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人生に起こったことは、全ては自分の内側にあったものが顕在化したものといえないだろうか。不安や不満、望みや希望。心に描いたものは様々だが、全て自分の人生になんらかの形で投影されているような気がする。どういう形であれ、人間が行動するその規範となるものは、自分の心の中にしかないはずである。心の中に蓄積されたものは、自分で学んだもの以外にも意図せずに刷り込まれた偏見や観点も含まれていることだろう。これからの人生を行動するにあたり、今一度、心の中を整理してみたい。部屋の掃除と同様で、心もいつしか誇りがたまり雑然としてしまうものなのかもしれない。掃除が時には必要なんじゃないかと。だからこそ見直しの時期というものは誰の人生にも必ず存在しているような気がする。自分はどこへ向かってゆくのか。これからどうしてゆくのか。ゆきたいのか。常に心に問い、軌道を少しずつ修正してゆく。どんな人生であれ、平坦な道ばかりでもないし、オフロードな道ばかりでもないだろう。要は、どんな道であれ楽しんで渡れということ。腐ってもしょうがないし、ただ、光を目指して突き進むほかなのだから。
2010.03.19
ずいぶんと時間が流れた。2009年の10月半ばにリーマンショックなる経済危機が訪れてから、このIT業界もずいぶんと元気がなくなってしまったように感じる。現在は、少しずつ株価は上昇したりと上向きつつある様相を見せるも実態経済は、これについてこれていない。雇用状況は相変わらず厳しく、いまだに失業者でハローワークはにぎわっているようだ。特に派遣社員が多く切られ、その後に正社員のリストラも敢行された。大手企業が新規案件に予算を組めなくなり、そのしわ寄せは中小の下請け企業にもろに直撃。もちろん、そのさらに下で契約を結ぶ、常駐型フリーランスは、かなりの痛手を被った。案件数の激減、単金の大幅値下げ。それに反して要求スキルの上昇。スキルがハイパフォーマンスで悪条件での稼働も辞さない覚悟がなければ、案件にありつけない状態がフリーランスを襲った。思えば、二次受け三次受けと多重構造でなりたつこのIT業界の構造からすれば、いずれこのような事態が発生した時に、多くの企業やフリー技術者は消し飛んでしまう恐れがあることは容易に想像できたはずだ。だからこそ、元請けになれるように努力すべきであるのではあるが、そうはいっても業界の構造上困難な部分もある。特に個人事業主は信頼が余ほどないかぎり、直受けができない。最低でも一社は法人を間にいれてのとりひきとなりがちである。2005年に様々と直受けにつながるための研究を続けてきたが、個別の信頼を勝ち取れないかぎりは、難しいだろう。すなわち技術力プラス営業力、人間力が必須になってくる。このあたりのセンスがないと直受けは不可能。というより、それ以上が必要ではないか。それは、経営者としての視点と熱意である。常駐型フリーランスは、案件営業を行うエージェント企業とのコンビネーションで仕事を探すことが多い。しかし、このエージェントを利用し続けると精神的なあまえが出てくるように感じる。主体性が薄くなるのだ。自らの信念でサービスや製品を生み出し、そのすばらしさを確信して営業を行うという精神がなくなってくるのだ。他人まかせの経営などはありえない。このことに気付くときがきたのではないだろうか。フリーランスは今、どこへ向かおうとしているのか。経済危機の中をただ流されていれば、いずれは破滅しか待っていない。今こそ、主体性と情熱を持って、志と信念を強く持たねばならない。フリーランスがそれを失ってしまえば、フリーランスを続けていくことは不可能であるのだから。
2010.02.05
体の故障のことは前回のとおりだが、いまだに全快はしていない。どうやら故障というよりは、長年、たまった筋肉疲労というか、肩こり?みたいなものが、噴出してきたような感じである。そこで、生まれて初めて、カイロプラティックなるものに通いはじめた。このカイロ、指圧マッサージと何が違うのか、最初はわからなかったが、以下の点がまず違う。1.最初に問診がある。2.ツボを圧するんじゃなく、筋肉、間接をゆるめる。3.回ごとに筋肉の状態をみて、施術方法をかえてゆく。指圧マッサージは、時間制で、時間内にとりあえず、ツボを圧していくような感じだが、カイロはちゃんと問診をして状態に合わせて行っていくのだ。おかげでずいぶん痛みは減った。(懐具合もずいぶん減ったが、だって保険きかないし)
2009.06.05
ここ数日間、ずっと右肩が痛くてしょうがない。痛み始めた頃は、夜眠れないほどだった。そんな無茶な運動をしたわけでもないのだが、段々、体がなまってきていて、そのツケがきているのかもしれない。こうして記事を書いているときも、右手がしびれる感じにさいなませれている。体のどこか一か所でも故障すると行動にいろいろ支障があるもので、特に手先を使う開発なんかは結構つらかったりする。音声認識という技術もあるわけだが、さすがに職場では使えないし。ともかく、傷んだ筋肉繊維が回復してもとに戻るまでまつしかないのかな。
2009.04.23
今日、新宿の三越のテナントとして入っている「ジュンク堂」にて、CakePHPの本を購入した。現在携わっているプロジェクトはクラサバのWindowsアプリなので、Web系の本を読むのはごぶさたなんだけど、PHPってASPやJSPと基本的な構成が同じなんで、わりととっつきやすそう。なので、あまり基本的な本から読み始めると、退屈しそうなので、いきなりフレームワークからはいってみました。書籍名は「Fast CakePHP」。内容的にどうなのかあまり吟味せずに薄さが決め手で購入を決定。最近は、あまり読書に時間がさけないため、ざっくり読むことができるほうがありがたいのだ。今、半分程度読んだところだが、PHPはWeb用に作られた趣をもつスクリプト言語で、比較的、初心者が入り安いといえる。特に、PerlなどのCGIに比べればはるかに利便性が高い言語といえる。(別にPerlが利便性がないと言っているわけじゃないよ)特にCakePHPのフレームワークを使えば、MVCを適用したすみ分けの出来上がった構築方法でWebサイトを作成することができる。まだ、本を読んでいる段階なので、なんとも言えないけど、そのうちCakePHPを使ってサイトを立ち上げたいと考えている。やっぱ、何かの技術を習得するには、具体的な構築システムのイメージがあったほうが手っとりばやいしね。しかし、技術的なことより問題は、コンテンツのアイデアのほうなわけなんだが、こっちがさっぱりなので、いつになることやら。。
2009.04.18
