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松井周は『ユリイカ』(2005年7月号)に青年団を筆頭に、チェルフィッチュ、ポツドールといった新しい世代の演劇は、新劇的な内面重視の作品を志向することではない「人間を一度、ヒト科の動物として捉えなおし、その習慣や反応などの『外面』を観察」するような舞台を上演していると述べる。そういった演劇の代表者である平田オリザは「役者は戯曲家の設計図の中で生きる存在」であると考えた。岡田利規も「日常における身体は、演劇の身体としてじゅうぶんに通用するだけの過剰さをすでに備えている」ため、改めて虚構を生きるための身体を創る必要がないと述べる。劇作家が戯曲として用意したハコに役者たちを置いて対話させることで、人間はどういう反応をし、どういった感情示すのかをつぶさに、ありのまま観察しようといういわば動物実験場がこのような舞台の特徴ということなのだろう。吉祥寺で青年団『ソウル市民』を観劇した後、新宿でポツドール『恋の渦』を観劇した。この2本の舞台を通して見えてくるのは、世界をより「リアル」に描くために平田オリザが提唱し実践した現代口語演劇が、『ソウル市民』初演から十数年を経た今、すっかり定着したという事実、そしてそれ故に現代演劇の保守本流にまで駆け上がっていったこの理論が瀰漫させた大いなる影響というものを直接受けたとは言えないまでも、ポツドールの舞台からは現代口語演劇が行き着くところまで来てしまったのではないかという思いである。