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Oct 2, 2005
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カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #12(舞台)

『もの凄いイエ』

10月1日 芸術創造館 ソワレ


「ニート」の謳歌


やっぱり…。そんな印象の舞台だった。


住民が減少し立ち退きを余儀なくされた集合住宅の一室を舞台に、日常的台詞が応酬される。その言葉は大阪弁。もう何回、こういったシチュエーションを目にしただろう。早い話、身の丈に合った人物(日常の人物)の機微を通して物語られる社会の暗部のあぶり出しという趣向はこのところ小劇場でよく上演されるが、どれも画一的で私は良しとしない。


この舞台はドラマ構造が1元的であるため余計に陳腐になっている。ストーリーは立ち退きを余儀なくされたにも関わらず、今だ住み続ける住民(男3人・女2人)の謎に、取材に訪れたフリーライターが直面するというもの。その理由は、かつての住民に自分の住む場所は自ら選ぶ権利があることを主張した者がいて、その姿勢にいたく同調したからである。その人の信念を貫き通すために何があっても立ち退かないというのだ。しかし、その人、前田さんなんて人は実はいない。在るのは「マネキン」のみ。つまり、彼らは住み続けるための口実に、いもしない人物を共同幻想化し神格化することでかろうじてアイデンティティーを保っている存在なのだ。


彼らは働きもせず、小さなコミュニティーであるこの住宅を守ることにのみ躍起になっている(例えば、中学生が遊びに来れば追い出し、他人が入ってこないように多くの罠を仕掛ける)まるでそのために彼らはニートにならざるを得ないと主張するかのように。だから、そこに引っ越してきたライターが取材のためであることが判明すれば、とりあえず排除に向かう心理が働くことも理解できる。前田さんがただのマネキンであることを突き止めたライターだが、逆に新たな前田さんとして部屋へ閉じ込められてしまう。住民達は、前田さんがマネキンから生身の人間に格が上がったことに大きな喜びと達成感を得る中、終わる。


この舞台の最大の欠点は、ニートの側しか描いていない点である。ニートの謳歌で終わっても、「だからどうした」と言うしかない。ニートの現状や生態を描いたのだとしたら、そんなことは既にテレビや新聞で知ってことである。フリーライターは現実を見ない住民を変化させるべき人物であるのに、取り込まれしまって意味を全く成さない。戯曲に仕掛けやドラマがないのでは面白いはずがない。途中、「イエ」がモチーフな所から安部公房の『赤い繭』のような寓意劇も期待したのだが。


80万人以上いると言われるにニートだが、実情は個々異なりニートにならざるを得ない人も大勢居るはずだ。そういうことも取り上げず、ステレオタイプ的にしか捉えられていない。これでは、演劇をする若者も「いつまでも夢ばかり見ないで働け」、「ただ遊んでるだけじゃないか」と芸術の本質を見ないで嫌悪する大人の文句に加担するに等しいではないか。


ニートがニートの舞台を創る。最悪な円環である。そうならないために、確かな批評眼がこの手の舞台には要求される。





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Last updated  Apr 11, 2009 02:59:25 PM


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