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Feb 1, 2007
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カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #54(舞台)

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桃園会


1月28日 AI・HALL マチネ


桃園会


オムニバスが投げかける波紋


短編の連作を縒り糸のようにして一本の大きな枠組み=思想を開示させるのが、オムニバスによる作品創造の意義だと言える。その思想とは作家のものでもあったり、それをも含む劇団総意の現時点における問題意識の表れを体現するものであったりするだろう。短編の連作とはそれらを提示し発展させ、応用させていくという段階をはからずも示すことになるだろう。もっと踏み込んで言えばその段階とは、あたかもその場にいる観客にリアルタイムな「その時」という時間と、思考の場を開示させて、共同創作へと導くものとして作用するものだ。もちろんオムニバスに限ったことでなく、芸術と呼ばれるものの幸福な形がそこにあることは言うまでもない。しかし、例えば「踊りに行くぜ!!」のように全国規模で予選会を行うまでになった近年はやりのコンテンポラリーダンスでは、数組のダンサーが共演することは今や常態化している。これも一種のオムニバスと見てよいだろうが、ダンスという共通コードとしての形式がそこにはあるだけで、詰まるところは個々の出来の良さを基準にするしかないところに、オムニバスというには小品の寄せ集めな感が否めない。


桃園会公演『月ト象ノ庭、或いは宵の鳥、三羽』は、この劇団にしては通りが良く比較的分かり易い。過去に上演した作品に新作の一本を加えた男女の愛を巡る恋愛短編三作。今作の深津篤史の筆致は、マンションの一室で交わされる男女の複雑な三角関係を浮き彫りにする極めて日常的な風景の一コマ(「月灯の瞬き」)から、出ていった妻の後、バスタブで生活するようになった夫の話(「コイナカデアル」)、宇宙人の女性と共同生活する男の恋愛話(「夜毎の鳩」)に至り、しだいに演劇的手法を逆手に取った設定へと緩やかなグラデーションを描く。それ故にいつものような、冷徹な視線を徹底して注ぎ、観る者の心身に揺さぶりをかける不安感の極北のような劇世界は抑えたものになっていた。とはいえ、上記に記したように提示、発展、応用という縒り糸を合わせるように螺旋上昇していく劇世界の妙にこそ短編連作の真髄があるのだとすれば、その条件には十分合致する作品であった。


しかし、冷徹で奇妙な空白感が漂う桃園会のエッセンスは失われていない。舞台空間にはテーブルや椅子、ゴミ箱といった必要最小限の道具しかなく、あとはひときわ目立つ衝立によって構成される。それはまるで、宇宙空間の中に投げ出され何ものの力学にも左右されない世界として環を閉じているよう。広い空間の上方を上手から下手へ一本の糸が張られていることが、そういったことを私に連想させるのだ。別の所で私は糸と空間の関連性を以下のように記した。
「漠然とこの2本の糸がキーワードになるだろうことは用意に想像できる。(注・前回公演 『もういいよ』
先に記した「奇妙な」とは、「平面」=私の日常という極小さと「球体」=地球・宇宙空間という極大さが同時存在することで生じる、限りなく不安定で不確かな、空白や浮遊感としか言いようのない世界のことである。日常の背景に地球、またその背景に宇宙があることを意識させるだけではこのような感覚は得られない。我々の住む世界は、そのような統一的世界をもはや想起し得ないのだ。桃園会のユニークさは、作家の描く物語性の突出だけではなく、不安定な現実感覚をそのまま提示する特異な空間構成にその一端がある。


舞台が始まると、水の音ともう一つ得体の知れない物の音がかすかに聞こえていることに気付く。開演してからだったかもしれないし、それ以前から流れていたのかもしれない。それは第一話の途中で、洗濯機の音とおけらの鳴き声だと気付く。聴覚を刺激する導入部は、日常耳にする音がひたひたと醸し出す不気味さを演出する。第二話では衝立を舞台前面に持ち出し、家と化したバスタブの中で知人夫婦を招いて喋るという、視覚を刺激する絵画的構図は見事なタブローとなっていた。第三話に至っては、パ行が聞こえた途端腕を挙げてしまう宇宙人達の習性がアンサンブルとして決まった瞬間、私たちは想像力の触手を劇中の男と共に開示されてしまい思わず笑ってしまうのだ。このようにポイントを挙げていっても、思想とまではいかなくとも、単なる短編の集積に留まらないある種の妙が増していく過程を私達は追っていくことになる。そうであるが故に第三話のラスト、宇宙人が長い本名? を打ち明けるために男に耳打ちしている最中に絶命し、強い照明の中で男に抱きかかえられるシーンのカタルシスに説得力が出るのだ。しかし、男女の関係が決して成就されることはない。関係の不成立はいずれの短編にも当てはまることであり、ここでのカタルシスはメロドラマ調のそれではなく、温かみを感じさせながらも、存在の不合理さをより際立たせる。空間認識同様、この幅の広さに桃園会の劇世界の肝が潜んでいると言えよう。


関係の不成立で言えば、それの最もよく表れているのは第一話のタバコを巡るやり取りである。男がタバコを切らした女のためにタバコを買ってくる。そのタバコは単なる遣い以上の意味がある事を知ったもう一人の女は、持ち帰られなかったタバコを見て「もったいないけど捨てるね」と男に告げてゴミ箱へ投げ入れる。その行為それ自体と、モノが発する音がこのうえなく冷たい感覚を抱かせ、また度々吸われるタバコの紫煙に人間存在の希薄さが表出されており、ひやりとさせられる。

三つの短編が形成するアンバランスな劇世界は私達に決して小さくない波紋を広げた。





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Last updated  Aug 2, 2009 03:26:36 PM


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