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久しぶりの書き込み17年ぶりの書き込み?ちちろとみのみのは大きくなった。そして、腰の曲がったおいばりさんが家族に1人増えた世の中では姑というがもう自分の世界を強く持っているので私たちはアドベンチャーワールドへ。
Sep 28, 2021
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子宮ガン検診から日記を書いていないから一部の方は心配なさってくれたでしょう・・・ごめんなさい一応3回検査の後、2回がクラス3b1回がクラス1クラス3bが出ると手術になるそうだが・・・炎症性反応なしと言うことで、経過観察になった。が・・・太った。分かってから、10kg近くデブに・・・どうにかせねば。1月は、ちちろとみのみのが入院していて付き添い生活をしていて、看護婦さんと色々話をした。私の場合は子宮頸がん女性も、閉経後3年間は「子宮体癌」になりやすいと言う毎年必ず検査をしたほうがいいと言っていた。ふう・・・私といい・・子供達といい・・・今回は、みのみのが一番先に悪くなった。いつもなら、姉妹一緒でないと入院宣言されても拒否するのだが1日のうちに容態が急変してきて、自分でも怖くなった。休みの日だったので・・市立病院の救急へ電話をしたら「ここは2次救急になっているので、救急センターに連れて行って下さい」とのこと。「救急センターなら、坐薬を出して終わりでしょう?坐薬を入れても、熱が39度なんですが・・」と私「うちも同じ処置ですから」と市立病院の救急。「急に高熱になって、インフルエンザの検査キッドは救急センターに有りますか?もし?インフルエンザだったら・・・あちこちに菌を撒き散らすことにもなりますが」と私。「じゃぁ・・インフルエンザの検査をしますから連れてきてください」と市立病院の救急。病院に着いて熱を測ると、39,9・・・ちちろにはマスクをさせ、検査をしてもらう。結果はABともに陰性。(そうだろうよ・・予防接種ちゃんとしているんだから!)でも、小児科の先生がみのみのを診て「血液検査をしましょう」と言ってくれた。点滴をしながら結果を待っていると尿検査が、ケトン体と言うのが3(これはかなりの炎症反応らしい)血液検査は、白血球が2万(普通の上限が8千)・CRP5(普通が0,01~0,40)その間に、ますますみのみのの容態が悪くなり「このまま入院しましょう」と言う話になった。私もこの状態を見ていたら「はい」と返事をせざるを得なかった。3歳になったばかりのみのみのだが、ストレッチャーで病棟まで運ばれた。その3日後には、ちちろも入院する事になり・・姉妹での入院生活になった。結果は、ちちろがマイコプラズマみのみのは、マイコプラズマ・他の細菌のダブル攻撃でいつまでも熱が下がらず・・先生が3回抗生物質を変えた。これで駄目なら結核を疑いましょう・・と、言われたくらい。ちちろは、今回の検査で血小板が普通の子なら最低2万なんだが・・1万2千くらいしかないそうだ。前の入院の時にも1万3千くらいらしい。そういえば・・止まる事は止まるが、注射の後出血はガーゼに染みている事が多かった。他の数値は、何ともないので(血液に関することで言えば)そんな体質もあり?まぁ・・経過観察と言うこと?よく内出血があるとは思っていたが、気になるほどではなかったので結果を聞いて、なるほどなぁ・・と、納得した。同じ入院生活を送っているとき旦那の姪も産婦人科に入院してきた。34週の妊婦さんだったのだが、お腹が張って通っていた病院に診て貰っていたんだけれど連休がはさまって、先生が診てくれなくてやっと診てもらったときには、胎児の腸の異常が見つかり市立病院に回ってきた。緊急オペで、2400gの胎児を帝王切開で出し院外で待機していたこども病院の救急車で運ばれた検査の結果赤ちゃんは腸閉塞を起こしていて小腸がすべて腐っていた。かかりつけのお医者様が、もっと早く気が付いていてくれたらこうはならなかった。だって、1度変だと診て貰っているのだから・・・その時「ちょっと赤ちゃんの腸がポコポコしているようだけれど大丈夫」と言って返されたそうだから・・・。家へ帰ってからも、お腹の張りはますますひどくなり何度も電話したが、院長不在とか・・取り合ってくれなかったらしい。やっとの連休明けの深夜診てくれて、小児科医のいる病院へ回されてきたのだ。ふぅ・・何ともいえないが・・旦那の方の人たちは「なぜ私達がこんな苦労を・・」とシクシク泣くタイプ。泣くのは分かるが、立ち上がることがなく・・いつまでも這い上がらない。私は、自分の病気の事も子供達の事も旦那以外には言っていない。だって、一言でも言おうものなら直ぐ不幸な私達・・・になってしまうから。今病院で頑張っている赤ちゃん。ちちろちゃんのバアバからしたら、曾孫にあたるがこの親族を育てるために、来てくれたのかしら・・・頑張って、大きくなって・・皆を強くしてね。早く一日も早く退院できますように・・・。なんだか・・・ギクシャクしている・我一家で私達は近寄らないようにしているが・・・・皆が笑っていられたら、いいなぁ・・と思う。子供達が退院したら、私が急性副鼻腔炎になった。化膿してしまって、熱が続いて顔が痛くて副鼻腔炎を疑って耳鼻科に行ったらビンゴだった。薬で劇症肝炎をやったことのある私は鎮痛薬を出してもらえない。拝んで倒して、薬を出してもらい、肝機能検査もしてもらった。結果、肝機能は良かったが・・膠原病などであがる値が、高値を示している。うぅ・・・実は、そうなる可能性のある私・・・。あた・・めんどくさいあとまわし。てなわけな・・・ながいなが~い私の愚痴。
Feb 1, 2005
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心配してくれる方々のためにるんるんと・・鼻歌を歌いながらあの婦人科の椅子をまたいできました。今の椅子って凄いんだよねー。婦人科検診のとき、自動の椅子じゃなかったから今回初だったんだが自動婦人科検診椅子?みたいな物が有って・・座ると、電動で体が寝た状態になりあんよが大股開きに自動的になる。カワイ子ぶりっ子ちゃんの「いや~んはずかしぃ~」って子には良い椅子だ。強制的にがばっと大股開きだもの。まず超音波から・・超音波だと、腫瘍は見あたらない。細胞レベルでの再検ですねと・・・子宮頚部の組織をちょっと採り一週間後の結果待ち。「ん~子宮頚部が弱いですね・・出血しやすいですね」と、言われたがそのとおりに・・まだ、血が混じったオリモノが出ている。最近と、言っても昔からだけれど・・・首や腕の内側など・・ちょっと爪で引っかくと直ぐ毛細血管が切れる。最近特にひどくて、お風呂に入ってゴシゴシ洗っただけで皮膚の柔らかいところは真っ赤になってしまう。今回の事と繋がるのか道なのか分からないけれど・・・??夜保育園の発表会の練習が有った。保護者有志でゴリエちゃんの「ミッキー」を踊ることに・・。子供達を急いでお風呂にいれ、ご飯の支度をして出かけた。リズム感の悪い私・・・・。踊るのは好きだが、まったくハズレテイル私。でも一生懸命踊った帰り・・・「いや~ん・・チチロママ・・おさかんねぇ・・・キスマークが・・・」と顔を真っ赤にしながら、ママ友に指摘された。をぃをぃ・・・あたしゃ・・36さいですぜ・・正直に言うが、旦那たぁ・・男女の関係はみのみの製造以来ないぜ!あたしのあそこは、蜘蛛の巣張っていて・・今回の婦人科検診で検診器具が入っただけだって言うのに・・キスマークはないだろう・・・・。くっ・・悲しいがな・・事実だ・・・・。年をとるって言うのは、こんなんかぃな??でも、そんな風に見えたなんて・・あたしも女に見えるんだな。ちょいと、嬉しいな。さぁて・・・来週の金曜日。ドクターの調査票には、クラス3の項目にaが1・bが2丸がついていた。でも、集団検診っていうのは・・さまさまだな。ありがたや・・・。これを読んだ30歳越している女性方婦人科検診は毎年受けましょう。2週続けて病院に行って風邪をもらってしまった。気管支炎だわ。また咳が止まらない。
Nov 20, 2004
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周りには言っていないが、日記には書いた子宮ガン検診の要受診。金曜に病院へ行く予定だけれど・・10月の頭に癌や婦人病で入院した場合の保険に入った。その肩書きを見ると、入った日から90日以上経ってからの癌認定でないとお金は入院してもおりないらしい。検査の結果次第だけれど・・・折角入った保険だし・・悩む所。日記に皆さんが心配してくれて書いてくれる。うれしいねぇ。人間てさっ・・1人じゃ生きられないのよね。若い子が「誰にも頼らないで生きて行く」なんていうけれどなんらかしらの人の助けはあるものよね。心の支えあいって、大事なのよね。みなさん・・この場を借りて御礼を申し上げます。本当に、心配してくれて有難う。親切にしてくれて有難う。ネットでの、お顔も見たことなくて、声も聞いた事ない人たちだけれど会うべくして出会えた人たちだと、感謝いたします。私は幸せ者です。これからも、皆さん宜しくお願いします。今月も生理が来たが、ここ4ヶ月ほどやはり出血が変だ。今迄がビックリする程の経血量だったのにでも、私は変だと思うと匂いを嗅ぐが・・・匂いはいつもの匂いだ。昨日町の保健婦さんに会ったのよね。私の住民票を置いている所の町は、とてもとても小さな町。保健センターの方々は、老人や子供達まで顔や名前など覚えていてくれて、気軽に声を掛けてくれる。保育園の職員室へ用事が有って来た保健士さんを捕まえて「ねー私癌検で、引っ掛かったけど・・クラス3って、A・B・どっちー?」と聞いたら保険士さんの顔色はみるみる黒色に・・・「病院行ったの?!」と・・・「まだだよー忙しいもん」と言ったら「早く行ってよー!」と・・黒色から青色に変わった。ん~。ホントに検査に行って黒ならば・・・部屋の片付けしなくちゃな・だって・・ホントに汚いこのお部屋。捨てるものはぱっぱと捨てておかなくちゃ・・誰が見ても一目で何があるか分かるようにしておかなくちゃだめだねぇ。これって、私にとっての良い機会だわ。
Nov 16, 2004
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先月町の集団検診で、婦人科健診に行った。その結果が出た。初めて受けてみたのだが・・・結果はヒットした。子宮ガン健診「細胞に変化有り クラス3 至急受診してください」と連絡が来た。ん~・・・そうか・・調べてみると、クラス4で子宮全摘だというから・・どうなんだろう?保育園のママ友が再検だと・・頭を痛めていたが6ヶ月以内に再受診と、書いてあった。と・・言う事は、あたしって?もっと深刻なんかぃ?ん~いつ病院に行こうか・・・用事が詰まっていて考え中。そういえば・・腰が片方だけめちゃんこ痛かったのはこのせいだったのかな??
