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ホテルから観光バスは一路、ピサへ。連結バスに乗りかえピサの停留所に到着。観光客あいての土産もの売りがたくさん出ている。塀伝いをあるき、門を覗くと斜塔が見えるベラピサを案内してくれたガイドさん。イタリアでは観光地ごとに毎日いろんな人が入れ替わりガイドしてくれたが、この人が一番きれいだった。さっそく、添乗員に教えてもらったイタリア語で「ベラ!」と呼びかけるととても喜んでくれた。ちなみにベラは美しい人の意味。美男子はベロというらしい。子供の時にテレビで見た妖怪人間ベム(最近また、実写版をやっていた)のベラとベロはこのイタリア語に由来している。ベムは聞きそびれたのでわからない。まっすぐな斜塔写真を見てびっくりしたんだけど、肉眼では斜めにみえる斜塔がカメラのファインダーではまっすぐに立っている。添乗員の説明によるとカメラの修正機能がゆがんだものをまっすぐに修正するとのこと。もしこんな塔ならこれほど有名にならなかっただろうな。本来の斜塔これでようやく斜塔になった。ピサの斜塔から見た街並みいいね!昼食は名物きのこパスタ。ミケランジェロ広場で絵をかきながら自分の絵を売っている絵描き。こんなところで絵をかきながら過ごせたら幸せだろうな。ミケランジェロの像ドウオーモドウオーモの夜帰りは皮革製品工房で見学をしてから、時間があったので街の中をきーちゃんと見学。ふたりで歩く夕暮れの知らない町はとっても不安になるね。みんなと合流し夕食へ。そこでフィレンツエ風ステーキをいただきました。
2012.11.09
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ベネチアから一路フィレンツェへ。夕方、市内散策へと繰り出した。スーパーでお買いもの野菜は同じようなものもあるけど、見たことのないものも並んでいる。太めのナスパプリカイチジクのようなウリのようなこんなに大きなオリーブオイルがデ~ンと並んで売られていた。キュウリオシャレな買い物カゴ。トマトをイメージしているのだろうか?下にはコマがついていて楽ちん。さすがにワインの本場です。ハローキティはバンコク共通。後で土産物屋とか空港で販売していたけどかなり高め、お土産にたくさん買うならスーパーが一番おすすめ。
2012.11.08
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ゴンドラに乗っているとアコーディオンが流れてきました。聞きなれたメロディなのに曲名が出てこない。何だろう?でも、ゴンドラに乗ってこうして音楽が流れてくるとなんだか幸せな気分に…。ベネチアの港で、観光バスから水上タクシーに乗り換え大鐘楼サンマルコ広場ガラス細工サンマルコ寺院ゴンドラ乗り場昼食雑貨屋私たちがベネチアを訪れた翌日、街は水害に襲われました。一日も早くあの美しい島が元通りになることをお祈りしています。
2012.11.08
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イタリアでは至る所にパフォーマーがいました。彫刻のような恰好をした白塗りの人がじっとしていて、お金を渡すと急に動き出したりとなかなか面白いです。ちょっと太り気味のマイケルとチャーリーのパフォーマンスがありました。チャップリンを気取っていたパフォーマーは写真を撮ろうとするきーちゃんを追いかけてきて、きーちゃんはびっくり。キャーと言って逃げていました。ベローナでは出店が出ていました。お店は地元の人に交じって中国系やアラブ系など様々。とても賑やかです。右手は日本の観光客、左手は地元の女性。さすがに颯爽としています。トイレには便座が二つ並んでします。日本のようにウォシュレットがないのでひとつはお尻洗いに使うそうです。
2012.11.07
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午前中はミラノ市内観光。スフォルツェスコ城スフォルツェスコ城中庭からスカラ座ダ・ビンチ像ビットリオ・エマヌエレ2世ガレリア ドゥオーモ近くの古いオシャレな商店街牛の睾丸をかかとで踏んでくるりと回ると願いが叶うらしい。ホント!?と思いながらも並んで回ってみる。ドゥオーモの周りはすりやひったくりが多いので気を付けろと再三言われていた。少し神経質になっておっかなびっくりだったけどみんな大丈夫だった。しかし話しの通り、ミサンガを売りつけに来る黒人や、署名まがいのものを呼びかける女性二人組などがやってきた。相手にしなければそれ以上関わってくることはない。ドウオーモ屋上展望台はコースに含まれていなかったが、時間があったので登ってみた。ミラノの街が一望できる。ミラノ風カツレツ名物リゾットジュリエットの家そういえば高校時代に見たロミオとジュリエットのオリビアハッセーは可愛らしかったなぁ。もう何十年とたっているというのにいまだにまぶたに焼き付いている。どうしているのだろうかとふと思い出した。
2012.11.07
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生まれて初めての海外旅行は子供たちが用意してくれた。さんざん迷った挙句に決めたのはLOOKJTB“添乗員がご案内する~ミラノから人気の4都市めぐり~イタリア満喫8”。11月6日、成田を後にミラノへと旅立った。もうすぐ定年の年になろうというのに、何しろこれまで海外にいったことはなかった。事務所の決まったお盆休みと年末年始の休暇以外でまとまった休みを取ったこともない。有給はまるまる流してきたし、土日の休日出勤も代休や振り替え休日で消化し切れたことはない。少人数の事業所なのでやむを得ないといえばそうなんだけど、もう少し休んでもよかったなぁと今更ながらに思っています。長野からは中央タクシーが成田空港行の乗り合いタクシーを出している。タクシー代は片道1万円弱。我が家には早朝4時40分に迎えに来て、隣町のかたと上田市の方、途中、新潟からの方と合流し、成田に到着したのは10時過ぎ。まだまだ時間がるので早めのお昼ご飯をとった。成田空港のJTB窓口で受け付けをして、アリタリア航空で搭乗手続きし、私たちは13時50分発の飛行機に乗った。指定された座席は真ん中の4人席だったが、私たちの前の席は開いているようだったのでそちらに移動。それでも12時間後、ミラノについた時には足の甲がパンパンに腫れて靴が履きにくかった。エコノミー症候群だ。最初の機内食は日本食とイタリア食を選ぶことができる。私は日本食を選んだ。イタリア食を選んだきーちゃんは、出てきたマカロニグラタンがとても硬かったとこぼしていた。アリタリア航空さん、要改善です。食事の際は飲み物を選べる、私は毎回、ビールを頼んだ。現地時間の午後6時過ぎ、ミラノのマルペンサ空港に到着。ここからバスで宿泊先のアタホテルクアークへ。3部屋もあるゆったりしたホテルの部屋だった。いよいよイタリアの旅が始まる。
2012.11.06
