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久々に開いたので、何か書きます。このブログはバイクや旅がテーマだったのですが、本人がこのテーマからめっきり離れてしまい、この数年の趣味と言えば室内スポーツともいえるバドミントンになってしまいました。旅はするといえばするんですが、移動手段は飛行機だったりレンタカーだったりするもので、非日常なワイルド体験もそうそうないわけです。私がバイク旅を実行した当時、「旅」「冒険」「放浪」なんてキーワードが多少流行っていたと今となっては思います。それは2000年当時の曲や本のタイトルを見るとなんとなく分かります。今はたぶん、真逆でしょうね。保守的な若者も増えているようですし、冒険のハナシをしてもキョトンでしょう。私も正直、すでに怖かったり寒かったりする思いはしたくないし、できることならセレブな宿に泊まったりしてみたいくらいなので、所詮その程度なわけです。さて、このブログのテーマは旅や冒険であって、今はそういったものからめっぽう遠ざかっているわけですが、ハナシのネタとしては空気次第ではおもしろがられます。ぶっちゃけ飲み会のネタに使えます。まあ、言うなれば昔取った杵柄的なハナシをするおじさん状態ですね。すっかり思い出話なわけですが、自分の中で旅が続いていることがあるとすれば、旅の途中で人から受けた親切をまだ返し切れてないということでしょうか。話は少しそれますが、私が旅の途中に親切にしてもらった人の中には東日本大震災で大きな被害を受けた方がおられると思います。あの辺りの方々って、見ず知らずの人間にも本当に優しくて、今でも鮮明に覚えていることがいくつかあります。自分が受けた親切は誰かに返す。旅の途中で聞いた、その言葉が私の中で生き続けています。旅での恩を返そう返そうと思っているつもりなのですが、普段の社会生活の中でも、また新たに親切を受けてしまうので、結局は返しきれないでいるのです。これじゃ借金が貯まっていく一方です(笑)もしかしたら、親切が親切を生んで回っているのかもしれません。ただ、この親切リングは見える人と見えない人がいて、さらには社会はそんな単純なものではなく、親切がいつしか悪に変わってしまうことがあります。そういう局面で、自分の弱さが見えてしまいます。逆を言えば、今まで自分が人の善意ばかりに目を向けてきて、本質から逃げてきたのかもしれません。意地悪だったり、自分の利益ばかり考えるような人には絶対になりたくない。それは揺るぎのないものなのですが、そういう人に対して自分がそういうスタンスで関わっていくのか。今の自分のテーマであり、越えなければいけない壁でもあります。善意のリングを回しながら、そうでない人とどう付き合っていくのか。そんなことに悩みながら、社会生活を送っているのが最近の私です。
2011.12.03
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晴れ。最近、めっきりmixiの方へ浮気していました。マイミクへの日記コメントや、もらったコメントへの返事などを書いていると、あっという間に時間が過ぎて行きます。mixiの日記はこちらにリンクできるのですが、全く違う名前でやっているし、テーマに偏りがあるので別物にしました。そして、すっかりこちらがおざなりです。一応毎日、荒らされていないかパトロールに来ているのですが、そろそろ閉鎖しようと思ったりします。ところが日記を読み返してみると意外に数が多い。メールに保存などしちゃいませんので、テキスト形式などでコピペしなきゃいけません。4年分ほどあるのでこれはめんどくさい…ま、取っておくほどの日記は書いちゃいないんですが、いざ消すとなるとなかなか決心がつきません。そしてまた放置。う~んなんとかしなきゃな~
2007.03.08
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本日、あの「wii」を買ってしまいました。 ゲームがしたいからではありません。 運動不足だからです。 当初は、運動不足解消に乗馬運動のフィットネス器具を買おうと思っていました。でも、もし続けられなかったら「ただの座り心地の悪いイス(そしてシートが物置き)になってしまうよなー」と思い、なかなか購入する勇気が出ませんでした。 その後ネットのニュースで、wiiがなかなかいいダイエットになるという記事を読み、電器屋やネット販売を探してみることにしました。 しかし、当然店にはなく、ネットもプレミア(ボッタクリ)価格だったので、あーこりゃダメだと思っていたのです。 しかし今日の朝、何気なく見た近所のスーパーのチラシに、朝10時から15分間「wii抽選会」をやっているとの広告が出ていました。「限定50台」の文句に火がついてしまった私は、急いで終了2分前に駆け付けました。そして70番の抽選券を手にしたのです。12時から当選発表だったので、その間に車で移動し、ヤマダデンキに加湿器を買いに行きました。 ヤマダデンキで色々と買い物し、何の気なしにふらっとCD・ゲーム売り場に足を踏み入れてみました。すると、なんと「wii本日入荷」の文字が目に飛び込んできたのです。急いでレジのオネーちゃんに在庫を聞いてみたところ、「ありますよー」とメンドくさそうな返事が返ってきました。 探しモノが不意に現れるとたじろいでしまうものです。あたふたしている私に、「お取り置きはできませんよー」と冷たく言い放つオネーちゃん。じゃあ!と「wii sports」ソフトとセットで購入してしまいました。 当然のことながら、朝の抽選会は結果を見に行かずに家に帰りました。ボッタクリ価格で転売するのもアリなのですが、そういう労力はメンドーなもので…。欲しいという友達がいたら、もう一台買ってもよかったのですが。 で、肝心の使い心地ですが、「新しい~」と思うところがイッパイです。例えば、テニスや野球でボールを打つ時に、握っているリモコンにちゃんと振動がくるんですね。昔、「バーチャルリアリティ」という言葉が流行りましたが、「打つ」感触についてはかなりリアルです。ただ、それがあくまで手のみ、というところが残念です。そのうち全身に装着するものも出てくると思いますが、そうなるともっと運動になるかと思います。 「wii」はネットにつなぐと、もっと新しいことができるようですが、おそらくそこまでは使いこなせないでしょう。 そういや、「運動能力診断」とやらがあって試してみたのですが、私の運動能力年齢は「64歳」でした…ガッカリ。
2007.01.28
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晴れ。ウチの家は築30年の公団である。古さはあるが、水回りはきれいにリフォームされているし、ウォシュレットも付いているし(コンセントを抜いているがあるだけでリッチな気分)、間取りもベランダも広いし、なんせ高台にあって窓の外に緑が広がっているし、今まで住んだ部屋のなかでもかなり気に入っている。でも、大きなデメリットもある。今年、組合の当番が回ってきて、回覧板の管理や募金集め、祭りの屋台出店、月一回の美化デーの仕切りなど、雑用をやんなきゃならなくなっていることだ。まあこれも、ご近所とのコミュニケーションだとあきらめて、団地の高齢者たちとそこそこ適度に付き合っている。そんな我が家にここ最近、ベランダからヌッと現れる客がいる。その客とはどうやら隣で飼っているらしき子猫である。一番最初にウチにやってきたのはかれこれ1年以上前のことだが、夜にふと外を見ると白い塊が目に入って、そりゃ驚いた。それからは隣人が留守中になると、遊び相手を求めてたびたび現れるようになり、私も動物が好きなことと、まあちょっぴりさみしいことなんかもあって、隣にバレないように家の中に入れて遊んでいた。猫は白地に黒い斑点があり、小顔でかなりの美形である。そして、家の中で最初はかなりオドオドしていたが、すぐに我が物顔で居座るようになり、腹を上に向けてゴロゴロ寝返りを打つようになった。めちゃくちゃかわいくて何枚も写真を撮った。猫はそのうち毎日のように現れるようになり、いつしか隣人が在宅していてもウチのベランダに現れるようになった。そしてついに、隣人は「あれ、うちの猫は?」と気づいてしまったようだった。(ちなみに、お隣は一番端の家で猫が脱走できるのはウチのみ。)まあ、気づくのはかなり遅いなと思ったが。隣人は脱走防止対策として、ウチのベランダとのすき間をいろいろなグッズで埋めはじめた。でも、猫はド根性を見せ、塀の上にジャンプして塀伝いにウチへ来た。4Fなので「落ちたら死ぬぞ!」とヒヤヒヤしたが、運動神経はかなりのものだった。そのうち、隣人は最後の手段として部屋の中に猫を閉じこめるようにしたようで、猫はパッタリと来なくなり、悲しそうな鳴き声だけが聞こえるようになった。それから2ヶ月ほどたっただろうか。今日、隣人の隙をつくように猫がウチへヌッと現れた。すごくうれしかったが、そのうれしさは見事に打ち砕かれた。猫はすっかりなつかなくなっていたのである。手でお腹をさすろうとしてみたところ、以前はとても気持ちよさそうにしていたくせに、「ガブッ」と手をかみ、爪を立てて、「シーーーッ!」と敵対心むき出しの声をあげてにらんできたのである。子猫だからかまれてもたいしたことはないんだろうが、かまれた手はとても痛く感じられ、私はどうしていいのか分からずに固まってしまった。猫もスゴイ形相で固まっていた。こわいので後ずさりしてバイバイしたら、いつしか猫はさらに他の家へと侵入していった。ウチで飼っていると思われるリスクを感じつつ、もう知らん!と接触をあきらめた。でも、ずっと気になって目で追い続けた。しばらくの間になにがあったんだろう。もう私が見知らぬ人になってしまったのか。はたまた人間不信に陥ったのか。この猫と接して感じたのは、動物というのは思った以上に感情があるということである。もしくは、家でヒトと接してる猫だから、とても人間っぽい猫になってしまったのかもしれない。その猫の感情がまったく理解できなくてもどかしくなったのだが、それが人間に対して思うこととそう変わりないと気づいた。人間はコトバを持っているにもかかわらず…。そんなこんなで長くなってしまったが、一抹の悲しさを覚えた出来事であった。
2006.10.31
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晴れ。私は普段ドラマを観ないのだが、最近かなりハマってしまったのが、『Dr.コトー診療所』である。このドラマのロケ地、与那国島を今年の正月に訪れ、そのときにロケのセットをみて初めてこのドラマの存在を知った。「こんな日本の果てまで来て、フジテレビなんてねぇ」と、なんだか旅情をブチ壊された気分になったものだが、旅先で会った人たちがあまりにこのドラマをしきりにほめていたこともあり、お昼の再放送を試しに観て、気が付けば毎回欠かさず観てしまっていた。恥ずかしながら、これが泣ける。演出によって泣かされているのがわかるのだが、でも泣ける。そして、再放送することによって、これから始まる2006バージョンを観させようという魂胆も分かっていながら、案の定ホイホイ観てしまった。設定が診療所だけに、なんだか次々と登場人物がケガしたり病気になったりする設定に多少の強引さを感じつつも、それでもやっぱりよかった。それに加えて、ロケ地の島を知っているだけに、「あの場所だ!」と分かるところがまた楽しい。与那国島で入ったお店に出演者のサインがあったのだが、ドラマを観た後だったらもっとミーハー根性で食い付いて見たんだろうな~。与那国島は他の八重山の島々とは雰囲気が違っていて、ワイルドな感じで私は結構好きである。いや~もっかい行きたい!!でもこれが簡単には行けない場所なのである。
2006.10.15
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秋晴れ。先日、資格試験を受けたとここに書いた。そして、見事に玉砕したわけだが、この数日私は葛藤していた。それは二次試験の勉強をやるかやらないかである。一次試験は11月の初旬で、二次試験は11月の下旬。万が一、合格していた場合、一次試験の結果が出てからでは遅いのである。勉強しても決して無駄にはならないので、勉強するぜ!そう言いたいところなのだが、二次試験の内容は小論文であり、一次試験のなかば丸暗記に近い勉強方法とは違って、机に向かうのにもかなりの気合いを要するのだ。(そんなわけで現実逃避のため、ほとんど更新していないこのブログに手が伸びたわけだ)ほんと何から初めてよいのやらって感じで、勉強方法からの模索である。編集者&ライターのはしくれ者としては、小論文なぞチョロイと言いたいところなのだが、実は私は文章を書くのが得意ではない(えっへん!)。その理由は自分でよく分かっている。ディテールを追求するあまり、全体の構成ができないのである。(たいしたディテールでもないのだが、小学校の時の作文では「一部分だけが光る」と言われたらしい)この資格の小論文はかなりハイレベルで、経済のことや環境問題、法律などについてのお題について、事実関係を述べながらなおかつ自分の意見を述べなければならない。そしてこの「自分の意見を述べる」ということが大事ならしい。ところが私は、自分の意見なんて述べないつもりである。そもそも意見なんて持ってないし。経験から言えば、「自分の意見=世間での意見」とすることが最良の論文なのである。そこに、ほんの少しでしゃばらない程度にオリジナリティを入れられたら、かなりのレベルになるんだろうがもちろんそこまでするつもりはない。一番大事なのは意見ではなく、知識だろうと今のところ思っている。まあどっちにしろ、意見はおろか知識もないが…。毎日言ってるけど明日からがんばろっと。
2006.10.08
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曇りのち晴れ。昨日、ある資格試験を受けた。5月の終わりに通信教育の申し込みをして、勉強期間は約4か月。私はひとつのことを始めると、どうにも他のことができなくなるタチで、一日中家に引きこもり、それこそモグラのような生活を送った。髪はボサボサ、肌はボロボロ、首のコリに呻き、運動不足で筋肉が衰えて、それでも「試験が終わるまでは」と勉強に打ち込んだ。最後の方は、家の食料が尽きてロクな食事すらしなかった。たぶん、賢明な人はもっとメリハリをつけるのだと思う。気分転換に散歩したり、仕事の合間の時間を有効に使ったり、生活とのバランスを上手に取るんだろう。私の場合、ストイックに引きこもっていること自体で、「やった気分」になっているだけだと思うふしもある。しかしそれでも、自分の置かれている状況からして、絶対に「落ちる」ということが自分には許されないのだと自分に言い聞かせながら、そこそこはがんばったといえるところまでは準備をしたつもりだった。そして本番。受験者の多さに驚きつつ、かなり緊張もしつつ、いよいよ試験問題に向かったのだが、これが開けてビックリ。今まで勉強した時間を返せ!と言いたくなるような、例年の傾向とは大きく異なる内容が出題されているではないか。教材にもまったく掲載されていないような、対策のしようもない問題ばかりで、サイコロを振って答えを選び、さっさと諦めて帰りたくなった。あまりの出題者の意地の悪さに憤りを感じた。どうも資格の内容とは関連がないと思われる問題まで出ていた(気がする)から、もしや私は試験会場を間違えたのかもしれないとさえ思った(泣)昨日は一次試験だったのだが、試験前まではどこか少し自信のあった私は、11月の二次試験の講座を申し込んでしまっていた。しかし、結果の出ない状態で(しかも玉砕したような状況で)、二次試験のモチベーションがまったく上がらない。はぁ、これからどうしよう。ひとつのことに打ち込み過ぎるということは、それが「×」になった場合に行き詰まりという弊害をもたらすのだなと実感。何事にもセーフティネットが必要、ということだろうか。分かっちゃいるけどこういうトコは治らないのである。
