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育児メモ覚え書きのみにて失礼します。2歳過ぎてからの関心テーマはオムツをいつ外すか。夏がいいと色々な人に言われたが、ロバ2歳の夏は、下の赤ちゃんハムが生まれることもあり、ハムちゃんが生まれる前か後か迷った。同じく年の差が2歳離れているかいないかの男の子二人を持つママさんからは、下の子が生まれる前に外せても、生まれた後、上の子が赤ちゃん返りで、オムツに戻ってしまうこともあるから、上の子が赤ちゃん生まれて精神的にも落ち着いた頃で、ゆっくりとしたらどうかとアドバイスをもらった。「大」の方は8月に(2歳5ヶ月)自然にトイレでするようにはなっていた。ロバの方からおなかムズムズ、うんちと言って、おトイレへ。座ってもすぐに出ないから、降りて、でもすぐにまた出ちゃうので、オムツでしちゃったということも始めは何回かあったけど、成功率は上がっていった。ハムちゃんが生まれて、3ヶ月間くらいはこちらも余裕がなくて、トイレトレーニングするという考える余裕もなかった。そうしている間に夏は過ぎていき、重ね着の秋へ突入。しかし10月になって、ロバも2歳7ヶ月になり、さすがに「小」の方もそろそろ開始したほうがいいかなと思うように。保育園の先生と協力してもらって出来ました。以下先生のアドバイス:トレーニング開始の日は、週末がいい。土曜日に始めて、最初は失敗するので、自宅がベター。トレーニングを月曜日に保育園に移行していく。週末自宅トレーニング。パンツにして、最初は各15分ごとに「トイレに行こう」と本人は行く気がなくてもトイレへ誘導して便座に座らせる。しなかったら無理にさせない、一旦降りて、そして15分後にまた誘う。そこでおしっこをしたら、今度は90分間隔でトイレに誘う。お昼寝と夜寝る前はオムツにする。初日は土曜日だったけど、用事があって町にお出掛けすることに。替えのパンツ・ズボン・靴下を持って。出かける前、15分間隔で誘って、一回目くらいで出来たので、すぐに90分間隔へ。外出先でも殆ど失敗なく成功率が上がっていく。失敗したのは最初の数日くらいのみか。もう2日後くらいから、ロバは90分間隔で誘導しなくてもトイレに行きたくなったら、自分から言うようになった。おトイレした後は、プレ幼稚園の先生に言われているのか、その口真似で、得意げに「Muy Bieeen !」(よく出来たねー)「Tienes que avisar eh」(おトイレって言わなきゃだめよー」下の子が生まれて、2歳7ヶ月と遅いトイレトレーニングでしたが、すんなりいけたので、これで良かったと思います。焦って、早く始めても、失敗してイライラしたりするより、下の子の出産・新生児のお世話がひとまず落ち着いてからのほうが余裕が出てきて、親の焦りや苛立ちも少ないから。
2012年12月14日
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この間、義実家の昼食で、2歳のロバと3ヶ月のハムちゃんの寝かしつけの話になった。2歳になってまだ母親と一緒じゃなければ寝付かないのはおかしい、もう一人で部屋に行ってベッドに入って寝なくてはいけないという。私が寝かしけの時に歌を歌ったりお話してあげているのにも驚いていた。義母曰く「「もう一人でねんねしなきゃダメよ、おやすみ」と言って一人にさせなきゃ、いつまでも親に依存する子になるわよ」義父も「一人でねんねを学ばさなきゃだめだ」更に私が日本の川の字について説明しようとしても変な顔。しまいには「あなた達は今ここ、スペインにいるんだから!(郷に入れば郷に従え)」昼食会、例のごとく義弟3人もいて、外部は私だけ。義弟達は独身で子育てについては話せないし。こういうことは以前も何回かあった。最初は私も妊娠中とか初めての出産で、身近な義母にアドバイスを聞こうとしたのだけど、「つわり?私は4人ともなかったわよ。妊娠中のほうが体調良かったし(それで会話はおしまい)」「どうしてこの子(孫)はこんなに泣くのかしら、4人の息子が小さい頃は泣かなかったわよ」「夕暮れ泣き?夜泣き?全然なかったわよ」「おむつが取れたのはいつかって?もう忘れちゃったわ」(以下会話が続かず。おしまい)そう返事されると、こっちが変みたいな感じになるので、それ以上聞くことはなかった。義実家とけんかはしたくないので、多少のことは馬耳東風でハイハイみたいに聞き流していたけれど、今回だけは何か我慢の糸がプツンと切れたようになってしまい、声が荒くなってしまった。「私は母親ですけど、日本人の母親でもあるんですよ。それをも、ここでは捨てなきゃいけないんですか!?」ちょっと気まずい雰囲気になったけど、幸い次男義弟が「日本の文化が悪いとかこっちのがいいとか、そういうのはないと思う」と言ってくれたのが幸い。そうだ、文化の衝突ってこうなんだ。今まで育ってきたこと、自分の親がしてくれたこと、大好きな故郷の人達や友人がやってきていること、そして自分自身を否定されたような感情。どの文化がいいか悪いかなんて勝手に決めないでほしい。それはその人・その人が歩んできた人生を否定することにも繋がるから。確かに義両親は4人の男の子を育て上げてきた。経験も豊富。私達のためを思ってアドバイスするつもりだったのだろう。でも言い方によってはアドバイスが干渉に変わることもあるんですよ。今度会った時に、例えとしてこう言おうかな:「もし貴方が日本で子育てをすることにしましょう。毎日子供に挨拶のキスをしていると日本人の家族が「そんなにベタベタすると自立しない子になる。やめなさい」と言われてどう思います?」せめてもの救いはクマが私の寝かしつけの意味を分かってくれていることと、公園で出会った一人のスペイン人のママさんも日本式で寝かしつけたいけど、実の親にも良くないと言われて大変と話してくれることかな。実際旦那の同級生は、日本式がいいと畳を買って実践しているらしい・・・少数ながら、ここにも同志(?)がいて心強いです。
2012年10月25日
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この前のブログを更新した直後に出産となりました。39週目にかかる週、実家の母から、火曜日は満月となるので出産になるかもしれないと言われていてドキドキしていたプレ。満月の日には出産が増える。その満月の日の火曜日と水曜日はクマの出張が入ってしまっていたので、ドキドキしながらどうか火曜日には生まれませんように、おなかのハムちゃんに今日は生まれてこないでねー、7月7日の週末くらいに生まれておいでーと言い聞かせていました。その日心配して泊ってくれた友人エヴァとレイレ、プレと皆でドキドキしていたのをよそに、結局その満月の日には陣痛の兆候もなく、無事何事もなく夜が明けていきました。なーんだ、まだ生まれなさそうだ。やはり予定日過ぎて生まれるのかな。満月の翌日。水曜日。皆安心して、その日はゆっくりと過ごしていました。体調もすこぶる良し。水曜の夕方にはクマも戻ってくるから安心。泊ってくれたエバは午前中仕事に行って、お昼と午後は念のためにもあるけど、折角だからゆっくり二人でおしゃべりとかしたいねーとプレの家に戻って一緒にお昼を食べて、お昼寝もして、お互い体調も優れていたし、天気も良かったので散歩がてらに夕方はロバの保育園のお迎えに一緒に行こうということに。普段はプレはもうしんどいので地下鉄使って一人で行くのは無理だったんですが、エバも一緒だし大丈夫だ、エバにもロバの保育園を見せてあげたいと行くことに。この久々の長距離の散歩がその後出産のタイミングをよくしてくれたのかも。その後も調子が良かったのでロバとエバと3人で近所の公園で遊んでいました。なんか生理の出血みたいな感覚があったので夕方6時ごろ一旦家に戻る。そうしたら結構な茶色のおりものの塊と赤い出血があった。これがいわゆる「おしるし」?一般的におしるしの数日後くらいに陣痛が始まるって本やネットで読んでいたので今週くらいか?と。公園に戻り、7時ごろエバは仕事の準備があるからと帰っていった。クマも出張から戻る頃なので、ロバとプレは安心して帰宅。帰宅後また生理の出血のような感覚が。今度は更に出血量が増えていた。少し不安になり出張から戻る道中のクマの携帯に電話する。少し急いで戻ってほしいと。夜8時。やっと戻ったクマは念のために病院に電話して状況を説明。病院側は「それは おしるしなんで、今夜か翌日には陣痛が来ますね」え?数日後でないの?全く陣痛もなさそうなのに。念の為に、今夜何か起こったらややこしいので、クマは3番目の弟クマ三郎をよんで、ロバが数日おじいちゃんおばあちゃんの家でお泊り出来るように荷物をまとめて、クマ三郎にロバを連れていってもらう手配をした。ちょっと可哀想だったロバ。数日会わなかったお父さんと再会したのもつかの間、クマ三郎おじちゃんに連れて行かれる。車に乗るとき大泣き。プレの入院セットとロバのお泊りセットの荷物はもう準備していました。何か妙に落ち着いて入院する準備をする二人。8時過ぎに生理痛のような下腹部と腰の痛みを感じ始める。キューと体内が締め付けられるような痛み、生理痛のような奥深い痛み。もしかしてこれが陣痛?一人目の時は促進剤を使ったので、陣痛は肛門痛の拷問だった。母親教室で学んだ10分間隔(痛みが始まって、その次の痛みが始まるまで)で病院へGoを思い出し時計で計る。それと同時にシャワーを浴びて、大をして、病院では出産まで何も食べれなかったのを思い出しエネルギーをつけるために、色々食べて・・・シャワー中に陣痛間隔は10分以内にもなってきた。クマも計り方間違えてるのでは?と疑ったけど、その通り。車で病院へGo!夜の9時ごろ。もう陣痛の痛みで、声をあげながら移動する。病院の婦人科産科救急に着いたのが10時頃。即陣痛室へ移動。助産師さんが陣痛の波を計る。もう痛いので、我慢するより初めから麻酔をお願いしようと思った。トイレに行くと破水した。麻酔の腰に刺す針の痛みなんて陣痛に比べたらずっと楽なもんだ。麻酔のおかげで、大分楽になったけど今回は左半身に麻酔が十分かからなく、変な感じだった。左が陣痛で痛い、右はなし。麻酔の量を増やして、体の位置を変えたら楽になった。陣痛室でもう力んで下さいといきんで、もう頭が見えていますよと言われた。「頭触ってみますか??」「いいえ、結構です、生まれた後でいいですー」なんかそれどころでなかった。そしてあっと言う間に分娩室へ。今回は自然分娩なのでクマも最後まで付き添えました。入院してから3時間も経たない夜の12時50分。翌日の木曜日に無事にハムちゃんが誕生。今回はこの辺で。メモ程度にしておきます。その後の出産入院部屋のお隣がジプシー一家で夜中までドンちゃん騒ぎで大変だったなどの話はまた今度。。。
2012年07月23日
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お陰様で急性胃腸炎の方も殆ど回復しました。念の為、乳製品と揚げもの・サラダは口にしていませんが・・・39週目に入ると同時に日本の実家の母から「こっちは満月に近くて月がとてもきれいよー」と言われ、気になって月のカレンダーを見るとクマ出張の日の夜に満月が当たっていた。助産師さんの間でも言われている満月の夜は出産ラッシュになる・・・近所の八百屋さんもカレンダーを見て「今夜が満月だよ、生まれるかもよー」最近よく「もう生まれた?生まれた?」と色々な人から聞かれます。39週目、クマ氏出張、そして出産が増える満月の夜。夜一人だと不安でしょう・・・とプレのお友達二人がその満月の夜にお泊りに来たいと。二人はちょっと布団の準備とか出来てないので、一人は丁寧にお断りして、もう一人のエバちゃんに泊まってもらうことに。いざとなったら、クマの実家に電話することになっているので、ヘルパーさんは足りているんですが、エバともう一人のレイレちゃんはどうやら満月の夜というのにもドキドキ、プレの陣痛が始まったら「私達が」車で病院に運びたい!立ち会いたい!という意欲・やる気満々!レイレちゃんはお泊りはしないけど、その満月の日の夕ごはんは皆で食べてワイワイ、その後のロバ助のお風呂にもエバと二人で入れてくれました。クマはいないけど、女4人で華やか(?)にワイワイ。出産後暫くは、こんなこと出来なくなるので、楽しかったです。皆さんがドキドキしていた期待を裏切って、満月の夜、何事もなく過ぎていきました。。。。おなかのハムちゃんは、一体いつ出てくるのでしょうか??
2012年07月04日
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予定日まで2週間切ろうとしている38週目直前に・・・まさかの事が起きたので覚書きメモ。こちらの助産師さんからの指導で妊娠中の食事は抵抗力が弱っているので以下の物は厳禁ですと言われていた:生ハム・生卵・生肉・生魚(お寿司・刺身)加熱処理していない乳製品(農家の絞りたて牛乳とかブルーチーズ・カマンベールチーズなど)上の2歳のロバ助もいるので調理盛り付けの際は自分が食べる時以上に手洗い・加熱・食器洗いには気をつけていたつもりだった。何も変なものを食べた覚えもなかった・・・のに。3日前以前からも、臨月近くなって時々胃痛や頻便・ちょっとした下痢があった。子宮が胃まで上がってきて、心臓や胃が胎児の大きさに圧迫されてそういう胃痛が起こる、出産前に備えて体内の余計なものを排出しようと頻便になりやすいと聞いたことがあった。3日前同じような胃痛が起こり、臨月の症状だろうと思っていたら、夜中中その胃痛が治まらなく、それも以前の痛さより酷い、30分から1時間ごとに下痢でトイレへ。胃痛から何も食べてないのに、これでもか・これでもかというくらい体内のもの全部吐き出してしまうくらいの水様下痢。悪夢の夜でした。これは臨月の症状ではないだろう、もしかして胃腸炎?胃の痛みと(何故か)背中の痛みでベッドをのた打ち回る悪夢。出産の方がマシだと本気で思った。夜中に救急に行きたい!でもロバ助は寝ているし、クマの車で私だけでは行けない。家に誰かがいないと。かと言って、夜中の3時に出産でもないのにクマの実家に電話かけて来てもらうのも迷惑かけるし。汗だく、半泣きで夜が明けるのを待った。翌朝、ロバ助をクマの実家に預けて救急へGo!救急の婦人科へ。まずは胎児の状態を調べるためにベッドで胎児の心臓音と陣痛が来ていないかチェック(あのーこの胃痛と下痢を止めてほしんですけど・・・)痛みと下痢でベッドでじっとしていられなく、途中でギブアップしてトイレへ駆け込む。陣痛の兆候はなかった。その後のエコーと内診でも異常なし。子宮口1cm開いていると話しているのを聞いた。「急性胃腸炎です。今から胃痛を和らげる点滴と水分・塩分補強の点滴をします。それが終わったら様子を見てみましょう」点滴は一時痛みを取り除いてくれました。「下痢を治す薬はないです、2日くらいは下痢は続きます。水分補給(水・スポーツドリンク)でチビチビと飲んで、食事はご飯、鳥肉、白身魚だけにしてください。数日経って症状が改善しなく、発熱もあったらまた戻って来てください」・・・と帰された。家に戻って、点滴のおかげで例の胃痛は治まったが、今度は右・左わき腹が痛い。臨月のおなかもパンパンに硬く張っている。2日間、パンパンに張ったおなかと左右のわき腹の痛みと付き合うことに。今週はおかゆ生活。ユーロカップのスペイン戦、ポテトチップスとかアイス食べながら観戦したかったなぁ。。。母親学級にも今週行けないし、ロバ助はおばあちゃんの家でお世話になっている。痛みと下痢が少し治まった今、考える。「どうして自分だけ胃腸炎に?クマとロバ助も同じもの食べているのに」妊婦の胃腸の抵抗力は2歳児より弱いってことか?何を食べた?思い当たるのは、サラダのレタスと自分で作ったガスパチョ(スペイン風冷製トマトスープ)くらい。気をつけて洗ったつもりでも、ちょっとした菌が妊婦の胃腸にきたのか。暑い夏がくるし、出産前まで生野菜はこれで控えとこうと思った。2週間の我慢。それにしても臨月と急性胃腸炎、このコンビは本当に最悪!!人生2回目の急性胃腸炎。1回目もスペインでした(これは友人の作ったサラダに入っていたマヨネーズ。これも確か5月下旬か6月だった)そして今回も。どうしてスペイン?この時期、気温が急激に上がる季節、気をつけた方がいいかもしれませんね。
2012年06月26日
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今回は育児メモと体調管理メモを兼ねて・・・早いもので、今週木曜日には35週目、いわゆる臨月に突入します。やはり臨月近いのか、ここ最近おなかが異様に重く、あんまり立ち上がったり座ったりという動作を繰り返したくない。でもロバ助がいると、そういう動作を繰り返さねばならない。「重いもの持っちゃダメですよ」と言われても上の子がいると、どうしても抱っこをしなくてはいけない時もある。お風呂に入れる時、うんちをしてオムツからはみ出しそうなので緊急に素早く替える時、公園で例のごとくグズッてギャン泣きで急遽退散する時などなど、などなど。ロバの時と違って、ゆっくり臨月を過ごすという訳ではなく、こんな調子ならおなかのハムちゃんは予定日より早く出てきそうだ。先週から胃まで上がっていた子宮が少しずつ下に下がってきている。一人目の時にはそんなになかった臨月の背中痛も酷くなってきた。先週洗濯物を干すのに、腕を上げていただけで、動悸心臓バクバク、息切れがしてきた。クマも週に3日は出張の半単身赴任状態。もう一人ではやっていけないかも・・・実家の親とは違って、やはり何となく頼みにくい義実家のヘルプを要請することになりました。クマがクマママさんに言って、クマママさんからヘルプの提案が来た。地下鉄数駅乗って行くロバのプレ幼稚園(保育園)の送り迎えをクマがいない日は、クマ義実家の誰かがするということ。プレは最寄駅まで徒歩でゆっくり行くだけでOK.駅でロバを引き渡し。そして今まで昼の1時半までだったプレ幼稚園の時間を午後の5時まで、お昼寝とおやつを向こうで食べてくる全日保育に切り替えること。ロバに申し訳ない思いでしたが、意外と全日保育も慣れるのが早く初日はお昼寝を全くしなかったのが、翌日は1時間半寝てくれました。あとは夕方の公園遊びを少しプレが頑張ればいいだけ。最近どうも魔の2歳児のロバを、公園のゴールデンタイムに連れていきたくないのですが・・・特にブランコのある公園で、誰かが乗っていると血相を変えて怒り泣いて「ロバの!」「ロバ乗る!」と猛ダッシュ。運よく乗れて、15分もブランコをこいで、その後誰かが乗っても地団駄。言い聞かせても収まらず、(地べたでギャン泣き、回転運動)結局は泣いてバタバタするロバを右腕に、ロバの二輪車を左腕にかかえて公園を立ち去ることに。タブーテーマはブランコ。あと二輪車。「自分の」意識が強く、使ってないのに他の子が(赤ちゃんとかも)ロバの二輪車に触ろうとするとこれまた血相を変えて「ダメー!」そういう時期だ、無理に言い聞かせてもまだ分からない年齢かもしれない。(ギャン泣きしても躾をしなくてはならないという親の意見も多数あり)いくら言って聞かせても最後は退散だったので、プレはもう疲れて公園行くのが怖くなりました。・・・んで暫くロバ助の水ぼうそうで公園から遠ざかっていて久々に公園に行ったら・・・ドキドキ・・・例のブランコ。他の子が終わるまで、グズリはしたけど、何とか待っていられました。そういう時期が来るまで待った方がいいよ・・・と言われた通り。少しずつ、少しずつ、根気よく待ちましょう・・・母親学級も始まりました。2年前と違って、参加する時期が臨月からと遅いスタート。2年前と同じ時間・同じ教室(区の市民健康センター)ですが、指導の助産師さん、また違う方。でもミンチン女史でなくて良かったー午後のクラスは満員、よって午前中に。6人くらいの少人数で、これまた殆ど全員が二人目・3人目という。前回もプレが唯一の初妊婦で、他のお母さん方が余裕に見えて、クマも前半の理論コースに参加させていました。話も経験ないので、実感があまり湧かなかった。でも今回は多少は復習という感じ。理論1時間(他のお母さんや助産師さんと輪になって語り合うことも多し)、その後の1時間はマットや大きいボールを使って、呼吸法や妊婦体操。最後は目をつむって、マットに横になり瞑想の音楽CDがBGMの中、助産師さんがつぶやく・・・「手の筋肉の力を抜いて・・・」今回の理論で配られたパンフ。2年前にはなかった新しいもの。ユニセフのパンフのコピーで「赤ちゃんと同じベッドで寝ましょう!」日本式が、最近ここスペインでも勧められてきている!それまではスペイン(ヨーロッパもか)では赤ちゃんが泣いてもすぐに抱っこしない、早く自立させる為に自分の部屋のベビーベッドで寝かせることが主流でした。(特に年配者の世代)でも今回は赤ちゃんの無呼吸症の予防のため、夜中の授乳が楽になるお母さんのため、赤ちゃんが安心出来る環境作りのため、赤ちゃんの今後の健やかな成長のため、生まれてから6か月間は親と同じ部屋に、更に良いのは同じベッドでお母さんの横で寝るようにしましょう!という内容。でもベッド文化だと、一緒に寝られるスペースが限られるので難しいような気が。。。。
2012年06月06日
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ブログには書かないでもいいや、と思っていたのですが、あまりにすごい助産師さんに今回出会ったので、話のネタに。プレのお腹にいるハムちゃん、ベレー帽国に戻ってきてからベレー帽国の発行する母子手帳に切り替えなければならず、以前ロバを産む時にお世話になった助産師さんがいる健康センターへ早速検診に行ってきました。ロバの時の助産師さんは、感じの良い方で不安なことや気になることも色々聞けて安心出来ました。プレのことも2年経ったけど絶対覚えてくれているはず、こんなに大きくなりましたとロバの写真も持っていこう・・・と楽しみにしていました。その助産師さんかなーと思っていたら・・・ドアを開けたら・・・違う助産師さん(年配風のおばさん)第一印象もちょっと感じが小公女セーラのミンチン先生みたい。「何ですか、さぁ話して下さい」と言わんばかりの表情。プレがカタルニアから戻ってきたばかりで、それまではカタルニアの婦人科で検診を受けてきた、だからここの母子手帳を新たに作らなくてはいけない、と説明した。母子手帳には、母親の持病・手術歴・上の子の出産経歴などを色々書かなくてはならないので、ロバの時の母子手帳を見せた。ついでだったので、「あのー上の子の時にお世話になった助産師さんIさんは、今はここで働いていないのですか?」と聞くと「そんなの知りません、Iさんなんていませんよ!」そして、その助産師Iさんの手書きが汚くて読めないと文句を言い始める。「何て書いてるの、これ?」「あ、それは数年前した子宮頸管の手術です。円錐切除術ですよ」「円錐切除?何?分からないわ、今度その手術をした時に医師に書いてもらった説明書を持ってきないさい(命令口調)」ぶつぶつ文句を言いながら書いているけど、見ると、そのミンチン女史助産師の手書きの方が5倍くらい汚くて読めない!こんなんで、出産する病院の人は読めるのか?プレが後から自分でましに書きなおしたほうがいい!更にプレがとある事情で、登録地域にある健康センターでなく、ちょっと離れたここの健康センターに来ていることに気付き、なんでここに来ているのか、向こうのセンターに行かなくてはいけないとお説教を始める。そのとある事情で、ここに来ている、以前もそうだったと説明しても、目尻にシワ、向こうに行かなくてはいけないと言い続ける。そう話ながら、血圧を測るが、プレが「袖をもっとまくるんですか?」と言うと「いいんです!」とグっとプレの腕を引き抜くように強くひっぱった。痛・・・なんて乱暴な。更に毎回測らなくてはいけない体重も測らないで、初回なのに身長も測らない。もうこんなミンチン助産師と顔を合わせるのも嫌だと思った。嫌だ嫌だ・・・「そんなに問題があるんでしたら、次回は登録しているセンターの助産師検診に行きます」と落ち着いて答えてみたら、問題があるあると怒っていたくせに、「次回も私のところにくるように」と訳分からない。これ以上揉めたくないし、検診も残りあと3回くらいだから目をつぶろう、初めての出産じゃないから、ある程度分かっているから、最低限のコミュニケーションで、数か月我慢しようと諦めました。そして2回目のミンチン助産師検診の日。プレの前に、生後1週間の赤ちゃんを連れたお母さん(産後検診、これが最後)がいて待合室で色々話しました。このお母さんなら知っているかもと聞いてみた:「ここのセンター、助産師さんは今一人だけなんですか?」そのお母さん:「午後は違う助産師さんよ、男性の助産師さんでルベンさんって方。とっても親切よ」もしや!?その名前で確信した、前回の母親学級でお世話になったあの男性助産師!!彼、今はここのセンターで午後だけ働いているらしい。プレはチャンスだと思いました。このミンチン助産師に会いたくないから、午後にしたら会わなくて済むかも。もちろん、変えたいとかルベン助産師さんのところに行きたいとは口に出さず、午後の方が都合がよいからとお願いしてみて。今回も相変わらずのミンチンでした。また文句が始まり、プレの前回の尿検査で、クマが朝一に提出してくれた時には前もって何も予約も要らなかった、その前の尿検査も要らなかった(血液検査は必要)・・・と言ったら、「尿検査も予約が必要なんです!」の一点張り。更に次回のエコー検診の予約はいつだと警察みたいに聞いてくる。もう嫌気がさして、次回の検診は子供の保育園のお迎えがスムーズにいくように午後がいいですって言うと、ミンチン、切れる!「私は午前しかいません、同じ助産師じゃなくてはいけないのですよ!どうしてあなたは・・・!もう理解出来ないわ!」強行突破して次回は午後に、別の人(多分その男性助産師さん)になりました。あー、せいせいした!
2012年05月08日
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カタルニアの某町に住んで約8か月。住み慣れたと思ったら、もう以前住んでいたベレー帽国に戻って来ることになりました。去年の夏、ベレー帽国を去る時も名残惜しかったけど、今回もカタルニアのその町を去るのも寂しかった。犬のフン、埃っぽい空気、坂道、真夏のすざまじい暑さ、などなどあったけど、名残惜しいのは近所の人達、おせっかいおばちゃん(?)こと「コケコッコーさん(クマ氏とあだ名をつけていた)」、コケコッコさんの挨拶をきちんとする娘さん、午前中の散歩でよく会う90過ぎのカルメンおばあちゃん、隣りの毎日昼2時に帰宅すると犬に興奮しておたけびをするお兄ちゃん(ネットを貸してもらったりお世話になった)、ロバをよく遊ばせていた近所の薬局(薬局内におもちゃがある)、市場の魚屋さんと牛肉専門のお肉屋さんのお上品なおばちゃんとその息子さん、近所のカフェテリア、お惣菜屋さんなどなど。。。引っ越し直前まで日本からお客さんが来てたり、体調不良だったりバタバタしていたので何人かの方には引っ越しの挨拶も出来ず・・・。そして前書いた柿木プレ幼稚園とママ友のカルメンと息子のマー君。バスクに比べて、公園ではママと子供だけの単位で遊ばせているのが多いカタルニア。バスクの公園では子供の周りにママだけでなく、じいじ・ばあば・おじさん・おばさんなどが大勢囲っていて、ママさんとだけゆっくり話せる雰囲気ではない。あの集団の中に入るのも少し大変。だって、もう彼らの世界みたいなのが出来ているみたいだけら。バスク人はカタルニア人より「つるむ」のが好きなのか?カタルニアの公園で、色々なママさんと話して結局お互いの家を行ったり来たりする仲になれたのはこのマー君ママこと、カルメンだった。プレもあんまり期待せずにママ友ママ友と焦らずにいたら、やはり御縁なんでしょうか、知り合える人とは自然の成り行きで知り合えるものなんでしょう。ある日公園で遊んでいて、ふとしたきっかけで、しかも話も合うので公園で待ち合わせしたり、カルメンの家に呼ばれたり、週末は家族同士で会ったりすることが増えました。マー君とロバとは5か月差(1歳になりたてと1歳半では大きい差)だったのですが、カルメンと私の年も近いことだし、スペイン人(カタルニア人)にしては落ち着いていて、彼女の育児がドイツ式みたいなので、お互い色々と話せました。彼女の家はその公園からすぐなので、殆どプレ達がカルメンさん宅にお邪魔していたかな。スペイン人にしては珍しく、公園にあまりに沢山の子供や親が溢れていると、「うちの方が静かだから、うちに行きましょ」マー君はすごく「健康的」な生活で、夕方7時になったら家の中の照明を消していき、ソフトな音楽をかけ、7時半から8時には就寝。(ロバは9時半から10時・・・)マー君8時から翌朝8時まで一回も起きずに熟睡!ロバはマー君の家を通る度に「まーくんの家、まーくんの家」と行きたがるけど、マー君に会って一緒に遊ぶかというとそうではない。まだ1歳代なので、「並行あそび」それぞれ自分の遊びをして、一緒にいるだけ。それでも楽しいみたいで、カルメンの家にいる2匹の猫に興奮!気楽に世間話やお互いの育児の話が出来るママ友が出来て良かった・・・と思いきや、また引っ越し。これからがマー君とロバ、一緒に遊んだり出来る年になって楽しみなのに、残念です。短かったけど、ロバにとっても楽しい8か月だったと思います。素敵な家族と出会えて感謝。また来年、出来たらカルメン一家に会いたいなぁ・・・。
2012年03月31日
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シベリア寒波も去り、最近は春の気配。暖かくなってきたなぁーそういえば最近ブログもご無沙汰していたなぁ・・・と思っていたら、もう、春になったら以前住んでいた町に戻る日が近づいていました。時が経つのは早いものです。クマの赴任期間より、予定より早目に戻ることになってしまった。カタルニア生活もあっという間。カタルニア生活といっても、あの観光都市大都市バルセロナ市に足を踏み入れることは、あんまりなく、カタルニア州の某小さい町から出ない日常生活を送っている。まぁ、1才の子がいると、こんな小さな町から公共交通機関を使ってまであんまり頻繁に大都市へ出ることはないです。。。夏(カタルニアの夏は非常に暑い!)に越してきたので、それを思えば、今年だけでも冬をここで越せたのは良かった。シベリア寒波と言われていても、この町の気候は温暖。マイナスになることもなかったし、ベレー帽国やゲルマンに比べたらお日様の出ている時間の多いこと。公園遊びが日課の子がいると、この快晴続きの土地で冬を越せるのは有難い限り。観光する所もなし、住宅があるだけみたいな町、そしてフンだらけの道ですが、こんな小さな町でも、来て住めて良かったなぁと思うことがあります。プレとロバの「この町の宝物」その一。偶然公園で出会った「ママ友」のカルメンさんと息子のマーくん(1才半)。(またカルメン・マーくんについては別の機会に書きたいと思います)その二が「柿の木プレ幼稚園」カタルニア語の名称もハッキリしないし、スペイン語にも日本語にも当てはまる正確な訳もないので、その活動内容から色々な日本語が候補になりますが:プレイスクール保育園プレ幼稚園などなど。。。プレは勝手に柿の木プレ幼稚園と呼ばせてもらっています。その柿の木幼稚園は:対象は:生後4ヶ月から3才まで。仕事を持っていない母親とその子供のため。時間割:全日・毎日は預けられない。規則として、1週間のうち(月から金)2日。午前か午後の3時間。9時半から12時半までが午前の部。3時間でなくても、2時間でも良い。親が送り迎えしたい時間に各自来ればよい。一般の託児所と異なり、一応何かしらの教育理念や学習・遊びのテーマは決まっているらしい。今週のテーマは「動物」(保育士さんの家から実際に飼っているモルモットとウサギが連れてこられたり)、来週は「味覚」(レモンやハーブ・植物の味を体験したり)、別の週のある日は「お医者さんごっこ」などなど。絵の具でお絵かき・工作に力を入れているらしい。保育士さんは二人だけ。しかし、人数制限で一日最大10人となっている。事前に電話で「何日にお願いします」と予約するのがベター。火曜と木曜が多いので、少ない月曜と水曜がロバの行く日課。少ない日は3人とか、一回ロバだけの日もありました(一人に対して二人の保育士さん付き至りつくせり)。その保育士さんも大学かでそれなりの幼児教育の資格は持っているらしい。プレよりずっと若い二人ですが、そのうちの一人は21歳というとても若い先生。でも見かけによらず(?)、プロの中のプロです。ロバは先生との相性も良く、こちらも安心して預けられます。プレ幼稚園なので、オムツも一回は取り替えてくれます。午前のおやつは(各自持参)、みんなでテーブルを囲んで食べるそう。言語はカタルニア語とスペイン語。二ヶ国語。時々午後(5時半から7時)に、親も一緒に楽しめる催しがある。栗祭りの時期は、Panalletsというお菓子を一緒に作ったり、カーニバルの時期は子供はピエロに、親は象に仮装したり。絵本の時間もあって、行ってきましたが、カタルニア語で朗読、その後歌だったので、私は分かりませんでした。。。異文化体験。何より驚きなのが料金設定。1時間1ユーロ。これは、この施設がこの町の援助を受けている公的なプレ幼稚園だから。・・・公的援助を受けているとは言え、申し訳ないくらいのお値段。でも失業中の家庭でも預けられるんですね。狭い隠れたような路地にあるので、一見ここにあるのか分からないくらいです。入り口から見た建物です。小さな柿の木がある庭の向こうが教室。バラックみたいな小さな建物。事務所と小さな台所・トイレと教室が二つのみ。1才半くらいで毎日・全日は預けるのは未だちょっと・・・でも時々そういう同じ年代の子供達と遊んでほしい、お母さんも数時間だけ集中して家事がしたい・・・というのにはピッタリの時間割り。こういうのをプレは望んでいました。しかも少人数の日ばかり行っているので、保育士さんとも関係も密だし、この冬は未だ風邪ももらっていません。普通は保育園・幼稚園、毎日行くようなものでしょうが、1才くらいは、この人数でこのペースが理想的だと思います(働いていない母親にとって)。この柿の木プレ幼稚園ごと、元の町に一緒に運びたいくらい。もっともっと、こういう施設が色々な所に出来たらいいのにと思うこの頃でした・・・。カタルニアの某町の素敵なプレ幼稚園でした。
2012年02月24日
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こちらへ来て八百屋の野菜の種類がバスクと多少違うと気がしてきました。ここでいうカタルニアとは、プレの住んでいる某小さい町。小さい町でも、大きい市場があり、八百屋も10件くらいありそうな規模。そこから見て気付いたことです。バスクで買い易かったもので、カタルニア某町で入手しにくくなったもの:しいたけ。バスクの八百屋では常に入荷していてマッシュルームの上にいつもレギュラーで並んでいました。その名も「SHITAKE(SHITAKI)」。こっちでは、シイタケは注文すると数日後に入荷してくれているけど、ヘナヘナしいたけでサイズもバスクより半分以下。こっちの八百屋のおじちゃん「このシイタケのにおいがキツくって俺はダメだねー」バスクの八百屋では、シイタケはAroma(アロマ)が格別だと褒めていたのに。一般的にバスクの方がキノコ類をよく食べると思う。バルのつまみもキノコがたくさん使われているし。カタルニアはもっぱらキノコといえばマッシュルーム?ブロッコリー。ここカタルニアの大手スーパーには常備しているが、八百屋や市場にはあんまりお目にかからない。特に夏。今月も市場の八百屋何件かまわったけど、あったのはカリフラワーだけ。常備はしていないのかな?白菜。バスクの八百屋でも常備はしていない所多し。でも注文すると、翌々日くらいには入荷しといてくれる。こちらの八百屋では、注文したものの、翌週「(卸し市場?)探してみたけど、なかったよ」アジア系八百屋以外では入手不可能。カタルニアで見かけるものさつまいも(Boniato)。これはどこの八百屋でも常備。バスクではなかなか見かけなかった。バスクでのイメージは「さつまいもは中南米で食べられるもの」秋になると、カタルニアでは焼き栗の屋台と並んで日本みたいに焼き芋の屋台も出てくるので、これは日本人にとって嬉しい限り。更に感動したのは、パン屋の釜戸でも焼き芋を焼いて、焼きたてを売っているということ。安いし、ホクホクと柔らかいし美味しい!市場の総菜屋やスーパーでも焼き芋売っていました。大根。バスクでは注文をして数日待たねばならないけど、こちらでは常備。プレの住んでいる町の「地産地消」の八百屋(数キロ先の大きな畑で農作物を作っている小さな八百屋)にもいつも入っています。冬になると鍋が食べたくなりますが、白菜なかなか手に入らないから、ちょっと難しいです・・・
2012年01月24日
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エスパーニャ全体で言われている「カタルニア・ネガティブキャンペーン」(つまりカタルニア人についての悪口など)仲の良いとされているベレー帽国でさえも、プレは時々耳にはしていました。実際、こっちに来て2ヶ月ほど暮らしていますが、そんなに悪い人達か?むしろカタルニア人って、フレンドリーだし感じいいんじゃない?という印象を持っています。プレが住んでいる町が小さい町で、カタルニア首都のバルセロナ市ではないせいかもしれない。大きい町ほど人々は忙しないし「変な人」率が高くなる。でも今日、ついに(?)「カタルニア人ネガティブキャンペーン」がエスパーニャで言われる元凶みたいな人にお目にかかりました(笑)こういう人に何人か出くわすと、なるほど、ネガティブキャンペーン言われるかもね・・・と。市場で人気のお総菜屋にて。たくさんの人が待ち札なしで待っているので、「最後の人は誰ですか?」と聞いて待たねばならない。プレの後に来た40代後半くらいのおばちゃん。おばちゃん、着いたとたん最後の人は誰かと聞いてプレに「今から私、他のところで買い物してくるから私の順番とっといてよ!」と。これも、今から思えばカタルニア語だったのかも。こういうのは、よくあることなんで、「分かりました」と普通に返事。しばらくして、プレの番が来て注文していたら、そのおばちゃんが戻ってきてなんだかカタルニア語で長々と私に言ってくる。最初プレは、そのおばちゃんの「スペイン語」が聞き取れなかったのかなと聞き返していたけど、カタルニア語だったみたいだ。このおばちゃんも自分で考えてみれば、私の後なんだから、おばちゃんの順番はまだだし、誰も順番抜かしなんかするはずないのに、何か焦っているらしく、私に(威張った感じで)まくしたててくる。おばちゃんの言ってることを聞き取ろうとしていたら、おばちゃんカタルニア語で(多分こんなこと言ってるんじゃないかな、言葉分かんなくても言ってることは想像出来るよ)「あんた、 私の順番来たのかって聞いてるのよ!! 聞いてんの!?ほらっ、私の順番(怒)! ちょっとー、答えなさいよー!何あんた、私の言っていること(私のカタルニア語)分かんないの!?フンっ 話にならんわ!」この口調と表情。お店の人も、このおばちゃん仕方ないわーっていう顔をプレにしてきた。最初おばちゃんが来た時に私が「分かりました」と「スペイン語」で答えていたのに、戻ってきた後で、どうしてカタルニア語が分からない、(どう見てもアジア人顔の)外国人プレにスペイン語で繰り返して聞かないのか。そこまで臨機応変に出来ないし、スペイン語が通じる外国人と気づかなかったのかもしれない。外国人でもカタルニア語が話せて普通だと思っているんだろうか。まぁ確かに住むところの言語を学ぶのは普通のことだけど・・・。最後にプレがそのおばちゃんに(スペイン語で)「ご心配なく、私の後の人には、あなたが買い物に行ってすぐ戻ってくるからと言っておいたんですよ」と言ったらおばちゃん「あ、そう」どこの国へ行っても、こういう人はいる。カタルニアだからとか、日本だからだとか簡単には括れない。プレは日本にいた時でもバスに乗っていた変なおじさんに「折角日本語教えてやったのによぉぉー、おまえ国へ帰れ!」って言われたことがある。こういう人達は一部だと思うけど、何人か似たような人に連続して会うとこの土地の人は・・・とイメージ化に繋がっていってしまうのだろう。買い物の後、ちょっと気が重くなり、気分転換に(今日はロバが柿の木プレスクールの日)商店街のカフェに入り、コーヒーを飲みました。そこのカフェは、ちょっとホモかなと思われる兄ちゃんウエイターさんがいて、いつも爽やかに挨拶してくれるので、気分転換になりました。彼もカタルニア人だと思いますが、えらい違いだ。結局は個人個人でしょうねぇ・・・。
2011年10月14日
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こちらで初めての小児科定期健診が9月初旬にありました。同じパスポートの「エスパーニャ国」ですが、自治州によって保険証が異なってくるので、これは厄介。こっちの自治州の公立病院外来に聞くと、異なる自治州の保険証でも、救急外来と小児科の定期健診・予防接種は受け入れOKらしい。プレとロバは私立の保険に入っているので、小児科は私立のクリニックに行くことになりました。今度の小児科の先生は年配のおじちゃん先生。バスクの公立病院・私立のクリニックと異なり、今回だけなのか、診察室には看護師さんがいなく、一人で看護師さんのする仕事(身長・体重を量ったり)もしていました。でも看護師さんがいないと、母親が子供の服の脱がせ着せをしなくてはいけないので、一人で小児科の先生に質問したり、指示を聞いたりを同時にするのは結構大変でした。おじちゃん先生、感じはいいのですが、大雑把。身長体重を測定し予防接種をした後はもうこれで終わりって感じ。こちらから質問しないと1歳半からの食事の指示はなし。「もう大人と同じもの食べられるよー(前の先生では蜂蜜とドライフルーツは禁止だったのに)」(もちろん)プレが質問した後で「哺乳瓶はまだあげて大丈夫、あー普通の牛乳も飲めるからねー」あと朝ごはんはミルクだけでなく果物とかパンをあげてもいいと。これもプレがあえて(朝はミルクだけで足りているのかと)質問した後。「あー歯磨きねぇー、まだしなくていいです。物分かりがついてきた時に始めたらいいでしょうー」予防接種を打つ腕はすごく良いのですが・・・。前の小児科の先生はプレとそんなに年が変わらない女医さんだったのですが、「プレさんが御自分のお母さんに質問するように、私にも色々聞いて下さいね」と初めての子育ての不安を良く理解してくれている方でした。日本に里帰り中も何か分からなかったらメールで聞いてくださいとか。あの先生が良すぎたのか・・・。今まで日本の育児書でなく、その女医さんの指示通りに離乳食プランを進めてきたおかげで、今までロバは病気をしたことがなかったし、順調だった。なんか今度のおじさん先生の食事プランや歯磨きの指示に、プレは今一つ納得出来なかったので、その女医さんからセカンドオピニオンをメールで伺うことに。女医さんは、そのおじさん先生の指示は正しいと言いながら、やはり歯磨きは今から始めたほうがいいと言っていました。あと、1歳半からのおやつも、今まで通りの果物プラスヨーグルトではなく、ヨーグルトは昼食後のデザートで、おやつは果物とハムかチーズサンドなどにするようにと。1歳半になった途端の変化:今まで好き嫌いななく全てぺロリと食べてくれていたのに、食べムラが出てきた。全く受け付けないものが多くなってきて、その日食べたものはパン・プレーンヨーグルト・ごはんのみという時も。おかずが難しい・・・果物も今まで大好きだったバナナも駄目。でも1歳半にはよくあることらしいので、あまり気にせずに乗り切ることだとか。カタルニア州の(この町の)公的育児機関の充実。・・と小題を付けましたが、プレはこの小さな町しか知りません。。。だけど、バスクの頃と比較してみました。バスクにいた頃は、皆さん早く社会復帰するので赤ちゃんも保育園に入れるのが普通。入れない人は、バスクの家族文化ならではの「スープの冷めない距離」に住むおじいちゃん・おばあちゃんに赤ちゃんの世話を頼む。そのおじいちゃんおばあちゃんが近くにいない(バスク人から見て)「可哀想な」人は、お金を出してベビーシッターを頼む。よって、公的な育児支援機関をプレはお見かけしませんでした。こちらに越して来てから、商店街のお肉屋さんや公園のママさん達から「公立の育児支援センターがある」と聞きました。柿の木プレイセンター、又の名を柿の木保育園??カタルニア州とこの町の自治体が運営している。公的な経済援助だから、費用もそんなにかからない。その柿の木育児支援センターは幾つかの担当に分かれている。一つ目は:柿の木保育園(またはプレスクール)対象は仕事を持っていない母親と(4ヶ月から3才未満の)その子供。規則は1週間に最大2日、午前か午後の3時間。二つ目は:柿の木プレイセンター毎日午後、保護者付き添いで、1才以上3才未満の子供達がインストラクターと一緒におもちゃで遊んだり、お絵かきしたりする。これは月毎に申し込まなくてはいけない。結構人気らしく、プレ達は待ちリストで空きを待っています・・・。その月毎ではなく、毎月1回「催し」があり(要予約)、10月末には栗祭りのお菓子作りが予定されている。三つ目は:保護者向けの育児・教育講演会・懇談会。今年は未だ未定らしい。とても小さい建物ですが、柿の木が中庭にある静かな雰囲気です。規模も小さいので、保育士さんは二人。一つ目の柿の木保育園は、行く日を毎回予約しなくてはいけない。最大人数が10名なので。ロバが1歳半になり、昼はプレと二人っきりの生活も煮詰まる時があるので、そろそろロバも他のお友達と遊びたいだろうし、家では出来ない思いっきりお絵かきや家にはない色々なおもちゃなどで遊べるだろうから、ロバの生活のアクセントになるだろうと柿の木プレスクール・保育園に週2回通うことになりました。初めての日はもちろん、号泣。プレの顔を見せてはならないと、早足に去りました。「なにかあった時には(どうしても泣き止まない)電話して、迎えに来てもらいます」だからプレも3時間、バルセロナ市にはいけません。結局はこの近所に留まることに。でも母親が去った後は、忘れたように普通に遊んでいたらしい。この3時間はあっと言う間で、結局は落ち着いて家事が出来る時間で終わってしまいます。唯一「自分の為の時間」といえるのが、バルで新聞を読みながらコーヒーを飲むという。20分間の至福の時間・・・保育園に行くというのは、色々な子から風邪ももらいやすくなるということ。今回初めて、ロバはどうやらもらってきたみたいです。でも保育園でなくても公園でももらいやすいから、仕方ないですねぇ。。。こうやって、免疫力もつけていくようになるんでしょうか。。。と1才半のメモのはずが、長くなってしまいました・・・。
2011年10月08日
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引越しを終え、何とか落ち着いた頃の週末。どこに行きたいかと聞かれれば、動物園!特にここの県にはプレーリーがいる動物園があるとのこと。エスパーニャの動物園又は自然公園でプレーリードッグに会えるところはマドリッド、カンタブリア、そしてここ!行ったのはもう1ヶ月前くらいになってしまいますが、こんなプレーリーがいましたと写真報告を・・・午前中はベルリンの動物園のプレーリー達と同じく、巣の穴の中にいて、プレーリーコーナーは閑古鳥。午後から巣から出てきてくるらしく、見るなら昼過ぎでしょう。だから午前中は象やフラミンゴなど他の動物を見たほうがいい・・・他の動物園や自然公園にいるプレーリーより肉付きがいいです。昔飼っていたラッちゃんに似ていて思わず懐かしくなってしまいました。(ペットと違って自然に住んでいるプレーリーはスマートさん)本来のブログのテーマが久々書けて嬉しいっす・・・
2011年09月28日