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2012年6月13日、6:16:362012年6月13日、6:16:362012年6月1?日、8:04:56 2012年6月13日、13:21:42 今夜7時48分静かに眠るようにみうが息を引き取りました。急いで帰ってきたら、みうは顔をあげて、お帰りってないてくれた。待っててくれたみたい。お風呂場でずっと寝てたので、今晩はお風呂場でご飯を食べて、電話がかかってきたので出にいき、戻ってきたらもう、息をしてなかった。眠ってるみたいやった。
2012.06.13
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ありがとう。でも、水もそんなにほしくないんだ。おかあさんといっしょ
2012.06.13
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食べものを口にしなくなったミウそれでもお風呂を沸かすとやってきて湯船のフタの上
2012.06.12
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そのときそのときのミウのお気に入りの場所があっていまは二階の長男の部屋
2012.06.11
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お風呂が大好きなミウようやく湯船のふたに登ってお湯をのんでからまどろみます
2012.06.10
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2012.06.08
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おはようおぼつかない足で階段を下りてきた君は見つけた僕に声をかける
2012.06.07
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2012.06.06
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11月8日に全国連合会から登録申請書他の書類が送られてきました。社会保険労務士になるためには試験の合格のほか、「労働社会保険諸法令事務について2年以上の実務経験」または「厚生労働大臣がこれと同等以上の経験を有すると認めるもの」として全国連合会が行う事務指定講習の受講が必要です。私は部分的には経験がありますが、2年の実務経験には該当しないため事務指定講習を受けないといけません。事務指定講習は来年2月1日から5月31日の間に通信指導課程があり、その後、面接指導課程を受講します。面接指導課程は全国5か所(東京2か所、愛知、大阪、福岡)で行われます。東京ではA 7/19~7/22、B 8/16~8/19がありますが、“会場の都合でどちらかに振り分けられる場合があり、決定にあたっては申し込み順に行う”と書いてあります。お盆明けならなんとか無理をして4日の休みがとれるけどB以外は困難。それで申し込み期間の始まった今日、申し込みをしてきました。受講料は7万円。かなり厳しかったけど自分への投資、実りあるものにしていきたいです。
2010.11.12
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土日で大阪に帰って、大阪時代の先輩と会ってきました。土曜日は名張に住んで赤目四十八滝の近くに陶芸の工房をひらく高田さん。工房を見学してから、ロフトで高田さんのつくったコーヒーカップでコーヒーをごちそうしていただきました。昼下がりの日差しを浴びて時折吹く緩やかなかぜを感じながら過ごすゆったりとした時間。大阪の事務所から名張までの通勤は1時間強、そして高田さんは事務局長として第一線で仕事をしてこられたので、精一杯頑張ってきたご褒美なのでしょう。とてもいい笑顔を見せてもらいました。長野に戻ると社会保険労務士試験センターから合格証書が届いていました。ようやくスタートラインです。
2010.11.07
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久しぶりの更新です。11月5日は社労士試験の合格発表の日でした。実は社労士試験は私のライフワーク(試験がライフワークというのもおかしいのですが…通らないので卒業することができなかったのです。)で、長野に来た数年後から受験していました。当時は30歳代後半、その後、10年受験して9年目にはあと1点のところまで迫りながらも不合格、翌年はモチベーションが途切れて点数を下げ、それを限りに受験をやめました。それから5年は登山に熱中。このブログに書き込みを始めたのもちょうどそのころでした。そして諦めたはずの社労士ですが、やはりあきらめきれなかったのでしょう。一昨年、たまたま立ち寄った本屋で社労士の過去問題集を買いました。それでも勉強するまでにはいたらなかったのですが、受験しようとの思いは日に日に強くなり、昨年、社労士受験予備校のIDE社労士ゼミを受講しました。この時、けっこう頑張ったのですが、これまでのブランクは埋めがたく不合格でした。そして今年も受講。なんとしてでもの想いが今までよりも強かったと思います。眼への負担が多いので、夜は遅くまで勉強できないものの(片目の視力がほとんどありません)、早朝から起きだして受験勉強、すきま時間も活用してなんとか社労士試験に合格することができました。報告をすると肉親を始め多くの人が喜んでくれました。これからはこの資格を社会に貢献するために役立てていければと思っています。応援してくださった皆様ありがとうございました。
2010.11.05
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松本市街に女鳥羽川が流れ、そのほとりに枝垂れ桜が咲く。この界隈は松本の歴史を感じる最も奇麗なところ。寺町にはない城下町の美しさを感じる。
2010.04.24
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上田市の山でまず最初に思い浮かぶのが太郎山。前回登ったのも冬場だった。その時は表登山道からだったけど、長靴をはいたジモティらしきおじいさんにひょいひょいと追い抜かれたのを覚えている。 上信越自動車道を上田菅平ICでおり、上田バイパスに入って山口交差点で右折。山道を走ると二股になる。左が表登山道、右が今回登る裏登山道登山口へと至る道。前日から降った季節外れの雪が時折道を覆っている。山影になる場所では路面が凍結。登山口まで車で入るのをあきらめて路肩に下車。ストックを突きながら登山口を目指す。 裏登山道入り口の看板。 日あたりのいい場所では雪も溶けている。 登山道には「太郎山民族遊歩」と書かれた看板があり、太郎山にまつわる話を教えてくれる。このさいかちの木の看板にはこのとげのある大木が「さいかちの木」です。豆のような実がなり、そのさやを風呂に入れると肌がすべすべときれいになるといわれていました。さいかちの木が多い所は、「さいかち畑」と呼ばれますとある。 金明水 山から西側の千曲川方面を見下ろす。 表登山道と合流。太郎山神社の鳥居。 神社では地元の人たちが集まり、お祭りの用意をしていた。 ダンコウバイ。行きは3組と出会い、山頂で2組、帰りに5組くらいの登山者と出会った(ほとんどの人が私より高齢みたい)。気持ちよく下山していると、途中で長靴をはいた叔父さんに追い越された。いつか表登山道から登った時に追い越されたあのおじいさんだったんだろうか。
