綴

2006年12月30日
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カテゴリ: side story [紅の邂逅]
 音もなく、若い男が目の前に降り立つ。木から飛び立つ音も、雪に降り立つ音もしなかった。空間を渡ってきたかのように、いきなり目の前に現れたのだった。
 雪上に、高さのある場所から飛び降りたというのに、粉雪一つ舞っていない。ありえない、と緋深は頭痛のようなものを感じつつも、怪訝そうに目を細めた。
 緋深は、若い男を注意深く観察する。
 若い男は、どちらかと言えば痩身だった。巫山戯た恰好の、もう一人の男と比べると、であるが。すらりとした、という言葉が似合いそうだ。だが、黒を基調とした、洋装にも似たすっきりとした形の服の下は、引き締められた体だろう。緋深は直感でそう思った。鍛え上げられた体でなければ、あのような動作ができるはずがない。
 粉雪一つ舞わさず現れるのは、雪が踏み固められた場所であるならば、可能なのかもしれない。だが高さのある木の上からは、薄闇を纏い始めている空の色で染められた雪の凹凸などわかるはずがない。少なくとも常人、いや緋深でも無理である。地に足がついている今の状態でも、どれだけ目を凝らしても判別が難しいほどだ。雪に馴染みがないからなのかも、しれない。だが雪に慣れているからと言って、可能なものなのだろうか。
 訝しげに目を細めていると、若い男は静かに笑った。涼やかな容貌、と言うのだろうか。目を細めるだけの動作であったが、容貌と一致しているからか様になっている。
(何なんだよ………)
 何故そのように笑われるかわからない緋深は、少々たじろぐ。
 ……緋深は、知らなかった。まさかあの女性が、この男に緋深のことを『小さな狼、まだまだ犬のような』のようである、と告げているとは。警戒心を剥き出しに威嚇するように睨み付けたり、からかわれキャンキャン吼えている-実はこの男、しばらく状況を静観していた-姿に、「ああ、言い得て妙だ」と思われているなど。

「まあ、それぐらいにしておいたらどうだい?」
「涼【リョウ】!」
 これが若い男の名前なのだろうか。咎めるように呼ばれ、軽く肩を竦めている。
「まあ、彼らにどんな事情があれ、村に連れて行くことはすでに決定されているんだ。その話は後でゆっくりと聞けばいい」
「けどなっ」
 言い募る少年に、涼は静かな声で、断言した。
「氷翠が、決めた。ならばそれが村の決定だ。村は彼らを招き入れる」
 少年は舌打ちをしつつも反論はしなかった。
(“あまい”のか?)
 自身が置かれている立場だと言うのに、客観的にそう思う。緋深は、比較的少年の意見に賛成なのだ。
 客観的に見ると、緋深と朔夜は『怪しい』だけではなく『危ない』存在でもある。なのに簡単な誰何だけで招き入れようとする。あまりにも無防備だと、招き入れる立場である緋深でさえ思う。

 もし仮に“何か”があっても、事後処理で充分対応できる、と思われている。緋深は直感的にそう思った。彼らは緋深や朔夜が村で狂乱を巻き起こそうとしても、その場で始末できるだけの力があった。何か不審な行動があれば、村人を傷つけさせる前に、殺せるだけの。緋深からすれば悔しいが、それこそ一矢報いることもできずに、できるであろう。その自信にも似た自負が、無防備にも取れる行動を引き起こしているのかもしれない。
 砂を噛んだような苦々しさに眉を顰めている緋深を一瞥した少年は、涼に向かって顔をしかめつつ尋ねた。
「というか、涼。なんでてめぇ、こんなとこにいるんだよ」
「君こそ」
 少年は、黒こげた地面を指さしつつ答えた。