2006.10.02
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くもり時々雨。先日、突然のひょうに驚く。うちの家にはPCが2台ある。1台はWinで、1台はMac。原稿を書いたりメールをチェックするのはMacを使い、キッチンの横にあるWinはもっぱら料理のレシピを調べるために使用している。このWin(XP2000)、実はもらい物なのだが、引き取った当時から使用すると必ず固まるというイヤな特性があった。それでも料理中にわざわざMacの部屋に見に行くのが面倒なので、「固まるなよ~」とひたすら念じる、原始的な(ある意味超越した)手段で使用していた。お目当ての料理のレシピというのは、すぐに見つかりそうで実は見つからない。なぜなら見つかっても、うちにある材料のみで作れるレシピでないと困るからだ。例えば「甜麺醤」とか「ワインビネガー」とかが含まれている時点でアウトなのだ。そうやって苦労して探したレシピには、「簡単にできる」とか「手抜きの」とかいうキャッチフレーズがくっついていることが多い。そして、見つからないときはキーワードをひらがな、カタカナ、漢字と変えてみたりする。特に野菜の場合は、「大根」「ダイコン」「だいこん」などのようにどの表記でも引っかかってきそうなものだ。そうやってかれこれ30分ほどかけて探し当てたレシピが、PCが固まってしまうことにより行方不明になってしまうのだ。「履歴で探せば?」と言われるかもしれないが、固まった後で再起動しても、固まる前の一連の履歴は記録されていないのである。そんな欠陥PCがついに起動すらしなくなった。データをあらかじめ別に保存しておく、なぞの危機管理は、もちろんしてない。個人情報満載の粗大ゴミになってしまった。原因は本体の内部にありそうだが、分解したところで何も分かるはずがない。こういうときのためにアキバ系、PCオタク系の友達がいればいいのだが、もちろんそんな人脈もない。問題は、これをPCショップに持っていくと引き取ってくれるのだろうかというところである。例えば、部品取りみたいな感じで欲しがる人がいるのだろうか。もしくは逆に「家電リサイクル」みたいに引き取り料などが発生するのだろうか。もらうときはいいが、処理となると大きいモノは厄介である。
2006.06.11
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くもり。最近、姉の影響で六星占術に少しハマっている。かの細木数子先生の占い方で、誕生日から●●星人というように分類するものだ。私は土星人のマイナスらしく、結果で性格を見てみるとこれが結構当たっていた。そして極めつけがこの部分。結婚に縁遠く、チャンスがあったときは逃してはいけない。家庭を持っても大事にしない。…ううっ。しょせん占い、と言いたくなるところだが、私の母も同じ土星人マイナス。確かに家庭を大事にしていないという、ちょっとした裏付けが取れてしまった。さらに、なんと来年は大殺界。今年も大殺界なのだが、来年はどまんなかの大殺界らしい。ちなみに来年は厄年でもある。大殺界の間は結婚とか転職とか大きな決断はしないほうがいいらしい。じっと嵐が過ぎ去るのを待つに限る、ということだ。大殺界は3年間で、それが終わるのがあと2年半後だからまだまだ長いな~。そして周りの人の運勢も気になって調べようとしたのだが、自分がいかに人の誕生日を認識していないかに気付いてしまった。家族だけじゃなく、友達も大事にしてないのかもと自己嫌悪。細木数子の番組を観ていたら、サッカーの中田選手が大殺界とのこと。それならばワールドカップの活躍ぶりで、この占いを信じるかどうか決めることにした。
2006.06.03
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晴れ。先日、私の地元の親友が31歳にして結婚式を挙げた。そして、この歳にして、友達の結婚式や披露宴に出席したことがない私に、なんとその友達はスピーチを依頼してきたのである。親友だし、たまには人の役に立とうかと思いOKしてみたのだが、いざ内容を考え始める時になって、「披露宴という場の空気が分からない…」という重大な問題に直面した。私とその子の間柄でいえば、間違いなく「笑い」路線になるのだが、そのネタのほとんどが、花嫁のイメージを壊しかねないものなのだ。そして、その披露宴に出席する人数、総勢70名。もちろん親戚関係なんかもいるので、あまり相手をオトして笑いをとるわけにもいかない。となると…。自分をオトすしかない。そんな結論に達した。その友達のことはよく知っているつもりだったが、言葉にして説明するとなると、これがなかなか至難の業であった。「やさしくて、思いやりがあって、頑張りやで…」などくどくどべた褒めする、白々しいスピーチだけはイヤだなと思っていたので、まずは退屈しないよう、共通の友人を相方にして2人で漫才方式をとることにした。まず、話の出だしとして、「今まで独身同士だったのに」 ↓「ついに裏切ったわね~」 ↓「あなたの過去をだんなさんにバラしちゃうぞ!」みたいな展開を考えてみた。それから、「●●ちゃんファイル、その1!」みたいな感じで、友達のヒストリーとそれにまつわるエピソード、そして人柄へと強引に持っていくことにした。早速、原稿のたたき台を作ってスピーチの相方に見せてみたところ、構成については驚くほどバッチリ意見が合った。しかし、悲しいかな、場慣れしていないせいで、結婚式にふさわしくない表現が乱用されていたらしく、たくさんの言葉が別の表現に置き換えられることとなった(なかなかデキる相方である)。結婚式にふさわしくないといえば、家でご祝儀袋を用意していた時に、私は封筒についてる紐(?)をなんと下向きにはめていて、横目で見ていた姉に「それは葬式や!」とこっぴどくバカにされた。それはともかく相方と原稿を直した後、私たちはカラオケボックスへ向かった。むろん、歌など一曲も歌っていない。「ご結婚おめでとうございます!本日はお招きにあずかりまして…」など、本番の立ち位置で原稿を読む練習をしていたのである。平日の人気のないカラオケボックスに、おおよそふさわしくない内容のトーク響き渡っていたであろうと思うと「ひとりカラオケ」よりも恥ずかしかった。しかし、かつて声優を目指していた相方は隣でかなりの感情を込めて読んでいる。この練習中、私はある不安に襲われた。笑いが止まらないのである。このスピーチには親戚の前で堂々と言えない内容のことが隠語のように表現されており、その部分の手前から笑いがこみ上げてくるのである。「慣れねば!」と思い、ヤバイ部分を何度も繰り返していると、相方に「まじめにやれ」と普通に怒られて軽く凹んだ。この日の練習だけでは心もとなかったため、再度本番の前日に打ち合わせをし、小道具の用意とカラオケボックスでの練習をして(そこまでやる人おらんぞ、と姉にバカにされたが)、とりあえず人事を尽くしてみた。披露宴で私たちのスピーチは乾杯の後。最初に済むから、とりあえずフルコースの料理が喉を通らないということはなさそうである。一杯目のドリンクはウーロン茶かジュース、ウイスキーという選択だったので、飲めないウイスキーをもらって、一気に喉に流し込んだ。もちろん、さっさと酔ってしまおうという魂胆だ。そして、本番。会場がまだ打ち解けていない雰囲気の中、スピーチを読み始めた。最初は相方が話す。その冒頭から、アレ!?と思った。練習では素人とは思えぬ感情移入で読んでいたのに、なんだか様子がヘンなのだ。カミカミ&しどろもどろ。ええ~!?と思ったが、そこはすでに酔っぱ~の私。気づかないコトにして、練習のペースを取り戻した。そして、会場のリアクションの薄さも気づかないフリをしてマイペースに読み続けた。おそらく約3分ちょいで終了。結構凝っていて自信のある内容だったのだが、ほんとはどうだったんだろうかと不安になった。同じテーブルの友達は、「よかったよ」と褒めてくれたが、なぐさめかもしれない。そして披露宴は感動のフィナーレを迎えて終了。スピーチ前のアルコールと緊張が解け、なんだかグッタリしながら参加した2次会で、意外にも全く知らない人からスピーチのお褒めの言葉をいくつか頂いた。結婚した友達も満足してくれたことが分かり、それでようやく肩の荷が下りた。私をそこまで頑張らせてくれた友達は、人望が厚いというか、2次会には100人近くが参加していた。新郎新婦2人のために100人。自業自得ではあるが、自分にはそれだけの人望がないな~と痛感。仮に結婚式をするとしたら、呼べる友達はせいぜい3人だろうな。いつの間にか、31年の間に築いた人脈。親友なのに少し遠く感じてしまったというのもホンネである。そんなこんなで、初めて参加した披露宴、そして初めてのスピーチは、私に達成感や充実感と共に、ちょっとした焦りや反省を与えてくれたのである。
2006.04.24
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晴れ&春の嵐。この2~3週間、やたらと誘いがかかる。忘れかけていたかなり昔の同僚とか、旅先で出会った仲間とか、その他もろもろ。特に4月2日は、花見とかなんとかで集中した。まあ、何かの集まりのついでに呼んでくれているんだろうが、これはほんとに不思議なことだ。冬の間は「友達いないな~」としみじみ思ってたのに。急に誘いが増えた理由のひとつには、間違いなく季節の変わり目があるような気がする。しかも秋→冬ではなく、冬→春ということろがポイントだ。なんて人間は単純なんだろう、と思った。これじゃ行動が昆虫やクマの冬眠とかと一緒ではないか。とはいえかくいう私も、そんな少し浮かれポンチ組のはしくれかもしれない。なぜなら、そんなここ最近の誘いにホイホイ参加したいような気の迷いが起こっているからだ。新しい出会いが欲しいとか、オシャレして出かけたいとか、新たな趣味を見つけたいとか、はたまた一生懸命稼ぎたいとか、そんな思いに駆られてみたい誘惑的な時期なわけで。まあでも、そうこうしているうちに、この季節にもカラダが慣れてゆき、刺激もいらなくなり、相変わらずまた誘いがなくなるんだろうな。しかし、誘って欲しいときには音沙汰がなく、ピンポイント的に集中攻撃するのはできればやめてほしい。もっと1年間平均的にしてくればいいのに。そんなことを言ってももちろん、誘ってくる本人たちはこちらの事情など知っているはずもないから仕方ないんだけど。ここ最近、そんなことを思っていたけど、書いたらなんだかスッキリした。
2006.04.04
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くもり。今日、私の元へ2通の招待状が届いた。今話題(遅い?)のmixiである。それぞれの友達のTOPページから、いろいろ見ようとしたところ・・・、登録画面に行く手を阻まれた。個人情報やプロフィールを入力して、自分のページをもたなければ参加させてくれないらしい。しゃらくせ~!!(オリラジ風)と、名前もプロフィールもぜんぶ「あああ・・・」と入れてとりあえず侵入した。ひととおりのぞいて、もうひとり友達のページへジャンプ。しかし、TOPページから中に入ろうとしたら、再度登録を迫られた。・・・これでは自分のページがふたつもできてしまうではないか。しゃらくせ~!!!と早々に退会。メンドーなことはヌキにして早く見せてくれよ。しかし、それが「招待状」をウリにしているmixi。登録したからといって、全部のページが見れるわけではなく、友達の友達までしか見れないということなのだろう(たぶん)。そのシステムを把握する前に挫折してしまった私である。書いているうちにだんだん情けなくなってきたので、もう一度トライしてみようかな・・・。
2006.03.09
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晴れ。相当日記をサボっていた。文章を書くことが仕事の一部である私にとって、プライベートでも文章を書くことがなんとなくうざったくなっていたのである。ところが、ここ1か月ほど文章を書くことがめっきりなくなり、本も読まなくなった。すると凄まじい勢いで脳が退化しているのが感じられはじめた。毎日毎日脳細胞が死んでいくのが怖くなり、ついに日記を書くことにしたのである。いきなりだが、今度の年末年始。私の5年間温め続けた目標が叶うことになっている。自称「島&半島オタク」の私が、ついに念願の沖縄・八重山諸島を旅するのである。八重山諸島は日本の最西端に位置する与那国島や、最南端に位置する波照間島を含む石垣島を中心とする島々を指す。この数々の島からまずは行き先をチョイスした。まずは羽田から飛行機で最初に着くのが石垣島。石垣島はアクセスがよく、いつでも手軽に行けるため、今回はほとんど観光せずに離島を中心に旅することにした。石垣到着後、船でわずか10分ほどで渡れる竹富島へ。オートバイで旅していた時に知り合った子が5年前に移住したと聞いたのだが、果たしてまだいるのだろうか。竹富で1泊した後、波照間島で2泊。「波照間」という漢字にも、「はてるま」という響きにもかなりやられていて、素敵な名前の絶対に行きたい島だ。次に与那国島。この与那国島は八重山の中でもきわめて離れた場所にあり、スケジュールに入れようか大変迷った。台湾に近く、天気のいい日は見えるという。私が小学生の頃、地図を眺めながら与那国島をまるで地の果てにあるかのように思い、その風景を想像をしていた。島に何があるわけでもないが、そんなことからもやはり今回に見ておかねばと思った。そして次に鳩間島。ドラマ「瑠璃の島」の舞台である。私はドラマとは無関係に、旅を極めた友人から「日本で一番いい場所だった」と聞いたのを覚えていて、ぜひ行きたいと思った。大きさは江ノ島程度。でも、船の都合で2泊し、ここで年を越す。最後は西表島。ここではありきたりにカヤックして、温泉に入ろうと思う。島が大きいのでここは4泊。八重山は今までのどこよりも旅するのが難しい場所だと思う。それは、どの島へ行くにも石垣島を経由すること、そして交通手段を船に頼るため、限られた期間で行きたい島を制覇するための船の時間・曜日の調整が非常に困難なことからである。非常に頭を悩ましながらも、納得のいくプランを立てたのだが、問題は当日になって船が運航することである。この時期は海が荒れて運行、ということが非常に多いらしい。宿泊は10泊。もちろん私は最強のプランを組んだ。なんと10泊で占めて2万5000円程度だ。そのわけはゲストハウス、キャンプ場を駆使したからである。宿はうち2泊で、大晦日と元旦の鳩間島にとても雰囲気のよさそうな宿を予約した。そこは1泊3食5500円。食堂やレストランがないため「3食」なのである。今回はひとり旅を卒業して、2人で行くことにした。相手は6年ほど前からの親友。外国旅に慣れていて、私の上をいく度胸の持ち主だ。私はスケジュールと持ち物のリストを作成し、レンタカーやツアーも予約完了。私ってツアコンになれるかも!?と自画自賛。さらに向こうで存分に楽しめるよう、衰えてきた体力を復活させるべくトレーニングジムに行った。なんせ体が資本だし...(はりきりすぎ?)この最強のプランを全うするために必要なのは、年末年始の天気のみ。こればっかりは日頃の行いをよくしておくしかない...!
2005.12.15
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雨。数週間前の話。友人に「トルコ料理食べに行かない?」と誘われた。最近、私がトルコ料理にハマっているから、どこかウマイ店でもあったのかなあと思っていると、「すごく当たると評判の占い師がいるんだよね」とのこと。彼女の話によると、その占い師はすべて数字から占うらしい。つまり、名前の画数、生年月日、住所などから、何らかの方法で計算をして、運勢をみるのだ。彼女は近々引っ越しをするので、その住所を見てもらいたいといい、私は仕事のことを占ってほしいなら、名刺を持って行くといいよと言われた。特に占ってほしいことがあるわけでもなかったが、占いは未知の世界だし、なんといっても料理代に占い代が含まれるとのことだったため、ホイホイと着いて行くことにした。今まで行ったトルコ料理屋で、流行っている店を見たことは一度もなかったが、その店は占い目当てのOLなどで満員御礼だった。占いは料理の手の空いているとき限定に行うとのことで、まずは食事となった。食事については、ここで何も特筆することはなかった。で、2時間以上待って、ワインも1本空いたところでようやく占いの順番が回ってきた。まずは友達の話。「あなたの住所はかなり悪いね」あの~相当いいとこッスよ。駅から近いし、高台だし。「あなたのお父さんは、今一緒に住んでないんじゃない?この住所では男の人が寄り付かないよ」ん?「あなた海外と縁があるけど、心当たりない?」あれ?当たってません?友達はお父さんが別居中、海外留学経験あり、なのだ。そして肝心の引っ越し先の占いでは、「この住所はいいところ。ここにしなさい。あ、でも部屋番号はいくつ?」友達が答えると、「ダメダメ!それだと今の家のトリプルパンチで悪くなるよ例えば○○○号室とかないの?」いやいや、トリプルって。しかもそんな都合良く空いてないでしょ...。そして友達は後日手付金を払ってしまったその物件を、キャンセルしたのである。で、私の話。「あなたの会社、こりゃ大変だね」ええ、仕事は大変ッスよ。「お金が全然ない」そ、そうなの?「あなたはこの会社で、」何?「相当マイペースですね」ガクッ。「あなたは今の住所で、それなりにいい人間関係を築くでしょう」団地のオバチャンから、掃除に参加しないことで目を付けられてるんですが。「この住所ならぜひ株をやりなさい。そうすればお金に困らない」そう、やっぱそうかしら?結論から言うと、なんだかんだで私はこの占い師を「評判どおり」と100%信じ始めていたことは確かである。なんかミステリアスな雰囲気の人だし、特別なチカラがありそうだわ。「後日、あなたたちにはお守りをあげますから、前日までに電話して取りにきなさい」それでよくなるのならぜひ!!「そのお守りのお金は、私からは頂けませんから」私たちの幸せを願ってくれているのね!!!そして、私たちは完全に舞い上がった状態で店を出て、「いつお守りをもらいにこようか」などと話しながら帰ったのである。で、翌日。完全に占いのマジックから覚めていた。思い出してみれば、結構聞きたいことからはぐらかされていたような。確かに正しかったことはあるけれども、その人の雰囲気とかを見てカンで当てられるものなのかも。それによく考えりゃ、お守りの代金って「寄付してください」ってことじゃないのか。だいたい、またいちいち取りに行くなんてめんどくさいし、食事もせずに帰りづらいではないか。この占い師について、私の友達のトルコ人に聞いてみることにした。すると、「ああ、知ってるよこの人。占いが当たるかどうかは知らないけどトルコのお守りは日本人には効かないし、君たちをナンパするために言ったんだよ」同じトルコ人とはいえ、聞いた相手を間違えてしまったようだ。友達は、またいい引っ越し先の物件が見つかったらその店で占ってもらおうかなと言っている(まあ最悪と言われた場所に住むのは私も嫌だけど)。私はといえば、また同じ店に占いに行ってみて、果たして同じことを言われるかどうかを試してみてもいいかなと思うが、「めんどくさい」が圧倒的に優勢である。せめてもう少し料理がおいしければなあ~。
2005.10.16
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曇り時々雨。久々に、退屈な土曜日。退屈したかったのだが、本当に退屈になると時間を持て余してしまう。掃除とかやらなきゃいけないことはあるんだけど、時間に余裕があるときほど億劫になるのはなぜなんだろう。というわけで、さっきまでぐうたらな1日を過ごしていたのだが、ようやく日記の更新をしようと思い立ったわけである。ワインをごくごく飲みながら...。最近、投資に興味を持っている。お金に余裕があるはずはないのだが、銀行にただただ預金しておくのは今時じゃないなと思いはじめたのだ。まあ流行りだからというのもある。以前から、友人に株を勧められていたのだが、やり方がわからないし、なんか怖いし~というダメダメな理由で足踏み状態だった。しかし、日本経済は確実に上向き状態らしい。今のうちに始めておくのが賢明なのは、間違いないようだ。で、入門書を読み始め、国債とか、投資信託とか、信用取引とか投資のイロハをなんとなく理解し始めたのであるが、それと同時に「やっぱ株で大きくもうけようと思っちゃイカン」ということも悟ったのである。...で、株を始める準備を今日にでもすればよかったのだが、結局「時間ができたらやろうかな」と思ってしまったのである。暇を持て余しているにもかかわらず。はあ~、これじゃまったくのダメ人間である。買ったのに使っていない商品をオークションに出そうとか、ADSLを光に変えようとか、大学時代の後輩から来た手紙の返事を書こうとか、楽天日記のデータを保存しようとか...。いったい何ヶ月前から考えていたっけ?ということを何もしないまま、今日も1日過ぎていった。いや、むしろここにそう書いていることで、スッキリしちゃっているのだ。そしてワインをごくり。引きこもりな1日。平日と休日の極端なギャップ。秋はちょっと、なんだか変化が欲しくなる時期のようだ。
2005.10.15
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曇り。会社を休んでしまった。数日前から原因不明の耳痛があり、それが頭痛に変わって、ついに今日の朝起きあがれなくなってしまったのだ。ところが何科に行けばいいのか分からない。だいたいそういうのって患者に判断できるものなのだろうか?昨日は順天堂医院の脳神経内科に行った。ここは待ち時間が恐ろしく長く、患者同士の話を聞いていると、2~3時間待ちはアタリマエらしい。そして結果はシロ。目の瞳孔の反応を見たり、体が正常に動くかを見たり、あちこちをポンポンたたいて反応があるかを見てもらったのだが、自分の症状はそういう脳の機能の問題ではないことが診察の途中でわかってしまった。そして今日は耳鼻科。最初に痛くなった耳の問題かと思ったのだが、こちらもシロ。シロなのはいいが、総合病院って紹介状がないとバカ高い初診料がかかることを知らなかった。数分間の検診で5000円近く飛んでいった。自分で何科かを決めなければならず、ハズせば大損。頭痛は一向に治らず、明日までに治さねばならないというプレッシャーに焦る。最後の手段として、さっき「ペインクリニック」といういわゆる「痛み専門」の病院に行ってみた。そこでは、実際には症状が異なっていたようだが、まずは偏頭痛としての治療を受けた。レントゲンをとたり注射を打ったり、ようやく治療らしい治療にありつけた。最初から個人病院に行くべきだった。昨日から病院を3件ハシゴしたわけであるが、医者はあてにならないなというのが結論だった。自分でインターネットで調べてみても、当てはまる病名は分からなかったのだが、医者に聞いても結局そのレベルまでの追求しかしてくれない。効果的な治療を施されたわけでもない。唯一、あるサイトで「よく似た症状だな」と思うのが、ブログで見つかった。最初に耳を見てもらったら外耳炎と言われ(私と同じ)、その後側頭部の激しい痛みが続き(これも同じ)、それでも医者では異常なしと言われたが、結局顔面神経の麻痺で顔がゆがんでしまったそうだ。医者に言われ、異常なしと判断した場合は、結局自己責任ということになるのだろうか。そう考えると、結局は自分の感覚が一番の頼りになるのだろう。
2005.10.04
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晴れ。ここ最近、歯医者に通っている。今の歯医者は人気投票みたいなサイトで調べて決めた。以前の歯医者で根っこから抜かれた歯の部分を、1年以上空洞のまま放置していた。そして先日、ここに「インプラント」とやらをすることとなった。インプラントとは、歯茎にボルトを埋め、そのボルトに歯を取り付けるといった治療だ。保険はきかないため20万円以上かかる。そして、私の通う歯医者ではインプラントを3ヶ月に1度東京からエライ先生を呼んで行うことになっていた。インプラントの日はお盆休みをとった。そして治療がはじまったそのとき、私はあ然とした。それは大勢の見ず知らずのギャラリー達が取り巻いていたからだ。東京の先生は甘いマスクで、指輪をはめており、自信ありげなオーラが漂っていた。名刺を渡され、早速今までの豊富な経験についてや、治療方法についてなどいろいろと話し始めたのだが、私に話していると思いきや、ギャラリーの先生たちにも急に説明を始めたりしていて、これ講習会?という感じだった。ひととおりの説明が済んで(緊張してほとんど聞いていなかったが)、先生はようやく口の中を見はじめた。インプラントができるだけの骨格かを見極めるためだった。「大丈夫だね」と先生は言い、いよいよ...となったときだ。突然先生はギャラリーの何人かとひそひそ話を始めた。「審美」という言葉が何度か聞こえてきた。そして、「いいよね?」みたいな感じで話がまとまったらしく、私にこんな説明をした。インプラントする歯の隣の歯に銀歯がついている。せっかくだからそこを白い歯に変えてからにしよう。それは本来なら4万円くらいかかるが無料でやってあげる。ただし、条件がある。論文や雑誌に載せる写真を撮らせてほしい。すると、どこからともなく白衣を着たカメラマンがぬうっと現れ、私の口の中に遠慮なしに反射板をぐいぐいと入れ、口が裂けそうなくらい全開にしてバシャバシャ写真を撮り始めたのである。私の頭の中には、患者の美容面を気遣い、わざわざ隣の歯まで無料で治療するこの先生を褒め称える記事が頭に浮かんだ。しかし、その治療費は言いだしっぺのこの先生ではなく、歯医者側の負担となるようなのだが。なんとまあ、ちゃっかりした先生である。私としては、隣の銀歯はほとんど見えない位置だったため、どっちでもよかった。しかし先生には格好の宣伝材料になるのだろう。私はあの大勢のギャラリーを目前にお断りする勇気などなかった。結局インプラントは次、3ヶ月後に「延期」となり、私は再び休みを取らねばならなくなったのである。今、無料となった治療として、銀歯をセラミックの白い歯に入れ替えているのだが、これがなんだかかなりの痛みを伴っている。無料というのはやはり、何がしかのおまけがつくのである。
2005.09.03
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晴れ。そろそろ秋の風。自分が関わった仕事が最近、非常に多く新聞やテレビで取り上げられている。ここ2週間以上、毎日取材を受けているように思う。それは売り上げにもつながるし喜ぶべきことなのだろうが、私にとっては個人的な意見をうっかり言えないことや、面倒な仕事も増えてしまうこと、別に自分の懐が潤うわけでもないことなどから、けっして口には出せないがウンザリ気味である。さらに、はた迷惑なこともあった。某●●党の出している新聞である。いったいなんなんだろう、この新聞。いきなりアポなしで会社にやってきてイチャモンをつけていったあげく、マイナスイメージになるような記事を作って送ってきたのである。そして、それを阻止するために半日を犠牲にしてしまったのである。こんどの選挙では絶対に票を入れねえぞと固く思った。未だかつて投票に行ったことはないが。作品についてどうこう悪口を言われても痛くもかゆくもないのだが、結局のところ一番の問題は「上司と会社の手前」マズイことはマズく、それについて私の乏しい想像力を働かせながら取材を受けなければならない。というのも、私はありのままに正直に話すことは大切なこととずっと信じてきたが、上司の美徳はまったく逆らしい。だから自分が仕切った仕事ゆえ、色々語りたくなってしまうところもグッと我慢する。上司が変な受け答えをしていても、聞かなかったことにする。自分の言葉で語ってはいけない者が取材を受けるということは、かなりの苦痛である。でも、これがサラリーマンの宿命...。深く考えないのが、体にいいのだろう。
2005.08.31
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晴れ。台風一過。そろそろ、このホームページを内容そのものを変えてリニューアルしたいな~と考え始めている。ここ最近、つい時間を忘れて見入ってしまうほどよくできたブログを見かけたりする。よくこれだけの内容を日々更新でいるなと感心するような内容の濃いものや、文章がすばらしいものを見ると、一編集者としては、単なる一個人の日記(しかも超不定期更新)ではなく、もっと人に何かをすすめたり、便利な情報を提供できるサイトにしたいなと思ったのである。だから、リニューアルするサイトはバイク乗りというカテゴリーではなく、ニュートラルな立場で、自分の気になること、もの、作品などを取り上げてみたい。そして、それが結果として編集者としての方向性や企画を見いだすことにもなればなと思う。・・・な~んて言いながら、このサイトも自分で立ち上げていないので、まずはそのやり方から覚えねばならないが。新しいことをするのが大変苦手な性格ゆえ、まずここでコケる可能性もでかい。近い将来このサイトを閉鎖するかもしれません。
2005.08.26