2010.04.18
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もとどりは相撲取りの髷のこと。この山はその髷に見える山の形から名づけられている。春にはカタクリの咲く山としても地元では有名。長野市の北部に飯縄山がそびえ、その手前北東に三登山、三登山の東に髻山は位置する。天気予報では9時までは雨、3時過ぎにも雨の予報。午前中に何とか登ろうと10時過ぎに出発の予定をしていたが、都合で家を出るのが11時過ぎになる。北国街道田中の交差点から旧道に入る。駐車場にほかに車はない。車から降りると強い風。駐車場に群生するつくしをとりながら登山道入り口へとむかう。アカマツ林では松くい虫の影響か枯れているアカマツが目につく。天気が悪いため、山に登る人はいないのか、途中誰にも会わなかった。かつては開かれていたのだろう田んぼや畑の跡地が藪になっている。崩れた家の跡があちこちに見える。 山頂付近にはカタクリが群生。あいにくの天気だったのでカタクリはつぼみのままだったが、日差しがあればかわいい姿をたくさん見せてくれたのだろう。山頂の東屋では5,6人のパーティが昼食の準備をしていた。山頂からは千曲川を挟んだ善光寺平をなんとか見渡すことができた。
2010.04.11
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母の米寿の祝いの一週間後の4月3日、義理の母が亡くなった。母より1歳上だった。 大阪喜連瓜破の斎場で義母を見送った。斎場の隣には桜の花咲く公園があり、多くの人が歓声を上げていた。桜の花と親しい人の思いの中で義母は旅立った。
2010.04.04
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大阪に帰ればなじみの床屋で髪を切る。時間があれば水呑地蔵に登る。いつもと同じ繰り返し。 実家から歩いて東に向かう。玉串川を渡り、恩智川を越えて、玉祖(たまおや)神社から水呑地蔵、そして大阪と奈良を隔てる生駒山脈稜線の十三峠にたどりついてから南下し、ケーブルの信貴山頂駅を目指す。ケーブルに乗って帰ってもいいのだけれど、もうちょっと歩きたい。開運橋の下から始まる大道を歩いてケーブル下の信貴山口駅まで歩く。前日の雨で道がぬかるんでいる。 山の途中で見つけたヒメオドリコソウ。大阪には先に春が来ていた。大阪に帰ってきたのは母の米寿の祝いのため。九州に住む叔父やいとこたちがやってきて大阪城近くで祝いの会。いい人たちに囲まれて幸せな母の笑顔。
2010.03.28
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入笠山頂からの360度のパノラマを見に行こう!と富士見パノラマスキー場にナビの目標を設定して、おかあと家を9時過ぎに出発。どうしたことかスキー場ではなく、入笠山の登山口の方に案内される。あれ?と思いながらも誘導に従って進む。ワタシが乗っている車はホンダのフィット、前輪駆動だ。途中、道路は冠雪し高度を上げるに従って道路の雪は多くなる。日蔭では路面は凍結。途中まで進んだが斜面で立ち往生して前には進まない。ギアをバックに入れる。少し進むと車は思わぬ方向にずり落ちる。車から降りるとすべって路面でうまくたつこともできない。何度か試みるがうまくいかない。おかあは「車はええからもう降りてきて」と心配そうに言うがそうもいかない。「このまま帰られへんかったらどうしよう?」と不安がよぎる。持ってきたストックを使って凍結した道路にスジつけて摩擦面を多くしてなんとか方向転換。できた!そして、そこから上に行くのをあきらめて登って来た道を慎重に下る。下ってくると「パノラマスキー場」の標識。なんや!あっちに行ったらよかったんや!駐車場にはたくさんの車。東京や神奈川ナンバーを中心にいろんなところのナンバーが止まっている。あいていたところに車を止めて、スノーシューとストックを持って出発。まずはゴンドラリフト駅へと向かう。ゴンドラに乗って頂上へ。リフトの向こう側には青空の中に八ヶ岳の美しい峰々が連なっている。ゴンドラリフトから降りてスキー場を越せばすぐに林間に入る。数日前に降ったという雨が樹木の表面を濡らし、そして凍っていた。湿原をこえると登山口に到着する。ここでスノーシューを足にセット。山の斜面にはあっちにもこっちにもスノーシューのわだちが残っている。頂上までは約1時間の道のり。周りに広がるパノラマビュー。あいにく富士山は見えなかったけれど、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、北アルプスぐるっと回ってまじかに八ヶ岳が迫る見事な風景。山頂では若者50人くらいのツアーグループが集合写真をとっていて楽しそうに歓声を上げていた。彼らが山を下った後には静寂が戻り、私たちと2組くらいの登山者が残された。おにぎりを食べて景色を満喫。下る途中、山の斜面には動物の足跡が無数についている。ゴンドラリフト頂上駅に到着。スノーボードとスキー客は半々くらいだろうか。長い斜面を気持ち良さそうに滑って降りて行く。ワタシたちは子供が大きくなってからというもの、久しくスキーをしていない。八ヶ岳を正面に見ながらゴンドラリフトは下っていく。帰りは高速道路に乗らずに、諏訪、岡谷、塩尻、松本を抜けて明科へ。北アルプスの見える長峰荘で夕暮れを見ながら鉱泉に入浴。国道19号線を長野へと向かった。
2010.02.21
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甥の結婚式で高松に出かけた。瀬戸大橋快晴の空、瀬戸の島々が見える。前日、大阪行き夜行バスで長野を出発。新幹線へと乗り継いだ。結婚式は11時半から、親族紹介などもあるが11時までに高松にある全日空ホテルに到着すればいい。9時前にホテルに到着したワタシ。時間があるのでホテルのすぐ近くにある高松城址(玉藻城)へと足を向けた。入場料を払って中に入ると鯛願成就のノボリ。「なんやろう?」と近寄ってみると鯛に餌をやるコーナーがある。高松城は水城、満潮時は海から海水が流れ込んでくるがその時、稚魚のときに堀に入りここで育った鯛が集まってくる。桜御門月見櫓高松城址には見事な庭園がある。梅が花をほころばせていた。ホテルにある教会は見事なオーシャンビュー。最初しまっていたカーテンが新郎新婦の入場の後、一斉に開く。青い空と青い海の絶景の中で牧師が式を進めた。あまりに美しい景色なので、新郎新婦が出て行ったあと、パチリ!大漁旗甥は教師をしている。その教え子が先生の結婚式にとつくってくれた大漁旗を披露。生徒たちにも好かれている様子がうかがえてうれしかったよ。高松へはバスで1泊、帰りに大阪の実家で一泊。その間、犬のハクは動物病院へ。前回動物病院へあずけてストレスがたまった猫のミウは餌と水を余分に与えて家においてきたが、この子たちのことがとても心配だった。家に帰るとミウのえさいれは空っぽ。好物の缶詰をあげて、待っててねと車でハクを迎えに行く。ハクも久しぶりに家族にあえてひと安心。車の後部荷台に飛び乗った。やはり家族はいつも一緒にいなくてはね!
