佐竹台8丁目25番地―12

#1小川博文選手


小川博文選手で!!
ミスチルファン1974さんのネタ振り が、
このコーナー開設のきっかけですから、感謝の意を込めて。)

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1989年、阪急がオリックスになった、
「オリックスブレーブス」の1期生、
ドラフト2位で入団しました。

球暦は、拓大紅陵高校―プリンスホテル
―オリックス('89~'00)―横浜('01~'04)。
偶然にも、背番号は常に「23番」でした。

高校時代は二塁手だったそうです。

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入団した年に、それまで遊撃のレギュラーだった、
弓岡敬二郎選手からポジションを奪い、
「9番・遊撃」で活躍。
「ブルーサンダー打線」の一角を担っていました。

その後、ブレーブスが'91年~「ブルーウェーブ」になっても、
基本的にレギュラーを保ち続けます。

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そして、仰木監督体制になったのが'94年。

これがきっかけで、結果的に彼は、
とある記録の保持者になりました。

'94年は1番イチロー、2番福良、3番小川の
「3割トリオ」で大活躍。
このときは三塁手でした。

しかしこの年は優勝争いはしたものの、
打者の中軸陣がことごとくダメな年でした。

タイゲイニー、キャブレラ両外国人や
高橋智、藤井康雄選手たち。

なので、8番捕手高田、9番遊撃勝呂と、
先述のトリオ、この5人が「レギュラー」で、
本来中軸であるべき4番から6番、7番にかけてが
日替わりメンバーでした。

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そして'95年には、BWパリーグ制覇に貢献。

日本シリーズ第4戦、3連敗で迎えた神宮球場、
BW0-1S、場面の9回表に、先発・川崎憲次郎から、
起死回生の同点HRをレフトに放ちました。

これが無ければ4連敗でシリーズ終了でしたし、
何よりこの試合の11回裏の

「T.オマリーvs小林宏の14球」

という歴史的な名勝負は存在しませんでした。

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'96年には日本一にも貢献。
ただ、起用法・打順に関しては
仰木マジックの「猫の目打線」の中で、
様々な打順・ポジション(主に遊撃・二塁)で
起用されることになります。

結構2番、5番、6番、7番あたりが
多かった記憶があります。

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そして、'99年、この年は5~6月にかけては
それまで無かった「1番」での起用が多かった年でした。

そして、この年の6月
(※日付、対戦相手は不明です、ご指摘いただければ…)に、
ついに「1番打者」としてHRを打ち、
「全打順HR」という史上5人目の快挙を達成したのです。

(その前には、元F・古屋英雄、元B松永浩美、現F田中幸雄、そして現M堀幸一がいました)

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ただ'00年には出番が少なく、前半の優勝争いをしていた頃は
6番1塁で、相手が左腕のときに出場していました。
(右腕のときは、藤井康雄さん)

その後、後半になると、怪我人も続出したことから、二塁手等でも出場。

成績は打率.261,HR5本と少々さびしかったものの、打点45は
相変わらずの勝負強さでした。
(こちら参照)

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そして'01年からは3-3のトレードで、横浜ベイスターズの一員となりました。

この年は主に三塁手として活躍。
ただ、守りを身上とする森祇晶氏率いるベイスターズの、
セリーグ・チーム連続無失策記録を18で止めてしまったのは彼でした…。
(こちら参照)

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しかし、このトレードは、結果的には正解だったと思います。
この年の小川選手は久々の規定打席到達。
ただ、規定打席到達はこの年が最後でした。

結果は、打率.266,HR15本、打点65と、見事に復活しました。
(成績はこちら参照)

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翌'02年は打率.261,HR7本、打点44、と
そこそこの結果は残したものの、
(成績はこちら参照)

翌'03年には打率.259,HR4本、打点17。、
(成績はこちら参照)
出場機会も減り、
無償でのBWへの復帰トレードされる予定が立てられました。

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しかし、BWの新監督だった伊原春樹氏がこれを拒否し、
YBはその前年に2年契約を結んでいたために、
「戦力外前提での契約」という屈辱的な内容で、YBと契約。

そして'04年、全く一軍での出場機会が無いまま、
引退することとなりました。

'95年の日本シリーズで同点HRを打った相手・川崎投手と
同じ年に引退、というのも、何かの因果でしょうか。

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今年からは、新生・オリックスで、球団職員として、
新たな人生を歩むこととなりました。

今後の人生、幸多からんことを祈るのみです。

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そんな小川博文選手の観戦の思い出、で真っ先に思いつく試合が
2試合あります。

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1つ目は、先述の「3割トリオ」の'94年8月の神戸でのBW-L戦。
(この試合はBW先発が野田で、9回に逆転負け食らったのは
覚えているのですが、日付は覚えていません…
確か15日とか16日とかだった気が…。スコアBW5-6or7Lだったような…)

この試合の中盤で、(得点背景やイニングは覚えていないんですが)
無死一、二塁の場面で、小川選手に打順が回りました。
そして、バントの構えを見せました。

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このときのLは森祇晶監督最後の年。
当然「キッチリした」野球をやってくるチームでした。

この場面では

・三塁手は三塁ベースから動かず。
・一塁手は本塁へ猛ダッシュ。
・投手も、投げ終わると同時に、三塁側の方へ猛ダッシュ。

して、「走者遅らせじ」とする「封殺シフト」を敷いてきました。

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しかし、小川選手は、キッチリと捕手の前に、「叩きつけるような」、
ワンバウンドして高く上がるバントを決め、見事に送りバントを成功させたのです。

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このように、小川選手は、状況に応じて
小技をそこそこ器用にこなせる選手でした。

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'01年に、当時YB監督だった森監督がトレードで彼を欲しがったのも、
このような「器用さ」が魅力だったのでは?と思っています。

(実際、交換要員だった進藤達哉選手は、守備は「職人」でしたが、
バントに関してはあまり上手な選手ではありませんでした。)

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そしてもう一つは'98年8月8日のBW-H戦。

得点経過は覚えていないのですが、8回裏、BW2点ビハインドの場面。
(BW1-3Hだったかな?)

BWはこの回の頭の3番から5番まで左打者が続くこともあり、
Hは、8回頭から、左腕・吉田修司にスイッチ。

しかし、それを嘲笑うかのごとく、3番イチロー、4番ニールの連続HRで
BWが追いつきました。

ここで、Hは次の5番が左打者の藤井康雄選手であるにも関わらず、
右腕・岡本克道に交代。
(ちなみに3連発を期待しましたが、康雄さんは力みすぎたのか2ゴロでした)

2死後、7番C・D(クリス・ドネルス)が一二塁間を破るヒット。

そして打順が回ったのが8番の小川選手。

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カウント等は忘れましたが、小川選手の打球は右中間へとライナー性で
ライトスタンドで観戦していたこちらの方に飛んできます。

そして、「ググッ」と伸びた打球は、そのまま右中間最前列へ。

鮮やかな逆転弾となったのでした。

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199「8」年「8」月「8」日に、「8」回裏、「8番」・小川の決勝HR。
まさにこの日のラッキーナンバーは「8」の日でした。

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ただ、蛇足ですが、

この日はこの逆転弾の後、

対戦相手のファンの人の一部が
自軍の監督を誹謗・中傷する内容の横断幕を
フェンスに出してしまい、
審判の方がやって来て試合が中断したり、

帰りがけ、阪急三宮駅で、「火ぃつけたい気分やわ!!」と
大声で携帯で電話する方に出くわした、ということもあり、

勝った試合なのに、少し「モヤッと」感が残った、ちょっと残念な試合でした。

(勿論、そういう方たちはごく一部の人たちで、
大多数の方々はそういう方では無い、
という事実は、一応認識しているつもりです。)

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話を戻して、小川選手の一番の売りは思い切りのいいスイング、
そして、右打者なのに、不思議とライト方向に
「ググッ」と伸びてくる打球が魅力でした。

YB移籍後も、TVでG-YB戦を見ていて、ライト方向へのHRを見て、

「さすがだな、やっぱりライト方向に打球ググッと伸びるな」

と感じたのを思い出します。

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こんな感じで、このコーナーでは、
思い出の元BW選手(引退された方限定で)と、
その選手にまつわる観戦時の思い出を
今後も綴っていこうと思います。

もちろん、従来の観戦記の方も、今後更新していくつもりです。


['05/02/15]


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