今日は、大阪天守閣にある「石山合戦配陣図」を見に行ってきました。
この時代の地図を見ると、川の多さにびっくりします。
でもその前に、大阪城公園内修道館の横にある「石山本願寺推定地」に行きました。
『十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、 貝塚、 天満を経て京都堀川に本拠を移転する。 一方、石山本願寺跡には豊臣秀吉によって大坂城が建設される。この時に、大規模な土木工事により地形的にかなりの改造が加えられたと考えられる。さらに大坂夏の陣ののち 徳川大坂城 が建設されるに際して、再び大規模な土木工事が行われた。 このような状況のため、石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられている。 大阪市教育委員会』
説明文の最初の方はカットさせていただきましたが、石山本願寺の正確な位置は分からないということですね。
〉大規模な土木工事により地形的にかなりの改造が加えられたと考えられる
ここのところが、私は気になります。
PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List