殿上人日記

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2020年09月28日
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カテゴリ: 京都の旅




さてさて直前のUSJ大阪の閉園に伴って
かわりに麒麟がくる!の岐阜市を観光を
してから、娘とやってきたのは京都です




大阪&京都旅行は昨年末には予約をして
いたので、最初から行くつもりだったん
ですが、新型コロナによって海外からの
団体客の受け入れもなくなり




いつもは観光客でごった返している嵐山
渡月橋も、人のいない写真すら撮れます
週末なんですが、久しぶりに静かな嵐山
京都ではアジア系の観光客は皆無でして
日本人の他に、欧米の高齢観光客などが
ちらほら




本当は、梅小路の京都鉄道博物館とか
京都水族館に行きたかったんですけど
それらの施設も、新型コロナで閉館を
してしまったので、じゃ人の少なそう
だという嵐山にでも行くかと




鎌倉時代に、満月の晩に舟遊びをされていた
亀山天皇が、曇りのない夜空に月がさながら
橋を渡るような様を見て「くまなき月の渡るに
似る」と詠まれた事から渡月橋となったとか




ベンチで休んでいると、足元にハトが
やってきました。何も食べていないん
だけどもね




なんだか風情のある橋もありました。詳細は
不明です




再び渡月橋を渡り、駅側に戻ってきました
こちらには観光客向けのお土産屋さんが軒を
連ねています




嵐電(京福電気鉄道)の嵐山駅も、のぞいて
みました。江ノ電とか都電荒川線みたいに
街中の家の軒先すれすれを走り抜けていく
かわいい電車です




「マルダイ」とも称される、モボ101形の
車両がいた。1975年製造、武庫川車両
工業製だ




娘は橋とか公園とか神社、お寺よりも
こういった商業施設などを、ぶらぶらと
まわるのが好きのようでして




食べ歩きも出来ますし。桜と、竹の
ミックスのソフトクリームは、娘と
半分こ




ブラックサンダーは、応仁の乱以来の
衝撃!!だそうです




ローソンも京都っぽくなってました




自販機も、おこしやす




しば漬にもなれます。てな事で嵐山の
定番の観光地巡りもしてみましょうか




まず外せないのが野宮(ののみや)神社
でしょうか。ここが一番、観光客の姿が
見られました。神社は無料ですし、願い
事も出来ます。源氏物語にも登場しており
王朝文化を垣間見るような場所である

ウィキペディアによりますと




>豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する
>斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に
>由来する神社であると伝えられる。天皇が
>代替わりすると、未婚の皇女・女王(平均
>12-13歳、最年少2歳、最年長で28歳)の
>中より新たな斎王が卜定され、




>宮中の初斎院で1年間、そして嵯峨野の清ら
>かな場所を選び造営された野宮に入り1年間
>潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡
>明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。




>野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の
>代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の
>鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の
>制度は南北朝時代、後醍醐天皇の代の祥子
>内親王を最後に廃絶し、その後は天照大神を
>祀る神社として存続していたが、度重なる
>戦乱の中で衰退した




>後に後奈良天皇、中御門天皇らの綸旨により
>再興され、現在まで皇室からの厚い崇敬を
>受ける。源氏物語「賢木」の巻の舞台とされ、
>謡曲「野宮」の題材ともなっており境内
>各所に案内板が設けられ授与される御守にも、
>それらをモチーフにしたものが見られる。




>鳥居は樹脂加工がされており、樹皮がついた
>ままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用し
>作られた貴重な「黒木の鳥居」で、形として
>のみは日本最古の鳥居形式を伝えている。
>また、脇に備えられた垣根は、クロモジで
>作られた小柴垣であり、




>鳥居とともに源氏物語作中での風景描写と
>して描かれた往古の潔斎空間の風情を醸し
>出している。苔を用い嵐山を表した美しい
>庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」を
>はじめ、モミジ・椿・石楠花・馬酔木などが
>境内を彩り、




>季節毎にその表情を変え参拝者を楽し
>ませる。境内社の野宮大黒天は縁結びの
>神として有名で、大黒天に参詣し、その
>横の「お亀石」をさすれば願いが叶うと
>言われ、多くの参拝者の祈願によって
>美しく黒光りしている。




と、言ったわけで次ぎは嵐山でというよりも
京都にやってきた外国人観光客が、こぞって
やってくるという竹林の道だ。ここ最近にも
私も2度ほど出かけたが、外国人がぞろぞろ
歩いていて、風情もへったくれもない




最近はSNSやネットで、人気が火が付く
場合も多く、名古屋では栄オアシスの
ライトアップが外国人観光客に人気がある
そうだが、京都では東山界隈とか伏見稲荷と
並び、ここも大人気である




まるで昔の嵐山に戻ってきたような風情
このあたりは王朝貴族の別荘などが建て
られていたそうで、ここに因んだ和歌も
多く、小倉百人一首もここで編纂をされた
そうである




>嘉禎元年(1235年)宇都宮頼綱から嵯峨野
>(現在の京都市右京区嵯峨)に建てた別業
>(小倉山荘)の障子色紙に古来の歌人の
>和歌を1首ずつ揮毫して欲しいとの要望を
>受けて、定家は天智天皇から順徳院に至る
>までの100人の歌人の和歌を1首ずつ選んで




>頼綱に対して書き送る。後に、これが定家が
>小倉山で編纂したことに因んで『小倉百人
>一首』という通称で呼ばれるようになった。
ウィキペディアより転載

本来は、渡月橋のかかる桂川の右岸が嵐山
左岸は嵯峨であるそうだが、観光的にはこの
あたりも「嵐山」って言っちゃてますね




天龍寺のある地名も、ウィキペディアでは
>天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市
>右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきの
>ばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派
>大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)




>寺号は正しくは霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎ
>ざんてんりゅうしせいぜんじ)と称する。
>本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、
>開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利
>将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都
>五山の第一位とされてきた




>天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の
>皇后橘嘉智子が開いた檀林寺があった。その
>後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に
>後嵯峨天皇(在位1242年 – 1246年)とその
>皇子である亀山天皇(在位1259年 – 1274年)は
>離宮を営み、「亀山殿」と称した




>足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺
>統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を
>寺に改めたのが天龍寺である。(略)足利尊氏は、
>後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に
>反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は
>尊氏追討の命を出している




>いわば「かたき」である後醍醐天皇の崩御に
>際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に
>強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を
>受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺の
>建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船
>(寺社造営料唐船)が




>天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が
>仕立てられたことは著名である。落慶供養は
>後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に
>行われた。天龍寺は京都五山の第一として
>栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の
>嵐電帷子ノ辻駅あたりにまで及ぶ広大な
>もので、子院150か寺を数えたという




>しかし、その後のたびたびの火災により、
>創建当時の建物はことごとく失われた。
>中世に6回も火災に遭っている。応仁の
>乱による焼失・再建後、文禄5年(1596年)
>慶長伏見地震にて倒壊




>その後しばらくは安泰であったが、江戸
>時代の文化12年(1815年)にも焼失、
>さらに幕末の元治元年(1864年)、禁門の
>変(蛤御門の変)で大打撃を受け、現存
>伽藍の大部分は明治時代後半以降のもの
>である。




結構、京都の中心から離れているのに
ここも、戦乱などに巻き込まれていた
のか。仏殿は新しくなったものであるが
王朝の昔を今に残しているのが




夢窓疎石の広大な庭園である。詳しくは
↓の立て看板を読んで下さい。岐阜県の
多治見市にも夢窓疎石のお庭が残された
寺院があるので、昔から親しみ深い方だ
ここの他に残された庭園の名をあげると




西芳寺庭園、京都市。世界遺産、国の特別名勝
天龍寺庭園、京都市。世界遺産、国の特別名勝
永保寺庭園、岐阜県多治見市。国の名勝
瑞泉寺庭園、神奈川県鎌倉市。国の名勝
恵林寺庭園、山梨県甲州市。国の名勝
覚林房庭園 、山梨県身延町。町指定文化財ほか




>夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末
>から南北朝時代、室町時代初期にかけての
>臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を
>木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)
>宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範
>らに学んだ後、元の渡来僧の一山一寧門下の




>首座となったものの印可に至らず、のち
>浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖
>後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を
>受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。
>以降、入滅後も含めると計7度の国師号を
>授与され、後世には七朝帝師と称えられる。




高さ2メートルもある硯石は、鈴木松年氏が
明治32年に法堂に雲龍図を描いた時に墨を
摺った硯石だそうで、書画が上達するご利益が
あるといわれてます




中国から伝来したという平和観音の前にある
愛の泉は80メートル地下から湧き出る霊水
なんだとか。という訳で、嵐山をうろついて
次に向かったのは・・・   つづく




      2020年3月7日に京都で撮影

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最終更新日  2020年09月28日 12時15分32秒
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