Nov 10, 2004
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最近の私は大嫌い。とっても大嫌い。前を向いて考えられない自分が嫌いみーんな勝手なんだから!と、自分の中でふつふつ怒っている自分が嫌い。なぜ・・いま良い様に考えられないのかなー?排水溝が見つからない。身延でも行ってこよう。
Nov 2, 2004
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12年前の今日「んーぼぉ」が生まれた日。「んーぼぉ」って3番目の娘なのだが聖己と言う名前なんだが・・「ん~ぼぉちゃと」と呼んでいた。子供達の名前だが・・まずちゃんと読めた人はいない。ひらがなで書けば今時の名前でもないしどこにでもある名前だ。この広い世の中同じ読み方をする子はいるだろう・・と思うが。この子は産まれた子では3番目だけれど・・この直ぐ上の子を1年前に流産した。4ヶ月くらいだったのかな?2人目の子が妊娠初期から生まれるまでずっと出血していたので、今度もそうだと思っていた当時貧乏だったのでお金もなく2人の子供を3段目のコンテナに載せて、内職のコンテナを代車に載せて雨の日もコンテナの子供達に傘を差させてえっちらおっちら運んでいた。今思えばその頃が懐かしいが・・雨の日に重たいものを持ったりしたのが悪かったのか?3人目の子供は、流れ出てしまった。片手の掌に載った我が子は、かろうじて胎児だ・・と分かるような小さな小さな子だった。こんな時混乱するのか?出てきた我が子を一生懸命子宮に戻そうと・・「ほらっ!お腹の中に戻りなさい!」と突っ込んでいたような・・・。私の出血はひどくなり・・血だらけの手で病院へ電話をした。その後元旦那に電話をして職場からすぐに来てもらった。出てきた我が子をビニールにも入れられずタオルに包んでいった。麻酔無しの掻爬を受け家路に着いた10月の23日。その翌年の10月の22日に「んーぼぉ」が生まれた「んーぼぉ」は予定日より6日遅れで生まれたけれど(上の3人とも予定日より6日遅れで産んでいる)「次の日に促進剤で産みましょう」と言われ前の日から入院していると、夜陣痛が来ているのがパターンだ。陣痛は来ているけれど、子宮口が開かないのが昔のパターンでおまけになかなか降りて来ない子供は子宮の一番太い血管を圧迫してくれて私の意識は遠のいて行き途中意識が無くなった。助産婦さんはお腹の上にまたがり陣痛の針を見ながらお腹を上から押して看護婦さんたちは私の顔やら手やらバチバチ叩いたらしい・・。(後日凄い内出血が・・爆笑)小児科の先生も来てくれたり・・して、一時は大変な分娩室となったようだったけれど私が気が付いたときには、酸素マスクをつけられてベットに戻っていた。そんな日がもう12年も昔の事になってしまった。「んーぼぉ」どんな女の子になったんだろうね・・・思春期の頃だねどうか・・どうか・・幸せでいてくれますように。ちちろに話した。「今日はね3番目のお姉ちゃんさとみちゃんのお誕生日よ。ちちろちゃんの直ぐ上のお姉ちゃんよ」と言うと「私の直ぐ上のさとみお姉ちゃん?じゃぁ、お祝いしなくちゃね」と・・・今日保育園の帰りにインフルエンザの予防接種を4人やったので貧乏の波が押し寄せている我が家では、サツマイモを粉噴きにして芋きんとんを作ってお祝いした。そう!インフルエンザの予防接種だが私の住んでいる市ではメチャンコ高い。病院によって様々だけれど、高い所では1回8千円と言う。子供は2回打つから1万6千円だ。そんな高かったら、打てない・・・・。隣町になるけれど旦那の実家のある町では、だいたい大人だと2千円で済む。子供は2回なので1千円。合計で2千円。ありがたい話である。旦那は直ぐに風邪をひきやすいので今年は2回打つことにした。でも惜しげなく「お願いします!」といえる。注射を打つのにだます人もいるけれど私は子供に嘘はつかない。「ちちろちゃん・みのみのちゃん今日はね、インフルエンザの予防接種をします。つまり、冬に体のなかにバイキンマンが入って大暴れをしないように今からアンパンマンを体のなかに注射して、強いヒーローになるために修行をします」と言った。最初大人が見本を見せる。正直に言うが・・インフルエンザの予防接種は痛い。針が入るときも、薬剤を注入する時もかなり痛い。が・・・・・痛い顔は出来ない。必死でニッコリ笑いちちろとみのみのも打ってもらった。泣きわめくかと思ったけれど一言も声を発しなかった。先生驚きo(> w <)〇看護婦さんや受付のお姉さん?もビックリ!あたしもビックリよ。えらかったねぇ・・・。褒めてあげるよちちろ・みのみの。よしよし・・・。でも私を除いた3人はあと1回残っている。頑張ってねー。あと1回。私はしーらない。。。。゛(ノ>
Oct 22, 2004
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保育園から帰って来て1番先にする事は子供達をお風呂に入れること。体が汚れているし・・ばい菌も付いているので風邪をひいたり・体調を崩している以外はお風呂に入れる。今日もお風呂にちちろとみのみのと入っていた。いつもバシャバシャ洗う乱暴な私の膝の上で、必ずちちろは目を閉じているが今日はパッチリ目を開けていた。「ん?ちちろちゃん?どーしたの?」と、聞くと・・・・「ねぇおかあさーん!どーして?わきの下におひげが生えているの?見っともないからカミソリできれいにしなさい!」と怒られた。・・・・・・・(_■_;;)ちちろはよぉーく色んなものを見ている。お腹のはみ出た肉をつかんで「おかあさーんデブじゃん!デブは自分を甘やかしているんでしょー!駄目じゃん!セルライト増やしちゃ!」と注意をしてくれる。「げっ!そんなもの見なくてもいいわよ!」と小さな声で言うと「心のたるみが体のたるみ!」と、日頃私が旦那にビシバシ言っていることをそのまま一字一句間違えずにちちろは私に言ってくれる。今日のわきのひげ?もしっかり指摘された。お風呂から出て、ソイエで早速ひげを刈らせてもらった。「どう?ちちろちゃん?これでよろしくって?」と聞くと「まぁ・・素敵!とてもきれいよ。あっ!ちょっと出血しているわ!絆創膏で止血しましょうね~」とわきの下に絆創膏を貼ってくれた。なんだかなぁ・・・でも、旦那にも指摘されなくなった脇のひげハミ肉いつまでも緊張感を持ち続けて、しっかりせねばなぁ・・。改めて気を引き締める母であった。でも、娘って良いものだなぁ・・世話を焼かれるのは、嬉しいなぁ。
Oct 21, 2004
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保育園に行くと団体行動できなくて走り出しちゃう子・軽度の脳性麻痺で今歩行のリハビリを一生懸命やっている子がチチロと同じクラスにいる。保育園って、普段は子供の送り迎えでしか行かないから子供達はどんな子がいるとか?何にも分からない。(中には親と子供がアミダくじのようにつながっていくお母さんもいるけれど・・私は一番もの覚えの悪い母なんです)運動会の時見に行って、まじまじ我が子のクラスメイトの親御さんたちと話しをして・顔合わせをした。(今まで遠足も懇談会もあったが・・ちちろとみのみのの発熱で欠席だった)運動会の入場行進を見ていたら、ちちろは一番後ろで歩行リハビリ中の子がチチロの肩につかまりながら一緒に行進していた。行進が終わると直ぐ走る番だったのだが・・今度は男の子と手をつないでいる。「おやっ・・ちちろちゃん、もう?ダーリンが出来たのかな?」と微笑んでいたら同じクラスのママが「ちちろちゃんのお手手つないでいる男の子直ぐ走っちゃうんだって!団体行動できない子らしいよ!家の子が言っていた」とお話してくれた。ちちろから、お手手つないだ男の子の事もリハビリ中の女の子の事も聞いていなかった。親切な同じクラスのママは「ちちろちゃんと直子ちゃんがお世話係みたいよ」と話してくれた。ちちろの団体行動を見ていると必ずどちらかの子と一緒にいる。長く歩く時は、女の子と・・じっとしている時は男の子と・・でも、競技の時は容赦ない。転ぼうが何しようが・・私は私・・あなたはあなたのごとく走ってくる。大人になると、そうじゃないんだよね。変な所いい子ぶったりするんだよね。ちちろは、人に褒められようと思ってやっているんじゃないんだよなぁ。同じ直子ちゃんも褒められようと思ってやっている訳じゃない。あっ・・行くんなら一緒に行く?ってノリなんだよね。世話係なんて、ひとかけらも思っていないんだよね。だから、ちちろは障害があるなし関係なく喧嘩する。苛めているわけではない。両方でお互いに真剣に喧嘩する。足のリハビリ中の女の子も自分が障害者だと思っていないから一生懸命皆と同じように歩きたいとリハビリを頑張る。いつから障害者?って分けるの?障害者って?なによ?見た目が違うから??普通に生活できないから??普通って、何よ?手伝ってあげてんのよ助けてあげてんのよな~んて思わないであっ!歩く~?私も行くからイコ!ここでは走ったらだめだよ~お手手つなごうね!同情のかけらもないわが子だが・・出来る事を自然に行動するって・・とっても素敵なことだね。真剣に取っ組み合って喧嘩をするってとっても良い事だね昨日は私が頭痛で吐いていたら背中をさすってくれて「トイレットペーパーで鼻水を拭きなさい」とテッシュを渡してくれ冷蔵庫からアイスノンを手拭タオルで包んで私の頭に当ててくれた。ちちろが黄疸の出た赤ちゃんを目の前にして「ちちろは大きくなったら赤ちゃんのお医者さんになるよ」と言った言葉が忘れられません。でも、今は「忍者になる!」と言っているが・・・。お母さんは、あなた達に育ててもらっています。ちちろちゃん・みのみのちゃん私を育てるために産まれて来てくれて有難う。私の周りの子供達私に色々教えてくれて有難う。おばちゃんは、あなた達に大きくしてもらっています。これからもお願いします。と、お願いする私。
Oct 13, 2004
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今日は台風直撃だと朝から電話の攻撃。誰かに会えば「台風が直撃ですって!」と台風の話題もちきり。今日の予定はアンパンマンショーへ行く予定だったが修理に出した我が家の車が戻ってこない。小さな代車のセルボモードではこの雨の中出掛けられない。この代車!昨日なんざ・・コインランドリーで乾燥して帰って来てたった1時間車幅灯を点けていただけでバッテリーがあがったほどだ。生まれてバッテリーあがりを初めて経験した。でも、保育園のお迎え時間はしっかり過ぎている「えぇい!タクシーに乗って行くか!」と道路で暫く立っていたがタクシーが通らない。旦那の実家に電話して「タクシーがつかまらないよ~」と言うと・・旦那のママに「は~・・・タクシーは電話して来てもらうものだよ」と言われ・・ついでに電話してもらった。保育園に「すみません・・バッテリーがあがってしまって、タクシー呼んでもらって待っている所です。」と電話しておいた。往復12kmの道のりをタクシーで出かけたわ。料金3000円なり。そんな車だから・・ワイパー使って・ガラスの曇り止めにエアコンつけて・ライト点けたらりしたらバッテリーあがるのは目に見えている。エネルギーのあまった子供達をジャスコへ連れて行った。暫くゲームコーナーでお金を入れない遊んだつもり遊びをさせて・・同じ保育園のお友達に会ったので、お昼を一緒にケンタッキーで食べる事にした。すると・・みのみのがいない・・・・。保育園ママのかずちゃんが「みのみのちゃんがいないわよ」と探していてくれた。私は「いいよ~そのうち戻ってくるわよ~」とのん気にケンタッキーの行列に並んでいた。今日から売り出した胡山椒というゴマと山椒で味付けしたチキンを食べねば!と、長蛇の列だったので折角並んでいるのに、離れるのは気が引けた。(なんて言う母親でしょう!)直ぐ後ろの若いねぇちゃんが「二つしばりのまつ毛の超長の女の子じゃないですか?まだ小さいのにお母さんって呼ぶ・・・」と話してくれた。「あっ!多分そうです!」と言うと・・・「店員さんが手を引いていたので・・そろそろアナウンスが掛かる頃だと・・・」♪ピンポン~♪「迷子様の御案内です。髪を二つに縛った水色のシャツにブルーのGパンを穿いている”ひろちゃん”と自分で言っている女の子の御家族の方~至急2階サービスカウンターおいで下さいませ」と、館内放送が流れた。と同時に・・かずちゃんが抱っこしてみのみのを連れてきてくれた。「おかあさ~ん」と抱きつき、私の耳をもつみのみの。「迷子になって寂しかったの?」と聞くとコクンと頷いた。「ごめんね・・お母さんはみのみのちゃんを捨ててはいかないわよ。みのみのちゃんがお母さんを捨ててどこかに出かけちゃうから戻ってこられないのよ。これからはお母さんを1人にしないでね」と言うと「分かった!ごめんね~寂しい思いさせて・・1人にしないからね」とみのみのが言った。本当は違うだろ!!だが・・・。ちちろにも同じ事を言っている。一緒にケンタッキーをかずちゃん親子と食べている最中に旦那から「車を持って来たいって電話があったから、遊びに出掛けていたら大至急家へ帰るように!」と電話があった。かずちゃん親子が食べ終わるのを待って・・帰る事にした。まだ外は横殴りの雨ではない。車やさんが玄関の所で待っていたが・・「すみませんでした」と代車の鍵を渡し部屋へ入った。そこへきこりさんから電話で「すみませ~ん・・明日休みで、今日台風だという事で早く仕事が終わって来たんですが、ちちろパパに電話したら部屋にあがっていてくれ~!と言われたので・・」と。えらいコッチャ!と急いで片付けていたら外が凄い風と雨に・・・・。アパートまで揺れている。停電も何度か起こっているちちろは恐怖で両手で耳を塞いでいる。みのみのと私は、わくわく・・・。そこへきこりさんが来て「階段上ってくるのも大変でした」と遊びに来てくれた。そんなに凄いの?!!でも・・外を見ると木がワサワサ大きく揺れている。すごいね~と・・きこりさん共々外を見ていた。凄い風と雨は40分ほど続いたが・・やっとおさまったと思えばまた雨が凄い。すごいねぇ・・・台風上陸だってさっ。隣りの町じゃ・・土砂崩れで、家が全壊だと・・。今日の何時間かで、色んな経験をしたみのみのがきこりさんに自分の迷子になったことを説明している。そのうち旦那も帰ってきた。明日は天気どうかな?晴れたらいいな・・・。
Oct 9, 2004
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この前旦那のママに「うちのちちろちゃんに、あんた青森にお姉ちゃんやお兄ちゃんが居るって言ったでしょう!誕生日も言ったんでしょう!そんな余分な事言わないでくれる!」と鼻の穴をまんまるにして・・息をフンフン出しながら怒られた。私は「だって、事実だもん。私の子供はちちろ達を入れて5人!あなたにはお姉ちゃんやお兄ちゃんが居るもの。1人でお姉ちゃんを頑張らなくてよいのよ!とちちろに言っています」と話した。「うちの子の子供は、ちちろとみのみのの2人だけよ!青森に会いに行きたいとか・・会いに来たいだの言われたら困るわよ!」とはっきり言われた。「今の亭主の子は2人だけど、子供が5人には変わり有りません。承知の上だったんではなかったんですか?」と言ったら「血のつながりのない子に・・迷惑!」とまた怒鳴られた。心の中で・・血は繋がっていないでしょうよでもねぇ・・元亭主もあなたの息子も一字違いの同じ名前なのよ!血液型も一緒だし!なんてったってねぇ・・ちちろの「豊己」って名前はね!上の子供達の字を取ったのよ!あなたの息子の字を取ったと思っているでしょう?違うわよ!上の3人の子供達の字を取ったのよ!!と大声で叫んだ。声に出したかったが・・やめておいた。ずっとこの事は旦那には話さなかった。自分の親のことだし・・間に挟むのも嫌だったから。でも、だいぶ経って・・冷静になった頃に旦那に触りだけ話した。旦那と結婚する時に「私は、前の結婚で3人子供達を儲けたけれど昼夜働いて、もう精神的にもいっぱいいっぱいで子供達に八つ当たりをしたし・・別れるときには私には親兄弟が居ない・・向こうには両親・兄弟が居るってことで手放さざるを得なかった・・もし、子供が大人になる過程で私の愛情が足りなかった事で戦わなければならない事があれば、自分の子供中途半端に離した手前ちゃんと真正面から子供達と向き合うから」と話していた。ちちろが生まれる時も「この子達に、上の子供達のこと絶対に隠すつもりはないから・・」と話をした。そのことは旦那も分かっている。「別に隠さなくとも、事実を伝えればいいから・・」と静かに言った。8月に2番目の息子も誕生日で昨日が1番目の娘の誕生日で来月は3番目の娘の誕生日11月は4番目ちちろの誕生日12月は5番目みのみのの誕生日お祝いは楽しい方が良いじゃん「昨日の青森のお姉ちゃんの誕生日のカステラ美味しかったねー」とちちろが保育園の帰りに話した。「本当だねー☆来月はまた3番目のお姉ちゃんの誕生日だからね。今度は何のケーキにしようか?」お祝い事に・・ケーキを食べるのを楽しんでいる母のようだ・・。意地を張るわけじゃないけれど・・事実は隠さないさっ・・・。
Sep 27, 2004
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16年前の今日長女を産んだ日だ。4日位痛くて、子宮口開かなくて・・でも、入院するお金なくって・・何度も陣痛が来る中バスに乗って帰ったなぁ。先生も私が経済的に苦しいの分かっているからまた痛くなったら、「てっぺん(0時)過ぎてからおいで」と言ってくれた。(入院は、午前0時前にすると・・例えば23時59分入りだと、前の日からの入院になり例え1分でも一日分の入院として加算されるんです)もう、もがくほど痛くて・・布団握り締めて、0時を過ぎるのを確認して病院へ電話したなぁ・・・。でも、産まれ来る子は酸素が足りなく心音が一定に・・・その時元旦那に先生は「仮死か?一応覚悟して欲しい・・」と言ったそうです。そんな事を知らない私は、ぎゃーぎゃーもがいていた。看護士さんが点滴を打とうとするが前に切迫流産・早産になりかけて・・点滴を沢山していたので血管がつぶれて針が入らない。「まったく!血管が駄目だわ!」という看護士から「よこせ!」と針を取りあげ、私の血管確保をしたのは元旦那だった。今となっては笑い話だが・・元旦那は、船に乗っていたので・・注射なんざお手の物。陣痛が来るたびもがく足を閉じさせまいと懸命に足を押さえていた。「ひどい亭主だ!」と私は思っていたが子供が死ぬかもしれない・・と、聞いている人は真剣だ。やっとの思いで生まれたわが子は、かなり黒かったが(酸素不足で)泣き声をあげてくれた。その子は、愛をはぐくみ己を大事にするように・・と愛己と名づけた。その我が子と別れて、11年・・・一度も会った事はないが、元気だろうか?幸せだろうか?日々忘れる事はない。今日も16歳の誕生日ちちろとみのみのに「一番大きなお姉ちゃんの誕生日だよ」とお誕生日の歌を歌い、カステラでお祝いした。
Sep 26, 2004
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PCを立ち上げるとシマンテック「ノートンインターネットセキュリティー」の自動セットアップが作動する。今から3年ほど前にウィルスに感染してから毎年欠かさない。この暑い夏を電源だけ入れて、また終了する事もしばしばいつの頃から繋がらなかったのか分からない。「おっ!?」と楽天お気に入り日記を見ようとしたときノートンインターネットセキュリティーの拒否するカゴテリに引っかかったので、接続できない・・と画面に出ている。楽天市場のお気に入りのお店を見ようと思っても接続されない。「ちゃー・・こんなソフトを入れていると良い事有り・悪い事有りだなぁ・・」と思いながらあれこれ試してみる。そんなことしていたら・・・Windowsもピクリともしなくなった。電源を入れると再起動をひたすら繰り返す。同じ日に、ちちろとみのみのが私の携帯をふざけていて折りたたみ式の携帯を反対側に「バキッ!」と折れたのを「おかあさ~ん・・2個に増えちゃったけど~ビスケットの歌みたいね~あはははは」とケタケタ笑いながら持ってきた。同時にPCも携帯も壊れた。PCはセーフモードにしてまた最初からやり直した。携帯のアドレス・番号はすべて無くなった。あぁぁぁぁ・・・折角知り合って、住所とか電話番号とか携帯とか・・どちらかに入っていれば大丈夫だろう・・と思った私の甘い考えは崩れ去った。とりあえず、NTTドコモへ行って安く買えるN505isにして機種変更で替えて掛かって来た電話と今までどおり入って来るメールは登録しはじめたが・・日記でも仲良しになったお友達の携帯番号・アドレスなどなど見事に無くなった。「これをみたお友達~♪すみませーんまた教えてくださーい。」PCはぼちぼち復活させていこうと・・またソフトを入れなおし・・yahooメッセンジャーをインストールしてまた楽天に繋げようとしたがタバコとアルコールのカゴテリでノートンが拒否してしまうようだ。取り合えず・・シマンテックへ見ても良いサイトだと送信する。待つこと2週間ぐらい掛かっただろうか?私はPCの事詳しくはないので色々出来る訳ではないし壁にぶつかったら、コツコツやっていくしかない。人に聞こうにも・・肝心のアドレスと番号が消えてしまったので連絡が取れない。やっと見られるようになったのが今日。あー疲れた。あーしんどかったあーこぇかったあ-えらかった(ちょっと知っている方言を並べてみました)肉も食べたかったのに・・・栗きんとんのおこげも食べたかったのに・・楽天に入れなかったのぉ!!!日記もやっとのぞいたらだいぶ昔の日付で書き込みがあった。「ごめんなさぁぁぁぁ!!!!いい!!!」見られなかったのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!私のPC・携帯アドレスと番号を御存知のかた!!どうか・・あなたの番号とアドレス教えてくださぁぁぁい!!メールくださーい。
Sep 19, 2004
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毎日毎日暑い。ここのアパートは2階建ての2階に住んでいるから部屋の中はすごいことになる。毎日トーフだの・・そーめんだの子供達も食べてくれない。たんぱく質の補給に、シーチキンが大活躍。この前は、長野に行ってかんてんぱぱをSEIHUに寄って大量に買い込んできた。毎日、朝とおやつは「かんてんぱぱ。」私はとろける杏仁が好きだなぁ。でもたくさんの種類が有りそうなのでかんてんぱぱセンター何ぞあったらいいなぁ~と、思っている私。ここは、そんなに暑くない地帯なのに・・・ここよりまだ標高が上の住宅地では今まで、最高気温25℃超えた事なかったのに30℃を今年は超えているそうだ。だって、ここだって・・40℃にもなるんだもん。部屋で、黙っていても・・顎の先に汗が、ポタッ・ポタッ・・・。温度調節の出来ない子供達は毎朝37、4分とかざらにある。お出掛けする時は、各自水筒を首から下げてお出掛けです。最初「熱がぁ~!」と急いで病院に連れて行ったら「大丈夫よ。今回は風邪じゃないね~。体温調節できないからすぐ熱が出ちゃうんだよ。水分補給しっかりね!」と言われました。風邪じゃなくて・・安心したが・・何度暑さで今年は頭が痛くなったことやら・・・。点字講習4回も休んでしまった・・。
Jul 30, 2004
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28日は誕生日だったのさっ。でも、ヘルパンギーナで休んでいた子供達を朝8時に市立病院へ連れて行き前の日ピザ食べて、飲んで泊まったきこりさんに朝ごはんを出し・・小児科で「完治証明書」を出してもらい大即行で保育園へ連れて行き、アパートへ戻ってジュータンをはがし・・干してからバス停へ走っていった。(田舎だから、午前中バスはお昼までに駅に向かうバスは3本・午後は夕方1本しかない)市立病院へついて、受付をして視力を測り視野検査をし・・瞳孔を開いたままにする点眼液を点す暫くすると、ぼやけて何も見えない。携帯を出してみるが、何も字が見えない。眼底検査をして、今回はまだ大丈夫だとOKをもらった。この検査すると笑っちゃうのが、何か買い物をしてもお金が分からない事。最近目の前にゴミが多くなり(飛蚊症というらしい)遠くも近くもあまり見えない。昔から「緑内障になるでしょうね」とか「左目は見えなくなるでしょう」とか言われ続けて覚悟はしているが・・、頭が痛くて吐くのは辛いので変わった症状が続いた時は眼科に行くようにしている。PCを見すぎているのか?目が本当に痛くなるので、あまり開かないようにしている。皆携帯にメールをくれたらいいのにPCにくれる人もいる。最近は、PC開いていられないので携帯にメールしてくれたら・・嬉しいな・・と思う。そんな日があったと思えば・・あれも忘れていた・これも忘れていた・・とお年頃を考えざるを得ない状態になり・・ん・・長く書きたいけれど目がまた痛くなってきたので止めて置きます。
Jul 3, 2004
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今日はカレーを作ってみた。我が家の給料は、毎月10日。この頃になると厳しくなってくる。でも、冷蔵庫の中・冷凍庫の中食材を少しづつ使いしのぐ。どこの家でもそうだろう・・・。今日は、腹持ちが良いようにカレーにした。この時期傷みやすいから、次に食べる時のために冷凍にも出来るし・・。でもカレーのルーを買うと油で胃が負けるのでルーを手作りした。コリアンダー・ターメリック・クミン・ペッパー・シナモン・ジンジャー・キャラウェイ・パプリカ・チリペッパー・カルダモン・ローリエ・今家にあるのはこの位だったので混ぜてカレースパイスを作ってみた。このスパイス混ぜ方を失敗すると匂いもかぎたくないくらいの最悪な状態になるらしいのだが・今回は、成功したらしい・・。スパイスを乾煎りしている時に良い匂いがしてきた。ちょっと馴染ませる為に、置いておいた。玉葱を炒め・・ガーリック・生姜を炒め・・トマトの水煮を入れ、トマトピューレをいれ挽肉が安い時に肉団子にしておいた冷凍ものズッキーニ・フクロダケ・手羽元全部冷凍・缶詰など。それらも炒め・ハーブブイオンとチキンブイオンをいれコトコト。先程のカレースパイスもいれコトコト。子供達が「辛い!」といつも言うので今日は蜂蜜も入れてみた。1時間ほど小さな小さなとろ火でコトコトしたら出来上がり。評価は、「まだからい!」と怒られた。私にとっては、甘くて我慢できず・・カイエンヌペッパーを山のようにふりかけ旦那も「子供用と大人用と分けて作ってくれ」と言われてしまった。「でも、市販のルーより美味しい」とお褒めの言葉を頂いた。でも、また同じものは作る事は不可能。どれが辛み成分なのか?スパイスの事色々覚えたら面白そうだけれど・・・。給料前なのに失敗しなくてよかった。あー安心。
Jun 26, 2004
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今ヘルパンギーナで保育園を休んでいる娘達を連れて住所の置いてある旦那の実家のある役場に行った。せっかく実家近くまで行くのだから何か?買い物でも・・と思いtelをした。「ママ?今から近くの役場まで、児童手当の手続きで行くから・・何か欲しいものある?」と聞いてみた。ママは「今家へ来ないで!曾孫達が来ているから病気うつしたら困るから!」と言われた。ちょっとしたら、また電話が有りママの弟に孫が産まれたと言う・・・。「お祝いをいくらもらっているの?調べて頂戴!」と携帯へ掛かってきて役場の用事が終わって、部屋に帰ってから調べて電話した。ママは「あたしがお金をやるから、お祝いもらっているなら返して頂戴!」という。お金をやるから・・・ではないんじゃ?まず、旦那が帰って来てから話をした。「ママがやるからって・・ママの子供のあなたの時代のやり取りは終わっているわけでしょう?今度は私たちがお祝いさせていただくんでしょう?違うのかな?」と旦那に聞いた。このママの物言いといい・・・旦那の物言いといい・・・・まず、言い方が悪い。旦那は、私と付き合うようになって・・考えるようになったらしいが・・本当に、人の傷つく言い方をする。かといって、腹に何もないわけでもない。旦那が言うには、年をとって・・器が小さくなっている事にまったく気が付いていないらしいが・・このババありで、この孫有り・・去年なんか、子供達に買っておいた服を値札が付いていて袋に入ったまま着損ねてしまった服をそのまま「着てくれるといいけれど・・」と渡した。そしたら、数日後孫夫婦は「先日はお古を有難うございました」と丁寧なお礼を言ってくれた。それからは、服を渡そうとは思わない。私にも有り得ないとは言えない。知らず知らずのうちに言葉で傷付けてしまう事。でも、なるべく気をつけて話をするように心がけている。自分の器が小さな時には、メールも電話も急ぎ以外はしないようにしている。言葉って難しい。
