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岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 IT革命の哲学的意味とは・・岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 BT(バイオテクノロジー)革命の哲学的意味とは・・岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか・・ トマ・ピケティ『21世紀の資本』で指摘されたこと・・ 1800年以降、1910年まで、 ヨーロッパでは、トップ1%の人が、全体の60%を超える富を占め、 トップ10%の人が、全体の90%の富を占めていた。 その後、1950年までは、格差が縮小し、トップ10%の占める割合は全体の60%強まで 下がったが、1970年を境に、再び格差が拡大している。 同様な傾向は、米国も同じ。 この傾向が続けば、世界的に格差が拡大していく。≪そもそも、資本主義は自由な経済活動を根本とするかぎり、格差は必然的に発生するはずです。≫ 社会主義でないかぎり、ある程度の格差は許容すべきなのでしょうが、 はたしてそれはどの程度なのか? 現在、格差問題に対して腹を立てている人にとって、 「格差は経済ではなく政治問題」なのである。 米国においては、≪格差拡大の原因は、大企業と政府が結びつき、政府が「大企業やウォール街、金権政治家が 望むことに力を入れている」から≫である。 「1%の大企業のための政治」から、「99%の国民のための政治」への転換を要求している。 また、格差問題そのものの多くは、 「貧困問題」として捉え、解決されるべきことである。 グローバル化は、人々を国民国家から解放するか? ダニ・ロドリックは、『グローバリゼーション・パラドクス』において、 グローバリゼーションにおけるトリレンマを指摘しています。 すなわち、 ・国民国家 と ・民主主義 と ・ハイパーグローバリゼーション の3つを同時に成立させることはできない。 1.もしハイパーグローバリゼーションと民主主義を望むなら、 国民国家はあきらめなければならない。 ex.世界連邦制 2.もし国民国家を維持しつつ、ハイパーグローバリゼーションも望むなら、 民主主義のことは忘れなければならない。 ex.ネオリベラリズム 3.もし民主主義と国民国家の結合を望むのなら、グローバリゼーションの 深化にはさよならだ。 ex.賢いグローバリゼーション ロドリックは、3を採用し、「賢いグローバリゼーション」と呼ぶ。「私の選択を言わせてもらうと、民主主義と国家主権をハイパーグローバリゼーション よりも優先すべきだと思う。 民主主義は各国の社会のあり方を守るための権利をもっており、グローバリゼーションの 実現のためにこの権利を放棄しなければならないのであれば、後者を諦めるべきなのだ。・・ われれれは最大限のグローバリゼーションではなく、 賢いグローバリゼーションを必要としている。」 <目次>第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか・ポストモダン以後、哲学はどこへ向かうのか・「真理」はどこにも存在しない・人間消滅以後の世界をどう理解するのか・道徳を脳科学によって説明する第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか・人類史を変える二つの革命・スマートフォンの存在論・シノプティコン――多数による少数の監視・ビッグデータと人工知能ルネサンス・人工知能によって啓蒙される人類?第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか・「ポストヒューマン」誕生への道・人間のゲノム編集はなにを意味するのか・クローン人間の哲学・不老不死になることは幸せなのか・犯罪者には道徳ピルを飲ませる?・第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか・近代が終わっても資本主義は終わらない?・格差は本当に悪なのか・自由主義のパラドックス・フィンテック革命と金融資本主義の未来・グローバリゼーションのトリレンマ第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか・多文化主義から宗教的転回へ・多文化主義モデルか、社会統合モデルか・宗教を科学的に理解する?・グールドの相互非干渉の原理・創造説とネオ無神論第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか・経済活動と環境保護は対立しない?・環境プラグマティズムは何を主張しているのか・地球温暖化対策の優先順位は?・終末論を超えて
2017.01.05
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岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 IT革命の哲学的意味とは・・岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 BT(バイオテクノロジー)革命・・ 現代におけるバイオテクノロジーの発展は、私たち「人間」をどこに導くのか? バイオテクノロジーの進化の歴史・・ 1950年代 DNAの「二重らせん」構造、生命科学 1970年代 試験管ベビー誕生、遺伝子工学 1990年代 ヒトゲノム計画、体細胞クローン牛誕生 人体の改変をめぐる論争・・ 科学者のグレゴリー・ストックは、 バイオテクノロジーの成果を積極的に取り入れ、 「費用、安全性、有効性」の条件がクリアされるならば、人間に対する遺伝子組み換えも 賛成すべき、と主張する。 現代のバイオテクノロジーは、「ポストヒューマン(人間以後)」に導く。 生殖細胞系列の遺伝子改変とは、具体的には、受精卵に対して遺伝子操作を行うこと。 この技術によって、遺伝子が改変されると、それが次の世代へ引き継がれていく。「私たちの子孫を、現在使われているような意味で 人間とは呼べないほどに現在の人類とは違ったものに変えてしまうことができるかもしれない。」 バイオテクノロジーは、優生学を復活させるか? ナチス型の優生学と、現代の優生学とは何が違うのか? ナチス型では、国家や組織が主体となって、個人の生命に対して、強制的に介入した。 一方、現代の優生学は、どのような子どもを産むかは、親やカップルの自由に任せられており、 リベラルな優生学と呼ばれている。 子どもの遺伝子改良は、子どもへの早期教育が、少しだけ早くなったにすぎない。 ・・む、む、む(>__
2017.01.03
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岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」 20世紀後半に起こった、人類史を決定的に展開させた2つの技術的な変化・・ それは、BT(バイオテクノロジー)革命とIT革命である。 まずは、IT革命についての考察から。 「スマートフォンの存在論」・・ かつてマーシャル・マクルーハンは「メディア論」において、 書物の時代が終わり、映像や音声の時代になり、「書くことの時代」は終わった、といった。 しかし、マウリツィオ・フェラーリスは、このマクルーハンの規定に意を唱え、 「ドキュメント性」の概念を唱える。 現代はむしろ、「書くことのブームへと向かっている」と考える。≪「少しずつ、私たちは話すのをやめ、書き始めた。 今や一日中書いている。」≫ 「ドキュメント性」の特徴には、以下の3つある。 1.公共的なアクセス可能性 2.消滅せずに生き残ること 3.コピーを生み出せること 「アラブの春」は、スマホで撮られた映像が全世界に拡散したことによって実現した。 つまり、「IT革命が民主化を可能にした」ともみることができる。 しかし、SNSは民主化のツールとだけみることはできない。 民主化運動の中で撮影された映像は、同時に「監視の手段としても利用される」。 私たちが日常的に利用している、各種カードやAmazon、Facebook、Googleなどの利用履歴は、 日々、蓄積していく。 その結果、「スーパー・パノプティコン」(ジェレミー・ベンサムが考案した 監獄「パノプティコン」(一望監視施設))が出現する。 かつての「パノプティコン」が、「監視する者」が向う側に控えており、 「監視される者」は、個人的に特定され、その情報が蓄積された。 それに対し、現代のデジタルな監視では、「監視される者」が誰であるかは問題にならず、 「監視はいわば自動的に行われていく」。 すなわち、私たちは「ITが生み出した自動監視社会」を生きることになる。 人工知能が人類にもたらすものは何か? チューリング・テスト・・人工知能が、人間のような知性(知能)を持っているか否かの判定を行う。 しかし、チューリング・テストを超えても、人工知能には以下の課題がある。 1つは、ジョン・サールの思考実験「中国語の部屋」。 チューリング・テストは、問いの中身を理解しないまま、用意されたルール・ブックを基に回答 するだけである。 だから、チューリング・テストが完全にクリアできたとしても、コンピュータが人間のように心を持ち、 理解することはできない。 もう1つは、ダニエル・デネットが思考実験「フレーム問題」。 人工知能が具体的な場面で行動を起こすときに、目的に関して関係のある結果と関係のない結果を、 ロボットが見分けることはできない。 ・・といいつつ、私たち自身、「フレーム問題」を解決してから、行動しているわけではない。 もっといい加減なもの((+_+)) レイ・カーツワイルは、「技術的特異点(シンギュラリティ)」という概念を提唱する。 2045年には、人工知能が人間の知能を超える。 その結果、アメリカの全雇用の47%がコンピュータによって失われる。 ただし、「技術的失業」が起こったのは、歴史的に今回が初めてではない。 19世紀初、「機械」によって、大量の失業が発生した。 しかし、かつては「ルーティンな仕事」が奪われたのに対し、 今回は、ホワイトカラーや医者・教師などにまで及ぶ。 さらに、IoT(モノのインターネット)の導入により、「自律型の人工知能」は浸透する。 その動向は、近代社会の未来に対して、アドルノとホルクハイマーが「啓蒙の弁証法」と名づけた 世界が出現するのではないか。「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、 一種の新しい野蛮状態へと落ち込んでいくのか。」 合理的な「啓蒙」が、やがて自分自身を否定するようになり、 「反・啓蒙」である神話や暴力へと転化する。 そんな世界が、「技術的特異点(シンギュラリティ)」の前後に出現するかもしれない(>_
2017.01.03
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岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」ダイヤモンド社2016年刊 冒頭、本書の問題意識を、フーコーの言葉で紹介されています。≪「たった今進行しつつあることは何なのか、 われわれの身に何が起ころうとしているのか、 この世界、この時代、われわれが生きているまさにこの瞬間は、 いったん何であるのか」ということであった。・・ われわれは何者なのか・・歴史の特定の瞬間において。≫ 本書で取り扱うこと・・1.哲学は現在、私たちに何を解明しているか?2.IT革命は、私たちに何をもたらすか?3.バイオテクノロジーは、私たちをどこに導くか?4.資本主義制度に、私たちはどう向き合えばいいか?5.宗教は、私たちの心や行動にどう影響をおよぼすか?6.私たちを取り巻く環境は、どうなっているか? 哲学史のおさらい・・ 17世紀、近代哲学が起こしたのは「認識(知識)論的転回」と呼ばれている。 主観と客観の関係にもとづいた「意識」の分析に集中した。 その後、19世紀末から20世紀初めにかけて、 言語論的転回が引き起こされる。 「言語」を分析することが、哲学の主要なテーマとなった。 ≪(言語的哲学とは)哲学の諸問題は言語を改革することによって、あるいはわれわれが 現在使っている言語をよりいっそう理解することによって、解決ないし解消するという見解≫である。(リチャード・ローティ) 21世紀におけるポスト「言語論的転回」・・ 1.自然主義的転回(認知科学的に「心」を考える) チャーチランド、クラーク 2.メディア・技術論的転回(コミュニケーションの土台になる媒体・技術から考える) スティグレール、クレーマー 3.実在論的転回(思考から独立した存在を考える) メイヤスー、ガブリエル まだ訳がないようですが、ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』・・読んでみたいですね(^^♪<目次>第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか・ポストモダン以後、哲学はどこへ向かうのか・「真理」はどこにも存在しない・人間消滅以後の世界をどう理解するのか・道徳を脳科学によって説明する第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか・人類史を変える二つの革命・スマートフォンの存在論・シノプティコン――多数による少数の監視・ビッグデータと人工知能ルネサンス・人工知能によって啓蒙される人類?第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか・「ポストヒューマン」誕生への道・人間のゲノム編集はなにを意味するのか・クローン人間の哲学・不老不死になることは幸せなのか・犯罪者には道徳ピルを飲ませる?第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか・近代が終わっても資本主義は終わらない?・格差は本当に悪なのか・自由主義のパラドックス・フィンテック革命と金融資本主義の未来・グローバリゼーションのトリレンマ第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか・多文化主義から宗教的転回へ・多文化主義モデルか、社会統合モデルか・宗教を科学的に理解する?・グールドの相互非干渉の原理・創造説とネオ無神論第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか・経済活動と環境保護は対立しない?・環境プラグマティズムは何を主張しているのか・地球温暖化対策の優先順位は?・終末論を超えて
2017.01.02
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史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち [ 飲茶 ]飲茶「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(河出文庫)2016年刊 東洋哲学の本質、丸わかり。 飲茶さん、素晴らしいです(^^♪ 西洋哲学は理解できる。もちろん西洋哲学には「難解」のイメージはあるが、 それは「理解が難しい」のであって、「不可能」なのではない。 しかし、東洋哲学は、どんなに時間と労力をかけて学ぼうと、むしろ時間と労力を かけるほど「理解」から遠のいていく。 なぜなら、東洋哲学とは、「学ぶこと」では決して理解に達することはできないものであるから。 西洋哲学には、「真理」に到達すべく、先人の論を乗り越え、より優れた論を求め、 高みへ高みへと一歩ずつ登っていくイメージである。 一方、東洋哲学は、ある日突然、「真理に到達した!」と言い放つ不遜な人間が現れ、 その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたものであるといえる。 西洋哲学は、「世界の根源とは何か」「絶対的に正しいことは何か」といった、 「人間の外側」にある「何か」について考えた。 一方、東洋哲学は、それとまったく異なり、「自己」という「人間の内側」にある 「何か」について考えた。 つまり、東洋と西洋は、「関心のベクトル(方向性)」がちょうど逆だったのである。 東洋哲学が到達した「真理」とは何か。 それは「自己(私)の本質」についての偉大な洞察である。 しかし、この「真理」は、「知識」としてみんなで共有することができるものではなかった。 だから、 東洋哲学では、聞き手が「あなたの言っていることを理解した。わかった」と言ったとしても、 「いや、おまえは、ホントウはわかっていないのだ」とその理解を否定するという ヘンテコな場面が生じる。 なぜなら、東洋には、「知識として知っただけでは、ホントウにわかったことにはならない」 と考える独特の風習があるからだ。 つまり、東洋では、知識を持っていることも明晰に説明できることも、 「知っている」ことの条件に含まれない。 なぜなら、東洋では、「わかった!」「ああ、そうか!」といった体験を伴っていないかぎり、 「知った」とは認めらないからだ。 「体験というものは、原理的にいって他人に伝達不可能である」 江頭いわく、「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ? こんな簡単なことさえ言葉にできない。だから俺、もっと頑張るよ」 東洋哲学は、「頑張る」しかない。 仏教における様々な戒律、禁欲的な生活規則などを守ったりして。 しかし、そんな戒律で得られることはたかがしれている。 戒律などは・・・ウソ、方便にすぎない。 ウソも方便。でも、これこそが東洋哲学の本質である。 「説明による伝達不可能性」という致命的な問題を抱える東洋哲学は、手段を選ばず 「ウソ(方便)」という反則技を持ち込んだ。 しかし、このウソは効果満点。人生が360度ひっくりかえってしまうほどに効いた。 東洋哲学を、この「ウソ(方便)」に惑わされて、非科学的と単純に評してはならない。 これらは、「体験的理解(悟りの境地)」を起こすために2500年かけて洗練され 続けてきた人類の遺産、道具主義に基づく偉大な哲学体系なのである。≪ある禅師が悟ったとき、周囲の人たちは彼にこんなことを聞いた。 「悟るとどうなるのですか? 何が起こりましたか? まず何をしましたか?」 その禅師はこう答えたと言う。 「別に何も変わらなかったよ。ただ『茶』を一杯所望しただけさ。 だってお茶を『飲』んで目を覚まし、いまを味わって生きる。 それ以外ほかに何かすることがあるだろうか」≫<目次>第一章 インド哲学 「悟りの真理」・ヤージュニャヴァルキヤ、釈迦、龍樹第二章 中国哲学 「タオの真理」・孔子、墨子、孟子、荀子、韓非子、老子、荘子第三章 日本哲学 「禅の真理」・親鸞、栄西、道元、十牛図
2016.11.30
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【バーゲン本】パスカル パンセ抄 [ ブレーズ・パスカル ]ブレーズ・パスカル「パスカル パンセ抄」訳 鹿島茂飛鳥新社2012年刊≪精神の疲労回復と快楽≫ ちょっと意外な処方箋でした。≪疲労回復のため以外には、精神に休憩を取らせるべきではない。 また、疲労を回復させるといっても、それは適切なときに限られる。 タイミングのいいときに疲労回復をさせるべきで、それ以外はだめだ。 というのも、タイミングを外して疲労回復を命じると、逆に人を疲れさせる ことがあるからだ。 また、タイミングを外して追い込みをかけると、 こんどは、疲労を決定的に回復させることになりかねない。 というのも、そうなったら最後、人は切れてしまって、すべてを投げだすからだ。≫ ・・このタイミング、当人にとって見極めはとっても難しいです。 でも、マネージャがわかるか?というと、それもまた微妙です((+_+))≪死について考えること≫≪死というものは、そのことを考えずに、突然それを受けるほうが耐えやすいものである。 これに比べて、死について考えることは、たとえ死の危険がなかったとしても はるかに耐えがたいものである。≫≪考える葦≫≪人間は一本の葦にすぎない。 自然の中でも最も弱いものの一つである。 しかし、それは考える葦なのだ。 人を押し潰すためには、全宇宙が武装する必要はない。 蒸気や一滴の水でさえ人間を殺すに足りる。 しかし、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自然を殺す宇宙よりも気高いと言える。 なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを 知っているからだ。宇宙はこうしたことを何も知らない。 だから、わたしたちの尊厳は、すべてこれ、考えることの中に存する。 わたしたちはその考えるというところから立ち上がらなければならないのであり、 わたしたちが満たす術(すべ)を知らない空間や時間から立ち上がるのではないのだ。 ゆえに、よく考えるよう努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。≫<目次>人間関係とコミュニケーション人間の心理と錯覚人間とは何か?わたしとは何か?知ることと精神の働き話すことと書くこと原因と結果職業と選択自己愛と自我褒められたい幸福の追求〔ほか〕
2016.11.17
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世界一わかりやすい哲学の授業【電子書籍】[ 小川仁志 ]小川仁志「世界一わかりやすい哲学の授業」PHPエディターズグループ 2010年刊ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』・・【送料無料】 アナーキー・国家・ユートピア 国家の正当性とその限界 / ロバート・ノージック 【単行本】 ノージック・・リバタリアンの代表格。 リバタリアニズムとは、個人の自由を最大に、国家の強制を最小というのが共通するスローガンである。 自由至上主義とも訳される。 国家は、あくまで治安・防衛・司法といった最小限の国家機能にとどめるべきだ、という 「最小国家論」が、ノージックの立場である。 リバタリアンは、必ずしも自由放任主義的な資本主義を万能視しているわけではない。 個人の私的領域における自由こそが第一義的な意味を持っているのであり、 自由主義と最小国家は、それを確保・維持するためのすぐれた手段にすぎない。 自分の自由さえ守られていれば、ライフスタイルや共同体のあり方を禁止するわけでも 奨励するわけでもない。「最小国家は正当とみなされる。 それ以上の拡張国家はすべて、人々の権利を侵害し、不当であるとみなされる」 最小国家が、一種の「ユートピアの枠」として機能することを指摘する。 自発的な交換や合意に基づく多様なユートピアの建設の試みを許容する「枠」を提供するのが、 最小国家の役割である。 ノージックによる、ロールズへの批判・・ ロールズの原初状態にいる人が、格差原理を採用するとは限らない。 彼はむしろ最低限の生活保証付きの平均的功利主義を選ぶだろうといった批判。 ロールズの配分的正義論は、社会の中の財を、あたかも無主物のように扱っている。<目次>アリストテレス『ニコマコス倫理学』―幸福な毎日を送るための生き方とは?デカルト『方法序説』―どうしたら自信がもてるようになるの?ロック『人間知性論』―なぜ経験が大事なの?ルソー『社会契約論』―みんなで物事を決めるにはどうすればいい?カント『純粋理性批判』―自分の判断に迷ったときは?キルケゴール『死に至る病』―絶望は克服できる?マルクス『経済学・哲学草稿』―競争社会に疲れたら?サルトル『実存主義とは何か』―自由に生きるってどういうこと?レヴィナス『全体性と無限』―どうすれば他人を理解できる?メルロ=ポンティ『知覚の現象学』―なぜ身体を大事にしなければならないの?フーコー『監獄の誕生』―人から操られるのが嫌なら?アーレント『人間の条件』―毎日を生き生きと過ごすためには?ロールズ『正義論』―どうすれば人と分かち合える?ノージック『アナーキー・国家・ユートピア―国はなんのためにあるの?サンデル『リベラリズムと正義の限界』―結局一人では生きられないの?