お互いに密接に関係し合うもの同志で、順序が繰り返されるものをさす慣用句として、「卵が先か鶏が先か」という言葉がある。卵は鶏が産むものであり、卵から鶏へと進化する。これを繰り返すことで、鶏という種が存続しているわけだ。まあ、感覚的に言って、卵がいきなりあったとは考えにくいので、鶏というものが先にあって卵が後なのかなと思う。鶏と卵の関係は生物学者かなんかにまかせるとして、最近、悟った(という程大したものではないが)「気づき」について、ちょっとだけ書いておこう。それは、いわゆる成功する人と失敗する人の究極の違いについてである。何が成功で何が失敗なのかという議論はさておき、ここでは思い描く理想を実現できる人とできない人という意味で話を進めることとする。成功できる人は、自分が理想と思う事柄を軸に行動に移す。そして、まず自力により何かの礎ともいえるものを築きあげる。失敗する人は、常に周囲の動きをみつつ、何かに反応して行動を起こす。この違いが最終的な成否を分けているような気がするのだ。つまり、成功する人はまず、自分の行動が先で、失敗する人は自分の行動を後にもってくるという点が究極的に違うのではないだろうか。(自分も含め)世のほとんどの人は、周りの環境やトレンドに敏感に反応する傾向がある。メディアを通し情報過剰に摂取した結果、その傾向は時代がすすむにつれて大きくなってはいないか。ものすごい大昔、人はなんら知識もなく情報伝達する技術もなかった時代、きっと人はもっとアグレッシブに行動していたのではないかなと思う。そして、時には大失敗をやらかしたりしながらも、そこから得たものを後世に伝えることで文明を発展させてきたに違いない。歴々と続いてきた人類の物語は、常に鶏が卵をうみ続けたごとく、理想と信念をもってすばらしい叡智をうみ続けた人間の努力が先にあったはずだ。日和見主義、事なかれ主義が蔓延する現代にあって、これを払拭すること以外に成功者となることは難しいのかもしれない。
2009.04.13
幸福とは何かと哲学的に推考するようりも、何気ない事柄から幸せを感じることを発見することの方がより、幸せの本質に近いものを感じる。それは、幸福というものが感覚に由来するものだからなのか。最近は、特にシンプルな生活の中で、幸福感を発見することが多い。今、住んでいる町も、引っ越してきてから数か月程度たって、住みなれたせいか雑踏から離れて、だが、田舎のように自然に囲まれているというわけでもないこの町がなんだか、いとおしく感じるようになった。静かで、心も穏やかでいられる空間があるだけで、見える世界はだいぶ変わってみえる。以前、住んでいた場所は都心だった。利便性は高かったが、せわしなかった。そして、どこかいつも急がされているような、そんな焦燥感があった。メンタル的な気楽さは、心地よいものだ。それが一時的なものであったとしても。だが、いつか変化の波はこの空間を壊すのだろうか。陰陽流転の法則からは誰も逃れられない。でも、恐れることよりこの波に半分ゆられながら生きるのもまた、幸せなことの一つなのかも知れない。
2009.03.06
2日前くらいから風邪をひいてしまった。毎日、手洗いうがいを心掛けていたのに。なんで。。3月1日の夜くらいから体調がおかしかった。むちゃくちゃ暖房のきいた部屋にいるのに極端な寒気におそわれ頭から布団やら毛布をかぶってブルブルふるえてたりして。翌日の朝、体温計で熱を測ると37.5度。やっぱり風邪か。とりあえず、家にあまっていた風邪薬を飲んで、会社へ直行。月初日なので、あまり休みたくないし。でも、結局、午前中だけ出社して、午後は早退しました。またまた、極端な寒気が復活したからである。念のため病院に行き、インフルエンザの検査を受けたが、とりあえず普通の風邪ということにおさまった。家で薬を飲んで、夕方、まで爆睡。寝起きで再び体温を計測するとなんと40.5度!うわあ~最悪、こんなに熱が出るのは小学生以来のことだ。しかもおなかの調子もよくないし。今日も仕事をOFFにしちゃいました。。明日は復活できるといいな。(ちなみに今は平熱に戻っている。。)
2009.03.03
今日は金曜日ということもあって、久し振りに会社から家に直帰せずに寄り道することにした。いつもと違う方面の電車にのり辿りついたのは池袋。金曜日の夜なのにそれほどの混雑ではなかったのは、やはりみぞれに近い雪が降っていたからだろうかしら。おかげで、あまり人ごみにもまれることなく、目的地であるスパに辿りつくことができました。名前は「Rest」。社会人以外の未成年や学生は利用不可のこだわりのある場所で落ち着いた雰囲気に少しだけ癒される。最近はご無沙汰していたので、結構久し振りの来店。お風呂のあとは、休憩処のリクライニングソファーで映画をみた。結局、利用したのは3時間程度で、家路につく。途中、電車内での暇つぶしのための文庫本をキオスクの自販機にて購入。正直あまり面白い本じゃなかったので、ここで紹介するのはやめておこう。某有名社会派マンガの作家が書いている、ややビジネス書に近いエッセイで、半分くらい読んだところで、少々、うんざり気味。まあ、暇つぶし程度のための読書なので、いいかなと。とりあえず、今日はわずかだけど、リラックスできる時間が持てたのはよかったかな~♪
2009.02.27
人間にとって、いや、生きとし生ける物にとって、確かに存在を実感することができるものは「現在」という時間だけである。もっと、言えば、時間とは人間が何かを実行するときの基準となる物差しである。あくまで、概念上の方便である時間を明確に認識させる道具として時計やカレンダーといったものがこの世にはあるわけだ。なので、過去とか未来というものはすべて概念である。では、過去と未来というものに意識を馳せるのは無駄なのだろうか。この答えとしては、はっきりとは断言しきれないものはあるとして、単なる概念として過去と未来をとらえるんであるならば、無駄なのなのかもしれない。しかし、人間は今ある「現在」を保存することはできない。なぜなら現在は刻々と変化を続けているからだ。「変化」し続けているということを認識することは過去とか未来とか概念上でしかないものに意識をとられ怯えたり後悔したり、あるいは期待したり、とらわれたりすることに比べて意義のあることであると思われる。人間にとっておそらく、シンプルな真実を述べるなら、今現在をどう生きるのかということ、そして、自分を含め世界は変わり続けているということ前提とした、生き方を選択することができるならば、きっと生ある限り、進歩向上してゆくことのできる有意義な人生といえるのではないだろうか。多くの物事は、シンプルな事実で構成されている。それを誤った知性の使い方をすることで、自分を迷路へとひきづりこんでしまうのかもしれない。物事の単純な真実こそ、よくよく心をすまして気づきを得ることが、より重要になってくるような気がしてならない。
2009.02.26
ダークホース的に脚光を浴びた映画「おくりびと」。ついに、オスカー賞まで獲ってしましましたね。邦画は、ハリウッドなどとくらべると地味であまり評価されても目立たない感がありましたが、今回は様々な賞を得て、海外での評価も高いようです。内容的には、日本的というか、日本の奥ゆかしさのようなものがベースにありような。淡い感動作といった感じです。ストーリーはいたってシンプルなのに、どことなく人情の機微を感じることができる内容になっています。このような映画は日本でしか作れないものだと思いますね。大味と派手さがウリのハリウッド映画ではできないんじゃないかな。これを機に日本映画界ももっと海外に広がってゆくといいなと個人的には思うのでした。
2009.02.25
まだまだ、続くダイエット。減量はじめて3週間あまり。3kg減から減ったり増えたりの繰り返し。なかなかコンスタントに落とすのは難しい。かなり食べるものをセーブしているつもりなのだが、太る体質に変わってしまっているのか。まあ、気長にやるしかないわけだが。先週の土曜日の時点で、血圧はぎりぎり正常値に戻った。油断はできないが、まずは良しとしようか。今月も最終の週に突入したわけだが、仕事の方は概ね順調で、ストレスも少ない。このまま順調に3月末の単体テスト完了に間に合えば御の字だね。しかし、今日は、夕方から頭痛がしてしかたない。後頭部というか、首の延髄の部分がずきずきする感じだ。肩こりもひどいからそのせいかな。