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約半年のクマ単身赴任生活とプレ・ロバの半母子家庭生活にピリオドを打とう、その絞めは引越し。引越しは日本でもゲルマンでも同じ市内でも同じ通りでも、この国でも何回もしたことがありました。(同じ建物内の引越し・ミニミニ引越しは日本の大学寮で何回したかこれは寮の規則だったんですけどね・・・ということは引越しのベテラン?そんなことは全くない。昔のような一種の「気分リフレッシュ、新天地への好奇心」感も少なくなってきて、面倒くさいと思うようになってきた。段々、腰を上げるのが思くなってきた。。。阪神大震災後、お年寄りが同じ町だけど、違う地区に住むのはストレス、長年住み慣れたところを離れるのはストレスだと聞いて、「そんなもんなんだ」と思うだけで、実感がなかなか湧かなかった。学生だったら引越し面倒くさいと思うだけなんだろうか。子連れだと、同じ引越しでも面倒くさい以外にも、引越しは体力・精神的にエネルギーが要るなと実感することがある。まず、今まで育んできた「子連れでの交流」、つまりロバを可愛がってくれた近所の人や公園のロバのお友達、更にはお店のお得意先の人達、そしてクマの家族とお別れしなければならないというのがつらかった。今までの仕事を辞めなければならない、こちらの友達ともしばしお別れというのも、悲しいことだけど、ロバ関係の交流にお別れが一番残念だったかもしれない。赤ちゃんがいる引越しをするには一番のネックが、この赤ちゃん。家にいると、引越しの準備が出来たもんではありません。赤ちゃんが寝た後で、少しずつ夜に準備したらいいかもしれませんが、クマは単身赴任でいないし、プレのもの一人だけのものではないので・・・。やはり一番いいのが赤ちゃんを誰かに預かってもらって、その間に短期間集中引越し準備をする。埃だらけの家にいるのも良くないですし、これが一番。おばあちゃんやおじちゃん、近くに親戚がいなければお金がかかっても、ベビーシッターさんや託児所に預かってもらう。親戚宅での長所は、赤ちゃんのお泊りも出来るということ。ロバも2泊出来まして、赤ちゃんにも親にもお互い助かりました。でもやはり、普段から物を少なくしておくことが一番!毎回の引越しでしみじみ実感しています。。。(とほほ)でも小さい子がいると、物がやはり増えていくんですよね。。。更に、大きい旧居から小さい新居に引越しというのが引越し後の整理整頓に追われる日々に。新居は収入スペースが限られている。入るところがない!もうベッドの下にスーツケースなどをギュウギュウ詰め込んでいます。台所もオーブンの中に入りきらないフライパンを置いているし。異国から異国へ・・・新生活への適応パスポートは同じエスパーニャ、だけど北のバスクという「異国」から、今度はまた地中海のカタルニアという「異国」へ。言語は、プレの住んでいた町ではバスク語はあまり使われていませんでしたが、今度の土地は、現地語カタルニア語が強い所。やはり。プレの新しい町(バルセロナ県の某町)の市役所のHPはなんとカタルニア語表示のみ。スペイン語訳もありません・・・ひょえーつまり、分かって当たり前なんでしょうか。挨拶も「Bon Dia」プレは「さようなら」のバスクバージョン「Agur]に慣れきってしまっていたので、「おっと、Agurじゃなかった・・・Adeuだった」と口に手を当てることが多し。でも外国人も多いようなので、スペイン語を話せば向こうもスペイン語で答えてくれるようです。カタルニア語だらけ飛び交っているーっていう訳でもなく、両方聞こえる、バスクのよりは現地語をよく耳にするけど、スペイン語で話す人もいれば、カタルニア語の人もいるって感じでしょうか。現地に適応した生活スタイルをまず気候:日本海のバスクと瀬戸内海のカタルニア。気候も全く違います。まず暑さ。とにかくジリジリ暑い。公園に子供を出す時間も考え物です。まず午前・午後と日陰が出来る子供の遊び場所をチェック。蚊も多いので、蚊のなるべくいない公園を探す。公園巡りは引越し後翌日から毎日開始。公園や周辺にはフンが多い!公園巡りのチェック項目は日陰だけではありません。その公園で遊んでいる子供や親の雰囲気、遊具はその年齢に合ったものか、そして、ここに来てチェックしなくてはいけないもの:フン犬、猫、ハトのフン。(プレの新しい町に多い・・・いつも下を見ながら歩かねば)何故なら、カタルニアの公園造りがそうなのか、公園の殆どは砂や砂利で出来ています。バスクの公園ではお見かけしませんでした。公園の地面に注目です(落下事故防止のプラスチック・ゴムみたいな素材で守られています)バスクの親は子供の落下事故など清潔さを大事に思っているのでしょうか。砂遊びが出来る場所は殆ど見られませんでした。ロバも初めての砂・砂利遊び。さっそく、お砂遊びセットを購入。免疫力も付くし、自然に近い遊びの環境、手の感覚・・・と聞く砂遊び。でも、気をつけることが多し。動物の糞の寄生虫が移る可能性があるので、遊んだ後は公園の水道で手洗い。バスクでは子供に可愛い靴や服を着せていた親が多かったですが、このバスク流公園スタイルでは、こっちではやっていけません。プレやロバの持ってきた服や靴は、もう砂・砂利の公園遊びでボロボロ。見ると、こっちのお母さん達のスタイルは潮干狩りに行くようなスポーツ系。汚れも気にしないような服・サンダルが一番。更に、こっちの近郊列車は車内乗車・降車の際に階段があり、駅もエレベーターがないところが。プレの町の駅もエレベーターなし、長い階段のみなので、折り畳み簡単で、肩に掛けて運べるベビーカーに買い替えました。ベビーカーでは重いイメージがあるので、イメージトレーニングで「チェロケースを肩に掛けて子供を抱っこして階段を上る」といきましょうか・・・。楽器だとなんとか、やっていけるような気もする・・・。そして両手が空くように、バッグではなく、リュックに。もう毎日が遠足・潮干狩りスタイルです。こうして、1才半になろうとするロバとこちらの新生活に慣れていこうとするのでありました・・・
2011年08月18日
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本当に今年は色々なことが起こってしまった。。。そして、それらの事がフェースブックで知るということも。10年前までは考えられなかったことだ。良い意味でも、そして悲しい意味でも。今回はプレの友人アーニャに捧げたいと思います。3月11日の津波と原発事故。テレビのニュース速報、現実だとは思えない惨さの映像を目の前にしてプレは真っ先に仙台に住んでいるウヌニコさんとその旦那さんを思いました。安否確認しなきゃ!ウヌニコさん、ノジヲさん(旦那さん)、お願い生きていて!!と半パニックになりながら、連絡先を探しました。そうウヌニコさんたちは仙台に引っ越したばかり。いただいた年賀状に新居の連絡先が書いてありました。電話、電話・・・でも繋がらない。勝手に自分の頭ではウヌニコさん達の家が津波に流されてしまったのかも・・・と更に半狂乱に。もちろんあんな大惨事の中では、インターネットなんて出来やしません。誰か安否を教えて!思い浮かんだのが、フェースブック。ウヌニコさんのフェースブックには、確かお姉さんもいた記憶が。そのフェースブックでお姉さんにメッセージが送ることが出来て、すぐにお返事が。お二人の命は無事でした。更にフェースブックの掲示板で、お姉様がネット環境にいられないウヌニコさんに代わって色々と報告をしてくれまして、いやいやフェースブック、お友達とワイワイだけではなく、こんな安否確認に一役買ったんだなと感心しました。・・・と感心していたら、またフェースブックを通してのことが。でも今回は悲しいことで。まさかのことで。プレの友人が亡くなったのですが、それも、その友人のフェースブックを通して分かったのです。彼女はドイツ人で、ドイツ人の多くは、スペイン人とかに比べるとあんまり友人同士でフェースブックに頻繁に書き込みはしないので(掲示板とかは政治や動物愛護がテーマなのが多い。プレのドイツ人の友達に限ると)、彼女が最近書き込みしていないのは全く気にとめることはありませんでした。最後に私が彼女の掲示板に書き込みをしたのは5月の初め。彼女が5月か6月頃にお母さんになるとは前から聞いていました。掲示板には、彼女の赤ちゃんのエコー写真が。プレも「おめでとう、早く見てみたいなー」とコメント。その後そのコメントに返事をしてくれることは、ありませんでした。プレものん気に「生まれたら、しばらくはフェースブックどころでないだろうし、落ち着いたら出産報告があるでしょう」と思っていました。でも現実は。そのプレがコメントをして1週間経たないうちに大変なことが起こっていたのでした。たぶん、コメントした翌日か数日後には「それ」が始まっていたのかもしれない。。。プレの友人アーニャのお母さんは、プレの母の友人でもあります。母親同士、手紙のやり取りをよくしていました。プレの仕事が始まる10分前、いつものようにメールチェックしようとしたら母から短いメールが。「アーニャがお産で亡くなったそうです、かわいそうに!」急いで、彼女のフェースブックを開く。そうしたらなんと1ヶ月以上前に亡くなっていることが判明しました。「こと」の始まりを確認するため、今にも嗚咽しそうになる口を手で押さえつつ、クリックして下のページに行く。そうしたら、アーニャの旦那さんが短く亡くなった報告をしていた。更に、いとこがアーニャのお葬式の案内(こっちの新聞に出ているような)をスキャンしたものを添付していた。それを見て、プレは「何かの悪ふざけか?」と一瞬思ってしまった。本物のお葬式の案内なんだけど、なんか偽造したような感覚に。ドイツ人のアーニャの友人が何人かドイツ語でメッセージを残していた。ドイツ語が分からない彼女の外国人の友人は掲示板に「一体何が起こっているの!?お願いだから英語に訳して!!!!」と書き込んでいた。その上には、アーニャのいとこが英語でアーニャに何が起こったのか一部始終を説明してくれていた。このいとこは、プレは知らない。そういえば、1ヶ月前にプレに彼女から友人リクエストが来ていたけれど、プレは反応しなかった。最近、知らない人からリクエストが来ることもあり、プレはそういう人達にはフェースブックの友人にはしないと決めていたからだ。今から思えば、アーニャのことで連絡を取りたかったのに違いなかった。そう、プレが最後にコメントしてから約1週間後に・・・いとこによると、アーニャは急性膵炎(すい炎)で緊急入院。その急性膵炎は、妊娠中だったからこそ発見出来なかったものらしい。まず、お腹の赤ちゃんを帝王切開で生まれさせた。その後、アーニャは集中治療へ。膵炎の他に敗血症も合併し、数週間意識不明の状態が続いた。そして5月の末、アーニャのお父さんと旦那さんが立ち会う中、延命治療装置のスイッチが切られたそうだ・・・。いとこは「せめてもの救いは、彼女はずっと麻酔がかけられていたので痛みはなく、そんなに苦しんで亡くなったのではないということだ」と言っていた。その後、そのいとことフェースブックで連絡を取るようになりました。プレの母と連名で白いお花を送り、その届いたという写真もフェースブックを通して送ってくれました。アーニャのご両親は年配なので、メールとかは書きません。その両親に代わって、いとこがフェースブックでプレにメッセージを送ってくれました。いとこはアーニャのお葬式の写真も撮っていて、「これらはアーニャの子供が大きくなったら、お母さんに何があったのか教えてあげるために撮ったのよ。でもプレさんも良かったら、見てあげてください」お葬式の場にはいられなかったので、その写真を通して気持ちを共有したかった。自分自身の目で見たかった。でもアルバムのリンク先を開けるのが怖かった。見てみると、開ける前の一種の恐怖が吹っ飛んだ。「そうだったんだね」と素直に受け入れられることが出来ました。日本のお葬式と同じで、セレモニーの後はお食事会の様子の写真もありました。お茶とケーキだけだったみたいですが。アーニャは森の木の下に埋められました。大きな森の 大きな木の下に。そうだね、アーニャ。アーニャは、その木になって、その木の葉っぱにもなって、そよ風に吹かれて、葉っぱになったアーニャは自由に飛んでいくでしょう。真っ白になる雪景色の長い冬には積もる雪に思いを託し、雪が思いを風に託し、会いたい家族のもとへ、友人のもとへ行くでしょう。又は、雪の中、静かに静かに木の幹となって、思いを馳せているでしょう。木になったんだね、アーニャ。いつか絶対そこで会えるよね。会いにいくね。いつかそこでピクニックでもして、色々お話しようね。アーニャのフェースブックには今でも友人が時々、アーニャが生きているかのように掲示板に書き込みをしています・・・
2011年07月21日
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久々にブログへ立ち寄ることが出来ました。なにしろ3月から私的なことで色々起こって、なかなかブログで近況報告出来ず、プレの森のページは雑草だらけの草ボウボウ。今回もメモ的に:3月からクマの(これまたエスパーニャ異国赴任地への)単身赴任生活が始まりました。単身赴任と言っても、週末だけ帰ってきてくれるので半年全く会えないという訳でもなく、「本当の」単身赴任とは言えないかもしれません。プレとロバとの半母子家庭生活が始まったのでした。そこへ、偶然プレの友人がとある理由で同居しに来ることに。同居といっても、彼女用のプライベートな部屋はありません。彼女は居間で寝泊まり。彼女は彼女で色々な事情があり、そういう中でプレとロバとの(赤ちゃん半母子家庭)新生活に彼女も入っていくことに。赤ちゃんとの生活は朝型。夜は早く、朝は早く。彼女は仕事上、夜型生活。夜遅く帰宅、朝遅く出勤。よって、同じ家で生活していても、顔を合わさないこともあります。子供がいると、生活リズムが違う人と同居するのは簡単とも言えないことも多々あります。しかし、お互い家にいる時間が重なれば、「今日どうだった?」「明日の予定は?」と声掛けも出来るし、赤ちゃんとだけ話す家での一日だけでなく、大人との会話も出来て精神的に助かります。(ロバが寝た後、ネットをするより、この彼女とおしゃべりすることが増えた)それに、やはり夜、誰かがいるのといないのとでは違ってきます。この3月からクマの単身赴任生活で思ったこと:なんせ体力が要る(お風呂が一日の最大イベント)一人でやりくりするので、時間配分をいつも頭の中で考えておくこと(老化防止になりそうだ)ロバがいると昼間は料理なんかしていると私のズボンを裾をつかみながらギャーギャー泣かれるので料理はロバが寝た後、夜に限る。ロバの前で料理したり、電話で話したり、パソコンを使ったりすると、怒られる・・・不思議です。かまってほしんでしょう。(結局、家事は何が出来るのか!?)さすがに後追いは落ち着き、ちょとした間シャワーを浴びたり、掃除は出来るようになりましたが・・・。ロバは家にいると機嫌が悪くなってくるので、一日2回は公園に行く。公園の世界が分かってきました。私はプレという名前でなく「ロバちゃんのお母さん」。公園の大人たちも同様。個人個人の名前でなく、「・・・ちゃんのお父さん」ここの公園世界は面白い。午前中は働くお母さんが多いので、公園で子供をあまり見かけない。保育園に行っているのだ。でもたまに、保育園に行っていない赤ちゃん・子供もいて、そういう子の世話はたいていおじいちゃん。道を歩くとおじいちゃんが乳母車をよく押しています。おじいちゃんがブランコを押している。午前中に顔を合わすメンバーはたいてい似たり寄ったりで、ママ友(ママは仕事でいない)でなく、こっちでは「じーちゃん友達」が出来る。よくお父さんも子供の世話をしているけれど、失業率の高いこの国だから・・・なんでしょうか?ママ友より、おかしいことに「じじ友」「パパ友」の方が出来やすかった。午後の公園は、仕事帰りのママ・パパ達で大賑わい。ブランコや滑り台も順番待ちが多いほど、子供も沢山。午後がひやひやするのは、ロバや他の子のおもちゃの取り合い。1歳ちょっとでお友達と仲良く遊べるはずがない。まだまだ自己中心的。「ゆずる」のが出来るのは2歳過ぎた頃なのかもしれない。だから、近所の4歳の子がロバと遊んでくれる時は揉め事も起こらず、安心なんだけど、ロバと同じ年の子と一緒になると、必ずと言っていいほど、思い通りにいかなく、かんしゃくをおこし、大変。大人たちは「あーこのおもちゃ、ロバちゃんも使っていいよ、どうぞどうぞ」と初対面でもよく言ってくれるのだけど、肝心の子供達が「ワタシノ!」「ボクノ!」と大騒ぎ。・・・・と最近の近況でした。。。
2011年06月07日
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今回はメモ的に・・・インターネットの新聞記事で見つけた福島の詩人・和合亮一さんが書かれている詩のツイッターです。ここをクリックしたら和合さんのツイッターが見られますカーテンは閉めたままだ。窓は閉めたままだ。春の空だ、良い天気だ。震災から一ヶ月。一度も開けたことのない、窓。開けてはいけない、朝の窓。窓がうつむいて、泣いている。朝の窓の清々しさを、取り戻せない、私たち。太陽が雲間に隠れた。(2011年4月11日)仕事とプライベートな気持ちとは分けていたほうがいいのか、私の今の気持ちを説明した方がいいのか少し迷いました。でも生徒達は、快く喜んでこの授業活動に参加してくれました。以下は和合さんの詩のスペイン語訳です:La cortina contin?a cerradaLa ventana contin?a cerradaCielo de primavera, un d?a agradableUn mes desde el gran terremotoVentana que nunca hemos abiertoNo debemos abrir la ventana de la ma?anaLa ventana llora cabizbajaNo podremos recuperar la frescura de la ventana de la ma?anaEl sol se esconde entre las nubes(訳:NekiとTatichan)福島や東北の人達の思いが、言葉となって遠くの人々の心にも届きますように・・・
2011年04月18日
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独り言:これは大変なことになってしまった・・・!今でも信じられない光景。。。95年の神戸の地震では、津波はなかったけどニュースで流れている映像の中に自分はいた。今度は外からそれを見ている。非常に妙な気持ちだ。そして向こうの人達のことが心配だ。週末は友人(ウヌニコさん一家)の安否確認で連絡がつかず、半パニック状態だった。何とかお姉様と連絡が取れて無事という確認が出来て、少しはホっとした。けれど避難所生活、これからが大変だ。。。神戸より寒い土地なので、夜は寝るにも寝られないだろうに。95年の避難所生活を思い出すと、あんまり報道されてないこと、実はトイレが非常にネックだと思う。数日経っただけで、入るに入れないトイレ。自衛隊が学校の校庭に簡易トイレを設置してくれたのは確か1週間くらい経った後だったか?あの後、家族と線路を辿って徒歩で大阪に辿り着いた時、ほんの数十キロの距離の違いが、別世界のような気がした。トイレが使える!水が出る!人々が普通に生活している。。。今回は規模が非常に大きいし、津波で孤立状態なので、阪神大震災の時みたいに徒歩で安全なところへ行けるのは難しい。ひたすら救助を待つのみだ。。。プレは95年の時はあんまり気にとめませんでしたが、今は一児の母になったので、いつもニュースを見て気になっていることがあります。。。ニュースでは避難する住民、お年寄り・大人ばかりの姿がありますが、沢山の赤ちゃんとそのお母さん達はどうなっているのだろうか?日本時間は昼だったので、家族と別れ別れになってしまっているのでは?神戸の地震は幸い早朝だったので家族は家で一緒に寝ていたから、一緒になれたのですが。小さい赤ちゃんと二人きりのお母さん達、避難出来たとしても、粉ミルクのお湯とかはどうしているのか?おむつはあるのか?沢山の人がいる避難所で赤ちゃん達は寝られるのか。そして寒さ。ウヌニコさんの安否は分かったのですが、プレの実家にかけると、プレの妹のお友達が仙台の若林区に住んでいて、6か月の赤ちゃんがいるそうです。でも連絡が取れない。。。どうぞ、消息が早く分かりますように。そしてどうか無事でありますように。そして歯がゆいのが、向こうの被災者の方々は情報が入ってこないこと。TVの映像は外の人くらいしか見られない。被災者は実は何が起こったか把握しにくい状態なのだ。TVのヘリコプターの中継で、町が津波に今流されている映像が流れた。被災者の方々は、あのヘリを見て、中継するより、私達を助けてくれと思ったのではないか!?本当に心が痛みます。何も出来ない自分。心より被災された方々にお見舞い申し上げます。。。
2011年03月13日
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御無沙汰しております。新年明けてから、こっちに住んでいる友人が、ひょんな事でプレの家に同居することになりまして、夜もパソコンより彼女と話したりするようになりました。プレのそのお友達が云々というより、ロバの生活リズムの変化や新生活のせいかもしれません。いつからこのブログ書いてなかったんだろう・・・新生活と言えば、クマの単身赴任。その準備やらでバタバタしていました。1歳ちょっと前だから単身赴任出来るんですね。これが6か月の赤ちゃんとかだと、プレ自身は無理なような気がします。今になって、ロバの反応も出てきて、後追いも少しは減ってきたり、夜も早く寝てくれるようになったから、少しは楽になったから、単身赴任もやっていける気が。これで母子家庭状態どうしようと思っていたところ、偶然友達が同居して来たので、完全に母子家庭ではなく、精神的に助かっています。彼女は仕事柄夜型生活、プレ達は朝型生活なので、会うことはあんまりないのですが、それでも夜は誰かがいると思えて安心。彼女には赤ちゃんのいる家での同居は、夜思うように電話出来ないし、生活のリズムは赤ちゃん中心、彼女だけのプライベートな部屋はなく、居間で寝てもらっているので、不便で少し申し訳ないのですが。。。こんな感じで、新しい同居人と、クマの単身赴任、週末家族の 新しい年がスタートしました。たった4か月だけだから、スタミナ付けて頑張ろう!その後は遠くの町に転勤引っ越しで、これまたスタミナを付けないと。。。若い頃は引っ越しとか一種の「未知なる土地・新天地へのときめき(?)」がありましたが、年を重ねるごとに、面倒臭くしんどくなってきて、あまり動きたくなってきます。10か月目後半頃から、近くの公園に通うようになりました。もう家だけでの生活では物足りません。外に出てもベビーカーだけでは物足りません。体を日中動かさないと、夜は体力が有り余って、寝られません。よって生活リズムは朝7時過ぎに起床。昼寝1回(お昼・授乳後の13:30から一時間)、夜は21時半に就寝。お昼寝の回数と時間が減ったので、4か月頃みたいに昼寝の間にインターネットがゆっくり出来なくなりました。夜はよく寝てくれるのですが、お昼は外遊びが増えてきたので、家の中にいることはあんまりなくて夜は翌日の離乳食と食事作り。朝が早いのでプレも22時半には寝ることに。ラテン系のお国柄か、公園も行けば、色々な子供や親も話しかけてくれます。こちらでは友達とつるむ(それも同じ土地に住んでいることが多いので学生時代の友達より幼馴染みが多い)・家族(バスクがそうなのか、親戚の殆どが近くに住んでいる)とつるむのが多い行動パターン。家族でつるむ・・・で思い出したのが:息子もそうですが、娘が結婚する際に、親が新居を買ってあげるというパターンも多く(プレの知り合いで何人も見てきた)、新居はその親のスープの冷めない距離。又は娘の新居の真向かいに親が引っ越してくるパターンも。こっちではおじいちゃん・おばあちゃんが近所に住んでいることが多いので、公的な育児支援サークルや施設はあんまり見受けられません。ゲルマンにいた頃は、大学内に保育園があったので驚いたりしたこともありましたが、こっちでは子供を見てもらうのは祖父母・親戚、もしいなければベビーシッターを雇う。家族・親戚・幼馴染の友達が殆ど近所に住んでいるので、あえて「ママ友」を作る必要性もなさそう。日本では、新しい街に転勤・引っ越しなどが多く(ゲルマンもそう)、親戚・家族は色々な町に分散しているから、お互い助け合える「ママ友」と知り合う必要性が出てくるんだと思います。更にこちらのママさん達は仕事復帰が殆どで(半年から1年くらいで)、昼間に公園で子供と遊んでいるのは、おじいちゃん・おばあちゃん、・ ・・というか昼間には公園に子供の姿はあまりない・・・保育園に行っているからなんでしょう。・・・と、まとまりのないメモ帳になってしまいましたが、こうやってロバも1才を迎えていくのでした。
2011年03月04日
