灯台

灯台

2024年11月15日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類






泣くという演技の考察


拝んでは泣き、水をかけては泣き、
とうとう膝をつき、墓石に抱きついては、
泣き崩れていた。

その光景を見ながら邦画の臭い演技、叫ぶ、怒鳴るなどの、
芝居の延長線上にあるオーバーな演技を思い出していた。
それは演技、
これは生身だから感情移入できるというのは―――嘘だ。

映画がつまらない、二時間も観ていられないというのならわかる、
なるほど―――映画一本すらも人生の時間として取れないのですね、と。

けれど、その映画をあれこれ言う風潮が何しろ気に食わない。
人というのは映画というマインドをセットされ、点数を表示し、
かつ、邦画を悪く言うネガティヴな意見の方が知性的なので、
ろくすっぽ何も見ていないで言っているのだ。
それを洗脳と言わずして何と言うだろう。

ちょっと待って、本当にちょ、ちょ、ちょっと待って。
人食いエイリアンが日常生活に溶け込んで、
生きていく空前絶後のラブストーリーを見せられて、
なるほどこれは糞映画だっていうのならそれはわかる。
僕はむしろそれ面白そうだといってしまうクチだけど、
基本、優先順位をつけるような在り方は機能に弊害があると思う。

映画評論家、映画批評家、素人批評家、
すべてネット文化に端を発した「舐めた」「頭の腐った」
―――先鋭的な物の見方で、
それが『面白いだろう』もとい、それが『みんなの常識だろう』
(ゆえに、)そうであるべきだという、
間違った見識に裏打ちされて、
頭空っぽなあなたは、マインドコントロールされているに過ぎない。

話それるけど、ライブ収録等では何一〇カメも出張る。
もちろん、ファンがついてこそのイベントなら、
その対象の演者をカバーできるカメラ台数は要るだろう。一般論としてね。
でもスイッチャーさんはすべて見れない、
事前打ち合わせにも限度はあるし、ミスもある。
さらにネットが発達し、圧縮技術も進化。
また視聴者が何一〇カメもある映像をマルチで見ながら、
好きなシーンを選んでUPにして見れるらしい。
技術的にはすごいこと―――だ。
でも制作の面としては選んで送り出すのがプロの仕事だ。

こういう物の見方ってみんな当然知っているというなら、
僕は非常に肯くところでは―――ある。
お前如きに映画をとやかく言う知能があるわけないだろう、と。

どんな名作もとい迷作だろうが、所詮は大体一緒である、
特別なアイディアや、特別な演技、特別な映像技術、
なんだったら特別な映画監督でも、
申し訳ないけれど大体同じであ―――る。
ここを肝にしたい。
ちょっと違うが物凄い大きな差になる、それが表現の世界―――だ。

ただ、それはあくまでも僕等とはつゆほども関係のない話である。
だって、僕等はそもそもその映画のことをどれほど知っているのだろう、
大谷の話で、全米の注目が集まっていると連日連夜ニュースが押し寄せるが、
反面アメリカ人は言うほど大谷のことに興味を持っていない。
アメリカはバスケやアメフトの方が人気だ。
僕はメジャーリーグを紹介する本を中学生の頃、読み漁ってた。
割とガチ勢だったと思う。
だからリップサービスはできる、むしろ、したい、大谷は偉大だ、
だけれど、みんなが思っているほどには別に何とも思われていない、
そういう一面をむしろちゃんと知らなくちゃいけない。
ガンダムは一般的な単語になったと思う、
サザンオールスターズは季語にもなった、
だけれど、ガンダムやサザンをみんなが思うほどちゃんと人気があるのかを、
冷静に振り返ってみたらいい。なお、僕はアンチではない。
映画だって、年に何百本も観ているような人は別として、
あなたは映画を何百本も観ているのだろうか。

知識が先に入った映像にはそもそも錯誤が多すぎると思う、
俳優がどうだとか脚本がどうだとか、
尻掻きながら、ポテトチップス喰ってるような奴が何を言ってやがる。
コカ・コーラ飲んでんだろ、美味しいか? 以上だろ。
こんな言い方をするとあれだけど、
玉置浩二だろうがワンオクだろうがアイドルだろうが、
好きな人にとってみればみんな才能があるように見えるだろう。
フィルターが外れれば、誰だこいつになるだろう。
誰だこいつ、をきちんと呑み込んでおいた方がいい。