Jun 25, 2004
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6月は毎年忙しい。7月も忙しい6月の10日は、母親の命日で・・6月の20日は、父親の命日で・・お墓参りに・・・。近くじゃないから、大変。でも、命日の時とお盆と彼岸の時ぐらいしか行ってあげられないから・・許してもらおう。7月の5日になると・・兄の命日だ。また行かねば・・・。でも、昨日から我が家の娘達は「ヘルパンギーナ」になった。高熱が出て、ご飯が食べられなくなるらしいのだけれど・・我が家の娘達は、高熱が出ようが元気100倍!少し気を抜いていようもんなら・・横から「アンパンマンキーック」と蹴られる。でも、昨日市立病院の先生には・・「この子達が高熱を出すと入院対象児なので・・あと2日ご飯が食べられなかったり、夜でも8度5分以上の熱が出て坐薬を入れても下がらない場合入院してもらわなくては、ならないですよ」と言われてしまった。まぁそうなったらそうなったで、覚悟するとするか。7月の19日は、実の親より長く付き合いのあった母のようにしていた人の命日でもある。この人のお墓は、石巻に有るので・・なかなか行かれない。でも良く遊びに来るので、分かっていてくれるのだろう。この日記をサボっている間、色んなことが周りで起きていたが気持ちより、見栄が先行している人自分の事しか考えていない人色んな人生勉強をさせてもらった。でも、そんな人達とやりあうのだから・・私も同じだと言う事なんだなぁ~。
Jun 24, 2004
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今日は、すんごいガッカリ今日はパン教室があり出かけた。コーヒーの時間になり、長崎の事件の話になった。今日の生徒さん7人中3人は、定年退職なさった小学校の教職についていた方々。「あれねー。良かったわよね。私たち担任じゃなくて!」と口々に・・・。「あんなの自分の身に降りかかったら嫌よねー。定年になってやめておいて良かったー。」など・・言い放題そりゃそうかもしれないが・・・そういう問題ではないだろう・・・・私は過去・・保育園の頃から、好きだと思える先生にあたった事がない。同級生3人・10人で怒られれば・・「お前の目つきは何だ!」と殴られる方だった。今になれば・・自分の娘達がそうだ。考えてみれば、私も娘達も切れ長の目である横目で見ただけでも・・凄いドスの効いた目になるのだ。反抗しているように思えるのだろう。大人になり、親になり・・自分が体験してこそ、そんな子は一番傷ついている。子供を教える立場なんだから・・などと、思いもするが教師だって、人の子。ようは・・問題なくお給料もらったらそれでいいのよね。とてもガッカリ。いくら、見る子供の数が多いからって・・・一人一人の様子が、ちょっと違う事ぐらい毎日毎日一緒にいたら、分からないのかな?「何人の子供達を見ていると思うのよ!」と立腹なさる教職の人も有るだろう。でも、親よりも・・起きている毎日の時間を一番長く過ごしているのではないだろうか?それとも、先生方の心さえも疲れきっているのかもしれない。ただ、毎日をいざこざなく過ごしてくれば良い・・ぐらいにしか思ってないだろう。中には、良い先生も沢山いるだろうが・・・。寂しい現実だなぁ・・・。
Jun 3, 2004
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ちっ!またやりやがった・・・こいつは、何をやるかわからない。布団のある部屋で・・「ガリッ」「ガリッ」「お姉ちゃんにも、お1つどうぞ」などと声が聞える・・・。???お姉ちゃんにもお1つどうぞだぁ??何が?お1つなの?嫌な予感がして、走る。私が大昔使っていた、化粧箱をみのみのは宝物を入れる箱として持ち歩いている。その中から、一粒一粒何かを出し・・ガリッ・・・よぉ~く、その粒をみた。ん~??ブレスケアの桃味じゃないよなぁ~ん~??布団のすぐ横にシリカゲルと書いた袋が破られている???「おい!これ食べたの?」と母は怒った「うん☆お口臭いから」と・・みのみの「何粒たべたぁ!!!!!!!」すぐさまネットで調べたら、体には吸収されないので、2日もすれば下から出て来るそうだ。大丈夫だと言う事だ。多分・・5粒は食べたんじゃなかろうか?あまりに腹が立ったので、そのまま日記に書く事にした。私の不注意なのだが・・どこから、見つけたのだろう?すぐに捨てちゃうのに・・・。今日は、2人とも熱がなくて安心して、母はアメーバーのようになっていた。おちおち安心もしていられない。でもね・・みのみの母は安心しました。「お願い!仏壇の線香立てに手を突っ込んで灰だらけにしてもいいし・・笑える悪戯ならしても良いけれど・・命に関わる悪戯はやめて頂戴ね」母は、ちちろとみのみのに言い聞かせる。ん~・・難しい・・・。怒りのエネルギーの発散にグレープフルーツの精油を買ってこよう。
Jun 2, 2004
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土曜の夜中、もう日曜の2時ごろの事。ちちろもみのみのも熱が9度を超えていて坐薬を入れて、汗をかかさせ着替えをさせていた。と・・近所から「やめてー」と泣き叫ぶ声。最初、近所の夫婦喧嘩かと思った。でも、その叫び声は続くすぐの所に、グループホームと言うところがあり痴呆老人を7人くらい共同生活している施設がある。失礼だが、そこの方が錯乱を起こしているのかと窓を開けてみた。グループホームの電気もついている。やはりそうか・・・と、窓を閉めようと思ったが叫び声はいつまでも続いている。あまりの凄さに、様子を伺いに外へ出た。そしたら・・その声は、同じアパートからのものだった。子供を母親が叩いている。「ママごめんなさい・・・ いやー!!痛いよ!!やめてー!!」「お前なんか、パパの所に行かせるぞ!」「ごめんなさい・・やだー!」と・・母親の低い声・・子供の泣き叫ぶ声ずっと、ここのうちだったのか・・・ごめん・・おばちゃん気が付いてやれなくて・・・石を片手に持ち、突入しようと動いた。その瞬間、玄関の鍵を開ける音がして私は隠れた。そこの家は、お父さんは朝早く夜遅い家業を手伝っているので家業が休みの日しか家に帰ってこない。なので・・その奥さんの妹が息子を連れて泊まりに来ていたようだ。その妹さんの方が、息子を怒っていたようだ。泣く息子を抱っこして、夜中に車に載せて帰って行った。妹さんは、少し・・やんちゃな2歳の子供を持ち疲れているようでよくそこの家で、保育園の先生をしている奥さんが休みの日の日曜は預かっている。少し様子を見てみる事にした。そこの奥さんも、いつも疲れているようでヘトヘトしている。精神的にも疲れているようだ。姉妹似ているようで・・心配になりこの前立ち話していて聞いた携帯アドレスに昼間メールを入れてみた。どうも・・寝込んでいるようだ。姉が寝込んでいるので・・・妹が、息子を連れて看病に来ていたようだった。日曜日、寝不足でとてもだるかったけれど・・・柑橘系を食べると元気になると管理栄養士の友達が言っていたので自分の元気になることも兼ねて、マーマレード作りをした。立っていられないから・・座って、皮を切って実を剥いている側から、子供達が代わる代わる口を開けるつばめの子供のようだと・・笑ってしまった。生まれて初めてのマーマレードだけれど・・・うまく出来た。柑橘の香りが良くて、体が楽になってきた。ちちろも「いい香りだね」と・・にこにこ。これで、少し彼女も元気になってくれたらいいな。でも、少し・・疑って・・・彼女の部屋側の窓は開けている。少しでもSOSに気が付くように・・・。彼女のSOSにも気が付くように・・・・。
May 30, 2004
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水曜日の夜のこと。みのみのが熱を出して、吐いていると・・・。次の木曜日小児科へ受診したら「もう良くなっています。最後の熱ですね」と言われ、薬も処方されず安心。金曜は元気になったと安心しきっていた私。昼寝から、2人が目覚めると・・みのみのが熱い。えぇ??((((_ ▲_|||))))熱を測ると8度49分ん・・・微妙な熱だ・・・と、悩む。頭の軽い母は、そうだ!アイスノンで頭を冷やして、ポカリをあげてゼリーをあげよう!と、ちちろとみのみのにおやつで出した。そのうち・・・みのみのが「お耳が痛い」という。ん??熱も続いていたし・・中耳炎かな?えらいこっちゃと支度をし・・個人病院の耳鼻科へ急いだ。診て貰ったら「喉に少し膿が着いているかな?」と言われ吐き気止めと1日1回3日間飲むだけで、お馴染みのジスロマックが出された。「耳は、鼓膜も綺麗で何ともないですよ」と小さなみのみのにも解るように、モニターで耳の中を見せながら教えてくれた。診察が終わり・・みのみのは、深々と頭を下げ「ありがとうございました。先生お疲れ様でした。」と、バイバイしながら診察室を出て行った。患者さんでごった返していた診察室夫婦でやっているお医者様2人患者さん達・スタッフの方々キョトン・・・・・と見ていた。おいおい・・そんなのどこで覚えたんだ?「どうも有難うございました。」と私も赤面しながら出てきた。ちちろが言った。「おかあさんが、いつもの赤ちゃんの先生(小児科のDr.)のバイバイの時に言うじゃん。」と言った。あぁ・・・そういえば言っている。ちょいと恥ずかしくなったが・・・・同時に、子供の前で変な事は言ってはいけないな・・・子は親の鏡だ・・・たぁ良く言ったもんだ。・・・これからは、言う言葉気をつけよう。家へ帰ると、ちちろが「お母さん頭痛い」という。おぃおぃ・・・嘘だろう?・あなたは元気なはずよ?と・・急いでご飯の支度をし・・・喉越しの良いように・・水餃子とそうめんにした。そしたら、良く食べてくれた。ちちろもみのみのも。母は安心した。と、思ったら・・・・ちちろが、全部吐いた。まだ吐きそうにしている。こりゃやばい。吐き気止めのナウゼリン坐薬を注入し熱を測ると8度7分う~ん・・みのみのも熱があるし・・・二人分アイスノンをし・・・・じゅうたんの掃除をし・・汚したものを洗濯し・・・部屋中・・・ゴシゴシ・・・。今日は、朝起きて部屋に干しておいたものを外に干しじゅうたんもベランダに干した。ついでに、床からガラスから・・サッシのレールから・・玄関のはき出し場から網戸から窓から全部拭いた。やりだすと止まらない。そのうち子供達が起きて「お母さんなんか食べる!」と言うので「あと、ちょっとばかり待ってくれい!」と掃除に夢中になっていたら布団の上で、二人で海苔のふりかけをボールの器と泡だて器で遊びながら布団の上にふりかけを振りまき舐めて遊んでいた。雷が落ちそうになった母は、ググッとこらえ・・・・「ごめんね。待たせたね。ご飯出すから・・・」とニコニコしながら、ご飯を出し・・散らかしたものを洗濯機に入れごそごそと掃除を始めた。そのうち、8時半になったので昨日行った耳鼻科に電話をし、9時15分に連れて行った。ちちろの喉を診た先生は「偏頭が腫れて、真っ白の膿を持っていますよ。これではまだまだ熱も出ますし・・本人も辛いはずです」と言った。「あの・・木曜日に市立病院の小児科に行っています。この子達はCRPがすぐ20くらいになってしまうので、市立病院に行っています」と言ったら・・・「ぶり返しちゃいましたね。」と言われ・・またアデノウィルスの菌がないか・・検査してもらった。それは、陰性で・・ホッとした。爆弾を抱えたような2人だ。母は、その分ヘロヘロ~がしゃん!とするがいつ、治るのかな?いつ保育園へ登園できるのかな?おまけに旦那も仕事の休みがずっとなく疲れているから、うつったら大変。
May 29, 2004
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昔は、仏壇に経を読んでいた。自分の宗派などないし・・墓のあるお寺の宗教ぐらいだが寺のお経含め、般若心経も読んでいる。暫く、読んでいなかったことを反省しまた読み出した。昔は、あちこちの救われていない霊たちがこうじゃあぁじゃと・・訴えてきて困っていた。自分じゃどうにも出来ないし・・・そういう霊を連れている人に会い見入ってしまうと、こちらに来てしまうのであえて見ないようにしていた。着てしまうと、線香を上げ経を何度も唱えるまでどこへも行ってくれない。疲れ果てて、体力までも消耗してしまう。そんな時・・町を歩いて、呼び止められた和尚様に「伽羅の数珠をお持ちなさい、あなたを守ってくれます」と言われそのまま行ってしまわれた。夢のような話だったが伽羅なるもの、その時は・・飲み屋の名前でしか知らなかった。どんなものかも知らず・・・京都へ出かけたときに、何軒も周ってみた。「伽羅なんて、どこにもありません。沈香で良いと思いますけれど?」と言うんで沈香の数珠を買った。でも、現象は収まらず・・・今の旦那とバカ友の友で話していたら真面目に聞いてくれて山梨の身延へ連れて行ってくれた。その時、なぜか?吸い込まれるように入っていった数珠店で奥から「伽羅が待っていましたよ」といわれた。旦那と二人で「伽羅を・・って言ってないよね」と、ビックリしてキョトンとしていたら「ここでの最後の伽羅ですが、あなたを待っていたんですよ」と言われた。そこで、伽羅に出会い・・匂いをかいでみた。昔懐かしい・・安心する匂い。私は、この匂いの中で安心していたような・・そんな安心感を覚え・・伽羅を購入することにした。高僧が持つらしいので、フサになっていたため凡人用のタマに、直してもらった。旦那は、いつでも持っていられるように・・と伽羅の腕にする数珠を買ってくれた。そこの奥さんに「この人は何を持ったらよいのか?」と聞いたら「沈香が良いと思いますよ。」と言うことでお返しに・・沈香の腕にする数珠をプレゼントした。数珠を持ってからは、本当に嘘のように楽になった。その代わり、体は楽だが見せられる勉強は続いているが・・・。そんなんで、安心しきっていたこの5年くらいか?経をしっかりあげなかった罰だろう・・お仕置きをもらったようだ。仏壇を拝みながら・・・・経を読む。昔の人は、ちゃんとやっていたのにね・・・。醤油を造ったり・味噌を造ったり梅を漬けたり・らっきょを漬けたりいろんな事、なくなってきたね。色んなものが見えることが普通だと思っていたがすこし?違う事なんだと、最近分かりはじめた。(周りがそんな人ばかりだったから)でも、自分の事は私は分からないんだよなぁ・・・。それだけ、弱いって・・事なんだよな。でも強くなくて、良かった。体がもたない。
May 27, 2004
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昨日は、私が胃酸を溜め込んで吐いていた。今日は、みのみのが3回夕方からたて続けに吐いた。熱を測ったら、9度4分。私のだるいのも?もしや?子供達の風邪をもらっているのか?ん~・・・わからない。今日も、ぶっ倒れて・・旦那に雷を落とされた。旦那の親には、マムシの粉を飲ませるといい・・とか肝油を飲ませるといいとか・・・サンショウウオの黒焼きを食べさせるといいとか・・・いろいろ・・・・。私が小さな頃は祖母に、にんにくのはちみつ漬けを毎食後3個食べさせられていた。あれは、子供心にきつかった。せっかく食べたご飯も吐いていた。何がよいのだろう・・・。弱い子供に産んでしまって、申し訳なく思う。でも、弱い母は5人も子供を産めたぞえ。上の3人は、扁桃腺肥大で熱が出れば、中耳炎になっていた。あの子達は、丈夫になっただろうか・・。母は、毎日毎日5人の子供達のことばかり心配している。産んだ子供だが、神様からの授かった子供達本当にその言葉の意味を教えてくれた子供達に感謝。自分の子供達だけに限らず子供達は、幸せになって欲しい。幸せエネルギーが、いっぱい降り注ぐように・・・必ず山は乗り越えたい。その為には、体が元気である事が大条件だなぁ。今回は、健康が1番を学びました。
May 26, 2004
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今日は、目が回り始め吐き気まで、出てきた。いささか、ポーカーフェースでいるのは辛さが出てきたのでちょっくら見てもらえる、気功を取り入れている病院へ入った。受付の看護婦さんが、あまりのやつれ方にビックリしてベットに横にならせてくれた。だるくて、寝てしまったが・・・次から次へと、具合を悪くした子供達が来る。病院へ行ったのは6時ごろだった受付も6時で終わりのはずだが私が診て貰ったのは、午後8時をまわっていた。診て貰ったら、「つつがむし」に着いているウィルスが虫に刺された時に、体に入って心臓・肝臓・胃に悪さをしているという。いつものごとく、「人の悪い気までもらっているねぇ」と、笑われながら・・・薬を出してもらった。10日間で良くなるようだけれど・・飲み続けてみよう。でも、ホントに辛い。何もしないで横になっていたい。とても正直な気持ち。
May 24, 2004
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辛くて辛くて、涙があふれた。手紙を出せるものなら、手紙を書きたい。1人で、ずっとずっと待っている。北京で会って、冷静に冷静に話し合って日本で暮らして欲しい。どうか・・曽我さんの旦那様の安全の確約を先にしてください。その確約が有れば、日本に来られるでしょう。お願いします。
May 23, 2004
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ちちろの熱が、みのみのに・・・・。まだ、8度チョイなので・・熱冷ましは入れられない。その熱の有る子供達を、車の後部座席に毛布に来るんで寝かし旦那の50km離れている現場へ、今週は定時制に通っている従業員を迎えに行っていた。ちょいと98kgのオデブちゃんだったらしいが・・かなり絞られて、90kgぐらいにはなったんじゃないかな?今年4年生。がんばれ!後ろの子供達は、三瓶ちゃんに似ているこのお兄ちゃんが好きでずっと盛り上がっている。別に、兄ちゃんは子供に話しかけるわけでもなく笑いかけるわけでもなくちちろが「おにーちゃーん、お疲れさま!お帰りなさい!」といえば「は・は・はい・・・」とお辞儀をしてくれるだけなのだが何か?分かるものがあるんだろうね。頑張って!いってらっしゃーい!と、手を振り送る。ちょいと、山道を一週間も走っていたら少し勘を取り戻してきたぞ。でも、3・5tもあるAT車の車だからなぁ~ブレーキすぐには効かないんだよな・・・・チョイ大変だ。
May 22, 2004
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暫く日記を書かないでいたら、色んな機能がついているようだがまったく分からない。子供が体調くずして、私もだるい・・・えれえコッチャ。どこかで、エンジン掛けなくちゃ。
May 21, 2004
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今日保育園に迎えに行こうとしたら電話がなった「ちちろちゃんが、9度1分の熱です」と言うので大即行で行った。先生は「朝から元気だったし・お昼もちゃんと食べたし・おやつも食べたし・・元気だったのに・・目が変だな?と思って熱計ったら・・」と、ビックリ顔で話していました。「いつもこうですから、心配しないで下さい」と話園でのはやり病を聞きコンビニで、ポカリを買い部屋へ到着。着いてすぐに熱を測ると8度6分になっている。熱冷ましの坐薬は様子を見よう。ストックしておいた、一番軽い抗生物質を飲ませて寝かせた。具合悪いのだろう、すぐに眠りについた。みのみのは、独り占めできる嬉しさでおおはしゃぎ。(あんたもなるんだから・・・喜んでいられるのは今のうち)などと・・みのりをよしよししながら・・遊んでいた。明日は、保育園の遠足なのに・・・。さっき夜10時頃ちちろの熱を計ったら、9度4分になったので、坐薬を入れた。1人プール熱で休んでいる子がいるというがその子のをもらったのか?もらうのはいいが・・遠足の前になぁ~・・・明日は、小児科へ遠足だ。
May 19, 2004
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ずーっと日記が書けなかった。忙しすぎて、ご飯食べる間もなくて車の売却の査定やら・・旦那の実家の仕事の用事やら時間が少しでも遅れると、旦那のママは不機嫌に。ふう~。車の売却の件でも「あんたは恩を売っている!」と、遠まわしに言う。ふに~(-_―)別にさっ、車なんてどうだっていいじゃん。お金だってどうだっていいじゃん(いや・・お金はあったことに超した事ないが・・)心が、豊かでありたい。生まれるときは、何も持ってこないのよ。死ぬ時だって、何ももって行かない。この欲望は、自分で考えて作っているものじゃない?欲がなければ、意欲もなくなるけれど・・・親からの遺産も稼いだお金も何もかも・・・今までなくしたって・・その時その時、色んな事を教えられたよ。憎む気持ち・許さなくっちゃと言う気持ち理解する気持ち。お金を出したって、気持ちは買えない。そこへ、ドカンと落ちてきた。旦那の近所に、韓国人のお嫁さんをもらった人がいるの。友達もいなくて、寂しくないのかな?大好きな旦那様のそばにいるから、良いのだろうけれどちょっと、きっかけを作りたくて朝保育園に送っての帰りそこの姑様とうちの姑様が話をしている所に割り込み「お嫁さんに、ヤンニョンジャンの作り方教えて!」って、頼んで欲しいです。と・・・話しかけた。そこの姑様は「分かった!聞いてみるね」と言ってくれた。お昼には早速ヤンニョンジャンが届けられていた。私は嬉しくって「ありがとう!って言ってくるね。」と、姑に言ったら「あたしが言ってあるから、いいんだよ!!!!」と、言う。私は感謝の気持ちを込めて、お嫁さんに1年掛けて作った・・米麹と唐辛子と醤油を混ぜて作った味噌を手紙をつけて持っていこうとしたら「あたしが持っていくから良いよ!!韓国人韓国人ってね!あんたがしている事は迷惑な事だよ!」と、怒られた。保育園へ子供達を迎えに行って、旦那の実家に寄ったら、姑が「あの子がお嫁さんだよ!」と新聞を持って歩いている女の子を教えてくれた。「じゃぁ・・ありがとう!って、声かけてくるね!」と話したら「何度言っても分からない子だね!」とめちゃ睨まれた。「あんたとはちがうんだよ!!」と、大きく睨みつけて私の全部をしっかり否定してくれた。それから・・・珍しく、ご飯も食べられない日が1週間以上も続いてかといって、家で無にもなれず用事はたくさん。PCの前にも座れず・・疲れ果てて、夜9時には寝ていた。ふう~今が乗り越える時なのだろう。自問自答しながら・・マイナス思考のママと・・格闘中。「私は、凄い苦労をしてきたの」とママは言う。苦労の度合い・・人それぞれ違う。でも、マイナス思考のママの苦労なので・・・「いいの・・いいの・・これが私の運命」とまで言うから悲しくなるが・・・・ママを・・今までの姑を・・つらかった事など・・理解して・・包み込んであげたいな。一筋縄ではいかない。だって、実の子供達がさじを投げている。でも、この先ずっと笑って過ごしたい。笑い続けて生きたい。
May 18, 2004
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昨日のだるさが一気に来た。今日は保育園が休み、助かった。歩く事さえ出来ないやっとの思いで炊飯器のスイッチをいれ子供達に朝のエネルギーの源炭水化物を摂らせるべくガスなので、すぐ炊ける・・ご飯を盛り前日に作った、のりの佃煮を出してまた横になった。もう、ご飯を出したままなんて・・・凄い事になっている。でも、直せない。片付けられない。そのうち、旦那の宝物・・冷凍庫からピノを出してきて食べている。何も出来ない。ちちろが「チョコの所に行こうよ」と、手を引っ張るが・・体が動かない。 動こうとしても、体が石のように重い。肝臓か?もう、何度も肝臓はやっているので入院って事になると困るなぁ。ここは、気合で!横になりながら、仏壇の写真を見ながら「まだ、遺書も書いてないよ。気合で、良くしてもらわないと困るよ!あたしと同じ子供時代を過ごさせたくないからね。」と、母ちゃんの写真を見ながらお願いし・・父ちゃんの写真を見ながら、念をおした。取りあえず、掌は赤みがないから安心。
May 8, 2004
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田舎の行動は早い。今日なんざ、よろよろして保育園に連れて行ったら免許証を忘れた。ゴミゴミの保育園の駐車場なんかで、すこーしでも擦ったら警察呼ばれちゃう。免許不携帯ですぅ。いやいやてなわけで「9時ちょっと遅刻しまーす」と歩きながら園に電話をし旦那の実家に車を置いて、歩いて連れて行った。時間が早ければ、ニコニコと出かける子供達だが今日は、器の小さい私が焦っているので「行きたくなーい!」とごねている。てなわけで、旦那のママが一緒に連れて行ってくれた。ちちろが言う「ばぁば?ちちろねぇ・・ばぁばだ~いすきだからね。保育園行きたくないの。」と・・・。昨日は、園のブランコで遊んでいたくて抱っこして連れて帰ってきたらばぁばに、靴を投げて怒っていたくせに。保育園に着くと、なんと!旦那のママは色んな人とお話している。「あ~ら~○○ちゃんじゃないのぉ!」などなど・・小さな小さな所だから、みーんな知っているのね。私は、なーんにも知らないけれど。ローカルな話題って、聞いていると楽しくなっちゃう。今日は、今から保育園に迎えに行ってそのまま皮膚科。みのみのが、蚊に刺された。3日も経つのに、大きなかさぶたになっている。最初の日は、凄く腫れて・・水まで出ていた。保育園の先生が言うには「トビヒになる子もいるから・・・」と教えてくれたし旦那のママは「跡が残ると困るから・・」と心配するし言われてみれば、そうだ!行ってこよーっと。
May 7, 2004
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この季節の変わり目は体が着いて行かない様でちょいと、時間に追われる動きをするとぜーぜーする。あぁ・・・年をとるって、寂しい事なのねーぇぇぇぇぇでも、少しでも、筋力つけて体力つけて掃除機掛ける時も、腹筋に力をいれ台所で洗い物をする時も、腿に力をいれ床拭きだって、二の腕に効くように、意識する。でも、だめだぁ・・・今日の晩御飯は、旦那の家で食べたのに・・・いつもなら正座で食べるのに・・・だるくてだるくて、体育座りで食べちゃった。えーえー!!光りましたとも!旦那のママのオメメがね。だって・めちゃだるいんだもん。あぁ・・また0時すぎちゃったよぉ・・・ねなくちゃ・・・。
May 6, 2004
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今日は、蕨を採りに行った。旦那が昼で仕事を終わってきたので、午後から出かけた。1箇所目・・ちょっとした湿原。山の人間の旦那は、この辺りに・・と良く分かる。ちょいと見渡し、ビンゴ!ビニール袋を片手に、子供達とキャーキャー言って、蕨採りをした。他にも食べられる山菜があるだろう。でも、蕨とタラの芽しかわからない。恥ずかしい・・。2箇所目・・ちょっと崖。昨日、丸々と太った蕨を持っている人を見かけた所で車を止めた。あれは何?鳥居のようなものが、刺してある。赤く塗り、手作りのような?鳥居のような?一箇所倒れている。後ろの席で子供達は眠っていたので、よく見た。嫌な感じがする。鳥居をたててあげなくちゃ!普段、手首にお風呂に入るとき以外している守り数珠がある。でも、これだけじゃ・・駄目だ。同じ素材の大きな数珠を数珠袋から出し手に巻きつけ、鳥居をおこした。土を踏み固め、倒れないようにしてきた。精霊達が教えてくれる。「車がね、ここへ車を停めて発車する時にちょっとバックしたんだよ。で、倒れたの。1つ腹が立って、バンパーに巻きついていったのがいるけれどね」と話してくれた。ちいちゃなちいちゃな鳥居だし・・見て気が付いていなければ、倒したのも気が付かないだろう。旦那が「蕨が見あたらないから、場所を移動しよう」と言ったが「あそこに有るよ」と・・ちょっと離れた崖を指差し歩いた。見た感じはないようだったが、ガードレールをまたぎ入るとぶっとい蕨が、ちょこちょことあり片手分ぐらい採れた。「さあ、行くよ!」と、旦那に言われて帰る。車に行っても大きな数珠を話さない私をみて「珍しいね・・それまで、握り締めて」と言った。その場所で、側に来たざわざわとした者たちが安らぐまで、数珠を離さず話し続けた。旦那も4年も結婚生活を送っているので少しは分かってきたのか?「凄いゴミが捨ててあったな。このゴミを捨てた人は、何年経っても・・自分の捨てたのだ!って、平気でいられるのかな?こんなトコに捨てずとも、収集場所へ持っていけば済む事をね。怒っている人がいるんだろうね」と、ちょっとは理解してくれたようだった。倒れた鳥居を立てた事で、蕨のこと教えてもらったが泣いている精霊達の気持ちをどうにも出来なかった。同じように、痛みを分かち合ってやる事しか出来なかった。でも、言いたい事を言ったからなのか?また戻っていった。自然に生かされている、私たち土に返る事が出来る物を土に返す事は良いけれど大きなゴミは、要らないものは、リサイクルに回すなりゴミの処理場に持って行くなり自分の持ち物に最後まで責任持たなくちゃ。手放す時に、ありがとうと・・感謝の気持ちを込めて。
