2006年01月15日
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カテゴリ: Inspiration

今日の教会の一日一章聖書日課である、礼拝メッセージの聖書箇所はルカ10章でした。
礼拝の中で、この有名なルカ10章のよきサマリヤ人のたとえ話を思いめぐらしながら、強く深く思わされることがありました。

それは、メッセージで語られたことでも、たとえ話に直接、表現されていることでもなかったのですが、妙に心の中に響いてきたことです。



ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で    (30節)

もっと費用がかかったら、私が帰りに払います    (35節)



この箇所が、使徒信条のこの箇所と結びついてきたのです。




       三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り





エリコ。
そこは、はるか北方より流れ来たるヨルダン川が、死海に注ぎ込む場所のすぐ近くに位置します。
世界で海抜の最も低いところにある町といわれ、世界最古の都市跡があるともいわれています。
また、イエスさまが誘惑にあわれた丘もあるともいわれています。


ヨルダン川。
イエスさまの道ぞなえをした荒野の預言者ヨハネが、悔い改めた人々に洗礼を授けた川。
人の罪が洗い流され、その行き着く末が死海・・・ そんなイメージが浮かんできました。
「死海」という名の表現とともに、その河口ほど近くにあるエリコが、罪・汚れ・滅び・裁きの最終地点「直前」の象徴に思えてきたのです。



そして、旅人も祭司もエリコの道を下っていた・・・
滅びへの道・・・?

エルサレムからエリコに下る道で、と述べられているのは旅人(と祭司)だけで、隣人となったサマリア人が、どこから来てどこに向かっていたのか、実は書かれていません。





栄光のエルサレムから、陰府への道を下られ、そして昇られたイエスさま。
その十字架から復活までに至るイエスさまのお姿に、このサマリヤ人の姿がだぶってくるのです。


イエスさまは、この「よきサマリア人」のたとえ話の中に、その後、ご自身の身に起こるであろうこと、そして歩もうとしておられる十字架の道を、こっそりと現されていたように思えてくるのです。



もっと費用がかかったら、私が帰りに払います


       代価は、いくらかかったとしても私が負担するよ。





そんなイエスさまの宣言が聞こえてくる「よきサマリア人」のたとえ話でした。







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最終更新日  2006年02月28日 01時02分45秒
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