殿上人日記

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2017年12月06日
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カテゴリ: 京都の旅
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この写真は、最初に国宝展(第二期)に
出かけた10月末の​京都なのですが既に
紅葉も始まっていました。テレビか何かで
水辺は夜など冷え込むと言ってましたが
それで、紅葉の進みも周囲よりも少しは
早いのかな




紅葉の盛りにはさぞかし美しいであろう
このお寺は京都でも有数の紅葉スポット
浄土宗西山禅林寺派の総本山。禅林寺
またの名を永観堂というが、その名の
由来は、優れた徳の高い第7代の住職
永観律師の永観からだとか




しかし永観堂はえいかんどうと読むが
永観律師の方はようかんと読むそうだ
山号は聖衆来迎山、院号は無量寿院で
本尊は阿弥陀如来。御開基は、空海の
高弟の真紹僧都だそうで、古くより
「秋はもみじの永観堂」と言われている




禅林寺の本尊である阿弥陀如来立像は
顔を左に曲げている像であるのだが
永保2(1082)年、永観が日課の
念仏を唱え、阿弥陀如来像の周囲を
行道していると、須弥壇から下りた
阿弥陀如来が永観と共に行道を始めた




それに驚いた永観が歩みを止めると
阿弥陀如来は振り返って、永観遅しと
言葉を発したそうだ。それより阿弥陀
如来像の首の向きが元に戻らないまま
なんだとか




このような「みかえり阿弥陀」は、中国
では北宋時代に遡る例があり、国内では
この像が最古で、山形県の善光寺像など
他にも若干の作例があるそうで、阿弥陀
来迎時に浄土へと戻る際に、往生者を
見守る為に阿弥陀が振り返る姿なのだとか




東京国立博物館に寄託をされている寺宝の
仏具の「金銅蓮華文磬」は国宝展で実物を
見る事が出来た。今まさに臨終をしようと
する信仰者の前に、阿弥陀仏と眷属たちが
極楽から迎えに来た来迎の場面を描いた
絹本著色山越阿弥陀図の方は東京で見たか
どうかは覚えがない




今回の国宝展では、京都国立博物館にある
ものであったが、仏の胸と右掌には小さな
絵絹の欠失があって、かつては五色の糸が
結びつけられ、今まさに臨終をしようとする
信仰者の手に握らせ、阿弥陀の縁を結ばせて
いたんそうだ。この話は金戒光明寺で聞いた




ところで「極楽」とは、阿弥陀の浄土の事
だそうで、阿弥陀経には「衆苦あることなく
ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」と
あるそうだ ウィキペディアによれば↓




>この極楽という仏土は広々としていて、
>辺際のない世界であり、地下や地上や
>虚空の荘厳は微をきわめ、妙をきわめて
>いる。この浄土にある華池や宝楼、宝閣
>などの建物もまた浄土の宝樹も、みな
>金銀珠玉をちりばめ、七宝乃至は百千万の
>宝をもって厳飾されている




>しかも、それらは実に清浄であり、光明
>赫灼と輝いている。衣服や飯食は人々の
>意のままに得ることができ、寒からず
>暑からず、気候は調和し、本当に住み
>心地のよいところである。また、聞こえて
>くる音声は、常に妙法を説くがごとく、
>水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。




>したがって、この浄土には一切の苦は
>なく、ただ楽のみがある。(前後するが)
>いまをさること十劫の昔、阿弥陀仏は
>成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に
>浄土を構えられた。そして、現在でも、
>この極楽で人々のために説法している。




他にも薬師如来の「東方浄瑠璃浄土」や
阿閦(あしゅく)仏の「東方妙喜世界」、
釈迦仏の「西方無勝世界」、観音菩薩の
「南海補陀落山」など諸仏の浄土が、娑婆
(現実)世界から見ればあらゆる方向に
あるそうで、それを十方浄土という




各経に説かれた十方の如来や、仏を信じて
いればその浄土に行くという話だ。更に
「一蓮托生」という言葉があるが、これは
死後に阿弥陀の極楽浄土に往生し、同じ
蓮花の上に生まれ変わって身を託したいと
いう事から




「他力本願」とは、阿弥陀仏が衆生を救済
する本願の働きの事であり、「自業自得」は
自ら行なった善悪の行為により本人自身が
その報いを受けるで「因果応報」も同様で
どれもが仏教から派生した熟語である




南無阿弥陀仏というお念仏は、阿弥陀に帰依し
極楽浄土に導いて欲しいという、浄土宗や浄土
真宗で使われ、姉も西本願寺系だけど、うちの
あたりは曹洞宗や臨済宗の土地柄だが、年寄りが
御詠歌の他に、なむあみだぶつ~なんまいだ~と
念仏をやっていたような




まっ、明治期の廃仏毀釈で虚無僧の普化宗が
なくなったとドラマの中で扱われていたけど
それまでは神仏習合。神様、仏様。お念仏も
盂蘭盆会も先人の行ってきた事は、昭和とかに
なっても続けられていたけど、戦後生まれが
多くなってきた最近は風前の灯火




ある意味で楽しみのない田舎での老後の娯楽
でもあったように思います。それが昨今では
ゲートボールとかカラオケ、ダンス、手芸や
旅行となんでもありな老後の趣味。ご朱印状
ブームのようにお寺や神社も、年配の人より
若い人や海外の人の方が多いくらいですが




