いくら古女房公認とはいえ、七十にもなって二十歳そこそこのジャワ娘に子供を産ませ、その子に大五郎と名づけ、『ちゃん!』と呼ばせるだけでも大胆不敵、正気の沙汰とは思えぬが、その源さんロンボクに行って、子作りに励むという。
これはもう暴挙、尋常とは思えぬ・・・。
しかも、それが単なる好き者というのではなく、それこそが生きている意味だと豪語するに到っては、何をか言わん哉。非難轟々となるのは目に見えている。特に女性からは。
『鮭を見てみい。雄も雌も力を振り絞り生まれ育った川の上流に戻り、子供を産むや力尽きて死ぬんや。それまでは何のために餌を食べ、大きくなっとるんや? 卵を産むためやないか』
『しかし人は魚じゃない』
『あほんだら同じや!ほな百歩譲って獣はどや? 雄は単独で動き回り、発情期を迎えた雌を探しては子を作り、雌は子を育てよるが、雄は再び他の雌を探してわらじを履くんや』
『しかし人は獣じゃない』
『・・・わいに、さからっとるんかい?』
という訳ではないが、源さんの言わんとすることが判っているので無闇に同調するのには抵抗がある・・・。
案の定、源さん、
『生きとる意味、生き涯、生きとる目標はなんやねん?』
『それは、それぞれ違うでしょう』
『そう来よったか。ほな、生きた証しはなんや?』
なんと言えば源さんの思惑にはまらないか・・・。
『いくら総理大臣になろうと、ノーベル賞とろうと名なんて残るのはわずかの間やで。大会社の社長になって財を築こうが、金なんてしょうもない。となれば生きた証しは子孫を残すことしかないやないか』
『かも知れないが、結婚した相手とだけ子を作ればいいんじゃないの?』
『そりゃちゃう! 世界のあちこちにわいの血をひいた子孫がおると思えば死に際も楽しいでェ! この歳になってわいはようやく生きた証しを見つけたんや』
七十になって源さんが辿り着いたことだから他人がとやかく言う筋合いではないし、そういう考え方は男の密かな願望かも知れぬ。が、それを実行に移してしまうところが源さんの怪物ジジイたるゆえんか・・・。
とはいえ、それは男の身勝手な理論である。
『で・・・源さんの子を産んだ女性や子供はどうなるの?』
『どういう意味や?』
『つまり、責任は・・・』
ギョロ目で、しばしボクを睨みつけていた源さん、すくっと立って、
『帰るわ』
『どうしたの急に?』
『マモさんが、そんな道徳的で常識的なジジイとは思わんかった、しょうもない奴っちゃ』
自分ではそうでもないと思っていたが意外に源さんの言うとおりかも知れぬ。源さんいわく、お互い納得していればいいじゃないか。でも、大五郎にしても、これから先産まれてくるであろう子供にも意思は問われていない。そう言おうと思ったときである。
突然ドアが開いて、デウイちゃんが飛び込んできた。
『久しぶりマモ! 元気だった?』
『ああ、とても』
『相変わらず、若い娘のお尻追っかけているんでしょ、この助平!』
源さんの膝に乗り、首っ玉に噛り付いたデウイちゃん、
『ねえ聞いた? うちのダーリンはロンボクで藍染の甚平作るのよ』
作るのは甚平だけじゃないだろうとは口が裂けても言えぬ。
『そう決めてからダーリンは、すごく生き生きしてるのよ、いいでしょう!』
ちらりと源さんを見ると、平然とした笑顔。
騒動が勃発しなければいいが・・・。
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