2009.02.23
今日は、天気もいいので、ちょっと変わったとこに散歩に行こうと、中野区にある哲学堂公園に行ってまいりました。この公園は、現在の東洋大学、旧名称、哲学館の創始者である故・井上円了博士が創設した哲学的思索にあふれた公園になってます。ただ、雰囲気はちょっとさびしい感じがして、あまり人賑わっているようなところではなかったですね。この公園の面白いところは、公園内にいろんな哲学的な名前の付けられた建物が設置されていて、ひとつひとつに深い意味があるようです。本当に多くの建物があるのですが、全部は紹介しきれないので、興味をもたれたらGoogleなんかで調べてみると面白いかもしれません。さて、建物を一つひとつめぐって、その解説を読んでいくだけでも、深い哲学的な思考に入っていくような感覚を覚えます。その中でも印象に残ったものがあります。「理外門」という名の建物があったのですが、そこにこのような解説が書かれています。「哲学を論究し尽くした上は、必ず理外の理の存することを知るが故に、本堂の裏門に当たる現地をかく名づけている。」哲学は理性的にかつ論理的のこの世の真理を思索することが、まさに哲学の哲学たるところなのかなって思っていたんですが、そういった論理を突き詰めてゆくと論理では解析できない、すなわち理屈では計り知れない真理に辿りつくということなんでしょうか。確かに、物事を突き詰めていくともはや人間の手に及ぶことのできない、形のとらえようのない何かを感じることがあります。仕事においても、まずは論理的に正しい発想で計画を立てますが、最後に成否を分けるのは、運とか精神性なんかが強く関係することが多々あります。人間の考えうる理屈を超えたところに、自分を次のステージへ導いてくれる発見があるのかも知れませんね。
2009.02.21
昨年から参画しているプロジェクト。進捗度合いの進みが遅く、最後はデスマになるんじゃないかと密かに恐れていたが、二月半ばにしてようやくわずかな光明が見えてきました。現行システムからの完全なるマイグレーションをめざし、ロジックまでもそのままコンバートした。正直、無謀な試みなんじゃないかと、眉つばで作業を行ってた。予想通り、プロジェクト初期はどんずまりの状況で、移行作業は遅々として進まず。予定を数か月遅れてのリリースとなりそう。工事進行基準なんかが本格的に適用されていないからいいようなものの、今後、除所にこんなどんぶり勘定な計画はゆるされなくなってきそうだ。ともかく、デスマだけは避けたいところではあったので、とりあえず少しほっとしてます。少し落ち着いてきたら、今後の自分の方向性も再度、鑑みてもいいかなと思ってます。このまま、だらだら同じSE稼業を続けていてもラチもあかないし。
2009.02.20
猟奇的な殺人事件なんてものは、自分が10代のころは、まだ、小説かドラマか、はたまた映画の世界の話でしかなかった。最近はすでにフィクションの世界を現実が凌駕しつつあるように思えますね。本日、ニュースで江東区バラバラ殺人に無期懲役の判決がおりたと報じられていました。個人的には、やっぱりか。といった感じですね。昨日のブログでもおんなじようなコメント書いたような気がしますが。。バラバラ殺人なんていうと100%、極刑になりそうなものですが、今回は星島被告の反省度合とか、残虐的な精神性を持ってバラバラにしたわけじゃないとか、かんがみての判決ということなんでしょうか。遺族からしたら、そんなことは関係ねえ!利己的な理由で殺した犯人に対しては、極刑以外妥当な判決はないと憤っているのは想像にかたくありません。感情的には、非常にわかる話ではあっても、法律の論理的に考えると結論は変わってくるということなのでしょうか。こういった怒りと悲しみが錯綜する裁判のニュースを見るたびに、法律と人間の裁きの感情との間には、かなりの隔たりがあるのを感じますね。所詮、法律は、国家で起こった事件に関しておとしまえをつけて終わらせてしまう仕組みの道具でしかないのかも。さて、この事件が発生した当初、私は非常に複雑な思いをいだきました。この事件の星島被告は、派遣でプログラマーを生業をしていたとか。私は派遣ではなくフリーランスではありますが、やっている仕事的には非常に環境や状況が似通っています。コンプレックスなどを抱えていたことが、今回の犯行にいたった原因であるようなことを供述していたようですが、組織に属さず生きている人間はとかく、自分の殻に閉じこもり安くなるもの。星島被告ももしかしたら、もっと腹をわって話せるような人が傍にいたらもしかしたらこんな事件は起きなかったのかも。少し昔なら当たり前の人と人とのコミュニケーションがいまや断絶した世の中になりつつあるのか。人との絆が人の運命をも変えてしまうのかも知れない。この事件からそんなことを感じたのだった。
2009.02.19
やっぱりかという感じではありますが、中川財務大臣が辞任しましたね。G7の記者会見をみましたが、流石にあれはいかんだろうと思いましたね。ワインを飲んだとか、風邪のせいだとか言ってましたが、なんにせよ国家の責任ある大臣があの状態で記者会見に臨むのは、通らないでしょうね。ただ、テレビとかマスコミでは酒を飲んでいたことが、ああいった会見の状態につながったかのように伝えてましたが、私はちょっと違うなと思います。たぶん、風邪薬を2倍飲んだのが致命傷かと。。さらにアルコールが加わったことがダルサを加速させたのではないかと思います。なぜにと問われれば、自分も記者会見の時の中川さんみたいな状態になったことが何度かあります。その原因は「風邪薬」に含まれる成分の抗ヒスタミンが原因でした。この成分、無茶苦茶眠気を誘います。普通の寝不足などの眠気はコーヒー飲んだり、顔洗ったりである程度回避できます。ただ、薬による眠気は、上のようなことでは覚めません。一時的には効果があるかもしれませんが、すぐに意識が朦朧としてきます。なので、中川さんの会見VTRを見た時は、風邪薬飲んでんじゃ?ってすぐに思いました。まあ、個人的にはこんなことで、足をすくわれるなんてかわいそうだなあ。。と思わないでもないですけどね。まあ、いつか汚名挽回できるといいですけどね。
2009.02.18
最近、ダイエットをはじめた。基本、SEは机上の戦士なので、とにかく運動不足になりがちだったりする。そのくせ、残業などになると食生活が乱れて、体重は増加の一途をたどることになる。20代のころ一度、ダイエットを試みて、多少、体重が減少したもののリバウンド。。30代に入ってからは諦めの境地。体重は歯止めをしらずに上昇し続けたのだった。。そして、昨年の7月くらいから血圧が上昇しはじめ。。結構まずいことに。先月の中旬あたりから再びダイエット開始。とにかく脂っぽいものをさけるため肉食をしばらく菜食中心に変更することにしました。その甲斐あってか、3Kg程度、体重を減少させることができた。でも、油断するとこの程度の減量はすぐに元通りに復活することは以前のダイエットで立証ずみなので、油断はできないんですけどね。とはいえ、やはり少し体重が減ったことにより体調の方がよくなった気がします。体が軽いってゆうか、今までは少し出歩いただけでも疲労感があったんですが、最近は足取りが軽く感じます。たぶん、ダイエットの秘訣って減量をするプロセスの中で、正しい食生活に戻すことなんないかなあと思う。そもそも、バランスのとれた食生活、また、食べること以外での生活態度も含め、でたらめなことをやってなければ、そんなに太ることってないはずだよね。。どんなことでもそうなんだが、習慣化されてしまった物事が自分自身の未来を決定しているんだろうね。なので、少しの進歩に満足せず、習慣が変わるところまで努力を完成させることが大事ですね。ああ、しかし、今日はさらに減量の壁を超えるため、レタスと春雨スープしか食べてない。。流石に腹が減った。。