それもまた文化財があったり、歴史的な
由緒を持つような、限られた寺社仏閣に
限られた事であって、地域の人たちの為に
ある無名のところは檀家も減って、兼業
でもしてないと生活も立ちゆかない




修理も出来ずに、雨漏りだらけの屋根に
食事はカップラーメンばかり。年収は
生活保護以下といった地方のお寺の惨状を
テレビで特集をしており、限界集落同様に
限界のお寺も地方には数多くある。対策と
してお寺の統廃合を打ち出そうとしても
当然、廃寺となる側では反発をする声も




うちの地域の神社も禰宜様が高齢で、最近
廃業をしたので、神社の神事などは近隣の
神社の禰宜様がやってきてくれるのだが
地域での祭りでは、地域の住民が神事を
簡素化し見よう見まねで行っている有様だ




地域の要になる産業が無くなり、人が減り
学校が無くなり、お店が無くなり、交通が
無くなり、寺社が無くなり、集落が消え
もとの野山となってしまうのも仕方がない
話なのかもしれない。まだ、うちのあたりは
観光業があるので、今後も集落が残るのは
確実ではあるし




なによりも観光客の為に、駅から路線バスが
一定時間毎に運行されているので、車のない
老人の足が確保されているのも有難い事だ
更に中央道の神坂パーキングエリアに長年
話だけはあったスマートインターの設置が
具体化(2021年)したので交通の便が
更によくなる




話逸れました。戻します
今は神社は彫刻もあって、朱色で華やかで
お寺は茶色で、地味なイメージがあるけど
それらは、鎌倉期に武士に好まれた禅宗の
影響があっての事で、それまでのお寺など
朱塗りは魔よけの意味もあって派手な彩色
などもされていたようだ




そういやぁ~京都の醍醐寺とか鞍馬寺
平等院とか色鮮やかな朱色だし。この
永観堂の今は緑の葉っぱも、11月の
半ばになれば真っ赤っか。それもまた
見てみたかった




紅葉の有名なお寺なのに、その時期に
一度も来た事がない。でも見返り観音
とか、斜面を利用したお寺が面白くで
何より、この階段のカーブが好きでして
永観堂には七不思議があるそうでして
この階段もその一つであるそうだ




御影堂、阿弥陀堂、開山堂に続いている湾曲
している急こう配の階段を臥龍廊(がりゅう
ろう)といい、まるで龍が体をうねらせて
いるように見えるので名づけられたんだとか




永正年間(1504~1521)に造られたものが
昭和に改修されたそうである。ここも屋根が
ある回廊で巡れるので、雨の日観光に良いと
考えてコースに入れたが、この頃には雨も
止んでいた




七不思議のひとつ悲田梅は、永観律師が境内に
薬王寺(悲田院)という施療院を置いて、梅を
育てて、梅の実を病人や貧しい者に分け与えた
もので、その梅の木が一本だけ残っている




更に七不思議の三鈷の松は、普通の松葉は
二本であるが、この木の松葉は三本で葉の
長さも30センチ近くにも及ぶ珍しい松で
財布に入れておくと、お金がたまるとか
箪笥に入れると服がたまると言われている




更に春に三鈷の松の辺り一帯に棲んでいる
蛙の鳴き声が、まるで木魚を叩くようなので
木魚蛙と呼ぶが、誰もその姿を見た事は無い
伝法堂(瑞紫殿)の阿弥陀如来坐像は応仁の
乱で諸堂が焼け落ちた時も、右手が焦げた
のみで焼け残ったといい火除けの阿弥陀如来
として火除けの信仰を集めている




古方丈の孔雀の間の欄間には、雀が描かれて
いるが、向って右端の欄間には五羽の雀が
描かれているハズなのに、四羽しかおらず
一羽少なく抜け出してしまったと言われる
臥龍廊や多宝塔付近の急斜面に生えている
紅葉は、寺が建立される前にこの地に住んだ
藤原関雄の和歌にちなんで岩垣紅葉と言う




  おく山の岩垣紅葉散りぬべし照る
  日の光みる時なくて (古今和歌集)

「菟芸泥赴」の中には「本堂の傍に聖衆来迎の
松があり。永観説法の時、この松に弥陀如来
影向ありしとなり。今は枯てなし」とあり、
山号の由来を示す伝承で、阿弥陀堂の右手に
ある松がそれなんだとか




と数えると1,2,3・・・8つ。あれれ
七不思議なのに八つとはいかに。お寺には
水琴窟などもあれば、足の悪い方のために
エレベーターなども設置がされていたので
見返り阿弥陀も容易に参拝も出来る。と
いう訳で10月の国宝展(2期)目当ての
京都初日は祇園、東山、三十三間堂、国宝展
二日目は二条城、南禅寺、永観堂であった




午後には京都駅に出て小腹も空いたので
食事をする事にしたが、私はどうしても
京都らしいパフェが食べたくて、丼も
どちらも食べられるという京都駅地下
ポルタにある「nana's green tea」だが
ここって東京本社の全国チェーンなのね




ナゴヤドーム前のイオンとか、名古屋パルコ
にもお店があるんだ、まっいいか。姉はご飯が
食べたいというし




私はパフェが食べたいのだから、何も京都の
お店に拘る事は無い。とは言っても本当は
湯豆腐が食べたかったんだけど・・・次は
11月の4期の国宝展の時の京都観光を紹介
します。ではでは




     平成29年10月28日に京都永観堂で撮影

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最終更新日  2017年12月09日 10時11分44秒
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