2010.02.14
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仕事関係で普通救命講習会を開催した。山に登ると危険と隣り合わせなので以前から参加したいと思っていたが、なかなか機会を得ることができなかった。講習はテキスト「救急車が来るまでに」を使って消防署員が説明。実技訓練を交えてあっという間の3時間だった。参加者は22人。これを3班に分けて実習する。事故がおきてまず最初にしないといけないのは119番への通報。最初に異変に気付いた人が、周りの人に声をかけて119番への通報と、AEDを現場に持ってきてくれるように依頼する。その間に、救急を要する人の耳元で声をかけ、肩をたたき、呼吸の有無や心臓の動きはあるかを確認。気道を確保し、フェイスシールドを口に当てて2回の人工呼吸、そのあと30回の心臓マッサージを行う。これを5セットで1サイクルになる。マネキンへの人工呼吸の際、消防署員がやるとマネキンの胸は膨らむが参加者がやっても膨らまない。ワタシの班は全部で7人いたが、1人だけ人工呼吸でマネキンの胸を膨らませた人がいた。聞けば過去に何度か講習に参加したことがあるとのこと。やはり、経験が役に立つのだ。後半は、AEDの使い方。救急を要する人に人工呼吸をしているときに、AEDをもってきたとの連絡が入る。持ってきた人に人工呼吸ができるかと聞き、出来るといえば変わってもらう。出来ないと言えば胸への圧迫法を教えて交代する。AEDのパッドを装着し、電源を入れる。電源を入れると機械が自動的に心電図をとり、必要があれば電気ショックを起こす。電源を入れた後は機械からアナウンスがながれるので、あとは機械の言うとおりにするといい。ただ、これだけのことだけど一度やったくらいではなかなかうまくできない。それでも受ける前に思っていたほどの心理的な負担はなくなった。また機会を見つけて講習を受けたい。
2010.02.12
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中央右手、雪をかぶっているのは飯縄山(1917m)。飯縄山の左稜線にかぶっている円錐形の山が薬山(689m)。そこから左手に連なる山は前回登った地附山。【コース】南登山口(9:42)→八櫛神社(10:8)→薬山(10:22)→北登山口(10:32)→南登山口(10:50)長野市内から飯縄山、戸隠山方面に向かう時、以前は大峰山の東隣から始まる七曲り経由の道路を使っていたが、最近は長野オリンピックのときに開通した浅川ループ橋経由の道を通ることが多い。そのループ橋の入り口付近に登山口のある薬山(くすりやま)に登った。浅川ループ橋から見た薬山。途中、道路沿いに東屋が建っていたので立ち寄ると浅川油田とある。江戸時代から1967年(昭和42年)まで続いたという。長野市でも油田が採掘されていたのだ。浅川油田の由来。県道からみていると山を途中から下ってくる人がいる。登山口にたどり着いたときに行きあったので聞くと「ランニングの格好で来たが、山に雪が積もっているのであきらめた」とのこと。低い山だけどランニングシューズでの登山は難しいだろう。以前はこの道路下に車を止めて山に登ったが、全面通行止めの看板に恐れをなして違うところにとめてきた。でもたぶん、それは正解。帰りにこの道を歩いてきたが、ここに続く道の上の方ではアスファルトに降った雪が凍結していた。ブランド薬師の説明板。懸崖造りで堂がぶらんぶらんと揺れやすいのでぶらん堂。本尊が薬師如来と思われていたが後年、少彦名命と判明。八櫛神社の名は薬師が八櫛に変わったものと思われる。薬山への入り口。登山道は階段から始まる。開山役行者像。不動明王。反対側の北登山口まで山道に十三仏が配されている。崖に垂直に立つぶらん堂。下から見てもよくもまあこんなところに…。石を生かした神社。神社から見るループ橋。見晴らしは抜群だが足元から崩れないかとひやひやだ。山頂には阿弥陀如来がまつられている。北登山道の入り口。北登山道から県道にもどり浅川沿いの道をたどる。この日の天気はうす曇り。降った雪が溶けて道路の上を川となって流れていた。冬と春の綱引きをみているような北信州の里山歩き。このあと日差しの当たる道路の斜面で雪に埋もれているふきのとうを見つけた。次週の里山歩きはこの山の東に位置する三登山登山の予定。
2010.01.31
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写真左の小高い台形の山が大峰山、その右手のなだらかな山が地附山(城山公園より)。前回旭山から富士の塔、前々回葛山と、長野市界隈の里山を歩いているが、今回は大峰山から地附山縦走。雪道ならではのトレッキングを楽しんだ。【コース】霊山寺(10:30)→歌が丘(東大地震研究所前)→歌が丘遊歩道→大峰城→分岐1→旧バードライン→分岐2→桝形城跡→分岐2→前方後円墳→分岐2→地附山→分岐2→見晴らし台→金毘羅宮→駒形嶽駒弓神社→善光寺雲上殿→霊山寺(14:00)真ん中少し下の温泉マーク左上に霊山寺があり、道路わきの駐車スペースに停車。そこからさらに道路を西に歩けば歌が丘に出る。今回は歌が丘遊歩道から大峰城経由で地附山へ、さらに金毘羅宮、駒弓神社、雲上殿と歩きスタート地点の霊山寺を周回した。朝のうちの晴天もやがて雪雲に覆われ、雲上殿までは雪が降りしきる悪天候だった。歌が丘遊歩道前にある東大地震研究所。窓のところの掲示物には「建築物等の解体等の作業に関するお知らせ」とある。取り壊しになるのだろうか。歌が丘にはたくさんの歌碑が並んでいる。歌が丘はそこから来た地名のようだ。一番最初にでてくる歌碑が信州国国家信濃の国。長野県人なら誰でも歌えるというが、よそから移住してきた私は「信濃の国は十州に…♪」までしか歌えない。気持ちよく同じフレーズばかりをうたっている場合ではなかった。登山道はいのししがほじくり返した跡がいっぱい。