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海外で結婚式はあるけれど、お葬式には参加したことはありませんでしたが・・・先週初めて参列してきました、お葬式。プレが仕事中、ロバの面倒を見てくれているコロッケさんのお父様が亡くなったので、そのお葬式に。コロッケさんはクマの実家で長年働いていて、クマ・ファミリーにとっては家族同様なので、クマファミリー総勢で参列してきました。お葬式だから黒、エスパーニャの葬式ってアルモドバール監督の映画「volver」にも出てきた頭から下まで黒ずくめ、喪に服す・・・というイメージもあったし、他の国の映画(ハリウッド映画とか)のお葬式のシーンも厳かだったような。黒のコートない、灰色のコートでいいかなぁ・・・色のついたイヤリングは外した方がいいのか・・・ロバの服は黒いのがないよ・・・と一人で心配していましたが、クマ曰く「黒ずくめのはラ・マンチャ地方に多いんじゃないか。ここはそんなことないよ。自分はコロッケさんの家族を尊重して正装するけど」と、灰色のネクタイをしめていました。しかし、クマファミリーでもお母さんは茶色の服、弟たちは普段着(真赤とかではなかたけれど)。えー、こんなんでいいんかいな!?そうしたら教会ミサの中の参列者も色々。正装した人、でも多くの人は普段着に毛が生えたくらいの服装。白いコート、青いコート、茶色のコートなどなど。クリスマスのミサに行ってきまーすという感じの雰囲気。いや、普通のミサに行ってきまーすという感覚。この日はコロッケさんのお父さんの他亡くなった方と合同ミサ。よって教会は近所の人なども入れて、入りきらないくらいでした。教会の入り口付近の外で話す人達。ワイワイガヤガヤ。ミサ後遺族の人達に挨拶するのを待っているらしい。本当に近所界隈のおじちゃんおばちゃんのおしゃべりのよう。献花があるのかと思ったら、それもなし。本当に普通のミサ。長さも普通のミサ。ミサ後遺族が出てきて、みんながワーと寄ってきて挨拶。列なんか作りません。コロッケさん一家も黒ずくめでなく、茶色や紺のコートでした。プレは何か言わなきゃと思って「lo siento mucho」しか言えませんでしたが、言葉に出さなくても、ここのミサに一緒にいましたよという意味で挨拶のキスと抱き合うので十分だったのかもしれません。何かあっけなかったような・・・。でもこういう、ある意味であっさりしているお葬式のミサ、プレはいいかもしれないなぁーと思えました。(外で人がガヤガヤは失礼ですが。あれはちょっと許せないかも・・・)プレ達の結婚式でも一部のクマの友人たちがTシャツジーンズでミサに参列していて、理由は式の後(披露宴には呼ばれていない)直行でバーベキューに行くからなんですが、プレはスペインだからこんな感じなんだろうかと思っちゃってたし、日本から来た母も妹も「あのTシャツ軍団、驚いたよーさすが(?)スペインだねー」なんて言っていましたが、クマの両親と神父さんはお怒りに。失礼じゃないかと。お国や地方によって雰囲気が違ってくるんだなと思った先週の月曜日でした。。。。
2011年01月23日
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毎年1月17日になると神戸を思い出します。震災前の神戸、そして震災。震災後の今の神戸は、プレは町を離れてしまったので今まで住んできた神戸と違うように思えて、神戸という同じ名前の町だけど「神戸」ではないような感覚もあります。この日は一年の中で一番神戸に戻りたいと思う日。神戸の人達と一緒にそこで過ごしたいと思う日。一緒にあの日あったことを思い出して共有したいと思う日。そして、まだまだ頑張っている方々に頑張って下さいと口に出して道では言わないけれど、その土地にいてあの道を歩くだけでいい、思いながら歩いていたい。この日も少し母と電話で話すことが出来ました。今までは、1月17日が巡る度に震災で亡くなった方々ばかりを思っていたけど、クローズアップされていたけれど、最近16年経って行政がやっと「震災障害者」の調査を始めるようになったとか。「震災障害者」って言葉自体、プレも知りませんでした。「残された人達」震災によって障害を負った人が多いらしい。障害を負ってしまい、更に生活再建も課せられて二重苦。そんな話が報道でもされるようになってきました。今日の新聞などではやはり震災関係の記事が多かったです。今回はメモ的にいくつかの記事をリンクしておこうと思います。震災障害者震災遺児成人するはずだった・・・4歳の子の遺族震災を語り継ぐ毎年そして思い出すのが震災を通しての繋がりが出来た方々。元気づけてくれたり、訪ねに来てくれたり、手紙を送ってきてくれたり、電話をかけてくれたり、助けてくれたりしてくれた方々への感謝。あの時、本当に有難うございました。。。1月17日はその方々への感謝の日でもあります。。。
2011年01月17日
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今週末は連休。連休中の日曜日にエスパーニャ全国・・・もとより世界中で「日本語能力検定試験」が行われます。エスパーニャの試験会場はマドリッドとバルセロナのみ。その他の町に住んでいる受験者は、遠隔地に(カナリア諸島とか)に住んでいようがこの二つの試験会場まで行かなくてはいけません。プレの生徒も何人か、直前のこの金曜日まで試験対策・準備を頑張ってきました。1年に一回(日本では2回らしいですが)の試験。「頑張って行っておいで!」とエールを送りながら別れました。マドリッドとバルセロナへ彼女達も試験へいざ出陣か。頑張って!その日はお昼はクマとバルセロナから来ていたクマの上司が仕事が早く終わったので、プレとロバと一緒に近くのレストランで食べることになりました。クマの上司は2児の父。「今日ちょうど妻から電話があって、子供が怪我をして三針縫ったんだよ、でも大事には至らなかったから少し安心したけど」「じゃあ、今日この後早く家に帰ってあげたいですね」その夕方その上司からクマに電話があって、飛行機で帰るはずがクマさん、どうやら空港から車でバルセロナに帰る道順を教えている。どうしたんだ?「スペイン中の空港がストで、飛行機が飛ばなくなっている。彼はいつ出るか分からない飛行機に乗るより確実なレンタカーで帰ることになった。6,7時間かかるけど。仕事で疲れている上に、子供が怪我をして早く家に帰らなくてはいけないのに」テレビを見るとニュース速報がずっと流れていました。スペイン全国の空港の管制塔で働いている人達が一斉に職場を離れストライキに入ったと。普通ストライキというものは、事前に告知するもの。今回は予告全くなしのストライキで、スペイン国中の空港はパニックに。(アンダルシアとか一部の空港は除く)管制塔に誰もいなくなってしまったので、外国から来る国外線も、国内線も、出発も離陸もダメ。画面には空港で溢れかえる乗客達が。それもそのはず、連休なのでバカンスに行く人達で一杯。小さい子連れの人、疲れきってスーツケースに顔を埋めたり、空港の床の上で寝ている人などなど。「楽しみにしていた連休の旅行、どうしてくれるんだ」とテレビで怒っている人が多くいましたが、プレは日本語能力検定試験を受けにいくLさんのことが真っ先に頭に浮かびました。バルセロナまでは飛行機で行く予定で、飛行機で短時間で行けるので、試験前後はバルセロナにある日本のお菓子屋や和食レストラン、お弁当屋さんに行くのを非常に楽しみにしていました。彼女の携帯に心配メールを送りました。そうしたら、一つ目のメールには「土曜日のフライトですが、明日の状況によります。また変化があったらメールします」ニュースでは、飛行機に乗れない人達が電車やバスに代ろうとごった返し、マドリッド発着のレンフェの電車は搭乗出来ない状態だと。他の生徒達は、皆んなバスか電車で行く人達(もう席の予約もしてある)なので、それはホッとしましたが、翌日Lさんから携帯で、結局バルセロナには行けなくなり、試験も受けられなくなりましたと連絡が。Lさんは、遠距離で飛行機で試験会場に行く大多数のうちの一人に過ぎません。Lさんみたいに、試験が受けられない(電車もバスも空席がなくて)人はもっといるはず。。。しかも年に一回の試験。あと、聞いたところによると結婚式に行けない、外国で養子を迎えに行く予定だった(何かビザの問題があるのでしょうか?)、病気の人などなどバカンスだけでなく、色々な大変な事情を抱えた人がストで足止めになっていました。予告なしのストにも腹立たしいですが、管制官の人達がストをしようとする事情にも腹立たしくなりました。なにしろ、エスパーニャでは管制塔で働く人(管制官)は公務員扱いで、今まで特殊な職業だからと色々な待遇を受けていました。ほんの一つの例ですが、年間300000(30万)ユーロの平均給与。つまりサラリーマンの10倍以上の給与。でも労働規約はサラリーマンに比べて全然緩いらしい。今まで甘い汁を吸ってきたのですが、スペインのここの不況でさすがに労働規約の改正、減給しなくてはならなくなった。スペイン政府と管制官達の交渉は行き詰まり、政府はこの新労働規約を強行することに。それに反発して感情的に告知なしのストとなったそうです。管制官達は「ざまーみろ、これで困って改正しなくなるだろう。おれたちがいなくて困るってことが分かったろ。困ったやつらの怒りの矛先は政府に行くだろう。不況のもとは政府の責任だからな」・・・と思っていたのかもしれません。でも結果は逆に人々の怒りは管制官達へ。今まで隠されていた(?)管制官の待遇が暴露され、自分達の税金が、あんな公務員の贅沢につかわれてたのかー!仕事に合わない超高給取りなんておかしい!そんな贅沢な給与で、ストをするなんて許さん!政府は軍を介入して、管制官達を職場に戻しました。テレビのインタビューで泣きながら話す管制官の女性。「私の背中に銃で脅しながら、仕事をさせるんです。これが政府のやり方なんですよ」と、いかにも自分が犠牲者みたいな話し方をしていましたが、悪いけどプレは見ていて「ふふーん、どっちが大きな迷惑をかけているんだろうね、子供みたいな甘ちゃんだな」と少し笑けるほどに思えました。政府は非常事態宣言。ストライキではなく(告知するのがストだから)、Chantaje(恐喝)だと言っています。プレもそう思えます。ストではなく、これは犯罪だとテレビでも言っていました。後に法に裁かれて、有罪で8年くらいの刑になることもあり得るらしい。多分、日本では起こりえないかもしれません。そういう告知なしのストをすると人々の反応がどうなるか想像出来るから。あと日本の働いている人達は、多少はお客さんのことを考えられると思うのです。このスペインの管制官達は、自分達のしていることが結果、自分達の首を絞めることになると分かっていなかったみたいです。昨日の土曜日は、プレのいとこが人形使いでバスク公演に来ていたので見に行きました。昨日の公演終了で一足早く帰国する劇団員さんもいるみたいで、もしかして日本へ帰れなく足止めされるかもしれない・・と心配しましたが、空港が平常に戻りつつあるので、来週は問題ないでしょう。・・・と日本までは入ってこないニュースですが、こちらで大ニュースになっていることを書いてみました。同じことがフランスとかドイツで起こると、日本に入ってくるのでしょうかね?まだプレは試験が受けれなかった生徒を思い、腹が立っています・・・。
2010年12月05日
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こっちも冬らしい寒さになってきました。いかがお過ごしでしょうか?早く日が暮れるし、家の中は寒くなってきたので暖房付けて室内で過ごす時間が増えてきました。そうすると味の好みも変わってきます。サラダよりオーブンのグラタン料理。あっさり系よりこってり系。冬に食べたくなるようなお菓子も。こっちのスーパーではクリスマス前になるので、アーモンドのお菓子Turr?n(トゥロン)や Polvor?n(ポルボロン)が並ぶようになりました。好物のアーモンドだし、一口サイズで食べやすいから好きなのですが、寒くなって、クリスマスのアドベントが近づくと、あのゲルマンが懐かしくなる時があります(やはり離れると美化されるのか!?)それがクリスマス市。4時頃から暗くなってきたから、あのクリスマス市の屋台の光とホカホカの食べ物・ホットワインの蒸気・・・。魅かれました・・・・。クリスマスとクリスマス市がなかったら、あの長い暗い冬のゲルマン生活は耐えれなかったかもしれません。イエス・キリストの誕生日は本当は12月25日ではないというのですが、クリスマスをこの日にして、祝うようになったのは寒い中での生活の知恵があるのかもしれません。日本のお正月もそうですが、寒い中に大きな行事があると気分的にあたたかくなります。(4世紀にニケアの公会議によって、キリストの誕生日は12月25日に決定されたらしい。その公会議で生活の知恵なんてあんまり考えられなかったでしょうが、それにしても夏より冬の方がピッタリだなぁと思う)今回で3回目になるドイツ人学校のクリスマスバザーに足を運んでみました。去年より人が多かった。。。授乳中のプレが飲みたかった、ノンアルコール(お子様用)のホットワイン、もう既に売り切れていました。ロバちゃんには悪いなと思いつつ、普通のホットワインを3口4口ほど飲んでしまいましたバザーの風景。人が沢山。クリスマスくじの番号当選発表中。学校のバザーだけど、親達や卒業生の社交的なおしゃべりが主のような感じでした。さすがエスパーニャ?今回は片腕にロバちゃんだったので、バザーの食べ物(お菓子か)も会場でそのまま食べることは難しく、お持ち帰りを考えた。ケーキやクレープなどは崩れて持って帰りにくい。。。あ、シュトレンがあるではないですか!クリスマスの味の一つ、シュトレン。プレは以前は(日本やゲルマンにいた時)シュトレン苦手でした。なんか素朴すぎて(すみません)、マジパンも入っていたり、ブランデーの味がしたりで。しかし今では懐かしいせいか、食べたくなるものです。こっちに来た時苦手だったものが、ミルクライス。ごはんを甘くミルクで煮たもの?何だそりゃ?って拒否的でしたが・・・でも今では大好きなデザートの一つ。マジパンも実は苦手で、ミルクライスほどでないですが、それでも食べられるようになってきました。バザーで買ったシュトレン。手作りだからおいしかったです。マジパンも入っていましたが、結構ぺロリと食べてしまいました。でも一番好きなところは、表面とそこにかかっている粉砂糖。。。日本から戻ってきて、甘い朝ごはんに慣れるまで時間がかかりましたが、寒いせいか、今では甘いのではないと頭が働かない感じに。暑い夏の日本では、朝ごはんはさっぱり和食が好きだったのですが・・・。昨日と今日と朝ごはんはシュトレーン。クリスマスの味の朝ごはんでした。もうそろそろ大阪の梅田でもクリスマス市がやってくるのではないでしょうかね?プレの妹が毎年行っているのですが、なかなかの雰囲気らしいです。規模も大きいらしい。どなたか行ったら、御報告楽しみにしております。。。
2010年11月28日
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2週間前に日本から戻ってきて、やっとこっちの日常に慣れてきたという感じです。1週間目は時差ボケや食事時間のリズム(エスパーニャの甘い朝ごはん、2時のお昼時間、そして遅い夕食)を直し、あとは近所の人や知り合いに会って、「社会的・人間関係的」な日常に戻っていく・・・。7か月検診が早速ありました。本来なら6か月目で受けるはずの予防接種も。日本の「アカチャンホンポ」の授乳室の体重計で量った時よりも体重が減っていたので驚いた(8月上旬で7,4キロだったのが、10月で7,1キロ?)。機械のせいか、服を脱いで量ったからか?増え具合は順調だけれど、離乳食をもっと食べさせるように(昼の野菜のピューレとおやつの果物すりつぶし各200グラム以上)と。今まで100しかあげてなく、しっかりと量らなかった自分に反省。。。ごめんよ、ロバちゃん・・・。日本の育児書と大分違います。日本では6か月はまだ離乳食は一日一回なのに、こっちはもう二回。でもこちらは、6か月も7か月も8か月もそんなに離乳食は変わらない。同じピューレ状。日本では、ゴックン期、モグモグ期、カミカミ期とか単語になっているみたいっすね。「うちのロバは日本人でもあるんで、おかゆもあげたいんです」と言うと、7か月目検診でやっと許可が下りました。ごはんは遅いらしい。でもその前に、4、5か月目から粉ミルクに離乳食導入としての「穀物パウダー(グルテンなし)」を入れるようになっている。そうやって除々に穀物に慣らしていくのか。早くあげたい白身魚もまだダメ。来月8か月目から許可で、しかも新鮮な魚でも一旦冷凍してから調理しなさいと。アニサキスというバクテリアを殺してからだそうな(冷凍によって死滅する)どうして日本ではOKなのでしょうかね?一緒に検診に来てくれたクマママさんに「日本の魚は新鮮だから、そんな心配がなく、赤ちゃんも食べている」と言ったら「プレさん、パイスバスコの魚も新鮮なのよ(怒・ピキピキ)」とちょっとだけ怒らせてしまいました(笑)さすがヨーロッパは肉食。6か月目からのタンパク質は、鶏肉から。7か月目からは毎日50グラムの鶏肉か子牛の肉を食べさせることと。更にお昼の野菜・お肉のピューレには、オリーブオイルを入れること。そして気になる「土足文化の赤ちゃんのハイハイ」ですが、小児科の先生にお聞きしたところ「あまりに汚すぎる所は駄目だけど、普通の家の中なら土足の部屋でもハイハイは大丈夫。むしろ、そうやってハイハイして、色々な細菌に対する免疫が作られていくんですよ!」なるほど・・・。納得してしまいましたが、プレはやはり日本人。友人や義実家の家などは土足でハイハイもいいけど、せめて自分の家は、慣れた靴を脱ぐ生活にしたい。よって自宅では日本の家みたいにしています。こっちに来てから、育児のやり方も日本と違って迷うことも出てきました。土足の家をハイハイは納得しましたが、後追いや指しゃぶりなどのテーマはちょっと難しいかもしれません。夏日本に戻った時、先輩ママさん達にロバの指しゃぶりは「これくらいの時期なら大丈夫、普通だよ。むしろ指をしゃぶることによって色々と感覚の学習もしているんだから」と心配しないようにと言われたのですが。こっちでは指しゃぶりはダメーって雰囲気。小児科の先生も「指しゃぶり、止めさせるの大変だから、おしゃぶりにしなさい」クマの両親・親戚も「あー指なんかしゃぶらせちゃーダメだよー、やめさせなさい!」そして先月から始まり、だんだん酷くなる後追い。プレの姿が消えるとギャーと泣かれます。トイレにも行けません。乳母車に乗るのも嫌な時期で、プレが抱くと泣きやみ、落ち着きます。その様子を見て、クマの義両親や親戚は「あぁー、今からこんなにママっ子なら、将来どうしようもない甘えん坊になっちゃうよ。少しぐらい泣かせときなさい!」日本の方が、泣かせないことに重点を置き、こっちでは、泣かせることが大切みたいな感じです。どっちが良いという比較ではありません。ただ、プレはロバのために、プレなりのやり方を自分の信じることを自信をもってやっていくべきなんだろうと思うこの頃。この後追い、プレが週3回仕事を再開することになり、どうなるかが課題でしょうか。今週、夏以前に来てもらっていたベビーシッターさんにロバをみてもらいましたが・・・(大袈裟ですが)地獄のようでした。。。ロバも以前慣れていたはずのシッターさん、後追いでプレの姿がないので、必死に探して泣きます。仕事中2時間泣きわめきました。大好きな離乳食も食べられませんでした。散歩に出たら、落ち着いたみたいでしたが。。。もうこれは、少しずつロバちゃんに慣れてもらうしかないのでしょう。心を鬼に。仕事再開にあたって、週1回勤務するところから「要請」がありまして、再開したいのは山々なんですが、なにしろ他の週2で来てもらっているシッターさんが週3は無理とのこと。他のシッターさんも心当たりないし(プレの勤務時間に来てくれるようなシッターさんはいない)、近所の保育園も18時までだし、クマママさんには頼れないので、お断りしました。そうしたら、そこの社長さんが「プレさん、自分には4人子供がいるんだけど、その子供たちの面倒をみてくれてるMLさんというお手伝いさんに聞いてみようか。」そのシッターさんは、午前中はその職場の清掃に午後はベビーシッターをしている方で、偶然にもその人に知り合うことが出来ました。年配で感じの良い人だし、なにしろ社長さんのお子さんの世話もしていて信頼が置ける人。社長さんの家でロバちゃんは、その子供達と一緒にお世話になることに。その家は職場から目と鼻の先。更にプレは職場までロバちゃんと一緒に来れて、帰りも一緒に帰れるので一石二鳥。後追いが激しい時期で色々と心配ですが、この社長さんの提案には嬉しかったです。これで、こちらの日常にも安心して戻れるようになりました。。。
2010年10月10日
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御無沙汰しています。日本の里帰りもあっという間で、帰省中は意外と、こっちにいる時より忙しくブログの更新が出来ませんでした。小さい子を連れての帰省、迷ったいましたが、思い切って行った甲斐がありました。家族・友人との再会、そして人との出会い(勿論日本食も大きい)などなど。。。思い切って行った甲斐があったのは私だけでなく、ロバちゃんの成長にとっても良かったみたいです。日本の家は子供に優しい造りをしているんだと実感したり、某教育テレビの子供番組は考えて作られているんだと感心したり。色々あるのですが、今回は帰路の珍道中について。行きの飛行機より、帰りの方が大変でした。行きでも寝てくれなかったロバちゃん。飛行時間の違いもあるかもしれないけれど、帰りは更に寝てくれませんでした。折角バシネットを取りつけてくれたのに、そこで寝てくれたのは30分だけ。ロバちゃんのベッド・・・のはずが、物置状態に。。。今回も大活躍だった授乳枕。プレはこれなしでは長旅出来ませんでした。ベビーカーは乗り継ぎのシャルルドゴール空港で受取れなかったので、4時間の待ち時間、ロバちゃん疲れてウトウトしたら、この授乳枕を空港のイスに乗せて、ロバちゃんを寝かせました。ベッド代わりに。バシネットには寝てくれなかったけど、行きは授乳枕の上で寝てくれた。しかし今回はこの授乳枕でもなかなか寝てくれなかった。。。行きの月齢5か月前と帰りの7か月前では泣き声のボリュームが違う。いかに泣かせないで周りの人の迷惑にならないようにするか必死でした。。。だから「泣いたらおっぱい」この繰り返し。ロバちゃんを連れて機内の後ろを散歩していたら、日本人のツアー客のおばちゃん達に話しかけられました。おばちゃんに抱っこされ、機嫌良くしているロバちゃん。その時、乱気流のベルトサインが。このサインが付くと、すぐに座席に戻りベルトをしなくてはいけません。やっと機嫌が直ったのに、席に戻り、ロバちゃんのベルトを締めると、ギャーと泣かれる。でもベルトは外せないので、泣かせないために、おっぱいをやる。今回の便は乱気流のベルトサインが頻繁だったので、こんなことが多く、プレのおっぱいはボロボロになってしまいました。。。とほほ。。。今回はクマのお父さんお母さんが、日本旅行の帰りのついでに、プレと同じ便に同伴してくれたので本当に助かりました。こんな赤ちゃん連れの帰省を一人で成し遂げられるお母さん達って、プレは脱帽っす。サービスは行きの方が良かったでしょうか。航空会社の違いか、それよりその便に乗り合わせた乗務員さん達の人柄でしょう。行きは「必要なものがあったら何でも言って下さいね。おむつもミルクも離乳食もありますよ」とか「食べたい夜食があったら、言って下さいね、取ってきますよ」そして最後に到着した時に「ロバちゃん、長旅よく頑張ったねーチャンピオンだ!」と可愛がってもらったりしたのですが。帰りは同じ便なのかと思うほどドライ。赤ちゃん連れも普通の乗客も同じという雰囲気でした。まぁ、プレがクマママさんと一緒なんで、一人でないから大丈夫と思われていたのかも?行きではもらったおもちゃも、今回はなし。離乳食要りますかの質問もなし。担当だったフランス人と日本人乗務員さんの性格なんでしょうか、なんかドライ。勿論頼んだものはちゃんとしてくれましたが・・・。こんなもんなんでしょうかね?今回も思ったのですが、この便の日本人乗務員さんって、やはり「私忙しいんです」って感じの人が多し。プレだけでなく、他の乗客に対してもですねぇ。言葉はとても丁寧なんですが、その言葉とは違って、本心はちょっと・・・。雰囲気で分かりますよね。。。クマママさんが間違って呼び出しボタンを押してしまった時も、乗務員さん「あっそうですか」って柔らかなお言葉だったんですが、ちょっとイラってしてた雰囲気が。そりゃあ、申し訳ないけど。。。パリからの乗り継ぎ便。これで最後だ、もうすぐだという時。機内サービスの途中で、プレの前に来ていたスナック・ドリンクのカートが置かれたままになって、進まなくなってしまった。前でどうやら二人のスチュワーデスさんが話している。フランス語だから何か分からないんだけど、暫くして、一人のスチュワーデスさんが戻ってきた。そして通路を挟んで隣の男性乗客に英語で「二度とこんなことはしないよう。あなたには私を触る権利なんて、これっぽっちもないんですから。」とキッパリとかつ冷静に言い放った。セクシャルハラスメント?こう毅然と乗客に言えるなんて・・・日本人のスチュワーデスさんだったらどうなるんだろう・・・なんてプレは妙に感心してしまいました。他にも色々ありますが、今回はこの辺で。。。。
