日韓夫婦の心の旅もよう

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場当たり的夫婦(2)ケアンズへ


 もっとも職探しをしやすいのがシドニーだそうです。

 メルボルンには、夫の同級生の知り合いがいるそうで、同級生はその知り合いに連絡を取ってくれました。
 それで、私たちがまだ韓国にいる頃は「メルボルンに行ってみよう」という話が出ていました。

 この人が、私たちとオーストラリアと結ぶ唯一のツテでした。
 とはいってもメルボルンで必ず仕事があると決まったわけでもなく、シドニーにあまり魅力を感じなかったのか、夫はシドニーを出ました。

 向かったところは、熱帯の地、ケアンズです。

 シドニーで会っただれかが「ケアンズはオーストラリアのハワイだ」と言ったそうです。

 夫に出会った頃、私はよくハワイにすみたいと言っていたので、夫はこの一言を聞いてケアンズに向かったのでした。
 夫には感謝の気持ちと、そこまでやってくれるのかという驚きの気持ちがあります。

 夫にとっては初めて行くケアンズ、知り合いもなし、金もなし。
 昔、バックパッカーだっただけのことはあり、何とか生活していたそうですが、食費、宿代はどうしても使うので、やがて資金も底をつき、ついに手持ちのお金は約250円となりました。

 夫は勝負に出ることにしました。

 カジノへと出かけて行ったのです。

 夫はギャンブラーでも何でもないのですが、どういうわけか幸運の女神は夫に微笑み、夫は増やしたお金で家を借り、日本にいる私に電話をかけてきました。この時点で8万円程度の貯金も持っていました。

「ケアンズに来て。家も用意したから」

 私は妊娠8ヶ月目を迎えていました。
 もちろんケアンズで出産するつもりでした。


 その後の話をざっと書くと、出産費の調達、夫の就職、出産といろいろあり、さらにビザの関係で私は2ヶ月目の子どもを連れて日本に帰国し、オーストラリアへの再入国が困難だったため、夫もケアンズ在住を諦めて、家族が揃って暮らせるよう韓国へと帰りました。私は子どもを連れて韓国入りしました。

 すんなりとケアンズに住み続けることはかないませんでしたが、ケアンズでの生活は本当に美しく、今思い出しても、あのとき、あのまま韓国に住み続けることはできなかっただろうと思います。
 やはり私たちは場当たり的であろうが、失敗して痛い思いをしようが、住みたい場所に住み、望むライフスタイルを築くという夢を追い続けていくと思うのです。

「墜落の痛みも翼を持つ者の特権だ」。そう吼えていたい気分です。

 アメリカのグリーンカードも申し込んでいましたが、今回はどうやらはずれてしまったようです。

 次はもう少し現実的に、日本へ行くつもり。準備を整えたら日本も出て、ハワイかケアンズをまた目指します。
 夫はもう社長に辞意を伝えているしね・・・




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