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クリスマスなんで・・・って、あまりふさわしくないけどちょっと変わった体験したので聞いてください。ある日のことです。自己催眠状態から前世を見ようと思いました。当時は前世を見ることに凝っていたのです。(前世の話はいずれまた・・・。)すると映像、イメージがでてきました・・・・。男性が長崎に(海岸が見えたのでそう思ったのですが)に原爆を落とした。ただし彼は自分が直接、原爆を落としたわけでも、操縦していたわけでもないと言います。ただ、自分のしたことに非常に苦しんでいました。晩年、自宅で過ごしている彼は窓際の長いすに座り、後悔に苦しんでいます。白っぽいポロシャツに、ラインが入っていました。名前はロバートと聞こえました。そのあと、浴衣姿の少女が坂道を降りていくところが見えました。晴れていました。彼女は上空の飛行機に気が付き見上げました。彼女の名前は「さよ」原爆でなくなったようです。以上が私が見た(感じた)ことです。長崎と広島との違いがありますが、これはイメージを見た私の主観です。地名の声は聞こえてきませんでした。私の過去性なのー?って感じでしたが、なんだか気になってロバートと原爆などでネット調べてみたら、ロバートは実在していました。彼は投下ボタンも押していないし、操縦もしていなかったのです。予定では操縦することになっていたし、実際試験飛行などのときはロバートが操縦していたようです。そして、彼は後悔していて、そのため晩年は催眠療法をしていたようです。もちろん、私は、この原爆投下についての知識は持っていませんでした。けれど彼が伝えたかったことは、わかる気がします。明日はクリスマスです。私はずっと後悔し続けていたロバートが、今、安らかな気持ちでイエス様とともにいられることを祈りたいと思います。※参考資料1※広島機の副操縦士だった、故ロバート・ルイス氏は投下直後に「マイゴッド(おおっ)!」と叫んだ。後に続く言葉が何だったか、記憶は隊員によって違う。「見ろ、やったぞ」という説。「われわれは何ということをしでかしたのか」と悔悟の言葉だったという説。 真相は確かめられない。戦後、ルイス氏は「自分は戦争を終結させた英雄か、史上最悪の破壊に手を染めた嫌われ者か」と悩み、70年代に催眠療法を受けるようになり、83年に世を去った。そのとき、彼は「マイ・ゴッド!」と叫んだそうだ。 広島に原爆投下をした直後の米爆撃機「エノラ・ゲイ」の機中でのことだ。 「やったぞ」という「快哉(かいさい)」だったのか 「何ということをしてしまったのか」という悔悟の言葉だったのか。 仲間の間では解釈が分かれたという。※参考資料2※ 「エノラ・ゲイ」の副機長だった彼、R・ルイス氏の手記が 27日ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられ、 35万ドルで落札された。機中でつづられた手書きのメモで、米紙の依頼だったという。 45年8月6日未明の出撃から時間を追ってつづる。 原爆投下直後のことは「私たちは一体何人を殺したのか? 正直いって、語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか」。 手記から見る限り、快哉の叫びではなかった。ルイス氏は、その後も悩み続けたらしい。 しかし皆が彼のようではなかった。 「眠れない夜などなかった」と語る当時の機長P・ティベッツ氏は 「やるべきことをやった」と主張し続ける。 その彼も、米コラムニストのボブ・グリーン氏には、少し違う顔を見せたことがある。 広島の犠牲者の話を聞かされたとき「だれが間違っているのか、何が正しくないのか、 わたしにはわからない。自分が正しいのかどうかもわからないのだ」(『DUTY』光文社)と。 機中の手記で「100年生きたとしても、この数分のできごとを 心から消し去ることはできないだろう」と書いたルイス氏は、 キノコ雲から血か涙のようなものが滴る彫刻を残して83年に亡くなったという。
2005年12月24日
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本日の2回目の更新です。1回目は おおっ!!粋な学校?!ノリノリ音楽会♪コメントへのレスが遅れてすみません。牛歩ですが、がんばっております。しばしのお待ちを・・・。11月17日の金曜日に放送された世界バラエティ選手権・幸せって何だっけ~カズカズの宝話~ で視聴者が参加して相談する「歎きの穴」というコーナーで小学校1年生の長男が突然暴れだして家庭崩壊寸前という父親の相談があった。子供が学校で暴れだして授業にならないと学校から苦情が来た。けんかや暴言が後をたたない。担任もどうすることもできない。児童相談所に行ったものの、家庭で面倒見てと言われた。ストレスで妻もヒステリックになり、夫にあたるようになり家庭崩壊寸前。という内容だった。妻は学校からのクレームにも一人で対処し子供を叱るしか手立てがない様子。私から見れば、発達障害を抱える子供で周囲の無理解から状況が悪くなっているのだろうと想像がついた。が、回答者の細木数子さんは妻の家系に問題があると発言。つまり、妻の家系には跡取りがいない。先祖は無縁仏になり地獄へ行くので妻の先祖が子供をおかしくさせているという。これを助けるには、妻の家系に夫ごと養子縁組する事で妻の先祖が救われ子供を大人しくさせるという。30年間の統計で全国の人たちがこの方法で助かっていると断言していたのだが・・・。ある見方をすれば発達障害は祖先の因縁の結果あらわれるものと取れるではないか。この番組では発達障害には触れていなかったがこれを見た人たちが、このような特性を持った子供に偏見の目を向けないとは言い切れない。時間帯も子供自身が見ている可能性もあるわけでこれがまた、ひとつのいじめを増やすのではないかと心配してしまった。このような偏見をあおるような放送にはマスコミもしっかり学び、調査をした上で慎重になってもらいたいと思う。**ランキング参加中**しっかりしてよ!マスコミ人気blogランキングへ
2006年11月21日
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幼い頃から、耳鳴りがある。それが耳鳴りと言うのだと知ったのは、大人になってから。ごく、当たり前に時々聞こえるキーンという音。生活に支障もないので気にも留めなかった。ある日、読んだ本で耳鳴りは天使(天界?)からのコンタクトだというのを読んで、そうなんだ~と思ったことも。だけど、3.11震災前に記憶に残るほど耳鳴りの回数が多くなった。病的なものではないので、生活に支障はないけれど日に数回の耳鳴りが数週間続いたのは初めてなので記憶に残った。もともと地震が来る前に、軽いめまい感覚や、ふらつきを体感することはあったのだけれど、耳鳴りには全く無頓着だった。そして、震災当日外出しようと駅へ向かう道すがら、花粉症もなくまぶしさを感じたわけでもないのに涙がポロポロ溢れてくる。熱さも冷たさも感じず、ただ涙がこぼれてしまうだけ・・・その数分後、駅のホームで地震にあったのだった。電車も止まり、結局外出することもできず家にもどるしかなかったけれど子供たちも校外学習の地で地震に遭遇したので家で情報を集められることは、却って良かったと思った。最近、その耳鳴りが気になり調べてみたら「地震耳」というのがあるそうだ。地震前に片耳(私の場合は左)に、耳鳴り・耳圧を感じる人がいるという。その音や圧の強弱、時間で震源地の遠近や地震の規模がわかる人もいるらしい。私には、そんな詳細まではわからないけれど耳鳴りが起きたときは気をつけようと思った。4月11日の余震は、耳鳴りと普段は感じない右耳にポコポコ軽く圧力がかかるの体感している。だんだん野生的になっていくのか、繊細(?)になっていくのかわからないけれど、きっとこういう体感をした人も多いんじゃないでしょうか?
2011年04月17日
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