アズレウスのくつろぎTIME

アズレウスのくつろぎTIME

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Favorite Blog

ハマスタはクリスマ… New! りのん☆彡さん

丸まる一日がかりで… New! masatosdjさん

知恵袋に質問を New! 中央台さん

来年のWBC New! ヒロくん2010さん

源氏物語〔34帖 若菜… New! USM1さん

Comments

アズレウス @ Re[1]:雨続きの最近(07/11) tutuanna♪さんへ 訪問ありがとうございま…
tutuanna♪ @ Re:雨続きの最近(07/11) ご無沙汰しました。お久しぶりです。 たく…
アズレウス @ Re:雨続きの最近(07/11) ヒロくんへ できました!(^_-)-☆ ヤフー…
アズレウス @ Re[1]:雨続きの最近(07/11) ヒロくん2010さんへ こんにちは。(^▽^)/ …
ヒロくん2010 @ Re:雨続きの最近(07/11) お久しぶりです(^O^) 第九が中止になった…

Freepage List

2017.03.12
XML
カテゴリ: 私生活




先日の夜8時過ぎ、我が家の付近にけたたましくサイレンが鳴った。

火事でもないような気になる音に不安を覚え、窓から様子を伺うと道路が照明で真赤に明るい。
何事かとカーテンを少し開けて外を見たらお隣に救急車が止まった。
慌ただしそうな雰囲気の中、救急隊員が出入りして40分以上経ちようやく救急車は再びサイレンを鳴らしていなくなった。

何事かわからずに翌々日を迎えたが、同居している私の母から新聞でお隣の奥さんの死亡広告を知らされ、自分はもう歳で行けないから私に代わりに通夜に行って欲しいと頼んできた。
私は驚きつつも、彼女のお悔やみの席に顔を出すのがとても嫌だった。
それには理由があり、我が家とお隣の複雑な関係があったから私にはわだかまりがあって行く気になれなかった。

お隣はずっとご夫婦二人だけで長年住んでいた。
その奥さんは一昨年の6月に大腿骨の骨折でその後ずっとリハビリのようで、時々介護の方が来ていた。
それも偶然知ったのであって隣とは話をしたことが何年もない。

だがある日、我が家の軒下のちょっとした修理が必要で、お隣から梯子をかけないとできないと大工さんに言われ、お隣の車を動かしていただこうと、夫と二人で頼みに行ったとき、隣の旦那さんが教えてくれた。

なぜ我が家とその隣といつしか何年も会話なしになってしまったのか・・・
それにはとても深い長い歴史がある。

そもそも我が家が今の土地を購入新築したのは私がまだ小学生の頃で昭和42年頃だった。
当時、私の母はお隣のお婆ちゃんと仲が良かった。
もっとも当時は隣人どおしが助け合い励まし合って生きていた古い時代であった。

何年かしてお隣にお嫁さんが来た。(それが今の亡くなった奥さん)
嫁姑確執がすごかったが、いつしかお婆ちゃんは亡くなり、今度はその嫁(今回亡くなった奥さん)は私の母に愛想良く接し始めたが、気を使うタイプの人だといつも感じていた。
そして「私は姑で苦労したから娘二人共嫁に出して、私はパパ(旦那さん)と二人で将来ずっと暮らすんだ」と母によく言っていたそうだ。

一方いつしか我が家が古くなり、我夫と我父と折半で二世帯同居の家を新築することになった。
夫は僻地勤務の仕事柄ずっと長い年月単身赴任、おかげで私は子育ては親に助けられながらも、本当に自分の親と住む辛さも味わった。
そして我二世帯新居完成!

隣の奥さんは我家を羨ましがって、自分も夫が退職したら夫婦二人で住む家を新築すると張り切っていた。
そしてついに3年後くらいにお隣が新築完成。
でもそれからどういうわけか、我が家に対して奥さんの態度が徐々におかしくなっていった。
私の母がそれを親しい人に話したら、ハハ~ンという顔で「お宅の家その人の家より立派でしょう?」と言われたそうだ。
〝ああ~やはりそうか〟と我が家は思った。
それは仕方ない。
お隣は夫婦二人の老後の家だし、こちらは当時まだ私の子供たちが小学生と中学生の状態の二世帯で家の面積が大きい分お金がかかっているわけだもの。

しかし、そこから今度はイジイジとお隣の奥さんの嫌がらせが始まったのだ。
我が家のリビングの窓は恰好のいい丸い形の出窓(ボウウインドウと言うらしい)で、そこに下が丸くカーブがかかってカットされ外が少し見えるようになっているレースのカーテンだった。
ハイカラな窓とハイカラなカーテンにずっと前から憧れていて、建築屋さんも勧めてそうしたのだ。

そして私の父は私の子供達が朝学校に通う時、窓越しにカーテンをめくって外を見て孫の姿を確認するのをよく楽しみにしていた。
そこを隣の奥さんがチラチラこっちを見て毎日嫌な顔で見始めた。
そして、「人の家を覗き見してる」といちゃもんを付けてきた。
そしてついに目隠しにお隣の奥さんは我家との境目に高さのあるホームセンターで売っている木のフェンスを突然建てた。
当然我が家は前より暗くなったが相手の土地なのでこちらは何も言わなかった。

また、私の母はリビングキッチンの冷蔵庫によく背もたれして休む習慣があった。
そこはちょうど勝手口のドアですりガラスで外は見えないので安心していた。
ところが、ある日隣の奥さんは母に嫌がらせを言った。
「奥さん、私の家の話そこに立って立ち聞きしてるんでしょ。私お宅の勝手口のドアたたいて注意したの知ってる?」と偉そうに自分より年上の私の母に説教したそうだ。
お隣は道路側に玄関をつけずに我が家に向かうように玄関を作ったバカな設計をした。
向こうの土地が狭いとか、電信柱を移せないとか、駐車場をとるスペースの都合上しょうがないとかあるかもしれないが、お隣よりも我が家が先に建てたのにその言い分はおかしいではないか!
でも、我母は温厚な人なのでバカな奥さんに謝ったらしいが、私と父は当時頭から火が出るくらい腹が立ったものである。