2010年10月01日
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実はこの夏休み日本にちょっと里帰りをしています。里帰り・・・と言っても新幹線で行ける距離でない、短距離飛行機で1時間ちょっとでもない、直行便もない・・・という長距離里帰り。自分自身が乗り物酔い・飛行機恐怖症もあるので、更に赤ちゃんを連れて飛行機なんてあんまり乗り気ではありませんでした。まず5カ月になろうとする赤ちゃんが乗り換え時間4時間、日本まで11時間の長旅に耐えられるかというのが不安。長旅が体にきつくてかわいそうだ・・・。そしてその11時間、飛行機という密室、多くの乗客の中でいかに迷惑をかけずに済むかという不安。もう少し大きくなってから行けばいいじゃないかと思い、色々と悶々していましたが、ロバちゃんの名前の由来、ロバのひいおばあさんに元気なうちに、会わせておきたいという強い思いがあったので、思い切って飛行機にのることに。旅行は準備から始まる。小さい子がいると、やはり準備するのも今までの二倍はかかりました。日本の友達にも里帰りの連絡出来る時間が殆どなかったり・・・(多分これを読んで驚かれているのかも)機内持ち込みにしようかと迷って、クマの反対を押し切って持っていったもの。結果的には良かったと思えたもの:授乳枕場所がかなり取られるのですが、これはお勧めでした。長時間のフライト、そして乗り換え時間で役立ちました。これはプレ達が行きはベビーカーを持っていかなかったからかもしれませんが(エスパーニャは新品は高いので、日本のインターネットの通販で買って、実家に配送してもらった。帰りはこれで)、空港で授乳室が見当たらなかったので、空港の喫茶店で、人のいない隅っこでゆっくり授乳。そしてその授乳枕でロバちゃんも仮眠快適。だっこばかりの姿勢でなく、これもロバちゃんの体の負担が減りました。プレのお友達がおっしゃっていたように、授乳の正しい姿勢は大切。これを怠ると、乳口炎、最悪の場合は乳腺炎になります。プレは、例の整体通いの姿勢と、今までの授乳の姿勢のせいで、乳口炎になりました。そのお友達のアドバイスのおかげで、授乳姿勢を意識し、授乳枕を買いました。何回もある機内の授乳、そこでの快適な授乳姿勢も大切です。機内のエコノミーは満席。赤ちゃん連れのスクリーン前の4席も全部埋まりました。一席の幅も、かなり狭く、腕だけの授乳姿勢は結構難しそう。この授乳枕にかなり助けられました。ただし、授乳枕はお隣さんにも少しまたがりそうになるので、前もってお隣の人には声をかけなければいけません。お隣の人:これは運でしかないでしょう。今回とても運が良くて、隣が日本人のお母さんと息子さん(イタリアへピアノ留学の下見に行っていた帰り)が大変親切で助かりました。お二人共、赤ちゃんが隣で迷惑ではなく、逆にそんな機会滅多にないから嬉しいって喜んでくれて、色々あやしてくれたり、プレとクマを逆に気遣ってくれたり。長かったようで、短かったような・・・。乗り物酔いも、飛行機恐怖症も、緊張感で吹っ飛んでしまいました。バシュネットを用意してくれていたのに、結局そこでロバは殆ど寝ませんでした。やはり知らない場所、知らない人、空間などで、興奮しちゃって、寝れないんっすね。そのバシュネットで寝てくれたのは、飛行時間最後の4時間くらいだけ。あとはクマやプレのひざの上。バシュネットに置くと泣くので、その授乳枕を殆どの飛行時間ひざに乗せて、ロバに授乳したり、仮眠をとらせたりしていました。赤ちゃん連れの飛行機の旅の鉄則(?):泣きだしたら、おっぱいをあげること。殆どが泣きやんでくれます。焦ったのは、ロバのうんちが背中にもれ洋服にまではみ出ちゃって大まみれ(滅多にない、2日に一回の便通なので)、機内トイレで着替えさせて、服も少し洗おうとしたら、機内食後で、乗客の皆さんが沢山トイレに行こうとしていて、皆さんイライラ待っていて、大変でした。。。。そんな時に限って。。。冷や汗。。。ネットなどで見ると、日本人乗務員の方が親切って聞きますが、今回の旅で私は違うなと思いました。外国人の乗務員さんの方が、ロバによく話しかけてくれたり、気遣ってくれたり。荒いと言われている、外国人乗務員さんの哺乳瓶洗いも、結構きれいに熱湯で洗ってくれていましたし、満足でした。うちのエコノミーの日本人乗務員さんは担当でないからかもしれないけど、プレ達に目線も合わせようともせず、飛行機出る時も、私達が最後なのに、その近くで「私は今働いているんです」って感じで気がつかないふりみたいな。丁寧な日本語と笑顔の裏に「私忙しんです」って雰囲気が。なんか昔子連れのお客さんに嫌なことされたんかなーって勝手に想像しちゃった。。。皆が皆、そうでないですよ。他の飛行機で日本人乗務員さんで感じの良い方も見てきましたし。まぁ、人それぞれでしょうか?赤ちゃんの泣き声より大きいスペイン人のおしゃべり声:乗る前から迷惑かけてしまう、ロバ大人しくしていてくれと色々心配でしたが、意外にロバの方が、スペイン人団体乗客より大人しかったかもしれません。スペイン人の団体か、友達仲間の若者が機内のトイレの横の場所で、5人くらいでつるんで、おしゃべりしていた。そのボリュームのあること!何か機内がバルのような雰囲気だ。やっとロバがバシュネットで寝てくれたと思ったら、この若者5人が輪になっておしゃべり。日本に帰って思ったのが、子連れで入れるレストラン・喫茶店がエスパーニャよりないことで、静かにしなくてはいけない日本人と、バルの人が賑わう雰囲気のスペイン人との違いでしょうか。もちろん、周りが静かだから、子供や赤ちゃん連れはダメみたいなのが日本。エスパーニャだと、レストランでもバルでもどこでも生後1カ月くらいの子を乗せたベビーカーをひいて入ってくるお母さん・お父さん達が多い。でも、大人のおしゃべりがうるさいので、子供の騒ぎ声なんてかき消されてしまい、子連れは迷惑に思われない。機内のこの若者達を見て、日本に来て思いました。。。クマがいたおかげで、機内食も交代で食べれたし、里帰りに同行してくれて助かりましたが、これを一人で全部している他のお母さん達って、本当にすごいなーと実感。プレはまだまだ若葉マークのままです。。。日本の家は赤ちゃんに優しい!・・・と帰ってきましたが、思ったのは、日本の家の中は赤ちゃんに優しい構造。日本に来てからのロバの成長ぶりが著しい。畳やフローリングでのびのび出来るので、運動能力も発達するし、何よりロバちゃんご機嫌。そして親も一緒になってゴロゴロ出来るので、コミュニケーションも非常に取りやすい。日本のお風呂でもノビノビ。
2010年08月11日
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例のワールドカップ決勝、ハラハラしながら見てましたが、最後の最後でスペイン、やってくれました!昨日は縁起担ぎにタコを食べたし、搾りたてオレンジジュースも作って飲んだし、その甲斐あり???スペイン・サッカー界の大いなる歴史の日なので、さすがにプレの隣町からも花火が上がるし、家の前の道を何台かの車がクラクションを鳴らしながら走ったりしました。さて:今月で4か月目になりましたが、先月の育児メモを忘れないうちに・・・仕事の半分を再開した3か月目。ロバちゃんの生活リズムが整ってきつつあるのですが、やはり再開は4か月目の方が良かった・・・と。3か月目から4か月目にかけて、ロバちゃんの昼寝時間やじ授乳回数が急激に変化。今まで一日5回の授乳が4回に減り、心配でしたが、小児科の先生曰く「朝ごはん、昼ごはん、夕飯のリズムに近づきつつあるからいいことなんですよ」未だに1時間かかる授乳だけど、一回の授乳の母乳の量が増えているなら、回数が減っても問題ないのでしょう。育児書では1日5,7回と書いてあったので、心配でしたが。個人差があるので、ここは小児科の先生を信頼して。うんち回数も平均、2日に一回。それも朝。仕事始めは、ベビーシッターさんや生徒達も来るし、散らかり放題の家に来てもらうのは、少し恥ずかしいと掃除を頑張ってしていました。しかし、ロバちゃんの昼寝時間が増えたので、昼寝中は、シッターさんに普段出来ない家事(掃除やアイロンかけ)を頼めるので、稼ぎは殆どなくなっても、これは助かります。しかも、クマが仕事や出張で家にいないことが多いので、家で二人っきりばかりより(近所の散歩で、よく人に話しかけられるが)、子供好きのシッターさんや生徒達が来て、ロバちゃんも嬉しそうだし、プレも気晴らしになります。手抜き家事を学ぶ家事をいかに上手に手抜きするかを学んでいく月でした。パン食に変わる;こっちは日本と違って、便利なお惣菜がないので、おかずも一から作らねばならない。よって、ごはんを炊く時間を省略するため、こっちの食生活スタイルになってしまいました。パンを買う。体力をキープするための毎日の昼寝:夜に備えて、ロバちゃんが昼寝するなら、プレも一緒に昼寝。もう3か月になったので、大人と一緒にロバちゃんの服も一緒に洗濯。3か月検診で言われた、ロバのお通じの為のオレンジ果汁。初めての果汁は、さすがエスパーニャ、オレンジ。日本の育児書では、果汁と同じ量の水で薄めて飲ませるらしけど、こっちの小児科の先生はオレンジの果肉を除いたものでいいと言った。でもプレは今回は日本流で薄めて飲ませています。首もすわり、予期しないことが起こるように。もう目が離せません。たった5秒目を離したすきに、ベッドから転落してしまった時は目の前真っ暗になりました。「ここなら安全確実」という場所を先に考えて行動しなくてはいけないと反省。首がすわるようになってからの赤ちゃんの事故第一位が転落事故らしい。これからは誤飲事故も出てくるし、母として気をつけなければならないことが増えていくんだ・・・とつくづく実感しています。子煩悩はいいけれど・・・ヒエー!!ここは日本やゲルマンより、子供好きの人が多いみたいです。外出すると必ずと言っていいくらい、見知らぬ人に話しかけられます。地下鉄の駅のエレベーターで、散歩中の公園や道で、八百屋さんで、同じマンションで、バルなどで・・・話しかけられるだけなら、いいのですが、ここはキス攻撃の国。もちろん、赤ちゃん可愛いーと触りに来ます。色々な人に触られたロバちゃんの手。その手をしゃぶるので、大丈夫かなーとハラハラ。でも、もう3か月だし、こうやってエスパーニャの子供達も免疫が付いてくるのかと、思うようになってきました。しかし・・・ある日、肉屋のおじちゃんが「おっ!ロバちゃん大きくなったねー」と肉を触った手で、ロバちゃんの鼻や手を触った時にはプレの目の前はショックで真っ暗に!!(プレの心の中)あーれぇぇぇー急いで帰って(ロバよ、家に着くまで指しゃぶっちゃダメだよ!)、ロバちゃんの手を洗いました。これには本当ヒヤヒヤしました。。。・・・と3か月目の育児メモでした。
2010年07月12日
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今日の一言。決勝戦が近づいてきて、エスパーニャ国中盛り上がっています。・・・プレの町を除いて。マドリッドや他の町はTVで見る限り、赤と黄色の国旗で華やか。例の有名な「ワールドカップ予言蛸パウルくん(ドイツだったんだ)」は、こっちでも話題に。縁起担ぎに多くのスペイン人がタコを食べるので、あっちこっちの魚屋ではタコ売り切れ状態続出らしいです。タコのつまみを置いていないバルでも、メニューに取り入れたり。プレも「よっしゃー、縁起担ぎだー、頑張れスペイン!」とスーパーに行ったら、タコ売り切れていませんでした。日曜日はタコをつまみながら決勝観戦。あと、相手国オランダが倒れるようにとユニフォームのオレンジ色から、オレンジ、そのオレンジを絞りとれ・・・と搾りたてオレンジジュース。おおー、これはプレは毎日、ロバちゃんの果汁のために絞ってますよ。(オランダ応援のウヌニコさん、ご免なさい)・・・日曜夜8時半(現地時間)。タコのつまみと、アルコールなしビールで家で「秘かに(笑)」ビバ・エスパーニャと叫んで観戦しようと思います。応援歌:Campeones Ole---Pulpeones Ole----!(TVで聞いた替え歌)
2010年07月10日
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ロバちゃんが昼寝したので、ここで今日のつぶやき・・・ワールドカップ、ここ盛り上がってないなー寂しいなーよその州なら今日スペインとポルトガル戦で、町中はユニフォーム着たサポーターや、国旗で華やかなんでしょうねぇ。。。プレの住んでいるところは、近所を見渡しても・・・まるでワールドカップが存在しないかのよう。外国人であるので、このたぐいの話題は素直に聞きやすい。八百屋のお姉ちゃんと話してみました。「そりゃあ、スペインのユニフォームを着るのは自由だけど、でもここでは浮くでしょー。なにしろスペインチームだから。アトレティックの試合の時は、プレさんも気付いたでしょ?辺り全体が赤と白模様で、にぎやかなお祭り」こんなところで、自分は異国バスクに住んでいるんだと実感。バスク人も数人チームに入っているのに。それでも、「スペイン」という名のものを応援出来ない雰囲気。プレはあまり知らないので口をはさめません。言語も違うし、フランコの圧政時代もあっただろうから・・・。日本でもスペインのプリン山でも、ゲルマンでもEspa?olと言ってきました。それが、こっちに来てからその言葉が禁句のような雰囲気が。こっちでは、「スペイン語」はCastellanoと言って、カスティーヤ地方の方言というのが「スペイン語」。「バスク」この話題は、同じバスク人の間でも意見が色々と分かれていて公共で「その」話題を話す時はなんか難しい雰囲気になりそうな。タブーっぽい感じになることも。住んでいると、そういう空気を感じるようになってきました。まぁ、言語の話は置いといて、国内リーグの地元チームが出る時は、今の数十倍くらいの雰囲気が。思ったのですが、地元意識がとっても強い。それはそれでいいのだけど、時々地元しすぎて、日本やゲルマンの頃みたいに地元ネタ以外の話題が懐かしくなることもあります。ベルリンの友人から電話で「ワールドカップ盛り上がってるよ、そっちはどう?」と言われて、なんか寂しくなってしまいました。自分も「エスパーニャ!エスパーニャ!」と声に出して応援したいのに、この町では出来ない雰囲気が。多分外国人だったらそんな冷たい目で見られないでしょうがね・・・。更に、今日の日本・パラグアイ戦はこっちの普通のTVでは見られません(涙)有料チャンネルか、そのチャンネルを放送しているバルに行くか。今からネットで探して、見てみようと思います。。。もしダメならニュース速報。頑張れニッポン!
2010年06月29日
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1ヶ月目になる前に、助っ人で来てくれていた母が帰国しました。空港までお見送りして、家に戻ると「ロバのおばあちゃんがいた生活」のにおいがなくなって、密度の濃い1か月を一緒に過ごした思い出だけが取り残され、家の中が寂しく感じられた。自転車の補助輪なしで、走っていかなくてはいけないような。母という精神面でも沢山サポートしてくれていた助っ人がいなくなり、これからは、当たり前だけど、自分達だけでやっていかなくてはいけないという不安感と責任感・緊張感でピリピリしていました。補助輪が外された自転車は、それでも走っていかねばならない。クマの帰宅が遅い時は、プレはロバちゃんと二人っきりなので、そういう日はますます緊張。朝起きたら、「今日も一日頑張るぞー!」と気合入れ。そしてお風呂。緊張しつつ、集中しながら入れていく。1ヶ月目:午前中は機嫌のよい日が多い。「天使が舞い降りてきた」ような表情をする一時がある。でも、本当に一時だけ。ほんの束の間。そして、すぐに泣いて「赤猿」になる。夕方になると、グズリ始め、「この世の終わり」のような激しい泣き声。おなかが空いている訳でもなさそう、オムツも濡れていない。ウンチ、おならがお腹にたまって、痛いらしい。毎日、夕方から夜まで、たいていは、これで激しく泣く。マッサージしても効果なし。消化機能が発達していないので、うんちやおならを出すのも一仕事。毎回大人が腹痛を起こすのと似ている。そう頭で分かっていても、「世紀末」のように泣かれると、こっちも見ていてつらくなった。夕方ひっきりなしに、この世紀末のように4時間も泣かれると、こっちの気も変になりそうだ。泣かれてばかりの1か月目だったのでトイレに行く時間も、髪の毛も4日洗えない日もあったり、電気を付けずに暗くなり、暗闇の中で授乳してたり・・・。この一か月は授乳・おむつ替え(ウンチも頻繁1日に4,5回以上)・泣くのをあやすだけ。毎日がこの単純作業の繰り返し。料理なんかする暇はなし。よって、クマのお母さんの「お昼宅配サービス」は非常に助かりました。ちゃんと食べないと、お乳も出ませんから・・・。夜10時以降は機嫌が悪くなるので、こっちの検診の時に勧められた、おしゃぶりを落ち着かせるために与えるようになった。昼は与えない。しかし、本当にお腹が痛い時には、あまり効果なし。1ヶ月目になると、泣き声の区別も少しずつついてくるように。甘えの泣き声、おなかがすいた泣き声、そしてガスがお腹にたまった泣き声。予防注射の針より、ウンチをする前の方が気持ち悪い、痛いらしい。2ヶ月目:家事も少しずつ出来るようになってきた。家事と育児の両立を練習していく。今まで行動範囲は、徒歩の範囲のみ。近所の八百屋に行く、散歩するだけの距離。2か月になると、地下鉄に乗って町に出掛ける練習をしてみたくなってきた。今まで考えもしなかったけど、「どこの車両に乗るか」「どの時間帯が空いているか」「エレベーターのある出口はどこか」と色々心の準備をするように。たかが隣町まで行くのに、ドキドキしてました。出かける前が、思うようにいかなく、ちゃんと時間をみていても、出掛ける前に、ロバちゃんがウンチしたりオムツ替え、ウンチが服についたので、着替えをしたりすると、予定通りの時間に出掛けられなかったり。お出掛けも一大イベントのような2ヶ月目。2ヶ月目。プライベートの保険に変えたので、小児科の検診も違う病院に。体重を計って、なかなか体重が増えないので、小児科の先生から、粉ミルクで補充を勧められる。一日2回、授乳後に哺乳瓶。夜寝る前に、授乳後粉ミルクを120cc与えると、朝までグッスリ寝てくれるようになった。やはり母乳だけでは足りなかったのか?消化器官も発達してきたのか、夜赤猿のように泣くことも減ってきました。2か月半ばから、そのおかげで、おしゃぶりは不要に。日本では3か月以降に接種するらしい予防注射。こっちでは1ヶ月目には結核の予防接種、2か月目には三種混合(破傷風、百日咳、ジフテリア)とポリオ、B型肝炎、小児脳炎、ロタウイルスと一気に7種類を打ちます。看護師さん、「接種後、熱が出るかもしれませんので、パラセタモールを処方しときます」その通り、一気に7種類も接種したので、発熱しました。こんなに早くして、こっちの赤ちゃん達は大丈夫なんだろうか・・・。機嫌がいい時にはエウーと言ったり、目でものを追ったりするので、これからの成長が楽しみに。2ヶ月目の終わり:仕事の一部に復帰。ロバが生まれる前のように働くのは無理ですが、以前の仕事の半分は出来るようになりました。自宅勤務の数時間だから可能。会社勤めだったらまだまだ無理。ベビーシッター代をマイナスすると、自分の休憩時間もシッター代を払っているので、殆ど稼ぎはありません。だけど、精神的安定のために続けていこうと思っています。新しい生活に慣れてきいたとは言えども、新米若葉マークは取れていません。まだまだ奮闘中・・・そんな中、3か月目に入っていくのでした。
2010年06月05日
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育児の1か月・2ヶ月目の総括を書こうと思ったのですが、今回はプレの毎年楽しみにしている、ヨーロッパ版紅白ユーロビジョンについて。毎回の授乳に1時間はかかったり、忙しい日々を相変わらず送っておりますが、そんな中の家での気晴らしは、テレビのニュース(ドラマはまだ時間的に難しい)。見れる余裕が出てきたのかもしれませんが、余裕なくても、絶対見逃したくないのがユーロビジョン。年越し蕎麦食べながら紅白・・・でなく、奮発して買っちゃったアイスクリーム食べながらのユーロビジョン。今年は授乳しながら、ロバちゃんにTVはあんまり良くないと分かっていても、途中まで一緒に見てしまいました。その前からエスパーニャのちまたでは、このメロディーが:(Algo pequenito)アールゴ ペケニート、Woーw wow wo-W(algo chiquitito)アールゴ チキティート Wo-w Wow Wo-w低迷するエスパーニャの期待の星、Daniel Diges君。Kayomaruさん情報によると、彼はミュージカルなどで活躍するプロの中のプロ。ミュージカルで歌っているなら、歌唱力はかなりいいはず。ダニエルくんの歌のビデオ。彼のチャームポイントもじゃもじゃ頭も見れます(笑)聞いていると、その通り。去年より、ずっといけます!去年の最下位近くに比べたら、ポイント数はかなり増えました。それは喜ぶべきなんでしょうが・・・。やはり、英語で歌わないとポイントは稼ぎにくいんでしょうか(フランスも稼げなかった。でもフランスがフランス語で歌わなくなったら、ユーロビジョンはお終いだと思ふ)。あと、移民を多く出しているトルコ・ギリシャなどは点を入れやすいし、近隣国の多い国だとお互い入れ合ったりする(バルト3国、ボスニア近辺、北欧諸国など)のも有利。そういう面で歌唱力は良かったエスパーニャでも、点はなかなか稼ぎにくかったみたいです。上位にはいけなかったエスパーニャ、でもプレは満足っす。本番のアクシデント歌ってる最中に、この写真の黒いシャツとカタルニアの帽子をかぶったおじさんが、舞台に飛び込んできた!はじめプレは、この人もダンサーで、出番が遅れてしまったのかと思ってしまった。クマもかのカタルニアの帽子なので、政治的意図があるのかと思ったらしい。でも実はこの人、Jimmy Jumpという「飛び込み」で有名なおじさんだそう。色々なところに出没しているプロ級の飛び込み師。スペイン・ユーロビジョン本番のアクシデントのビデオよってエスパーニャはもう一回歌えるチャンスがあったのでした。びっくりニュースは、同じく低迷していたゲルマンが久々に優勝したこと。あのお堅いFrankfurter Allgemeine Zeitungまで、大きい記事になってました。(クリックしたらリンク先に行きます)Lenaという若い女の子ですが(時間がないので、彼女の芸歴など読めてないですが)、メルケル首相まで、「彼女こそ素晴らしく、若さのドイツを象徴している。そして我々の国の親善大使だ」などと彼女に絶賛の祝辞を送っています。LenaのビデオプレはDani君の歌の方が個人的には好きですが・・・確かにLenaの歌い方は独特です。クマは不満そうで「やはりドイツ人が歌うと、「しゃべっている」って感じになる。歌ではない!」・・・ということで来年はベルリン!?でも彼女の故郷ハノーファーでするか、首都ベルリンでするか討議中だそうな。ベルリンだったら、プレ行きたいっすよ!でもTVで見る方が、オリンピックみたいに、よく見れるんですよね。。。ちなみに、今年プレが一票を投じたのがギリシャ。ユーロビジョン、ギリシャのOPA!ビデオ毎年ギリシャは、伝統的な音楽に現代を融合したような面白い曲をユーロビジョンに送ってきます。言葉が分からないけど、聴いていると楽しくなり、踊りたくなってくるような・・・さぁ、皆さんもO-------PA!!!