「氷翠の命令だよ。君と一緒にいる少年を連れてきてくれ、ってね」
「おいおい」
 君、と指さしながら言われた男が、大げさな動作で“ちょっと待った”と口を挟む。
「何でまた?俺がいるってぇのに」
「だからじゃないのかい?」
 にこやかに、さらりと酷いことを涼は言った。少年もうんうん、と頷き納得している。流れるような動作で自然に涼は人差し指を緋深に向けた。いきなりでつい構えをとりそうになった緋深を見つつ、呆れるように涼は呟きのような声を漏らす。
「酷い凍傷を負っていると言うのに…いつまでもここで、遊んでいちゃ駄目だろう?まぁ、氷翠はそこまで見通していたようだから、僕を派遣したんだろうけど」
(大正解。良い判断。ありがとう)
 緋深は嬉しいような、悲しいような気分で、女性に感謝の意を取りあえず心中で捧げた。女性-きっと翡翠と言う-の洞察眼は、素晴らしいものである。だが、そこまでわかっているなら、できれば男と置き去りにしては欲しくなかった、とも思ってしまうのは、我が儘なのであろうか。
「で、獅吼【しこう】。彼の名は?」
「あ?」
「“君”や“彼”、では呼びづらいし、分かり難いだろう?」
 涼に尋ねられた男は、数拍反復し、-にやついた-笑みを消さずに緋深に尋ねた。
「そう言やぁ、知らねぇな。で、お前、名前は?」
 緋深は半眼で男を見た。涼と少年も呆れたような仕草で男を見ている。
 お互い様ではあろう。聞く暇がなかったと言えばそうでもある。だが、あまりに初歩的なことを忘れていたと言わざるえない、というもの事実だ。
 男以外のこの場にいる人間の気持ちを代弁するように、涼はため息混じりの声で尋ねた。
「何をしていたんだい、君は?名も聞かないなんて…」
「『はじめまして、獅吼だ。どうぞ、よろしくな。それで、君の名前はなんて言うんだい?』ってか?」
 戯けたように、大根役者のような演じ方で男が言った言葉に、緋深はぞわりと悪寒を感じた。獅吼、と言うらしい男と-嬉しくないが-出会って、まだ数刻も経っていない。だがあまりにも似合わないことで、気色悪いことだというのは、分かった。良かった。そんなことをやられずに。緋深は心底思う。
 悪寒を感じたのは、緋深だけではなかったようだ。少年が腕をさすりつつ、顔をしかめつつ獅吼を怒鳴りつける。
「獅吼、て、めぇ!…気色悪いこと言うなじゃねぇっ」
 じゃあ、どうしろって言うんだ、とからかうように男は言うが、緋深は少年に賛同である。何が悲しくて、刺すように冷たい風に耐えている最中に、悪寒を走らされなければならない。
 涼は獅吼や少年を放っておいて話を進めることにしたようだ。五月蠅い外野を無視し、緋深に向き直り声をかけてきた。
「涼、と言う。あっちの派手なほうが獅吼で、小さいほうが朱鷺風【トキカゼ】だ」
 小さい、と言う単語に反応した朱鷺風の怒鳴り声も何のその、という態度で涼は、君は、と尋ねる。
「……俺の名前を聞いても、身元はわれないぜ?」
 涼が柳眉を動かしたその一瞬を、緋深は見逃さない。身体に染みついた習性のようなものが見逃すことはなかった。
 生意気な子供、と思っているのか、図星を当てたのかまでは判断できない。それほどのほんの些細な動作であった。
 だが緋深は警戒をしての言動ではないので 本当に身元などないのだ。ならば素直に返答すればいいが、それはそれだ。侮られないため、などの理由もある。だが一番は勿体ぶりたい、とも思うのだ。緋深は、自分の名に絶対の魅力を感じているのだ。今のところ“一番の宝”と言っても過言ではないそれを、見せびらかしたい気持ちが抑えられない。
「……緋深、だ。深い緋色で、緋深」 
 笑みを湛えつつ、どこか喜色を混じらせた緋深に、好奇が混じった怪訝気な視線が向けられた。
「そりゃまた……“分かり易い”な」
「そうだな」
 獅吼の言葉だが、緋深はこの時だけは不快感を感じなかった。生理的反発を上回るほどの想いがあるのだ。にっ、と余裕な笑みを向けた。
「“あいつ”が、言ったんだ。深紅じゃなくて、優しい緋色だって、な。嫌いな“血の色”じゃなくて、好きな“紅葉のような色”に見えるから、だってさ」
 あの白く細い指先が、一度だけ頬に触れた瞬間を緋深は思い出す。半ば騙され酒を摂取したからか、真っ直ぐに視線を合わせつつ、ぼんやりと惚けたように呟いた朔夜の声を聞いた、あの初めて得た歓喜の瞬間を。
『コキアケ色、をご存じですか?深いに緋色の緋。そう書いて深緋【コキアケ】色と読みます。茜の下染めに紫根を上掛けした、紫みの暗い赤を。緋の色甚だ深くして黒くなりたることを。それが深緋色ですわ。猩々緋【ショウジョウヒ】色のような、血に似た色である雰囲気を纏う貴方が、朔夜と関わることで変わることを願い、貴方を緋深【ヒシン】、とこれから私たちはお呼びいたします。深緋のように黒くなりうるのではなく、白くなりうるように、深緋を逆に書いて、緋深、と』
 穏やかで優しい音色で、稟とした芯を覆い隠している女性が、朔夜の言葉を用いて付けられたのが、緋深の名であった。
「単純でも、何でもいい。けど、この名は俺の誇りだ。汚すことや、貶めることはぜってぇ、許さない」
 誇らしげに笑う緋深に、様々な意味合いが含まれた視線が送られるが、全てあえて無視をした。
(……会いたいな)
 早く、速く、朔夜に会いたい。先ほど離れたばかりなのに、心だけが急く。雪にまみれ震え、凍え弱っているている姿ではなく、日溜まりの下で戸惑いながらも微笑む、あの姿に。
 想いに浸っているこの最中だけは、凍傷の辛さも何もかも、忘れられるような気がした。





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最終更新日  2006年12月30日 16時31分10秒
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こんばんは。  
こもも2055  さん
拝読するたびに、自分がいかに素人で戯言に酔っているだけかが分かり、反省させていただけます。
砂葉さんのお書きになる世界・文章、すごいです。ホントにすごい。
お忙しいと思いますが、どうぞお身体に気をつけて、この厚みのある作品をじっくりと仕上げて下さいね。更新されるのを楽しみにしているこももより。 (2006年12月30日 21時02分54秒)

Re:こもも2055さん  
砂葉  さん
こんばんは。
いつも感想ありがとうございます。
>拝読するたびに、
いえいえ!それは逆ですよ、こももさん。
長編を書き上げられる精神力とか。
ちゃんとゴールに向かってかける真っ直ぐな文章とか。
いつもこももさんの文章を読んで反省、及び感嘆させられています。
なので、そのようなこと決してないですよ。
>砂葉さんのお書きになる世界・文章
そう言って頂けて、嬉しいです。
これからも頑張ろう、って気にとてもなれます。
>お忙しいと思いますが
ありがとうございます。
今は筆が乗っているので、頑張って今のうちに更新を!と思っているので。頑張ります!
こももさんもお身体にどうぞ気を付けてください。

ああ、そうです。忘れてました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
こももさんにとって、今年が良い年になりますように。 (2007年01月02日 16時42分18秒)

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