殿上人日記

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2018年06月01日
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テーマ: 海外旅行(7520)
カテゴリ: 韓国旅行



3月下旬から5月中旬(八重桜だが)という
長期にわたって、あちらこちらでのお花見が
出来た年はなかった。その中でも桜の開花が
詳しく予想が出来ない中での、かなり前での
予約が必要な「お花見メイン」の旅行はある
意味でギャンブルのようなものだ




4月上旬に娘と出かけた韓国旅行の決め手に
なったのは韓国一の桜の名所である「鎮海」
(チネ)のお花見で、娘の休みの関係から
4月7日~9日の旅行日程のうちの2日目に
あたる4月8日の午後に鎮海(チネ)観光と
されていたのだが




韓国も日本同様に、近年は桜前線は早くなる
傾向にあり、昨年までのネット情報から予想
するに4月3日辺りが良さそうで、8日まで
花が持つかなぁ~と、ネットでリアルタイム
検索で「鎮海」を調べ、あぁ開花しちゃった
なんてやきもきもして。まぁここが葉桜でも
釜山や、慶州の桜だってあるんだし




なんて自分を励ましてもいたけど、まだ桜が
綺麗に咲いていました。良かった~。それに
しても満開になっての日曜日。流石に韓国で
一番有名な桜の名所だけあって、すごい人出
でした。しかも若い子が多いような気がする




釜山のすぐ西に位置する鎮海は街のいたる所に
桜が咲き、その数は30万本を超えるそうだが
この桜もまた、日本との深い関りがあるという
古代において日本とも深く結びつき、幾つもの
小国により形成された「伽耶(かや、任那)」が
釜山も含めて、このあたりに存在をしたという




稲作や良質な鉄の製造に加えて、地の利を生かし
海路により中国や日本と交易を結び、4世紀頃
までは新羅よりも栄えていたそうだ。この地域には
日本からの影響を受けて幾つかの前方後円墳
すら存在をしているそうだ




そう、何も朝鮮から文化などが一方的に日本に
渡ってきた訳でない。韓国料理には欠かせない
唐辛子だが、韓国では倭芥子と言い秀吉の朝鮮
出兵の時に日本から伝わったというのと、逆に
日本で高麗胡椒と呼び朝鮮から日本へ持ち帰った
という説もあるんだとか



             この写真だけ鎮海市内、別所で撮影

そんな文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率い
戦った事から近世においても抗日のシンボルと
されているのが、李氏朝鮮の将軍の李舜臣(イ・
スンシン)である。水軍を率いた李舜臣は巧みな
鶴翼誘引策の戦術と、自ら改良をした亀甲船を
駆使し戦功をたてたそうだ




韓国各地に李舜臣の銅像があり、1952年に
鎮海に建立されたのを記念し、追悼式を行なう
ようになった鎮海の軍港祭が、年を経るにつれ
桜の祭りも相まって大規模となっていった




桜の名所として知られる鎮海海軍士官学校が
一般に開放をされたり、花火やイベントなどで
開催期間中の10日間で200万人も訪れる
ようになった。娘、両手に屋台スイーツで
ご満悦。私もおすそ分けを貰う




鎮海の街中に桜が咲いているが、その中でも
人気のある「慶和(キョンファ)駅」は、廃線と
なりましたが、まだ列車が通っていた桜の散る
頃には、列車が通過すると桜が吹雪のように
舞い散り、それはそれは美しかったそうです




韓国映画「天国までの60日」や、日本でも放映
された韓流ドラマ「春のワルツ」のロケ地でも
ある。旧駅構内には韓国鉄道公社(KORAIL)の
車両が置かれており、記念写真のスポットに
なっていた




さて古代より日本との関係が強かった地域でも
あった鎮海であるが、15世紀初めには釜山浦と
ともに「興利倭船(日本の商船)」の入港が
許可された「三浦」の一つとなり、日朝貿易の
拠点とされたが、後には釜山浦のみとなった
そして時代は下り・・・




ウィキペディアより
>1904年2月、日露戦争開戦に際して日本海軍は
>鎮海湾一帯を掌握、巨済島で海軍根拠地の建設が
>行われた。鎮海湾は日本海海戦に際して連合
>艦隊の集結地となった。(中略)当初は鎮守府を
>設置する計画で軍港と市街地の建設が進められ
>1916年に鎮海要港部が設置された。




>以後、鎮海は日本海軍の軍港都市として発展し
>1931年には鎮海邑に昇格した。市の中心部に
>あるロータリーをはじめ、随所に往時の日本の
>都市計画の姿を見ることができる。また、地名
>には末尾が「町」となる、日本式の地名が付与
>された。




>日本の敗戦後、鎮海の海軍施設は、大韓民国
>海軍の前身である朝鮮海岸警備隊によって利用
>された。1946年には海軍士官学校、1949年
>には大韓民国海兵隊が設立されている。