2010年05月31日
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皆様、いかがお過ごしでしょうか?なかなかメールのお返事が書けなくて申し訳ない日々ですが、このブログで少し近況を知っていただければと思います。お陰様でロバちゃんも今週で2ヶ月目になろうとしています。3月に比べたら慣れてきましたが、それでも只今「初心者若葉マーク」で研修・奮闘中です。今回は3月と4月を振り返っていこうと思います。出産後1カ月(1週目から4週目まで)産後直後からの見舞客・・・と散歩推進運動:ロバちゃんが生まれたのが夜中の1時だったので、翌朝でも翌日みたいな感じになるのですが・・・。気持ちが高揚してたので眠れなかった、出産直後母子同室でロバちゃんが隣りにいたこともあり、何時間寝れたか覚えていません。前からこっちでは直後に見舞客が押し寄せてくると聞いていたので、前もって、入院中の見舞客は「身内以外はお断り」とクマに言っておきました。よって友人の訪問は退院後に出来たんですが、こっちの「身内だけ」というのは、クマの父母・3兄弟だけでなく、もちろんクマの伯父さん・叔母さん達、いとこ、いとこの子供、クマのお父さんのいとこ(!)、更にはクマが小さい頃にお世話になったベビーシッターさん(家族同様だったらしい)も含まれる。結局すごい人数になりました。。。妊娠中もそうだったけど、出産してからも文化の違いにビックリ。。。こっちだけでなく、アメリカやヨーロッパでも出産後3日目で退院が普通なのは知ってたけど、それ以外の感覚が違う・・・。生まれる前の時のこと。ロバちゃんの出産予定日が分かっていて、その予定日1週間後に、クマのおじさんの50歳の誕生日を、その親戚一同でレストランで盛大に祝うと聞いた。もちろん私達にも招待状が来たわけで。クマもクマのお父さんも(初孫を見せたいばかりに)、「1週間後なら退院してるし、レストランにちょっと顔を皆に見せるだけなら出来るだろう」私が日本では産後1週間近くは入院するもので、安静にしろと言われている・・・と説明してもピンとこなかったみたい。文化の違いというより、母子の健康の面で、医学上のことで分かってほしく、「母親教室の助産師さん達もダメですよ、と言ってたよ」と第3者の意見で後押ししようと思ったけど、それも今一だった。その助産師さん達も、「それはプレさん次第でしょう」・・・というのは、ゲルマンでも同様、こっちでも3日後退院したら、結構早く近所を散歩するのが普通。日本と違って、お母さんの体の回復の為と赤ちゃんにも新鮮な外気にあてるように、散歩推進運動。クマとかにも「早く外に出た方がいい、ちょっとでもいいから」と言われてたけど、プレとプレの母は反対。結局、出産後6日目・退院後4日目で散歩に出るようになりました。外出自体は、その前退院後3日目に、ロバちゃんの黄疸(ABO式血液型不適合による黄疸。母親と子供が違う血液型になると、黄疸が一時酷くなるらしい)の検診で、家から病院まで車で行きましたが・・・。「外気にあてろ、新鮮な空気にあてろ」こっちでよく聞く言葉。その後のロバちゃんの乳幼児湿疹(にきび)が出来た時でも、治療法はこれ。1日2回は散歩必須。訪問客に戻りますが、前に書いた通り、出産後翌日(正確には当日)の訪問にはビックリでしたが、これはこれで、良かったかもしれない。こっちの人はおしゃべり好きで、もし退院して家に戻ってから、彼らが家に遊びに来たら、1回の訪問が長くなる。家に来てもらうのも、プレもプレの母も気を遣う。それより、入院中に一度に皆に来てもらった方が、病院では長居出来ないし、あっと言う間に済むので、退院した後が楽なのでは。プレも出産直後、気が高揚して眠れなかったので、結構「ハイ」になっている時に、一度にパパーっと済んで良かったのかもしれない。・・・でも、結局は疲れました。出産直後は、もう外国語を話すエネルギーもなく、頭も回らない状態。そんな中、訪問客とスペイン語を話すのは疲れるし、更に母もいるので、その会話の通訳もする訳で。日本では信じられない話だけど、こっちのお母さん達は普通ですからねぇ・・・。以前、クマのお友達の赤ちゃんを見に行った時も早かったし(プレはもっと後にしようと言ったんですけど)、お友達(ママさん達)は「早く見においでー」と元気そうに言ってたし。こっちのママさん達がタフなのか?出産よりある意味大変なこと:振り返れば、出産の時のつらさ(最後には麻酔してもらったからかもしれないけど)より、妊娠初期のつわりの数週間と、出産後の会陰切開の痛みの方がつらかったと思う。出産も痛いけど、我慢すれば1日で終わること。会陰切開後の痛みやつわりの気持ち悪さは何日も続く。座るとおしりが痛いし、かと言って立っていてもチクチク・ジクジクするし。その痛みのせいで、ごはんも美味しく味わえない、他人と会話するのも疲れる。折角友達がロバちゃんを見に来ても、出産後10日に抜糸するまではその痛みで、会話に集中出来ない。退院後の友人の訪問も、この抜糸までは気持ち的に余裕がないので、止めといた方がいいでしょう。そして意外に想像してなかった痛みが、授乳の痛み。さすがに今はなくなってけど、出産後一番つらかったのが、これ。特に産後1週間目。よくドラマや映画のシーンで、お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげているのがある。ゴクゴク美味しそうに飲む赤ちゃんを腕に、そのお母さんの笑顔。母子共々リラックスしているような光景。・・・って「ウソや、それ!」。出産後1週間目に思ったことです。上手く母乳が出ず、ちゃんと出ているのかも分からず不安になる。ロバちゃんが「吸いつき虫」みたいに思えた。ロバちゃんが飲もうとする度に、プレは「アイタタター、痛ーい!」思わずロバちゃんを離したくなる。乳首から血も出た。それを助産師さんに言うと「con Paciencia!(我慢です)」入院中、何度も聞いた言葉。初めの1週間の母乳は忍耐。出なくても、吸われることで出るようになる。諦めたらあかん!授乳の時間が怖くなってしまった。粉ミルクに変えようかと何度か思った。でもcon Pacienciaの言葉はその通りでした。出るようになるものです。お陰で今のところ、まだ完全母乳で出来ています。母のこと:外国に住んでいると、日本に里帰り出産か、こっちで出産するかの選択になる。こっちで出産することになると、産後のお手伝いに日本から母が来てくれる人が多いのではないでしょうか。プレは少し飛行機恐怖症というのもあり、こっちに住んでいるし、こっちの医療・病院に信頼があるから、こっちで出産を決めました。しかし、出産後のお手伝いをしに来てくれる母のことを、あんまり考慮しなかった。これは反省しています。プレの母にとっても、出産後の1か月は大変なものでした。母も、そんなに若くはないので、直行便のない国までの長旅は疲れる。そして遊びに来ているのではなく、娘の手伝いをしに来ているので、言葉や風習の違う場所で一人買い物をしたりしなくてはいけない。片言の英語もなかなか通じない町での、この1か月は精神的にストレスになる。(郵便局(ポストオフィス)はどこかと聞いて、連れて行ってもらった所が銀行だったという笑い話も)人々は親切だったけど、それでも言葉が通じない、コミュニケーションが上手く取れない・・・というのが母のストレス。その上、赤ちゃんを見に来るという訪問客の多さ。これが更なるストレス。クマやプレにとっては、彼らは「身内」や友達だけど、母にとっては初めて会う知らない人だったりするわけで。日本の里帰り出産なら、娘が自分の家に戻ってくるので、自分の家で自分のやりたい方法で家事が普段通り出来るけど、行先は外国。滞在先は娘の家だけでなく、娘婿の家でもある。台所のシステムも違ってくる。洗濯機の掛け方も違う。ドアの開け方も日本と違う。娘婿の両親もやって来る。娘だけでなく、結局は娘婿の食事や洗濯の世話もするようになってしまう。クマはクマで、初めてのことで大変。仕事も重なり、両方でストレス。更にクマは完璧主義的なところがあるので、自分の家のシステムが変わってしまうと(物の置いている場所が変わったり)、気持ちが不安定になるらしい。(日本なら、里帰り出産している奥さんが家にいないので、夜はゆっくり寝れて、仕事に差支えない)そういう細かいことを言ってくるクマに、プレがストレス。赤ちゃんの泣き声や、夜寝れないから大変でしょう・・・と言われたら、プレは「全然ですよ。それではなくて、疲れてイライラしてしまう夫が、私にとって大変です」と答えます。プレの母、クマとプレ、3人がそれぞれ分からないことだらけの中で奮闘し、ストレスも溜まっていく。それらが、結局母の帰国する前日に爆発してしまった。(3人で口論・喧嘩に)これは母に対して誠に残念なこと。でも、後で話して、「一番大変な産後の1か月、密度の濃い生活をお互いしたから、起こったこと」と。本当に母には感謝一杯です。それと同時に申し訳ない気持ちも一杯です。ロバちゃんが「おばーちゃん、どうも有難う」母の帰る数日前は、プレはプレで「母がいなくなってから、私一人で出来るようになるのだろうか?」と不安になってきた。・・・と同時に、母と過ごした1か月(出産前後)を思い出し(楽しかったことなど)、寂しい気持ちにもなってきた。今まで、日本に帰国して、こっちに戻る時は、結構母と別れるのは平気だったのに、今回初めて、こんなに寂しい気持ちになった。・・・・1か月目までは、こんな感じでした。1か月目になり、色々奮闘していく中、少しずつ、母がいなくてもやっていけるようになり、ロバちゃんとの生活にも慣れてくるのでした。
2010年05月04日
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今回はロバちゃん登場の日のことを、時間が許す限り書いていこうと思います。ロバちゃん登場から6週間。忘れないうちに、先月のことを書いておかなくては・・・。予定日を1週間過ぎた41週目、予定日超過検診の内診で、子宮口が2,3cm開いていると分かった。「陣痛は明日か明後日になると思います」翌日陣痛がこなかったら、予定日9日過ぎの翌々日に入院して陣痛促進分娩になると。プレ自身生まれたのは予定日2週間過ぎ、母も妹も2週間過ぎ。そういう体質の家系らしい。それでも促進剤使わずに、自然分娩でちゃんと生まれてきた。だからロバちゃんも自然な分娩にしてあげたかった。けれど、こっちでは(病院か今の医療方針がそうなのか?)42週まで待ってくれないみたいです。早く明日まで陣痛来い来いと、(日本から手伝いに来てくれてる)母と一緒に階段を上り下りしたり、ちょっと遠い丘までウォーキングしたり、ラズベリーリーフティーをたくさん飲んだりしたけど、陣痛の気配全くの全くなし。ロバちゃんにも「早く出ておいでーさもなけば、薬で無理やり出されちゃうよー」と語りかけてたんですが・・・出たくないと拒否反応。よって翌々日入院決定となりました。気がすすまなかった促進分娩ですが、今思えば良かったことも:1) 入院・出産の日が決まっているので、準備もちゃんとして家を去ることが出来るし、心構えも出来る。2) 出産した時の体重が殆ど4kgだったので、2週間以上待って、もしかしたら4キロ以上になり、頭も出にくくなってたら、最悪の場合帝王切開だったかもしれない。友人でそういうケースがあったから。入院当日心配だったことの一つが、陣痛・出産の間の「大(失礼!)」家を出る前に済ませておきました。(助産師さんからソフトな浣腸剤を処方してもらった。結局使わなかったけど)大のことを考えると、朝ごはんも要らないと思ってたけど、母の勧めで「朝ちゃんと食べないと体力がもたないよ」、おにぎりを食べた。それは正解だった。促進剤使用開始から出産後数時間は食事厳禁と言われたので。朝9時に入院。付添い人は「同じ人一人だけ」なので、ここでクマ以外のプレの母とクマのお父さんは待合室で待つことに。結局時間が長引いたので、帰ってもらうことになりましたが。あっという間に家族と離され、陣痛室へ。まるで「別世界」に隔離されたような一日。陣痛室で病院の服に着替えさせられ、B群溶連菌対策のペニシリンと陣痛促進剤の点滴二つをされる。出産までこの点滴は続く。そしてお腹には分娩監視装置のベルトが取り付けられる。腕に点滴、お腹にベルト、この二つのせいで、陣痛が酷くなった時に、自分なりで陣痛を和らげる姿勢がしにくくかった。看護師さんに麻酔の承諾書にサインを求められる。プレは麻酔なしで臨みたかったので、それを言うと「麻酔なしなんて。陣痛促進剤を使うと、普通の陣痛より痛みが増すんですよ。麻酔なしでなんて、あり得ませんよ。その時に決断すればいいじゃないですか。しないと思ってても、念の為にサインだけはしておいて下さい」その看護師さんの言葉は、後に実感するのでした。でも日本では麻酔は使わないのが多いみたいなので、日本の促進分娩の人達はどうやってきたんだろうか??点滴二つに分娩装置に取り付けられているので、本を読もうとする気力もなし。陣痛室の窓から見える空ばかり見てました。二人部屋なので、隣の人が「ああ痛いー、もうダメー!」と唸っているのを聞いて、プレは他人事みたいに「大変だな~、でも数時間後は私もそうなるんかなぁー」なんてのんきに思ってました。夕方の6時過ぎごろまでは結構余裕。陣痛って、お腹や腰が痛くなるのだと思っていたけど、プレの場合、腰(生理痛の強い感じか?)と肛門の中が痛い感じがしました。大きいボールの上に座って、陣痛を和らげたり。窓の外も暗くなってきた頃・・・。6時からは痛みが結構増してきたので、助産師さんにマッサージをしてもらったり、呼吸法の指導をしてもらったり。この時ほど、助産師さんが有り難いと思えたことはありませんでした。あとモーツァルトかベートーベンのCDをかけてもらい、これも気分的に助かった・・・。毎時間くらい(2時間ごとか?覚えてない)助産師さん(こっちでは医者でなく、助産師さんが内診したり抜糸したりする。お医者さんの出番があんまりない?)が内診で子宮口の開き具合を見に来た。しかし夜9時頃になっても子宮口6cmから8cmになるまで時間がかかるので、これ以上促進剤の量を増やすのは危険だから、人工破水をすることになった。「人工破水すると、更に陣痛が増しますよ。麻酔したかったらいつでも言って下さいね」この時思ってたこと:「ああーロバちゃん、人工破水でかわいそう。。。促進剤で無理やり子宮収縮されて、何が起きたんだろうとビックリしてるだろうに!更に破水で、ショックだろうに・・・」それから5分もしないうちに、陣痛が急に酷くなってきた。まるで体内に爆弾がしかけられて腰と肛門か腸が破裂しそうな感じ。初めて「生まれる前に陣痛に殺されてしまう」と思ってしまった。ここまで来たら日本語で「痛い痛い」と泣きそうになる。プレは情けないけど、ここで限界。白旗揚げて、麻酔を頼んだ。麻酔科に搬送された。麻酔科の看護師さんやお医者さんは、プレに世間話をするみたいに「よくここまで麻酔なしで頑張ったねー、日本人?あーアジア人は辛抱強いって言うからねー、パイスバスコに何年住んでるの?スペイン語はどこで勉強したの?旦那さんはこっちの人?赤ちゃんの名前は?あら素敵な名前ねー、名前の意味は?日本の家族は見にくるの?(以下省略)」陣痛で苦しんでる中、とても外国語で会話する余裕はなし。(でもなんとか答えていた笑)それから子宮口は10cmで全開になったけど、なかなか赤ちゃんの頭が下がってこない。結局夜中の1時過ぎに、吸引分娩決定。これまたロバちゃん、かわいそうに、最後のとどめは頭を引き出されるのか。あぁ、ロバちゃん、そんなにプレのお腹の中から出たくないのかい。クマは立ち会い出産を強く希望していたけど、こっちでは、帝王切開や吸引分娩など手術室に入ることになると、立ち会うことは不可。ゲルマンでは立ち会えるみたいですが。吸引分娩の理由のもう一つが:プレの超強度近視(母子手帳に蛍光ペンでチェックされてた)。「いきみ」は目に良くないので、それを減らすため。何回かの「いきみ」で、助産師さんにお腹を押されて、ロバちゃんが登場しました。「頭出ましたよ」その後、麻酔が効いているけど、スルっとロバちゃんが出てくる感覚が。そしてロバちゃんは、サッと手術室のどこかに連れ去られる。すぐに泣き声がしなかったので、焦りましたが、しばらくするとオギャーと聞こえてきたので、ホっと。プレより、手術室の外で待ってたクマの方が早くロバちゃんを抱っこ出来た。プレは会陰切開をしたので、縫合処置が続けられる中、ロバちゃんとご対面。お疲れ様、ロバちゃん。嬉しさで涙も出てきそうだったけど、それと同時に、本当に自分の子供なんだと信じられないような。なんか別世界に自分がいるような気が。これからちゃんと自分はやっていけるのだろうかと、不安も正直ちょっとあった。なんか色々な気持ちが絡まっていた瞬間でした。直後、産後の入院部屋へ搬送。母子同室。夜中に生まれて、気持ちも高ぶり、体力も消耗した中、翌朝から「身内(エスパーニャの身内です、あしからず。大家族!)」のお見舞いが。。。お国柄でしょう、日本なら産後直後のお見舞いはしないですが、こっちでは当たり前みたいです。疲れましたが、退院してから家に赤ちゃんを見に来てもらうより、病院の方が短時間で済むから、良かったのかもしれません。でもプレは産後直後だったので、すごい顔で髪の毛なんてボサボサでした。。。でも赤ちゃん見にきてるんだから、別にお母さんの髪なんて関心ないから、いいっか・・・。・ ・・と今回はロバちゃん登場までの経過をメモしておきました。
2010年04月18日
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3週間前にロバちゃんが無事に生まれました。自然分娩希望だったのですが、42週近くになっても陣痛の気配がなかったので(階段の昇り降りをしたり、ラズベリーリーフティーを飲んだりしてたのですが)、結局は病院が決めた日程で、陣痛誘発剤を使っての誘発分娩、そして吸引鉗子分娩(長時間経っても赤ちゃんの頭が下がってこない、超強度近視なので「いきみ」を避けるため)になりました。今回は手短に出産報告のみにて。いつか(いつになるのか?)時間が出来たら、出産のメモも書いていこうと思います。3週間・・・毎日・毎時間、色々なことが起こっています。皆様のメール、どうも有難うございました。なかなか返事が書けませんが、暫くお待ち下さいませ・・・。
2010年03月29日
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先週の木曜、2月25日が予定日だったのですが、予定日5日過ぎましたが、おなかの子(ロバちゃん)は出てくる気配なし。今日は予定日過ぎの助産婦さん検診とエコー検診。NST(分娩監視装置)という機械で、おなかの二ヶ所に電極を付けて、胎児の心拍とおなかの張りの様子が、地震計みたいなグラフで出てきます。約20分間。胎児の心拍音がずっと聞けるので面白かった。そのNSTでも、陣痛の兆候は殆どなし。実は今日日本の実家の母が、産後の手伝いで来てくれるのですが、着いた時に生まれている可能性は殆どないでしょう。生まれる前に着いても、することないし、来てくれるなら、生まれた後の方がいい、予定日から5日遅れの飛行機のチケットだったら多分大丈夫だろう・・・と今日着く飛行機にしたのですが・・・。助産婦さんが「それはきっと、プレさんの赤ちゃんが、おばあちゃんが到着するのを待っているのよ。着いて会ったら急に陣痛が始まるかもね」今日で助産婦さん検診は終わり。産後6日検診まで、しばらくさようなら。今週の木曜日に出産予定の市民病院にて、また別の「予定日超過検診」にまわされます。え・・・陣痛促進剤とかもう使われるのかな、嫌だなーと心配してたら、それは42週過ぎた後の検診らしい。今週のは思うに、内診で子宮口の開きをみるのかも。エスパーニャ、ここでは普段の検診にはなかったから。最近エスパーニャの人達のメンタリティーの一部がまた垣間見れました:せっかちな人が多い??予定日過ぎたら、もう毎日のように電話攻撃です。プレやクマの携帯、家の電話、更にはクマの実家にも。「もう生まれた?」「まだ生まれてないの?」「どうなってるの?」「もう生まれた?」攻撃、今ちょっとプレは疲れました。。。なんか、こうも毎日聞かれると、焦ってきちゃったり、こっちもいつ生まれるか分からんのに答えようがないよー!、生まれるまでほっといてくれぃ!と思ってしまう。。。不思議と日本やゲルマンからは聞かれません。日本人の感覚だったら「生まれて落ち着いたら、連絡してくれるはず。それまで待っていよう」なんでしょう。・・・とクマに話したら「こっちの人はせっかちなんだよ。又は、「自分はプレやクマのことを忘れてないよ、思っているよ」という意思表示の一つなんだろうねー」と言ってました。こっちの礼儀の一つなんでしょうか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。妊娠生活と関係ない話を二つ:例のチリ地震。一昨年同じ大学のコースに来ていたチリ人の人達を思い出し心配になり、安否確認のメールを送りました。メール環境もなくなってるかもしれないので、送信して数日経っても返信がなかったら、電話(でも電話回線も切れている町が多いらしい)をしようと考えてました。彼らはサンティアゴの北の町La Serenaと、南部のVillarrica という町に住んでいるのですが、昨日両方の町から無事との返事が来てホッ・・・。すぐに返事出来なかったのは、やはり電話・インターネットの回線が不通だったから。La Serenaでは、やはり強い揺れを感じ、海から船が町中に流れ込んできたり、どこからか電車の車両が町の家と家の間に流れて挟まってしまったりしてるらしい。マグニチュード8,8だから・・・被害に遭われたチリの方々に心からお悔やみ申し上げます。。。でも最近、ハイチにしろチリにしろ、大地震が多いような気が・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。もう一つ:信じられないけど、こっちでは結構普通(クマ曰く)な話:プレがよく買いに行くパン屋さん。保存剤・防腐剤が入ってないし、クロワッサンとトウモロコシのカステラが美味しいから、そこで買うことが多いのですが、店員の質が・・・日本では絶対信じられないことが・・・起きます前は別の店員のニィちゃんで、バターロール一袋買って、賞味期限を聞いた時「さぁー知りましぇーん」あの時は、商品の賞味期限を知らないなんて・・・と呆れましたが、今回は更なる上が!新人さんみたいな、20歳過ぎくらいの若いネェちゃん。入ったら一応挨拶はしてくれるので(前のニィちゃんも)、感じはそんなに悪くはなかった。「このクロワッサン二つと、バターロール一袋、それにトウモロコシのカステラを下さい」新人らしく、値段が分からないので、店に貼ってある値段表を探して、重さを量って会計をした。ネェちゃん「10ユーロです」プレ「うそ、10ユーロにはならないですよ、そんなに高くないはず。このバターロール一袋はいくらですか?」ネェちゃん「・・・これは量り売りだと思うから、こうなったんだけど・・・(値段表をまた探して)この商品何という名前なんだろー?ない、ない・・・」プレ「いつも買ってるけど、1ユーロちょっとだったと思いますよ」ネェちゃん「ちょっと電話で聞いてみます」ネェちゃんは店内一人。電話で聞いてみようとしても、繋がらなく、仕方ないので、プレは別のスーパーで買い物してから、また戻ってくることにした。20分後。ネェちゃん「Todo claro!(分かりましたー!)」・・・と言うので、やっとこれで会計をして買って帰れると思ったのに・・・ネェちゃん「バターロールの値段分かりました。量り売りでなく、一袋1ユーロ90セントです。でも、あとのクロワッサンとカステラの値段は分りません」プレ「電話して聞いたんじゃないんですか?」ネェちゃん「いとこ(ハ?同じ店で働いてるのか?)の携帯に何度もかけても、出てくれないですよ、仕方ないです。だからカステラとクロワッサンはとっておくので、明日取りに来てくれますー?」プレ「ここチェーン店ですよね、C地区とB地区にも同じ店があって商品と値段は一緒だから、今電話して聞いて下さい」ネェちゃん「えー、だって他の店の人、アタシ誰も知りませんし。電話番号ないです」商品名も値段も分からない、他の店にも電話かけれない、よって客の目の前にある商品が売れない・・・!!プレは、いつもこのクロワッサンとカステラを買っていて、値段も確実に知ってるから・・・と半強引に、そのプレの言った値段を信じさせて、買うことが出来ましたとさ。もちろんPerdonは彼女の口からは出てきませんでしたよ。
2010年03月02日
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昨日で38週目になりました。こちらでも検診が10日ごとの間隔になりました。でも婦人科医に診てもらうのでなく、助産婦検診。緊急以外は、7月の妊娠検査から今まで、婦人科医に診てもらったのは計3回のみ。あとは助産婦検診だけ。日本では臨月に入ると、内診で子宮口何センチ開いているかとか調べるらしいですが、こちらでは38週目に入ってもなさそう。おなかに分娩監視装置を付けて、胎児の心拍を見る「ノンストレステスト」が来週にあるくらいで・・・。臨月の内診は痛い・・・ない方がいいと思ったのは今週の火曜日の夜。以前の角膜潰瘍で救急で病院に行った時もそうでしたが、そういうのって、夜間突然起こることが多いような気がします。この火曜日の夜もそうでした。11時半過ぎ、お手洗いに行ってから寝ようとした時:急な(ちょっとした)胃痛から(ちょっとした)腹痛、そして便意、「大」をした後に拭いた紙を見ると血がベッタリ。大腸からの出血か・・・とショックながらに立ち上がると、別のところから鮮血がポタポタと垂れていました。便器の中も鮮血が一杯で、これまたショーックでも痛みはないので、冷静でいられました。子宮からの出血だと思ってしまったので、もう生まれてしまうのか・・・と思い、シャワーで下腹部を洗って、母子手帳を持参して、クマの車で救急病院へ。婦人科の救急には、当直で疲れてる様な感じの若いお兄ちゃん風の婦人科医。内診で、機械みたいなのや指で子宮口を調べられた。これが痛くって(子宮ガン検診の時と比べて何倍も)、思わず「イタタタタッ!」と口に何回も出してしまいました。その後エコーで子宮内を診る。その後別の部屋で分娩監視装置を付けられて、胎児心拍を調べる。結局は子宮からの出血でなく、子宮頸管からと判明。「プレの森さんは、円錐切除の手術歴がありますね。子宮頸管が普通の人に比べて短いんですよ。だから、臨月になって子宮の重みもあって、子宮頸管が繊細になっている。だから出血したんでしょうね」子宮頸管が短いので、もしかしたら出産も予定日より早まることもあります・・・と。プレ的には、お手洗いで大をしたのが刺激となり、繊細だった子宮頸管が出血したんだと思うのですが・・・。翌日は大をするのが怖くなってしまいました。なるべく予定日までお腹の中にいてほしいので、子宮頸管に負担がかからないよう、激しい動きはしないように、気をつけるようになりました。今週はなるべく安静に。38週目の助産婦さん検診。先週のB群溶連菌の検査の結果が。膣内からの採取結果は陰性(ホッ・・・)でも肛門からの採取結果は陽性よって母子手帳に陽性と蛍光ペンで記入。プレの母子手帳にまた蛍光ペンが1項増えました。最強度近視、円錐切除術、B群溶連菌陽性。ちょっと落ち込んでしまったプレに、助産婦さんは「これは病気ではないのよ。普通の人でも持っている菌だから。お産の時に行く病院で、抗生物質(ペニシリン)を点滴するから大丈夫」確かにネットで見ると、成人の30%が持っている菌らしい。普段は腸内にある菌で、悪さはしないけど、分娩中に赤ちゃんに感染すると大変みたいなので、検査して処置をするそうです。そうは言っても、点滴しながら陣痛に耐えるのかと思うとちょっと気が重くなりました。でも陰性の結果が出ても、分娩の時実は陽性だったと判明することもたまーにあるらしいので(ネットの体験談とか読むと)、事前に分かって処置への準備も出来て良かったなと思います。色々あった今週ですが、これからもっと「色々」出てくるんでしょうね・・・。体重増加も著しく、もう鏡で見ると自分が「だるま」みたいっす。。。昨日今日とこちらは粉雪が舞ってます。寒くなりましたが、皆様も体には気をつけて下さい・・・
2010年02月12日
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今週で37週目に入ります。正産期なので、予定日より3週間早く産まれちゃっても、早産ではないので、大丈夫らしい。だからいつ生まれてもおかしくないのです。母親教室も先週で終わりました。その第一回目にもらった「入院グッズリスト」を見ながら、スーツケースに入院準備の服や新生児用品などを詰めていく。家も片付けていってるけど、クマママさんなどからもらった「おネンねグッズ」「オムツ交換グッズ」、使ったことがない「未知なるもの」が沢山。クマ氏と二人で未知なるものを、あまり訳が分からないまま生理整頓。正直言うと、あんまり実感湧かない。。。母親教室で出産ビデオや、新生児の世話の仕方、産褥期の過ごし方などの講義を聞いていたけど・・・。何か自分に起こることだと実感がない。ずっと一生このまま、おなかが大きいまま、妊婦のままのような気が。。。(それはそれで怖いですが)今週から産休に入りました。それと同時に、毎日腰痛が続き(生理二日目みたいな)、ちょっと歩いただけでも、お腹が張る感じに。そりゃあ、もう働きに行けない訳です。今日ヨチヨチとペンギン歩きみたいにして助産婦さん検診に行ってきました。いつものイサベルさんでなく、別の助産婦さんだった。その横には、研修生が。助産師さんの卵。20代前半くらいの若い男性。看護師でなく、助産師を目指す人。こっちに来てから、母親教室のインストラクターの助産師さんなど男性を見かけるようになりました。日本ではどうなんでしょう、見かけますかね?プレの知っている男性助産師さんの共通点は:20代くらいで若い結構「今どきの若者」で片耳ピアスが似合うような感じ。恐怖の体重測定では、1か月半で3キロ近く増えてました。この助産婦さんは「別に普通ですよ」と言ってたけど・・・。ショック・・・。もうこれでトータル11キロ増。クリスマスには気をつけて、あまりトゥロンとか食べないようにしていたし、年末年始は和風料理だったのに。子宮低長測定では8cm近く長くなってました(1か月半の間)。やはり後期のおなかの成長は著しい!「赤ちゃんの頭はちゃんと下になってますねー」助産婦さん、頭の位置が分かる触り方を研修生のお兄ちゃんに指導。恒例の赤ちゃんの心音を確認して、今回から新しい検査が。B群溶血性連鎖球菌の検査レンサ球菌・・・初耳。「何の検査ですか?」「(ふんにゃらほにゃら)ココ Bです」「もう一度??書いてくれませんか?」「ストレプトココBです。母子手帳の検査項目に書いてますよ。もし陽性だったら、出産時の病院に言って下さい。その時に抗生物質投与しますから」そのココナッツみたいな名前の菌は、日本語ではレンサ球菌。Streptococcus grupo Bこの菌があると、出産時に赤ちゃんが感染したら敗血症になったりして重症化することもあるので、検査をしなくてはいけないとか。臨月に入ったら、こっちも毎週くらいのペースで検診が入るように。今週もまた尿検査、来週は検診。病院通いの月になります。今日は色々と「ホエー」がありました。帰りに寄ったバル。この町でクマ氏のお勧め・お気に入りのバルの一つで、コーヒーが非常に美味しいのですが、プレは朝は搾りたてオレンジジュース(エスパーニャの飲み物で好きなものの一つ)に限る。普通は注文してから機械で絞ってくれる(だから値段は結構する)のだけど、このバルは、客の前で残りものの(前に絞った)オレンジジュースをグラスに注いで終わり。しかも残り物、グラスの半分くらいしかなかった。新しいのを絞って足すという気力なし。しかも値段は2,7ユーロ。馬鹿にしてんのか・・・とクレームつけようかと思ったけど、(ゲルマンで習った店員とのやりとり。皮肉を入れてスマイル出来たら上出来)腰が痛くて、怒れる気力、怒りを冷静に表現する余裕がなかったんで、仕方なく出ました。。。トほほ。。。バルに入る時は、人が混んでいないのを確認してから入る(煙草がすごいから)。カウンター席には余裕があった(よしよし)両隣は女性で煙草を吸っていない(完璧)・・・と思ってたら、左の女性が吸い始めるガーン、騙されたーった感じっす。ちなみにエスパーニャはまだまだ喫煙天国(プレから見たら)。禁煙法とか出来たみたいで、職場や空港などは禁煙になったけど、バルやレストランは未だまだ。。。歩きながらの煙草OK,ポイ捨てOK(これはゲルマンでもあった)、でもゲルマンに比べたら喫煙率はかなり高そう・・・。自分の赤ちゃんや子供の前でも平気でプカプカ吸ってるから、こっちのママさんって。だから、妊婦の前でも全然平気。クリスマス前の友達仲間30人での忘年会でも、プレの周りに座っていた人の中で、「プレさん、私煙草吸っても気にしない?煙行かせないようにするから」と言ってくれたのは一人だけ。あとは皆平気でプカプカ。しかもその殆どが女性だとは!だから妊婦になったら、そういう煙草の多い場所に行く自体が自己責任になる訳です。タバコが嫌だったらバルに入るな!レストランに入るな!って。子供が生まれてもそう。そんなところに子供を連れてくるな!って。でも日本みたいな安心して入れる喫茶店(しかも静かな)が殆どないので、ホテルの喫茶店が唯一安心してお茶出来る所になるでしょう。最後のホエーは、意味不明な予約システム。今週の尿検査。こっちの健康センターの予約制度は、インターネットで診察の予約が出来ます。だけど、尿を提出するだけの検査にも予約が必要で、それにはインターネットどころか電話でも予約不可能。直接出向いて予約しなくてはいけないと。長くなってしまい、最後には「ホエー」連続になってしまいました。。。