2016.10.30
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世界一わかりやすい哲学の授業【電子書籍】[ 小川仁志 ]小川仁志「世界一わかりやすい哲学の授業」PHPエディターズグループ 2010年刊ロールズ『正義論』・・【送料無料】 正義論 / ジョン・ロールズ 【単行本】 どうすれば公正な分配を行うことができるか? 昨今の格差社会を巡って、改めて注目されている『正義論』は、 リベラリズムの議論の基軸となっている。 リベラリズム・・「善に対する正の優位性」 大多数の人々が抱く強い信念であったとしても、それが正義の諸原理に基づかず、 単なる選好にすぎないとすれば、社会制度い対する批判的要求という意味では 何の重要性も持たない。 それまでの「功利主義」=「最大多数の最大幸福」に代わる正義の議論を提示した。 社会において利益を分かち合う方法について考えてみる。 「原初状態」=「そこで得られる基礎的な合意が公正であることを保証してくれる、 適切な初期状態」のこと。 この状態を作り出すためには、私たちは「無知のヴェール」に覆われる必要がある、という。 一種の思考実験であるが、私たちは自らの差異を知らないと仮定して、 人々は等しく合理的で、同じ状況にあるとする。 こうすることではじめて、他人のことについても同じ条件で正義を考えることができるようになる。 「正義の二原理」・・正義を判断するための公式。 第一原理は、「各人は基本的な自由の最も広い体系に対する平等な権利を持つべきであるが、 このような自由の体系は他者の同様の体系を両立しなくてはならない」 つまり、第一原理は、「平等な自由の原理」のこと。 第二原理(a)は、「機会の公正な均等原理」。 第二原理(b)は、「格差原理」。 まずは、自由。次に、機会均等。最後に、格差是正。 不平等が許されるのは、最も恵まれない人が最大の便益を得るような形でなされる場合に限る。 才能に恵まれた人は、偶然にそのような才能を与えられたにすぎないのだから、 不遇な立場にある人に自らの便益を与えるべきだ、という発想である。 <目次>アリストテレス『ニコマコス倫理学』―幸福な毎日を送るための生き方とは?デカルト『方法序説』―どうしたら自信がもてるようになるの?ロック『人間知性論』―なぜ経験が大事なの?ルソー『社会契約論』―みんなで物事を決めるにはどうすればいい?カント『純粋理性批判』―自分の判断に迷ったときは?キルケゴール『死に至る病』―絶望は克服できる?マルクス『経済学・哲学草稿』―競争社会に疲れたら?サルトル『実存主義とは何か』―自由に生きるってどういうこと?レヴィナス『全体性と無限』―どうすれば他人を理解できる?メルロ=ポンティ『知覚の現象学』―なぜ身体を大事にしなければならないの?フーコー『監獄の誕生』―人から操られるのが嫌なら?アーレント『人間の条件』―毎日を生き生きと過ごすためには?ロールズ『正義論』―どうすれば人と分かち合える?ノージック『アナーキー・国家・ユートピア―国はなんのためにあるの?サンデル『リベラリズムと正義の限界』―結局一人では生きられないの?
2016.10.30
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アメリカを動かす思想 [ 小川仁志 ]小川仁志「アメリカを動かす思想─プラグマティズム入門」(講談社現代新書)2012年刊 1840年頃、アレクシス・ド・トクヴィルが見出したアメリカ人の哲学・・「自らの手で、自分自身の中にのみ事物の理由を求め、手段に拘泥せずに結果に向かい、 形式を超えて根底に迫る」。 これは、「プラグマティズム」と重なるもの。≪考えてみれば、何もない土地に入植してきた開拓民にとって、抽象的な概念や体系など 何の意味も持たなかったのでしょう。 大切なのは、生きるために結果を出すことだけだったのです。・・ その意味で、プラグマティズムは、アメリカという歴史のない特殊な国で生まれるべくして 生まれ、やがて思想としてまとめられ、いまなおDNA≫として息づいている。 最初にプラグマティズムを唱えたC・S・パース曰く、「ある対象の概念を明晰にとらえようとするならば、その対象が、どんな効果を、 しかも行動に関係があるかもしれないと考えられるような効果をおよぼすと考えられるか、 ということをよく考察してみよ。そうすれば、こうした効果についての概念は、 その対象についての概念と一致する。」 このパースを批判的に継承した、ウィリアム・ジェイムズが主張した格率・・「ある対象に関するわれわれの思想を完全に明晰ならしめるためには、その対象がおよそ どれくらいの実際的な結果をもたらすか-その対象からわれわれはいかなる感動を期待できるか- いかなる反動をわれわれは覚悟しなければならぬか、ということをよく考えてみさえすればよい。 そこで、これらの結果がすぐに生ずるものであろうと、ずっと後に起こるものであろうと、 いずれにしてもこれらの結果についてわれわれのもつ概念こそ、 われわれにとっては、少なくともこの概念が積極的な意義を有するとする限り、 その対象についてのわれわれの概念の全体なのである。」 つまり、「対象の概念は結果次第だ」ということ。 1870年代、パースによって創始されたプラグマティズムは、 第二次大戦後、ヨーロッパの論理実証主義者による分析哲学がアメリカに入ってきて 一時期席巻するものの、21世紀に入っても、プラグマティズムは、依然アメリカ人の DNAとなっている。 パースから、ローティにいたる思想の概観・・1.有限の存在である私たちの意見あるいは信念は、つねに誤りをふくむものであることを みとめる可謬主義。2.他の人の権利を侵害しない限り、すべての人の信じる権利をみとめる多元主義。3.しかし、探求のかなたに実在をとらえることができるという実在仮説にもとづく、 探究ないし会話の継続。 つまり、知識と実践とを結びつけるのがプラグマティズムであるものの、 単に、知識を実践に結びつけても、すぐに正解はでない。 人間は間違いを犯すし、世の中には多様な考えがある。 だから、あきらめることなく探究を続けることが大切である。<目次>第1章 プラグマティズムの系譜(アメリカ思想の系譜パースの格率 ほか)第2章 プラグマティズムの展開(ネオ・プラグマティズムとローティブランダムとマクダウェル ほか)第3章 アメリカ思想の上部下部構造(リベラリズムデモクラシー ほか)第4章 現実政治としてのリベラルと保守(リベラルvs.保守ティー・パーティー ほか)第5章 イノベーション・プラグマティズムへ(ウォール街から官邸前へ日本のプラグマティズム論 ほか)
2016.10.23
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日本の問題を哲学で解決する12章 [ 小川仁志 ]小川仁志「日本の問題を哲学で解決する12章」(星海社新書)2012年刊○どうなる民主主義! 現在、なぜ民主主義が機能していないのか? それは、政治が経済をコントロールできていないからであり、 共通善が喪失しているから。 では、そうした要因が解消され、人民による自己統治がシステムとして整ったら、 私たちは自分で決めるようになるのだろうか? たぶん、日本国民は、自分で決めようとはしない。 1つは、「自分で決めるという意識がない」から。 もう1つは、「決める訓練が足りない」から。 自分決めるという意識を持つためには、「無関心の連鎖」を止めることが必要になる。 自分で決める大切さに気づきながら、「フリーライダー(ただ乗り)」になる 「合理的無知」を解消するためにすること。 それは、政治を行う単位をできるだけ小さくしていくことが必要になる。○どうなる市場経済!≪市場第一主義というのは、相手のこと、他者のことなど意にも介さない発想です。 なにしろ市場で儲けることが第一目的、いや唯一の目的なのですから。≫ それを変えるためには、 たとえば、 私たちの行為はすべて誰かを傷つけるもので、何をするにしても責任を感じ、 あらゆる行為の犠牲に対して償いをしなければならない、と考えてみる。 物の売り買いをする時は、その行為が誰かを傷つけていないか、ほんの少しだけ 立ち止まって考えてみる。 そんな前提が人々の間に共有されれば、公正を欠いたり、腐敗を生み出すような取引 はなくなるはずです。 ・・「はずです」というものの、「ウシジマくん」見た後では、ちょっと説得力に欠けます(>_
2016.10.23
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心が軽くなる哲学の教室 [ 小川仁志 ]小川仁志「心が軽くなる 哲学の教室」中経出版2011年刊パスカル先生の授業・・ 想像力は敵!『想像は、途方もない見積もりをして、小さな対象を我われの魂を満たすほどまでに拡大し、 向こう見ずな思い上がりから、大きなものを自分の寸法にまで縮小するのである。 ちょうど神について話すときのように』『人間は、屋根屋だろうが何だろうが、あらゆる職業に自然に向いている。 向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ』キルケゴール先生の授業・・絶望の定式「・・私は絶望すると死に至るといっているのではありません。 むしろ絶望の苦悩は、死ぬこともできないというものなのです。 死ぬほどの苦しみを味わいながらも、決して死ぬことができないのです」「・・絶望した結果、死を思い浮かべるとき、実は人は生きようとしているのです。 その意味で絶望した人間は死ぬことができません。 剣が思想を殺し得ないように、絶望もまた自己を食いつくすことはできないのです。 それが絶望の定式です」 絶望の定式とは? 「まず自己に絶望しますね。 すると人はそんな自分が嫌で、そこから抜け出すために自己自身を食いつくそうとします。 つまり死のうとするのです。 ところが、人間には自己を食いつくすことなどできません。 それは人間の中に永遠者が存在していることを証明しています。 いわば人間の中には永遠の理想があるために、どうしても死ねないのです。 それに、もし人間のうちにそうした永遠者が存在しなかったら、 そもそも人間が絶望することもなかったでしょう。 人は理想があるから絶望するのです」 だから、実は、キルケゴールは意外に「前向き」だった?!<目次>「学ぶこと」について―ソクラテス先生の授業「どうして人は勉強するのか?」「共同体」について―アリストテレス先生の授業「どうして人は一人では生きていけないのか?」「自分」について―デカルト先生の授業「本当の自分って何ですか?」「考えること」について―パスカル先生の授業「どうして人は考えることをやめられないのか?」「経験すること」について―ロック先生の授業「どうして経験が大事なのか?」「意見をまとめること」について―ルソー先生の授業「どうすれば意見はまとまるのか?」「不安」について―キルケゴール先生の授業「どうすれば不安は払拭できるのか?」「経済」について―アダム・スミス先生の授業「そもそも経済とは何か?」「言葉」について―ウィトゲンシュタイン先生の授業「言葉の意味はどうして決まるのか?」「無意識」について―フロイト先生の授業「無意識状態の自分も自分なのか?」「役立つということ」について―デューイ先生の授業「役に立てばそれでいいのか?」「消費」について―ボードリヤール先生の授業「なぜ人は物を買うのか?」「メディア」について―マクルーハン先生の授業「新しいメディアは人をどう変えるのか?」「人生」について―デリダ先生の授業「どうすれば人生をやり直せるのか?」再び、「哲学」について―小川先生の授業、あるいはエピローグ「哲学は心を軽くするのか?」
2016.10.22
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人生が変わるたった1%の頭の使い方 [ 小川仁志 ]小川仁志「人生が変わるたった1%の頭の使い方」海竜社2014年刊≪本当は誰もが天才になれる才能を持っており、 それは環境との相互作用によって初めて開花する。≫≪「環境」、「思考法」、「行動」。 この三つがそろって初めて、凡人の才能は開花し、 天才へと変身することができます。≫STEP1 常識を捨てる 常識を疑う。 常識は、「本来見えるものを見えなくする」という マイナス要素を持っている。STEP2 埋もれた才能を発掘する≪みんな本当のすごい自分に気づいていない≫≪正確に自分を見つめ直すことで、欠けている点と、 優れている点の両方をしっかりと把握しておく必要がある≫ ・・欠点ばかりの中で、「何か1つだけ得意なことを見出す」 ≪天才の種は、探そうとしない人には見つかりません。 幼少期から親がいろんなことを体験させてくれて、 早くそれに出合った人はラッキーです。≫ ・・でも、そんな人は少ない。≪その場合、自分の中に眠る天才の種を自分自身で見つけるよりほかない≫STEP3 1%の才能を伸ばす思考法○ポジティブに考える1.自分を責めない2.マイナスをプラスに変える3.「世の中に絶対はない」と考える4.成功体験を積み重ねる5.よく寝る○失敗を恐れずにやるSTEP4 1%の才能を伸ばす行動○刺激を受ける1.嬉しいドキドキ体験をする2.不安になったり、怖がったりのドキドキ体験をする3.旅行に行く4.アートを鑑賞する5.極端なものを見る○習慣化する 1万時間やれば天才になれる○人と違うことをするSTEP5 才能を開花させる環境を作る○個性を伸ばす環境に身を置く1.個人的サークル2.社会的サークル3.文化的サークル○環境をクリエイティブにする1.大好きな本をいつでも読むことができるライブラリーやスペースがある2.いつでも人を迎え入れるスペースを持っている3.火、土、水、木などの自然と直接触れ合える家4.専用の映像室や音楽室、絵画室を持っている5.インテリアやその他のこだわり○優れた指導者を見つけるSTEP6 才能をフル活用する○想像力を膨らませるアインシュタイン曰く、「想像力は、知識よりも大切だ。 知識には限界がある。 想像力は、世界を包み込む」 天才にとっては、知識よりも想像力のほうが大切 想像力は、「創造できる自信」と「ユーモア」で決まる 創造できる自信がないと、想像を膨らませることもできない。『たった1日で人生を300倍面白くする方法』たった1日で人生を300倍面白くする方法 [ 小川仁志 ]○ひらめきで考える「セレンディピティ(ひらめき)」とは何か?「セレンディピティは決して行き当たりばったりのものではないからです。 少し瞑想に似ていると思います。眠ってしまったら瞑想はできないし、 瞑想をするためには、ある種のフォーカスを持たなければなりません」 つまり、ある程度狙わないと掘り出し物には出合えない。 つまり、「直観も経験の産物」である。1.たくさんの経験をする2.何も考えずに答えを出す3.野生の思考を研ぎ澄ます4.いったん休む○組み合わせる○クリエイティブに考える<目次>1 準備編―常識を捨てる2 探求編―埋もれた才能を発掘する3 開花編1―1%の才能を伸ばす思考法4 開花編2―1%の才能を伸ばす行動5 環境編―才能を開花させる環境をつくる6 活用編―才能をフル活用する7 番外編―天才を育てる方法
2016.10.17
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朝3分間のデカルト [ 小川仁志 ]小川仁志「朝3分間のデカルト」 (PHP文庫)2016年刊「良識はこの世で もっとも公平に分け与えられているものである」≪いくら頭がよくても仕方ない。 いかに使うかがすべて≫「良い精神を持っているだけでは十分でなく、 大切なのはそれを良く用いることだからだ」 イノベーションは急がば回れ・・ 現在、なぜイノベーションが求められているのか? それは、あらゆる分野で、「行き詰まり」があるから。 「制度疲労」が生じている。 しかし問題は、イノベーションが必要といいながら、 決まったやり方がない。 困った時は、基本に変えること。 デカルト曰く、「人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながっている、 真でないいかなるものも真として受け入れることなく、 一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、 どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも 発見できる、と」(『方法序説』) ・・演繹法! では、どこから始めればいいのか?「どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。 もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだと、 すでに知っていたからだ」(『方法序説』)<目次> 「世界という名の大きな書物に目を向けよ」(『方法序説』)「自分の物差しを持て」(『省察』)「意志力だけは万能」(『省察』)「言葉を磨け」(『哲学原理』)「感情は人生のエンジン」(『情念論』)「愛を飼いならせ」(『情念論』)
2016.10.16
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日本哲学のチカラ [ 小川仁志 ]小川仁志「日本哲学のチカラ 古事記から村上春樹まで」(朝日新書)朝日新聞出版2013年刊≪有史以来の日本哲学あるいは日本思想というのは、 なかなか一本の基本線の上にきれいに並べることができるような代物ではありません。≫≪・・仏教や神道から儒教を経て、西洋哲学の受容に至るまで、 まったく異なる思想が同じ国の中でコロコロと変遷していくのですから。≫ 丸山真男はこの外来思想を受容するメカニズムを「執拗低音」と表現した。 つまり、外来思想と日本固有の思想との音階がハーモニーとして混ざり合うような イメージで捉えた。 小川さんは、「執拗低音」の代わりに、「和の弁証法」という概念を提唱します。 弁証法とは、問題が生じたときに、それを克服してさらに一段上のレベルに到達する思考方法。 これにより、一見相容れない二つの対立する問題を、どちらも切り捨てることなく、 よりよい解決法を見いだせる。 ただし、西洋の弁証法においては、「反」は、ステップにすぎず、「反」が主流になることはない。 一方、「和の弁証法」は、和を作り出すことこそが目的であり、そのためであれば、 「反」が主流になることも厭わない。 「和の弁証法」では、外来思想を主に据えてでも和の形成を最優先する。 そして、新たな思想を作り出す。在来の思想は、外来の思想を正当化するための道具と化すこともある。 目的は和の形成であり、国家の統一という和が優先される。≪・・どうも日本という国にとっては、海外との交流がなくなると、国内の文化を発展させるという プラス面よりも、内向的になってしまうマイナスの側面が大きいような気がしてなりません。≫ ≪悪くいうと、自らの力で内発的に進化していくことのできない負の側面が表れているということ もできるでしょう。≫≪・・今私たちがすべきなのは、グローバリズムという外来思想を「和の弁証法」によって いかにしてうまく取り込むかです。 「反」が完全な主流になってしまわないように、うまく取り込む方法を模索する必要があります。≫<目次>第1章 日本哲学の始まり―神話と仏教第2章 日本の美学―武士道と儒学第3章 再び神を求めた日本人―国学と幕末の思想第4章 西洋のニッポンの始まり―啓蒙思想とナショナリズム第5章 普遍性を目指した日本哲学―京都学派とその時代の哲学第6章 アメリカの日本から世界の日本へ―戦後民主主義と現代思想第7章 ニッポンのカタチ―OTAGAISAMAの国として