今回は鈴を用意してきた。私が歩くたびにシャンシャンなるので心強いが、人間を怖がるイノシシばかりではないかもしれない。油断は禁物。すぐに物見岩遊歩道との分岐があるが、今回は直進する。登っていくにつれて前々回登った葛山が全体像をあらわす。歌が丘では楢を中心とした樹林帯だったが、途中からはアカマツ林に変わった。山を下るまでほとんどの所にアカマツ林が広がっていた。足元にはイノシシのほじくり返した跡がところどころにあり、それ以外にウサギやリスなどの小動物、それを捕まえに来たキツネの足跡。生き物たちの姿は見えないにしろ動物が生き生きと生活しているところを想像することができる。1時間も歩くと大峰城に到着。ちょうど城から出てくる中年のカップルに遭遇。「こんにちわ」と声をかける。考えてみると今回の山歩きで会ったのはこの二人だけだった。大峰城入口の階段に腰をおろしておにぎりをぱくつく。太陽の日差しが心地いい。大峰城は大峰城チョウと自然の博物館として12月から3月を除く時期に開館している。チョウの博物館だけあって周りの木には木の名前と「○○の食樹」などと書いてある。はっきりしたダイヤが目印のウリハダカエデ。 大峰城から物見岩遊歩道を歩き、途中の分岐点で登りかえすと旧バードラインと遭遇。キツネの足跡が新しい。 目指したのは桝形城。この城の資料は現存しないらしいが、16世紀後半、武田、上杉の戦いにも関係したのでは?と書かれている。 今度は前方後円墳。松代大室古墳、千曲森将軍塚古墳はよく耳にするが、この土地を治めていた豪族も山から善光平をみつめていたのだろうか。 地附山山頂には標識がないのでわかりにくいが祠がどうやら山頂らしい。 古代の豪族になったつもりで千曲川流域に広がる平地を見下ろす。 金毘羅宮 駒形嶽駒弓神社 参道石段の鳥居。ちらほらと雪が舞いだした。 木を藁に包んで前掛けをして帽子をかぶらせればお地蔵さんのよう。顔にはみんなおたふくのお面をつけている。少し下った雲上殿は快晴。向こうに地附山が見える。参考)大峰山。地附山。次週里山歩きは薬山の予定。
2010.01.23
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昭和通りから見た旭山(信号を渡った右手に長野県庁がある)。【コースタイム】諏訪神社(8:46)→朝日山観音(9:09)→旭山登山口(9:24)→旭山山頂(9:42)→展望台(9:52)→旭山牧場(10:34)→富士の塔山頂(11:34)→朝日山観音→諏訪神社(13:00)去年までもときどき友人を誘って山に登っていたが、今年から第3日曜日に山歩きの会を開催することにした。10数人にメールを勝手に送りつけ、自由に参加してもらう。自由参加といっても人が集まるといろいろと準備が必要なので、参加希望者は事前にワタシに連絡をするというルールにした。そして今回は山歩きの会の記念すべき第1回。電話で「ごめーん、行かれへんわ!」と連絡をくれる人もあれば、メールで不参加の返事をくれる人もある。半数が連絡ありといったところだが、参加の連絡はなかった。集合場所は長野県庁駐車場。時間は午前8時半。参加連絡がなかったので別に行くこともないのだけど、それでも連絡なしで来る人がいるかもしれないと時間通りに集合場所に出向く。あたりを一周するが見た顔はない。それで安心して今回の旭山の登山口となる諏訪神社まで車を走らせた。1/8000の地図。旭山は上の写真にあるとおり県庁のすぐ西に位置する。北には先週登った葛山があり、さらに北北西に飯縄山が鎮座する。旭山からさらに西に富士ノ塔がある。戦国時代、葛山と富士ノ塔には上杉軍が、旭山は当初武田軍が陣取ったが上杉軍によって破壊され、その後上杉軍に再興された。長野県には上杉軍と武田軍の戦のあとが数多く残る。今回は長野県庁にほど近い旭山にアニマルトラッキング山行だ。諏訪神社の狛犬。その向こうの石灯籠。これだけのものをよく上に乗せたなあと…感心。ウサギが曲線をえがいて走る後を狐が一直線に追いかけているのだろうか。朝日山観音はかつて山の北側にあったが、山の崩落で南面に立て替えられた。ワタシが立ち寄った時にも女性が合格祈願のお札をもらっていた。トイレ前の立て看板に「あらたかな観音様です。 トイレご使用の方は汚さないようにお願いします。」とある。あらたかを辞書で調べると「神仏の霊験や薬効が著しいさま。いやちこ。あらた。」と出てくる。“トイレに「あらたか」はないやろ!”とつっこみをいれたくなったが、急にトイレに行きたくなった。あらたかは嘘ではないようだ。朝日山観音からあぜ道を登るとくっきりとついたウサギの足跡。「旭山のコナラ林」の看板。旭山にはいろんな看板が立てられていて、植生や歴史が分かって面白い。山頂に旭山城の看板。隣の葛山とは本当に目と鼻の先、武田の武士が虎視眈々と上杉軍の動きを見つめていたのだろうか。展望台から見る善光寺平と志賀から根子岳、四阿山へと続く峰々。1/21000の地図。山登りの会では旭山往復と案内していたが、富士ノ塔の分岐に10時に到着。このまま帰ったら時間が余るので富士ノ塔山まで足を伸ばすことにした。少し歩いたところでロープのゲート、旭山牧場と書いた車に乗った人が「動物がいるから鳴り物を持っていた方がいいよ」と声をかけてくれた。「イノシシですか?」と聞くとイノシシと鹿。「イノシシの雄はさかりがついているから気をつけてください」とのこと。…と言われても今回は笛も鈴も持ってこなかった。持っているのはストックとウエストポーチ。時折手に持ったストックをかちかちとぶつけて音を出しながら歩いた。道路脇の崖は雪解け水がつららになっている。「モオー」と鳴いてトタン小屋に入れられた牛がワタシを目で追っている。朝日山観音ではほとんど歩くのに影響のなかった雪が次第にカサを増す。牧場をすぎたところで軽4トラックをとめたひげの長いおじいさんが立ち止まっていた。「猟ですか?」と聞くと「いや!」と答えた。「先ほどあった牧場の人がイノシシがいるから気をつけろといっていたので」というと、「雄のイノシシが人間を雌のイノシシと間違っておそってくるからな。牙はナイフみたいによく切れるよ」と教えてくれた。雌のイノシシと間違っておそわれたらたまったものではない。相手はその気でも、ワタシは残念ながらその気にはなれない。またストックでカチカチ、カチカチと音を大きく鳴らしながら歩を進めた。雪はさらに深くなる。山頂付近では50cm以上あるところも。旭山の分岐からここまで1時間半もかかってしまった。「富士ノ塔の案内」板頂上には神社が真ん中に置かれ、北面には飯縄山方面を見る展望台が、南面には聖山、美ヶ原から志賀高原へと続く大パノラマが広がる。南面から見たパノラマ浅間山を中心に右には烏帽子岳、左には根子岳・四阿山。北面の飯縄山は雲をかぶっている。あまりみかけない動物の足跡。この爪痕、ひょっとしてオヤジさんが目を覚ましてこの界隈を散歩してる?帰りは来た道を戻る。来るときは堅かった雪も暖かい日差しでところどころ路面が顔を出していた。お疲れの山登りの後は温泉で一服。今回はうるおい館。2種類の泉質が疲れた体をいやしてくれる。第2回目の山歩きの会は2月21日、入笠山でスノーシューイング。同行希望の方は連絡ください。参考)旭山城跡。
2010.01.17
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今年初めての山はどこにしようか?とけっこう考えた。前日に雪が降っていたのであまり標高の高い山には登りたくないし、旭山には来週登ることになっている。それ以外に近場で簡単に登れる山となると地附山か大峰山、葛山。そこで頂上からの眺めが好きな葛山に決定。今日は頼朝山から葛山、観音山、往生寺とあるいた。山中では誰にも会わなかったけど、雪の上にのこる動物の足跡が多く、アニマルトラキングを楽しむことができた。裾花河畔から見る長野市の里山左から旭山、雪をかぶった飯縄山、その手前の葛山、大峰山、なだらかな三登山長野市から白馬へと抜ける国道406号。西長野新諏訪町から裾花川を渡る橋の手前右に葛山遊歩道の看板がある。来た道をすこしもどると「戸隠古道と頼朝山・往生寺周遊道路入口」の標識。ここから頼朝山を目指す。(正面の山は郷路山)清水につけておいた瓜が割れるくらい冷たかったことから名づけられた瓜割清水。ここから頼朝山への登山道は25,000分の1の地形図にも掲載されていないが、標識は分岐ごとに置かれているので迷うことはない。 左静松寺、右頼朝山の標識。ここから頼朝山まで620m、30分。 頼朝山山頂からは善光寺平が一望できる カラマツ林 頼朝山から下り返せば往生寺からの登山道に合流 葛山山頂には誰もおらず、来る途中、セブンイレブンで買ってきた焼きたらこのおにぎりをほおばり一人の時間を楽しむ。 葛山から飯縄山を望む ヤドリギの黄色い木の実 帰りは観音山から往生寺へと下る往生寺コース。時おり善光寺平が目の前に広がる。 往生寺からみる根子岳 「♪やぁまのお寺の鐘が鳴る~♪」で有名な往生寺。往生寺から諏訪社のわきを通れば登山口「戸隠古道」にすぐに到着。信州山歩き地図 何の足跡??? (答えは最後に)アニマルトラッキング1こちらからあちらに歩いていく。大きさが分かりにくいのが難点。何か比較できるものを置いておけばよかった。アニマルトラッキング2この後、足跡が亡くなったのは…アニマルトラッキング3ちょっとわかりにくいけど、下の写真とおなじ動物アニマルトラッキング4アニマルトラッキング5けっこうつめあとが鮮明アニマルトラッキング6二つずつついている1と2は鳥の足跡なんだけど、けっこう大きかった。足跡がなくなったのはここから飛び立ったか?カラスかな?3,4はうさぎ、向こうから手前に飛んできているみたい4はリス5はカモシカ多分これでいいと思うけど、まちがってたらご指摘を。
2010.01.11
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夕方から善光寺に参詣、粉雪が舞っている。普段午後5時頃に善光寺に向かう人は少ないが、さすがに正月、多くの人が参詣に向かう。路面は雪が残って滑りやすい。慎重に足を運ぶ。 年末に帰ってきた娘と、つれあいは今夜高速バスで大阪に里帰り。これから犬と猫とワタシの楽しい(?)お正月が始まる。あまり熱心には書けないけれど、今年もよろしく。
2010.01.01
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若穂太郎山は長野市の南東部にある山。ワタシの家から近い距離にあるのでちょっと思い立ったときに登る。この日は午後から愛犬をつれて自転車でぶらぶらと走り出した。犀川にかかる五輪大橋からの太郎山。千曲川にかかる関崎橋から。後ろの妙徳山がかぶっている。もう少し進んだところから。写真の左が太郎山。前の写真を撮っていたら、鳩が気になったので…縦で撮ってみた。太郎山は地元の人が整備していて、長野市でハイキングマップを出している。ワタシが登るのはだいたいが天王山コース。午後2時近くからの登山だったので、登山口の駐車場には一台の車も止まっていなかった。そこに自転車を止めて登る。風が強い。あたりは曇り空。3時近くになったので田子の峰まで。ここからの展望は見事。登山口についたころには冷たい雨が降りしきっていた。そうそう、途中でカモシカをみた。
2009.12.13
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長崎の叔父から歳暮が届いた。角煮割包。はじめての味。何ともうまい。知らなかったけど、長崎を中心にはやっているらしい。
2009.12.11
