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この作品だけではなくて、この前に上演されたDIVEプロデュース「中島陸郎を演劇する」も含めてのことなのだが、中島陸郎氏に捧げるというオマージュの気持ちはわかるのだけれど、どうしても違和感のようなものを感じてしまった。というのは、見られなかったけれど作品のリーディングをはじめ、この岩崎作品でも作品の一部を引用していたが、その紹介のされ方が劇作家・演出家としての中島氏の業績に偏っていて、「本当に彼の業績を顕彰するとしたら、それはプロデューサーとしての仕事であって、作家としてのそれじゃないだろう」と思ってしまったからだ。 『中西理の大阪日記』「違和感のようなものを感じた」のは私も同じである。が、中西の抱いたものとは異なっている。中西の視点は、「劇作家・演出家」へのオマージュが過ぎていることにあるが、当演劇祭は、中島氏が何を関西の地へ齎し、自分たちは氏から何を吸収したのかを内省するほとんど初めての場であり、それを舞台上演という形で行おうとするからには、「劇作家・演出家」として中島氏の書き綴ったものをテクストにすること自体は演劇人として真摯な取り組みであろう。また、氏のプロデューサーとしての側面しか知らなかった者にとっては深く氏を理解する機会にもなるため、むしろ自然な流れではないだろうかと思うのだ。別段、この場合は劇場獲得運動といった環境整備ではないのだから、舞台創作なら氏と同じ土俵に立つべきだ。中西は、顕彰すべき「中島氏のプロデューサーとしての最大の功績で、今回の精華演劇祭が中島氏の「没後10年に捧ぐ」というのであればそういうところを顕彰するような企画にすべきではないかと思うのだが」と記す。私は参加しなかったが、中島氏にゆかりのある演劇人を呼んで、氏が生きた時代別に3度の シンポジウム を催したり、経歴や人柄をフォローする 展示や前夜祭 も用意周到に用意されている。そこでは、中西も触れるプロデューサーの側面はもちろんのこと、最初期に月光会という前衛集団を率いて実験的な舞台活動をしていたことも含め、中西が要請するオマージュを多面的に語る場が用意されている。繰り返すが、その上で、氏への理解や検証に留まらず、いかに中島陸郎という男を乗り越えるかという挑戦の意志がたとえ萌芽としてでもいい、あったのかどうかを問うべきであろう。私の関心はソフトパッケージ云々よりもその内実において、中島氏の手の内から飛翔しようとしたかどうかにあるのだ。玉虫色の危うさはこの文脈での問題である。そのことを、『中島陸郎を演劇する』のラストシーンと劇団太陽族の『足跡から明日を』のある場面に絞って見てみたい。 (その2) へ続く