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晴れ。大きな地震あり。先週の金曜発~日曜戻りで長野県の栄村にある秋山郷へキャンプに出かけた。ここは、かつてのひとり旅で紅葉の時期に訪れ、おとぎ話のような山深さと古い集落に非常に感動した場所。そして、秋山郷の一番の奥地にはまだ行ったことのない切明温泉がある。この温泉は河原に高温の湯が湧いているので、スコップで湯船を掘って作り、川の水を引き入れて薄め温度を調節して入る。もちろん自然のなかの温泉なので無料である。メンバーは5人。車で金曜の深夜に出発し、明け方に切明温泉についた。昨晩の大雨のせいで切明温泉は川に沈没しているかもと思ったのだが、それ以上に河原から湧き出るお湯が高温だったため、つかることができた。ただし、持参した水着は着用せず、足湯にとどめておく。この温泉は普通につかると、超高温エリアと超低温エリアがハッキリわかれているので、きちんと石で囲って湯船を作るのがポイントなのだが、メンバーすべてがテキトーな性格だったため、「アチッ」「つめたっ」を連発し、部分的に肌を赤くしていた。朝ご飯は民俗資料館の中の食堂へ。朝6時ごろでもちろん空いているはずもなかったのだが、私たちの気配に気づいたおばちゃんが店を開けてくれ、お腹を空かせた私たちに「そばしか作れないけど」といいながら、キュウリとトマト、ウド、野沢菜を出してくれる。さらに、そばにも山菜や豆腐の具を入れ、大盛りにしてくれていたりと、本当に親切にしてくれた。腹ごしらえをした後は、温泉へ入り直し。小赤沢温泉という私が「絶対行きたい!」と目をつけたところだ。ここも開館時間より30分以上前に訪れたにもかかわらず、快く開けてくれた。ここの湯はなんと言っても珍しい赤い湯が特徴。なめると非常にしょっぱい。温泉ミシュランでは五つ星であっただけあり非常に満足、他のみんなにも大好評だった。私たちのメンバーにいたトルコ人もいたく気に入ったようだ。雨が非常に強まってきたため、急遽バンガローに宿泊することに。新潟県の津南へ移動する。夜のバーベキューの食料を買い出しに行く。すると、普通のスーパーに地元で採れた新鮮で安い野菜に混じって、見たことのない野菜たちがならんでいた。私たちのリクエストでトルコ人がトルコ風にバーベキューを作ってくれる。その特徴はなんといってもニンニク。サラダにまで生ニンニクのみじん切りが入っていた。夜はキャンプ場が主催するキャンプファイヤーを眺めていた。翌日は、湯沢で川ぞいの温泉に入る。すぐに高速に乗らず、群馬の月夜野まで下道を通り、途中の道の駅などでみんな新鮮野菜を買いまくる。気づけばおみやげも新鮮野菜と、みんなとても現実的。そんなこともふくめてみんなと興味や趣味が合っていて、たった一泊ではあるけれどとても楽しむことができた。そんな感じで、すぐにまたどこかへ行きたくなった私は、帰ってからすぐ次の行き先を決めた。妙高高原の近くの「燕温泉」。早く、行きたいな...。
2005.08.16
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曇り。関西人の私にとって、もんじゃ焼きとは「固まっていないお好み焼き」というイメージで、なじみもなければそそられることもない食べ物であった。そのもんじゃが今、盛り上がっている。(もちろん自分の中で。)どのくらいかというと、かれこれ週末に三週間連続で、しかも家で作って食べているくらいであるから、やはり盛り上がってるといえるだろう。そのきっかけは、もんじゃ焼きの本場、月島にグルメツアーにのりこんだことからはじまる。地下鉄月島駅から地上にあがるとすぐ、もんじゃストリートなる通りがあり、軒並みもんじゃ屋さんが続いている。前もってネットでおいしい店を検索していたのだが、ラーメンやカレーとは違い、食べ比べて採点するようなマニアの存在がもんじゃには存在していないらしく、お店に関する情報を得ることはできなかった。まずはもんじゃストリートを一通り歩いて店の品定めをしてみたのだが、なんとなく決め手に欠けたため、単純に東京のガイドブックにのっているお店に向かった。注文すると、小さなボールに生地と具が入った状態ででてくるので、曖昧な記憶をたどりながら具→キャベツ→生地の順に適当に焼いた。結論としては、お好み焼きともんじゃは、材料は同じでもまったく別物で、私は今までもんじゃを侮っていたことが発覚。そして、侮っていた年月を取り戻すべく、早速近所のスーパーにあった『もんじゃ焼きの粉』なるものを買って帰り、家のホットプレートで作ってみた。もんじゃ用の小さなコテ(テコ?)はないので、ティースプーンを代用、具は私の好きな餅&チーズやほかにも、メンタイコ、ソバ、豚などいろいろ試してみた。やはりいける。お焦げがたまらない。そのうちに、ホットプレートの高温エリアまで覚えてしまった。こんなことを書いていると、「今週末ももんじゃかな~」なんて妄想してしまう。何がそんないいかというと、カリッとトロッとした感じ?きっと今探しているマイ・もんじゃテコ(コテ?)をゲットする日も近いはずである。
2005.07.30
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晴れのち雨。先週の日曜、1年以上ぶりに演劇を観に行った。そのタイトルは『yellowーー股間に咲いた向日葵』。出演者は、野沢直子、南海キャンディーズ、カンニング竹山など、ほぼお笑い芸人。唯一の役者は、私の大贔屓にしている劇団(拙者ムニエル)の看板俳優、加藤啓で、これが決め手になり「行くべし!」と決めた。結果から言うと、大満足だった。無理矢理連れていかされた友人も、「おもしろかった」と喜んでいた。演劇よりもお笑いに比重が寄っていたが、それは演出が鈴木おさむさんというバラエティ番組で超有名な構成作家(森三中の大島のだんな)だったし、そのおかげで今をときめく芸人たちが出ているのだから当然だろう。いや、本当はストーリーもかなり凝っているのだが、お笑いのパワーがかなり上回っていたのだと思う。公演はほぼ3時間、開演前や休憩中には、南海のしずちゃんがステージ上で(なぜか)うどんをこねていたりしてずっと出演、サービス満点だった。この公演のために帰国した野沢直子は全盛期とまったくかわらないテンションで、卑猥な言葉を連発、カンニング竹山は同じ事務所のヒロシの暴露話、南海の山ちゃんは股間からポロリしそうになるし...とはいえ観ていない人にはまったく伝わらないと思うのだが、相当笑った。残念だったのは、私の視力が相当落ちていたので、後ろの方の席から芸人さんたちの顔がハッキリ見えなかったこと。あと、映像に出てくる文字が読めなかったりして、笑いのがした場面があった。次(9月の拙者ムニエル)には眼鏡が必携だ。ちなみに、拙者ムニエルは私が人に連れて行ってもらって知った劇団。もともと演劇には抵抗があったのだが、この劇団の公演はセンスがいいし、とにかく笑えるし、役者がいいし、ストーリーもかなりよくできている。その後何度か違う人を誘って観に行ったが、一度観てみると「次はいつ?」と聞かれるくらいなので、間違いないはずだ。演劇はハズさないものを観れば、なかなかいいものである。どうやら私の場合は、「笑い」がキモになっているようだ。
2005.07.22
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曇り。私の信頼する同僚、仲のいい友だちに共通する点は、「断固アンチ・流行りもの」ということである。だから私の会社の部署で、仕事で使うための「電車男」を誰一人買いに行くことを嫌がった。その理由は作品云々の問題ではなく、変な話なであるがこれはひとえに大ヒットして映画化、ドラマ化、はたまた演劇化してしまったゆえにである。要は、そんな世間の流行に流される一人になりたくない、というひねくれた人間が身の回りに多いのである。そこで、私が今日買いに行き、ちょっと偵察くらいのつもりでパラパラと開いてみた。そして...。...我に返った時には20時を回っていた。2時間仕事もせず読みふけっていたらしい。しまったー!!!でも最後どうなったか知りたい...。そこで、そこから展開が分かる部分だけをすっ飛ばしながら最後まで目を通し、日報に書くような仕事らしい仕事もせず、上司がいないことをいいことにそのまま会社から脱走したのである。この「電車男」の担当編集者は、かつて私の愛読書であった「旅々オートバイ」も担当した女の人だそう。やはり素材自体は事実に基づいているからこその面白さがあった。2ちゃんねら~の用語と絵文字は完璧についていけなかったが...。この、いわゆるミーハー本(後発的であれ)を夢中で読んでしまった事実はとても周りの人にはいえない雰囲気である。それだけで白い目で見られそうだから...。それにしてもドラマや映画では、主役の男の子と女の子以外の2ちゃんねら~の書き込み部分をどんなふうに演出したんだろう。わざわざ観るまでの気はないが、それだけは気になる。
2005.07.12
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雨のち晴れ。明日の21時からのドラマでなんと山崎豊子原作の「女系家族」がドラマ化するとのこと。ちょうど上下巻の上を読み終わったばっかだったので、超個人的だが超びっくりした。だってこれって一体何年前の小説なんだろう、下手すると私の生まれる年より前に書かれているような本だ。そして、私にとってこの作品は山崎豊子のすべての本の読破する最後から二番目の作品である。それをたまたま読んでいるときにドラマになるなんて。さて、問題はどっちを先に見るかである。小説は待ってくれてもテレビは待ってくれない。ビデオに撮ったとしても何かの拍子で結末が分かってしまう可能性もある。じゃあテレビが先か?いやしかし、どうしても小説を先に読みたい心境なのである。というのも、テレビはぼけーっと観ていれば済むが、小説はそれなりに読むのに気合いがいる。だから結末を知りたい一心があればこそ、長編でも読めるというものなのだ。ということで、ドラマに追いつかれないように小説の下巻を明日から必死で読み始めようと決心したのである。明日のドラマは2時間スペシャル。どこまでストーリーが進んでしまうのやら。しかし、まったくひとりよがりではあるが、驚いた。個人的には「白い巨塔」に引き続いて、ドラマはヒットするのだろうと予想している。よけいなことを言えば、たいがいドラマを観てガッカリするのだが...。
2005.07.06
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雨のち曇り今週から薬を飲んでいるせいか、非常に眠い。通勤の電車内ではもちろんのこと、今日は原稿を読みながらいつの間にか眠っていた。そんなときに困ったことがある。私の頭は大きく揺れてしまうのである。例えば、電車の中で寝ていて、頭がグラッときた瞬間に目が覚める。自分では寝ぼけているので、どの程度頭を振っているのかわからないのだが、相当頭をブンまわしているのではないかと思うとなんだか恥ずかしい。もっと恥ずかしいのは、隣の人が肩で「こっちに来んな」とばかりにグイッと抵抗してくるときである。いったんそうなると、その電車で二度と眠ることはない。逆にもたれかかってこられることも多々ある。そういうときには、肩を引いてみるのだが、電車の大揺れがない限りそのままどんどんよっかかってくるので結局自分のスペースが狭くなってしまう。そこで、次なる手として、よっかかるだけよっからせといてパッと引いてみた。これは結構効果があるのだが、結局また肩に重みがのってくるので、何度もやっているとこっちが疲れてしまう。自分が立っているときに見ていて笑えるのは、隣同士に座った赤の他人の男女がお互いにもたれかかってて、一見仲むつまじくなっているときである。しかし、若い女の子とオヤジの場合は、ちょっと気の毒でもある。だから私は左右を一応チェックしてから寝る習慣がある。世の中には心の広い人もたくさんいて、私の重力をがまんして受け止めてくださる方もいる。中高年は特に寛大かもしれない。すごく前、神戸の実家にいたときに、電車で隣のおばさんに思いっきり頭をのっけて寝てしまったことがあり、目が覚めて「ハッ!!」としたらニコッと笑いかけられたことがあった。逆に若い女子は滅法キビシいリアクションだ。そこでである。電車内で周りに迷惑をかけずに寝られるグッズがないものか、インターネット検索してみたのだが、これといったものが見当たらなかった。じゃあ開発したら売れちゃう??なんて。何はともあれ、電車の座席は一番端に越したことはないのである。なかなか取れないけど。
2005.06.22
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晴れ。今月から電車で頻繁に調子が悪くなるので、昨日病院に行ってみた。カウンセリングの結果、「全般性不安障害」とのこと。それに加えて、パニック障害とうつ病の症状もあるとのことだった。そういや以前に、顎関節症といって口が開かなくなったことがあり、これもストレスが原因のことが多い症状だった。結構冷静に、色々調べたりして原因を分析していると、自分の友達のなかでも予備軍になりそうな人の傾向がなんとなくわかる。言ってしまえば性格によるものなのだが、もっと根本的なところ、家庭環境だったりもするんじゃないかと思う。病院では、薬を渡されたのだが、なんと2年間飲み続けなければならないとのことで、途中でやめると元に戻ってしまうとのことだった。・・・2年間なんて。サプリメントが3日も続かないのに。家に帰って、薬を飲むべきか悶々としていた。1粒飲んだら2年継続。今すぐどうのこうのするほど切羽詰ってないしな。ほっとけば治るかもしれないしな。しかも、薬切れたら自分もキレたりしないのかな。クスリ依存症ってやつとかになったりして。でも、明日が月曜だと思うとまた不安になり、せめてもの気休めにでもと結局飲むことにした。2年間薬を飲むということは、治療はもちろん、薬をもらうために病院にも定期的に通わなくてはならないということだ。休日の予定が病院か・・・。歯がぬけまたんまだから、歯医者も優先度高いんだけどな。そして今日。いわゆる「不安を抑える」薬の効果は少しあったような感じがした。薬の成分なのか、薬を飲んだという気分的なものなのかはわからんが。パニック発作がおこりそうになった時に飲む頓服薬がちょっとしたお守りみたいになってて、心強かったりもした。こういった症状に対して、偏見を持っている人はいるだろうと思う。それなら黙っていりゃいいのだが、自分自身の全てが病んでいるのではなく、たぶん一部の問題っていう気がするのである。そのちょっとしたことを変えることに気づいたというのは、よいことでもあると思っている。
2005.06.20