2009.02.17
早くも確定申告初日に所轄の税務署に行ってまいりました。今回は、準備万端であったためか、ほとんど手間もかからず申告提出、納税まで完了することができました。やはり、初日であるためか比較的、人は少なかったのが幸いでしたね。とはいえ、やはり通常日にくれべれば、税務署はにぎわっていたほうなんだろうな。受付には説明係の人がせわしなく人の交通整理をしていたし。まあ、なにはともあれ、申告が終わってほっと一息つけました。ところで、話は全く確定申告からはなれてしまいますが、この楽天ブログのコメント、トラックバックを全削除しました。いつかやろうと思いつつ先延ばしにしていたためものすごい量がたまってました。ブログ開設当初は同じ楽天ブログユーザーの方からのあたたかいコメントをいただけていた状況だったんですが、いつしか、スパムコメントのみが大量につくようになり全削除に踏み切った次第です。。本当は心ある人のコメントは残しておきたかったのですが、選別が不可能であるため全削除としました。万が一、自分のコメント消された~とか思った方はゴメンなさい。。そんな理由なので、勘弁してくださいね。今後は、コメントとトラックバックを禁止としました。なので、万が一、このブログを読まれて何かしらコメントを残したいなあ、なんて思われた方がいらっしゃいましたら、メール欄を活用いただければなと思います。まあ、このブログ自体、もはやなんの有益な情報を発信できてないので、杞憂ではあると思いましたが、この場をもってお知らせしておきます。
2009.02.16
今年も明日から確定申告がはじまります。フリーランスになってから4回目の確定申告になりまが、何度やっても大変。。申告書を作ること自体はさほど手間はかからないのだが、問題は青色決算書。特に貸借対照表の左右のバランスが合わない。(つまりどっか間違いがある)記帳を毎日行い、月次決算にて試算表でチェックを行っていれば、間違うはずがないとよく、聞きますが、なんでかな~、あほなミスで間違っちゃう。。やれやれといったとこですが、なんとか誤りも発見して修正して、今年は昨年にくれべやや余裕をもって税務署へ赴けそうです。昨年は、デスマプロジェクトと申告時期が重なり、しんどかったですよ。。毎年、少しづつ税務や簿記などの知識ややり方にもなれてきました。自分で経理をやることによりサラリーマン時代には、わからなかった知識やスキルが身に付き勉強になりました。でも、実際に起業したり、ベテランフリーの人はこんなの当たり前のようにこなしているんだろうなあ。成長の歩みの遅さにちょっとだけ、あせりもあったりして(汗)さて、ここで少しだけ経理についてまとめとこうと思います。あくまで、個人的な意見メモなので、これを偶々読んで参考にしようとする人は、法的や専門的な事柄は専門サイトや書物を確認してくださいね。1.フリーになったらまずやること 何といっても領収書収集ですよね。他のフリーSE関係のサイトでも同じような 意見を述べているかたも多いです。 ここで、重要なのは、兎に角あまり考えずに「領収書ください」といってしまい もらうことでしょう。 結構、フリーになりたてのころって、なんか恥ずかしくていえずにもらえなかった りすることがあります。2.領収書をMS-Excelに打ち込む この作業はなるべく早い段階で行うことをお勧めします。 領収書の枚数がたまるとしんどくなります。。 エクセル以外の表計算ソフトでもよいですよ。 入力するときに領収書の日付でソートすれば日付順を気にする 必要もありませんし、勘定科目ごとのソートやサマリーを行えば 申告書を作るときの計算が楽になります。3.銀行の通帳を記帳しましょう。 銀行の通帳はほとんど、そのまま預金出納長として使えます。 これもまた、エクセルに入力しておくと便利です。 将来、銀行もエクセルファイルで電子ファイルで記帳なんてできると いいですけどね。4.仕訳帳を作る フリーSEの収益は大抵、お付き合いしている会社から銀行振込で行われます。 なので、売上や売掛金の入金などは預金通帳にすべて記帳されているため 深く考える必要がありません。 その他、仕事で使う携帯やネット接続料金なども引き落としになっていれば、 領収書がなくとも、経費のエビデンスになるでしょう。 あと、他の経費は大抵、現金で支払っているはずなので、領収書と預金通帳をエクセルに 転記してあれば、(2と3の作業)これをマージして相手勘定を付与してやれば、 仕訳帳ができあがります。5.仕訳帳を元に総勘定元帳を作成 仕訳帳が作れたら、あとは勘定科目ごとの集計を行えば総勘定元帳を作れます。6.元帳を元に青色決算書と確定申告書を作成ざーくりしか書いてませんがこんなところですかね。今度、機会があればもう少し詳しく書いてみたいと思います。今回はこんなところで!
2009.02.15
今日は久々に夕食を外食しました。仕事が早く引けたので、家に帰って私服に着替え、お台場へと向かいました。臨界線を使い東京テレポートまでの道すがらけっこうな帰宅ラッシュにぶつかるもお台場メディアージュのショッピングモールを歩く人はまばら。土日祝日ならば、人だかりでにぎわうこのおしゃれな街も、平日はこんなものか。おかげで、食事も待たされたりすることなく、すんなりお気に入りの焼肉店に入ることができた。休みの日になれば、気分が向いて、行楽地へと向かったりするのが人の情であるのはわかる。平日は次の日の仕事のことなんかが頭をチラつくからなかなか外出しようなんて思う人が少ないのもわかる。だけど、結局のところ、そんな人が考えるようなことを行うところになんのメリットもないのかもしれないなあ、なんて思ったりした。みんなと同じ発想で同じことをしたら、たいていの人が歩むであろう道しかたどることはできないような気がしますね。今日だって、あえて仕事でちょっとくたびれていても、出かけてみたことで、いつもと違った、お台場の空気に触れることができた。まあ、そんな大袈裟にいうようなことではないかもしれないが、これも、いつもどおりの当たり前の発想をしていたならば、ありえなかったことなのである。気がつくと周りを気にしたり、常識的に考えてどうかとか。時代の流れとか。そんな普通の人が当たり前に気にしながら生きていることをまねしている自分を発見するたびに、これではいかんと思ったりもする。日和見主義がすべてをだめにする。常に人と違う発想あえて考えてみる。そんな努力をしていれば、意外と違う世界がみえてくるかもね。
2009.02.10
