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キネマ旬報という雑誌に、香川照之さんの記事が載ってました
内容は、年末の紅白や感謝祭のましゃのことです
全部は内容をUPできませんが、香川さん目線のましゃのことが載っていて面白かったので、抜粋し紹介しますね
~省略~
ある日、歯のメイクの汚染度を一段下げて登場してみた私に、福山雅治は眉を曇らせ囁いたのだった。「寂しいなぁ。まだ落とさないで下さいよ。何か弥太郎じゃなくなるみたいじゃないすか」
見事に澄み切った声であった。爽やかとはこのことだった。東芝レグザも売れるわけだ。
~省略~
時は経て・・・とっくに役から抜け出していいはずの福山雅治が図らずも漏らした「年末のライブの前に髪を切ろうかと。凄く面倒なんですよ、ここまで長くなると」という発言に、私はピクンと反応した。
~省略~
「えっ?切らないでよ!」
「いや、ここまで伸びると本当に纏めるのが難しくて・・・」
「寂しい。寂しい。じゃあせめて今年中は・・・年末までは・・・」
「そうですかあ・・・」
~省略~
発端は、今年で十回目を迎える年末恒例の福山雅治大感謝祭コンサートで流す、これも恒例の「マシャの一年を振り返るビデオ」のナレーションを弥太郎で担当してくれ、と福山本人から私の元に連絡があったことに始まった。
もう全て終わったと思っていた岩崎弥太郎の仕事。が、福山はまだ私に、弥太郎としての仕事をこの年の瀬にも振ってきたのだった。ところが、CMだのDVDだのの現代用語を「平成二十二年~」とか言いながら弥太郎のナレ口調で読み上げられるとこれがもうやたらに可笑しく、もしかしたらこれが今年一番の仕事ではないかと思えるほどの出来映えに、今度は私の方が、弥太郎と別れるのが急に寂しくなってしまった。
~省略~
コンサート会場の大画面で、ビデオ出演とはいえあの血気盛んな弥太郎が再び民衆の前に姿を出せる喜びに、私自身気が大きくなっていたこともあるだろう。私は福山に、岩崎弥太郎としてその機会に何某かのお別れをしたいと話を振ってしまった。後日電話で。コンサート用のナレーションを収録したのがクリスマスだったから、確かその翌日とかのはずだ。
恐らくその時、福山の頭の中で何かが動いた。あとで分かったことだか、実はそこから・・・福山龍馬最後の大仕事が始まっていたのだ。
~省略~
年の最後の大舞台に、こんなにも冷や冷やする企画をあっさり思い付き、企画してしまうとは・・・
その二日後・・・送られてきた紅白の進行台本を見て私はシビれる。髪を切る。福山の、いや龍馬の。公開の断髪式。一万を超える大観衆の前で。違う。四十パーを超える視聴率の生放送の番組の中で。
~省略~
そんなつもりは毛頭なかったのだが、金のハサミをてにした私の手は震えていた。手が震えたのは何年ぶりか。
~省略~
一方、福山雅治の表情は・・・どこか一点を見詰めたままじっと身動ぎもせず、切腹に臨む潔い武士のようだった。
切った。三十センチはあろうか。まるで湯気が立ってるようだった。生きてるようだった。しかし、これが坂本龍馬の最後の姿なのだ。除夜の鐘が鳴る。格別な年末に違いない。私にとって。福山にとって。ただでさえ指一本で一万の観客を動かしていたあのスターは、この一年でとんでもない境地へと旅立ってしまった。二〇一一年。福山雅治から目が離せない。
私の記憶が正しければ、香川さんの歯の汚れがなくなるのは寂しいって言ったのは、高知ロケの時でした。
お二人にとっても、格別な1年だったことが感じられますが、私にとっても格別な1年。
弥太郎さんが最後に言った言葉、
「おまんらぁ、ライブという大舞台に舞い戻ったヤツの姿を、 しっかとその目で確かめるがゼヨ!」
私は、この最後の一言が今でも涙が出そうです。
この記事を見た時、何とも言えない気分になり、私は思わず買って帰りました。