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曇り時々雨。先日、仕事で某ホ○エモンの会社、ラ○ブドアに行った。そして、私にとってそれが初六本木ヒルズだった。普段、古本街で有名な神保町というややオタッキーな空間で働いている私にとって、ヒルズはすべてがキラキラと写った。外国にでも行ったような違和感、そしてまったく接点のない人たち。それがヒルズ&ヒルズ族である。こういうお上りにとって最初の難関は、ラ○ブドアのある建物とエレベーターを探すことである(オフィスタワーの38Fにある)。タクシーに建物の前までつけてもらったのだがエレベーター探しで苦戦した。警備員に尋ねてみると、偶数階は上の階からですとのこと。なんと、偶数階と奇数階とで乗るエレベーターのフロアが違うのである。そして、エレベーターの前にゲートがあり、受付で身許を明かしてチケットをもらわないと、乗ることができない。ここで働く社員たちにはIDカードのようなものがあり、駅の改札のようにゲートを通すかなにかして入っているようだった。外来客はその横で警備員にチケットを見せて入る。エレベーターに乗ると、金庫の中に入っているような気分になった。ゴージャスなピカピカ、キラキラした箱、そんな言葉でしか言い表せない自分が情けない。毎日乗っている人が聞くと、さぞあきれ返るだろう。そして、同乗者を観察。女性社員はタリーズコーヒーなんかを手に持っていて、男性社員はマーケティングについてアツく語っている。スマート、フレッシュ、デキる男。隅のほうから傍観する私。テレビで何度かラ○ブドアの入り口は見たことがある。キレイ処の受付嬢に「いらっしゃいませ」と潤んだ目で見つめられる。う~ん、メイクばっちりマスカラたっぷり。そして打ち合わせに現れた社員は、アロハシャツにピアス。渋谷のセンター街でティッシュを配っていてもおかしくない風貌で、街角で出会ったら間違ってもラ○ブドアの社員だとわからないだろう。この会社の印象は、やはり若くて元気だということ。そして、何でもチャンスにしようと食いついてくるところが、やはり私と同じ世代の人が中心の会社だなと思った。うちの会社は、役員がオヤジしかいないので、仕事の進め方、作品の質などあらゆる面でこちらがオヤジにあわせていかなければならないのだが、逆にこの会社でオヤジがやっていくのはさぞ大変だろうと思う。要は、かなりうらやましく見えた、ということだ。最近では、特に技術者の間で、オヤジ世代の上司が今の技術についていけず、仕事を理解していない上司の下で働く若い世代がうつ病にかかることがあるという。私のいる出版業界でも同様で、デジタルを上司が理解していないために、変な指示を出されたり、とんちんかんな資料を配られたりして、「なんでこんなことに労力と時間を費やさねばならないんだ」と歯がゆい思いをする。開き直りかもうすぐ定年だからか、勉強しようという気すらないようだ。そういった意味で、若者を中心とする会社を創るホ○エモンのような社長がこれから増えていけばいいなあと思ったりしたのである。しかも、福利厚生もちゃんとしていて、社員を大事にする会社。ないかなぁー。
2005.06.16
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雨。先々週に、千葉県の房総半島へ行った。久しぶりに林道を走りたくなったのだ。フェリーで金谷港へ行き、そこからあまり離れていない2つの林道「高岩林道」「高山林道」を攻めることにした。いつもは、誰かにくっついて行くのだが、今回は思い付きで突然決めたので地図を見ながら自分でコースを探した。目標の交差点から1km過ぎたあたりで右折・・・地図の上ではそうなっているのだが、いざ現場に着くと地図の縮尺の問題ですべての道が表示おらず、実際は地図以上に右折する道が何本もあって、どこで曲がればいいのかまったくわからない。えいっ、ここだ!と決めてズンズン入っていくと、田んぼがのどかに広がるタイムトリップしてしまったかのような農村風景が開けた。一か八かで、さらに曲がりくねったあぜ道を奥へと入ると、小さな集落が現れた。地名を確認できる標識もなく、ポンプ場の看板に書かれている名前を手がかりにもう一度地図を眺めると、いつの間にかまったく違う方向へ走っていたことに気づいた。このままでは袋小路から出られなくなると思い、いったん引き返し、少し遠回りだがもっとわかりやすい方向から入ってみることにした。ところが、そちらからも道沿いに目指すべき「高岩林道」の標識が出ているはずもなく、集落の位置や地図に載っている道の形などから「これかな」、とあたりをつけて入ってみるのだが行き止まりになっていたりしてなかなか見つからない。そんなことを何度か繰り返してかれこれ1時間ほど経過、「登山道」と標識の出た道に入ってみた。途中まで行って、「これも違う」という予感がして引き返したが、もう一度本当に違うとわかるまで入っていくことにした。地図にはその林道の途中に「素掘りのトンネルあり」と書かれていた。そして、しばらく走るとトンネルが現れた・・・のだが「この先崩落のため通行止め」。そしてトンネルの脇に林道の名前の書かれた標識があり、ここが正しい道だったことが判明したのである。林道を走っているとこの手のゲートにはしょっちゅう引っかかる。せっかくだが潔く引き返した。急いで次なる「高山林道」を目指した。しかし、途中で唯一のガソリンスタンドが閉まっていて、林道にせよ公道にせよギリギリの状態。どうせヤバイなら林道である(燃費は悪くなるし、コケたら一巻の終わりなのだが)。千葉の林道は非常にわかりにくい。途中で分岐している道がどこへ続いているのか表示されていないのである。林道名だけが表示された看板の裏に、誰かがマジックで書いていることもあるのだが、地図には載っていない地名だったりしてやっぱりわからない。しかし、山の中でいったん方向を間違えると非常に危険だし、ガソリンがない状態だとなおのことである。突きあたりを右か左か。手がかりもなくさっぱりわからない。変な汗が出てきた。また一か八かで道を選びながら、ガソリンの量を考えて高速ギアでゆっくり進む。しかし、この一か八かが結果として奇跡的に全部正解で、結局高山林道を走りきることができたのである。後になって妙に納得したのだが、この林道の分岐は「下山するかしないか」という類のもので、一歩間違えても大したことではなかったような気がしている。まあ、すべて後になればの話だが。ガソリンもリザーブに入らずに金谷港まで到着できたのだが、やっぱり精神衛生上よろしくなかった。予想以上に時間がかかったことも焦りのひとつの原因になっていた。出発時間は早めに、燃料はしっかりと。当たり前のことなのだが、一方で悪条件の元でなんとか乗り切ることにもある種の達成感はあるのだ、なんて。
2005.06.15
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晴れ。最近、自律神経のあたりに自信をなくしている。そして、それがとても恐ろしいことだとわかった。その最初の引き金はこんな出来事だった。私は職場に通うために、毎日1時間以上電車に乗っている。ある日、JR線が不通になったせいで、私が普段乗る京急線がいつもの2倍以上の客を乗せてやってきた。それでも私は始発から2駅目に乗車するので、車両の真ん中まで入って立った。前の電車が動かないせいで、私の乗った電車は超低速運転で、ようやく次の駅に着いたと思ったら完全に停まった。そこにも、どんどん乗客は乗ってきて、それ以上乗れないところまですし詰め状態になった。そのとき、とつぜんである。私は車両の真ん中から、ドアの付近に人がひしめく姿を見たとたん、「ここから出られない!」という恐怖に襲われたのである。血の気が引いて、意識をを失うか、発狂しそうになった。身動きがとれず電車から降りることもできないまま再びドアが閉まり、また次の駅(快速なので数駅分)まで電車はノロノロ運転を始めた。私はドアのほうを見ないように下を向き、目をつむった。悪い想像をしないように、違うことを思うようにしてそのときはなんとかやり過ごしたのである。この日以来、電車で突然吐き気を催したり、血の気が引いたり、お腹が痛くなったりということが1週間のうち1度や2度起こるようになってしまた。さらにそれだけでは済まなかった。バイクの運転中、高速道路の上で突然の恐怖に襲われたのである。そのときはスモークのゴーグルをしていて、景色が黄色く見えたせいもあったと思う。それが一種の閉所状態になっていたのかもしれない。とにかくスピードを上げて意識を失わないようにしたのである。そして、ついに「ある種」のどうしようもない絶望感がよぎった。そのとき、ほんとうにこのままではいけないと思った。原因が特定できないということは本当にやっかいなのだが、仕事で重いテーマに取り組んでいること、上司が狂っていること、もしくはそれが引き金で自分の無意識のもろい部分が悲鳴を上げていること、のどれか(もしくはすべて)なのだろう。疲れているから、とか、あるひとつの出来事のせいではないと思う。もしかしたら「パニック障害」といわれるものなのかもしれない。「うつ」の一歩なのかもしれないし、この症状が進行して外出できなくなったら「引きこもり」になるのだろうと思う。いずれにしてもまだ軽度なのだと思うが、客観的に分析しようとしている自分がいるから、まだこうやってもっているのだろう。とにかく、今週末は必ず病院へ行ってみようと思う。こういった症状というのは、特殊な人の特殊なものではなく、意外と自分と隣り合わせていたことに気づいたのである。
2005.06.14
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曇り。先日、去年の10月くらいから作ってきた本が世の中に出た。私は基本的に自分の作った本の行き先は追わないタチで、売れ行きも一切気にしたことがない。その理由は、作っている過程で120%力を使い果たしているからである!・・・といえば聞こえはいいが、なかには見切りをつけている部分もあって、本屋に並んでいる時点では、どうあがいても自分にはなにもできない一種の「不可抗力」状態だからである。逆に本を作っていない人ほど、売れ行きの方が気になるらしい。最近、そんな上司の雑音に、本当に耐えられないものがある。いつものように「これが終わったらウマイ酒を飲む」のを目標に長い冬を越えてきたのに、ほっとするどころか毎日テレビや新聞への売込みをさせられる。売れたら売れたで、ろくに原稿チェックもしていない上司の会社での点数が上がるだけである。私がストレスで寿命と若さ(?)をすり減らした犠牲の上に成り立っているというのに、これではむなしいばかりである。そこで、私はひとつ重大な決心をした。「編集者人生を終えてもいいと思える本を作ろう」というものである。編集者人生、といってもしょせん5年程度ではあるが。ひとつの本にかかる体力、健康状態の消耗が大きいゆえ、このまま作り続けるという行為は自分の健康を損ねてしまうのが目に見えている。だから、一緒に心中できるような一冊を今のうちに作っておきたいと思うのだ。そして、その「心中できる本」のテーマは、私が編集者である以前から思い続けてきた原点のテーマである。そんな自分の作りたい本を会社が作らせてくれるのかが一番のハードルなのだが、なんと目の前にうまくその企画が巡ってきているのだ。以前から不思議であったが、自分と作る本との巡り合わせというのがあるらしい。いや、もしくは作っているうちに自分がその企画に染まっていくのかもしれない。どちらにせよ、涙が出そうなほどのアツイ気持ちで、本が作れたら本当に幸せなことなのだろうと思う。まだそんな気分にはなったことがないが。そして、今度が編集者として最後の長い冬になればいいが・・・
2005.06.02
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雨。先週の金曜に喉が痛くなってから、すでに6日あまり経っているが、体調は回復どころか悪化の一途を辿っている。喉の痛みが激しくなってから、くしゃみ、ムズムズ、鼻水の症状が出てきて、とうとう私も「マスクデビュー」してしまった。自分では花粉症予備軍だと構えていたのだが、ついに勃発してしまったのか。しかし、その結論に至るには不可解なことがあった。まず、症状が金曜の夜に突然出たこと。電話で喋っている声が急にかすれて、「ああ、疲れてるなあ」と思っていたら、それが痛みに変わってずっと尾を引いているのだ。そしてもうひとつ、自分の部署(4人)のうち、私と両隣の2人が同じ喉の痛みの症状を同じ日に出していること。うち、ひとりは花粉症でもなく、私と同様に風邪を引くこともめったにないという。病院に行くなら、この部署の空気を調べてもらったほうがいいんじゃないかと思った。超高濃度の花粉がいるのか、もしくはどこからかウィルスが侵入してきたのか。関係性はまったく分からないが、金曜の夜はおかしな現象がたくさん起こった。パソコンのモニターの電源が意味なく落ちたり、入稿(印刷所に渡す)データの中身が突如壊れたり。あと、私自身も壊れていた。MOを持って行こうとしたら、MOドライブごと運んでいたり(!)、上司がやっかいなことを言った時に笑いが止まらなくなったり(かなり気味悪がられた)。まさに「魔の金曜日」である。もし、これが花粉症だとしたら相当大変なことである。毎年コレは我慢できない。しかし、熱はなく食欲はあるので、風邪や熱とも考えにくい。う~ん、誰かの怨念から生まれた新種のウィルス、との線が有力に思えるのだが・・・。仕事(自分の作っている本)で恨まれそうなことはいっぱいあるし、会社に恨み系の電話もよくかかってくる。いつもならパッと回復するが、これほどネチネチ長引くのは初めてなのである。
2005.04.20
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晴れ。先週の金曜から、喉の調子がおかしくなった。喉が痛くて、耳や鼻までひびき、咳が出る。こりゃなんなんだ?先週の木曜日、私は午前2時ごろに歌舞伎町のドヤ街にあるホテルに宿泊した。仕事で家に帰れなかったのだ。翌日も、トラブル&思わぬ事故続きで終電に乗り過ごし、終着駅からタクシーで帰った。そこから体調がおかしくなっているらしい。桜が満開の頃、いやもっともっと前から私の心はどんよりしていた。半年がかりの仕事は乗り越えても乗り越えても壁が立ちふさがった。「これさえ乗り切れれば・・・」とふんばったら、全く違うところからまた新たな問題が起こる。顔面蒼白になって解決しようとすると、慌てているせいでまたミスが起こってしまう。タイミングの悪さや思わぬ事故など不可抗力的なものと、自分の内面的な弱さがモロに現われてしまった。悪い夢もいっぱい見た。今回は本当にのろわれた仕事だった。そして、今ようやく雲が晴れようとしている、と思っている。またそう思ったところで事故があってもおかしくないが。果たして、こういう経験は自分を大きくするのだろうか。なんだか、逆に自身とか健康とかにおいてすり減らしてしまったようなふうに思えてしまうのはなんでだろう。そしてこの期間、あらゆるものに興味を持つ余裕のなかった自分は成長したといえるのだろうか。桜が散って、この仕事が終わって、これからまた次の仕事に取り掛かる。こんなに追いつめられるのはツライ、でも自分には苦しいハードルを乗り越えることでしか自分の価値が見出せない。自分のやっていることに自信を持てるようになることと、自分そのものに自信を持っていることとはきっと違うのだと思う。自分そのものに自信を持っていることは、努力して得られることと違う次元にあると私は気づいてしまった。
2005.04.18