大手ポータルサイトのYahooのトップページを開けば、今や連日のように優良企業とされていた会社が派遣社員の契約切り、正社員のリストラ、工場の閉鎖などを行うニュースが続々と掲載されている。新卒の内定取り消しで一時もめていた、企業も資金繰りが厳しくなり会社更生法の申請を行ったようだ。こういった経済的なニュースに比較的鈍感なほうの自分も流石に100年に一度の不況と呼ばれるこの状況を日々、肌で感じるようになった。この不況でIT業界も新規開発などの案件が鈍足となってきたことを受け、フリーランスSEにも寒い冬の時代となっている。人づてに聞く話も、景気のよいものはなく、次の仕事がないといった悲鳴もきくようになった。この100年に一度の不況が人々を苦しめている。世間ではそのように、すべての苦境の元凶をこの不況のせいにしているようにみえる。しかし、本当にそうであろうか?確かに不況により仕事が減り、実際に被害を受けている人が多い。だが、考えなければならないのは、いくら不況であっても業績を伸ばす会社は存在する。仕事が確保できてきる人もいる。そして、何より好況、不況は流転するものだということは、すでに周知の事実なのであるわけだから、好況はずっと続かないことはわかっていたはずなのだ。今まで好況だった時に仕事に対しての向き合い方はどうだっただろう。私は、今、そんなことを考えている。どんな状況であっても揺るがないような信念をもって仕事をしていたであろうか。どんな状況になろうともお客さんから信頼される仕事ぶりを発揮できていたであろうか。売り手市場という名の好況に甘えていたことはなかっただろうか。この不況は、いや、今感じている苦境は、すべては自分自身の背負った「業」なのかもしれない。100年に一度の不況は、私にとって生まれ変わるための大いなる禊となるかもしれない。
2009.02.07
昔々あるところに、仲が良い兄弟がおりました。兄弟は貧乏ではありましたが、お互いを気遣い、助け合いしながらなんとか暮らしていたそうです。ある日、兄弟が道を歩いていると、なんと黄金に輝く金貨が落ちているのを見つけました。それを見つけた弟のほうは大層喜びました。はしゃぐ弟に、兄はいいました。「この金貨は二人で半分づつ持っていよう。しかし、弟よ!この金貨を決して大切に 扱って無駄遣いしてはならぬぞ。」弟は答えました。「わかりました。兄さんの言うことを肝に銘じます。この金貨を大切にします。」そうして、二人はそれぞれ、半分づつの金貨を持つことにして、別々の道を歩くことになりました。そして、数年の月日が経ちました。兄の方は、手に入れた金貨を元手に商売を起こし、成功を収めていました。今や豪邸を構えりっぱな服装をして、家来も雇っていて、町一番の名士と謳われるようになっていました。兄が、いつものように町を家来をつれ歩いていると前方より一人の男が歩いてきた。その男は着ている服はぼろぼろで、みすぼらしいなりをしていました。しかし、姿は変わっていても、兄はそれが、数年前、別れた弟であることに気がつきました。兄は、弟のそばにかけより声をかけました。「ああ、弟よ。そのみすぼらしい姿はどういうことだ?お前にはちゃんと金貨を分け与え たではないか。どうせ、つまらぬことで無駄使いをしてしまったのであろう」弟は答えました。「私は兄さんの言いつけを守りました。数年前にもらった金貨は無駄使いせずに今も 大切に持っています」弟は、兄の言いつけを守り、数年たった今も肌身離さず大切に布に来るんで持っていました。この物語は、仏教経典にでてくる話を私なりに意訳して抜粋したものです。同じ金貨という宝物を得た兄弟が、その扱い方、大切にするという意味の解釈の違いにより人生が全く異なる展開を迎えてしまうところにこの物語からのメッセージがこめられています。「金貨」というものの本質を見誤ったため、弟は、ずいぶん損な人生を歩むはめになりました。今一度、自分を取り巻く環境や資産、あるいはスキルを見直し、本質を見極めもっともすべてを活かせる道を模索したい。
2008.04.19
私にはこだわりがある。といっても酷く幼稚なものではあるが。それは、働く職場の環境には、うるさいほうであるということ。汚らしい薄暗い建物に入っている会社などで働くと本気で具合が悪くなる。こんなことを書くと、とんでもなく我侭なやつだと思われるかもしれない。もちろん、いったん職場が決まってしまえば、そんなことは行って折れないので仕事はこなす。だが、やはり、パフォーマンスは低下することは否めない。これは、一種のトラウマなのだが。。今の職場は、高層ビルの中でかなり環境がよいので気にいっている。プロジェクトは火を噴いてるが、もう少しがんばってみようかな。
2008.04.17
人の性格、行動パターンは、過去から現在までの足跡を辿る過程において作られてきたものだ。中国の古典の四書五経の中の一つに「易経」がある。この書物のなかの言葉で次のものがある。「霜踏みて堅氷に至る」冬の寒い朝、地面にはうっすらと霜が降りている。その霜は打ち払ってしまえば、なんてことのない細やかなもの。しかし、この霜を放置して、足で踏み固めると固い氷となってしまう。いわゆるアイスバーンである。堅氷に至れば、なかなかこれを打ち崩すことは困難なことだ。この言葉は油断していると最初は、柔らかい霜も固い氷になるごとく、物事も柔軟性を失ってしまうことを意味している。もちろん、この言葉にはもっと深い意味があるのではあるが、簡単にいうとこんな感じだ。人間の性格や行動パターンもこの言葉どおり、しらずしらず堅氷になってしまい、改めることが困難な状態になってしまうことが多いような気がする。では、堅氷に至ってしまった、自分自身の性格、行動パターンを改める方法はないのであろうか?一つだけある。それは、自分が最もこだわっているものを積極的に一度、あきらめてみることだ。あきらめるという言葉には、ネガティブな意味合いで受け取られることが多い。しかし、ここで強調しておきたいのは、「積極的に」という部分である。多くの場合、願望や目標を定めて、突き進もうとする。だが、それこそが、今まで自分が突き固めてきた性格や行動パターンから生まれたものなのかもしれない。硬直した考え方、状況を打破していくためには、一度、自分自身が背負いこんでいる思いやエゴを捨ててみる必要があるのではないだろうか。捨てることができれば、新しい道も見えてくるものなのかもしれない。
2008.04.16
ブログを開設してから辛くも3年の月日が経過しようとしている。なんだか、いつもそんな報告を書いては、ブログを放置している気がする。よくも、まあ、削除されずに残っているものではある。ブログを書き始めた当初から今にいたるまで、フリーランスのエンジニアとして活動してきたわけだが、これといって真新しい事柄があるわけでもなく、他のエンジニア向けサイトで多くは語られていることの真偽をいちいち確認する日々を過ごしてきた。ただ、やはり、リアルで感じるのと他サイトの記事を読んで、わかったつもりになるとでは雲泥の差が出る。現実は、そんなにあまくないですね。(^^;)フリーは選択の自由が広い。ゆえに迷いが常につきまとう。迷いに足をとられれば、逆に不自由さすら感じてしまうことがある。そのようなことは、独立しなければ、決して理解できなかっただろう。体験から得たものは大きい。
2008.04.13
すごい久しぶりに日記を書く。役10ヶ月ぶりになる。リアル社会で、困難、苦難、なんでもござれの状態である。そんなわけで、なかなか日記を書くというところまで、自分のモチベーションを上げられなかった。日記ぐらいで大げさに聞こえるが、ホントに書くことができなかったのだ。自分では努力しているつもりでも、結果が伴わない。そんなことは、よくある話ではある。結果が出ないと周囲からの賛同は得られない。結果がすべてではないが、無償に自分が孤独であるかのように感じてしまう。しかし、この苦境の中にあっても、めげず、腐らず、自分の道を歩いてゆかねばならない。その時、自分の行くべき道筋を照らしてくれるのは、やはり「志」しかない。「志」をもたなければ、人はいつしか、現実の困難苦難あるいは、誘惑、欲望に流されてしまう。孤独にめげてしまう。強い「志」を持つことだけが、これら障害から守ってくれることだろう。
2007.10.15
