よんきゅ部屋

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Apr 22, 2007
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カテゴリ: オーケストラ
とは、まさにその通りで、合奏するなら絶対にできなければならないことだと思う。昨日は市民オケの練習だったが、最近これがきっちりできていないなと思う。もちろん、自分も合わないことに対して片棒を担いでいるんだろうと思うのだが、合っていないということを意識していない人がたくさんいることも確かなように思う。

ただし、だからといって、音が鳴っている時間が合っているだけでは「息の合った」演奏ではない。それはまったく知らない人同士が同じ電車を待っている状態に似ている。それぞれ関心を持っていることは違っていて、たまたまそこにいるだけという状態なのだ。そして、電車が来たことに気づかずに乗り遅れかけてしまう人、早く座りたいために急いでしまう人と、いろいろいる。そんな状態の駅で客をさばいてドアを閉めている車掌が指揮者みたいな状態になっているような気がするのだ。

合奏練習では、限られた時間の中で、どうしても「ちゃんと同時に音が鳴っているかどうか」に焦点を当てて練習せざるを得ないことも多い。しかし、時間的に合わせにかかると演奏としてはかえってバラツキが出てしまったりする。むしろ、歌い方や音質を合わせていくことで時間が合ってくることもある。息づかいやフレーズの取り方については、それをみんながきっちり意識していかないと「息の合った」演奏にはならないのだが、なかなかそこまでは行っていないというのが現実だ(これは楽譜の読み方にかなり原因があると私は思っている)。

練習をしていく中で「置いて行かれる」とか「引きずられる」ということが多いと感じる。全体としての流れがまだしっくり行っていないなと思う。もっと「他人への関心」をちゃんと持たなければいけないはずなのに...。それができるだけで、結果は飛躍的によくなるはずなのだが、なぜその方向になかなか動けないのか、悩ましいところだ。

こんなことを言っているが、アマチュアオケがこうなりやすいことは、いろいろな場所で身をもって体験している。最も難しいのは、「どこまで厳しく考えを追求して実行に移すか」だ。言い方を間違えると「そこまで厳しくやって、うまくなろうとは思わない。だって、弾いていることが楽しいわけだし」とか「仕事じゃないんだから、自由にやりたいよ」と反発されてしまうこともある。「楽しい」にもいろいろあって、「新しいことを知ること、成長することが楽しい」という価値観の人には、ある程度厳しいことを言ってもうまくいくものなのだが、そうでないときついこともある。そこで、何とかして全体に向上心が浸透していくような言い方をしなければならないし、そのための仕掛けが必要なのだと思う。いろいろなアイデアを考えていく必要があるなと思う。「100人が全体として自由に動ける」状態、いつかできたらいいなと思う。





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Last updated  Apr 22, 2007 10:12:49 AM
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