2010年02月02日
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1月も中旬になってしまいましたが・・・新年明けましておめでとうございますこっちに来てから、かなりの筆不精になってしまい、年賀状(こっちではクリスマスカードか)を書く習慣がなくなってしまいました。。。日本からはるばる年賀状を送って下さった方々・・・どうも有難うございました。やはり日本のお正月の季節感があって、皆さんの近況もよく分かるので、いただくと嬉しい限りです。お返事の年賀状、もう少しお待ち下さいね。多分忘れた頃に・・・届くことかと思います2010年が皆様にとって素敵な年になりますように!さて新年第一弾のブログ、やはりテーマは健康管理。あと2か月くらいは健康管理について書くことが多くなるでしょう。マラソンでは後半戦。思えば去年の夏は「蛇の生殺し」「廃人生活」でした。それから暫くは調子が良く、小旅行も楽しめる程。年末年始はマドリッドからのお客様もお迎えして、一緒に年越し蕎麦を食べたり、おしゃべりを楽しんだり・・・絶好調だったのですが・・・やはり安定期は終わってしまったんですね。。。先週くらいから一気におなかが急成長。それもほんの数日間だけで、サイズが一回り大きくなったよう。最初はおなかのおへそがなくなって、まわりがパンパンに膨らんできた。皮膚も張って以前より固くなった感じ。次に、みぞおちが痛くなってきてみぞおち辺りの皮膚が引っ張られて火傷みたいなヒリヒリした痛みに。表面の皮膚か、中か分かりません。子宮がいよいよ、みぞおちまで上がってきて胃や胸を圧迫してきたみたいです。腸も圧迫されているのか、胃痛から腹痛、頻便、そして腰痛。夜もなかなか寝れない日が続きました。新年明けてすぐには仕事が始まらなかったので、これは助かりました。そういううちに、もうおなかが重くなってきて、外出してもすぐ疲れるように。仕事に行く日はいつもノート型パソコン持参だったのですが、もう重くて限界。今月は残念ながらカバンのみ持参。外出だけでなく、人としばらく話しても疲れてきました・・・。只今34週目。1月末、36週目までは仕事を続けます。2月に入ったら産休。あと2週間ちょっと・・・頑張ろう。母親学級もあと残るは2回。1時間目の講義は、出産と赤ちゃんのケアの仕方を習いました。日本ではどうなんでしょう・・・赤ちゃん人形を使ってシュミレーション形式に習っていくような。でもこっちは、あっさりパワーポイントとビデオのみ。講義形式だけなので、本当に自分出来るんかな・・・と不安になります。まだまだ家でも用意する小物が結構ある・・・入院バッグセット、ベビーベッドのふとん一式、赤ちゃんの部屋の準備・・・。正直、未知の世界なので、分からないこと想像出来ないことで一杯。残るあと約6週間・・・不安になってきました。でも赤ちゃんの方が実は大変みたいですね(私達は覚えていないけど)それこそ誕生とは未知なる新しい世界へ出て行くことですから。水中から肺呼吸へ。暗いところから光のあるところへ。今週の産科エコー検診で、推定体重2100グラム、頭もちゃんと下になっていることも分かり、逆子の心配もなくなりました。でも、もうエコーの写真はもらえないんですね。顔とか見えるのかと思ってましたが・・・。。。。。。。。。。最後に健康管理ではないのですが、ハイチの地震のニュースを見て。あぁ今年は阪神大震災から15年になるんだなぁ・・・と思っていたところ。1月17日の前はいつも色々と思い出すことがあるのですが、その直前にこのニュース。日本と違って、貧しい国のハイチは、もちろん耐震構造の建物なんて殆どないでしょう。同じマグニチュードでも被害は大きくなる訳です。政治家などは「すぐに救援物資の食料と水を!」と言っていますが、それと共に大切なもの一つ。それはトイレです。あの時は本当にトイレを何とかしてほしかった。避難所のトイレは入れるものではなかった。トイレ問題は冬だったから、夏ほど酷くはならなく済んだけど、ハイチは南の国。TVの映像には映らないけれど、プレは皆さんトイレはどうしているんだろうと思ってしまいます。南の国だったら、トイレ問題を放置すると衛生問題にも関わってくるだろうし。。。食料と衛生管理が第一の援助でしょう。日本も莫大な援助金を出すみたいですが、それらの援助金がちゃんと被災者の皆さんの元に届きますように。。。被災された皆様に心からお見舞い申し上げます・・・。
2010年01月14日
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先週の月曜日から始まった母親学級。さすがエスパーニャ、2か月前くらいから参加申し込みしていたのに、日程が決まらなく、連絡がきたのが開始2週間前でした(やれやれ)。プレの通っている地区の助産婦さんのところは、場所の問題で父親参加は不可能。よって、父親参加が可能で、仕事のない午前中に行ける別の地区の母親学級に行くことになりました。12月と1月、各3回ずつの計6回。毎週月曜日。朝の10時から昼の12時までの2時間です。1時間目は理論、2時間目はマタニティー体操。クマもこの日は、始めの理論の1時間は、何とか参加出来るように勤務時間を割いてくれて一緒に来てくれました。このクラスの参加者は、プレとほぼ予定日が同じ人ばかり(2月)5人。午前なので、旦那同伴はプレ達だけ。夕方のクラスだったら同伴者は多いのでしょう。でも、同伴者のいない理由がもう一つ。参加者5人中、プレ以外の4人全員が二人目出産予定。皆さん既に経験豊富な訳です。本当に初心者若葉マークなのはプレだけでも経験がある人ばかりなので、色々な経験談も聞けていいかも。更に、年もプレと同じか近い人ばかりで、これも安心。(多分日本だったら若いお母さんばっかりかもしれません)1回目は自己紹介で、どこの病院で産む予定かも話さなくてはいけませんでした。参加者全員同じ病院希望(やはり町が小さいので)。同じ週の人も多いので、このコース終了後、次は病院でお互い再会しそうっすねでも助産婦さんはプレ達に対して、一回その希望の病院と別の病院を一度下見してから決めたらいい・・・と。1時間目の理論は、パワーポイント使いながらの講義みたいな感じですが、少人数なので、その都度ゼミみたいに輪になってお互いの意見交換などをしていきます。(出産に対する不安や経験談など)1回目はその希望する病院内の地図、出産後の役所の手続き、入院に備えての持ち物リストなどなど。日本の本には「産褥ショーツ」とあったけど、こっちは「Braga de papel」ペーパー産褥ショーツ。血がたくさん出るので、毎回ショーツ全体を換えれるように・・・らしい。生理用のナプキンとも違うし、未知なる物の一つ。どこで買えるのかと聞いたら、大型スーパーで売ってるわよ・・・とのこと。でもこの間見にいったら結局見つからなかったので、薬局で購入しようと思います。今日第2回目の理論は、陣痛から入院するまで。陣痛の兆候はどんなものか、破水した時の対応(透明か色がついているかで緊急度が異なるなど)、病院へ行くタイミングなど。父親同伴はクマだけなので、女だらけで居心地悪いかな・・・と心配でしたが、ここのコースの指導する助産婦さん二人のうち、一人は若い男性の方。しかも今風のピアスを開けているような人で、でも感じがいい。助産師さんですね。殆ど地元の人ですが、もう一人ベネズエラ人のお母さんがいて、すごく朗らか。やはりラテン気質か。いつも遅刻してくるんだけど、入ってくると雰囲気が和みます。2時間目のマタニティー体操がプレは一番好きです。マットと大きいゴムボールを使い、腰・お尻などの体操。呼吸法も少し学びます。経験者のお母さん達が口を揃えて言うのが「この体操が出産の時にとても役に立ったから、もう一度したくて参加しました」瞑想のCDをBGMに体操していくので、これもいい感じ。日本ではやっているのか知りませんが、このコースで初めてケーゲル体操というのをしました。骨盤底筋を強くする体操で、でも日本のサイトを見てみると妊婦体操より、尿失禁の人や夫婦生活向上のために実践されてるらしい。最後はマットの上に寝て、目を閉じて瞑想リラックス。助産師さんが瞑想リラックスのテキストを静かに読んでいきます。「あなたは今、あなたの一番好きな場所にいてリラックスしています。その場所で深く息を吸って・・・ほら、腕の筋肉がほぐれていきました・・・さぁ、新しい日が始まります・・・・」何か催眠術みたいな・・・メモ:日本大使館の手続きエスパーニャ全部の州がそうではないみたいですが、プレの住んでいる自治州では、役所で赤ちゃんの出生届けをする際に、外国名で届け出ると、ちょっと厄介になってきます。日本だと色々なオリジナルな名前が出てきて、英語っぽい名前でも簡単に受理されます。こっちに、外国語の名前が少ないのは、この役所の手続きが複雑だからなんでしょうか。結構昔からのスタンダードな名前が多い気が・・・。親の名前を引き継いだり、カトリックなので聖人や聖書からの名前をつける・・・というのも理由の一つですが・・・。日本でも「悪魔ちゃん」みたいな不快感を与えるような意味の名前は役所で却下されますが、こっちでも似ています。外国の名前だと、こっちの役所の人は名前の意味が分からない。よって、「この名前はその国でちゃんと使われています」という証明書が必要になってくるのです。だから日本大使館で名前証明書を発行してもらうことに。念のため、生まれたらビックリ実は男の子だった・・・というのも考えて、女の子と男の子の名前の証明書を作ってもらいました。ふぅー、名前を付けるのも一仕事っす。。。。
2009年12月21日
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8か月目に入り、今週の木曜日で30週目に入るようになりました。この約1か月の健康管理のまとめをメモしておきます。食べすぎ注意!11月19日の助産婦さん検診にて。いつものように体重測定。そしたら助産婦さんビックリして「プレさん、この一か月何を食べていたんですか!?先月だけで体重3キロも増加してますよ!これは普通ではありません!」更に、「プレさんの顔もちょっと太りましたよ」と釘打ち。そう、クマは毎日プレの顔を見ているので、その変化には気付きにくかった。毎月行く定期健診で久々に顔を合わせる助産婦さんは、すぐプレの顔の変化に気がついたのでした。うーん、何を食べていたのだろう・・・心当たりを探してみるけど思い当たる節がありません。実家から送ってもらった妊娠中に読む本にも、「妊娠中の急激な体重増加に気をつけて、揚げ物とかカロリーの高いものには気をつけましょう」と書いてあったので、極力料理は油を使わない鍋ものとかにして、おやつもスナックなんか買ってないし、甘いものを口にしなくなっていたのに・・・。先月の食生活の変化・・・そういえば!先月お気に入りのパン屋さんで見つけたバターロール。以前見た日本のアニメ「焼きたてジャパン!」(こっちでもファンが多し)で、日本人の唾液の量は欧米人に比べて少ないので、フワフワ食感のパンを好むが、欧米人は硬いバゲットのパンを好む・・・という説明がありました。そう、こっちのパンは硬い、そして特にエスパーニャのパンはバゲットばかり。だからプレはあんまり食べたくありませんでした。・・・かと言って、スーパーのフワフワサンドイッチパンは保存料・添加物沢山入っているので買いたくないし。そうしたら近所のパン屋で、懐しい昔学校給食で出たようなロールパンが。しかも保存料・添加物は一切不使用。嬉しくなって買ってしまい、そのフワフワでちょっと甘い食感に惹かれ、食べるようになりました。体重コントロールのつもりで夕飯を減らす代わりに、夜仕事が終わった後、口が寂しくなったらそのロールパンをほおばるように。ハチミツは体にいいだろうと、そのロールパンにマーガリン(バターより体にいいだろうと)と一緒に塗って食べていました。その結果が急激な体重増加に。助産婦さんも「そうよ、そのロールパンがいけない!ロールパンにはバターや砂糖も結構入っている上に、プレさんはマーガリンと蜂蜜を塗っていたでしょう!」そう夜にエネルギー源になるようなものを口にしてはいけないのです。でも勤務時間が中途半端で、夕飯前に出掛けて、帰ってくるのが9時半過ぎという日もあります。夕方何を食べたらいいのか?ここは、こっちの食生活に合わせ、昼をメインにし、昼ごはんで一日の栄養分を全部とってしまうことにしました。そしてロールパンは朝だけ、何も塗らない!夜9時以降は食べない(これは夜型エスパーニャでは大変なこと)!どうしても夜9時以降口が寂しくなったら、ホットココアを飲むことに。ココアは腸の調子を整えるらしいし、牛乳が苦手なプレもホットにしたら飲めてカルシウム補給に。そうしたら今月の体重変化は殆どなしに。ホットココアも、こっちでよく飲まれてるColacaoは砂糖結構入っているので、チョコレート専門店で純ココアを購入し、砂糖を自分で調節して飲むことにしました。運動についても、助産婦さん指導が。プレの始めた水泳、腰痛などを和らげてくれるし、妊婦にとっては水中の方が動きやすいので、良い運動だけど、カロリー消費の為の運動ではないと。カロリーをもっと消費したいなら、歩きなさい・・・と。妊娠後期に入ったら、体重がもっと増えやすくなるので、気をつけてください・・・とまた釘をさされてしまいました。でもこれからは、クリスマス・年末年始シーズン。「お食べ攻撃」の季節がやってきます。我が家では今年はPolvor?n もTurr?nもハモンも置きません。(でもクマがかわいそうなので、一箱彼用に置いておきましょうか)でも昨日早速、Cuadrillaの忘年会(30人以上、いつものことだけど、30代後半が殆どなのにすごいボリュームとはしゃぎ様)で、夜10時過ぎにディナーとなりました。皆チーズやハモン、ステーキやボテトフライなどをムシャムシャ食べる中、プレはアスパラガス、マッシュルーム、海老、メインディッシュは選べるので、肉でなく小イカのイカ墨煮にしました。おかげで、胃もたれもなし。この夜10時以降に食べるっていうのは、結構つらいです・・・。日本も大晦日に年越しそば食べるけど、ボリュームが違いますよ・・・。助産婦さんにキツクお叱りを受けた(?)先月の検診。嬉しかったのは、胎児の心音を聞く時に、おなかの子が動き回って、なかなか心音が聞ける場所が見つからなかった時。やっとつかまえて(?)、その心音のすごいこと。バクバク・ドドドードドドーって元気一杯です。胎動も激しくなってきて、朝・夜だけだったのが、昼も結構感じるようになりました。ポクポクってキックみたいなのもありますが、たまに位置を変えるのか、グニューって蛇の動きみたいなのも。手をあてると、肘が膝みたいな部分の感触も分かるように。ただ不思議なのは、動いている時に第三者の手をおなかに当てると、今まで動いていた胎動がピタっと止まること。父親の手でもそうです。恥ずかしいのか緊張しているのか???(他のお友達の体験談でも同じだったので、お互い不思議ですねーと)なんででしょうね?
2009年12月13日
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昨日の土曜日、毎年恒例のドイツ人学校のクリスマスバザーに今年も行ってきました。去年のクリスマスバザーについてのブログ去年はクマが役員になってるOB会のスクールTシャツやスクールグッズ売りのスタンドを、OBでも保護者でもない自分が手伝った・・・それはそれで面白かったのですが(ちょっとしたドイツ人村が見れるから)、今年はスタンドを出さないらしい。それに役員のクマでも毎年学校行事の案内は大抵知っているのに、今回のバザーの日程は全く知らされなかった。何しろ最近、学校と保護者やOB会との連絡が上手くいっていなく、毎年ある学校見学会も中止、色々と消極的、学校の先生もサラリーマンみたいに「これで勤務時間は終わったので、私の仕事はこれで終わり」みたいな雰囲気(日本の学校の先生の方が大変だ)。しかも何年かに一度、ドイツから学校長が交代制で本国に戻ったり、新しく派遣されたりしているので、一貫とした教育理念や方針が貫きにくいとか。そのバザーでも消極的になりつつある雰囲気が見られました。ドイツのクリスマスバザー又はクリスマス市と言えば:クリスマスクッキー(Weihnachtspl?tzchen)、シナモンケーキ(Lebkuchen)ソーセージと酢キャベツ(又はチリメンキャベツ)の付け合わせ。じゃがいものお焼き(Kartoffelpuffer)、肉まんアンマンの生地の中に甘いジャムが入っていて、その上からまた甘いバニラソースをかけるダンプヌーデルン(Dampfnudeln)そしてホットワインのグリューワイン。ゲルマンのクリスマス市の食べ物のブログ去年は学校の生徒達が手作りのクリスマスクッキーを売っていたり、ちょっとしたビールとソーセージのスタンドなどがあって、プレは久々の本格的ソーセージが目当てで今回は行ったのですが・・・。ビールもソーセージも、クリスマスクッキーもありませんでした!去年ソーセージにキャベツが付いてなかったので、ブーブー文句を言っていたのですが、ソーセージさえもないとは!しかも食べ物はケーキだけ。ケーキのスタンドが2件のみ。去年と同じ場所でお義母さんを手伝っているアンカトちゃんのアドベントのろうそく立てとカレンダーのスタンドも、お義母さんが体調悪くて今年は作れなかったせいもあるのか、殆どカレンダーのみ。幸いホットワインは飲めました(子供用のノンアルコール)。ちょっとしたクリスマス気分を味わおうとしたのですが・・・。(エスパーニャは気候的にか、北の国に比べてそんなにクリスマス雰囲気が味わいにくいかもしれないです)某IKEAに行ってホットワインやクッキーを買うか、自力で作るか。レープクーヘン(シナモンケーキ)やシュトレーンはドイツ系のスーパー某Lidlで買うか・・・ですね。あとはドイツ系のcharcuter?aで、本格ソーセージを買うとか?日本の大阪にも、ドイツのクリスマス市が時期になるとあるらしいです(プレの妹情報)。話を聞くと、大阪のクリスマス市の方がこっちのより色々と本格的ドイツのクリスマスの食べ物が味わえるみたいですねぇ・・・。日本のクリスマスの方が或る意味すごいかもしれません・・・。1か月前からのクリスマスケーキの予約(エスパーニャでは家族で食事はするけど、クリスマスケーキを食べる習慣がない。その代りトゥロンやポルボロンなどのアーモンド菓子を食べますが)、イルミネーションなどなど・・・。
2009年11月29日
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秋晴れの週末の日曜日のお昼に、町の文化会館のオルガンコンサートに行ってきました。そこの文化会館ではシーズンになるとオケのコンサートやオペラ、又はポップやロックのコンサートも盛んに催されて週末の夜は賑わっています。華やかなオペラはエスパーニャ人の好みに合っているのか、満席になることも度々。オケになると少し人が減りますが・・・。日本やゲルマンに比べて、やはりクラシックを聴く人の比率は減るんでしょうか。やはり週末はサッカー観戦、バルでの社交が一般的みたいですから。いつも演奏会に行って思うことは、聴衆の多くが年配者、若い人があんまりいません。しかも天気のいい週末は若者はアウトドア、室内なんかやってられっか・・・って感じでしょう。日本だったら、雨が降ると演奏会の人の入りが減って、逆に天気がいいとお客さんが増えるんですがねぇ・・・。オルガンのコンサートは華やかなオペラやオケに比べると、地味に思われるのか、宗教色が強いと思われるのか、更にお客さんが減ります。でもプレにとって室内楽の演奏会の次に好きなのが、オルガンコンサート。ピアノソロのリサイタルよりも好きかもしれません。ゲルマン生活で「美味しかった」ものの一つが、このオルガン演奏会。別に格式張ってゴージャスなホールで催されるのではなく、町の普通の教会でミサや礼拝の前後の空き時間をねらって(?)、その教会の専属オルガニストやゲストによって演奏されます。あんまりお金が出せないプレにとっては、殆ど無料(気持ちとして教会に小銭を多少寄付しますが)のオルガンコンサートが美味しかった。まぁ、オルガンという楽器の原点を振り返るのなら、教会で演奏するのが最もふさわしいかもしれません。でも最近ではオルガンを一つの「ソロ演奏楽器」として使われることも多くなったので、今回の文化会館での演奏会のプログラムは良いものでした。プログラムの第一部は最後のミサ曲(室内弦楽オケと合唱と一緒)を除いて、全てがオルガン独奏の現代曲。オルガンの基本かつポピュラーなバッハが一曲もない。普通のオルガン演奏に見られる宗教色が見当たらない。プログラムは以下の通り:ルイス・ヴィエルヌ(Louis Vierne 1870-1937)のオルガン交響曲よりFinal Julien BretのLa ronde des Lutins Naji HakimのOverture Libanaise Jos? Domingo Ugartetxea( 1888-1980)のMisa Segunda Pastoril 最後のウガルテチェアのミサ曲以外は、皆フランス色。Hakim氏はレバノン人で、この曲にもアラブっぽい旋律があって面白いですが、彼もフランスで音楽を勉強したのでフランスの影響はかなり有り。その中でプレが一番気に入ったのが、ヴィエルヌのオルガン交響曲。華やかなだけど、超低音から高音までホール中に柔らかく響き渡るハーモニーがいい感じです。多分オルガニストにとっては難易度の非常の高い曲なんだろうな。あとスカートでは演奏不可、ひっかかってしまいますから。自宅にペダルのあるオルガンがあって練習できるオルガニスとって、そんなにいないから、彼らはどうやってあの足を練習しているのか!?ホールのオルガンは観客に対して背を向けて(指揮者みたいに)弾くので、演奏中の体の動き、特に足の動きがよく見れました。だからヴィエルヌの曲を、両手だけでなく両足もダイナミックに動かし、長椅子を左から右に移動する「蛇」みたいに動いて演奏する姿にちょっと感動しました。難しい、これは。普段教会とかでは、オルガンは上にあったりしてそのダイナミックな演奏を見ることは難しいから。どうなんでしょうね、教会オルガニスト経験者だったラファエラ・マリアさん?ちなみにYouTubeでこの曲が聴けます。Symphony No. 1, Final (Louis Vierne)Naji Hakim plays his Ouverture Libanese (作曲者自身の演奏)でもいつもエスパーニャでは、音楽だけ楽しむことは難しいんだよなぁ・・・。演奏中誰かしらキャンディーの紙をうるさく開けたり、しゃべったり、かばんをゴソゴソさせたりで・・・今回だけはないようにってヒヤヒヤ。特に隣りのクマさんのしかめっ面が・・・もっと怖い・・・かも。
2009年11月23日
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新型インフルのワクチンの最優先である医療関係者の接種が済み、11月16日から持病のある人と妊婦への接種が開始されると言われてました。町の健康センターに電話で聞くと「その通り、11月16日から開始されます。妊婦の方それぞれに宛てて市からワクチン接種の通知が来るので、それを待っていて下さい」16日の月曜日。エスパーニャのニュースは第二の優先順位の人への接種が始まったことを取り上げていました。しかし持病のある人のみ。妊婦への接種は「もう少し」待たなくてはいけないらしい。ニュースの映像にはワクチンを受ける消防士の人達が。日本ではどうか分かりませんが、ここでは消防士や警察も優先順位に入っているみたいです。パンデミックに陥った時に備えて最低限の行政サービスが機能するためらしい(servicios esenciales, como fuerzas de seguridad del Estado, bomberos y protecci?n civil)。「もう少し」待たなくてはいけない・・・と報道されているけど、具体的な期間は分からない。日本ほど騒がれていないけど、こっちでもスポーツ選手が新型インフルにかかって欠場になったり、他の町では健康センターの母親学級もキャンセルになっているらしい。本当なら来月12月に母親学級が始まる予定なのに、2週間前を切った今でも、コースが未定。人数が集まらないのか、それともこのインフル騒動のせいなのか・・・。同じ妊婦でガリシアに住むNさんが、今日病院に行ったら、「妊婦の分のワクチンは未だ不足しているから開始出来ない。でも待ちリストに入れておきますから、順番が来れば電話で連絡します」・・・と言われた。待っている間、インフルエンザにかからないようにしないと・・・。なるべく地下鉄使いたくないけど、仕事に行かなくてはいけないし。気晴らしも多少必要でしょう。今は睡眠、栄養に気をつけて、勿論のこと手洗い徹底。毎日みかんを食べています・・・その気晴らしで久々に食べたバルのつまみベーコンで巻いたバナナを揚げたつまみ。ベーコンとバナナの甘味がマッチしています。バルも人が結構いたけど、このつまみの美味しさに心配も吹っ飛んでしまいました。
2009年11月19日
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ベルリンの壁崩壊から今日11月9日で丁度20年。その日を思って色々と書いていたのですが、ひょんなことで、タイピングしてる左手の小指があるキーにあたり、今まで書いていたのが全て消えてしまいましたーまた時間が出来た時に紹介したいと思います・・・・。こっちは雨で寒いし、外は昼なのに暗いので、なんかついてない日だなぁ・・・。いつも母が言っている「ついてない時は、色々あがいても上手くいかないことが多い。そういう時は、何もせず静かにしているのが一番」のに従って、今日は大人しくしておこうと思います・・・。よって次回この記事が編集されるまで、しばしお待ちを・・・。(ここからは翌日書き直したものになります)11月9日は、ベルリンの壁が崩壊してから丁度20年目。その前から、エスパーニャのテレビや新聞などでも特集組んだりしていました。テレビを見ていると、ゲルマンを去ってから2年しか経っていないのに、ベルリンは相変わらず変化し続けているなぁ・・・と実感。もう数年離れているだけで、あの町を案内するのは容易ではないのかもと思えてきました。ベルリンはゲルマンの中でも変化の激しい町。20年経っても未だ変わっていきます。プレが引っ越した2001年頃も、変化の真っ最中。90年代に東ベルリンの大学入学した西ドイツ人曰く、90年代は大学周辺は寂れていたらしい。それに比べて2000年代前半はマシになっていたかもしれない・・・けれど、東ベルリンにある大学は社会主義時代の名残りが強かったです。何か校舎に入るなり、タイムトリップしたような感覚に。秋から冬は、授業に行くのがちょっと鬱になりそうでした。無機質っぽいコンクリの建物に暗い廊下・・・先生と学生は現代のままなのに、60,70年代の社会主義国の大学で講義やゼミを受けているような錯覚を起こさせる教室内。それがプレの脱ゲルマンの前くらいには、その校舎も全面改築され、その名残りもなく、近代的で明るい感じの建物になっていました。大学周辺には新しく色々な店、お洒落なカフェも並ぶように。そんな大学周辺は、今では観光スポット。今までベルリンの観光スポットは、西ベルリン(クーダム、動物園、フィルハーモニーとソニーセンターなど)が中心だったのに、最近は東に移動しつつあるようです。ブランデンブルグ門に近い、ユダヤ人慰霊碑も新しく出来たし、今まで広い空き地で何もなかった所に中央駅が出来たし。今まで東に住むのはちょっと躊躇気味だった外国人留学生にも、最近は「ナウイ(死語?)」カフェやクラブがある、ベルリンスタイルを楽しめる・・・と人気らしい。むしろ最近西の方が廃れ気味、若者は東の新しい魅力にひかれて行ってしまうので、西は年配の方ばかり(トルコ人地区や労働者地区のWedding, Neukoelln, Kreuzberg を除いて)。この町自体がゲルマン独特。一つの町に、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの4カ国に占領されていたなんて。。。だから地区ごとに、その占領国の雰囲気も未だに少しは残っていますし。そんな変化に溢れた独特な町ですが、ちょっと更に東に行ってみると、20年経ったとは信じられないような、時が止まったような所が結構あります。ベルリンより、もっと小さい旧東の町に行ってみれば、分かるでしょう。今まで11月9日になると特番などでは、旧東独イコール悪い・・・みたいな視点からのが多かったのですが(壁が崩壊して良かったね、言論の自由もあるし、シュタージを恐れることもないし)、最近では旧東時代の悪くなかった面も考えていこうというのも増えてきました。若者文化、仕事、育児支援などなど・・・。実際にその時代に住んだことのない外国人のプレが、色々と言える立場ではありませんし、未だ旧東の文化を把握しきれていません。西の人が言うことと、東の人のと異なるし、また同じ東の人でも、全く違う経験・意見を持つ人も多し。・ ・・としみじみ思う11月9日でした。。。・・・とZDFのHPで見つけたクイズ、トライしてみてはいかがでしょう。あなたはどのくらい旧東どいつを知ってますかクイズー!(クリックしたらサイトにいきます)正しいのを選んでください。全10問。1問目:旧東独の子供用歯磨き粉は何と言われてましたか?A)Zahni B)FleckiC)Putzi2問目:旧東と西を分断していた国境はどの位の長さだったでしょう?A)800 Kilometer B)1040 KilometerC)1400 Kilometer3問目:旧東独の有名なシャンパンの銘柄は何といいますか?A)M&M B)Rotk?ppchenC)F?rst P?ckler4問目:旧東で有名なトークショー番組は何といいますか?A)Tutti Frutti B)Ein Kessel BuntesC)Willkommen bei Carmen Nebel5問目:略語VEBの意味は?A)Volkseigener Betrieb (人民所有企業)B)Verkehrseinzugsbereich (交通範囲圏)C)Verstaatlichte Einzugsbeh?rde (国営入金局)6問目:Ataは何の為に使いますか?A)Als Putzmittel (掃除用品として)B)Als Waschmittel (洗濯用洗剤として)C)Als Zahnpasta (歯磨き粉として)7問目:誰が現代のカメラを近代化しましたか?A)J?rgen Osthaus B)Volker PreussC)Klaus Feldmann8問目:東独のビールの銘柄は?A)Radeberger B)KrombacherC)Flensburger9問目:旧東でまず伝統的に人々がつけていたものは?A)Rote Krawatte (赤ネクタイ)B)Rote Nelke(赤カーネーション)C)Roten Lippenstift (赤い口紅)10問目:旧東独の子供部屋を飛んでいた鳥は?A)Frau Elster B)Frau MeiseC)Herr Spechtちなみにプレは7問正解。クマ氏は4問。正解が載ってないのは、ゲルマン精神「答えは自分の力で見つけよ」なんでしょうか?