先日、交流会に参加したことは以前、記事に書いたとおりだが、その中で、唯一、まだつながりが継続している人がいる。仮にHさんとしておく。このHさんは行政書士で独立した事務所をかまえている。クライアントとしては、個人事業主が多いそうである。交流会などから仕事を得ることもあり、人脈は結構広いそうだ。このように人脈を持っている人と交流を保てていることは悪いことではないと思う。士業というのは社会的に信用度も高いため、人脈も気付きやすいのかもしれない。自分はこういった人にくらべて社会的信用度はそんなに高いものではない。自分の努力により信用度を獲得してゆかねばならない。今後の課題である。
2006.12.01
目標を立て正しい方向で努力を積み重ねる。このことによって、前に進むことができる。目標を達成することができる人は必ず、このことを理解している。そして、結果、目標を達成する。しかし、多くの場合は、達成できずに終わる人のほうが多い。なぜだろうか?アンドレ・ジッドの「狭き門」のフレーズにこんなのがある。「狭き門より入れ。天国への門は狭く、その門をくぐれるものは少ない。 滅びにいたる門は広く、その門をくぐるものは多い。天国を目標とたとえるなら、やはり目標達成は狭き門なのであろうか。では、なぜ滅びる門は広いのであろう。失敗の影には挫折あり。当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、目標に達し得ない人は必ず、途中で挫折している。最後までやりとげることができないのだ。挫折の影には「目に見えない敵」がいる。それは人によって異なる、心の傷でなのだ。例えば、その最たるものは「不安」であり「恐怖心」である。人それぞれの理由から「不安」や「恐怖心」を植えつけられている。今の平穏な日常からはずれた時に感じる「不安」。将来が見えない「不安」。過去に起こった嫌悪すべき事態と同じにおいをかいだ時に、身震いするような「不安」。すべてに言えるのは、ありもしないこと、起こってもいないことに対しての恐れにすぎない。しかし、なぜかところどころで、目に見えない敵は現れては、人の心を揺さぶり、「不安」に陥れようとする。ゴースト。このゴーストに負けないためには常に正しい認識を持ち続けることが重要である。人は「未来」を恐れる。「常識」からはずれることも恐れる。これらは、すべて人が作り上げた観念である。妄想といってもいい。「未来」なんかない。存在しているのは連続している現在のみ。常識も常に変化している。昨日の常識は今日の非常識。ありもしないことを恐れない。ゴーストは存在しないものをすると思い込む心そのものなのだ。
2006.11.20
昨日は、東京ビジネスサミットの最終日であったのだが、ミスで不参加。またやってしまった。事前登録までして準備していたんだが。。まあ、気を取り直してがんばっていこうと思います。車輪が回転するように今、自分の心の中心がぐるぐる回転しはじめている時期であると感じています。なにかが変わってゆく。今までになかったような発想や行動をとるようになってきた気がする。いい傾向なのか。あるいは壊れかかって暴走しているだけなのか。真実はよくわからない。ただ、いえることは、自分が真実だと思うことは、最後まで貫いてみたときはじめて答えがでるってことだ。これからもガシガシやっていきたいと思う。
2006.11.14
11月10日。フレンドリンク主催の異業種交流会に行ってきた。昨年は参加しようとして出来なかったが、今回は1年ごしでようやく初参加。交流会の雰囲気としては、もう、戦場みたい。なにしろ、会場は狭いが、50人くらいの人が参加。ひしめきあいながらも、只管に名刺交換とトーク。時間が2時間程度とかぎられているので、1分たりとも無駄に出来ない感じ。今まで参加したことのある交流会とは雰囲気を異にしている。結局、自分は8人くらいの人と交流をもった。業種としては、コンサルタント、行政書士、FP、営業マンなどが多い。時間制限があるため、身のある話はなかなかできないのだが、久しぶりに様々の業種の人と交流を持つことで、一種の気分転換となったことは間違いない。どうしても普段どおりのルーチンワーク的な毎日を送っていると、生活に変化がなくなるし、限られた人としかコミュニケーションをとらないことになる。新しい人と出会い、コミュニケーションの場を持つことは、自分自身の内面、外面の双方にとってなんらかの変化をもたらす。それは具体的に現実的な利益や意味合いに通じているとはかぎらない。しかし、何もしない、ただ流されるだけの毎日を送ることに比べれば非常に有意義でインスパイアのある行為ではないだろうか。今後も積極的に新たな試みと出会いのフィールドを設定していこうと思う。
2006.11.13
本日、件名のセミナーに参加してまいりました。 内容は創業・起業者向けのベンチャー起業家3名を招いてのパネルディスカッション。 テーマは起業に関しての「志」について。 件の3名は、 ・株式会社ネクシィーズの代表取締役 近藤 太香巳氏 ・ジーマ株式会社の代表取締役 和田 英孝氏 ・株式会社デジサーチアンドアドバタイジング 代表取締役 黒越 誠治氏 である。 この中でもとりわけ、近藤氏からはオーラのようなものを感じた。 同氏は19歳で元手資金50万から起業を志し、現在では1部上場も果たし、資本金50億相当の企業にまで発展させている。 さて、このセミナーはパネルディスカッション形式で行われた。 コーディネータは株式会社タンクの代表、増田氏で、話題の中心は「志」についてなのだが、以外にもこの3者は創業当時は「志」と呼べるようなものは特に抱いていなかったとのこと。 むしろ実践しながら徐々に志が固まってきたような感じと口をそろえて言う。 一般的に「志」ありきで起業は始めるものだという考えは、単なる思い込みに過ぎないのかもしれない。 また、「知恵」を使い「楽」をしようと考えるとうまくいかない。 むしろベタな手法と思われる方法こそ成功の近道であるといった、世間一般を賑わす起業の常識を覆すような話題もあがった。 セミナーは90分程度で終了した。 感想としては、今現在も事業を営み、結果を出し続けている人からの話はリアリティがある。 世の中で出回っているマコトシヤカナ情報を鵜呑みにすることなく、衒いやカッコ付けでない実体を知るためにはこういったセミナーに出て話を聞いてみるのも一つの手段として有効ではないかなと感じた。
2006.11.06
秋雨前線の影響で、微妙に肌寒く長袖の上着を洋服ダンスのおくから引っ張り出そうかと思う昨今。私的には夏は唐突に終わって、秋が到来したって感じがしています。いつの間にやら、今年も4分の3が過ぎ去ってしまいました。そこで、ちょっと今年の年始に立てた、目標、自分への誓約を振り返ってみる。・・・ ・・(回想中)・・ ・・(__;)(汗)う~ん、なんか夏休みの宿題残したまま、休みの終わり近くになった小学生の時の心境に近いものがあります。日々の生活や仕事の中に埋没すると段々、初期の目標とか信念が薄らいでしまう。自分の向かうべき道を時々は再確認しないと見事に流されるということでしょうかね。まあ、しかし、すべて無駄に過ごしていたわけでもなく、様々な勉強や経験もあった。むしろ、当初、計画していたことから外れたことによって、予想外のことから学べたこともある。今の自分のレベルで考えた最良と思われる道を目標として据えてきたわけだが、それは、今の自分のレベルを決して越えてはいない。あくまで、未熟な自分の頭で考えられて設定された事柄に過ぎない。時には、自分の思惑から離れて、神の見えざる手による運命の流れるままに任せてみるのもいいんじゃないかな。。と言ってみるテスト。