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快晴。こんな天気のいい土日なのに、私は家にこもっている。最近遊び相手がめっきりいないなあ~と思う。まあ、それは友人たちが結婚したりそれに近い状態だったりするからであるが、毎週家で仕事ばっか気にしてるのもなんだかなあである。ところでりほぞう、ついにおととい30才になった。そして、今年の誕生日はなんだかいつもと違って心に残るものとなった。まず、家族それぞれからメールが来たこと。母親に至っては、前々日に送って来た。「娘の誕生日を忘れたのか??」と思ったのだが、当日にまた「早く送ってしまった」との断りつきで同じ文面を送ってきた。後で姉に聞いたところによると、3月24日の誕生日を姉の誕生日である22日と間違えていたらしい。それから姉。31才の姉は、「30代と仕事と結婚、出産」という女の人生でもっとも悩むテーマについて書いてきた。「できちゃった婚」だった姉は、付き合って11年になる旦那さんにさんざん結婚を待たせたこと、妊娠してどこかでほっとしたこと、でも独身の年上の女性で仕事、プライベート、恋愛すべて充実した人がいて、どこかうらやましいと思っていると綴っていた。「君のことだから、その辺はうまくやると思うが」と締めくくってあったが、本当にこればっかりは私も複雑な思いがある。そして父からのメールは初めて受け取った。私が知っている限りでは、携帯もとりあえず持っていて通話しかできないかと思っていたが、「誕生日おめでとう」という一言に絵文字までついていた。メールアドレスに「port」という単語が入っていたのは、父がずっと港で仕事をしてきたからであり、それを誇りにしていたのだなあと思うと、少し感動した。はっきり言って、この年になるまで(そして同居していた時代には)うちの家族はそんなお互いに対する思いやりがなかった。でも、離ればなれになり家族というものの意味を感じられるようになり、人間的に欠点はあるけれども、尊重したりいたわったりするということがようやく当たり前に思えるようになったのだなと感じる。会社の人にはケーキをもらったり、友達などにもごちそうしてもらったりして、ほんとにありがたかった。普段は自分の、そして人の誕生日に対して、あまり関心がない私だったが、30才の誕生日だけは特別に思うところがあったから、うれしい思い出になってよかった。このところ時間が経つのがとても早く感じるが、30代はほんとに早く過ぎると聞く。20代はすべてに逃げないで向かって行けたから、30代はその材料を生かして開花させたいというふうに思う。そこに、結婚、出産問題がどう絡むのか...それはまだ暗中模索状態である。そして、その答えだけは自分が答えを出さなければならないのである。
2005.03.27
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晴れ時々みぞれ雪。今日は朝7時半にツーリングに行く、はずだった。遊ぶことなら無理してでも行くだろうと自分では思っていたのに、今朝はどうしても体が言うことをきかず、一旦起きたもののまた布団に入ってしまった。こんなことは初めてで、疲労がたまっていてもストレス解消しに行く元気があるうちはまだましなのだと思った。しかし昨日も企画会議のネタを考えるために引きこもっていたため、休み中になにかひとつはやらねば体に悪いと思った。そこで、前から行きたかった鎌倉のパン屋に行ってみることにした。地図で見ると「なんでこんなところに?」という山のふもとの奥地にあり、その先の道の突き当たりには瑞泉寺という古いお寺があった。バイクで走り出すと思いのほか寒く、みぞれ雪が降ってきた。20分くらい走り、住宅地の中を抜けて目的のパン屋に着いた。いくら鎌倉とはいえ駅から遠いこんな奥地にまで観光客はこないだろうと思っていたが、「歩け歩け会」とやらの腕章をしたおじさんおばさんたち、また若いアベック(死後?)、またまたわけありそうな熟年男女などでごったがえしていた。どうやら瑞泉寺というのは、なかなか鎌倉の見どころでもあるようだ。まずは目的のパン屋に入った。女の人がふたりではじめたというとても小さな店で、インターネットで調べたら15時で全部売り切れていたと書いてあったが、13時過ぎで残りわずかだった。天然酵母のパンを三つ買い、せっかくだからお寺にも行ってみることにした。100円の拝観料を払って石の急な階段を上ると、洗練された形のお寺が現れた。そして庭園には梅の木のつぼみが開きかけていた。これぞ「和」だ...と吹雪の中ぼんやり感じた。そう感じたのはお寺が久しぶりだから、とかいう理由ではなかった。とても小じんまりしたお寺で、寺の黒い木の壁、梅の小さな桃色の花、山の端という立地、そして雪。そのコントラストが見事だったのだ。自分の心が疲れているからしんみりしてしまったのかもしれないし、日本の風情というものを感じられることができたのかもしれない。どちらにせよおそらくこのお寺は由緒があり、人気のある場所であることは間違いないようだ。明日はたぶん会社で徹夜になる。一週間の疲れはできればその週のうちに回復したいから、週末ははじけたい。でも、思いっきりはじけると、今度は月曜にひびく。だから思いのほか、この散歩のおかげでリフレッシュできたことに小さな喜びを感じながら、帰り道を走った。
2005.03.13
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快晴。今日は土曜。私が唯一、ビデオに録画する番組がある日だ。その番組は『エンタの神様』。人に言うと「意外」だと言われ、それが私には意外なのだが、実はりほぞうはお笑いが好きなのである。この番組は若手芸人、または新人芸人が純粋に舞台でネタをするというもので、バラエティ番組にありがちなゲームやクイズ仕立てとかになっていないシンプルさがいいのかもしれない。毎週観ているので、お気に入りの芸人もいる。それは「アンガールズ」。最初の二回はどこがおもしろいのかさっぱり分からなかったが、三回目にしてはまった。どんなネタをするのかというと、ストーリー展開はほとんどなく、ふつうはさらっと進める会話を何度も後ずさりし、うだうだうだうだし合っているといった感じである。先輩と後輩のネタが多く、えらそうにしたがる先輩とそれに従いながら実はバカにしている後輩がいるパターンが多い(ように思う)。まったく説明にならなかったが、ひょろひょろのスタイルと、ねらっているのかいないのか見当のつかないレトロな髪型と服装だけでも十分おもしろい。あ、ちなみに男2人組である。今年の正月、私は実家に帰った。母親と近況について話しているうちに、ふとお笑いの話になり、なんとうちの母親も『エンタの神様』をよく観ていて、さらに「アンガールズ」が大好きだということが発覚した。笑いの遺伝子という物は、どうやら存在しているらしい。だって例えば『冬ソナ』の「ヨン様」が好きだったというのが発覚したのならまだしも、なんせ『エンタ』の「アンガールズ」で一致したのである。「アンガールズのおもしろさはレベルの高い人しかわからへんねん」と言い切った母親、さすがB型である。ということは、私の周りにいる人はレベルが低いらしい。「アンガールズ」の隠れファンがいるかもと期待し、周囲に同意を求めてみたが結果は無惨だった。それどころか、会社の企画会議に「アンガールズ」の本について提案してみたところ、「誰それ?」という反応が返ってきた。おいおい!ブレイクする前に本を作っておかなきゃ、先にやられるぞ!(母親似で思いこみの激しい私)しかし、最近は「分かる」人が増えているのか、DVDも売れ行き好調らしいし、レギュラー出演も増えているとか。他にも好きな芸人はいるが、ストライクゾーンにはいっているだけで、「やられた!」という域まで達していない。お笑い番組を観ていると、会話の参考になるし、企画の参考にもなる(たぶん)。それは、芸人がネタにすることというのが、芸能人のことやニュースのことだったり、人間ウォッチング的なものだったりするからかもしれない。最近は音や映像を加えたネタをする人も増えているが、基本は「トークと動作のみ」のまさに究極のシンプルさで、裸のようにさらけ出されているところに、どこかすがすがしさを覚えてしまうのだ。
2005.03.05
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雪。二日連続、終電で帰宅した。午前1時に家に着き、お風呂に入って数時間寝たらまた会社に行く。寝不足で、ストレスもたまっている。この歳でそんなことをしていると・・・吹き出物が出る。一個ひけばまた一個。最初はぷくっとして赤いできものが現れ、さわると痛い。これが1~2週間たつと膿が出てくる。そしてこれが乾燥すると治る。しかし、そのころには新たなできものが顔の違う場所に現れている。この繰り返しである。唐突だが、私はあと一ヶ月で三十路である。30代。・・・心が重い。とはいえ、確実に体は変わってきている。私は年より若く見られたりもするが、明らかに28才くらいを境に体は変わってしまった。たとえば、この冬。体(特に脚)が乾燥して、異常にかゆくなるのだ。ボディクリームをたっぷりつけても、やはりかゆい。イヤな話だが、ふくらはぎの下の方がひびわれたりするのだ。サプリメントを飲んだり、酢とか玄米を食べたり、顔のパックしたりとかヘルシーでアンチエイジングなことを何にもしてないのだから、体がふつうに衰えるのは当然なのかもしれない。それにしても、いつまでも若いときの体と同じ感覚でいてはいけないなあと思ったりもする。それに反して、若いときよりも自分の心の内面がストイックになっているところもあり、つい仕事を中心に生活してしまう。例えば、あなたの悩みは?という質問があったとすると、それはいつも仕事のことだ。恋愛のこととかで悩んだりすることは、もうずいぶんご無沙汰である。おそらく確実に、自分の中で「恋愛は絶対になければならないもの」という位置づけではないような気がするのだ。言い表すなら「恋愛は自分を取り巻く中のひとつ」であり、まず自分の生活の核(今は仕事である)、というべきものがあって、その他「趣味」などがある中のひとつに「恋愛」が含まれている気がする。だから、あればあったでいいけど、がんばってまでするものではないと感じる。おや、これも一種の心の衰え?いやいや、恋愛体質ではないのは昔からである。吹き出物の話からそれてしまったが、いけいけドンドンで働くことより、忙しい時こそ一度立ち止まって、大きく物事をとらえた上で冷静に考えられるようになれたらなと思う。もう若くないし大人の頭脳にならねば。そう考えると、衰えた体を今のうちにアンチエイジングしておくのが将来的にはやっぱり賢い?という結論になってしまった。
2005.02.26
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晴れ。先週の三連休に、山梨県の南アルプスに行った。バイクのツーリングの下見を兼ねていたのだが、そこから少しルートをそれて、私の中で温めていたとっておきの場所に行くことにした。そこは、山梨県南巨摩郡早川町にある奈良田温泉である。ここにたどり着くには、林道山越えルートが2本と、一般道がある。そして、一般道は南北から奈良田につながるルートのうちの北側が冬期閉鎖されていた。私はこの北側からの夜叉神峠を越えるコースが地図の上で非常に気になっていたのだが、仕方がないので南からの一般道を往復した。とても寒い日だったので、車で雪の残る山の中を走った。ところどころに山の中に置き去りにされたような集落がぽつりぽつりとあり、「ここの人たちは一体どこで買い物するのだろう」などと想像をめぐらせた。だんだん集落の姿さえなくなり、ほとんど車もほとんど通らない道のトンネルを出たところで不意に湖が現れた。これが奈良田湖だった。身延町という小さな町から県道の一本道で50分くらいかかってたどり着いたのだった。ログハウス調の公衆トイレに入ろうとすると、その脇にバスの運転手さんの仮眠室があった。それがここがいかに町から離れているかを物語っていた。そして、念願の奈良田温泉に入湯。白根館という秘湯好きの間では有名な温泉宿だ。ここの温泉は、東北を思い出すような雰囲気だった。例えば、女湯は石造りの露天風呂と檜作りの内湯があり、それが離れた場所にあるため、一旦服を着てから入り直さなければならない。露天風呂は、のれんをくぐると木の棚と籠が置かれた簡単な脱衣所があり、仕切がなく筒抜けにいきなり湯船がある。さらに湯船の脇には観音様っぽい石像があって、それが東北の公衆浴場を彷彿とさせた。内湯も都会の温泉施設のようなしゃれっ気はなく、真四角の木の湯船があるだけだが、使い古された木の浴槽に湯の花がとついていて、「これぞ本物」という感じがした。また、白濁したお湯がぬるぬるとしていて少し硫黄臭がするのも東北っぽく、「七不思議の湯」とうたっていてかなり効能がありそうだった。その後帰り道、河口湖の方とかでそれなりに有名な温泉施設の脇を通ったが、無色透明の湯とサウナとかあってロッカーに服を入れるような施設充実の温泉がなんだか安っぽく見えた。まあ、お手軽に行ける・行けないの差もあるのだが。山梨の南アルプス地方は、首都圏で小旅行できるエリアの中で私はとても贔屓にしている。都心から人が押し寄せるのは富士五湖の周辺までだったりするので、このあたりは県民の行楽地としてひっそりとしており、派手に宣伝することもない。しかも、かなりの歴史もあるところで、ふつうの民家に蔵が残っていたりもする。そして、結局ツーリングのルートは決められるまま、自己満足の旅に終わった。
2005.02.20
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晴れ。今日仕事のことでとてもつらい気持ちになった。帰りの電車の中では息苦しく、過呼吸になりそうだった。例えば、自分の上司と外注の人が喫茶店で怒鳴り合っている。自分は上司について行かされて、ふたりのやりとりを聞いている。私には外注さんがまっとうで、自分の上司がおかしいと思える。でも、自分の上司だから批判することはできない。上司の逆ギレしたテンションがあがって、コーヒーの掛け合いか殴り合いにでもなりそうな雰囲気。私はずっと息をひそめながら傍らで聞いている。周りにいた客は帰り出す。結局、外注さんが「もういい。わかった」と何かを決めたように言い、話は終わった。私は「これは裁判沙汰になりそう」だと直感。家に帰ってもう一度考えると、早期解決のためには私が上司に外注さんに対して謝るように説得するべきなんじゃないかと思った。でも、そう思えば思うほど、その言い方の難しさなどを思うと道のりは険しく苦しくなる。それに、正義感を持って自分が積極的に解決にあたれば、ますます巻き込まれて、上司から責任転嫁されるリスクもある。しかし、このまま上司、もしくは会社が訴えられて裁判になると事態はますます悪くなり、私は書類を用意させられるなどしてノイローゼになってしまう気がする。責任を感じたり思い詰めないのが、ほんとはいいんだけれど...