2016.10.16
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絶対幸せになれるたった10の条件 [ 小川仁志 ]小川仁志「絶対幸せになれるたった10の条件」教育評論社2013年刊○アランの幸福論・・ポジティブになる「上機嫌など存在しないのだ。 気分というのは、正確にいえば、いつも悪いものなのだ。 だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」 幸福は、強い意志がもららす。「音楽は、あらゆる例の中でもっともすぐれたものだ。 なぜなら、音楽が支えられているのは、声楽の場合でさえも、意志に他ならないから。 その後にはじめて快さが生まれるのである」 そして、 幸せな人と付き合うこと。≪幸福になれないと嘆いている人は、まず幸福な人を探してください。 幸せな人と付き合うことで、幸せが伝染するのですから。≫○ラッセルの幸福論・・没頭する「幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである」「必要なのは、自己否定ではなく、興味を外へ向けることである。 そうすれば、おのずと、自然発生的に、おのれの美点の追求に専念している人なら 意識的な自己否定によってはじめて実行できるような行為が可能になるだろう」 興味を外に向け、対象を見つけて没頭すること。 でも、何もかにも手を出して、浮ついてはいけない。「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。 なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである」○ほどほどを心がける―アリストテレスの中庸 体と幸福との関係でいうと、運動は人を幸せにする。 体を動かすことで、気分は向上する。 つまり、体は心のスイッチみたいなものである。 そして、 よく寝ること。 アリストテレスによると、 睡眠は、一部の器官を休ませることではなく、共通感覚の停止であるという。 個別の器官だけでなく、意識そのものを完全に休ませる必要がある。 なぜ意識の完全停止が必要か? それは、意識には再生産が必要だから。 意識をいったんリセットすることで、人はまた幸せに生きていくことができる。 ・・一晩寝て忘れる。まずは寝てから考えよう、は正しい。<目次>条件1 ポジティブになる―アランの幸福論条件2 没頭する―ラッセルの幸福論条件3 信じる―ヒルティの幸福論条件4 楽観的になる―エピクロス派条件5 シンプルに考える―タオの思想条件6 ほどほどを心がける―アリストテレスの中庸条件7 気分転換する―パスカルの幸福論条件8 受け入れる―ショーペンハウアーの幸福論条件9 相対化する―プロタゴラスの相対主義条件10 社交的になる―公共哲学の視点
2016.10.16
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7日間で突然頭がよくなる本 [ 小川仁志 ]小川仁志「7日間で突然頭がよくなる本」PHP研究所2012年刊 小川さんが考える「頭がよい」とは?≪「頭がよい」とは、物事の本質をつかめる人のことです。 会議でも授業でも、いったいいま何が問題になっているのか、 何の議論をしているのか、それがきちんとわかることが、本質をつかむということです。≫ 小川さんが考える、地頭をよくする方法とは、 哲学を学ぶこと。なぜなら、哲学の基本的なパワーは、「物事の本質をつかむ」という方法 をマスターすることであるから。≪決して知識を詰め込もうとしてはいけません。≫≪他の要素と有機的に関連させることのできる知識が求められるのです。≫1.社会のことを知る 社会のことを知らないと物事の本質は見えない ex.自然学(科学)、歴史、文学、時事(新聞・ニュース)2.哲学の知識を身につける ボキャブラリーを増やす 哲学史 & 哲学概念 そもそも哲学概念とは何か? ズバリ思考の成果である。3.哲学の論理パターンを使いこなす ・カテゴリー、主観と客観、時間と空間、イデア、運動として捉える 弁証法、差異として捉える(否定弁証法)、構造主義、因果関係、人間にとっての意味4.物の見方を変える まずは100通りの物の見方で頭をほぐそう≪物事の本質をつかむためには、複数の側面から対象を眺めることが大前提です。≫ つまり、いろいろなものの見方ができることが大切になる。 たとえば、裏側から見る、宇宙から見る、虫眼鏡で見る、分解してみる、 百年後に見る、赤ちゃんの視点で見る、神の視点で見る、歴史の中で見る、 総理大臣の視点で見る、色を変えてみる、大きさを変えてみる、二次元にしてみる・・ 次に、常識を疑う。 たとえば、雪は熱い。人間にとって水は不要・・5.言葉の意味を膨らませる 言葉の家族、仲間、敵を探そう6.言葉を論理的に整理する 論理的に話せない理由? 頭の中が整理できていないから。 グループに分ける → グループ内の複数の言葉を1つにまとめる → 10の哲学概念を使って整理する → 1つの文にする 7.一言でキャッチーに表現する 普遍化する(抽象的な表現にする) → 見栄えを整える(キャッチ―な表現にする) → 完成! ・・な~んてことを、この本で学んだとして、 もし頭をよくしたいと思っているなら、 勉強するモチベーションを維持し続けることが一番大事だ、と指摘されていました((+_+)) <目次>1日目 社会のことを知らないと物事の本質は見えない2日目 頭がよくなるためのボキャブラリーを増やそう!3日目 頭がよくなるための論理パターンベスト104日目 まずは一〇〇通りの物の見方で頭をほぐそう5日目 言葉の家族、仲間、敵を探そう6日目 論理的に話せない人へのとっておきのアドバイス7日目 一言でキャッチーに表現するためのコツ
2016.10.10
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問題解決のための哲学思考レッスン25 [ 小川仁志 ]小川仁志「問題解決のための哲学思考レッスン25」(祥伝社新書)2014年刊 25個の必須の哲学概念を「公式」として紹介しています。 11番目から20番目・・第3章 切り開く思考レッスン11 快楽の量で判断する――ベンサムの「功利主義」≪功利主義とは、行為の善悪の判断を、その行為が快楽や幸福をもたらすか否かに 求める倫理観のことです。≫≪功利主義においては、基本的に快楽の量を計算することで、その量が大きければ大きいほど 正しいという発想をするわけです。≫ 価値観が多様化し、利害関係も複雑化しているがゆえに、計算思考が有効となる。 ただし、それによって犠牲となるの少数者の存在とその救済が問題となる。 ピーター=シンガーは、「効果的な利他主義」を提案する。 社会主義のような世界の富の平準化ではなく、富めるものはもっと稼ぎ、 貧しい人に一部を寄付した方が、全体としてみた時に、より効果的だという。 問題 どうすれば、飢餓を救えるか?レッスン12 自分で人生を切り開く――サルトルの「実存主義」≪問題を前にした時、私たちにはいくつかのオプションが与えられるはずです。 あきらめる、逃げる、待つ、助けを求める、そして自分でなんとかする。 この最後のオプションこそ、実存主義です。 そして、ひとたび自分でなんとかすると決意すれば、道はさらに開かれていきます。 物事はいくらでも工夫できるものです。≫ 問題 どうすれば、運命を変えられるか?レッスン13 苦しみは受け入れる――ニーチェの「超人思想」 ネガティブになる人も、自分の欠点や失敗をすべて受け入れてしまえばいい。 「それがどうした」と。≪問題とは、自分の外部にあるものを言います。 だから、自分の内部に取り入れてしまえば、それは問題ではなくなるのです。≫ 問題 どうすれば、ネガティブな自分が変わるか?レッスン14 締め切り効果を活かす――ハイデガーの「根源的時間」 問題 どうすれば、グズを解消できるか? 「根源的時間」・・≪人間は死という有限性に気づいた時にはじめて、 時間というものに自覚的になり、人生がかけがえのないものであることに気づきます。 そして未来を見据えて積極的に生きるようになる。≫レッスン15 質ではなく、量に注目する――ドゥルーズの「強度」 問題 どうすれば、インパクトが強くなるか?≪ドゥルーズの強度はきわめて創造的な概念です。≫ 単に量が多ければよいのではなく、その量の多さがエネルギーとなって、 何かを創り出す側面に着目する必要がある。第4章 つなげる思考レッスン16 心ではなく、身体に従う――メルロ=ポンティの「身体論」 問題 どうすれば、鬱病を減らせるか?≪私の経験から言えば、ウツも、意識だけをいくらいじってもだめだと思います。 身体思考にもとづけば、むしろ身体のほうこそなんとかする必要があります。 身体を労わることで、心の疲れも取れるのです。・・ まさに、答えは身体にあるのです。≫レッスン17 言葉ではなく、文脈を意識する――ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」 問題 どうすれば、人間関係は良くなるか?≪同じ言葉でも、文脈ひとつでまったく意味が変わってきます。 そこを意識して思考できるかどうか。 言わば「文脈思考」と言っていいでしょう。≫レッスン18 自分よりも、他者を尊重する――レヴィナスの「他者論」 問題 どうすれば、わがままは直るか?≪レヴィナスは、他者の存在そのものが倫理だ、と言います。 自分と他者の関係性のことを言っているわけですが、この場合の関係性は 非相互的で、非対称的なものである点に注意が必要です。 普通は倫理と言うと、自分と他者との間の対称的関係です。≫ 実際、倫理も、それをベースにした法制度も、現行すべて自分中心となっている。 しかし、≪他者とのその非対称な関係性があってはじめて、私たちは存在しうるのです。≫レッスン19 説得ではなく、合意を目指す――ハーバーマスの「コミュニケーション的理性」 問題 どうすれば、会議はまとまるか?≪結局、ハーバーマスの思考のポイントは、相手に対して開かれた態度で聞く耳を持つこと によってはじめて、合意が成り立つという部分です。 それこそがコミュニケーションのための理性なのだ、ということです。≫レッスン20 主観と客観の構図でとらえる――ジジェクの「主体化」 問題 どうすれば、数字に強くなるか?≪私たちは、自分たちが切り取った、意味の世界を生きています。 しかし、視点を変えれば、それは主観、言わば幻想のなかを生きているにすぎないと 言えます。もし、そのことが原因で争いが生じているとしたら、馬鹿げた話です。 事実をどう切り取ったかという幻想をぶつかあうのではなく、おたがいに理解しあい、 利害が衝突する時は、緩やかな調整のための枠組みに委ねるというのはどうでしょう。≫<目次>ガイダンス――哲学が問題解決に使える理由 第1章 疑う思考レッスン1 物事を相対的にとらえる――プロタゴラスの「相対主義」 問題 どうすれば、幸福になれるか?レッスン2 物事を心の目で見る――プラトンの「イデア説」 問題 どうすれば、だまされないか?レッスン3 これ以上疑えないところまで疑う――デカルトの「方法的懐疑」 問題 どうすれば、ゴミを減らせるか?レッスン4 偏見を取り除く――ベーコンの「イドラ説」 問題 どうすれば、凡人から脱することができるか?レッスン5 頭を初期化する――ロールズの「無知のヴェール」 問題 どうすれば、不平等はなくなるか?第2章 分類する思考レッスン6 名前をつける――オッカムの「唯名論」 問題 どうすれば、物事を一般化できるか?レッスン7 時間軸と空間軸で整理する――カントの「カテゴリー論」 問題 どうすれば、かたづけられるか?レッスン8 点と線を結ぶ――レヴィ=ストロースの「構造主義」 問題 どうすれば、いじめはなくなるか?レッスン9 現象の背景に目を向ける――マルクスの「上部下部構造」 問題 どうすれば、政治は変わるか?レッスン10 権力を疑い、その裏を探る――フーコーの「権力論」 問題 どうすれば、戦争をやめられるか?第3章 切り開く思考レッスン11 快楽の量で判断する――ベンサムの「功利主義」 問題 どうすれば、飢餓を救えるか?レッスン12 自分で人生を切り開く――サルトルの「実存主義」 問題 どうすれば、運命を変えられるか?レッスン13 苦しみは受け入れる――ニーチェの「超人思想」 問題 どうすれば、ネガティブな自分が変わるか?レッスン14 締め切り効果を活かす――ハイデガーの「根源的時間」 問題 どうすれば、グズを解消できるか?レッスン15 質ではなく、量に注目する――ドゥルーズの「強度」 問題 どうすれば、インパクトが強くなるか?第4章 つなげる思考レッスン16 心ではなく、身体に従う――メルロ=ポンティの「身体論」 問題 どうすれば、鬱病を減らせるか?レッスン17 言葉ではなく、文脈を意識する――ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」 問題 どうすれば、人間関係は良くなるか?レッスン18 自分よりも、他者を尊重する――レヴィナスの「他者論」 問題 どうすれば、わがままは直るか?レッスン19 説得ではなく、合意を目指す――ハーバーマスの「コミュニケーション的理性」 問題 どうすれば、会議はまとまるか?レッスン20 主観と客観の構図でとらえる――ジジェクの「主体化」 問題 どうすれば、数字に強くなるか?第5章 発展させる思考レッスン21 知らないことを認め、素直に聞く――ソクラテスの「無知の知」 問題 どうすれば、一番になれるか?レッスン22 マイナスをプラスに変える――ヘーゲルの「弁証法」 問題 どうすれば、アイデアは生まれるか?レッスン23 まとめずに、差異を活用する――アドルノの「否定弁証法」 問題 どうすれば、多様性を活かせるか?レッスン24 行き詰まったら、ゼロから組み直す――デリダの「脱構築」 問題 どうすれば、プロジェクトは成功するか?レッスン25 知識を道具と考える――デューイの「道具主義」 問題 どうすれば、学校の授業はおもしろくなるか?結びに代えて――考え続けることこそ、問題解決となる
2016.10.03
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問題解決のための哲学思考レッスン25 [ 小川仁志 ]小川仁志「問題解決のための哲学思考レッスン25」(祥伝社新書)2014年刊 25個の必須の哲学概念を「公式」として紹介しています。 まず最初の10個です。 第1章 疑う思考レッスン1 物事を相対的にとらえる――プロタゴラスの「相対主義」≪相対主義は、どんな物事の差異もなくしてしまいます。 これは、ある意味で、哲学の基本です。 哲学とは、こうだと思ってしまう憶見を退け、批判的考察により、 物事の本質を探求する学問です。≫≪ただ、問題は、その相対主義にとどまってしまっては、物事の本質は永遠に 見えてこないという点です。いったん、相対主義によって物事を相対化したあとは、 今度は果敢にそこから抜け出す努力が必要です。≫レッスン2 物事を心の目で見る――プラトンの「イデア説」 問題 どうすれば、だまされないか?≪だまされないようにするにはどうすればいいか。 その答えは、心のなかにあると言っても過言ではありません。 なぜなら、心の目によってイデアを見ることができるようになれば、 もはやだまされなくてすむはずだからです。≫レッスン3 これ以上疑えないところまで疑う――デカルトの「方法的懐疑」≪考えることをあきらめさえしなければ、人間はどこまでも進歩するのでは ないでしょうか。それは、デカルトがまさに実践したことでもあります。 宇宙の形成過程を本格的に考察し始めたのは、デカルトだと言われています。≫レッスン4 偏見を取り除く――ベーコンの「イドラ説」 問題 どうすれば、凡人から脱することができるか?≪目標に到達する適切な方法とはどのようなものでしょうか。 ベーコンは「経験」に着目します。・・ この「経験」から始めて、一般的な法則を導き出し、そこからさらに新しい経験を 引き出すというプロセスを経ることで、目標を達成するのです。≫ ・・「帰納法」レッスン5 頭を初期化する――ロールズの「無知のヴェール」 問題 どうすれば、不平等はなくなるか?≪自分の個別の情報を遮断することは、自分がどういう状況に置かれているかを 脇に置くわけですから、まさに頭の初期化です。 普通は逆です。まず、人よりも自分がどういう状況にあるかを重視します。≫≪結局、不平等がなくならないのは、私たちが自分のことしか考えていないからだと 言えます。だから、「他人の気持ちも考えろ」とよく言われるのです。≫ ・・「無知のヴェール」で、「無私」になることこそが、不平等に目を向ける きっかけを作るのです。第2章 分類する思考レッスン6 名前をつける――オッカムの「唯名論」 問題 どうすれば、物事を一般化できるか?≪たかが名前、されど名前です。 名前がないと、ものを指し示すこともできません。≫≪逆に言えば、名前次第なので、それが嘘でもだまされてしまいます。≫≪共通の要素を探すということは、要は仲間探しです。≫ グループ名を模索する、このラベリングこそが仲間に仲間意識を持たせる。