―――人の泣き声というのがあると思う、
神経を尖らせて、感覚を総動員して、
その人の声が震え、涙の前兆が読み取れるようなことがあると思う。
人生を長く生きていたら一度や二度はそんなシーンがあるだろう、
場合によってはそれが嘘泣きという場合もあるかも知れないし、
自分自身がそうだったということもあるだろ―――う。
けれど、そういうのを俳優や、映画を撮っている人間が、
まったく知らないなんていうことは有り得るだろうか。
同じ人間だよね。
百歩譲ってそうだとしても、それが良いという人も一定数いるのではないか。
だったら今まであなた達が言っていた見方は偏った、
差別的な物の見方ということにはならないのだろう―――か。
それをして『ペラいなお前』ということにならないのだろう―――か。
『お前、気持ち悪いことばっかり言ってやがんな』
ということに、ならないのだろう―――か。

僕はそれを『広告的な物の見方』だと思う。
そもそも、映画が嘘くさいとか胡散臭いというのは、
今に始まったわけではない。
あなたが地方の、田舎の、テレビすらないようなところが故郷だったら、
すべては非現実的に見えるのではないだろう―――か。

「致命的なズレ」がある―――と思う・・。​
それを“奇妙な擦れ違い〟というのだろう―――か。

くろぐろと煤けた、
護岸用のコンクリート製ブロックに、
大阪湾の汚れ切った波が打ち寄せるかの如く、
いくら泣いても、泣いても、
泣き足りない―――のだ。
悲しかったのだ、悔しかったのだ、
あるいは、懐かしかったのかも知れない、
恋焦がれているのかも知れない、
無数の雑多な要素の相互作用の結果として、
「泣き顔」というのがあると思う、
そこには記憶があり、前提条件があるはず―――だ、
沢山映画を観ると映画をあたかも知っているかのように錯覚する、
そしてそれを点数表示していいような誤解をする―――らしい。

大根の演技はそれはわかる、
実例は挙げないけど、確かにこれは学芸会だという人はいました。
確かにオーバーリアクション気味の演技も感じる俳優もいる、
でもそれが「広告」なり「演技的特化/その俳優の結節点」
という物の見方はされないのだろう―――か。
物は言い方というけど、
あなた方の言っていることが尊重されて、
こちらの言い方が尊重されないというのはフェアではない、
多数決の原理は分かり易さの中にしかない。
あのね、泣くのが下手な人もいる、
人前で泣けるのだって凄い技術だ。
日常会話だって上手く出来ない人もいる、コミュ障の人とかね、
そういう人が俳優を見て嘘くさいというにせよ、
同時に憧れの成分だってあるのではない―――か。

フェアな物の見方が退屈ではないのかという問題はあるだろう、
「これつまんない」に語彙力は存在しない。
けれど、ありとあらゆる人がおける世界でフェアな物の見方ができないのは、
根本何処かに問題があるのだ。
つまんないから意見はできないというのならわかる、点数なんかいらないのだ、
むしろ見所があるところを長々と語ればいい。
ぶっちゃけ、俳優の話だけしていてもよい。
―――小さな物の見方ができない人は、
いつまでも子供のままなんじゃないだろう―――か。
時折には、過剰な批評合戦、行き過ぎた意見の正体を見抜いて欲しい。
あなたが手元にあるスマホをぶっ壊して、テレビをぶっ壊して、
なおかつ、参考資料となるようなものを燃やして意見をしてくれるというなら、
僕は一向に構わないのだ。
人を構成している様々なアイテムがあると思う、いわば、
人って自分では自分を語りきれず、分かり切れないということなんだ。

人生経験を話そう―――か。お得意の手法だね、
でもいいかい、人生にへとへとにくたびれた深夜、
糞つまんない映画を観ながら、ぼんやりしながら、
何かいいよなあって思うん―――だ。
わかってるよ、それがすごい、いい映画じゃないってこと―――は。
だけど、僕はそういう気持ちをどんな時にでも持ち込もうと思う。
やるからには真剣でいようぜ、それはもちろん。
だけど、ただ人を笑うためだけのネット的な暗黙の了解が、
ルサンチマンで、なおかつ、本来は独り言にすぎない、
世の中の主流ではないということをちゃんと理解しておけよ。

前述したように、「舐めた」「頭の腐った」
―――先鋭的な物の見方というのは、【広告的な物の見方】である。

別の言い方をしようか、
お前の意見なんかいらないんだよ、お前から消えろよ、鬱陶しい。















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年11月15日 21時16分34秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: