント数人が、直前に流れたVTRについてコメントするような設定の場合、妙に歯がゆい思いをすることがある。我々視聴者が何となく感じていることをずばり代弁していただいてすっきりする、共感できると思うこともあるが、こちらが自分の感想を自分の言葉で表現しようと努める間もなく、「正しい感想とはこうあるべき」と公に提示されてしまったようで、損した気にもなる。
 また、お茶の間の一般人と同じような素人じみた感想を言うだけなら、そういう出演者は不要だと思う。

 日本のテレビで、僕の好きな司会者は一体誰だろうかとふと考えてみる。番組の設定として好きなのは、何を隠そう「徹子の部屋」(笑)。演出を最小限に抑え、「観客のおおげさな笑い声」とか「コメンテーターの知ったかぶった解説」がないのがプロ根性に徹してて潔い。
 「世界ウルルン滞在記」などは素晴らしい番組だと思うのだが、スタジオで余計なコメントをする人が多すぎて、せっかくのVTRの内容が台無しになってしまってると感じるのは僕だけだろうか。(← はい、あなただけです。)





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最終更新日  Mar 4, 2006 08:57:22 PM
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