PR
2025年秋、テレビドラマが思わぬ形で競馬界に“波紋”を広げている。日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』(TBS系)がスタート直後から大きな話題を呼び、第4話で視聴率9.0%まで落ち込んだものの、目黒蓮が物語に本格参戦した第5話以降では10%台を超え“V字回復”を見せている。JRAのお客様総数は前年よ…
1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であった。しかし東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていた。
このため、中山競馬場の新スタンド竣工を機に当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式[注 2][注 3]が採用され、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」の名称で創設された(名称の選定経緯については後述)。
しかし、第1回の興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬が急逝したことを受け、第2回からは有馬の功績を称えて「有馬記念(第○○回グランプリ)」に改称。以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した。施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず、施行時期も12月下旬で定着している。