昨日、足利事件で無期懲役が確定し服役していた菅家さんが釈放された。この国の刑事裁判ってどうなっているんだろうと思ってしまう。
わが国の有罪率は99%を超える高い水準を誇って(?)いるようだ。これはどこぞの国の与党の得票率といい勝負だと思う。こんな高い支持を得る政党が国を動かしているから平気で核実験やミサイル訓練を実施できるのであろう。地方では民が飢えているというのに・・・。
ちょっと異次元の話のように聞こえるが、この事実に直面したとき、我々の国はかの国を笑えないな、って思う。かの国は国民が皆同じ方向を向いており、同じ考え方だってことを誇りたいんだと思うが、人が2人集まれば考え方が違って当たり前だということや、もし大多数に選ばれた政党の施策が間違っていたときに抑止力がなくなるということから得票率99%というのは「ありえない」ことであり、それが実現するということは為政者が選挙人に何らかの「細工」をしているということが容易に想像できる。
わが国の刑事裁判も同じ。有罪率99%を誇りたいのは、わが国では犯罪を犯した者は確実に罰せられるのだという理想を実現していると言いたいのであろう。これによりわが国では治安が安定し、安心して過ごすことができると・・・。しかし、有罪率99%ってあり得る話なのか?間違いは絶対にないのか?人間がやる捜査で、現行犯以外のものについては誰かが見ている訳ではないので絶対はないはず。だから物証や真犯人しか知りえない情報などが決め手となるのだ。これがないまま検察が起訴して裁判が行われ、天ぷらのようにほいほいと揚げていったら冤罪が多発するのは明らか。ところが、わが国は冤罪はあってはならないと言ってるけれどもそれをなくすための努力はしない。金を払ってはい、終わり。菅家さんの件だってあんなに人一人の人生を狂わせておきながら誰も責任はとらない、謝罪はしない。裁判所のいう「慎重に審理した」という人ごとのようなコメントを聞いているとまるで学生がテストで間違った解答をしてしまって、あちゃーと言っている感じにしか思えない。裁判所に限らずわが国の官僚は大体こんな感じではあるが。
わが国の刑事裁判は官僚裁判であり、同じ官僚機構の中にいる検察から上げられた情報は裁判所は疑うことなく採用する傾向にあるそうだ。裁判所は検察に恥をかかせる訳にいかないから。もちろん、裁判所も検察も一生懸命事件の解決に向かって日夜努力しているのは分かる。しかし、有罪率99%、量刑は検察求刑の8掛けが相場となっているとすれば刑事裁判は単なるセレモニーであって実際に罰しているのは検察ということになりはしないか。
冤罪の恐ろしさは2つあると思う。一つはもちろん、今回の菅家さんのように無実の善良なる市民が犯人に仕立て上げられ、その人権が完全に踏みにじられること。もう一つはそれで事件は解決したとされ、真犯人の無罪放免が確定し、娑婆でのうのうと暮らすことを許してしまうということ。言い換えれば真犯人を野放しにして解決してしまうということだ。我々の日々の生活の脅威となるのはむしろ後者で、もしそれが隣に暮らす殺人鬼だとしたら・・・と思うと背筋が寒くなる。時効問題と合わせてわが国の刑事事件の処理について考える必要がある。
さて、検察の上げてきた証拠うんぬんというところに戻るが、その中に自白調書というのがあるらしい。これは密室の中で被疑者が事件について検察取調べ官の面前で自白(?)したことを取りまとめたものであるが、よく言われるのはこの調書は「強要された」自白が書かれてあることも少なくないということ。今回の菅家さんも自白を強要されたと言っている。
よく、事件で逮捕された人が「取調べでは全面的に罪を認め・・・」「裁判では一転容疑を否認、無罪を主張・・・」などという報道がなされる。全部とは言わないが、この中には相当数の「強要自白」が含まれているのではないか。やってないことをやったと言わせるテクニックは警察、検察ともにプロだから相当なものがあるのは容易に想像できる。ものの本によると拘束中は自殺防止という名目で24時間白昼のような明るい部屋におき、熟睡させない、1週間ほど前のことを1分刻みで何をしてたか思い出させ、言えなかったら(っていうか、言える人なんていない)その記憶力は信用できないと言い出す・・・などなど、実際にやっていないのに逮捕された人にとっては逃げようのない状況になってしまう。ここで早くこの監獄のようなところ(俗にこの拘留場のことを代用監獄というらしい・・・)から抜け出したいという気持ちが勝ってしまい、うその自白(つまり、やってもいないということをやってと言ってしまうこと)をしてしまう。真実は裁判で明らかになるだろうという淡い期待をもって。
しかし、裁判所は同じ官僚機構の中にある検察から上がってきたもの、特にこの自白調書については絶対のものとする扱いをする。「あなた(=被疑者)が誰の邪魔も入らない密室で本当のことを取調官に言ったんでしょ、あなたのサインもありますよ」ってな具合。「それは自白を強要されたから・・・」と言っても「公平な立場にある公務員がそんな自白を強要なんてするはずないでしょ。」とけんもほろろ。その後有罪率99%を誇る立派な刑事裁判で有罪とされてしまうのである。
このような仕組みの中、裁判員制度がスタートした。これは何のために設けられた制度なのか?