結果として、そんなにうるさいならいっそレースのカーテンを下が見えないノーマルなものに替えよう、そして勝手口ドアにブラインドを付けようと我が家は家族会議して決めた。
建築屋は「相手が我儘なのにそんなお金かける必要ないですよ」と言ったけれど、あのうるさい奥さんを黙らせるには金など惜しくないと思ったのでそうしたのだった。
そうしたらお隣の奥さんはさすがにそこまでお金をかけてまで自分の言い分を聞いてくれたと思ったのか都合が悪くなったらしく、今度は遠慮気味な態度で変によそよそしくなって、最後は町内の本当の用事以外一切話をしなくなり、今日に至ってるというわけだ。

最初「あんな人の通夜なんて!」と憤慨した私だが、時間をおいてよく考えてみて、亡くなった奥さんよりも残された旦那さんのことを思った。
あの時快く車のキーを貸してくれて、はずしていたバッテリーを付けてくれ「どうぞいつでも好きなように車を動かしてください」と言って下さった。

ここ1年以上も奥さんの介護で大変であったろうから、旦那さんに礼を尽くしたくなったのだ。
そこで夫と二人で通夜に行った。

意外にも、にこやかな奥さんの若い笑顔の遺影は素晴らしく豪華な花々に彩られて、たくさんの弔問客でいっぱいだった。
遺影は7~8年も前の若い頃の物だそうだが、旦那さんやご親戚の関係なのか、とにかく弔電も知事や県議会委員などが多く、花輪の数も多く、正直言って主婦の葬式にしては立派なのでとても驚いた。

もっと驚いたのは最後にお坊さんがお話をされたのだが、「亡くなった奥さんは昨年の8月に先立たれた娘さんの元に逝かれて、これからお会いになれることでしょう。」という言葉。
何も知らなかった、県外に嫁いでいた上の娘さんが昨年亡くなっていたなんて・・・
と言うことは、奥さんが大怪我をして体が不自由になってしまった翌年に追い打ちをかけるように娘さんが亡くなったということか・・・

私は胸の中にため息が漏れた。
〝どんなにか辛かったことだろう〟と。
娘さんがどういう理由で亡くなったのかはわからないが、娘や孫に会えないままに怪我で動くこともままならず。。
一度だけ見たことがあるが、旦那さんが奥さんを連れて道路を歩かせてリハビリしていた。
奥さんは痩せて小さくなって髪の毛も真っ白になり、支えている旦那さんが奥さんの息子かと間違うほどだった。
お隣もかつては奥さんと旦那さんとお婆ちゃんと娘さん二人と5人家族だったのに、今お隣の家の中にこれから住むのは旦那さん一人になってしまった。
お寂しい、心細いことだろう。
ことばはかわせなかったが、私はお通夜で最後に奥さんの旦那さんのお顔を見て目をみつめてそんな心を伝えた。

通夜を終え夫と帰ろうと席を立った時、不思議なことが起こった。
葬式用のバッグの左片方の持ち手の付け根が突然ぽろっと外れてブランとなった。
昔買った古い物だから前から少しずつ弱っていたのかもしれないが、この奥さんのお通夜で取れるなんて・・・
妙に変な因縁を感じた私だった。
家に帰ってボンドで修復して見かけは直ったように見えるが、又はずれるかも・・・
なんか奥さんの魂が私の所に来たような気がする。

香典返しについてきた「お礼の言葉」に通夜に出席していた娘さんの文章が書かれていた。
お母さんへの感謝の気持ちだった。
文面の中に〝・・・厳しかったけど、母は周囲や家族に心の限りを尽くす優しさに溢れた人、なにか楽しみを見つけたらいいのにと言っても空いてる時間は家族のために働いて家族の笑顔を見るのが母の元気の源で、穏やかに続く日常が何よりの幸せだったのでしょう・・・〟

昔、うちの子供たちがまだ小さい頃、お隣に子供を連れて回覧板を持って行くと「ちょっと待って、おばちゃんいいものあげる」ってなにか必ずお菓子をくれた。
そのことが心温かく思い出され、本当は心は優しい面のある人・・と思った。

私は思った。
家族も大切だけど他人とのいろんな関わりもある、バランスがとれなくなってしまったとき、人は天使から悪魔に変わるのかもしれない。
人間が生きていくということはそうした学びなのだと思った。
奥さんはその学びを終えたのかもしれないとふと思った。

次の日に下の娘さんがお葬式のお花を持って我が家に挨拶に訪れた。
大人になった娘さんと話したのは初めてだった。

下の娘さんは県外にいて結婚してると奥さんから聞いていたが、本人は自分は独身、母は私が結婚してないことを恥じてたから嘘をついてたらしいと言い、明るく笑った。
そして、今後は一人になったお父さんを気遣い〝これからは私も父に時々連絡しなくちゃ、これからよろしくお願いします〟と。

亡くなった奥さんは、普段見る限り、正直とても神経質で気性が激しく見栄っ張りな人だったが、こういう娘さんを残したことは素晴らしかったと思う。

50年近い我が家とお隣との歴史は一幕閉じた。

しかし実に人生とは思うようにならず、はかないものだ・・・

あの世は一体どこにあって、どんなとこなのだろうか・・と私は時々想像する。。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.03.12 12:39:13
コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: