ジェネレーションギャップというのはいつの世も一定の時間的間隔を置いて生じるものであるが、ここ数年来、非常に大きな世代交代の波が押し寄せているのが実感できる。
想像するに、私(昭和45年生まれ)の祖父から父の世代のそれは戦前の軍隊中心の社会と戦後の自由民主社会の差であったり、ヨーロッパ崇拝とアメリカ崇拝の差であったりしたのであろう。おそらく、祖父たちの世代の話を聞いた父たちは育った環境や社会が全く違うものであることを実感しつつ、祖父たちのことを苦労人と思ったに違いない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた世代であるからだ。
父たちの世代はどうであったか。子供の頃は戦後直後ということもあって食うにも困った幼少期を過ごした人達が大半であったろう。しかし、青年期を迎えるあたりから世界史上まれに見る経済発展を目の当たりにし、働くこと=生きることであるかのようにがむしゃらに仕事をした。一億総国民が皆豊かになるという夢を共有しつつ一生懸命になれた時代だったのだと思う。そして物質的に豊かになるという夢が少しずつ実現し、明治以来、欧米に追いつき追い越せという国家目標をこなしていったのである。
さて、時を超えて現代。我々が働き盛りとなった今においては「不景気」が日常用語となり、「景気が回復した」と政府が言っても実感なき景気回復と言われるようになった。では、どのようになれば景気回復を実感できるのか?おそらく、先に述べた父たちの働き盛りだった頃の経済成長を見なければそう感じないという人が多いのではないか。
父たちの時代と今の時代で変わったことを思いつくままに羅列してみる。1.上場企業の倒産は原則として考えられなかったが今は日常茶飯事 2.終身雇用制度が崩壊し、ゆりかごから墓場までというのは幻想となってしまった 3.ボーナスは生活給と思われていたが、今や出ない中小企業も珍しくなくなってしまった 4.貯金していれば10年で元金が倍になる利率で運用できたが、今やそのようなローリスクハイリターン商品がなくなってしまった 5.まじめにさえやっていれば仕事はあったが、今は失業率も高くなってしまった 6.何と言っても、仕事をしていて利益率が低くなってしまった などなど。今となっては父たちの時代がうらやましいと思うことが多々ある。
こんなうらやましい状態にならないと景気回復を実感できないという方が多い中、今からこれらの状態が実現する可能性はあるのか?私の私見では、残念ながら日本の領土・領海から資源でも出てこない限り不可能であろう。なぜか。
父たちの時代に数十年に渡り右肩上がりの経済成長を遂げてきたわが国。このようなことを実現できたのは何故かということを考えてみればその再現は不可能であるということはすぐに分かる。
私の親父にその理由を聞くと多分、「アメリカが戦後、助けてくれたのと、日本人が勤勉だったから」という分かったような分からないような答えが返ってくると思う。誰に聞いても大体、このような感じの答えになると思う。もちろん、日本人が勤勉だとか、識字率が高いだとか、教育が他国に比べ一環しておりある程度のレベルのものであったということは大きく寄与している。しかし、この右肩上がりの経済成長をもたらしたのはいうまでもなくアメリカだ。アメリカが日本に何をしてくれたからこのような世界史上まれにみる経済成長を遂げることができたのか?
大きく2つあると思う。一つは戦後アフガニスタンのようになっていた(そこまでひどくないかも・・・)焼け野原のわが国の社会環境を整えてくれたこと。憲法を作り、民主的な社会となるべく法整備や資金・物資の援助などありとあらゆる手をかけてくれた。これも経済成長の一因であることは確かである。しかし、これだけでは今日本が経済援助を行っている東南アジア諸国がかつての日本のようにならないように、日本もこのような経済発展はできなかったであろう。物資などの支援については私の親父もよく知るところであるが、戦後の経済発展の本当の原動力は実はこれではなく、もう一つの原因によるところが大きいのである。
もう一つの原因とは・・・・?
先日、アメリカの自動車メーカーのダイムラークライスラーとゼネラルモータースが経営破たんしたのは記憶に新しいところである。特にゼネラルモータースについてはあのトヨタより規模が大きく(販売台数はここ数年でトヨタが逆転していたが)、世界に君臨し続けてきたということだから、その会社が破綻したというのはとても大きなニュースとなった。しかし、日本を離れたことのない私にはピンとこなかった。何故か。ゼネラルモータースの車が走っている姿を見たことがないから。日本にいるとゼネラルモーターズよりスズキ、ダイハツの方が大きい会社に見えてしまうのだ(ちょっと極端かもしれないが、実際によく見る車を作っている会社の方が大きく見える)。このことが戦後の経済成長をもたらしたもう一つの、そして最大の原因だ。
つまり、戦後アメリカは日本に対して一方的な「市場開放」をしたのである。「戦争に負けて一文無しのようになってしまった日本よ、私(=アメリカ)が立ち直る準備をしてあげるよ。まずは資金援助などでその弱った足腰を立て直しなさい。そしてわが国に入ってきて好きなように物を売ってもかまわないよ。かといって、君の国で商売するようなことはしないから」と。
長年にわたり、日本は東南アジア諸国に経済援助をしているが、それらの国に同じようなことをするだろうか。「日本で好きなだけ物を売ってもいいよ、逆に君達の国で物を売るようなことはしないから」などという政策を今とろうものなら、恐らく総理大臣の首が飛ぶであろう。外貨が流出し、国内産業が低コストの新興国により壊滅的なダメージを受けるからだ。実際、このような政策をとったのは世界史上でも戦後のアメリカしかないそうだ。そりゃそうだろう。普通は自国の市場を特定の国に一方的に開放し外貨を流出させるような無謀な政策はとらない。しかし、アメリカは日本に対してそれをした。日本にしてみればアメリカは「金の成る木」だった訳だ。何せ、市場規模が大きい。そこで好きなようにモノを売ることができる。一日24時間体を粉にして働けばその分の利益はいくらでも取ってくることができたのだ。今でもそのような関係は続いている。日本でアメリカの車は走っていないが、アメリカではトヨタやホンダの車が走っているというのがこの関係の象徴的なものといえるだろう。また、ベトナム戦争や朝鮮戦争の特需で我が国にアメリカンマネーが落ちていることも事実である。
では、何故アメリカがそこまで日本に肩入れしたのか。答えは一つ。「日本を共産国家にしたくなかったから」。これに尽きる。当時はソ連とアメリカの東西冷戦が長く続いておりアジアにどうしても自由主義国家を置いておく必要があった。アメリカののど元にはキューバという共産主義国があるのと同様、日本や韓国、台湾などは地理的にもソ連の近くにあるため、アメリカの同盟国としての役割を担わせたかったのである。
まとめると、日本の戦後の経済成長は次の要因が重なったから実現したといえよう。1.自由主義国家と共産主義国家という世界を二分するイデオロギー対立があったこと 2.日本が地理的にアメリカの同盟国となるに都合のいい場所に存在したこと 3.第一次大戦、第二時大戦ともに勝利したアメリカが富を蓄えていたこと 4.アメリカが日本に対しお人よし過ぎる厚遇をしてまで自国の国益を守ろうとしてくれたこと
しかし、その後日本がどんどん大きくなって世界第2位の経済大国になろうとは夢にも思わなかったと思われるが、バブル経済の時代にそれが極まり日米貿易摩擦とかオレンジ輸入交渉とかスーパー301条とか(どれも懐かしい言葉・・)、優遇しすぎてきた制度の見直しを迫る外交交渉が行われたのだ。
さて冒頭の問いに戻るが、このような父たちの時代のような恵まれた経済環境がもう一度出現して景気回復を皆で実感できる日はくるのだろうか。
今や東西冷戦というイデオロギー対立がなくなって20年を経過しており、アメリカにとっても日本を優遇する理由がなくなった。だからアメリカも在日軍隊の規模を縮小する方向に入っている。経済も東アジアでは日本一辺倒だったのが規模的な魅力から中国にシフトした。つまり、日本のかつての「金の成る木」はみるみるやせ細っていってしまっているのだ。かといって他に「金の成る木」というのはあるのか。海洋資源でも出てこればそれに取って代わるだろうが、そんなものあるのかどうかも分からずすぐに期待できるシロモノではない。つまり、日本の「金の成る木」はもはや姿を消しつつあるということだ。
「金の成る木」に支えられた父たちの恵まれた時代は遠い昔の話となり、いまや年金をはじめとした政府の財源も枯渇してきている。「実感できる規模の景気回復」というのはもはや幻想であり、あの時代の経済成長は世界史上唯一の異常事態だったということを認識して前向きに生きていくのがこれからの時代を生きる我々の選択ではないだろうか。
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