レッスン7 時間軸と空間軸で整理する――カントの「カテゴリー論」 問題 どうすれば、かたづけられるか?≪何よりもおもしろいのは、なんでもきちんと整理できるようになると、 不思議なことに解決すべき問題の答えまで見えてくる点です。≫ 何でも棚にきちんと入れれば、答えを「棚上げ」せずに済む(^^♪レッスン8 点と線を結ぶ――レヴィ=ストロースの「構造主義」 問題 どうすれば、いじめはなくなるか?≪つくづく人間というのは、生きることそのものが罪なのだと感じさせられます。 悪意があるのは論外ですが、悪意はなくとも、何かをすれば誰かに迷惑がかかるものです。≫≪これを防ぐには、人間が罪を生み出す存在であることを、常に自覚しておくことです。≫レッスン9 現象の背景に目を向ける――マルクスの「上部下部構造」 問題 どうすれば、政治は変わるか?≪世の中に起こっている現象には、常に背景があります。 その背景を下部構造ととらえるのです。 その場合の上部構造は当然、現象そのものです。≫≪現象を現象として、表面的にとらえているだけでは、物事の本質は見えてきません。 むしろ、背景こそが大事なのです。≫≪政治を変えるためにはどうすればいいのか。 もちろん下部構造を変えればいいのです。 つまり、お金が影響力を持たないようなしくみにする。 それには、お金じたいの価値を下げるよりほかありません。≫≪これは、けっして単純な懐古主義などではなく、 むしろシェア(共有)やコモンズ(共同利用)など、グローバル社会における 新しい発想とも親和的です。≫レッスン10 権力を疑い、その裏を探る――フーコーの「権力論」 問題 どうすれば、戦争をやめられるか?≪制度というものは、およそ権力(支配者)の都合の良いように作られている ものだからです。自分たち被支配者のためだと思ったら、大まちがいです。 本当に被支配者にプラスになるのなら、支配者にマイナスになるわけですから、 そのような制度を許容するわけがありません。≫ ・・「あなたのためだから」なんて言い寄ってくる人に注意!<目次>ガイダンス――哲学が問題解決に使える理由 第1章 疑う思考レッスン1 物事を相対的にとらえる――プロタゴラスの「相対主義」 問題 どうすれば、幸福になれるか?レッスン2 物事を心の目で見る――プラトンの「イデア説」 問題 どうすれば、だまされないか?レッスン3 これ以上疑えないところまで疑う――デカルトの「方法的懐疑」 問題 どうすれば、ゴミを減らせるか?レッスン4 偏見を取り除く――ベーコンの「イドラ説」 問題 どうすれば、凡人から脱することができるか?レッスン5 頭を初期化する――ロールズの「無知のヴェール」 問題 どうすれば、不平等はなくなるか?第2章 分類する思考レッスン6 名前をつける――オッカムの「唯名論」 問題 どうすれば、物事を一般化できるか?レッスン7 時間軸と空間軸で整理する――カントの「カテゴリー論」 問題 どうすれば、かたづけられるか?レッスン8 点と線を結ぶ――レヴィ=ストロースの「構造主義」 問題 どうすれば、いじめはなくなるか?レッスン9 現象の背景に目を向ける――マルクスの「上部下部構造」 問題 どうすれば、政治は変わるか?レッスン10 権力を疑い、その裏を探る――フーコーの「権力論」 問題 どうすれば、戦争をやめられるか?第3章 切り開く思考レッスン11 快楽の量で判断する――ベンサムの「功利主義」 問題 どうすれば、飢餓を救えるか?レッスン12 自分で人生を切り開く――サルトルの「実存主義」 問題 どうすれば、運命を変えられるか?レッスン13 苦しみは受け入れる――ニーチェの「超人思想」 問題 どうすれば、ネガティブな自分が変わるか?レッスン14 締め切り効果を活かす――ハイデガーの「根源的時間」 問題 どうすれば、グズを解消できるか?レッスン15 質ではなく、量に注目する――ドゥルーズの「強度」 問題 どうすれば、インパクトが強くなるか?第4章 つなげる思考レッスン16 心ではなく、身体に従う――メルロ=ポンティの「身体論」 問題 どうすれば、鬱病を減らせるか?レッスン17 言葉ではなく、文脈を意識する――ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」 問題 どうすれば、人間関係は良くなるか?レッスン18 自分よりも、他者を尊重する――レヴィナスの「他者論」 問題 どうすれば、わがままは直るか?レッスン19 説得ではなく、合意を目指す――ハーバーマスの「コミュニケーション的理性」 問題 どうすれば、会議はまとまるか?レッスン20 主観と客観の構図でとらえる――ジジェクの「主体化」 問題 どうすれば、数字に強くなるか?第5章 発展させる思考レッスン21 知らないことを認め、素直に聞く――ソクラテスの「無知の知」 問題 どうすれば、一番になれるか?レッスン22 マイナスをプラスに変える――ヘーゲルの「弁証法」 問題 どうすれば、アイデアは生まれるか?レッスン23 まとめずに、差異を活用する――アドルノの「否定弁証法」 問題 どうすれば、多様性を活かせるか?レッスン24 行き詰まったら、ゼロから組み直す――デリダの「脱構築」 問題 どうすれば、プロジェクトは成功するか?レッスン25 知識を道具と考える――デューイの「道具主義」 問題 どうすれば、学校の授業はおもしろくなるか?結びに代えて――考え続けることこそ、問題解決となる
2016.10.03
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世界のエリートが学んでいる教養としての哲学 [ 小川仁志 ]小川仁志「世界のエリートが学んでいる教養としての哲学」PHP研究所2015年刊 小川さんの要約力、いいですね(^^♪☆ビジネスに使える「思考法」・・1.相対主義 一見正反対の物事の中に視点を変えて共通点を見出し、 それによって差異を相対化してしまうことです。 この部分が相対主義の本質だといっていいでしょう。2.イデア説 まず大前提として、目に見えるものはすべてまやかしだとみなすこと。 そして、本質を想起するべく、よく頭を働かせることです。3.無知のヴェール ジョン・ロールズが『正義論』において論じた概念。 ・・客観的に物事を見るようになるために、自分自身の情報を遮断してみる。 無知のヴェールは、物事を疑うためのツールとして応用できます。 目の前で展開している現象は間違っているかもしれないと、 自分の頭を初期化するために使えるのです。4.唯名論 唯名論によると、世の中には普遍というものが独立して存在するわけではなくて、 あくまで個別の物事があるにすぎないことになります。 ただ、個々のものには、何らかの共通する要素が存在するのは事実です。 その場合の共通の名前こそが、普遍と呼ばれるものなのです。5.カテゴリー論 カントは、人間が対象となるものをきちんと認識できるように、 量、質、関係、様相の4つの項目と、それにかかる各々3つのサブカテゴリーを 掲げました。 ここでのポイントは、まず時間と空間の軸にあてはめさえすれば、 物事はきちんと整理できるという点です。 6.構造主義 結局、構造主義とは、「木を見て森を見ず」を指摘する思考法だといえます。 一部だけに着目していては見えない本質を、全体に目をやることで発見する。 それが構造主義のポイントです。6.上部下部構造 経済にかぎらず。あらゆるものを上部下部構造でとらえて、 何か大きな物事を動かしていると考えてみるのです。 現象を現象として表面的にとらえているだけでは、 物事の本質は見えてきません。むしろ背景こそが大事なのです。7.権力論 ミシェル・フーコーは、一貫して権力の仕組みを分析し、批判し続けた。 結局権力はというのは、自分たちに都合のいいように精度をつくるということです。 ・・物事の背後に権力関係を見出せるようになると、 物事のからくりがよくわかってきます。 自分たちにとっての利点ではなく、権力の側の利点に目を向ける。 これが裏側を見るということです。8.超人思想 ニーチェは、世の中では永遠に同じことが繰り返されているにすぎないといいます。 彼はそれを永遠回帰と呼びます。 人生というのは何でもかんでも合理的で理性的に割り切れることばかりではありません。 不合理なことも含めて受け入れるよりほかないのです。 抗うから苦しいのです。 苦しみを受け入れるというのが超人思想のポイントです。8.根源的時間 ハイデガーは、根源的時間の概念によって、生が有限であることを自覚して初めて、 人間は真剣に生きることができるということです。 常に締め切りを意識して、考え、行動するということです。 なぜこれが思考になるかというと、時間とは物の考え方だからです。9.強度 強度とは、ジル・ドゥルーズが持ちだした概念である。 種類という概念が質的な差異を意味するのに対して、 強度は、量的な差異を指している。 強度のもつ創造的エネルギーはあらゆる分野で生かすことができる。 10.身体論 モーリス・メルロ=ポンティは、「身体」を初めて本格的に哲学のテーマにした。 身体を対象物と私たちの知覚との媒介としてとらえるのです。 身体は自分の意識と外の世界をつなぐインターフェイスだというのが、 メルロ=ポンティの身体論のポイントです。11.言語ゲーム ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは、私たちは日常生活において、 言語を交わし、意味を解釈するゲームを行っているという。 言語ゲームのポイントは、言葉を文脈というルールのもとにおける キャッチボールとしてとらえることです。 したがって、文脈をいかにとらえるかがすべてなのです。 同じ言葉でも、文脈一つでまったく意味が変わってきます。 そこを意識して思考できるかどうか。12.他者論 エマニュエル・レヴィナスは、西洋哲学に脈々と流れる「私」中心の思想を批判する。 どうして「私」中心であることがいけないのかというと、他人を同化してしまうからです。 私たちは自分中心で考える時、他人も同じ考えをもっているかのようにふるまいます。 「私」とは異なる存在である他者の存在を尊重することで、「私」もまた尊重される ようになるというのが、レヴィナスの他者論のポイントだと思います。13.コミュニケーション的理性 ユルゲン・ハーバーマスは、一貫して開かれた討議を重視しています。 ハーバーマスの思想のポイントは、相手に対して開かれた態度で聴く耳を持つこと によって、合意が成り立つという部分にあります。 それこそがコミュニケーションのための理性だというのです。 価値観は無数にあり、それにしたがって意見も無数に出てきます。 その中でいかに合意を形成していくか。14.主体化 スラヴォイ・ジジェックは、「主体」を主要テーマとした。 ジジェックの思考のポイントは、生の現実を切り取って、意味を主体化していくという 点にあります。言い換えると、客観的な世界を主体化によって切り取ることで、 主観を形成するということです。 私たちはそんな主体化によってはじめて、自分の意見というものを持てるようになるのです。15.無知の智 知ったかぶりをしない。16.弁証法 ヘーゲルの弁証法は、反対のものを取り込んで、さらに発展させる点にポイントがあります。 問題や課題をバネにして、新しい解を導き出す弁証法はプラス思考なのです。 17.否定弁証法 テオドール・アドルノは、いわば差異を差異のままに残しておこうと考えた。 否定弁証法のポイントは、物事をまとめることなく、差異は差異のままにして 生かそうという点にあります。 そんな差異を生かす思考が、多様性を保持するのに役に立つのです。18.道具主義 ジョン・デューイは、プラグマティズムの視点から、知識を道具としてとらえた。 知識は絶対的な答えではなく、むしろ答えを生み出すためのツールにすぎないとなると、 試行錯誤が許されます。 そしてそのプロセスにおいて新たな創造が生まれるのです。<目次>☆押さえておくべき「哲学史」☆ビジネスに使える「思考法」☆読んでおくべき「名著」☆相手の心を打つ「名フレーズ」☆宗教、倫理、日本の思想☆マークしておくべき「重要人物」☆知っておくべき「必須の用語」
2016.10.02
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】明治維新という過ち改訂増補版 [ 原田伊織 ]原田伊織「明治維新という過ち 【改訂増補版】 ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~」毎日ワンズ 2015年刊 明治維新の敗者目線の歴史。 「明治維新」がなければ、日本は西欧列強の植民地になっていた・・ と思っていますが、このことは、薩長による明治政府以来の洗脳の結果だ、といいます。 そもそも「明治維新」とは、昭和になってから、「昭和維新」をとなえた極右勢力によって一般化 したもの。幕末の「御一新」の当時使われた言葉ではない。 歴史に「もし」はないが、日本は「明治維新」という暴力革命を経なくても、 江戸幕府によって、新しい時代を、よりソフトランディングに迎えられた、というもの。 山縣有朋らによって神格化された「吉田松陰」ほど、「暗殺」「天誅」を主張した長州人 はいなかった。しかし、≪その外交思想は結局、侵略を肯定する膨張主義そのものであり、 戦前日本の歩んだ道はそのまま松陰の主張していた通りの足取りを辿った。≫ その松陰の主張の元になったのは、水戸学。 原田さん曰く、『大日本史』という愚書。≪水戸の攘夷論の特徴は、誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如に尽きる。 つまり、ロマンチシズムとリアリズムの区別さえできず、大言壮語しているうちに 自己陶酔に陥っていく。≫ この傾向は、長州軍閥にそのまま継承され、昭和陸軍が中国戦線を拡大していったことに つながる。 後半は、避けられたはずの「戊辰戦争」の悲劇・・ それは、≪世良修蔵というたった一人のふしだらな長州人の存在が、 戊辰東北戦争の直接の原因であったことは確かである。≫ 酒や女に耽る・・淫楽に溺れることに対する、長州や薩摩の人間と 東北の武家との間の決定的な感覚のギャップがあった。 もし東北の武家に、「飲ませる・抱かせる・掴ませる」という「三せる」営業ができれば、 ・・せめて彼らの所業を無視することができていれば、 世良や長州人のお目こぼしを得ることができたかもしれない。 しかし、潔癖な東北の武家にとって、酒色に対するいい加減さは許されないことであった。 その結果、31藩が盟約し、奥羽越列藩同盟を結成。戊辰東北戦争となる。 長州テロリズムのひどさは、言語道断・・ しかし、悲しいかな、佐幕側にもどうしようもない裏切りがあった。 一つは、この戊辰東北戦争を通じて、31藩中、 唯一つ、「三春藩」のみ、一人の死者も出さなかった。≪三春藩は嬉々として薩長の走狗となって働いた・・≫ それを首謀したのは、≪家老の秋田主税(ちから)。奥羽の恥さらし≫ 一方、隣りの二本松藩は、盟約を守る、その一点のみで城を枕に藩ごと 討ち死にした。 ・・平成の大合併の際、地理的条件には妥当性があるといわれながら、 二本松と三春の合併は実現しなかった。 もう一つの裏切りは、秋田藩(久保田藩)の「裏崩れ」。 「裏崩れ」とは、前線で戦っている軍や部隊があるのに、 後方の軍や部隊が先に降伏したり、寝返ったりすること。 後半は、筋を通して、藩まるごと討ち死にした「二本松藩」の悲劇と、 白虎隊をはじめとする「会津藩」の惨劇・・≪・・長州人による信じられないような非道な、残虐極まりない蛮行≫があった。 鶴ヶ城開城後、城下に残された多数の戦死体の埋葬を、西軍は半年あまり禁止した。 また、死体をごみのように穴に投げ入れ、「罪人塚」と呼んだ。 長州騎兵隊のならず者による行為は、「会津に処女なし」という言葉に残る。 ここまでひどい目にあわせた会津藩を、最果ての地「斗南藩」で、 さらに塗炭の苦しみを味わわせる。 ・・萩市が、会津市に姉妹都市の申し入れをした、というのもおめでたい感覚です。 この「斗南藩」、食うや食わずの窮状の中、藩校・日新館を再興する。 会津時代の藩校・日新館所蔵の蔵書に、新たに洋書を購入して加えたといいます。 見事というほかありません(^^♪≪江戸期の日本社会が旧弊のみに支配された、貧窮した農民社会であったとしたのは、 今にして思えばそれも官軍教育のいい方であった。≫ ・・といって、江戸幕府に任せたまま、日本が大丈夫だったのか? 世襲だらけの旧弊に凝り固まった社会が、欧米に伍していけたとは思えないのでした(+_+)
2016.05.24
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【中古】 エリック・ホッファーの人間とは何か /エリックホッファー(著者),田中淳(訳者) 【中古】afbエリック・ホッファーの人間とは何か訳 田中 淳河出書房新社2003年刊≪人間はどうしようもない未完成さをかかえているわけであるが、 そのことから生ずるもっとも決定的な帰結は、いうまでもなく、 成長に際限がないことである。 人間はこの世界において唯一の永遠に未熟な存在であり、 その人間の能力と才能の開花に理想的な環境は、遊びの庭である。 人間の特異性と創造性の源泉は、人間の内なる子供にある。≫≪どの社会にあっても不可避な根底的変化が一つある。 子供から大人への変化がそれである。 この変化の過程は困難と苦痛にみちており、その副産物である少年非行は 周知のとおりである。≫≪成年式をもたぬ現代社会においては、少年は独力で成人への道を模索 しなければならない。 こうして、少年は大衆運動の理想的素材となる。・・ 大衆運動はある意味で社会が変化という試練を経験する場合の少年非行である。 したがって、移行期の原型なすのは少年である。≫≪アメリカは急速な連続的変化にほとんど生理的に適応する国だ、 と私は考えた。 アメリカ人にとっては変化はごく自然で正常なもの - アメリカ人のダイナミズムの表出 - であった。 ヘンリー・フォードにいわせれば、 「この国で唯一安定しているのは、変化である」。≫ ・・「急速な変化」をどう受け止めるか? いまから45年前の1970年代においてをや。 <目次>第1章 遊び―人間のもっとも有用な行為第2章 都市の誕生第3章 都市と自然第4章 社会的風土の傾斜第5章 青年と中年第6章 大衆の国アメリカ第7章 時代精神第8章 現代についての考察第9章 変化という精神病院
2016.05.14
