日韓夫婦の心の旅もよう

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「私が決める」



 これは昔はすごく簡単だと思っていたが、実は奥深くて私などはなかなか実践できていないことのひとつである。

 幼少の頃より超マイペース、流行やひとの意見にあまり左右されない子どもだった。

 大学卒業後は、岐阜の実家を飛び出すようにして、就職で東京へ。親との関係が悪かったわけではないのだが、独立心が強くて自分で何がどこまでできるのかを試してみたかったのだ。

 そして10数年の月日が流れた。

 その間、今までずーっと、私は仕事でもプライベートでも、そりゃあ思い通りにならないことは多々あったが、少なくとも決定については自分がそのとき一番いいと思ったことを選んできた。

 よって私は「自分で物事を決める」人間だと思いこんでいた。



 だが、ある一日の気分や感情を考えたとき、

「本当に私は意図的に自分で決めているのだろうか?」

 最近になって、こんな問いかけをするようになった。

 結構些細なことで腹を立てたり、落ち込んだり。
 そして原因を考えると、必ず、私に腹を立てさせたり落ち込ませたりする相手がいる。

 つまり相手のせいにしている、というわけ。

 人それぞれいろんな考えがある。その時々の感情だってある。しかし、それに反応して、例えば
「ムカつく!」
「嫌な気分」
 という感情を選んでいるのは実は自分である。
 もちろん「これについては怒るべきだ」と意図的に怒っているのなら、それはそれでいい。
 問題なのは、相手の言動、態度などに、ただ「反応」してしまい、意図的ではなく怒っていて(あるいは落ち込んでいて)、しかも相手のせいにしている場合だ。

 自分の気分や感情を責任をもって意図的に決めたい。

 そのためには、どうしたらいいのだろうか。ちょっと考えてみた。

■相手のとの人間関係をできればよくすることを意図したい。
 みんな仲良しなんて現実的には無理かもしれないが、少なくとも改善できる可能性があれば、そうしたいと思っている。

■自分の考えや感情は丁寧ないい方で、伝わることを意図して話す。
 だから陰口、悪口、いやみ、皮肉は、よい意図を持つコミュニケーションではない。

 それでも伝わらなければ、しばらくはその人と離れるのもいいかと思う。気持ちのよい距離の置き方ってあると思う。

■自分の時間、感情を自分が尊重する。人にもそうしてくれるよう、これまた丁寧に伝える。

■相手の考え、感情、時間も尊重する。
 自分が悪かったら、まず謝る。


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