2006年01月29日
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カテゴリ: Inspiration

礼拝の後、午後に「静まりのセミナー」がもたれました。

今日のテーマは「沈黙の賛美」。
詩篇65篇に心の耳をすませます。



     指揮者のために。ダビデの賛歌。歌

     神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。

     あなたに誓いが果たされますように。

     祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。

     咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

     幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。

     私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。


        (1~4節)




2度の朗読と、しばしの思いめぐらしの後で、唄野先生が、簡単に背景を説明して下さいました。

特に1節は、多種多様な解釈・翻訳がなされてきた箇所。
 「御前には沈黙が、シオンには賛美があります。」
 「沈黙の賛美」 などなど・・・

「沈黙・静まり」と「賛美」は別ものか、両立できるのか・・・


罪赦された喜びの中で、静まりに導かれる世界。


それから、隣の人と思わされたことを分かち合いながら、みことばの世界を掘り下げていきます。



今日も、すばらしい、いろんな気づきがありました。


● 赦しの「確信」と「確認」


まず、「沈黙」し、見つめ合うだけの主とのうるわしい関係があることです。
ことばはないのに、大きな満足の得られる世界です。


そして、その前提としての「赦しの確認」と「赦しの確信」。


   幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人
 (4節)


私たちの「赦し」の根拠は、私たちの側ではなく、ただ「赦そう」と決めて下さったあのお方の側にあるのです。
そして、なぜかは分かりませんが、選ばれ、近寄せられ、大庭に住むようにさせられました。
私たちが、こうすれば赦されると想像したり、勝手に決めたものを行うのでなく、あの方の招きに応じるだけなのです。


   私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう



罪が赦されたことはすばらしいことですが、それに加えて、主は、主の側で与えたいと願われている祝福に招いておられるのです!


スティーブ・マクベイの恵み3部作の中にあったことです。
借金を抱えていた人が、(理由は覚えていないですが)その借金を免除されました。その人は喜んでいましたが、実は、借金帳消しのみだけでなく、もう働かなくてもいいくらいの金額を受け取る権利がありながら、長年、それを知らずにあくせく働いて生活し、後で残念がったという話がありました。

また、放蕩息子の話ともだぶってきます。
弟が帰ってきた時、喜んだ父ですが、その喜びは、まだ半分でした。
そのままずっと 子どもとしての立場に戻ることを拒み続けたならば、父は悲しんだに違いありません。その後の記事で、弟息子が、指輪をし、晴れ着を着て、宴会に参席していることは、弟が自分にその資格がないことを十分、自覚しながらも、使用人としてではなく、もう一度、息子となることを選んだことを示しています。父の側の喜びは、その時、完全に満たされたのです。


2~3節で、「すべての肉なる者」「咎が圧倒」「そむきの罪」とある通り、作者は自分の罪・弱さをいやというほど、実際に自覚しています。
それでいて作者は、「祈りを聞かれる方よ。」(1節)、「赦してくださいます。」(2節)と、神さまへと近づくのです。

赦されたことを本当に知ることは、大胆に、神の子となったことを喜べること。
「天国の片隅で結構ですぅ」と、もじもじした方が、日本人的にはしっくり来るのですが、「神の子としてくださったのなら、そうなります」と受け取ることこそ、神さまの側で切望しておられることなのです。その時、相続財産として、親の所有を子として自由に使える=聖なる宮のよいもので満ち足りるようにされる、のではないかと思うのです。



● 御前にある「静けさ」・「沈黙」 = もはや裁かれることのない安心感・平安

神さまの側でお望みになり、実際に提供してくださった「赦し」を考えていると、思いは、最初の1節の「御前の静けさ」に、もう一度、戻っていきました。

御前とは、ある意味で、私たちの「神さま観」を反映させるところではないかと思うのです。
裁きの神さま? それとも、本当に恵みの神さま?

もし、神さまが提供してくださった「赦し」を受け取ったならば、もうすべては赦されているのです。
十字架で、主ご自身が身代わりとなり、私が飲むべき杯を飲み干して下さったがゆえに、もはや裁かれることはないのです。

「もうお前を裁くことはない! よく、私が提供する救いを信じ、受け取ってくれた!」

イエスさまの十字架ゆえに、神さまの自分に対する「裁き」「責め」「罪定め」が、もはやない、そのことが「主の御前の静けさ」と表現されたように思えてくるのです。だから、シオンには賛美があるのだ、そんなふうに読めてきました。




     神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。



また、印象深く忘れられない、大好きな聖書の箇所がひとつ増えました。





  【 資料 】  今日のセミナー レジュメ 











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最終更新日  2006年02月28日 23時55分26秒
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