2006.09.17
今年もお台場で東京湾の花火を見た。数年、連続でいろんなとこの花火を見てきたので、以前ほどの感動が感じられませんでした。。なんてことをいったら花火職人の人に怒られてしまうかもね。なにしろ特にお金をとられることもなく、只見をしているわけですから(^_^)文句を言ってはいけませんね~ただ、毎度のことながらありえんくらいの人ごみには辟易しましたが。。よくドラマ(最近じゃそんなベタなシーンはないか)などでは家の庭先で浴衣着て、スイカくいながらゆったり花火みるシーンがあるが、一度だって、そんな贅沢なシチュエーションを体験したことないぞっと。(><)近くのホテルやレストランはここぞとばかりに料金あげてるし。花火大会に風流など最早、存在しないね。ちょっと愚痴っぽくなったが、夏真っ盛り。熱中症にならないようがんばってこ。
2006.08.14
気づくと同じ事を繰り返している。そんな経験は誰もがあるんじゃないだろうか。先日、話題にしたネットオセロにおいても、似たような布石を打っていることが多々ある。日常生活においても、基本的に朝起きて仕事に出かけ、帰ってきて寝る。細かい事柄は様々違いはあるが、大体こんなもんだ。日々新しい試みを実行したいという思いがあっても、実際はこのルーチン化に抗うことは難しいようだ。その原因としては、1つには物事は1日で完成できるものばかりでなく大概は日々の繰り返しの中で少しづつ完成していくものが多いということだ。もう1つは、人間はルーチンワークに安心を覚えるという傾向がある。日々、一定の間隔で行われる行動は安定感を生みあまり悩んだり心を煩わせたりすることなく行うことができる。ここから外れる行動をとろうとするとき、初めて、頭を使い、心を砕き、人は真の動きだす。矛盾するようだが、ルーチン化が進むと「飽き」という名の苦痛が発生する。この苦痛から逃れるために人は新しいことを行おうと試みるのである。本来は「実行」→「ルーチン化」→「ルーチンからの脱却」の繰り返しが、おそらく健全な身体、精神をともに育むのではないだろうか。しかし、ルーチン化を破ろうとするとき、今まであった安心感が崩されるため、新しい試みを実行に移しずらい。ここで選択を迫られる。「安心感」か「日々新たな生き方」をとるのか。安きに流れるのであれば、「安心感」。健全さをとるのであれば、やはりとどまってはいけない。「日々新たな生き方」をとるべきではないだろうか。しかしながら、長い間の習慣の中で仕掛けられたルーチン化のプログラムの強制力は強烈である。これに抗うことは難しいかもしれないが、思う。人間は機械ではない。機械ではないことの証明として自意識を持っていることがあげられる。もし、自意識を持たずにルーチン化に流されてしまうだけの存在であるならば、それはきっと機械と変らないのではないか。人間は世間の様々なものに影響を受けそれによって日々の行動パターンが決められている。しかし、世の中の傾向や風潮に影響されるだけの存在は機械と変らない。最近、機械化している自分に気づくときがある。ルーチン化を破って、いざ新生したい。。
2006.08.12
最近の昼休みの過ごし方は職場付近の弁当屋で買った弁当を自分のデスクで食べた後、ひたすらネットオセロ。すこーしずつ勝ち星が増えてきているものの、まだまだ弱い。。いけてる攻略法を発見したかと思いきや、ワンパターンすぎるのか、少しするとまたコロコロ負かされる。読みが浅いのだ。先の先が読めない。きっと勝ち続けているつわもの達は、自分が見えていないものが見えているんだろう。これって、オセロ以外でもいえることで、仕事でも趣味でも何か大事なファクターを見落としているとなかなかうまくいかないものである。逆にちゃんと大事なものをちゃんと認識して見えている状態になると、きっとあるべき正道からぶれることがなくなるのではないだろうか。オセロを通して感じたことだが、繰り返し勝負し、負け続ける過程でそれは見えてくるものなのかもしれない。それも段々わかるというよりも、ある日突然、電光石火!直感的にわかるようになるのだ。そのためには繰り返し勝負しつづけるしかないのである。
2006.08.10
現在、利用している営業支援のサービス会社に新しい人が入社した。その顔あわせを先日行った。今後のフォローなどは、その人も積極的にかかわってくるような感じである。年齢的には初老くらい?IT業界は長いらしい。まだ、人物像をみきっていないのでなんともいえないが、ベテランには違いなさそう。自分との相性もあるので、まだなんともいえないが。。インスパイアされるものがあるとよいのだけれどね。
2006.08.09
久しぶりに江ノ島の海で泳ぎました。帰りは岩屋洞窟にもいってきました。夏はやっぱり海ですね。でも、そろそろクラゲがでてきそうなので、これが今年最後になるかしら。。
2006.08.08
今現在のプロジェクトはVB6.0+SQLSERVERのC/S方式で構築されている金融系の情報系システムのVB.netへのマイグレーション。おんなしVBだから楽勝?なんて高をくくっていたのだが、.netになってずいぶんVBも変わりましたね。てゆーか、どんな言語で作っても.net上ならあまり変化はないんだから、いっそC#にすりゃいいじゃんなんて、ぼんやり考えながら、今日もひたすらサンプルプログラム作り。今回のメンバーは皆VB6.0までの経験しかないようなので、方式をある程度、粒度を細分して提示しないとひどいことになりそうだ。VB6.0とVB.netの違いはぶっちゃけ、VB6.0までは従来のVBイベントドリブン型のゴリゴリ記述していくパターンなんだけど、VB.netは完璧、オブジェクト指向。どちらかというとJavaに近いですな。てことでC#でもいいんじゃないかなと。いやむしろ、最初からC#といってくれてたほうが頭の切り替えも早かったような。。いやいや、まあ、そんなこといってもせんないですな。ともかくサンプルをさっさと取りまとめねば。
2006.07.21
6月から参画した新プロジェクトは裁量勤務である。つまり、基本的に自分自身の裁量で、出勤し仕事をこなす。事務所は私服OKなので、じめじめと暑いこの頃では大変、すごし安い環境での作業となる。少し前にフレックスタイムという制度がはやったことがあるが、最近ではあまりいわれなくなった。そのかわりなのだろうか。自由裁量勤務という言葉を耳にするようになった。しかし、実体験としてははじめてのことである。自由であるかわりに自己管理が強く求められるが、求めていた勤務スタイルに近づいた気がする。この制度が一般的に根付くかどうかはわからない。制度よりもむしろ、自ら考え行動し、責任をとるということが、少しづつ根付いてゆく兆候といえるのかもしれない。
2006.07.06