May 5, 2004
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今日は、旦那が休みを取ってくれたので雨の中・霧の中出掛けた。この辺りの凄い所なのだが今まで凄い雨だったのに100mほどのトンネルを抜けると道路も濡れていないカンカン照りの晴れだ。県境なので、県をまたいでドライブしふと・・みると、蕨を採っている。でも、同じ場所で採るのは申し訳なくちちろの「うん○」と言う言葉で、道の駅へおりて行った。ここの道の駅、蕎麦屋もありお昼も重なり手打ち蕎麦を食べた。私は、ご飯の最中は子供達をトイレには行かせない。食べる前に、トイレに行かせてから食事にする。調子が悪ければ、別の話だがこれだけは厳しく言っている。蕎麦が来て、子供達に食べる分のお蕎麦を取り一緒に食べている最中にみのみのが「ウンコ!」と言って、ズボンを脱ぎだした。(え~待ってよ~!ここは外へ用を足しに行かなくちゃならないのよ)自分の蕎麦をあわてて口の中に突っ込み旦那に「私は終わらせたから」と、ズボンを脱いだみのみのを小脇に抱えてトイレへ走る。昼時の蕎麦やだものお客さんは沢山待っている。みのみののトイレは嘘だった。と、言うより多分、暑くて汗をかいて出難くなって居たんだと思う。そば屋に子供を抱えて戻るとお客さんに「食べる前に行かせて、早く食べて行ってよ!」と小声で言われた。そう言われれば「申し訳ありません。待ち時間が長くなってらっしゃるようで・・もうすぐ終わりますので、もう少々お待ち頂けるようお願い致します」と、謝った。目を三角にされちょいと疲れが出る。席に戻り、みのみののズボンを履かせたらちちろが食べ終わった。「みんなお腹空いて待っているからね。オフィス街のランチではないが、早く出てあげようね」と、旦那とちちろに言い旦那が支払っている間食べ散らかしたものをチャチャッと片付け店を出た。外は暑い。めっちゃ暑い。住んでいた場所が大雨だったから日傘も帽子も持ってない。普段血圧が低いせいか?太陽のぎらぎらの暑い所とか苦手な方。クラクラ来ている所へ、みのみのがまたズボンを脱ぎだした。ちちろは、滑り台に行くと言う。トイレと滑り台は正反対。旦那もトイレだと言うし・・。イライラしている時は、口に出して言う。「もう!おかあさんはね!!器が小さい人間なのよ! ちょっと具合悪いとね、あふれちゃうのよ!わかる!!??眉間にシワが出るから、年寄りのお母さんを怒らせないで頂戴!先にトイレだよ!」と、ちちろを説得し・ズボンを脱いで紙パンツまで脱ごうとしているみのみのを洋式のトイレのあるところへ連れて行った。みのみのは、鼻歌を歌い足をぷらぷらさせながらトイレで座っている。あまりに楽しそうなので、調子悪いながらも気持ちは元気になった。「ごめんね~みのみの。お母さん器小さいからすぐ焦っちゃうし、イライラしちゃう。だめだねー。がんばるね」とうん○の最中のみのみのに抱きついた。「出たら呼んでー!!って、言って!!」と、トイレから出てくれと言うので「出たら呼んでね!みのみの」と言ってトイレのドアの所の見えないところに隠れた。みのみのの出たよー。で・・用を済ませて、外で遊んだ。ふう・・・ちょっと、ここで吐き出せば夜は私が真中に両脇に子供達。寝相が凄く悪いので、頭を蹴られる事はいつもだし口の中に足突っ込まれるし嫌な夢を見て、丁度頭に連続キックをもらう事もしばしば。旦那のいびきがめちゃめちゃでかいので、最初は旦那と一緒に寝ていてもすぐに私の方へ避難してくる。ふう・・・ぐっすり寝たい母である。でも、きこりさんが実家の帰りによって新百合の「リリエンベルグ」と「ハルキ」の焼き菓子を買ってきてくれたので大喜び。げんきんな私。
May 4, 2004
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世間はゴールデンウィークだが、我が家は休みが無い。旦那はログハウスのお仕事に行ってしまう。山に行くと、あちこちログハウスだらけ。ずっと子供を外に散歩に連れて行ったりしてヘロヘロになって、日記を書く元気もなかった。30日の1日に変わろうとする頃、旦那のママの2番目の曾孫が生まれ(ちちろ達の従姉妹の子)旦那のママはご機嫌なのに、わざと知らん振りする。「嬉しいでしょ?早く見に行ってあげなくちゃ!」といえば「別に!あの子には、親が居るんだから!(旦那の姉)」と言う。まったく素直じゃない!ちょっとイヤイヤ・・minaelさん風に言えば、ネバネバ?になったのであるカフェの主催でアメリカから、パーソナルトレーナーを呼んで健康について話をしてもらえると言う、ダイエットウォーキングをやると言うので、申し込んじゃった。子供達のおやつに、パイナップルを入れゼリーを作って持たせ・・旦那の実家に預けた。朝から雨が降っていたんで、濡れても良い格好をしてのぞんだ。でも、雨なので・・と言うことで午前中は、ダイエットの栄養についてなどなど教えてもらい午後はエクササイズをやった。本当に家でも簡単に出来る運動。良く、本で「簡単に出来るながら運動」みたいなのもあるがそれより本当に楽チン。でも、凄い汗をかく筋肉が、笑う。体中のどこもかしこも。要は「必ず動かす時に、筋肉を意識する事」と言っていたけれど坐骨神経痛で休んでいた前やっていたエアロビよりも、簡単なのに筋肉が笑う。髪も風呂に入って濡れたように、着ていたシャツも汗が絞りでるほど。こんなに汗をかいたのは、久しぶり。とてもすがすがしい。さっぱりするなぁ~。一日子供達を預けていたので旦那のママは、ぷりぷり!!でも、ほんといい汗かいて私はリフレッシュしちゃいました。気持ちの上では、お元気になったつもり。また行きたいなぁ~。
May 3, 2004
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子供達は、保育園でお昼頃お昼寝がある。ずっと休ませている保育園だが、遊ばせながらも保育園のリズムだけは崩してはならないと出来るだけ、リズムに沿うように努力している。よる熱は出なくなったが、まだまだ咳が凄い。私を除いた子供達・旦那・旦那のママは咳ばかりしている。「これだけすれば、腹筋もついて弛んだ腹もきゅっ!と締まるだろう」と茶化したが旦那は「腹だけ動くならいいが、肩にまで力が入るから肩こりになる」と怒られた。旦那のママには「咳をするたび、ちびってしまう!」と嘆かれた。あぁ・・そういえば、妊婦の時そうだった。今回の風邪の菌は、いつまでも咳を残すタイプなのだろうか?午後お昼寝が終わって、日差しが弱くなった頃蕨採りに行こうと、支度をして・・山へ行った。山の頂上の池へ車を置き、林道を歩いて下りて行った。その林道を下ると、部落がある。その昔、平家の落人が逃げ住み着いた場所だと言う。この辺りは、平家の落人がとても多いのだが・・林道をテクテク歩いて、蕨を見たらもう、大きくなっていた。でも山の中の道・・気持ちが良いので子供達と歩いていたら部落のおばさん達だろう・・スーパーの袋を車に載せて、1台の車が横に止まった。ちちろとみのみのは「こんにちは!」と御挨拶。「あんた達!お父さんは?」と・・・?????????(なぜ?お父さん?)ちちろが「お父さんはお仕事なんだよ」と言った。「こんな時間に、何でこんな小さな子を連れて歩いているの?」と・・ちちろが「お散歩と蕨だよ!」と言う。(こんな時間にって言っても、まだ4時じゃん!冬の日の暮れる夕方でもあるまいに・・)「山歩きの格好じゃないでしょう?スコップも持ってない!靴だって!」とおばさん方・・・(確かに・・ちちろは、雪長靴 みのみのは、ティンカーベルのサンダルだ・・あははは)「そうですねー。ふらっと、山菜見に来たんですが大きくなっていました。ちょっと歩いたら帰ります。心配していただいたようで・・感謝します」と、言ったら「心配なんて!心中する人が多いから・・あと迷惑なのよ」と、言われた。あぁ・・そうか・・多いね。確かに・・そうね・・。でも・・それだったら、子供にティンカーベルのサンダル履かすのかぁ?あはっははは・・・きっと、歩く背中が暗かったのかな?そうだろうな・・。せっかく、4月に保育園入ってくれたら部屋掃除できると思っていたのに、片付けられないんだもん。保育園行っている予定で、予定組んじゃってさっ子連れで、振り回されちゃって・・母は疲れちゃうさっ。そんな事、子供にゃ言えないからな・・。母は、そんな中で楽しい事嬉しい事沢山見つけて幸せにしてもらっています。ちちろとみのみのに感謝しなくちゃね。でも、掃除したかったのよぉー。心中に間違えたおばちゃん達にも・・見て見ぬ振りする人多いけれど声かけてくれてありがと。本当に心中しそうな人に出会ったら話を聞いてあげてね。おばちゃんパワーで、死神を追い払ってやってね。私は、山へ行くと・・精霊達と話をするのが好きだが子供達がいると、子供達にちょっかい出すのが好きで森林浴どころではなかったわ。でも、林道1時間結構遊ばせてもらいました。楽しかった。明日はどこへ行こうかな?旦那はずーっと仕事を入れているので申し訳ないが・・旦那が仕事から疲れて帰って来て早く眠れるように・・子供達も早く眠る事が出来るように(我が家の就寝時間は、遅くで21時なのです)協力いたします。(私は、部屋の電気を消し・・液晶の明かりだけで、PC遊びをしています。暗い母だわ。)
Apr 29, 2004
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車を売るのに、持って行ってもらっていたら戻ってきた。なに?・・・・なぜ?・・・・親戚の車やさんが、良い値をつけてもらおうとデーラーの人と車専門店へ行ったらしい。私の車は6速バックに入れる時は、シフトノブのところにリングがありリングを持ち上げながら、バックギアに入れる。ディーラーの人が、運転しなれないためか?シフトレバーごと、力いっぱい引っ張ってしまったらしい。スコン・・・と、シフトレバーは抜けた。それも、車の査定中に。そんな欠陥車、修理したって・・最低ラインでしか取らない。しょうがない、車検を取り・・買い取り業者にも出張してきてもらう事にした。てなわけで、私の手元にまた帰ってきた。帰ってきたかったの?私に載っていて欲しいの?コーナー攻めたい?タイヤもグリップが良いし高速で、コーナー曲がる時にギアを落とし一気に踏み込むと、片方の車輪に力が加わるのが分かる。タイヤが空滑りしないようになっている。全部、車がコンピュータで、走ってくれている。私の腕じゃない。私は載せてもらっているだけ。でもね・・あなたを手放さないと家族を守れない。手放したくない・・本当はねでもね・・許してね。次のオーナーに可愛がってもらってね。車検が取れたら、またさようなら。ずっと、私の思い出にしまっておくから。
Apr 28, 2004
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今日も休んだ我が家の娘達。でも、9時半に保育園へ歯科検診のため連れて行く検診終われば、市立病院の小児科へ連れて行きやっと、喉の赤みがひき・・抗生物質が薬から外れた。ちょっと一安心。薬をもらって帰るときに、トイレに看護士さんが2人走っていった。「どうかなさいました?」と、一つ一つのドアを叩きながら声を掛けている。一つ一つのドアから、「大丈夫です」と声が返って来る。「あー安心ねー」と子供達に話をして「うんこー」というみのみのを連れてトイレに入った。まず、トイレに入りみのみのの用を済ませた。次ちちろの用を強制的に済ませた。ついでだ!母も済ませようと♪ふんふん♪と無防備に、気持ちよく鼻歌を歌って気を抜いていた時・・・左の壁に何かが光るおおっ!?げっ!?みのみのが、「気分の悪い方は押して下さい・・」と書いてあるナースコールを押してしまった。えらいこっちゃ!!!!!!ペーパーで、チャッと拭きGパンを急いで腹を引っ込めボタンを留めファスナーを上げ、ながしながらトイレドア外へ出てナースコールを留めるボタンをすぐさま押した。その手を、看護士さんが押さえた「大丈夫ですか?」と・・・・・・・「すみません」・・・・「子供が、押してしまって・・・・」と、謝る。の、瞬間・・また、呼び出しランプが点いた。後ろを振り返ると、荷物もそのままに子供達も置いて、トイレから走り出してコールボタンを解除に行ったから子供達がトイレにいる事を忘れていた。ナースコールの前に、ちゃっかりといるみのみの。「ごめんなさい・・・またやってしまいました・・・」と看護士さんたちに謝りお説教。「いい?ちちろ!みのみの!このボタンはね・・1人でトイレに行かれるようになった人が、ポツンと1人になって・・お熱が出て立てなくなったり、トイレに閉じ込められちゃった人が、help me!って助けてもらうボタンなの」と、えんえんとお説教。でも・・・・・なんか?思い出した。ん?・・・・・・とおぉ~い・・昔・・・・・・私も、怒られたよな。何だ!私だって、押してんじゃん!あ・・そうだ・・・・検尿カップを出す検査用トイレに入ってその検尿している意味が分からなくって病院に行くたびに、不思議に思っていて暫く眺めていたんだ。検査のガラス扉の前に、目盛りの入った紙コップが逆さに積んである。その前で、大人は紙コップを取り・名前を書きトイレに入り、検査ガラス扉の前に置いていた。何度も何度も見ていた光景だった。フッ・・と、私は何を思ったか?トイレに入る前に、紙コップを取りトイレで、紙コップにちょっとトグロ1本ウンコをして何気ない顔をして、検査扉の前に置いて来た。今思えば、なんて事!と、思うが・・その時は、何とも思っていなかった。悪い事と言う自覚も何も思ってなかったのだ。検査技師の方々かなり臭くてビックリされた事だろう・・いや・・素敵な健康的なうんこに、感動したかもしれない。でも、こんな事やっていた母親の娘だものナースコール2回押すなんて、納得だよな・・・。自分のやった事を思い出し、自己嫌悪に陥り身勝手な母は、そんな事は棚に上げ・・悪い事は、悪い!と、子供に説教をしてちょっと後ろめたいので、2人に、アンパンマンペロペロチョコを買ってやった。特別・・・・なんだから!!