そんな訳で日本人によって作られた街なので
街路樹には日本から持ち込まれた染井吉野の
桜が植えられたそうであるが、太平洋戦争が
終わると日本帝国の面影を消す為に、街の桜は
伐採をされ、物資の少ない時代でもあり燃料に
されたそうだ




桜は伐採されたのに再び、桜の街になったのは
「1966~80年代中盤、在日同胞と日本人らが
桜の苗木約6万株を鎮海へ寄贈した」との事で
再び日本の染井吉野の桜が植樹をされたのが
きっかけであるようだ。在日本大韓民国民団の
植樹に関しての資料によると




>「日本帝国主義の植民地支配と同族相殺の韓国
>戦争(朝鮮戦争)で荒廃した祖国の発展に尽く
>そうと、祖国のセマウル運動(農村振興運動)に
>歩調をあわせた1973年の『60万人のセマウム
>シムキ運動(“新しい心を植える運動”と称された
>植樹運動)』では、祖国の山々への苗木植樹や
>150カ所の郷土集落との間でセマウル姉妹
>結縁を結びました…」




>「鎮海を世界的な桜の街に整備し、(桜を好む)
>日本人の観光客を韓国に誘致する端緒にしよう」
>(2008年1月22日付の韓国紙、世界日報電子
>版)故郷の発展と日韓関係の改善に役立てばとの
>思いから寄贈したのだという。寄贈後も、何度も
>鎮海に足を運んでは肥料をまいたり、害虫対策に
>助言を与えたり、アフターケアに従事する人も
>いたらしい。




更に
>軍港歴史館の資料にも、それを示すくだりがあった。
>「鎮海では1960年代から再び桜を植え始め、
>1976年、鎮海を世界第一の桜の都市に育てよ
>という大統領の意志に従い、本格的に桜が植え
>られるようになった」
元記事産経新聞ネットニュース ↓リンクからお読みください
36万本が咲き乱れ…軍港・鎮海の桜に秘められた日韓110年の歴史を紐解いた




鎮海きっての桜の名所「余佐川(ヨジャチョン)」は
川沿いに約1,5キロ続く桜並木があり、私も見てた
韓流ドラマ「ロマンス」の撮影地として知られている
ちょい桜も終わりかけだが、完全葉桜になってた人の
ブログの写真に比べたら、まだまだいけそうだ




在日同胞や大統領の支持もあった桜だけど、植樹の
当初は日本の桜に反発もあったのだが、1900年代
初頭に、済州島で発見された王桜(ワンボンナム)は
染井吉野によく似ているので、韓国の王桜が日本へ
導入されて染井吉野になったとの誤った俗説が広まり
染井吉野も韓国発祥だからいいんじゃないかと




とは言ってもね、染井吉野は園芸が盛んな江戸の
染井村で、江戸時代中期に日本中の桜が集められて
交配をした結果、吉野桜(山桜)に似た桜が出来
染井吉野と名づけられた訳で、韓国で発見された
頃には、どこもかしこも日本は染井吉野咲いてたし




染井吉野は園芸種で接ぎ木でしか出来ない
クローン桜だそうで、済州島で自生ってのも
矛盾してるし。既に遺伝子検査で染井吉野と
韓国の王桜は別の品種であるとわかっている
ので、そろそろ夢から覚めて現実を認めて
欲しいものだ




ちなみに染井吉野は、信州などでも古樹が多い
江戸彼岸桜と大島桜から生まれたものであるが
王桜は江戸彼岸桜と大山桜の雑種で、染井吉野
よりも花が大きくて色も濃いみたいだ。まっ花には
罪はない。それを植えた人も好意からなんだし




こういったのって過去の真実というよりも、今の
政権が人気取りや、国家間の利権などの兼ね合い
などで利用しているようにも思える。実際に韓国に
行くと、日本でよくして貰ったから日本人に親切に
したいとか、フレンドリーな韓国人も多くいるのだが
それを表立っては語れない空気もあるんだろうな




確かに日本帝国や日本の軍人が犯した罪も多く
あったと思うが、この国を良くしようと思い都市を
整備したり、教育や文化面など日本人が近代化に
尽力した事まで無かったように、目を背ける必要は
ないようにも思うのだ




そんな事を思いつつ日本人が作った街、鎮海から
カニのイラストの付いた、遠くからでもよく判る
バスで、今夜のお泊り先のある釜山へと向かった
なんとか、桜も残っていてくれて良かったな♪




その途中では、こんな大型遊園地があったりとか




こんな作りかけの道もあった。どこかはわからないが
この間も現地ガイドの方はハングル文字のレクチャー
覚えたら簡単だというが、それは覚えたらの話だ




いよいよソウルに次ぎ韓国第二の都市、釜山に到着
日本でいるなら大阪みたいな位置づけなのだろうか?
晴れた日には対馬までもが見えると言い、古くから
日本からの玄関口にもあたる。そのあたりは次回
以降の釜山の日記でお話しできたらと思う 