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しなの鉄道戸倉駅北国街道の旅の終わりはそこまで来ている。先の善光寺道も北国街道も善光寺を終点として歩いた。塩尻市洗馬から善光寺まで、今回の軽井沢追分からの北国街道も、前回歩いた(善光寺道の)篠ノ井追分の手前の矢代の渡しを目標に歩いてきた。戸倉宿から北に向かい今井交差点から旧街道に入る。右前方の山の中に戸倉宿キティパークの天狗が見える。しなの鉄道沿いの田園地帯を歩くとやがてしなの鉄道千曲駅に到着。寂蒔 埴生小学校を越えると屋代駅に。せっかく来たのだからと森将軍塚古墳への道筋を駅の観光案内所で聞くと、須須岐水神社 にでて右折、再度右折してしばらく歩くと長野県立歴史館がある。そこから山を登ると森将軍塚古墳。矢代城跡のある一重山から満照寺に抜けると屋代駅にでる道がある。踏切をわたるとキンコンカンコンと踏切がなっている。そこから小走りで戸倉駅に向かって切符を買った。切符を買って改札にはいると長野行きの電車がすぐに到着した。電車に乗るとすぐに発車。待つことのほどもなくに長野行きの列車は出発した。
2009.11.18
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刈谷原から千曲川に出てこうがいの渡しの案内板はないかとさがすが見あたらない。あきらめて堤防道路を北上する。正面の山には戸倉上山田温泉の表示。右に五里が峰、左に千曲川を見ながら歩く。しばらく行くと堤防道路は行き止まり、突き当たりを右折して国道に出る。あゆ宿入船の犬小屋から数頭のビーグル犬が懸命にワタシに吠えている。怪しいおっさんと思っているのか、遊んでほしいのか。国道を横断してしなの鉄道の踏切をこえるとここからが上戸倉宿。落ち着いた町並みを歩いているとポケット美術館の案内があった。どんな美術館だろう。無料とあるので訪ねてみたが一般の民家。どこからはいっていいのか分からないし、本当にやっているのかちょっと怪しい。あきらめて歩いていた街道に戻る。街道に戻るとバス停近くのごみ集積所の後ろに「北国街道上戸倉宿本陣跡」の説明板。落ち着いた町並みだがこのほかに宿場の面影を探し出すことはできなかった。戸倉宿は上・下戸倉宿に分かれていて、1日から21日までを下戸倉宿が、22日から末日までを上戸倉宿が勤め、1宿として宿場の機能を果たしていた。磯部信号で国道にもどり横断、国道と平行した道を北に進む。戸倉小学校で国道に戻ると立派な萱葺き屋根の造り酒屋(坂井醸株式会社)がある。銘柄は雲山。扉を開くと土産物屋、利き酒をすることもできる。でも置いてあるお酒のほとんどが善光寺「西の門」。どうして?と聞くと西の門とこちら雲山とは親類筋とか。店頭に「北国往還下戸倉宿 萱乃庵」の木柱。酒造り380年の伝統を今に伝える資料館となっていて、18世紀後半からの酒蔵に酒造り道具が多数展示されている。資料の一部に竹久夢二の掛け軸などの作品がある。これまたどうして?と聞くと夢二が上山田温泉に泊まった際に描いた作品だとか、いろんな歴史のある下戸倉宿なのだ。「酒造コレクション」として蔵などの施設で、展示資料の見学や「ステンドグラス」「やきもの」の体験ができる。坂井醸造の建物の一角にある蕎麦料理処「萱」。昔ながらの蕎麦屋は午後一時を過ぎているというのに次々に客が入ってきた。薬味は客の指定で、ネギ、ノリ、わさび、大根おろしを選べる。ワサビはそのまま出てきて、自分ですりおろして食べる。新鮮でつ~んとした味わいは何とも言えない。店の雰囲気はいいのに、愛想が良くないのが残念(>_
2009.11.17
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坂木宿曲がり角坂城駅から北に向かう坂木宿、街並みが終わり坂城神社へと入る交差点で左折。突き当りを左折すると道の角に常夜灯。善光寺常夜灯右折し道なりに進んで、横吹山のすそ野を巻くように歩けば公会堂前に表示。横吹遺跡かつて横吹山が千曲川と接していたため、北国街道は横吹山の断崖にあり、北国街道きっての難所であった。明治になってようやく千曲川沿いに新道がつくられる。しなの鉄道がとおる葛尾トンネル。見上げてみたが下から曲げるだけではかつての街道の面影は見当たらない。横吹新道反対側の刈谷原にあるミニパーク。芭蕉句碑などがある。村上義清公夫人の逸話が残るこうがいの渡し舟つなぎ石千曲川刈谷原をこえると北国街道は千曲市に入る。
2009.11.16
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北国街道を坂木宿から矢代宿まで。この日の歩数計はなんと30018歩。たくさん歩いたね。しなの鉄道坂城駅で降り立った人は5,6人。駅には強い風が吹いていた。北方角を振り返ると見える手前の山の高台が姫城跡のあるところ、もう少し登ると村上義清公のの葛尾城跡がある。以前、ここから続く五里ヶ峰に登った時はカモシカが姿を現した。駅の改札をでると駅前広場、電車から降りる人を迎えに来た車とタクシーが2台。あとはがらんとしている。ここから北に向かって続く坂木宿から18号線沿いに(時には18号線に飲み込まれた)北国街道を歩く。
2009.11.15
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆ 五百羅漢、いろんな表情がありました。みんないろいろと語りかけてくれたんだけど、下の2枚のつぶやきはワタシには何とも聞き取れなかったので…、考えてみてね。気の弱そうな羅漢さんお猿と羅漢さん
2009.11.15