Apr 27, 2004
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最近、近くで小学4年生の男の子が、犬の散歩中に交通事故で亡くなりました。被害者も加害者も同じ町内で、ハンドルを持つ以上私だって加害者になってしまうかもしれないのでもっと注意せねば!と、悲しく思っていた。今日その被害者の近所の人と丁度会い子連れの私に話しかけてくれた。その男の子の両親はまだまだ若くて(若いから・・と言うのは偏見だが)昔遊んでいたくせが、まだまだ抜けていなくて父親は、仕事から帰って来てはすぐアルコールを飲み家で、子供を怒鳴ってばかりいてその男の子は、交通事故で怪我をした犬を拾ってきて可愛がっていた。父親はそんなだから、家でその子の居場所は無く犬を連れて散歩していた。その散歩が毎日遅くまで近所を歩いているので近所の人達が「危ないよ!夜まで歩かせたら!」と何度も注意しに行っていたという。その都度父親は「うるせぇー!人のうちの教育に口を出すな!」と、喧嘩ごしに言って来たという。近所の人達は、可哀想で見かければ話しかけたりしていたんだと。犬は中型犬で、車を怖がるし・・逃げちゃったらまた車にはねられでもしたらと、長いリードを体に巻き、散歩に連れ歩いていたんだって。その日も父親が家から追い払ったので犬と一緒に外にいたと言う。いつもは飛び出さない犬が、車に飛び出した。体に巻きつけてあるリードが災いして少年は、仕事帰りの同じ小学校の1つ下の学年の子のお父さんにひかれてしまった。そして、後続のまた同級生のお母さんが運転する車にもひかれてしまった。少年は、病院に運ばれて死亡が確認された。お葬式の時、少年の母は後続車の同級生の母をずっとにらみ続けていたと言う。辛くて、悲しくて、胸が痛んだ。私は近所にいて見ていた訳ではないからどこまでがどうで?どこまでが?とは分からない。話というのは、色々大きくなっていくから。でも、それが本当なら・・少年の母はいつも何をしていたのか?4年生なら平気だと思っていたのか?その事故のあった道は、狭いのに交通量は凄い道なのだ。夕方・夜など、心配なはずでは?近所の人は話しているという。「犬がね・・見兼ねて、天国へ連れて行ってくれたんだよ」って・・・。少年は、犬が唯一の一緒に寂しい時を過ごしてくれる友達・兄弟だったのだろう。色んな話をしながら歩いていたのだろうか?過去私がそうだったように・・・・。少年の冥福を祈らずにはいられない。加害者になってしまった、1台目・2台目の車を運転していた同級生・下級生のお父さんお母さん。乗り越えられますように・・・・。中学の同級生で、事故で亡くなった子がいた。その子の家は、借金が多くて両親にも問題ありで心のよりどころの無いその子はグレテいた。仲間の車に乗っていて、運転ミスで車外に放り出され亡くなった。1年後、命日に尋ねていくと引っ越した事を聞いた。引越し先を尋ねたら、1戸建てに住み生活ががらりと変わっていた。仏壇は、無く・・小さな戸棚に小さく追いやられた位牌は悲しくなったが・・「成仏するんだよ!」と、話してきた・・21年前の事を思い出した。
Apr 26, 2004
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旦那の実家の仕事の納品を頼まれ、納品するものを取りに行った。今日は、牧場へ糸紡ぎをやりに行く日で納品した足で牧場に行こうと思った。ちちろとみのみのは、じぃじとばぁばの顔を見たら「牧場へは行かないよー!」と泣いて、遊んでいると反抗する。ばぁばが、ヨーグルトを持たせてくれたのにヨーグルトを車から投げつけて怒った。しょうがない「おいて、行けばいいじゃん・・」と言われ遊んでもらっている事にした。80近いじーさんに・・70過ぎたばーさんなので・・小さな子供の相手は、かなりのエネルギー消費なのだ。(まだ仕事しているが・・・)また、旦那の両親からしたら・・ちちろたちは孫だが曾孫(旦那のお姉さんの孫)もいるので、ちょいと可哀想な気もしたが置いて来た。牧場へ行ったら、糸紡ぎに来ていた人は1人だった。私が行って、2人になったが・・牧場来場のお客様たちが「ほらほら、羊さんの毛を紡いでいるのよ」とか小学生くらいの子供が「この毛は、羊毛(ひつじげ)?」というので「これは、ウールと言うのよ」と、話したら「あっ!聞いたことある!アクロンで洗うんだよね」と話したので真剣に「そのとおり!よく見ているんだね。良い事だよ~これが、アクロンのウールだよ。覚えていてね。」と話した。糸紡ぎアルプスの少女ハイジにでてくる、ペーターのおばあさんが良く糸を紡いでいるがなかなか難しい。でも、一生懸命やっていると・・無になる。単純作業だが・・無になることが出来る作業と言うのは、自分自身にとってもいい。私の場合はエアロビをやっていても、先生の動きを真剣に見ているだけで無になるが・・また糸紡ぎ作業の無もいいものだ。仏壇に向かって、般若心経を唱えていたり写経をしていても無になるが・・無の時間を作る事で、自分の心の中がベタ凪状態になる。と、とっさの時落ち着いて行動する事が出来る。私は、直ぐあわてる人なので極力、無の時間を大切にしたい。
Apr 25, 2004
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今日は、GT-Rを旦那の親戚の車やさんが取りに来ると言うので車の中のものを全部出した。CDチェンジャーの中のCDもMDも全部。旦那のランクルに載せ替えた。見ていると、泣けて来そうになるので最後のアイドリングをしてやりアイドリングが安定した所で、エンジンを切った。アンパンマンのビデオを見ていたちちろとみのみのは母がいないことに気が付き駐車場まで届く声で大泣き。走って戻ると、鼻水から涙からヨダレから全部ぐちゃまぜになって、階段を下りてきていた。「ここにいるよー。ごめんね。お母さん今ね・・ GT-Rとさよならだから、お片付けしてきていたのよ」と話すと。「おしっこを自分でしたのに、ボタンが出来なくて・・」とちちろは泣いていた。「おしっこをしたのに、お姉ちゃんがズボンを返してくれない!」とみのみのは泣いていた。そう・・みのみののズボンは、去年ちちろがはいていた物。今は、みのみののズボンなのに・・自分のものだと互いに言い合いになり喧嘩になったらしい。「ボタンできるわけないじゃん!ちちろにはこのおズボン小さいもの。大きくなったねぇ」と、抱きしめた。抱きしめて、満足したのか?ちちろとみのみの二人で、「Ilove you」「I'm happy」と抱きしめあって遊んでいた。元夫が「日本では、お父さんが好き!お母さんが好き!でしょう?外国ではね、親の事を愛している!家族の事を愛している!というんだよ。愛って、素敵な言葉でしょう?愛している=loveには深い意味があるんだよ。子供達には、愛しているって言って欲しい・・」と、良く聞いていた。これは、離婚しちゃって・・また子育てをしているが・・同じように真似しようと思っていた。愛する事の深さを子供達に知って欲しいと思った。別れちゃった、元夫だが・・これだけは私に良い事を教えてくれた。子供に抱きしめられると、こんなにも温かいものか・・と、ホッとする。誰に抱きしめられるより、安心する。ちいちゃな体で、腕で・・ギュッとしてくれる。私もギュッと抱きしめる。愛している。I love you 愛し続けることを忘れないで欲しい。
Apr 24, 2004
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起きている時は、元気な娘達。今日は、牧場へ行ってきた。私が糸を紡いでいる間牧草をむしって、ちちろとみのみのはお互いに草の投げ合いをしている。あまりにむしむしむしって投げて、頭も服もすべてが草だらけ。おまけに、小さなコバエや蜘蛛の巣を沢山つかまえて蜘蛛が怖い私のところへ「おかあさーん!蜘蛛の巣取ったからねー!大丈夫よー。 蜘蛛どこかに行っちゃうからねー。」と、キャッキャと笑い歩み寄ってきた。「きゃー!!お母さんは蜘蛛の巣も嫌なのよー。」と逃げ回る。見兼ねた糸紡ぎに来ていた奥様が「田舎に住んでいるくせに、蜘蛛が怖いなんて・・」とちちろたちの手を洗いに連れて行ってくれた。「お母さんはね~蜘蛛が怖いんだよ。ちちろが捕まえて逃がしてあげるんだ」と、話している。みのみのは「みのみのはねー蜘蛛の巣取るんだ!」と、叫んでいる。きゃーきゃー遊んでいたので疲れただろう・・と牧場を帰ろうとしたら「おかあさん!クッキー作る約束じゃん!」とちちろ。・・なんだ、覚えているんかぃ?・・・・受付2分過ぎにで、クッキー作り体験をさせてもらった。ボールとへらがあり、柔らかくなったバターを白くなるまで練り練り・・・砂糖を入れて、練り練り・・・卵の黄身を入れて、練り練り・・・小麦粉を3回に分けて練り練りし・・色んな形を作った。ちちろは、富士山・ウサギ・アンパンマンなどなどみのみのは、☆・ドキンちゃん・アンパンマンなどなどそれぞれ、楽しく作り焼いてもらった。やはり、分量しっかり作ったものは美味しいし香りもいい。私は、砂糖は控えて・・全粒粉や・ライ麦やそば粉など使って作るから味がそっけない。子供達にしてみれば、凄く美味しいクッキーが出来上がっている。実は・・私もうまいと思った。普段私はパン教室や糸紡ぎに来ているがちちろ達には、まだまだ色んな事を見せていなかった。今度は何の体験しよう?ここの牧場は、陶芸体験も出来るし羊の毛狩りも出来るし牛の乳搾りも出来るし今なら竹の子狩りも出来るし色んな体験が出来る。そして、草と動物達とたわむれる事が出来る。色んな事を私も教えられている。が、風邪はまだまだ長びいている。夜になり、また微熱が・・・。でも、楽しければ良しとしよう
Apr 23, 2004
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難病で亡くなった少女の詩を元に作った、テレビドラマがスタートした。その詩が・・・「命」----------------------------------命- 宮越由貴奈命はとても大切だ人間が生きていくための電池みたいだでも電池はいつか切れる命もいつかはなくなる電池はすぐにとりかえられるけど命はそう簡単にはとりかえられない何年も何年も月日がたってやっと神様からあたえられるものだ命がないと人間は生きられないでも「命なんかいらない。」と言って命をむだにする人もいるまだたくさん命がつかえるのにそんな人を見ると悲しくなる命は休むことなく働いているのにだから 私は命が疲れたと言うまでせいいっぱい生きよう---------------------母親の言葉由貴奈がこの詩を書いた背景などについて、母親の言葉を次に引用する。日ごろ書くことがあまり得意ではなかった由貴奈が、この詩を先生にほめられたことでとても気を良くし、あちこちで見せまくった。まさかこの詩が由貴奈が亡くなってからこれほど反響を呼ぶとはこの時思いもしなかった。おばあちゃんに「せっかくのいい詩だから何か絵を書いてみたら」と言われその気になって書いたのがこの絵。 富士見といって思い出すのは富士山とすずらんの花らしく、それを書いたつもりなのだが、うまく書けなかったといい、書きなおす気力もなく、富里のおばあちゃんにあげたそうだ。この頃ニュースでよく自殺やなにかで、まだまだ生きられる人が亡くなるというのが流れ、皮肉にも、こども病院では大切な友だちや、お姉ちゃんたちが生きたくても病気に勝てずに亡くなるということが重なった。そんな切ない気持がこめられているように思う。そして、その由貴奈に対して、母は次のように呼びかける。由貴奈、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。人は皆それぞれ、使命や目的を持って生まれて来るんだって。特に由貴奈のように幼くして亡くなる子は、両親の成長を早めるために、短い人生を承知で生まれてくるのだということを聞きました。なるほど、これは経験したものでなければ味わえない大変な心の葛藤です。我が子の大変な病気と闘う姿を見せられ、そして亡くなってしまう、これほどの悲しみ苦しみはないぞと思いました。でも由貴奈はお母さんに、いえ多くの人たちにいろいろなすばらしいことを残してくれました。なんてちよっと大げさでしょうか。親ばかのお母さんです。やっとこんなかっこいいこと言えるようになったけど、由貴奈を失ってからは後悔ばかりしていました。治療の度に先生が治療方法の最終段階では親に選択させていたのです。あの時本当にあれで良かったのかから始まり由貴奈にとった態度はあれで良かったのか、病院にいるときもっと一緒にいてあげれば良かったとかきりがないのです。そんなことを思いながら車で一人になると涙が止まらなくて・・・。でもね、考えたら人の人生と比べたら長さは短かったけど普通の一生を濃縮したかなって思えるんです。あれだけ多くの人と知り合って多くのことを経験し、命の尊さをもうんと身近に感じていただろうし、それでまるでその勉強の成果みたいにあの「命」という詩を作っちゃうし、ほんとうによくやったね、よく頑張ったね、由貴奈いろいろありがとう。最後に病気から守ってあげられなくて本当に・ご・め・ん。 おかあさんより-------------------------------------おかあさんの言葉、由貴奈ちゃんの詩あついものが込み上げる。今すぐにでも死にたい・・と、思っている人たちに目を覚まして欲しい。自分自身、昔死にたいと思った時があるから気持ちが分からないわけでもない。でも・・「命」この詩を聞いて昔の自分自身を恥じた。寿命というその時まで、生きていなくちゃそう思う。今うつ病で、死にたい・・と思っている私の友人にも、話してあげたい。でも、死にたい・・生きていたくない・・と言うのがうつ病の症状だというから・・病気に、打ち勝ってほしい。と、思う。
Apr 22, 2004