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エリック・ホッファー・ブック――情熱的な精神の軌跡 作品社編集部 編2003年刊 ユージン・バーディック『波止場の警句家 エリック・ホッファー』より。≪ホッファーの論述の多くは、飾り気がなく、悲観的であり、その主張も控えめである。 内容的に新しいこともほとんどない。≫ にもかかわらず、魅力的なのは・・≪それは、ホッファーが非常に冷静かつ執拗に自分の仮説を論理的に追求し、 微妙なやり方で学問的な方法と学術的な論述に従う者を怒らせるような結論を 導き出していることであろう。≫≪ホッファーの著書を批評した者の大半が、その簡潔さと気高さについて論じている。 彼の著書には、個人的なことは一切書かれていないし、 「私」という言葉は一度も出てこない。 だが実際には、ホッファーの警句と基本的な思想のほとんどが、彼自身の個人的な 体験から生まれたものである。≫<目次>1 波止場からのメッセージ―単行本未収録エッセイ(われわれが失ったもの神と機械時代 ほか)2 アメリカ・知識人・教育―ロング・インタヴュー(百姓哲学者の反知識人宣言学校としての社会に向けて)3 ホツファー論(狂信者はいかにして生まれるかエリック・ホッファーとベトナム戦争 ほか)4 ホッファー頌―エッセイ・アンソロジー(おどろくほど楽天的な随想タカハシさん、哲学する ほか)5 ホッファーを読む(『エリック・ホッファー自伝』『大衆運動』 ほか)
2016.05.14
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】安息日の前に [ エリック・ホッファー ]エリック・ホッファー「安息日の前に」訳 中本 義彦作品社2004年刊 ホッファー最晩年の日記(1974年11月~75年5月)。 1974年11月26日・・≪少なくとも半年はつづけるつもりだ。 この仕事が終わったら、疲れた頭に至福の安息日を与えてやることにしよう。≫ 11月29日・・≪資本主義は物を支配する理想的な力を持っているが、 人間を支配するのは得意ではない。 人間は放任されても、それなりに行動するという前提の上に資本主義は成り立っている。 興味深いのは、この人間を管理することへのためらいや不得手さことが、 資本主義社会を近代特有のものにしているということである。≫ 1975年1月15日・・≪幸福のようなものが存在しないからといって、 不幸が存在しないということにはならない。≫ 1月22日・・≪老いは他人事ではない。 若者を腐敗させるものが、老人を活性化させるのかもしれない。≫ 2月14日・・≪私はマルクスを読まずにマルクスを非難した。 マルクスは人生の一日たりとも労働に従事したことはなく、 彼のプロレタリアートについての知識は、私のコーラスガールについての知識と 同じくらい貧弱だった。≫ 5月6日・・≪最も恵まれない人びとの保護や福祉にばかり富やエネルギーの多くを注ぎ、 絶えず努力し物事を成し遂げる人びとに低い報酬しか与えないようになると、 その国は衰退する。≫ 5月10日・・≪争いごとにおいて、貧者の肩を持ってはならない - 対等以上に対等に扱ってはならないという聖書の訓戒は衝撃的である。≫((+_+))<目次>一九七四年十一月十二月一九七五年一月二月三月四月五月
2016.05.14
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】魂の錬金術 [ エリック・ホッファー ]エリック ホッファー「魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集」訳 中本 義彦作品社2003年刊『情熱的な精神状態』・・2 身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する 不満である。・・4 われわれは、しなければならないことをしないとき、最も忙しい。 真に欲しているものを手に入れられないとき、最も貪欲である。 到達できないとき、最も急ぐ。・・6 あれかこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、 われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。 だから、過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段なのである。16 前進への最良の刺激は、われわれが逃げ出さなければならない何かをもつことである。25 すぐに行動したがる性向は、精神の不均衡を示す兆候である。 均衡がとれているということは、多かれ少なかれ、平静だということである。 つまるところ、均衡を保ちながら浮遊するために、腕を振り、バタバタさせることに等しい。 → 「すぐやる」主義は、「精神の不均衡」なのかもしれない(+_+)32 社会秩序というものは、才能と若さに将来の見通しを与えているかぎりに安定する。 若さはそれ自体が、ひとつの才能 - こわれやすい才能なのである。58 知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、 はるかに重要である。・・・166 不平不満をもつことは、人生に目的をもつことである。 不平不満は、希望の代替物のようなものとして機能しうる。・・ 206 死は、それが一ヵ月後であろうと、一週間後であろうと、たとえ一日後であろうと、 明日でないかぎり、恐怖をもたらさい。 なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。235 人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。265 賢明な生活とは、おそらくよい習慣を身につけることよりも、 習慣をできるだけもたないことにあるだろう。『人間の条件について(龍と悪魔のはざまで』・・81 植物は成長するために根を必要とするが、人間の場合は逆である。 人間は成長しているときにだけ、根をもち、世界に安住することができる。106 真に才能のある者は、どんなに技量が欠けていても、何とかするものである。107 自己実現に比べれば、自己犠牲の何とたやすいことか!<目次>情熱的な精神状態人間の条件について(龍と悪魔のはざまでトラブルメーカー創造者たち予言者たち人間)
2016.05.14
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】エリック・ホッファー自伝 [ エリック・ホッファー ]エリック・ホッファー自伝―構想された真実 訳 中本義彦作品社2002年刊 失明、天涯孤独、自殺未遂・・「沖仲士の哲学者」の自伝。 AMAZONの紹介・・≪「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築きあげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。 7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。 「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」という彼は、 10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選び取りながら、 劇的な生涯を送ることになる。≫ いつもそばにあった音楽・・≪・・寂しいときや落ち込んだときには、気がつくといつも第九の第三楽章を口ずさんでいた。≫ 初めて定職についた時の経営者であったユダヤ人シャピーロに教えてもらったこと・・ 人間の顔の読み方なるもの≪人間が何をしようと何を考えようと、それは顔に刻み込まれる。 人間の顔はありとあらゆる秘密を明かす、開かれた本のようなものだが、 それは象形文字で書かれており、それを解読できるのは一握りの人間だけである。≫ 師匠と思っていたシャピーロが、突然、肺炎で亡くなる。 ホッファー家の寿命は、40歳前後であり、エリック自身も40歳には死ぬと思っていた。 28歳のエリックは、こう決める。≪私にとって運命の極点のように思えた。 いくらか蓄えがあったので、金がつきるまで一年間働かないことにした。 その一年間で、残りの人生をどう過ごすか考えようと思ったのである。≫ ドストエフスキーを読み返してみて・・≪ドストエフスキーを初めて読んだころ、なぜか陰鬱な気分になったが、 いまや最も悲惨な話にさえ、その底流に歓喜が感じられる。 『罪と罰』を再読して、すばらしい構築の技法というものに私は今わずかながら気づいたのだ。 それは数え切れないほどの細部を一つ一つ積み上げることによって、 途方もない全体という印象を抱かせる、高い丸天井の大建築のようなものである。・・≫ モンテーニュ『エセー』・・ 雪山で閉じ込められた間に読んだのは、1000ページの『エセー』。 この本を三回読みかえす。≪『エセー』は何百年も前のフランス貴族が自身のことを綴った本だが、 読むたびに私のことが書かれている気がしたし、どのページにも私がいた。≫≪歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた。 残りの人生をずっとこうして過ごすこともできただろう。≫ でも、金がなくなれば仕事に戻らなければならない・・と思うと幻滅し、 自殺を考え、実際、自殺未遂をする。でも、≪私は自殺しなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである。≫<目次>失明、母、そして父の死子ども部屋から貧民街へオレンジ売り運命の極点構想された真実休暇の終わり自殺未遂希望ではなく勇気サンディエゴへの途上で適応しえぬ者たち〔ほか〕
2016.05.14
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ハーバーマス [ ジェームズ・ゴードン・フィンリースン ]ハーバーマス 〈1冊でわかる〉シリーズ ジェームズ・ゴードン・フィンリースン訳 村岡 晋一岩波書店2007年刊≪ハーバーマスは大きな理論(グランド・セオリー)の提供者である・・ 彼は、現代社会の本質、現代社会が直面している難問、 現代社会における言語や道徳や倫理や政治や法が占めている地位といった 大問題を提出する。 彼の解答は複雑で広範囲におよんでおり、いくつかの異なる学問分野の知識から 丹精をこめて織りあげられている。≫≪ハーバーマスの一連の円熟期の仕事の全体に関するアウトラインを提供することにしよう。 それは次のような五つの研究プログラムに分かれる。 1 語用論的な意味理論 2 コミュニケーション的合理性の理論 3 社会理論のプログラム 4 討議倫理学のプログラム 5 民主主義の理論と法理論、つまり政治理論のプログラム≫ ハーバーマスの属した≪フランクフルト学派は、道徳、宗教、科学、理性、合理性といった問題に、多様な視点と学問分野から同時にアプローチするということを最初におこなった。異なる学問分野を結集すれば、ますます専門化する狭い学問領域内での研究では得られない認識がもたらされると考えたのである。≫≪ハーバーマスが公共圏という概念に興味をもつのは、 それを民主主義的政治という理想の源泉とみなし、民主主義を育成し維持する - 平等、自由、合理性、真理といった - 道徳的・認識的な価値観の根拠とみなしているからである。≫≪ハーバーマスの公共圏の理論は、平等なメンバーどうしの自由な合理的議論という理想を、 現在はまだ実現されていないが、それにもかかわらず追求する価値のあるものとして 掲げているのである。≫ 社会秩序の問題・・≪ハーバーマスにしたがえば、人間の行為はつねに何よりもまず、言語行為ないし言語使用 によってたがいに調整される。 行為者たちは、自分たちの行為を調製するために言語を使用するときにはいつでも、 その行為(ないし発言)をしっかりした理由にもとづいて正当化するという、 ある種の言質をみずから与える。 ハーバーマスはこの言質を「妥当性要求」と呼ぶ。≫≪妥当性要求とは、社会的行為をおこなう者の行為を導くのだから、 ある種の実践的な機能をもっている。 近代社会は、どんな行為者もいかなる状況であれ、みずからの行為を正当化するように 求められる可能性があり、そうするようあらかじめ言質をとられているという仕組みになっている。 こうして、理由というものが眼に見えない導きの糸を提供し、それにしたがって一連の相互行為が 展開され、行為者は対立を回避するように導かれるようになる。 社会的行為者がやがてみずからの行為の導きを発話行為としっかりした理由の相互承認とに 置くことになれていくにつれて、刑罰という確かな威嚇とか、 共有された宗教伝統とか、昔からの道徳的な価値観とかに直接依存しない、比較的安定した 社会秩序のパターンがかたちづくられはじめる。≫
2015.12.31
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ハーバーマス Century Books / 小牧治 【全集・双書】ハーバーマス (Century Books―人と思想) 小牧 治、村上 隆夫清水書院2001年刊 フランクフルト学派の第二世代のハーバーマスの入門書。 ハーバーマスの理論が、マルクスと同等以上に、プラグマティズムによっている、 という点、とても興味深いです。≪・・ハーバーマスによれば、社会というものは人間たちの意思疎通(コミュニケーション) によって構成されているものであり、しかもこの意思疎通のうちにはつねに 必然的に討議(ディスクルス)あるいは討論の要素が含まれている。 そしてこの討論のなかで社会構成員たちはさまざまな事柄について 理性的な合意を目ざしており、こうしてそのつど実現される合意によってのみ 意思疎通は維持され、社会は機能していくのである。 そして社会がどれほど合理的に組織されているかは、社会システム論の言うように、 たんにその社会がシステムとして外的環境にどれほど適応しているかによって 評価されるだけでなく、何よりもまず、この討論による理性的な合意が どれほど実現されているかによって評価されるべきなのである。≫ マルクスの方法に加えて、プラグマティズムから、「理性的な認識と自由な討論との 不可分の関係について理解」した、といいます。 のちに、ハーバーマス自身こういいます。「友人のアーベルに刺激されて、当時の私はパースならびにミードとデューイを学びました。 私は最初からアメリカのプラグマティズムを、マルクスとおよびキルケゴールと並ぶ、 ヘーゲルへの第三の生産的解答として、言わば青年ヘーゲル派のラディカルな民主主義的分枝 として理解しました。 それ以来、民主主義理論の面でのマルクス主義の弱点を補うことが問題となる場合にはつねに、 私はこのアメリカ版実践哲学に頼ってきました。」≪・・社会を形づくっている意思疎通(コミュニケーション)は多くの場合は コミュニケーション的行為として行われている。 このコミュニケーション的行為とは、 たんに相手の意思を理解するだけではなく、話し手の発話行為にもとづいて、 その意思を理解したうえで聞き手が一定の行為を行なうという相互行為である。 そしてその場合に聞き手がその行為を行うのは、話し手の言葉を理解しただけでなく、 その言葉に納得して合意したからであって、もしその点に何らかの疑念があるならば、 納得と合意を目ざして特に討論が行われるのである。≫≪・・発話された事柄の妥当性がこのように討論されうる三つの領域を区別している。 それは、(1)命題が意味している外的世界についての真理性に関する領域である。(2)社会的相互関係における規範の正当性に関する領域 と(3)発話者の内面の表現の真実性に関する領域である。 そしてパースのプラグマティズムは、自然科学の論理を、このうち外的世界についての 命題の真理性をめぐる組織的な討論の過程の論理として明らかにしたものであるとされた。≫ ・・ふむふむと読み進んでいくのですが、 後半の結論じみたところにこんな記述があります。≪・・社会科学は社会という現象を研究するにあたって、意思疎通(コミュニケーション)における 合意や了解に関する問題を無視して、目的合理的な行為によるシステム制御という 科学的・技術的な問題に専念することはできないのである。≫ ・・えっ、あたりまえじゃん! と思うのですが、ナチズムやソ連時代などを想起すると、 決して当たり前ではなかったことを再認識するとともに、 それを意識せずにすむ幸せも感じるのでした。 <目次>1 ハーバーマスの軌跡(敗戦と祖国分裂フランクフルト学派実証主義論争と学生反乱ドイツの秋歴史家論争とドイツ統一)2 ハーバーマスの思想(政治と公共性認識と関心社会科学の論理コミュニケーション的行為の理論近代―未完のプロジェクト法と道徳)
2015.12.26
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】超訳論語と算盤 [ 渋沢栄一 ]渋沢栄一「超訳 論語と算盤」訳 阿部 正一郎総合法令出版2011年刊 渋沢栄一「論語と算盤」の超訳本(*_*; 武士道精神と商才=ビジネス成功の知恵・・ 人の世をしっかりと生きていくためには、武士道精神が必要であるが、 商才が全くないと、経済的に自滅しかねない。 だから、 まず武士道精神を養うこと。それには、論語が最も重要である。 次に、商才を養うこと。これにもまた、論語による。 逆境について・・ 逆境には、自然的な逆境と、人為的な逆境がある。 自然的な逆境とは、幕末動乱のような時代そのものが逆境となってしまう場合である。 人為的な逆境とは、自ら招いた逆境である。 後者の場合、≪すべて自分を省みて悪い点を改めるしか方法はない。 世の中のことは大ていは、自分がこうしたいとがんばれば、そのようになっていくものである。 ところが多くの人は、自らの力で幸福な運命を招くことをやめてしないがちである。 かえって自分の方からいじけた人間となって、さらなる逆境を招くことをしてしまっているのだ。≫≪私は、常に、精神の向上を共に進めることが必要だと信じている。 人はこの点から考えて強い信仰(信条や人生哲学、行動規範)を持たなければならない。≫≪すべての人に、日々の勉強を望むと同時に、 仕事や人生に対しての日ごろ実践での注意を怠らないように心がけることを説きたい≫≪ビジネスの本質つまり本当の利益の追求というのは仁義道徳にもとづかなければ、 決して永続するものではない、とわたしは考えるのである。≫≪どんな職業であろうと、どんな立場にあろうと、いつも自分自身の力でもって進み、 正しい道に少しも反しない生き方をし、そして財を築き、繁栄をもたらしていくように しなければならないのだ。 だからこそ、今こそ武士道をもってビジネス道としなければならない。≫≪「信用」というのが社会のすべての本であり、一つの信用が、どんなことにも勝てる力 となることを理解することが、わが国の経済界、ビジネス界を堅固に発展させていく ための緊急重要課題なのである。≫≪人を見るのに、単に成功したとか失敗したとかいって、それを基準にして考えるのは 根本的にまちがっている。 人は、人としての務めを果たしているのかを基準にして、自分自身の人生を歩んで いくべきであろう。≫≪そういう意味では、 成功とか失敗とかは、ただその人の真摯な人生・大事な人生の後に 身に残ったカスのようなものである。≫<目次>第1章 わが信条第2章 立志と学問第3章 常識と習慣第4章 仁義と利益追求第5章 理想と迷信第6章 人格と修養第7章 算盤と権利第8章 ビジネスと武士道第9章 教育と師弟関係第10章 成功・失敗と運命
2015.10.30
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】波止場日記 [ エリック・ホッファー ]エリック・ホッファー「波止場日記――労働と思索」(始まりの本)訳 田中 淳みすず書房2014年刊 沖仲仕の哲学者、エリック・ホッファーの日記。 ≪午前五時、独善的になっている。 長い仕事の後にはいつもこうなる。 仕事は蟻を残念にするばかりではなく人間をも残忍にする、 とトルストイがどこかで言っていた。≫≪自分自身によく注意しなければならない。 まったく、いたるところに落とし穴がある。 独善という落とし穴ばかりでなく、他人蔑視という落とし穴も。 もちろん私がともに働きとともに生活している人々を指すのではなく、 知識人一般のことである。≫≪午後五時。 仕事に行かなくてもよいのはすばらしくいい。 仕事が四日も続いた後では休みの朝がかくべつ快い。≫≪おかしなことに、休みの日には日記をつける気がしない。≫≪まだ疲れている。 そして疲労は休息では消えないことに気づく。≫≪一日中無気力であった。 しかし、問題は、この無気力が一時的なものなのか、 永続的なものなのかにある。 この一年の働き具合からすれば、私には少しばかり閑暇を楽しむ権利がある。≫≪私は坐ってものを書くことができない。 書き直しなら坐ってできる。 いつもは読書するとか、コピーをとるとか、そしてときたま原稿に一、二の文章を 挿入する場合に腰をおろす。≫≪短時間の交代勤務のあいまに少し書きものをした。 重い荷ばかりだったのですることがなく、読むものをなにも持っていなかったので 書けたのである。 ものを書くときに経験する苦しみと難かしさとを忘れずに銘記しておくべきである。 過去に経験した苦しみの記憶は、信じられないほどうすれている。 消え失せた記憶がよみがえるのは、再びその経験をくりかえしているその瞬間のみである。≫<目次>序 日記(1958年6月-1959年5月)訳注ホッファー小伝 訳者あとがき距離と違和感――『波止場日記』解説日記 森達也
2015.06.11
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エミール・ミシェル・シオラン「オマージュの試み」(叢書・ウニベルシタス)訳 金井 裕法政大学出版局1988年刊ベケット・・≪ベケット、この切り離された人間の正体を見抜くためには、 <離れている>といういい回し、彼の生活の一瞬一瞬のつねに変らぬ 暗黙のモットーについて、このモットーから当然予測できる孤独と ひそやかな頑固さについて、仮借ない、果て知らぬ仕事を追究している ひとりのあけっぴろげな人間の本質について思いみなさればなるまい。≫≪彼は時間のなかに生きているのではなく、時間と平行して生きている。 私があれこれの事件について彼の考えを尋ねてみようという気持についぞ なかったことがないのはこのためだ。 歴史とは、人間がそれなくして済ますことのできる一次元であるということを 合点させてくれる人間がいるものだが、彼はそういう人間のひとりなのである。≫カイヨワ・・≪肝心なことは、なぜ彼が当初からしてすでに体系よりはむしろ断章に惹かれていたかを 知ることであり、 またなぜあのように堂々たる構築物を忌み嫌い、 なぜあのように上品さを心がけ、 なぜあのように巧みに書き、 論証にあたってなぜあのようにかすかな息切れを見せたのか、 要するに、なぜあのように推論とリズムとを、理論と魅惑とを調合したのかを知ることである。≫<目次>ポール・ヴァレリー―完璧の災いガブリエル・マルセル―ある哲学者の肖像ベケット―何度かに出会いサン・ジョン・ペルスミルチア・エリアーデカイヨワ―鉱物の魅惑ミショー―窮極的なるものへの情熱パンジャマン・フォンダーヌ―ローラン街六番地ボルヘス―フェルナンド・サヴァテルへの手紙マリーア・ザンブラーノ―決定的現存ヴァイニンガー―ジャック・ル・リデールへの手紙フィッツジェラルド―一アメリカ人作家のパスカル的経験グイード・チェロネッティ―肉体の地獄この世の女ならず…告白摘録旧著再読
2015.06.09
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エミール・ミシェル・シオラン「悪しき造物主」(叢書・ウニベルシタス) 訳 金井 裕法政大学出版局1984年刊≪一人ひとりの人間は、外部から見れば、ひとつの偶発時、幻影である(・・) たぶん私たちは、ほとんど他人を見つめるのと同じように、自分自身を外部から 眺めてみるべきであり、自分自身とはもはや何ら共通のものはもたぬように 試みるべきであろう。 もし私がおのれ自身に対して、見知らぬ他人として振舞うならば、 私は自分が死ぬのをまったく無関心に眺めているだろうし、 私の生も、私の死も、もはや<私のもの>ではなくなるだろう。 生と死とが私のものである限り、そして私がそれらを私のものとして引き受けている 限り、それらは私の力ではいかんともし難い試練である。 これに反し、これらのものには内在的存在が欠けており、いささかも私と かかわりをもたぬはずだと納得すれば、なんと気持の休まることか!≫ ・・痛みの中では、こんな心境にもなります(>_
2015.06.07
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エミール・ミシェル・シオラン「四つ裂き刑」(叢書・ウニベルシタス) 訳 金井 裕法政大学出版局1986年刊≪何かいいたいことがあるから書くのではない。 何かをいいたいと思うからこそ書くのである。≫≪ヘロドトスを読んでいると、東方の百姓が語り、かつ<哲学している>のを 聞く思いがする。 -彼がスキタイ人の住む地方を旅したことも無駄ではなかったのである。≫≪書物は古い傷口を開き、さらには新しい傷をさえもたらすものでなければならない。 書物とは一箇の危険であるべきだ。≫≪毒人参が調合されているというのに、ソクラテスはフルート一曲の練習に 余念がなかった。 「今さらそんなことをしてどうなるというのかね」と尋ねられると、 「死ぬ前に この曲を覚えることになるさ」と彼は答えた。 ・・ 私にとってこの答えは、死を目前にして、あるいは他のいなかる瞬間において 行使されようとも、認識へのあらゆる意志の唯一確実な正当化とみえるからである。≫
2015.06.07
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】臨床の知とは何か [ 中村雄二郎 ]中村雄二郎「臨床の知とは何か」(岩波新書)1992年刊≪・・さまざまな理論、学問、方法のなかでもっともパワーフルで厚く人々に 信頼されてきたのは、いうまでもなく<近代科学>である。 近代科学というと、誰でもわかった気になる単純さがあるけれど、 実は多くの要因から成る複雑な構成体である。・・≪・・近代科学が17世紀の<科学革命>以後、<普遍性>と<論理性>と <客観性>という、自分の説を論証して他人を説得するのにきわめて好都合な 3つの性質をあわせて手に入れ、保持してきたからにほかならない。≫ この近代科学ほど、人類の運命を大きく変えた人間の所産はほかに例がない。≫ いまや、近代科学を抜きに<現実>を見ることができなくなっている。 しかし、その≪・・近代科学の自然観が、自然をもっぱら人間のために役立たせる技術的開発の 対象としてきたこと、したがって生態系つまりは地球環境の破壊をもたらすに 至ったことはいまや明白であろう。≫≪・・近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった<現実>・・≫とは、 ひとつは、<生命現象>そのものであり、 もうひとつは、対象との<関係の相互性>、あるいは相手のとの交流である。 近代科学の持つ3つの性質がもたらした弊害・・ <普遍性>の原理が排除したのは、事物のコスモス的な在り様を示す <コスモロジー>という原理である。 <論理性>の原理が排除したのは、自分の多様性としての <シンボリズム>(象徴表現)の原理である。 <客観性>は、主観と客観、主体と対象の分離・断絶を前提としている。 そこでは、客観や対象は、主観や主体の働きかけを受け取る、 受け身のもの、受動的なものでしかない。 そこでは、事物の側からのわれわれに対する働きかけは、一切無視される。 この事物からの働きかけを受け取るためには、自分の体を他人にさらして行う <パフォーマンス>が必要となる。 つまり、<普遍性>と<論理性>と<客観性>が無視した<現実>を捉え直すには、 <コスモロジー><シンボリズム><パフォーマンス>、 言い換えれば、 <固有世界><事物の多様性><身体性をそなえた行為> の3つの原理を備えたものが、 <科学の知>に対する<臨床の知>となる。 ・・以上、序文まで。<目次>1 “科学”とはなんだったのか2 経験と技術=アート3 臨床の知への道4 臨床の知の発見5 医療と臨床の知6 生命倫理と臨床の知
2015.06.04
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E.M.シオラン「涙と聖者」訳 金井 裕紀伊國屋書店1990年刊≪哲学を信ずることは、健康のしるしである。 考えはじめることは健康のしるしではない。≫≪アリストテレスにくらべれば、聖者は文盲のようなものだ。 しかしこの場合、後者の方により多く学ぶべきものがあるように思われるのはなぜか。 哲学とは回答なきものである。 哲学に対比すれば、聖性は一個の厳密科学である。 というのもそれは、哲学者たちがあえて提起することのなかったさまざまの問いに 確実かつ正確な回答をもたらすからである。 聖性の方法は苦悩であり、目的な神である。・・ 哲学を自分の身のまわりに置いておくのは、聖性を蔑視するためなのである。・・ 哲学者たちは冷静である。 熱気は神の近くにしか存在しない。私たち人間の本性は、その内部にある一切の シベリア的なものゆえに、聖者たちを求めているのだ。≫≪哲学者たちのただひとつの取り柄は、自分が人間であることをときとして 恥じたことがあったということである。 プラトンとニーチェは例外である。 彼らの羞恥は決して終わることはなかったからである。 前者は私たちを世界から切り離そうとし、 後者は私たちをおのれ自身から引きずり出そうとした。 彼らは聖者たちよりもすぐれていたかもしれぬ。 かくて、哲学の名誉は保たれたのである。≫
2015.06.01
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マイケル・ポラニー「科学・信念・社会」訳 中桐 大有、吉田 謙二晃洋書房1989年刊 第一章「科学と実在」より。≪科学的に知るとは、実在の様相であるゲシュタルトを識別することなのである。 わたしはここでこれを「直観」と呼んでおいた。≫ 問題解決における困難さ・・ プラトンによる『メノン』での指摘・・≪プラトンは、問題の解決を追求するのは道理に合わぬことだ、と言っている。 というのは、あなた方は、自分の捜しているものを知っているか、 それとも知っていないかのどちらかであり、もし知っておれば、問題というものは なにも存在しないし、知っておらなければ、あなた方はなにも捜していないし、 またなにか一つでも見つかると期待することもできない、からである。≫ であるとすれば、科学的な理解はどのように生じるのか?≪まだ理解されていないどんなものでも理解されうる、 というようなことがどうしていえるか。≫≪しかしもし科学が推量でしかないならば、ある推量がもう一つの推量よりも もっと良いと考えるのはなぜか。 いいかえると、科学の命題を確実なものと考えるための論拠というものは、 もしあるとすれば、なにか。≫ 意外なことに思われるが、 中世的な見解と科学的な見解という対立とは異なり、≪中世のカトリック哲学が、科学的合理主義を吹き込まれた世界のなかで 最初に確立されたということは通常看過されている。≫ そもそも、聖アウグスチヌスはカトリック哲学の基礎を捉えた人であるが、回心に先立って科学への深い関心を持っていたことが『告白』されている。 ジーンズ曰く、「科学は二つの仕方で進歩する。 一つは、新事実の発見によってであり、 もう一つは、既知の事実を説明するメカニズムまたは体系の発見によってである。 科学の進歩における顕著な出来事はみな第二の種類のものであった。」≪・・科学的命題がデータから獲得できるときの明確な規則というものは それゆえ一つも存在しないということである。≫ ≪経験的発見の手続はフランシス・ベイコンによって開示されかつ確立されたのだ という通俗的信念がある。 しかしあらゆる事実を集め、それを自動製粉機にかけることで発見が行われるのだ というベイコンの処方箋は、実際には研究の戯画であった。≫ G.ボーヤ曰く、≪・・発見がきわめて微妙にして個人的な技術であり、しかもこの技術にとっては 定式化されたどんな指針もほんのわずかしか助けにならないということを 証明しているだけである。≫ ポアンカレ曰く、≪・・発見は通常精神的努力が積み重ねられた結果 - これは力の最後の一滴をふりしぼって山頂に到達する方法だが - 生じるのではなく、たいていは休息または気晴しの時期の後で即座にやってくるのだ、と。≫≪・・意識的な努力ではないコントロールされない、おのずから生じる精神的再組織化の 過程によって起こるのである。≫<目次>背景と展望1 科学と実在2 権威と良心3 献身もしくは隷従付録(科学の諸前提新しい観察の意義観察との一致)
2015.05.30
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メール便送料無料!【中古】 絶望のきわみで / E.M. シオラン [単行本]【メール便送料無料】【...価格:4,046円(税込、送料別)E.M.シオラン「絶望のきわみで」訳 金井 裕紀伊國屋書店1991年刊 本の扉の言葉・・≪1933年のルーマニア - 当時22歳のシオランは、「ある内的大激変」に襲われた。 不眠と眩暈、強度の内的緊張、狂気すれすれの危機的状況。≫ この危機を、「書くこと」によって脱した、といいます。 本書は、その記録の断片・・≪なぜこの世で何かをなさねばならぬのか、 なぜ友人だの、あこがれだの、希望だの、夢だのをもたねばならぬのか、 私にはその理由がまるでわからない。≫≪私が存在するという事実は、世界には意味がないことの証明である。 事実、際限なく苦しむ不幸な人間、 彼にとってすべてのものは要するに虚無に行きつき、 苦悩こそこの世界の王者である者、 このような人間の責め苦のなかに、私はどんな意味を見出すことができようか。≫≪健康な者には断末魔の経験もなければ、死の感覚もない。 彼らの生は、あたかも決定的な性質をもっているかのように展開する。 死は外部に由来するものであり、存在に内在する宿命であるとは考えないことこそ 普通の人間の属性である。 最大の幻想のひとつは、生が死にとらわれている事実を忘却しているところにある。≫≪若者たちは死をひとつの外的事件として語る。 だが、ひとたび病気にしたたかに打ちのめされれば、 彼らは若さの幻想などすべて失ってしまうだろう。 病気から生まれる経験こそ、ただひとつの本来的経験であることは確かだ。 それ以外のすべての経験には、否応なく書物の刻印がついてまわる。≫≪私のあとに続くすべての人のためにここに断言しておくが、 この世に私の信じうるものなど何ひとつないし、救いは忘却のなかにあるものと 思っている。 できることなら、私は一切のものを、おのれ自身をも全世界をも忘れてしまいたい。≫ 宮田珠己さんも、「旅はときどき奇妙な匂いがする:アジア沈殿旅日記」の中で、≪痛んでいる最中、人間は自分の周囲一メートルを超えることはほとんど 認識できない。意識は内向きになり、自分濃度が高まって、世界は、 自分と痛みとそれ以外の全部という形に単純化されてしまう。≫と言われていますが、そのとおりだと思います。 また、強度のストレスは、脳細胞を萎縮、破壊させますが、 鈍痛のような痛みも、長期間続きと、ストレスと同様に、脳細胞を萎縮させ、うつを引き起こすので、鎮痛剤との付き合い方も必要になる、と思っています。
2015.05.27
