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2013/03/08
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忠犬ハチ公が、帰らぬ主人を10年待つ続け死去した日

言わずと知れた「ハチ公物語」ですが簡単に!!

ハチ公は大正12年(1923)に、秋田県大館市(おおだてし)で秋田犬として生まれ、翌年の大正13年(1924)秋田県から、後(のち)のご主人[東大農学部の上野英三郎(うえの ひでさぶろう)博士(はくし)]の住む渋谷の街にやってきました。ご主人は何度か犬を飼っていましたが、早くに亡くなってしまったため、末広がりの意味を込めて「ハチ」と名付けました。

ハチは生まれつき体が弱かった為、ご主人は「体の弱いハチの運動になれば」と職場の大学にハチを連れていくようになりました。これがハチの「送り迎え」の始まりです。そして、大学の他にもう一か所、よく通ったのが渋谷駅で、夕方決まった時刻に、改札口の前で自分に惜しみない愛情を注いでくれるご主人を健気に毎日待ち続けました。

しかしハチが東京にやってきて1年4カ月が過ぎた大正14年の(1925)5月21日、突然ご主人が亡くなります。しかし、ご主人の死を理解できないハチは、毎日毎日渋谷駅前で夜遅くまで帰るはずのない主人の帰りを待ち続けました。

そんなご主人を慕うハチの一途な姿が新聞に載り、全国からハチを励ます手紙やお金が続々と寄せられ、(このあたりから敬意を表(ひょう)して、ハチに公をつけてよぶようになりました。)そしてハチ公の存在を後世に伝える為、集まった寄付金(現在の価値にして200万円)で昭和9年(1934)4月、渋谷駅前に銅像が建てられました。銅像の除幕式にはハチ自身も出席しています。

この頃、フィラリア症が悪化しあばら骨が浮き出るほどにやせ細っていました。すでに11年の歳月が経っていましたが、それでもハチは待ち続けました。

しかし翌年の昭和10年(1935)3月8日に13歳余りの


前年4月に建てられた渋谷駅前の銅像前には、弔問
(ちょうもん)する市民が殺到(さっとう)しました。

そして翌年の昭和11年(1936)から、忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像(ぐん‐ぞう)維持会が、「桜の花が咲く暖かい季節に、ハチをみんなで思いだそう」と願いを込め、命日から一ヶ月後の4月8日を「忠犬ハチ公の日」と制定し、毎年慰霊祭が行われるようになりました。

因みにハチ公の銅像は第2次大戦中に供出(きょう‐しゅつ)され、
現在のものは昭和23年(1948)8月に再建されたものだそうです。





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最終更新日  2013/03/08 06:18:14 AM


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