2005.02.15
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晴れ。最近、休日に出かけないことが多い。理由は単に「外出するために着替えるのがおっくう」なこと(やばい!)、そして「寒い」こと(終わってる?)である。しかし、平日の帰宅時間が23時くらいで近所のスーパーが閉まっていることなどから、1週間分の食料買い出しだけは休日にしている。単に食い意地だけが、私を動かしていると言っても過言ではない。ああ情けない。さらに、その食い意地も「料理が趣味」とまで言えればまだ救いようがあるのだが、私の場合は食材探しがもっぱらの趣味なのである。例えば、私がはまっているのが輸入食材なのだが、誰でもできる手抜き料理の代表格、スパゲッティでいえば、麺とソースはできるだけ本場のイタリア産にしている。あとは、冷麺は韓国製のソバやドングリが原料になったこしのあるやつが好きだ。自慢できるとすれば、ご当地食材だけはミョーに詳しいのである。私の好きなスポットは、輸入食材の宝庫のコーヒー屋「カルディ」や、新宿区大久保のコリアンタウンや上野のキムチ街、横浜の中華街などである。かなり長い時間、店内で楽しんでしまう。あと、日本だと●●物産展とか大好き!郷土料理も詳しい方だ。最近のマイブームは「トルコ料理」。世界三大料理(あとの2つは中華とフレンチ)のひとつなのに、あまり日本ではなじみがないのが残念なくらいいける。トルコ料理に関しては、食材を手に入れるのは至難の業だし、そもそもインスタントにできるような料理ではないと思う。トルコ料理屋に行ったらまず、前菜の盛り合わせを頼むのがいいと思う。なんというか、すべての基本がそこにあるように感じる。ヨーグルトとハーブ、ガーリックの味付けが多いのが特徴だ。そして、たまに路上でも見かけるが、ケバブを食べるといいだろう。シメはのびるトルコアイス。なぜのびるかといえば、日本では聞いたことのないイモ科の植物が入っているらしい。お酒はトルコビールもトルコワインもおいしいが、独特な物を選ぶならトルコ焼酎「ラク」。薬草の香りと水割りにすると白く濁るのが特徴だ。それにしても、トルコ料理店はいつもあまり客がいなくてがらんとしているのが残念だ。くせもなく、ふつうに非常においしいのに、ブームとして日の目をみたことがないように思う。かくいう私も、たまたまトルコ人に連れて行ってもらって初めて知ったのだが、まあとにかくどこの店でもいいから一度は行っておくべきだ。毎日食べるのはつらそうだが、たまに無性に食べたくなることだろう。ああ、それにしても...。私がもっぱら詳しいのは温泉と食材。自分としてはパソコンに強いとか、日曜大工ができるとかにあこがれるんだけどな(あ、この2点はまさにあこがれの男性像です)。快楽に生きる役立たずの私、デブ症(2つの意味で)はますますひどくなっていきそうである。
2005.02.06
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晴れ。最近、月曜日の午前に会社で「企画会議」とやらが行われることになった。そんなわけで毎週、各自で企画を考えなければならず、これが結構な心の負担になっている。そうでなくとも、本が売れない時代。ネットで調べりゃ情報はいっぱいあるし、編集を仕事にしている私ですらよほど好きな作家の小説でもない限り本を買うという行為に走らない(しかも古本)。しかも、本というのは「物」であるから、使わない本は下手すりゃゴミである。先日、BOOKOFFで本を処分しようとしたところ、見事に4分の1ほどは突き返された。その本は別に汚かったわけではないのに、需要がないと見なされたわけだ。こりゃ作った人も気の毒である。そんなこんなで、これまでに2回企画会議が開かれた。一応土日に本屋に通って、マーケティング調査(?)し、実現可能かつ比較的短期間で作れそうな企画...例えば類似した本をひねってみたり、テレビ番組とコラボレーションしたりといった企画などを数本提出した。ところが...。編集長には、いささか不評だった。ここで思ったのは、「自分の企画がイケてないのか」or「自分の企画は時代を先取りしすぎているのか(!)」or「50才過ぎの編集長との年代と好みのギャップなのか?」、つまり企画の善し悪しというのは一体誰がどう判断すればよいのかといったことである。この後、他の人の企画についてまた編集長はダメ出しをしていたが、私からすればそれはなかなかの企画に見えたのであった。今日は土曜。今から寝たら月曜の会議に向けてまた企画を作らなければならい。今回私は賭けに出ようと思う。これは最近本当に忘れていたことなのだが、そもそも自分が出版の仕事をしている本来の理由というのが、これでしか自分は社会貢献できないと思ったからだった。具体的に言えば、出会った本によって与えられたことがらが、今の自分の重要な位置を占めているのである。そして、その恩返しとしてことばで誰かに力を与えたいというふうに強く思ったのである。だからイヤになってもしつこくこの仕事を続けているのだと思う。いや、本当は出会った本が自分の中で重要な位置を占めているなんていうのは勘違いかもしれないし、出会った人や経験したことの方が大きな割合になっているのかもしれない。でも、自分の中で、その影響を与えられた本の存在が大きいと感じていたということなのである。そして本で伝えたいと思っていたことは、きっと一言で言えば「本当の意味で強く生きる」ということであり、その「本当の強さ」の定義を示すことだと思ったのだ。私なりのその答えは「純度の高い自分でいる」ということ。自分を取り巻く状況、持っている物など後付けされたもので自分を見失わず、自分の核となる部分で物事や人に接することが本当の健全だということである。さて、そして企画に戻る。ここで問題なのは「私は作家ではない」ことだ。現実的に私の名前で本が売れるわけがないし、無名の自分が思い続けたメッセージというのは自分では信じていられても、端から見れば単なる一個人の思いこみではないのだろうかと不安がよぎる。さらに、自分にとって大事なことだけに、理解されなかった時に少なからずショックを受けるだろう。どちらの反応かは企画として出すまで予想だにつかないのだが、もしかしたら実はそんな企画がほしかったと言われることも全くないわけではないわけで、もしそうなるとこれはまさに会うべき人・会社と出会ったということになる。ポイントは自分のメッセージにイメージや形を与えて伝えること、そして書けそうな人を見つけ出すこと。とにかく、なにはともあれ何時間後かにはなかなか納得のいく企画ができていることを...願う。
2005.02.04
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晴れ。紅葉の季節に、温泉郷の旅。なんとステキな取り合わせだろう。温泉はやはり露天風呂に限るだろう。そんなわけで1か月ほど前、私は親友と女二人で新穂高温泉に行くことになった。以前から非常に行きたかった温泉地は、私たちと同様「紅葉&温泉」を求める人たちの多くにに先を越され、予算と折り合いの付く民宿は1件しか空きがなかった。新穂高の紅葉は少し早いとはいえ、見事だった。いろいろな樹木がいろいろな色になっていて、それが無数にひしめいている風景が、まるで水彩画を見ているようだった。しかし、新穂高ロープウェーの頂上に着いた頃、激しい雨に見舞われてしまった。そんなわけで、ロープウェーを降りたら私たちはそのまま宿に向かった。お土産屋でさんざん迷って選んだ地酒を忍ばせながら...。宿は老夫婦が経営している「アットホーム系」民宿だった。風呂とトイレは共同。私たちが着くと、おばちゃんが「うちは露天風呂が自慢なのよ~!」と繰り返した。ついに、念願の紅葉温泉!部屋で地酒をやりながら話に花が咲かせたあと、夕食前に風呂に入ることにした。風呂は非常に小さい内湯と扉を出たところにこれまた小さい石造りの露天風呂がある。早速露天風呂に入ると、開放感はなく景色も見えないが、塀越しに紅葉が顔をのぞかせていた。「ふう~」「いいね~」正直、おばちゃんに自慢されるほどたいした風呂ではないが、雰囲気が大事なのでとりあえずそんな会話をした。冷たい雨の降る中、露天風呂の湯は異常に熱かった。そこで、水の出るホースを握りしめながらゆっくり入った。風呂には雨に打たれた樹木の葉が、湯に浮かんでいた。その時だった...。何気なく目を落とした風呂の水面に、黒くて足の生えたものが浮かんでいた。「ん...!えっ?」「どうしたの?」友達が聞いた。「なにこれ?」「へっ?」物体は浮遊しながら、狭い湯船の中、私たちの間に流れてきた。「イモリ?」「ひいっ!」それはまぎれもなかった。腹が上になってひっくりかえっている。息が止まりそうだった。しかし、とにかくコヤツが何かの拍子で肌に当たるのだけは避けたい。でも追い払うと友達の方に行ってしまう。何もできずに見守っていると、運良く2人の間をイモリはすり抜けていった。「見なかったことに...」と自分に言い聞かせて、そこから少し移動した。しかし、私はすでにへっぴり腰になっていて、いつでも逃げ出す格好になっている。ガチガチの姿勢のまま、目は湯船の中をくまなく捜査していた。すると、湯船の底にある落ち葉の陰に、先ほどと同じ形のものがまたひっくり返っている。「またいた!」「あれ、ほんとだ」一体何匹のイモリがここで茹であがっているのだろう。もう私には限界だった。イモリを踏まないにしろ、イモリエキスが体についているのは、あまり気分の良いものではない。「出ようかな...」私はそそくさと逃げの体勢に入った。すると、驚くことに友達は「あ、こうゆうのダメ?私もうちょっと入っていようかな」とこともなげに言った。そして、翌朝彼女はまたその露天風呂に入っていた...。この1件で相当参ってしまた私は、あんなに大好きだった露天風呂が恐くなってしまった。新穂高で1泊し、その後湯めぐりを楽しみにしていたのに、その湯めぐりの最中、どうも落ち着かず、目が湯船の中を追ってしまうのだ。そして、友達は相変わらず悠々としている。そもそも、露天風呂と言うのは野趣を楽しむことでもあるから、イモリごときでひるむ方が矛盾しているのかもしれない。しかし、人間には得手不得手と言うものがあり、私は両生類と爬虫類、そして虫もダメなのだ。それにしても、「林道の先の温泉でキャンプするのが夢♪」なんて語っていた自分が情けないのである...。
2004.11.27
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晴れ。私はたいていお昼休みは1人で近所のお店に行き、ご飯を食べる。あまりオシャレとは言えない会社の立地条件上、サラリーマン向けの定食屋やカレー屋、ラーメン屋などが多く、「安くてうまそうなんだけど女1人じゃちょっと入れない...」と横目で通り過ぎ、比較的入りやすいが味の割に値段もそこそこ張ってしまうお店を仕方なく利用していた。しかし、同じ土地に3年近く通っているうちに、年齢とともにだんだんと人目が気にならなくなり、少しずつ安ウマサラリーマンランチに挑戦できるようになってきた。いや、むしろ難易度をつけて、挑戦することで達成感すら覚えるようになっていた。そんな私がついに、手を出してしまったオヤジゾーン。大きく一線を越えてしまった瞬間の話である。この日も私は「中華屋」で女1人ランチに挑んでいた。店にはいると、案の定2組の客はサラリーマン。人目を気にせず、自然に振る舞うべく椅子に座った。メニューはラーメン類がメインのようだ。3時を過ぎてお腹が減っていた私は、「店のナンバーワンメニュー」とやらの海鮮焼きそばを食べようと思った。メニューを取りに来たおばちゃんにそれを伝えようとした瞬間、私は視界の片隅に入ってきた「半チャーハン」を一緒に頼んでいた。「半チャーハン」。頼んだ後、私の中でひどくこっぱずかしいものがこみ上げてきた。隣のサラリーマンはつつましやかにタンメンを食べている。焼きそばにチャーハンってどんなコテコテやねん?と心の中で突っ込みつつ、「両方ともでかい皿で来ないでくれ」、そして「置くときにでかい声で『半チャーハンです』って言わないでくれ」とおばちゃんに祈るような思いだった。1つ目の心配はクリアされた。半チャーハンは小さい茶碗で登場した。しかし、焼きそばと時間差をつけて来られてしまったため、「半チャーハンお待たせしました」としっかり言われてしまった。そして私もしっかり平らげた。隣のサラリーマンは「よく食べますねえ」と言うはずもなく、お勘定をして出て行った。なんだか心に一抹の悲しさを覚えた私は、この一件を誰かに話したくなり、会社に帰る前に友人にメールをしてみた。「それやばいよ!『半チャーハン』はオッサンでしょう」とすかさず返事が来て、私はますます恥ずかしくなった。「女1人で半チャーハン」はその友人の基準ではレッドゾーンだったようだ。そして、それ以降このお店にもなんとなく行きづらくなってしまった。あるラーメン屋に行ったときに、「この時間帯はラーメンの大盛りかライスがサービスになります」と言われたOL3人組の1人が「じゃあ私大盛りにしちゃおうかな~」と言っているのを聞いた。そのときにはなんとなくほほえましかった。しかし、これが女1人だったらちょっと怖い。太っていたらなおのことである。食べ物以外の場合で考えてみれば、私の趣味である旅もツーリングも、バイク用品店に行くときも、1人だと一種の後ろめたさがある。要は「だいたいにおいて男がしそうなことを女が1人ですること」というのは、おそらく世間体的に気が引けるのである。気にしなければいいのに、と言われそうだがまだまだ変なところに羞恥心が残ってしまっているのである...。こんな話をかつての同僚にしてみたところ、「なんだ、君の割には意外にかわいいとこあるんだ」と言われた。悲しいような、トホホなような。
2004.11.26
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晴れ。今日はひさびさにあたたかく、一応バイク乗りの私にとっては「何でもいいから外出しなくてはいけない」ような気分になってしまった。そこで、自宅からツーリングコースにふさわしい、もっとも近い場所として三浦半島を一周することにしてみた。城ヶ島は三浦半島の先端に、橋でつながっているが、まずはその手前にある三崎港で腹ごしらえすることにした。というか、目的の75%くらいは「マグロツアー」だったのかもしれない。以前にも3度ほど訪れたことがあったのだが、そのときにはなかった「うらり」というおみやげ市場のような施設があった。まず、ここに入ってみると、マグロの身のさまざまな部位が並んでいる。たとえば卵。タラコの50倍ぐらいのでかさであり、通の間ではもっぱら生で食べられたりしているとか。あとは、頭身(とうみ)。脂の多いとろんとした舌触りで、刺身にして食べるそうだ。その他、目玉やほっぺ、スペアリブ、その他ひだひだした内臓のようなものもある。「トロのあぶり焼きが100円!」の声にはっと振り向くと、プラスチックの皿にそぎ落としたような身がてんこもり。思わず、ホイホイと買ってしまってその場で食べてしまった。「ここはいいわ!」と思いながら市場を後にし、その後続けて、マグロのとろまん(中華まんのマグロバージョン)と回転寿司を食べた。回転寿司では、初めて大トロを食べたのだが、顔までとろけそうな食感で、思わず気絶しそうになった...。いやいや、グルメの話をするつもりではなかった。そんなこんなでおなか一杯になった私は、ようやく城ヶ島に上陸する。いつも通る遊歩道のような岩場に向かっていたその時、漁師のような風貌のおっちゃんが「海の散歩ツアー」なるものの呼び込みをしていた。遊覧船があるのは知っていたが、どうもそのおっちゃんの言う海の散歩とは、背後にある小さなボート、というかどこからみても漁船に乗るツアーのようだ。そのあまりにもロマンチックとは無縁といえる簡素な漁船に、船に乗る気がさらさらなかった私は興味を覚えた。値段もお手軽だったし、ふと乗ってみようと思った。いざ船内の上に乗ると、客を乗せるためのものだとはとうてい思えない、漁具の積まれた船だったが、私は自分と1枚の板を隔てて海面があるのが楽しかった。水は信じられないくらいエメラルドグリーンに透き通っていた。沖へ出ると波が高くなっていて、ボディボードのように(やったことはないが)波のうねりに合わせて四方八方に揺れる。海に放り出されたら、カナヅチの私は間違いなくおぼれるだろうが、それでも片目で浮き輪の位置を確認してから、この超体感的な散歩にはまっていた。もちろんしぶきもかかる。海から見る城ヶ島は、陸から見るそれとは違った表情を見せていた。陸の上ではのどかな島も高さのある断崖絶壁や、ごつくて黒い岩場にある地層の模様など、なかなかワイルドである。カモメが波の上から魚をくわえて飛び立つのが見えた。船は、おっちゃんのテクニックで、荒波の上でも突き出た岩の塊をよけながら島の南端から、民家や工場のある島の入り口方面へ進んだ。そこには港があり、おっちゃんは「マグロ船だよ」と教えてくれた。なんでも、一度漁に出ると1年半ほどかかって戻るらしい。そう考えると、さっき食べたマグロも、もっとありがたみを持たねばならなかったと反省してしまった。三浦半島の三崎と城ヶ島とをつなぐ橋ができたのは昭和35年。高さ約20メートル、長さ約500メートル(誤差あるかも)。橋ができる以前は、船が唯一の交通手段だったという。おそらく、観光客には遊覧船で水中が見られるツアーの方がメジャーなのだと思うが、私はこの「おっちゃんと漁船ツアー」がいたく気に入ってしまった。まあ、小ぎれいな格好をした方やデートの方にはオススメできないが、私的にはぜひ城ヶ島を訪れる方には体験して頂きたい。