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今日は午後から中条村の隊長宅へ。朝から昼にかけて降っていた雨は午後からは上がり、青空が顔を現した。今日の仕事はリンゴ作業かそれともキコリもしく薪づくりか。山ではいろんな仕事が待っている。いろいろある中での仕事は家の裏の山作業。栗の木が大きくなって、隣の持ち主のタラの木に覆いかぶさっているので整理しようとなった。急な斜面の向こうからは虫倉山が頭を雲に隠しながらもこちらをのぞいている。山は栗の木だけではなく、昔、植えた杉の木が密集して暗い影をつくっている。そして細い杉の木も切ろうと言うことになった。チェーンソーが音を立てる。杉の木の倒したい方に切り込みを入れ、反対側から斜めにチェーンソーを入れる。木は音をたてて倒れていく。つぎつぎと杉の木を倒す。暗かった杉林はやがて明るくなっていく。隊長は柿の木に登って柿の実を落とす。落としてさあ実を集めようとしたところあたりには雨雲が立ちこめ雨がぽつりぽつりと落ちてきて、やがてざあざあ降りに。時間は4時過ぎ。「もう、終えましょう」と隊長。隊長の家に戻ってタオルで頭を拭いて、お茶とおつけものをいただいているとやがて雨は小降りにそして雨は降り止んだ。最初に掲載した写真はスズメバチのウィスキー浸け。隊長の娘さんの旦那のお兄さんの趣味が蜂捕り。蜂と見ればとりたくなるらしい。(変わった趣味の人がいるもんだ!)そこでもらった蜂を隊長がウィスキーに浸けたもの。ちょっと飲んでみたけど、少しこくがあるというか変わった味わい。飲んでみたいなぁと言う方は我が家へどうぞ!こんなことをしてるからスズメバチに恨まれるんやろうな!
2009.11.14
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆ みんなちがって、みんないい。
2009.11.14
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆
2009.11.13
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆ありがとうございます!
2009.11.12
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆
2009.11.11
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆この顔、大好きな桂枝雀さんを思い出します。スビバセンネ!
2009.11.10
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆
2009.11.09
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今回は同行者がいなかったので単独登山。県道小川長野線が工事のため、中条小学校への入り口がある村道から虫倉山登山口を目指す。行きは不動滝コース、帰りは天神城コースを下るのでコースの終了地点廣福寺近くの駐車場に停車。そこから不動滝を目指す。不動滝登山口を示す標識。いつもは車で走っているところだが歩くといろいろな発見が…。色づくもみじ。不動滝入り口駐車場には車がいっぱい。奥のトイレのある駐車場も満車。登山口から歩き出すと途中でナラの木が倒木。先週はなかったが1週間で風景が変わっている。山頂は雲一つない晴天。北アルプスがくっきり見える。虫倉山の山頂はけっこう狭いので、すでに先にきていた年配のグループでいっぱい。あいていたところに陣取りラーメンで昼食。来たコースを戻り、不動滝と天神城との分岐で右折。天神城コースを歩く。前々回、鈴木さんと歩いたときに「今度はこのコースを歩きましょう」と話していたら、行き会わせた登山者が「道がわかりにくいらしいですよ」と言っていた。「3年ほど前に歩いたときは大丈夫でした」とワタシ。あのときはトラブルがなかったので大丈夫だと思っていたが…。見下ろす中条の集落。しばらく稜線を歩くと登山道にトラロープがはられて右に迂回するようになっている。ここまでの木には赤いテープが巻かれてコースであることが分かるが、迂回した先は谷筋で水が流れている。地形図を見ると登山道は稜線と谷が入り乱れている。急な坂を下った先にはこんもりとした稜線があるし右下には集落が見える。方向として間違っていないのは分かるが、しっかりとした道が見あたらない。トラロープの場所に戻ったり谷筋に来たりを繰り返したあげく坂を下ることにした。降りた先で先ほどの谷筋にであい、少し歩くと目印のテープが巻かれた登山道に出た。あとでガイドを見ると谷の向こうにある稜線に登るようになっていた。次回確認。口割れ岩上り下りを繰り返し柏鉢城に到着。地元の人には天神城と呼ばれており、これが天神城コースのいわれ。太田集落。赤い屋根、青い屋根が美しい。天神城コース登山口。廣福寺次回、単独なら小虫倉コース。同行者がいれば大洞コースの予定。
2009.11.08
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆ここの五百羅漢たちは酒好きが多くて、なんだか自分をみているみたい(^.^)
2009.11.08
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆長年連れ添った夫が妻に感謝の言葉を語るようでもあり、年配の独り身どうしで男が愛を語っているようにも…。
2009.11.07
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスを(^_-)-☆なんとも言えないこの表情。何が理由でこの表情になったのか。この前にあった出来事がちょっと気にかかる…。
2009.11.06
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスをあてて(^_-)-☆
2009.11.05
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五百羅漢のつぶやき聞こえる? →写真にマウスをあてて(^_-)-☆
2009.11.04
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