バブル期までの古き良き時代と比べると我が国もずいぶん変わった。猫も杓子も自家用車で移動し、高速道路網の整備により速く遠くまで行けるようになるとともに外国人定住者も多くなった。価値観も多様化し、当時と比べると本当に同じ日本人なのかと思えるようなところも多々あると思う。こと、犯罪捜査についても昔であれば地域のコミュニティが今とは比べものにならないくらい堅固であったし、遠隔地への移動も公共交通が主であったため犯罪捜査は今と比べると割と簡単に(?)足がついていたのではないか。今は自家用車がある。遺体だってやろうと思えば北海道から沖縄まで運ぶことができてしまう。このように移動手段が格段に進歩し、地域コミュニティも希薄となれば捜査も難航を極めることが少なくない。だから証拠集めも難しくなる。従って刑事裁判の拠り所は自白中心になってしまう。そこで冤罪が増えてしまうのである。
このことは最高裁も当然身にしみて分かっていると思う。だからこその裁判員制度なのではないか。「我々が下した決定に市民の意見も入っている・・・・」。もし冤罪が判明しても「我々プロだけじゃなく、素人である市民も一緒に審理したから間違えた・・・」などと裁判所の免罪符に使われるのだと思う。巷で言われている裁判員制度の目的は専門バカになっているかもしれない裁判官の判断に市民感覚を入れてより公正な裁判にすることだと言われているが、そうだとするとこの制度には矛盾が多すぎる。何故指名されたら強制なのか、何故3日間で審理は終了してしまうのか、何故公判前整理手続のときは裁判官と検察だけで行われ裁判員は加わらないのか、何故裁判員には厳しい守秘義務が課せられるのか(守秘義務は当然であるが、裁判の仕組みや何が行われたかなどにまで守秘義務を課するのは何か他に意図があると勘ぐってしまう。我々も税務調査がどのように進行したかなどは納税者の情報に触れない限りOKなのに)???
実は裁判員制度導入の目的はこの免罪符の他にもう一つの重要な目的があるとのこと。ここでは書けないが、本当にそうであれば恐ろしいことだと思う。
何はともあれ、始まってしまったこの裁判員制度。有罪率99%はかの国の選挙と同じようにおかしなことだということを肝に命じてこの制度を見守る必要があろう。
繰り返し言う。有罪率99%は人間の世界では有り得ない。遠山の金さんや大岡越前を見てきた我々は刑事裁判というものを大きく誤解している。裁判では真実は分からない。真実を知っているのは真犯人だけだからだ(ときには、真犯人すら真実が分からないことがある)。仮に本当に罰せられるべき人が罰せられる割合を75%とすると99%との差24%強は冤罪ということになる。自白重視の刑事裁判はこのような悲惨な結果を招くことが少なからずあり、裁判員はその片棒をかつぐことになる。とはいえ、裁判員は国民の義務だそうであるから(憲法には納税・勤労・子女教育の3つしかないと小学校のときに習ったがその後何か変わったのだろうか・・・)、指名を受けたら自分の良心に基づいて真実は何かということに迫らなければならない。決して官僚組織のメンツを保つことに利用されてはならないと考える。
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