釜山に着いた午後遅くに直行したのは、やっぱり
参加者の皆さんもおまちかねの免税品店で、幾つも
紙袋を抱えた方も。でもうちは庶民派なので屋台
グルメは買ってもブランドには縁はない。そして
ソウルに続いての2度目のカジノで40分滞在は
誰も時間を持て余していた




安い旅行は観光の他に、ショッピングとかあれこれ
連れていかれるのがつらい。かといって釜山市街や
ソウルならフリーの方がいいが、慶州やマイナーな
鎮海の桜のような移動のあるものは、やっぱり
パッケージ旅行じゃないと、個人では無理だし




やっと、昨日の夜、今日の朝、昼とは違った
タイプの食事が登場。韓国と言えばカルビだが
安い旅行だけに肉が少ないような・・・これで
1人前。(あと1回、同じ量を焼いてくれた)
肉を追加する人もいたがうちはいいや。普段から
お得に飛騨牛とかスーパーで買ってるから。その
方が格段に美味しいし




二人席なので、他人に気兼ねする事は無いが
娘が肉好きなので私のを取られ、殆ど食べられ
なかったのはいつもの事だ。肉もないのでご飯も
すすまないし、生野菜をバリバリ食べてという
訳にもいかずお腹空いたし・・・やせられそうな
旅行だ




この後で、夕食後にホテルに直行する人もいたが
大半の人は、2千円のオプション料を現地で払い
韓国夜市(ヤシジャン)と、海辺から釜山の夜景を
楽しむ事になっているので、夜市で屋台グルメ
でも食べるかぁ~という魂胆もあるので腹五分目




釜山は4回目位なので、フリーで釜山タワーにも
上った事があり、その近くの南浦洞(ナンポドン)の
国際市場や、チャガルチ市場にも出かけた事が
あったけど




そこに隣接しているというのが富平カントン市場で
2013年から韓国初の夜市(ヤシジャン)をして
いるというが、チャガルチが水産市場であるならば
こっちはB級グルメのお店が並んでいるそうだ




カン(缶)とトン(詰め)でカントン市場というのだけど
朝鮮戦争後に米軍が進駐し、多くの軍用物資や
密輸された商品が多く市場に並び、その中でも
横流しの缶製品が多く販売されたので、カントン
市場という名前がつけられたんだとか




今では電気製品や、洋酒、日本の菓子、食品をはじめと
した輸入品も売られ、 市場の狭い路地の間に立ち並ぶ
お汁粉や、カボチャ粥、釜山おでん、キムパ、チジミ
などのB級グルメ屋台から、湯気が立ち上りよい香りも




40分程のフリータイムでは、食品店(ミニスーパー)で
お土産も買いたいし、あぁこれも食べたい、あれも珍しい
なんて悠長に選んでもいられないし




普通に美味だったしボリュームもある焼きそばにしたら
既に焼けているものではなく、ちゃんと鉄板で手早く
焼いてくれ、1皿しか注文しなかったのに箸とか水も
二つくれて、お店のテーブルでパクパクしていたら




店員の感じの良いお兄さんが、流ちょうな日本語で
つい最近までは何年も東京にいたそうで、最初は
名古屋にいたんだとか。コンクリートの名古屋城が
壊されて、新たに木造の本格的なのを作るんだよ
といったようなどうでもよいような話をしてきた




ツアー客の人は、バスに同乗してたカメラマンに
「そだね~」を教え込んでたし。あぁ、こうゆうの
食べたい。フリーで前にも食べた事があるんだけど
量が多いからなぁ~。食品店では土産物屋とかより
安い価格の伝統茶のパッケージとかを買うが種類も
豊富で何を買うか悩んだ




とは言っても韓国に最後に出かけてから、軽く数年
以上は経っており、そのころに比べたら為替と関係
無く、随分と物価も上がったようにも思える。前は
安い、安いといった感じだったけど、今はあんまり
日本と変わらない感じで割安感は全くないどころか
モノによっては高いイメージのものも




夜市を各々に楽しんで、再びカニのバスに乗り
込んで(ホテル直行の人は小型車が迎えに来た
ようだ)、今の釜山の夜景が存分に楽しめる
ルートでホテルへと。途中も走行中の車窓から
夜景が美しく撮影もしたが、多くはぶれたもの
ばかり




一眼レフのオート機能を使っているが、さっきの
よりもピントが甘くなってるようだが、こっちの
方が好き。まっ構図の問題もあるんだろう。では
次回は広安里ビーチからの夜景と、海雲台の
ホテルなどを紹介できたらと思います




       平成30年4月8日に韓国、鎮海と釜山で撮影

そうそう朝日テレビ系の帰れマンデーですが
6月4日月曜日の秘境路線バスは、南木曽から
馬籠への旅なのでご覧になってください

帰れマンデー「秘境路線バス・馬籠線予告」

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最終更新日  2018年06月02日 13時21分50秒
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