2009年11月09日
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最近Nekiくんが録画に凝っている。以前ノラさんのページでも、バスク地方の町の紹介ビデオが掲載されることがありました(こちらは、ノラさんの日本語訳の説明もあるので、日本人でも楽しめます。Nekiくんは日本人の感想を聞いてみたいので、そちらにも是非感想コメントお願いします)。Nekiくんの住んでいる町(ノラさんのページにあるビデオの町ではありません。小さい町、又は村?)は、実はお祭り大好きな町。一年中の四季を通して常に何かしらのお祭りが催されています。そもそもエスパーニャ全体がお祭り好きなんですが、Nekiくんの町バルマセダは、その中でも顕著な方でしょう。エスパーニャからバル(居酒屋)をとってしまったら、水が与えられなく枯れてしまう植物のよう。それと同様、エスパーニャからお祭りをとってしまったら、この国はひからびてしまいます。プレは闘牛・フラメンコ以上のものだと見ました。なんせ、そのお祭りの日と授業が重なると、授業は欠席になりますから。優先順位:1.お祭り2に勉学。自分の学生時代を思い出すと、いつも定期試験が重なり、結局4年間のうち祇園祭りを見ることは出来なかったのに・・・。Neki君の町のお祭り:クリックしたら過去の記事に行きます春にかけての聖週間「受難劇」これまた春の中世コスプレ祭りそして今回秋の聖セベリノ祭(町の守護聖人)、別名(本当か?)「鍋まつり」。今回は守護聖人の日が平日だったので、プレは行けませんでしたが、Nekiくんが後日ビデオを見せてくれました。街の守護聖人様より、プチェラ(Putxera)鍋の方がインパクトが強くなってしまったお祭り・・・。そこでは郷土鍋料理Putxeraの「世界」コンテスト(Campeonato Mundial de Pucheras )が催されます。プレが初めて見たプチェラ鍋は、春の中世祭り。屋内屋外共、調理出来、携帯も可能な優れもの。昔、機関車の操縦士さん達が、この鍋に材料だけを入れて仕事に持ち込み、汽車の蒸気を利用し、プチェラで煮てお昼ごはんとして食べたのが由来らしいです。その祭りの様子がNekiくんのビデオで見られます(ここをクリック)今年はお天気が悪かったみたいですが・・・。でも寒い時にこそ、ホカホカお鍋は日本と共通みたいっすね。日本だと白菜ですが、こっちのお鍋は豆が主役みたいです。
2009年11月03日
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ベレー帽国だけでなく、エスパーニャの色々な町で見かけて気になっていた料理器具。友達の家でも、クマさんの実家でも「誇らしげ」に置いていある。炊飯器よりちょっと大きい感じで、場所もかなりとられるんですが・・・一昔の「自分の家にはパソコンがあるんだぞーエッヘン」みたく、「自分のキッチンにはテルモミックス(サーモミックス)があるんだぞー!」何か色々な機能が付いていて、凝ったお料理には欠かせないらしい。泡だて器機能でシャーベットなどのお菓子作り(カスタードとかはいいけど、ホイップクリームのようなのは作れなかった・・・クマさんの実家で試したけど・・・旧式だからか?)デジタル式のはかり機能ミキサー機能で、ホワイトソース。そのミキサー機能と同時に鍋機能もあるので、温度を90度とかに設定したら、マッシュポテトやステーキにかけるソースが出来る。以前バレンシアの友達に電話したら、丁度新しいタイプのテルモミックスが家に来たみたいで、その販売員さんが実演してて、結構興奮気味な声で「プレさん、後で電話してちょーだい!」そして今ではFacebookのテルモミックスファンクラブに入ってるし。クマさんの実家でも、数日おきくらいの頻度で使っている。クマママさんにも実演しながら、「これがあれば便利よー、何でも作れちゃうわ」と勧められました。本屋でもテルモミックスを使ったレシピ本が色々出ています。でもお値段は・・・10万円くらいするみたいです。普段そんな凝った料理はしないし、ホワイトソースはフライパンで作れるし、ブロッコリーのスープもハンドミキサーでいける。こっちに来て思ったのは、エスパーニャの人って、調理器具を結構豊富に揃えているってことでしょうか。ゲルマンではオーブンさえあれば、台所はOKでした。オーブンから色々なゲルマンの典型的な料理ケーキやグラタンものが出てくるのでした。ゲルマンの台所はシンプル(あまり使わないからか?)、極端ですが、旧東独のとある町の石炭暖房の家で、冷蔵庫のない台所。冷蔵庫なしで、牛乳は常温状態で飲んでいた人がいて、ビックリ。でもどんなシンプルな家で、冷蔵庫がなくても、オーブンはあるっていうのが多かったです。それが、こっちに来てから料理が苦手なプレでも、色々な料理器具を使うようになってきました。テルモミックスよりも、こっちで更にポピュラーなのは圧力鍋。こちらもゲルマンの家庭では、あまり見かけなかったのですが、エスパーニャの台所には殆どあると言って良いでしょうか。多分エスパーニャでは豆料理をよく作るから・・・。面白いのは、テルモミックスは実はドイツのVorwerk社生まれ、品質の良い圧力鍋はドイツ製。Made in Germanyなのです。最初ここでテルモミックスを見た時も、友達が「これはドイツが発祥なんだよ、プレさん住んでるのに(当時はまだいた)見たことないのー!?」テルモも圧力鍋も殆ど見たことないっすよ。やはりプロイセン文化が濃いところだったから?バイエルンとか西だったら違ったのかな?ゲルマンで初めにならった単語が「ホームシック(Heimweh)」で(スペイン語で何というか未だに分かりません)、こっちに来てすぐ習ったのが「圧力なべ(olla a presi?n, olla expr?s)」。言葉を学ぶにも、その国の文化の影響があるんですねぇ・・・。ドイツ発祥、ドイツ製なのに、ドイツでは使われず、エスパーニャの方がずっと需要があるとは・・・。やはり食に対する関心度の違いからか。あと個人的に三大料理器具の一つに加えたいのは、オムレツ用両面フライパンでしょうか。
2009年10月29日
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9月は妙に宙ぶらりんな感じでしたが、10月になり、この秋の勤務時間もやっと決まりやれやれ。少しずつ普通の生活に戻りつつあるこの頃。こってりとしたものも食べたくなってきて、食欲も戻ってきました。この間生徒のLuさんが、ひょんな会話の流れで(確か日本のお弁当の話から)「ガリシア風エンパナーダはうまい。家でも時々自分で作る」という話を聞き、興味が湧いてきました。(ちなみに彼女はバスク人)Empanada・・・なんか懐しい響き、昔どこかで聞いたような。。。そういえばプリン山の学食やあの地方のバルにはいつもありましたよね、ウヌニコさん?日本の餃子をちょっと大きくして揚げたようなやつです(オーブンで焼いたにしては油っぽかった)。中はトマト味のひき肉とか入っていて。あれはプレの胃に正直もたれました・・・。でもガリシア風エンパナーダは話を聞くと、そうではないらしい。Luさんに聞いて、試しに作ってみました。スーパーで売っている市販のパイ生地2枚(下の土台と、かぶせる上と)の中身の具は、Luさん曰くガリシア風だと:(細かく切った)ゆで卵、ツナ、赤ピーマンとトマトペーストが基本らしい。エンパナーダは色々具を組み合わせることが出来るので、プレの試作第一号の具はガリシア風の基本の具(上記)と、ひき肉とほうれん草、玉ねぎにマッシュルームも足してみました。作り方は家庭科赤点だったプレにも出来る程簡単具の材料を炒めて塩でちょっと味付けパイ生地の下の土台にフォークで何箇所か穴をあけ土台に炒めた具を入れてもう一枚のパイ生地をかぶせ、卵液をぬって200Cのオーブンで25分か30分で焼いて出来上がり。あつあつも美味しいですが、翌日冷蔵庫から出して食べた冷えたパイの方がプレは好きです(つわりの影響か?)。ちなみに、クマさんウンチク:そもそもエンパナーダの起源は、その日の残り物を処理するために、パイに詰めて焼いたらしい。パエリヤの起源もそう、海鮮パエリヤはオリジナルでなく、本来は肉のパエリヤ。余り物を上手く使うため。プレ「そういえば、バスクではエンパナーダ見かけたことないっす」クマ「そりゃ、バスクでは余り物は食べないからー」要はクマさんは、バスクの料理を自慢したいってことでしょうかね。はいはい・・・。でもプレは余りものを使ったパエリヤやガリシア風エンパナーダ大好きっすよ。
2009年10月02日
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つわりが治まってきた矢先に、今度は風邪。妊婦は抵抗力が落ちているとは聞いていたけど、初めて実感した週でした。最初はクマさんが風邪をひき、鼻水はすごいけど微熱だけだったんで、インフルエンザではなく、季節の変わり目の「ただの」風邪だろうと高を括っていたのが。確かに先週は急に冷え込み、プレも暖かくして栄養・睡眠には気をつけようとしていたところ。でもただの風邪でもうつるんです。クマさんが「妊娠中だし、念のため別々の部屋で寝よう」と言ったのに、プレは「大丈夫っすよー、インフルじゃあるまいし」と拒否。翌日、のどが乾燥していき、鼻水の大洪水。熱も37、7度出てきました。普段は風邪薬のルルを飲むのですが、薬は飲めないので、ひたすら栄養と水分を補給して横になって寝る・・・。週末はベッドで過ごし、月曜になってもちょっとフラフラ。抵抗力がなくなっている・・・って実感したのは、風邪が移りやすいというだけでなく、回復まで時間がかかることも。結局今週は家で安静が殆どでした・・・。クマさんが車で送ってくれたので行けた、助産婦さん検診。「プレさん、体の調子はどうですか?」「実は風邪をひいてしまいまして。熱が出てたんですけど、妊娠中は風邪薬飲めないのがつらいですね・・・今は平熱になりましたけど」そうしたら助産婦さん「発熱はおなかの赤ちゃんに良くないので、そういう時はParacetamol(鎮痛剤)を飲んでもいいんですよ」Paracetamol(鎮痛剤):7月に角膜潰瘍で救急で診てもらった時に処方された薬(前の日記)。妊婦も服用可。後にネットで見ると、お医者さんによっては、38度39度が出ても、羊水の中にいる赤ちゃんに悪影響はないので薬は不要っていうらしいし、どうなんでしょうね?プレは今後は38度以上出たら、鎮痛剤パラセタモールを服用しようと思います。インフルエンザの場合は、早くタミフルを服用するべきと言われているし。5ヶ月目の助産婦さん検診:体重・血圧測定先週の尿検査の結果子宮の長さを測定胎児の心音を小さい測定器で聞いて心拍測定生活指導・・・一日5食小分けにして食べて下さいと言われた。夕飯もオムレツくらい食べなさいと。プレの質問に対して:妊婦帯・・・この国でも入手可能だが、産科は勧めていない。なぜなら、妊婦帯を使うと、支えてくれて楽だが、反面、おなかの筋肉自体が使われなくなり衰えてしまうから。3,4人目を産むのなら使うのも良いが、一人目の妊娠なら使わない方がよい。妊娠線予防クリームも5か月目から使用した方が良い。インフルエンザ予防接種・・・体調が良くなったら、季節性のインフルエンザ予防接種をすぐに受け、接種後3週以降、新型インフルエンザの予防接種を受けること。こっちでは11月初旬になるらしいので、それまで季節性のインフル予防接種でしのぐってことか?恒例の次回の産科検診・助産婦検診・尿検査の予約。10月下旬に町で一番大きい総合病院にて、胎児のエコー検診。そこで胎児の各体の部分を診る。性別もそこで判明するらしい。産科検診は来年の1月12日産科より、助産婦検診の方が多くあるのはどうして?日本の方がお医者さんに診てもらう頻度が多い気がするのですが・・・。母親教室の案内。プレの仕事が夕方なので、午前で父親参加可能な教室を案内してもらう。希望に合うのは別の地区の健康センターになる。電話で参加予約しようとしたら、まだ2月出産予定の人のためのコース日程は出来てないとのこと。12月から始まり2か月間、週に1回らしい。名前と電話番号を言って、詳細が分かり次第連絡をくれるそう。診察室を出ると、次に待っていた夫婦はアフリカ系の方でした。前のエコー検診の待合室も、外国人(ラテンアメリカ系、子連れなので二人目とか三人目か)が多かったし、そんなに都会じゃないのに、外国人が増えているんだなーと実感。そういうプレもアジア系外国人なんですけどね・・・。気温の変化が激しいので、皆さんも体には気をつけて、風邪をひかないようにしてくださいね。
2009年09月23日
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やっと食べ物ネタ、料理ネタが書けるようになりました。少しずつ台所に立つのも苦でなくなってきましたし・・・。先週末、クマママさんの「夏の家」にお昼を食べに行った時のこと。クマママさんのお客さん達も来ていました。おやつの時間になったので、クマママさん、コーヒーとおやつの準備のために台所へ入っていく。クマママさんのお手伝いをしようとしたら、ママさん、フライパンでイチジクをジュージュー炒めていた。果物のイチジクを油で炒めるのかー!?しかもハムと一緒に。驚いている私にクマママさんは、「あらぁー、プレさんは未だ食べたことなかったかしら?」イチジクを洗い、半分に切る。それをフライパンでしんなりするまでハムと一緒に炒めて、最後の味付けにオリーブオイルとりんご酢(透明な酢だったらどれでもいいのでは?)を混ぜ合わせたものをかけて出来上がり。イチジクの甘味とハムの塩味が微妙にマッチしていて美味しかったです。イチジクはジャムだけではなかったんっすね!その夏の家の庭ではイチジクの木2本が収穫期。男性陣はサッカーや仕事の話ばかりになってきたので、女性陣(クマママとお客さん達、そしてプレ)はイチジクをもぎ取りに。あっという間に籠の中がイチジクだらけになりました。日本ではイチジクなんてあまり食べなかったですねぇ・・・。そのお裾分けのイチジクで、今日の昼ごはんのおかずにしてみました。意外とごはんと合って、これまた美味。
2009年09月15日
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7月から今まで、自分でどうにも出来ないので、ただ嵐が去るのをひたすら待つ生活をしていました。・・・というか、ナントカツワリ大魔王の呪縛が解けてほしいって感じです。この3週間色々ありました:まず7月31日の友人の結婚式の前夜。(車で1時間くらいの場所なので行けたけど、遠距離だったら欠席してた)。夜、コンタクトを洗面所で外すと、鏡の前の自分の顔が白くぼやけて見えなくなってきた。・・・と同時に、目の中(白目黒目共。でも奥ではない)がたくさんの針で刺されるような痛みで、目が開かなくなった。これはその数週間前にも似たようなことがあり、プレはホルモンの変化によるつわりだと思ってました。だから大丈夫だ、クマさんも来週眼科に行けばいいって、寝ることに。しかし、寝床に入って、目をつむっても、痛みは増すばかり。チクチク、ジクジク、キリキリ・・・しまいに鼻水も出てくるわ、涙が止まらないわ・・・。目を開けようとしたら、一斉に針が刺さっていく感じで、両目共全く開けられなくなってしまいました。夜中12時過ぎ、クマさんに頼んで、車で町の救急病院へ連れて行ってもらうことに。両目が開かないので、ベッドから玄関へ、車までクマさんの手引きで移動。車で移動中も、方向感覚がないので、分からないまま。今はどの辺か、クマさんに説明してもらいながら、到着。到着しても、駐車場から救急の入口まで手引きで歩く。病院の職員らしき人達の声が聞こえるので、近い。しかし、尋ねたところ、眼科の救急はない・・・とのこと。この県唯一、眼科の夜間救急がある別の病院を紹介してもらい、また車で移動。その2件目の病院は、救急体制が良く、車で到着するなり、向こうから職員が来て、目が開かなく一人で歩けないプレに、車椅子を運んできてくれました。夜間の眼科の救急・・・滅多にないので、待ち時間も殆どなく、診察してもらえた。「頑張ってちょっと目を開けて下さい、麻酔点眼しますから」麻酔点眼した後、目が開いた。それで眼科医の女医さんが、プレの目を診察。角膜潰瘍(かいよう)角膜に傷がつき、菌が入って炎症を起こすもの。でも妊娠とこの潰瘍との関係は分らず・・・。ホルモンの関係で目が乾燥しやすいからでしょう・・・としか。コンタクトは1週間は厳禁。コンタクトなしだと、生活しにくい超強度近視のプレ(こっちの視力で12、14です)だけど、丁度仕事もなく、家から出ない生活なので、これは助かった。。。1週間、8時間ごとに目の中に塗る抗菌剤(クリーム)と、人工涙の目薬を処方してもらう。この眼科医さんは、抗菌剤は妊婦が使用しても大丈夫って言ってたけど、家で開けて説明書を見てみると、「妊娠初期の方の使用は、担当医と相談の上」と書いてあった。念には念を・・・と結婚式の当日の朝、1件目に行った総合病院の産婦人科の救急で、その薬の確認をしてもらう。二人の婦人科の先生が色々調べて、結局は「この薬に関しては、薬の使用と胎児への影響との関係に関する研究も殆どなく、100%安全です・・・とは言えません。だけどリスクはかなり低いと思われるので、母体の体への利益が大きい場合は使用するべきでしょう。(使用を拒否して、目の潰瘍がひどくなって失明でもしたら、出産どころでない)」よって、一週間この抗菌剤を塗り続けました。ちょっと良かったのは、婦人科の先生が「ついでだから、エコーで胎児を見てみますか」エコーしてもらい、ちゃんと動いていると確認出来た上、エコー写真ももらえたことでしょうか。この日も片目は開かなかった。救急の眼科の先生は、翌日も日光が当たらないように自宅療養を勧めてたけど、クマさんの大切な友達の結婚式。二人とも楽しみにしていたので、夕方からだったし、プレは牛乳瓶の底みたいなグルグル眼鏡で、そして片目でなんとか、行ってきました。片目で、目の痛みの方が気になっていたせいか、つわりはその日はなく、披露宴の食事、お肉まで食べれたから良かったです。その後の目の検診で、傷は治っていると言われ、しかも視力も前のままだったので、安心しました。コンタクトも使用可能、だけど妊娠中はドライアイになるので、いつも目薬で涙を補給して下さいとのこと。別の私立の眼科クリニックで、ソフトコンタクトを初めて試してみた。でもハードと違って、装着と外すのが大変なので、どうでしょうか。。。そして、プレみたいな超強度近視(10度以上、日本だと0,01くらいか?)には、ICLという新しい手術が適応すると勧められた。フェイキックICL眼内の虹彩の後ろで水晶体の前の部分に、有水晶体眼内レンズを挿入する手術。従来の白内障の手術を応用したもの。これまでのレーシックでは、角膜が薄い人、10度以上の超強度近視は矯正不可能だったが、ICLは角膜を削らないので、損失部分がない。ただし、新しい手術なので、症例数が少なく、長期的なデーターがない、手術に高度な技術と熟練を要するライセンス式なので、出来る医師が少ないのが難点らしい。(日本では未だ厚生省の認可がない)将来、もっと安心なデーターが出て、費用も下がったら、ここで受けるのも考えてみようかな・・・。意外と(?)スペインのコンタクトは丈夫で(今使っているのもそう)、眼科も信頼出来そうだし。。。・・・と目のことばかりになってしまいました。今週に入って、少しずつ朝は調子が良くなってきました。昼も普通に食べれるようになってきたし(でも冷たいものに限る)・・・。英語でつわりは、morning sicknessというらしい。モーニングだけなら、どんなにいいでしょうかね。プレの場合はevening sickness。夕方からムカムカしてきます。でも午前中は「呪縛」が解けているから、少しはホ・・・。もう一頑張り!
2009年08月20日
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