2004.11.03
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晴れ。血液型に関する番組が世間では流行っている。「血液型なんて関係ないよ」という人たちもいて、あまりおおっぴらに言えなかったのだが、私は断固「血液型は性格に関係する!」と10年以上前から(!)思っていたことを、この際打ち明けたい。結論から言えば、一見すると性格は人それぞれまちまちであれ、根本的にA型の人はA型なのだ。そんなことを思うようになったのは、大学生になった時に、はじめてクラスという概念にとらわれず、自由に友達を選べるようになってからだ。ここで、「クラスがあっても自由に友達が選べる」と言う人は、私から言わせると恵まれている。私にとって気の合う友達は、ほんとに少なく、クラス40人の中でも探すのは困難だったのである。それはさておき、自由に人付き合いができるようになってからというもの、なぜか自分と同じ血液型の人間が周りに増えた。その人たちといると、あっけらかんとして単純に楽なのだ。別の血液型にとっては、それは落ち着かないのかもしれない。そんな私は、嫌われがちのB型です。B型ともっとも合わないのがA型と言われる。ある意味それは正解なのだが、私にとっては仕事上のベストパートナーである。もっとも向こうは勘弁してくれって思っているかもしれないが。自分が作業するよりも丁寧なので、安心できるところがすばらしい。ただし、付き合ったり一緒に生活したりするのは、決定的に無理!である。物理的に無理、というくらい無理な話なのだ。あと、従順すぎるところがたまにイライラしてしまう。まあ、こんなA型がキレた時はかえって説得力があるのだが。逆にO型は、人間としては気が合うのだが、仕事では決してくみたくない相手である。ハッキリ言えば、仕事を頼んで仕上げてもらった後で、一度自分でチェックしてみないと怖いのである。おおざっぱゆえ...。ただし、表に出て動いてもらう場合には、非常に力を発揮してくれる。AB型はリスペクトできる部分も多いのだが、相性の話になるとこれまた難しい。テレビなどで見ると、どの血液型とも「そこそこ合わない」のが特徴である。なんでも、後からできた血液型との説もあるので、ついていけないのかもしれない。ちなみに、昔はみんなO型だったという説がある。必要に応じてほかの血液型ができていったのだとすると、AB型はこれから必要な人格?と思えばうらやましい気もする。テレビでの情報は、私にとって「そんなこととっくにわかってたよ~」くらいの内容である。でも、この話題をオープンにできるようになったのは喜ばしい。こんなネタを書くと反撃されるかなあ~。テレビの最後にも必ず「血液型で人を判断するのはやめましょう」って書いてるし、実はリスキーな話題なんですよね...。
2004.10.28
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雨。実はほとんど毎日、このページはチェックしているのだが、全く日記を更新していない。職業が文章を書くことでもあるにもかかわらず筆不精なのだ。ちなみに、バイクに乗っていながら私は出無精でもある。旅好き=アウトドア派ではないのだ!えへん。誰に向けて言い訳しているのか分からないが、日記の更新が滞っているのは、引っ越してから通勤に1時間40分ほどかかり、仕事柄夜が遅くて時間がないのが原因なのである。いや、それは単なる発端であって、ほんとうはさぼっているだけなのだが...。誰か私のケツを叩いて下さいませ。最近の変化といえば、オーストラリア砂漠ツーリングが終わってから1カ月経ち、時間差で腑抜けになりはじめてきた。なんというか、休みの日に暇を持て余していたり、改めて友達の少なさを思い知ったりしているのだ。それもそのはず、1年間砂漠に向けての練習に休日を費やしてきたのだから仕方がない(やっぱりこれも言い訳かな)。最近のささやかな幸せは、ある作家の長編小説を読むことである。多少嫌なことが合っても、小説を読みはじめると自分のペースに戻れる。オーストラリアにも持参したその小説の作家は山崎豊子さん。とにかくほんとに長い小説で、読破できるとは自分でも驚きなのだが、それほどまでに熱中して読める話なのだ。「大地の子」は確か5巻まであり、ドラマ化されたビデオも7本くらいあった。読書に全く縁のなく、マンガしか読まない人に貸したところ、次の巻を読ませろとせかされた。しかし、ひとつ断っておくとすれば、文庫本を買った方がよい。話が長いぶん、本を持つ手が疲れるのでハードカバーはお勧めできないのだ。内容としては、主人公が中国残留孤児であったり、シベリアで抑留された軍人であったりして、実際に合った話が背景にある。教科書では学べなかった、当時の個人レベルでの感情みたいなものがよく描かれているのだ。まあ、私の陳腐な説明ではかたり尽くせないので、ここでやめておこう(また言い訳)。さ、そろそろ寝ようかな。
2004.10.26
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晴れ。一昨日の夜、2週間ぶりに日本の地についた。五体満足で帰ってくることができた。駆け足で旅を振り返ってみると、日本→パースパースはオーストラリア大陸の南西部分。シドニーなどの都市から全く逆にあたる。朝に着いたので、近くの港町フリーマントルで観光。パース→ミカサーラ→ウィルナ12人乗りの小さなエアバスで移動。大地にぽつんと取り残されたような小さな町。もちろん日本人の姿はどこにもない。ウィルナで自分の乗るバイクを与えられた。サポートのオージーは4人。サポートカーは2台。ここから4つの砂漠を51の井戸をつなぐ「キャニングストックルート」が始まる。ほとんどの井戸が朽ち果てている中で、水があれば飲料水などを汲みながら北上。赤い大地の上で、900もの砂丘を越える。途中の脇道にアボリジニーの集落がひとつあるだけで、町はひとつもない。朝や昼間、バイクに乗っていると、カンガルーやラクダ、トカゲ、エミューなどが姿を見せる。夜は焚き火。空には見たことのない星がおびただしい数で、雲のようなミルキーウェイが夜空に橋をかけていた。そして、12日くらい(よく覚えていない)キャンプしながら1600キロもの道のりを越えると、ようやく舗装道路が現れてホールズクリークという小さな町へたどり着く。久々にシャワーをあびることができた。そしてさらに300キロ走ってカナナーラという町の飛行場へたどり着く。カナナーラ→ダーウィン久々のホテル泊。ダーウィンは飛行機の乗り継ぎのためだけに降り立ったが、ほどよく小さくてのどかないい街。1組だけ日本人と会う。ダーウィン→ドベ→ケアンズ国内線の乗り継ぎ。ケアンズ→成田ここ半年、ずっと完走できるかどうか、途中で体力がなくなって一人サポートカーにのることにならないかなど、一種心の負担にまでなっていたが、無事に終われたことが一番うれしい。正直それが自分なりの今の感じである。うーん、写真を公表できればもっとロマンチックに伝わるかも。やる気が出たらアップします。
2004.08.26
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快晴。いよいよ今日からオーストラリアのキャニングストックルート完全走破ツアーが始まる。成田を夜8時55分に出発して帰りは24日。日本で仕事がらみの気になることがないと言えば嘘になるが、そんなしがらみも何もないという状態は誰にもあり得ないと自分に納得させている。昨日は前夜祭として、一緒に参加する2夫婦とパーティをした。ほんとにもうあっちの引き返せない砂漠の世界へ行くのだなと思うと、緊張で胸がシクシクした。ほんとはウキウキしなきゃいけないのかもしれないが。ふつうの旅とは違うことだけは事実で、2000キロの間に民家がないので、何か忘れても「どこかで買えばいい」という問題ではない場所である。また、一番近くの病院までも、衛星電話でヘリをチャーターしてから3日かかるので、命を落とす危険も少なくはないだろう。なんだか「行く前に一度会っておこうよ」という友人が多かったのは、「コヤツ二度と帰らないかもしれん」という思いもあったのかもしれない。私も命の危険を冒して遊ぶ趣味はないので、おそらく完走できなくても生きて帰って来れるとは思うが、リスクはたぶん少なくはないはずだ。とにかく「地球にはこんな場所がある」ということを味わいまくれたらと思う。バイクで地を這うように走りながら。それによって何かが生産されるわけでもないし、自分の何かが認められるわけでもない。むしろ超浪費であろう。そんな「無駄」をしようなんてことは、こんな機会でもないと思いつかないことだから、ありきたりでない経験ができてラッキーなのかもしれない。大地の大きさはどんななんだろう。赤い砂漠の土に思いっきりしがみついてみよう。そして地球レベルで原点に帰ってみよう。
2004.08.09
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晴れ。いよいよその日が近づいている。1年前から分かっていたことではあるが、荷物をまとめて103万円支払うと、「ほんとにいよいよなんだ...」という緊張が襲ってくる。オーストラリアの世界最長の砂漠ツーリング、私が不安に思うことは1.運転技術と体力、2.人間関係である。特に2は単独で放浪していた時とはまた違ったプレッシャーがある。バイク乗りで「団体で走るのが苦手」ということを口にする人は多い。おそらく私もそちら側の人間である。ただ、5ヶ月間本当に一人で野宿した後、思い出に残っているのは人との関わりだった。人間関係というのは煩わしい分、摩擦しないことには分からないことも多いようなのだ。「煩わしいけれども、それでも人と一緒の方がまだいい」という結論に達したのは今から3年前の話。一人が大好きな私が、一人でいることを追求しまくったあげくのことであるから、多少説得力もあるかもしれない。でも、社会復帰するとやはり自分には理解不能な人間も少なからずいる。もちろん自分のことだって理解されていないのであろうが、旅をして自分の中で価値観が変わったとするならば「人としての優しさ」に欠ける人だけは許せないということである。声がでかくて高圧的な人間は出世するかもしれないし、それは結構。でも、人の上に立つ人間は、誰より人というものが個別の性質を持つものであることを理解し、面倒くさがらずにきめ細かい対応をするべきだと思うのだ。威嚇するような態度で、権力を振りかざすのはハッキリ言って時代遅れであると私は信じている。私は出版の仕事をしているのだが、それは自分の信じた価値観を世に通用させたいという思いがある。権力を持つべきものは誰より人間的で優しく、弱い者に自然と視線がいく者であるべきである。弱い物を仲間はずれにして結束するようなコミュニティーが成り立つことが何より許せないのである。世の中には理不尽なことがたくさんある。それに自分を適応して上手にやっていくのがふつうの人間である。私も社会経験を積んだから、たぶんそれでやっていけるのであろう。でも、適応できない人のことは人間的だなあと思う。その時代ごとに違った理不尽さはあろうが、変わらないものもちゃんとある。普遍的な「人間の正しい姿勢」は、時代を越えるのである。「愛」というものも同じである。今という時代は、物も多くシステムも複雑だからほんとうに分かりづらくなっているのが残念なのである。私は放浪しながら必要最小限の物だけで5ヶ月過ごして、ようやく分かった。こんな時代だから、よりシンプルな心で生きるようにしたい。いろいろな物に囲まれて、加工されていった前の心でありたい。普遍的な人間の精神で、社会でも強く生きることが私のポリシー、という考えが私を支え、そして今のところ拒まれることはあっても受け入れてくれる人もいるので成功しているといってよいかもしれない。オーストラリアに行って、無事に帰れるかどうかという不安もあるので、たまには本音を残しておこうと思う。
2004.08.04
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晴れ。もうすぐオーストラリアツーリング。準備がてら、バイクで走る「キャニング・ストックルート」という場所についていろんなサイトで調べてみるた。すると今更になって、とんでもないことが分かった。というか、ほかの参加者はとうに知っていたに違いないのだが...。どうやら世界最長のダートなのだ。全行程10日ほどで2千キロ走ることについては、さほど驚かなかった。しかし公道とは訳が違うのである。ふかふかの砂漠で、おまけに1000もの砂丘越えがあるのだ。世界中のライダーが挑むこのルートについて、今まで「オーストラリアをバイクで走りにいく」くらいの概念でいた私、出発まで残り2週間弱になって「やばいやばいやばい!!」、とお尻に火がついたのである。行きたくても行けない人が聞いたら、こりゃ叱りとばされそうである。距離もさることながら、道中に民家がひとつもないゆえ、宿泊はすべてキャンプ。お風呂にも入れず、パンツすら毎日替えられない。まあ、命に関わりがないとはいえ、日本でもこの暑さの中、汗まみれになった下着を一日でも替えられないのはつらいものがある...。こんな過酷な旅の中で、何を武器に生き延びようか。以前の放浪旅でもそうであったが、体一つ、自然の上に放り出されたとき、最初にもろに向かい合うものは「自分の弱さ」である。そして、すでに後に引けない状況にいるため、否が応でもコイツを克服しなければならなくなる。日本では社会環境が複雑で、物も多すぎて、自分の実態すら見えづらくなっていたのかと気づかされる。自分もさることながら、一緒に旅をする人たちが、普段と同じでいられるかどうかも分からないのだ。なぜなら、日本の社会で「強い」とされる人が、砂漠の上で「強い」かどうかは本人ですら分からない。自然の中の人の価値基準は、人間の作った価値基準とは大きく異なっているはずなのである。さりとて、自然の中で強くなくても社会では生きていけるということにもなるが、それをあえてチャレンジすることで自分の幅が広がることはありえる。自然の中でダメダメ人間だったと気づかないようにしたい、もしかしたらそのことで私はビビっているのかもしれない。
2004.07.22
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晴れ。オーストラリア砂漠ツーリングがいよいよ近づいてきた。8月の初めに出発だから残り2ヶ月きったわけだ。しかし正直、行きたくない気持ちになっている。というのも何度林道を走っても、恐くてスピードが出せない。頭をよぎるのは崖落ちや骨折などの不吉なことばかり。そして、速度が出ないとバランスが崩れる→転倒→バイク起こす→体力なくなる、の繰り返し。これで2週間の砂漠で耐えられるのか…?そう思うと、「辛いのに行ってどうする?」と超マイナー路線方向に思考が働くのである。そして次にくるのが「なんてダメダメ人間なんだ~!」といいう自己否定。周りが楽しみだね~的雰囲気になると、「そーいう人だけが行くべきだよ」と思ってしまう。でも、今さら参加中止できないのだ。人数によって一人頭の予算が変わってしまう関係上…。そして一生懸命アドバイスをしてくださる仲間に向かって、「ぜんぜん楽しみじゃないだよなぁ」なんてとても言えない。そんなわけでこうやってここで悶々しているのである。そんなヨワヨワな私であるが、唯一の救いは「鈍感」であることだ。それは図太さともいう。ゴキブリ並みの生命力とかいったものであろうか。それだけが取り柄(結構大事だと思うんだけど…)なのは哀しいけれど、今はそれだけを信じるしかないのである…。ううっ。
2004.06.15
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