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Apr 24, 2009
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カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #95(舞台)

悪い芝居

4月19日 ART COMPLEX 1928 ソワレ

悪い芝居


後退する挑発


この集団の作品は常に、舞台と観客とが馴れ合う演劇の悪しき非生産的微温関係に楔を打つドライな視線によって、「見る-見られる」だけの体の良い制度を揺さぶる挑発精神が根底に流れていた。物語の虚構を不意に突き破る、演劇することの確固たる思想を覚醒させる直截的な放言の投入がそれである。飽くなき客体化の意志に、他の集団とを決定的に峻別する地歩を築く核があったと言える。しかし、今作はすっかり上記の強みがトーンダウンしたため、ドラマ性を手にすることと引き換えに舞台空間は、彼らが唾棄してきた馴れ合いの親和的なものにすっかり堕してしまった。したがって、しっかり設えられた物語内容を忠実に進行する意味での破綻のなさをただ享受する我々は、透視図法よろしくどんどんと空間の深奥へと虚焦点が取り結ばれてゆくため、物理的以上に空間を狭く知覚してしまうのだ。


果たしてそのことを、集団の成熟と言うべきなのだろうか。確かに、連続してこの集団に伴走してきて発見させられることは、俳優の目覚しい台頭であり、その点で言えば成熟しつつあると見ることができる。特に、集団きっての端麗な顔立ちの吉川莉早は、これまではそのフェティッシュさを生かした少女性を担うワンポイントな役所で華を感じさせていたのが、前々回公演『なんじ』で突如として主役に踊り出た。この時、ハリのある良く通る声で芯の強い気丈な人物を演じた彼女は、今作では顔に似合わないにもかかわらず、この集団の持ち味でもある下ネタとバカバカしいギャグすらさらりとこなしてみせる度胸をも身に付けていたのだ。持ち玉を相当数増やした彼女の急激な変貌振りは、容姿面でただ衆目の好奇を集めるだけの存在から、物語を背負うに足る貴重な財産への転身を伺わせて、確実に集団の底上げに寄与している。これまでの山崎彬による悪態をつく言動や芝居の流れをせき止める仕掛けが、自らの未熟さが故の苛立ちだったのだとすれば、役者の台頭に代表されるようにその必要がなくなったとすることも頷けなくはない。だが、それを以ってドラマ性へ傾斜して本来の持ち味を消滅させてしまうことに私は納得し難いものを感じるのだ。あまりのナイーブな内容の終始を指して私は収まりの良い物語だと述べたのであり、いつかどこかで観たような既視感ばかり抱かせられるものこそ彼らは忌避してきたはずだったからである。


台頭著しい吉川が演じるのは、自動車を使った無差別殺人の犠牲者となった学生ミカである。ミカの友達で同じ美術部員のアカリ(西岡未央)との学生時代と、事件から6年後のアカリが働く喫茶店での出来事、2つの時間軸を往来しながら舞台は進行する。アカリの回想によって、不運にも事件に巻き込まれたミカのこと、現在時において居合わせた喫茶店の従業員や客が事件を起点として半ば必然的な巡り合わせにあることが発見されてくる。過去遡及が明るみにする事実、この場に集いし者がアカリ同様に親しい人を事件によって亡くした遺族であることであり、犯人が新人として働くウェイターであることに辿り着いた彼らは共謀して殺害し、目的通り復讐を果たす。登場人物各々が、他者を傷つけまいとする優しさでついた嘘が相手へうまく伝わらず、すれ違いを重ねた結果、悲劇のレールをひた走るという内容だ。被害者・加害者双方はもとより、誰しもがちょっとした嘘とそこから泥沼化するマイナスの思い込みが合致した末に起こる悲劇は、確かに我々の胸を打つ部分もあろう。おまけに、復讐することで悲劇から人は本当に救われるのかという倫理観を突きつける、小憎らしいオチすらこの舞台は用意して訴えてくる。それはラスト、犯人特定の決め手になった、画家志望のアカリが当時現場で目撃した記憶を基にした犯人の肖像画が間違いで、新犯人は別にいることを示す場面である。過去の出来事に拘束され続けた道程は、この日をもって新たな悲劇の過去を背負って生きねばならないという、嘘が齎す大きな代償を支払うことにしかならない。この結末は、確かにまとまりはあるが、被害者が打って変わって加害者になることでは何も解決しないという主題は良くできた「お芝居」でしかない。瀟洒な音楽と照明に、笑いを加味したパワフルさで人間の影を描き出すという類の作品は巷に溢れているではないか。


そこには、これまでのように途中で等速直進運動よろしく、規定された物語を否定する場面がない。唯一、アカリの作品を店内掲示する際、決め手となる肖像画が掛けられる場所に刻まれた笑い声がそれに当たるが、それもこの肖像画が事件の決め手でないばかりか、報復行為は新たな報復しか生まないという登場人物に対する異化・教育的効果の意味であり、物語の岩盤は一切揺らぎはしない。


役者の台頭と物語の重厚さが集団の成熟と捉えるならば、そのような「お芝居」へ舵を切ることがこの集団にとって本当に良いことなのだろうか。むろん、今作が「お芝居」として良く出来てるとは言っても、完成しているわけではないし、また、それを目指そうとも万人が賛成する全く破綻のない娯楽作品など創り得ない。だとすれば、各々が何を問題系として人間と社会を捉えているのかを真正面から見据え、そのことから引き出された核を鍛錬するしかない。悪い芝居にとってのその核は「お芝居」へ奉仕するためのものではないはずだと私は考える。この集団がこれまで図らずも描出し得たドライ感覚は決して先に忖度したような、巷に溢れる「お芝居」を形を変えて補強するだけでしかない、自身の未熟さを揶揄する小手先の言い訳・手法ではなかった。矛先は舞台芸術全般に巣食う馴れ合い主義・アマチュア主義が醸し出すたこ壷的状況への挑発であり、その地点に身を置いていることを痛感しているからこそ、自らをも相対化する批評眼が効いていた。この微温感覚を討つことに関しての手練手管を尽くすことにこそ、この集団が演劇で表現活動を続けることの自覚的な必然性が生まれるのだろうし、その成果を以って成熟如何が考察されるべきなのだ。


過ぎ去った過去の時世の事柄はもはや変更することは不可能である為、当事者自身を拘束し続ける。しかし、そこから何を汲み取るかは各々の選択の自由に委ねられている。ナイーブな心情を重ねてさらなる号泣を招く物語としてのまとまりの良さを選択することは、この集団の過去の試みをさらに展開させることではなく、一歩も二歩も後退させるだけのように思う。願わくは、今作は彼らの罠であり、評価を安く見積もったことで次回我々は大きなしっぺ返しを喰らうことになる、という驚きを与えるべく、今回の失敗の過去を戦略的に包囲してほしいと挑発するばかりである。いずれにせよ、次回公演が良くも悪くもこの集団の分水嶺となるだろう。





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Last updated  Apr 24, 2009 03:35:40 PM


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