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私の車を手放す事になった。水あかがついているので、手洗いピカピカのスタンドへ具合の悪い子供達を連れて出かけた。3時間ぐらい時間が掛かるようで代車を出してもらい、買い物を済ませてきた。ちちろは、きれいになった車を見て「おかあさん、GT-Rきれいだね。」と喜んだ。そして「ちちろはね・・GT-R一番だーい好き!」と、言った。「うそつけ!去年お父さんのランクル壊した時こんな狭い車は乗りたくない!と大泣きしたのは誰よ!」とちちろに話したら?「ん?忘れちゃったぁ~☆」と、笑いながら舌を出した。今月の終わりで5年になる、私の車。私と旦那が知り合った頃まだ、何とも旦那の事を思っていなかった頃車をどうしようか?迷っていた。そんな時、バカ友の旦那に「車を買おうかなぁ~と考えているんだ」と話してみた。旦那は「何が欲しいの?」と聞いたので「ん~WR-Xか?ランサーエボ7か?スカイラインGT-Rか?皆新しくなったじゃん!悩んでいるんだぁ~」と、話した。旦那は「俺GT-Rだよ。悩んだよ。悩んで買ってね・・買って4日目で1度後悔して、それからは後悔した事ない!」と、目をキラキラさせて話してくれた。「GT-R買うなら、白にしな!あの形には白がいいと思うんだ」と・・言われ当初、ミッドナイトパープルと言う限定色があったがメーカーオプションが何もつけられないと言う事で白のGT-R V-SPEC 寒冷地仕様にした。誰もが、寒冷地仕様なんてと言うが・・・その頃、祖母の所に遊びに行くと・・寒い場所で、霜は降りるし・・直ぐガラスは曇るし・・で寒冷地仕様なら、直ぐ霜は溶けるし・ドアミラーヒーターが付いているので、1・2分で氷は解けた。旦那と結婚して、この地に来たらこの寒冷地仕様はとても役に立った。GT-Rつながりで、結びついた私達。絶対再婚反対派!だった、私達だったが・・結婚してしまった。高速でも、180kmは直ぐに出るからここから祖母の所まで、1時間も掛からず着いた。嫌な事が有っても・・ちょっと車を流してくれば何でも忘れられたから・・頑張れた。この5年臨終の間際に何度もたったし・・人の死に何度も涙したし・・その度、走った。そういえば・・この車に乗っていて白バイに目をつけられてスピード違反で捕まったなぁ~。そんな笑い話もあったなぁ~。旦那は、私と結婚するために・・お金がなくて自分のGT-Rを売った。今度は、私が旦那のために車を手放す番。でも、私には守らなければならないものがある。守らなければならないものの為に手助けになるものがあって、良かった。旦那は、最後まで反対していたが元請けからの支払いが、2ヶ月遅れになる事になり従業員の給料などで、反対もしていられなくなった。今週手放すので、最後の洗車に行ってきた。ちちろ・・みのみの・・・こんな車をお母さんは載っていたんだった・・と、覚えていてね。もう、見栄も張れないが。心を豊かにする努力をしよう。♪ボロは着てても~心は~にしき~♪この歌のように・・キラキラと輝いていたい。が・・いつか?金を貯めてランサーエボ?・・買っちゃうんだから!こーんな山奥で・・コーナー攻めなくてどうする?なーんて・・・年甲斐もない。ここは、路線を変えてバイクにでも乗ろうかと思ったが・・凍結するし・・雪降るし・・「腕がないとね!」と、腕をニヤリと笑いながらポンポンと叩く旦那に「あなたは中型自動二輪・・私は制限なし」と鼻高々に、言い放ってやった。が・・・私は、バイクに関してはペーパードライバー・・・・笑われて当然である。ぷんぷん!!でも、家族笑っていられるのがいい。それが、一番良い。
Apr 21, 2004
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今日は、母親の誕生日昭和10年4月20日生まれだが・・もう、25年も前に死んでしまった。私には兄がいたらしいが・・陣痛で苦しむ初産の母には・・と、7人の子供を産んだ経験者の祖母が「このお腹では、子供がかなり大きいので帝王切開でお願いします」と頼んだそうだ。でも・・医師は「自然分娩でいけますから!」と、言ったらしい。子宮口10cmが全開で、いきむ事ができるのだが全開しても子供が出ない何日もそんな状態が続き、母の体力も限界に来たとうとうお腹の兄は、心音が聞えなくなり急きょ帝王切開に切り換えた。生まれた兄は、もう仮死でそのまま逝った。限界の出産で、それまで健康だった母の心臓はボロボロになっていた。兄の体重4500g初産では、なかなか出ないだろうねぇ。今なら、凄い事になっていただろう。でも、昔の事・・お医者様は偉い!争いごとなく終わった。母は、兄が亡くなったことを知らず「赤ちゃんはいつ連れてきてくれるの?」と祖母に聞いていたそうだ。祖母は、まず体を回復させてから・・とひたすら隠していたようだった。が・・思いやりのない、父親の姉妹が「あんた!残念だったね・・子供死んじゃって!」と、病室のドアを開けながら入ってきたそうだ。私も3人目の子供を流産している。人間の形をした、小さな小さな赤ちゃんだったが泣けて泣けて仕方がなかった。そのまま、子宮内に押し戻そうとしたくらいだった。4ヶ月半で、3人目でも悲しかったのに初産の母は、どんなにか辛かった事だろう。4年経ち私が生まれたが・・私を妊娠した時も「もう心臓が分娩に耐えられませんから、堕胎手術をしましょう」と、病室へ連れて行かれそうになったのを逃げて帰ってきたらしい。心臓専門医を回り、1軒の心臓内科の先生が「この子を産んだら、あなたの心臓は止まるかもしれません。止まらなくても、長くは生きられませんが・・」と話してくれたと言う。母は、了承したと言う。私を生んだ後、当時10万人に1人と言われた「脈なし病」今で言う「大動脈炎症候群」という病気になった。膠原病のお仲間らしいが・・記憶にある、母親は・・ステロイドホルモンの副作用で、顔がお月様のようになっていた。毎日、顔の浮腫みを気にしながら仕事をしていた。今で言うDV(ドメスティックバイオレンス)で、父親に殴られながら眼帯をして、仕事をしていた。私は、母親が亡くなって父親の虐待に拍車がかかっていた頃どうして?私を生んだの?・・どうして?私を連れて行ってくれなかったの?・・と早く迎えに来て!と、いつもいつも思っていた。でも、背中を刺されても・・金槌で殴られても・・日記には、かけないような事を父親にされても私は、生きていた。色んな色んな経験をしたが、今になって思えば・・・子供の頃だったから、乗り越えられたのだろう。生きていくために必死だったから。でも、嫌な事でも逃げなかったと言う事が大きな財産だっただろう。命を掛けて生んでくれた母親にありがとう!と、仏壇を見て言った。孫達を見守っていて頂戴ね。------------------------------------今日子供達を市立病院へ連れて行った。まだ、夜中の咳が止まらないのと鼻水と目ヤニと大きな咳をすると大きなタンの塊がぶっ飛んでくる。先生が、子供達の喉を診たら「喉にボツボツ出来ているよ~ これでは、ご飯食べられませんね。 喉越しのいい物をあげてね」と言った。「ボツボツですか?」と聞くと・・「かなり凄いですよ~よくこれで元気でいますね。 かなり辛いはずなんだけれど・・不思議です」と先生は言った。扁桃腺肥大ではないので・・扁桃腺がはれているわけではないがかなり強い菌が入ってきているらしい・・・。その割には元気なんだが・・・。でも、昼間の疲れがどっと出るのか?夜中中泣いているし・・咳をする。早く元気になって欲しいなぁ~。保育園にいって、この部屋を掃除させてくれい・・・母は思うのだった。
Apr 20, 2004
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今日は、私の唯一1人だけの身内である祖母の誕生日。明治40年4月19日生まれ。朝HAPPY BIRTHDAY!の電話をしようと思ったら電話が掛かってきた。「元気?私は言うとこないけれど・・あんたは?」と祖母。「元気だよ。ちょっと風邪ひいているから、おばあちゃんにうつしたくないから・・治ってから行くからね。」と話をした。私が生まれ・・母は、暫く退院する事が出来なかったので祖母が私のオムツを換え・・ミルクを作って飲ませてくれた。それも、60を過ぎた・・おばあちゃんが・・だ。ま・・世の中、こんな話はわんさかあるのだが・・・子育てをしてみて、3時間おきにグズグズ言い布オムツを度々換え・・足腰があちこち痛い・・と、言いたくなる年頃には辛かったのではないか?と思う。去年、祖母と一緒に暮らしている叔父が(母の弟)なぜか?叔母の親友→(母の妹の保育園からの幼馴染)と結婚してお嫁さんが来たので・・・安心しきったのか?去年まで、ご飯の支度も掃除も何もかもやっていたのに急に、楽をして・・幸せを感じてしまったのか?祖母の頭の中まで幸せになってきた。本当の幸せならいいのだが・・・年をとっての・・ボケ・痴呆・・などと言う言葉ですまされてしまうものである。叔父は、祖母にデイサービスを受けさせない。誰もが「適度の刺激は脳にも良いのに」と話をするが断固として、聞き入れない。結果お嫁に来た叔母が、張り切って祖母と遊んでくれている。昔から、張り切っているおばさんだったので無理をしているのでは?と、心配。毎日・・天気がよければ、車椅子で祖母を散歩に連れて行ってくれる。電話は良くしている。でも、直ぐに忘れてしまう。子供達が元気ならば、連れて遊びにいく。片道100kmあるが・・、高速で1時間もあれば着く。今は、行きたくても・・風邪をうつして、肺炎にでもなったら大変!と元気になるまで、遠慮する。皆で、大事に大事にしている祖母なので長生きして欲しい。
Apr 19, 2004
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今日は、旦那の実家の隣保班の旅行で長野の諏訪に行ってきた。御柱祭り後という事もあり、かなりにぎやかだった。喉も痛いし・・かなり具合悪かったが・・気合が入っていたのか?旦那の実家に着き、みんなの待つバスに入ったら、具合の悪いのがどこかに行ってしまった。諏訪の高原城という所に行き、その後諏訪湖畔のホテルで昼食になりホテル最上階のお風呂に自由に入ってよいと言う3時間位の自由な時間をもらった。風邪ひきだし・・喉も痛いし・・でお風呂にも入れずご飯もあまり食べられず・・子供達は、オムツが取れかけのみのみのを先頭にちちろとかわるがわるトイレだと言う。途中旦那のパパが宴会場から出て行った。ちちろが「じぃじと行く!」と言ったので旦那のママは「ちちろ!じぃじは、すごーく酔っているからばぁばといようね」と、ちちろをたしなめていた。ホテル出発時刻15分前になり旦那のママが「ねぇ?お父ちゃんがどこにもいないんだけど?」と、言い出した。「えぇっ!?お風呂じゃないの?」というと「あの時出て行っちゃったまま・・どこか探してきてよ」とママ。出発10分前にホテルロビー前にバスが着いてしまう!それまでに探さなければ!とホテル14階のお風呂へ探しに・・・・いない・・マッサージ室へ・・・いない・・・ホテル3階の宴会場へ・・・・いない・・・ホテル2階の宴会場へ・・・いない・・・1階に着くと、もうバスに皆乗っているあぁ・・良かった。パパがいたんだぁ~と、バスに乗り込むと「お父ちゃんいた!?」と、ママ。「ええっ!?まだいないの?」と、抱っこしていたみのみのを託しホテル外で、立ち尽くしている隣保班の男衆に「すみません・・諏訪湖見てきます!」と言い・・走って・・探す。お酒かなり飲んでいるって言っていたよなあ・・・まさか?空いている客室で、いびきかいて寝ているんじゃなかろうなぁ?いや・・まさか?トイレで、倒れていたらどうしよう?いや・・外が暑くて、ぶっ倒れて寝ているのかも?と右へ左へと・・・寝ている人の顔を覗き込み・・・遊覧船の橋げたの下をのぞき・・まさか?酔っ払って、諏訪湖に落ちているわけじゃなかろうなぁ?と・・橋げたから、湖面をぐるっと見渡しぎょっ!白いものが!と・・思えば・・・死んだ鯉のお腹だった・・・。走りながら、体が重い・・と痩せねば!と・・だらだら走り回り・・バスの中の同じ保育園のママに電話をし「パパ帰ってきた?」と、私「まだですよ!」と、保育園ママ「次どこ行くって?」と私「次は、諏訪神社だそうです」と保育園ママ。げっ!・・ここから、諏訪神社まで距離あるじゃんか!しょうがねぇ・・旦那に緊急事態だ!と、バスに戻りながら電話をした。「パパがねぇ・・いなくなってねぇ・・」と、私「どこに行ったんだ?オヤジは!しょうがねぇな」と旦那「どうしよう・・・」と私「今仕事中でどうにもならないから・・迎えに行くなら夕方だぞ」と旦那ホテル外で、心配して待っていてくれている男衆に居なかった・・と、合図を送った。「ひゃー・・どうしたらいいんだよー!あたしは・・・。」と、旦那にいうとパパが、笑顔で手をふりながらタクシーに乗って戻ってきた。「あぁ!!パパが居た!また後で!」と電話を切り「皆にすみません・・」と謝りバスに乗る。保育園ママの父ちゃんは、「ちゃんと出発時刻に帰ってきたから許してやれよ」と肩をポンポン・・。あたしのこの探した労力は・・なんだったんじゃ?汗が、どっと噴出し・・服はびっしょり。おまけにバスの中は冷房が・・・おまけに、旦那のママはプリプリ!!と・・思ったら、シクシク・・・ママが「お父ちゃん!皆に謝んなさいよ!」と言ったら「時間に帰ってきたから良いじゃんか!」と、逆ギレしたらしい。パパは、パチンコへルンルンして出かけてきていた。おぃおぃ・・諏訪まで来て、パチンコかぃ?好きですなぁ~。勝ったのか?負けたのか?はぁ~・・・せっかく、御柱祭りあとで・・まだ盛り上がっているのに・・諏訪神社に行っても、かんてんパパのゼリーの素を買っただけ。それも、旦那のママも怒っているから・・好きなように買えず・・もう!絶対またかんてんパパ買いに来なくちゃ!と、強く心に誓い定番野沢菜センターに寄り野沢菜だけをgetしてきた。はぁ・・・つかれたつかれた具合は・・どっと、悪くなった。が・・私は、お嫁さん元気でいなくちゃならない。気合!でも、ある意味・・濃いパパとママをもっているから・・・面白いと言えば、面白いが・・・はぁ~あんべぇわりぃはぁ~こぇこぇあ~しんどべりぃ、たいやーど・・だな。と、
Apr 18, 2004
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気合が崩れた。子供達も具合が悪いのに、私も具合が悪い。喉も痛いし・・頭も痛いし・・体も熱い。困った。でも、子供達は、エネルギーが余っているし旦那は仕事だし・・ご飯のしたくもせねばならないし家事全般せねば・・・今日は、しんどい・・えらい・・こえぇ・・・だるい・・あんべ、わりぃ・・同じような言葉を、ちょっと知っている方言で書いてみた。
Apr 17, 2004
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今日だって、かなりダルイはずのちちろとみのみの。でも、朝から散らかしまわっている。が、ご飯は食べない・・水分しか摂らない。友人からもらった、とろみのある栄養補助食品みたいなのを冷やしておいて飲ませた。やはり・・微熱のまま。ちちろの咳が変わってきた。夜中は、咳込みがひどくて吐いてしまう。みのみのは、呼吸時の音が・・どこからともなくヒューなどと・・聞える時が、多々ある。友達のカズちゃんのトコに竹の子ご飯をもらいに行って蕨に・茹でたけのこと・エンドウも頂いてきた。カズちゃんは、喘息と仲良しさんなのでちちろとみのみのを見て「えらいこっちゃ!もう、気管支の方へいっとるんやないか?熱が出たら、あかんでー」と、言ってくれたが・・・「はい・・もう、微熱で・・」と私がぼそりと言うと「ひゃー保育園行って、早速病気もろて来たなぁ~しゃーないなぁ・・まぁ、がんばっちゃりや」と、励ましてくれたが保育園は今週休ませたが・・来週も休みかな?しゃーないなぁ・・・。これから、鼻水出たら病院へ連れて行かなくちゃ・・・みのりの2cmほどあるまつげは、目ヤニでぐっちゃりで昼寝から覚めたり・・朝起きたり・・目が開かない。どうしてなんだろう?はぁ・・また、睡眠不足。/////////////////解放された!拘束されていた3人が解放された。良かった!速報で流れてきて、ホッ・・とした。でも?今日また2人拉致されたなぜ?北朝鮮に拉致され、日本に帰してもらえた方々。家族を北朝鮮に残し、会えない年月だけが過ぎている。苦しくて・・辛くて・・心配で・・早く、会わせてあげたい。一緒に暮らせる事を祈る。政府は、他人事。自分の身内がかかわっていたらもっと違わないのか?旦那は言う「あんた、あつくなりすぎ!」でも・・何もしてあげられないけれど願い続けるあつい思い必要じゃないの?自分ばかりが幸せになりたいと思わない。人が、皆が笑っていてくれたらとても幸せ。3人が解放されて、本当に良かった。
Apr 15, 2004
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