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】マイケル・ポランニー「暗黙知」と自由の哲学 [ 佐藤光 ]マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学 (講談社選書メチエ) 佐藤 光2010年刊 ポランニー知識論の秘めている「恐るべき目的」が、 明らかにされます。『個人的知識』・・ ポランニーによれば、≪どのような経験科学、物理化学のような厳密な経験科学においてさえも、 素朴な実証主義や客観主義や科学主義では説明できないような超経験的な理論や 思想が不可欠な役割を果たしているという≫ ・・経済学や社会科学においては、ある意味、当たり前のことかもしれない。≪科学者が科学的知識を獲得するのは、万人に与えられたマニュアルに従ってではなく、 彼あるいは彼女の個人的な技能の実践を通してである。≫≪・・技能や技芸の習得の多くは、ただ、師匠と弟子などの具体的な人間関係を通した 伝統(tradition)の継承としてのみ可能だとポランニーはいうのだが、 これは、科学的知識に関しても当然当てはまる。≫「・・分節化のプロセスは、われわれの生得の記憶力に途方もなく効果的な援助を提供した。」「経験をより完全に記述しようとすれば、言語はそれだけ厳密さを失わなければならない。 しかし、厳密さが失われれば失われるほど、結果として生まれる言葉の不決定性を解消する ために、分節化されない判断諸力が効果を増すことになる。 われわれの言葉が言及する具体的経験の豊饒さをつかさどるのは、われわれの個人的参加なのだ。 この暗黙の要因(tacit coefficient)」の助けを借りてのみ、われわれは、経験に関して いやしくもなにかを語りうることになるのである」≪重要なのは、言語にせよ、科学にせよ、技術にせよ、人間の「分節化されたもの」の平面における 高度な知的活動が矛盾なく有効に展開されるためには、 「分節化されない」ものへの個人的信頼とコミットメントが不可欠だという点である。≫ 信仰のプログラム・・≪「・・われわれは、聖アウグスティヌスにまで立ち返って、認識力の平衡を回復しなければならない。 紀元四世紀に、聖アウグスティヌスは、史上初めて脱批判哲学を創始することによって、 ギリシア哲学を終焉させた。 彼の教えによれば、あらゆる知識は恩寵の賜物であり、 われわれは、信じなければ知ることはできない という古来の信念の下に努力しなければならないのである」≫ ポランニーの知識論を要約すれば、≪知識対象(知られるもの)への知識主体(知る者)の 個人的・人格的・積極的関与(コミットメント)を知識獲得における不可欠な要素とする 「人格主義(personalism)」や「積極主義(activism)」、 あらゆる知識における「暗黙の要素(tacit aomponent)」や 「分節化されない知性(inarticulate intelligence)」の根本的意義の主張などを、 その基本的特徴と挙げることができる。≫ 「暗黙知」再論・・≪第一に確認したいのは、「明示知」と別に「暗黙知」なるものがあるのではないということだ。 あらゆる明示知には暗黙知がつきまとう。 というより、暗黙知の基盤を持たない明示知、より一般的にいえば暗黙知の要素を欠いた知識は 存在しない。≫ 一方で、≪・・十分に分節化された言語と理性を持った成人の人間に関する限り、 明示知をともなわない暗黙知が存在しないことも明らかだろう。≫≪「暗黙知」の独り歩きは、厳に慎まなければならない。≫≪われわれの知覚や認識の背後に明確な言葉で表現できない「暗黙の次元」が存在するという事実の 指摘に留まるなら、率直にいって、ポランニー知識論の意義はさして大きなものではない。≫≪ポランニー知識論は、まるで、顔の諸細目からだれかの存在を同定するのと同じように、 世界の諸細目から世界と人間の存在理由を導きだそう、世界の人間存在の意味を明らかにしようという、 恐るべき目的を持っているのだ。 「宇宙の意味」 「世界の意味」 「人間の意味」 などの、通常の科学的方法によっては明らかにしようもない究極の意味、 そうした意味への問いを持つこと自体が無意味(nonsense)とされかねない、 究極の意味を探究することが可能であること- この点を主張することが、顔の識別の例を挙げながら、 人間は「語ることができるよりも多くのことを知ることができる」 と述べる、ポランニーの哲学的コミットメントだったのである。≫
2015.05.24
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】カント「視霊者の夢」 [ イマーヌエル・カント ]カント「視霊者の夢」 (講談社学術文庫) 訳 金森 誠也2013年刊 まず、いきなり「まえがき」で、カントはこう言います。≪霊界は空想家がでっちあげた楽園である。 ここでは彼らが好き勝手に造成した無限に広い土地が見出される。 憂鬱な気分、乳母のおとぎ話、修道院をめぐる奇跡など、 建設材料に事欠かない。≫ かといって頭ごなしに霊や霊界を否定するのではなく、 哲学的観点で吟味しようとします。 しかし、その結論は、 なんらかの偶然か、病気によって、脳のどこかの器官が障害を起こして、 しかるべきバランスを失った結果、空想が生まれるのだ。 その証拠が、≪空想家がしばしば、彼以外のだれもが知覚しえない事物をきわめてはっきり 見たり、聞いたりしたと信じたとしてもけっして驚くにはあたらない。≫ 脳内で創り出される幻覚は、何でもありの世界である。 だから、≪・・この種の存在についてのすべての哲学的な洞察を完璧にすることであろうが、 それとともに将来人々はたしかに霊について色々と考えはするだろうが、 もはや多くを知ることはできないだろうということだ。≫≪さらにわたしは形而上学の広範な分野を占める霊に関するすべての材料を、 まったく用済みのもの、一巻のおわりとして退けることにする。 こうしたものは将来も、わたしには何の関係もないであろう。≫ ダメ押しの言葉・・「われわれはおのれの幸福を心配しよう。 庭に行って働こうではないか」<目次>訳者まえがき詳述する前に、きわめてわずかなことしか約束しない前書き第一部 独断編第一章 好き勝手に解きほぐしたりあるいは断ち切ることができる混乱した形而上学的な糸の結び目第二章 霊界との連帯を開くための隠密哲学の断片第三章 反カバラ。霊界との共同体をとりこわそうとする通俗哲学の断片第四章 第一部の全考察からの理論的結論第二部 歴史編第一章 それが本当かどうかは読者の皆さんの探究にお委せする一つの物語第二章 夢想家の有頂天になった霊界旅行第三章 本論文全体の実践的結末参考資料1 『神秘な天体』(抜粋) スヴェーデンボリ参考資料2 クノーブロッホ嬢への手紙 カント解説
2015.04.08
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石井郁男「鴎外「小倉左遷」の謎」葦書房1996年刊 明治32年、鴎外森林太郎が、小倉の第12師団に異動となる。 森家も、林太郎本人も、さらに陸軍省医務局関係者一同も、 都落ちの左遷と考えていました。「これは明らかに左遷人事だ。 なぜ自分が左遷されねばならぬのか。 軍医の仕事での失敗は何もないはずだ。 本業以外の文学などで目立ち過ぎる仕事をしたためなのか。 どう考えてもそのために睨まれたとしか考えられない」 鴎外の懊悩は深かった。 鴎外37歳、まだやりなおしのきく年齢だった。 しかし、この左遷人事には、陸軍省として、隠されたある意図があったのではないか? その謎とは何か? 鴎外は、小倉にいたほぼ3年のうち、2年を割いて、 クラウゼヴィッツの『戦争論』を師団の将校たちに講義し、翻訳している。 当時の日本に『戦争論』を知るものは陸軍の中にも少なく、 またその難解さゆえ、翻訳はなかった。 クラウゼヴィッツは、カント学徒であり、 『戦争論』は、クラウゼヴィッツ自身が12年間収集したヨーロッパの戦争資料を カント哲学によって学問的に整理したものであった。 そのため、当時、『戦争論』を翻訳できる人物は、鴎外以外に考えられない と、思った人物がいた。≪実は『戦争論』の正確な翻訳を軍が入手したいがために、 鴎外を小倉に動かしたのではないのか。 これが本書がこれから挑む謎である。≫ 冒頭の解説にも、こうあります。≪クラウゼヴィッツを自家薬籠中のものとすることによって、近代日本は日露戦役に 勝利をおさめることができた。 その筋道が、鴎外-田村恰与造-小倉在勤に淵源とすることを、 本書は速断を避けた謙虚な筆致で説いている。≫【中古】鴎外「小倉左遷」の謎
2015.04.04
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ピアノを弾くニーチェ [ 木田元 ]木田元「ピアノを弾くニーチェ」新書館2009年刊ピアノを弾くニーチェ・・ 44歳の時、精神錯乱を起こし、1900年に55歳で亡くなった≪ニーチェは、一方で強靭な思索を展開しながらも、 他方では豊かな感性に恵まれ、自分で作曲をしたり、 ピアノを弾いたりもできたそうだ。 発病度、母親とイエナで暮らしていたころのこととして、 こんな話が伝えられている。 母親が知人の家を訪ねようとすると、まるで子どものようにニーチェが 後を追ってくるので、彼女は彼をその家のピアノの前に坐らせ、 いくつかの和音を弾いて聴かせる。 すると彼は、何時間でもそれを即興で変奏しつづける。 その音の聴こえるあいだ、母親は安心して知人と話ができたという。≫ 坂口安吾『勉強記』・・青空文庫POD(ポケット版) 勉強記 <坂口安吾> フランス語の動詞の変化は、90いくつなのに対して、 ラテン語は、200ほど。 サンスクリット語になると、「名詞でも形容詞でも勝手気ままに変化する。」 このサンスクリット語の『法華経』を、40歳を超えてから、 新聞記者の激務をこなしながら訳出したのが、 植木雅俊さんでした。 「サンスクリット原典現代語訳 法華経(上)(下)」サンスクリット原典現代語訳法華経 上 / 植木雅俊 【単行本】 シュテファン・ツヴァイク『バルザック』・・シュテファン・ツヴァイク (著) 出版等 早川書房 ページ数 606バルザック (1959年)【中古】 バルザックが大量に作品を書きながら、なぜ貧しいままだったのか? 当時の出版事情と、バルザックの仕事に対するこだわりが感動的です。<目次>第1章 読書余滴(大量生産の秘密近松門左衛門の謎和算小説の面白さ ほか)第2章 あすへの話題(星屑のステージ巴里祭風太郎さんの明治小説 ほか)第3章 読書雑記(川上弘美『センセイの鞄』解説北森鴻『孔雀狂想曲』解説本当になにもかもを小林秀雄に教わった―小林秀雄『モオツァルト』 ほか)
2015.04.03
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アドルノ入門 (平凡社ライブラリー)ロルフ・ヴィガースハウス訳 原 千史、鹿島 徹1998年刊 アドルノは、音楽家兼哲学者でした。 ピアノを弾いていた哲学者は多くいたようですが、 職業ピアニストになったこともある人はアドルノだけかもしれませんね(^^♪ ホルクハイマー宛の公開書簡より・・「・・ぼくは、そもそもの生まれと若いころの経験からして、芸術家、音楽家だった。 とはいっても、今日の芸術とその可能性をなんとか弁明したいという思いで、 一杯だったのだけれども。 その思いにはやはり客観的なものが、つまり社会の趨勢に直面して素朴に美的に 振る舞うだけでは不十分なのではないかという予感が、頭をもたげようとしていた。」≪学業を終えて哲学の博士号を取得したのちアドルノは1925年初め、 作曲家兼コンサートピアニストになり、シェーンベルク・サークルの 一員としてその音楽を普及させる一助となりたいという思いを胸に、 ウィーンにいるアルバン・ベルクのもとへ赴くことになる。≫≪・・彼にとってショックだったのは、シェーンベルクに認めてもらえなかったことだった。 彼のじつにわずかな作曲の仕事にしても、また哲学的傾向をもった音楽論文にしても そうだった。≫≪構成的主観性という迷妄を主観の力によって打ち破ること。 数学的-自然科学的思考を理想と仰ぐような矮小な合理性概念に取って代えて、 「非同一的なもの」の経験に場を与える幅広い合理性の構想を打ち立てること。 アドルノが哲学者として自分の使命と見なしていたのは、このことである。≫≪哲学体系といったようなものを作り上げることなど、アドルノには問題ではなかった。 体系というものは、特殊な対象への没入を妨げ、特殊なものから始める思考の 代わりに上からの思考だけを許容する秩序だと見なしていたからである。 アドルノの理想は、百科全書的な思考、つまり、全体として合理的に組織されて いながらも非連続的で、くり返し新たに始まる、エッセイ的な思考なのだ。≫≪アドルノは暗鬱な(dunkel)、いやそれどころか暗黒の(schwarz)社会理論家であった。 しかし思考と芸術から発する希望の輝きは彼にとって、社会に対しラディカルな批判 をくわえるのに十分なものである。 そのさい彼を照らしみちびく明かりとなったのは、人間が貶められ、奴隷となり、 見捨てられ、軽蔑すべき存在になっている状況をすべて転覆せよ、 というマルクスの命令が妥当であることに変わりはないという確信であった。≫≪哲学とはちがい、芸術は<幸福の約束>を秘めている。 否定弁証法に立脚する哲学が目指していたもの、 つまり「主観の行為をつうじて客観的なものが見えてくること」を実行する芸術なのだ。≫<目次>第1章 ファシズムの時代を生きた市民階級のインテリ・アウトサイダー第2章 非同一的なものの哲学―否定弁証法第3章 批判的社会理論―権威主義的主体の管理社会第4章 モダニズム芸術の哲学―美的仮象による「幸福の約束」第5章 多岐にわたる影響
2014.12.31
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三原弟平「思想家たちの友情―アドルノとベンヤミン」白水社2000年刊≪人間のアポリアのひとつは、共生・群居のさなかにあって、 ひとりになりたいという強烈な思いと、 ひとりでは生きられない事実とのあいだに引き裂かれていることである。≫ バートランド・ラッセル曰く、「人間はトラやライオンのように、たったひとりぼっちで生きて行くことはできない。 しかし人間はまたアリとかハチのように、もっぱら集団的に、社会的にだけ生きて行く こともできない。人間は半分社会的で、半分孤独な動物なのだ。」「そしてほんとうによい社会とは、人間のもっている二つの面を同時に満足させてくれる ような社会でなければならない」≪・・ホッブスにせよ、スピノザ、バートランド・ラッセルにせよ、人間存在のアポリア から発しながら、彼らの思考はみな、ありうべき国家や社会論へと導かれていく。 ところが1933年以来、ベンヤミンもアドルノもクラカウアーも、 そうした社会や国家を失った亡命者として生きた。≫≪彼ら哲学者たちは、いっきょに社会や国家という抽象構造体におもむくが、 われわれにはそのまえに友情とか交友というかたちの具体的な生存圏があるわけで、 社会や国家を失ったベンヤミンたち亡命者は、そのぶん、友情というこの細い糸に いっそう頼らざるをえず、そこでは人間存在における友情の可能性、その強靭さや 屈撓性が試されることとなったのである。≫<目次> 友情自然の連関(ordo naturae)往復書簡癖物語どこまでも追ってくる!その日の精神的気圧配置図穴のなかの異端者たちの対話間奏曲と前哨戦悪友?ペリペティア(運命の急変)〔ほか〕
2014.12.20
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Century books 人と思想 148【後払いOK】【1000円以上送料無料】アドルノ/小牧治小牧治「アドルノ」(Century Books―人と思想)清水書院1997年刊 1903年、フランクフルトに、ユダヤ系ドイツ人の裕福なワイン商人の一人息子として 生まれる。母は歌手、叔母はピアニスト。 アドルノの少年期の体験・・≪・・幼少のころからオペラに親しんだ。 まさに早熟の天才・・ のちほど、音楽に関してすぐれた論を展開するにいたったのは、 また彼の哲学が芸術的・音楽的な感覚をおびているのは、 この幼少からの天分や環境や体験によることが大きかったといえよう。 しかしユダヤ系市民の出であるこの少年は、彼の天分が豊かであればあるほど、 やがて、精神的な孤独・苦悩に見まわれねばならなかった。 そしてついには、ペシミズムに追いやられることにもなるのである。≫ 『ミニマ・モラリア』の「意地の悪い学友」でのアドルノの思い出によると、 少年時代・・1910年代後半には、ヒトラーユーゲントの先鋒ともいえる 意地の悪い学友を通して、すでにファシズムの到来を予期していた。「どんな幸福もいつ取り上げられるか分からない一時の借り物」とみなすようになっていた。 ≪人間の熟練と知識とは分業によって分化してきたが、その人類は同時に、 より非人間的な状態へ押し戻される。 支配の持続は、生活が技術によって楽になってくる反面、より強い抑圧によって 本能の硬直をひき起こすからである。≫≪啓蒙は、さまざまの質から量への転換であった。 それは、自然の個別的・異質的なものの等質化であり、思惟の抽象作用による 普遍化・一般化である。・・ が、それとともに、今や事実的・現存的なものが唯一のものと見なされる。≫≪・・「啓蒙は神話へ逆転でする」。 現存する事実的なものの永遠化は、神話的な映像の深長な意味のなかにひとしく 言明され保証されているものなのである。≫≪さらに啓蒙は、運命とか宿命という概念を消去することを目ざした。 が、抽象作用によって個々の諸対象が持つ特殊性を精算してしまう限り、 それは個々の対象にとって、神話的運命を異なるところがない。≫≪「市民的な商品経済がひろまるにつれて、神話の暗い地平は、 計算する理性の太陽によって照らし出される」が、その氷のような理性の 光線の下に、新しい神話的な暗さや野蛮、恐怖が育ってくる。 合理的・啓蒙的な支配の強制の下に、人間の労働は、神話の外に連れ出されながらも、 支配の下で、つねにまたはかりしれない神話に引きこまれ、神話に左右される のである。≫<目次>音楽的な家庭環境音楽と哲学キルケゴール論―美的なものの構成時代の波―私講師からイギリス亡命へアメリカ亡命啓蒙(文明)の野蛮化の省察―『啓蒙の弁証法』ドイツ帰還ミニマ・モラリア(小倫理学)―傷ついた生活裡の省察音楽論諸哲学思想に対する対応と批判『否定弁証法』学生との対決悲劇的な死去と葬送遺作、『美の理論』
2014.12.20
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ベンヤミン新装版 [ 村上隆夫 ]価格:1,080円(税込、送料込)村上隆夫「ベンヤミン」(Century Books―人と思想)清水書院1990年刊 1930年、38歳頃のベンヤミンの日記・・「ぼくは、生まれてはじめて、じぶんがおとなだと感じている・・ もう若くない、ということだけのことではない。 ぼくに内在していた数多くの生活形態のうちのひとつを、 ほとんど実現した、ということなのだ。 ぼくがしばらく前からじぶんの家をもったことも、その一部分をなしている。」 ・・「自分がドイツでひとつの地位を築いた」と自信を持っていた頃。 でも、しばらく後には、 「わたしは疲れた」と記す。 それは、「何よりも金を得るための闘いについての疲れ」であり、 ドイツにおける絶望的な状況を見聞することからくる疲れであった。 また、この時期、ベンヤミンは、家族を失い、市民階級としての経済的基盤を失い、 政治的にも敗北しつつあった。 「失業は、経済政策派のプログラムをもう時代おくれにしてしまったが、 いまや革命派のプログラムをも同じうきめに逢わせつつある。 というのは、実際にあらゆる徴候からみて、わが国の失業者によって選出 されているのは、ナチ党員なのだ」 <目次>1 ベンヤミンの生涯(ベルリンの幼年時代青年運動と戦争の時代ワイマール時代亡命の時代最後の日々)2 ベンヤミンの思想(青春の形而上学批評の理論ドイツ‐ロマン主義の芸術批評とゲーテの親和力ドイツ悲劇の根源プルーストとカフカ複製技術時代の芸術言語哲学と収集癖パリの遊歩街歴史の概念について)
2014.12.18
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】啓蒙の弁証法 [ マックス・ホルクハイマ- ]アドルノ&ホルクハイマー「啓蒙の弁証法―哲学的断想」(岩波文庫)訳 徳永 恂 第1章の「啓蒙の概念」のみ読みました(*_*; ここでいう「啓蒙」とは、徳永さんのあとがきに、こうあります。≪本書の表題とされる「啓蒙(Aufklarung)」とは、 たんに無知を啓発するという教育的意味や、歴史上の一時期をさすのではなくて、 こういう人類的過程を貫く文明化の過程という意味を持っている。≫ 文明化の過程で、2つの世界大戦が起こり、アウシュビッツが起こったことを踏まえ、 「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、 一種の野蛮状態へ落ち込んでいくのか」という問いを考えるにあたって、 その由来から逆に考えようとした、といいます。≪古来、進歩的思想という、もっとも広い意味での啓蒙が追求してきた目標は、 人間から恐怖を除き、人間を支配者の地位につけるということであった。≫≪しかしながら、啓蒙によって犠牲にされたさまざまの神話は、それ自体すでに、 啓蒙自身が造り出したものであった。 事象が科学的に計算されるものになると、かつて神話のうちで思想が事象について 与えていた説明は、無効を宣告される。 神話とは、報告し、名付け、起源を言おうとするものであった。≫≪神話は啓蒙へと移行し、自然は単なる客体となる。 人間は、自己の力の増大をはかるために、彼らが力を行使するものからの疎外 という代価を支払う。 啓蒙が事物に対する態度は、独裁者が人間に対するのと変るところはない。・・ 科学者が事物を識るのは、彼がそれらを製作することができるかぎりである。≫≪人間を自然の暴力から連れ出す一歩ごとに、人間に対する体制の暴力が増大してくる という状況の不条理さは、理性的社会の理性を、陳腐なものにすぎないとして告発する。≫≪思考は、数学、機械、組織といった物象化した形をとって、 思考を忘れる人間に復讐をとげる。≫≪社会は人の意識を喪失させることによって思考の硬化をもたらす。≫≪その可能性を眼前にしながら、しかし啓蒙は、現代に奉仕して、 大衆に対する全体的な欺瞞へと転身する。≫<目次>1 啓蒙の概念2 オデュッセウスあるいは神話と啓蒙3 ジュリエットあるいは啓蒙と道徳4 文化産業―大衆欺瞞としての啓蒙5 反ユダヤ主義の諸要素―啓蒙の限界6 手記と草案
2014.12.10
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【送料無料】 否定弁証法 / テーオドール・ヴィーゼングルント・アドル 【単行本】テオドール・W. アドルノ 「否定弁証法」作品社訳 木田 元、渡辺 祐邦、須田 朗、徳永 恂、三島 憲一、宮武 昭1996年刊 アドルノの代表作・・ 第1部以降は、ハイデガーの『存在と時間』と、ヘーゲルの弁証法を理解している前提で、 話が進むので、序論のみメモします。「はじめに」・・≪否定弁証法という言い方は伝統に逆らう。 弁証法は、すでにプラトンのもとで、否定という思考手段を通じてある肯定が回復される ことを意味していた。 後日、否定の否定という形容がこのことを簡潔に言い当てることになる。 本書は、いささかも厳密さをなおざりにすることなく、弁証法をそういう肯定的な本質から 解放しようとする。 この逆説的な標題を展開してみせることが、本書のねらいの一つである。≫「序論」・・≪弁証法とは首尾一貫した非同一性の意識である。 弁証法とは、あらかじめ一つの立場をとるものではない。 思想を弁証法へと駆り立てるのは、思想の不可避的な不十分さであり、 その思想が思考している対象に負う負い目である。≫≪しかしこの法則は思考の法則ではなく、実在的なものである。 弁証法的規律に身を屈する者は、疑いもなく、経験の貧困化は常識的なものの見方に とって憤激の的となっているが、しかしこの貧困化こそ管理された世界においては その抽象的な一様性にふさわしいものであることが明らかになる。 管理された世界の苦悩は、概念にまで高められた経験ゆえの苦悩である。≫≪哲学は、概念を素材にせざるをえない以上、はじめから観念論たるべく予定されているのだ という一般的な非難に、哲学は-ヘーゲルの哲学でさえも-さらされている。≫≪概念を操作しなければならないという哲学の災いを、概念の優位性という福に転じたりしてはならないし、 また逆に、この福を批判することから哲学についての総括的な判決を引き出してもならない。≫≪概念の脱呪術化は哲学の解毒剤である。 それが哲学の異常増殖を妨げ、哲学が自己自身にとって絶対者となることを妨げる。≫≪つまり哲学が目指すのは、切り縮められることのない外化である。 哲学的内容は、哲学がそれを公式に認めていないところにおいてこそ捉えられるべきなのだ。≫≪哲学が深遠さの理念に関与するのは、その思考の息づかいによってのみである。≫≪思考というものはすべての特殊な内容に先立って、それ自体においてすでに否定作用であり、 それに押しつけられたものに対する抵抗である。 このことを思考は、その原像である労働がおのれの素材に対してもつ関係から相続した。≫≪いわゆる実存的な不安とは、体系になった社会のなかでの閉所恐怖症である。≫≪概念がなければ、個人的経験は連続性をもたないであろう。 個人的経験は論証的な媒体に与ることにより、それ自身の規定からして、 つねに同時に単なる個人的なもの以上のものである。・・ 個人的経験が普遍的なものにゆきつくのは、それがそれ自体において普遍的だからであり、 また普遍的であるかぎりにおいてである。≫<目次>序論第1部 存在論との関係(存在論への欲求存在と実存)第2部 否定弁証法 概念とカテゴリー第3部 いくつかのモデル(自由―実践理性批判へのメタ批判世界精神と自然史―ヘーゲルへの補説形而上学についての省察)【楽天ブックスならいつでも送料無料】否定弁証法講義 [ テーオドール・ヴィーゼングルント・アドル ]
2014.12.07
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】フランクフルト学派 [ 細見和之 ]細見和之「フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ」(中公新書)中央公論新社2014年刊 ベンヤミン、アドルノの著作、久しぶりに手に取ってみたくなりました。「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」(テオドール・アドルノ)「アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった」『否定弁証法』 ・・アウシュヴィッツに象徴される出来事は、文化と野蛮の関係を根底から問い直す ことを私たちに迫っている。≪なぜホロコーストのような出来事がヨーロッパの高度な文明社会で起こったのか≫「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか」『啓蒙の弁証法』≪二〇世紀の大量虐殺が悲惨なのは、それがたんに太古的な野蛮の残存を印象づけるからではありません。 逆にその野蛮な殺戮が高度な知によって媒介されているからこそ、私たちはいっそうやり切れない思いに かられます。≫「社会が全体的になればなるほど、精神もまたいっしょう物象化され、この物象化から自力で身を振り ほどこうとする精神の試みは、いっそう背理的となる。 宿命についての極限的な意識さえも、おしゃべりへと変質する危険にたえず曝されている。 文化批判が直面しているのは、文化と野蛮の弁証法の最終段階である。 すなわち、アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮であり、 そしてこのことが、こんにち詩を書くことがなぜ不可能になったかを語り出す認識をも蝕むのである。 物象化は精神の進歩を自らのさまざまな要素のひとつとして前提としていたが、 こんにち物象化は完全に精神を呑み込もうとしている。 自己満足的な観照という姿で自らのもとにとどまっているかぎり、 批判的精神はこの絶対的な物象化に太刀打ちできないのである。」『プリズメン』 アドルノの友人、ベンヤミンの言葉・・「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でもなく翼でもなくて、 友の足音だ」 ベンヤミンは、フランスからアメリカに亡命すべくピレネー越えを図るも、 ナチの息のかかったスペインの国境警備隊に捕まります。 大量のモルヒネを飲んで服毒自殺を遂げる直前、同行の女性に伝えたアドルノへの伝言。「出口のない状況にあって、ぼくはそれに、けりをつけるほかなくなっている。 ぼくが生を終えようとしているのは、誰ひとりとしてぼくを知る者のいない、 ピレネー山中の小さな村のなかだ。 あなたにお願いするが、ぼくの思いをぼくの友人のアドルノに伝え、ぼくが置かれることと なった状況を、彼に説明してやってほしい。 書ければ書きたかった手紙という手紙を書くだけの時間が、ぼくには残されていないのだ、」<目次> 第1章 社会研究所の創設と初期ホルクハイマーの思想第2章 「批判理論」の成立―初期のフロムとホルクハイマー第3章 亡命のなかで紡がれた思想―ベンヤミン第4章 『啓蒙の弁証法』の世界―ホルクハイマーとアドルノ第5章 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」―アドルノと戦後ドイツ第6章 「批判理論」の新たな展開―ハーバーマス第7章 未知のフランクフルト学派をもとめて
2014.11.22
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図書館に本を返しにいったら、 13:30より、市川市国際交流協会の主催で、「ドイツ文化を学ぶ」という講演会がありました。 今年は、市川市・ローゼンハイム市パートナーシティ締結10周年とのこと。 ローゼンハイム市は、首都ミュンヘンのあるバイエルン州の南端にあり、 オーストリアの境にある人口6万人の街。名前の「バラの家」という名前通り、 市川市にある里見公園、大洲防災公園にあるバラ園にも、ローゼンハイム市から寄贈された「マリア・リサ」という品種のバラが植樹されています。 講演会の講師は、ドイツ哲学の研究者である千田義光さんと高山守さんのお二人。 お二人とも、渡邊二郎さんのお弟子さんでした。 そもそもが、フッサールなどの訳書などでも有名な渡邊二郎さんが、40年余、市川市に暮らしており、 6年前に亡くなられたのですが、蔵書3千冊余りを、市川市中央図書館に寄贈し、 現在、「特別コレクション 渡邊二郎」として、研究ノートの閲覧や蔵書を借りることができます。 千田義光さんの話は、渡邊二郎さんの放送大学での教科書『自己を見つめる』の紹介を通して、 私たちの人生が展開される世界を、「時間」と「境遇」の2つの観点から考察するもの。 高山守さんの主題は「生命ある世界を求めて」、副題は「カント・ヘーゲルの哲学」。 カントが定義した私たちの世界は、「生命を失ってしまった、単なる物質の集散離合する世界」。 なぜなら、カントの哲学が、私たちの世界から声明を奪ってしまったから。 ヒュームは、「因果関係により、世界が確定されている」ということに対して批判を行った。 そのことは、カントにとって目からウロコの出来事だった。 しかし、再度、適用範囲を限定することにより、因果関係の復権を図る。 つまり、カントは、世界を2つに分けた。 1つは、因果関係が通用し、通常の対象認識における判断ができる感性界であり、 数学、自然科学の世界であり、 もう1つは、神・自由・魂・生命など創造的芸術的認識における判断による叡智界であった。 問題は、この2つの世界が分断されてしまっていること。 私たちの生活する感性界は、物質や経済中心であり、魂は排除されている。 つまり、「生命を失ってしまった」世界なのだ、と。 この2つの世界をつなぐ思想が、渡邊二郎さんの「創造的無」にあるのではないか。 または、物質の世界において、「ウソはつかない。正直に生きる」ことが、生命を吹き込む ことになるのではないか、とコメントされていました。 ・・が、後半は、背景知識がないので、論理の飛躍に思えました(^-^; せっかくの機会なので、『自己を見つめる』を手に取ってみようと思います。<次第> 13:30-16:301.主催者挨拶:市川市国際交流協会 副会長 田中洋2.市川市・ローゼンハイム市パートナーシティ締結10周年の歩み 市川市国際交流課 副主幹 藤田俊雄3.講演『自己を見つめる』-円熟と諦念の境における思索 國學院大學名誉教授 千田義光4.講演「生命ある世界を求めて カント・ヘーゲルの哲学」 東京大学名誉教授 高山 守5.質疑応答
2014.05.11
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小泉義之「レヴィナス―何のために生きるのか」(シリーズ・哲学のエッセンス) 日本放送出版協会2003年刊 レヴィナスの考える人生の意味と目的とはどのようなものか?≪何のために生きるのか。 何ものかのために生きる。 しかし、何ものかのために 生きることを通して、自分のために生きる。 しかし、自分のために生きることを通して他者のために生きる。 しかし、他者のために生きることを通して人類のために生きる。≫≪レヴィナスは、エゴイズムを断固として肯定する。 人間が生き始めなければ、何も始まりはしない。 人間が生き始めるには、世界のものを享受する必要がある。≫ 人には、パンを食べるのと同様、霞も・・音楽も芸術もなければ生きていけない。 パンと霞に優劣はない。 多くの人生論は、人生の目的と人生の意味を、 自己実現や自己完成に求めている。 それは間違ってはいない。 しかし、真の人生とは何かを自問自答したとしても、 自分自身で決定することはできない。 ≪ところで、人間は死ぬ。 さらに再び、死ぬことを通して、他者のためと人類のために生きて死ぬ。 総じて、奇矯な言い方に聞こえるだろうが、何のために生きるのかといえば、 死ぬために生きるのである。≫<目次>はじめに 生きていてよいのか第1章 自分のために生きる(こんなもののために生まれてきたんじゃないNo Music,No Life ほか)第2章 他者のために生きる(倫理の始まり他者の顔 ほか)第3章 来るべき他者のために(とはいえ、私は死ぬ存在と無、生成と消滅、生と死 ほか)
2014.05.03
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船木亨「ドゥルーズ」(Century Books―人と思想)清水書院1994年刊「ひとはわれわれに、ある哲学者が述べていることを、あたかもかれがなしていること、 あるいはかれが欲していることでもあるかのようにもちだしてくる」『経験論と主体性』第6章『アンチ・エディプス』は、1968年のフランスの5月革命から生まれて来た書物である。 5月革命において、大衆運動は生じ得た。 しかし、この革命を通してわかったことは、マルクス主義のいう歴史の真理は存在しなかったこと。 そして、マルクス主義同様、実存主義も魅力を失った。 フロイトは、エディプス・コンプレックスが人間の本質を表現していると前提にする。 精神分析だけがこの本質を知ることができると考えた。 一方、ドゥルーズ=ガタリは、フロイトがエディプス・コンプレックスによる精神分析を 絶対化しようとしたことを批判する。 この性的欲望の過程は、人類の特定の期間にはあてはまる理論かもしれないが、 超歴史的な現象ではない。 性的欲望の過程がどのようなものとなるかを規定するのは、社会体制である。 そして、性的欲望の過程を、社会的に分離したのは、資本主義体制である。 資本主義は、「脱土地(テリトリー)化」と「再土地化」の永久運動である。 「脱土地化」とは、コードと超コードを取り外す「脱コード化」の現象であり、 欲望の流れによって形成される形象を分解する運動である。 そこに「器官なき身体」の兆候が表れる。 「器官なき身体」とは、欲望する機械の自己生産が無限にまで到達した世界、 生産自身が欲望されているだけの世界のことである。 資本主地は、いわば底なしなのである。 もはや、土地のあり方(自然)や制度のあり方(文化)といった基礎的なコードが 重要なのではない。 そこには、災害・戦争・病気・恐慌等の偶然の出来事において復活してくるかに見える 本来生活(民族性)、人間のなすべきことや安らげる場所(倫理)といった基盤を 資本主義は持っていない。『アンチ・エディプス』の描き出す世界は、マルクスの弁証法的な歴史ではなく、 ましてや、実証的な歴史ではない。 論理的な意味で、資本主義が生成してくるプロセスを示すことを通じて、 資本主義が何たるかを説明しようとするものにほかならない。<目次>1 ドゥルーズの経歴(『アンチ・エディプス』まで五月革命とその背景構造主義との関わりとそれ以降)2 『アンチ・エディプス』の宇宙(欲望と知性欲望する機械器官なき身体欲望の論理学スキゾ分析)3 ドゥルーズ主義の哲学(思想史的研究とヒューム論ベルクソンとニーチェ表現の世界差異の哲学むすび―出来事の哲学、出来事としての哲学)
2014.04.19
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