最近いわゆる経済雑誌を読んだりしていて気づいたことがある。それは、フリーランスの世間的位置づけの変化である。フリーランスとは、自由契約により業務の請負を行う事業主を指す。この定義自体はなんら変わるところではないのであるが、世間ではさらに大きな枠組みでくくられていることを知っているだろうか。その枠組みとは、「ニート」である。そもそも「ニート」とは「就業する意識がなく、就業するための技術を身につけるため学校へ通うことも特にしない人」といった意味合いをもつ言葉だったように記憶している。しかし、最近では非正社員=ニートという図式にいつのまにか摩り替わってきている。「ニート」を差別的に考えているわけではないつもりであるが、もともとの定義がネガティブな意味合いが強いので、このカテゴリにフリーランスが入ってしまっていることに少しショックを受けた。私はフリーランスの技術者として志を持っていきてゆきたいから、自分なりの様々な研究・検証を行い、フリーランスとしてよりすばらしい生き方、仕事のやり方を追求してきたつもりである。今まで出会ったフリーの人たちも決して「ニート」という意味あいが持つちゃらんぽらんな人間ではなかった。むしろ志を持った人が多かった。事業主としての厳しさを知っているからこそ、未来のビジョンを明確にする必要があり、自然と志を持つようになるのかもしれない。しかし、残念なことに世間的にはこの「ニート」というカテゴリ化は進んでいると見える。時々、以前の会社の仲間と飲みにいったりすると「就職しないの?」「大丈夫?」みたいなリアクションが返ってくることが多い。私自身のビジョンが明確に打ち出せてない部分もあるから、不徳の致すところではあるのであるが、少々、心外ではある。なぜこのような流れになってきてしまったのだろうか?今、ここで言いたい。「立ち上がれ!フリーランス!!」世間的な風潮に負けることなく、志を立て続けることに意味があることを信じて。
2006.06.11
ちょっと止まってたperlの勉強を再開しました。基本的なとこからすっかり忘れてしまっていて(汗)、難儀しています。perlが使用できる無料のレンタルサーバを利用してのテストコードを書いては実行し。。無償で提供されているCGIなんかも参考にしたりしてます。やはり、フリー提供できるくらいのスキルがある人のプログラムはよくできてますね。技術系の勉強はどうしてもパソコンに向かいながらで、一発集中で行なわなければならない部分もあり、まとまった時間がとられてしまうのが難点ですね。細切れ時間を活用した勉強がやりづらいので、気がつくとものすごい時間が経過してしまっていて、ほかに何もやれずに一日が終わってしまうこともある。そんな感じです。
2006.05.18
先日、海猿-Limite OF Loveを観てまいりました。あまり期待はしていたかったのですが、結構よかったです。漫画原作の映画化で、「ブラックジャックによろしく!」などが他作品としてあります。(漫画)この物語のキーワードは「仲間」「信念」「貫く心」そんでちょっとだけ「愛」といった感じです。とくに「仲間」というものに対する信頼。決して仲間を見捨てない。どんな状況でもあきらめない。そういった熱い思いが伝わってくる物語です。劇場では、感涙に咽ぶ人も多かったように見えました。現在の社会では、人に対する信頼、それにこたえようとする義の心が希薄であるから余計に胸を打つものがあったのかもしれません。自分のことしか考えられない、人と人とが信頼し会えない社会、薄ら寒いものを感じます。ちょっと考えてしまいました。
2006.05.15
今にはじまったことではないが、私は極度の肩こりだ。肩というより全身が硬い。もともと子供の頃から喘息持ちで、咳をするたび全身に力を入れていたからなのかなとも思う。運動をしたり、マッサージにかかったりすると一時的にはよくなるのだが、すぐにもとに戻る。そもそも肩こりってなんだろう。筋肉が硬直している状態?そもそもなんで硬直するんでしょうねぇ。筋肉を動かすのは神経からの伝達があった場合なのだから、筋肉を硬直させるような伝達がされているってことなのだろうか。ていうことは脳からの指令で筋肉が硬直してるってこと?う~ん、てことは自分で自分を肩こりにしていることになるわけだが、全く自覚はあーりません。でも、自分の意思関係ない死後硬直っていう現象もあるよね・・・ってちょっと不吉な連想に入ってしまった。。やめよう。ともかくだ。肩こってきたし、目も疲れたからもうねるべ。
2006.05.12
当該ブログ「立ち上がれ!SE・プログラマー」を立ち上げてから1年が経過しました。当時はなーんも考えんとはじめたブログですが、未だに、継続していることは想定外のことです。最近、ぶっそうな事件が起こるたび、被害者だの、加害者だののブログがテレビで公開されたりしていますね。もうすっかりブログは世の中に浸透しているんですねぇ。。もし、自分がなんらかの理由で事件にまきこまれたりなんかしたら、このブログの内容も公表されてしまうのかしら。。?う~ん、(恥)そう思うとあんまバカなことも書けませんねぇ。話は少し変わるが、ちまたでは「ブログは協力なツールなんです!!」と本とかで力強く訴える人がいるけど、未だに理解できません。確かにいろんな応用の可能性は感じるのですが、上のようなことを強くうたった本をみてみても、普通~~~のブログの使い方くらいしか解説してないし、アフィリエイトとかで稼いでいる人もいるらしいのだが、私の近辺には皆無です。結局、ツールではなく、その人のアイデアとかセンス次第ってことでしょう。GW中に本屋などで本を物色していたのですが、上のようなパターンの本がブログ以外でも多い気がしました。なんか誇大に人の欲望とか好奇心とかを刺激するようなタイトルをつけている本が棚にならんでいるのをみていたら、少しむなしくなりました。なんかのマーケティングの本で、「人はニーズではなく欲しいという衝動で購買を決定する」みたいなことが書いてありました。なるほど。。と思いましたが、てことは、欲しいという衝動さえ起こさせてしまえば、人はものを買うということになる。だから、宣伝は誇張気味に人が欲しているような内容を前面に押し出すようになるわけだね。中身の質はどこいった?本当の良質なものは、もはや虚飾だらけの世の中にまみれてわからなくなってないか?キルケゴール?だったかな。「私が求めているのは世間一般でいわれているような万人共通の真理ではなく、自分自身にあてはまる唯一の真理である」みたいな言葉を聞いたことがある。なんか、最近の心境にぴったりの言葉です。とりとめもなく、長い独り言を書いちゃいました。。このブログいつまで続くのか?それは誰も知らない。
2006.05.09
プロジェクトも無事終わり、ほっと一息。季節はGWですね。観光地なんかは軒並み人でごったがえしていることでしょう。。休日の予定は、特に立ててなかったので、今から考えているわけだが、遊びに出かけるというよりは、自分自身の向かうべき方向性とか考えを整理する期間に当てようかななんて思ってます。なかなかもとまった時間って普段はとれないですし。惰性に流されやすいので、時々、立ち止まって考えてみるのもいいんじゃないかと思うこのごろです。
2006.04.30
サメは泳ぐのを止めると死ぬという。魚博士ではないので、どこまでホントのことなのか真偽は定かではないが、じっとしていられない人間を指して「サメのような人」と表現することがある。自分も実は「サメ人間」のくちである。落ち着きがない。よく人から指摘されるし、自覚もしている。なぜそうなのかと振り返って考えてみると、何か根源的な未来への不安をいだいてしまうのだ。人間は、否、生物すべては時間の経過とともに退廃していく存在である。何をしてもしなくても、確実に滅びに向かっていく。時間がたてばたつほど、身体的には機能が低下してくるので、活動の範囲も限られてしまう。これに関しては肉体的トレニーングや知性などを磨くことで、抵抗するほかないだろう。制約のある範囲で、自分の人生で何を残してゆくことができるのか?これを考えるとぷらぷら無駄に時間を過ごす気になれない。といって、では本当に毎日、精一杯、充実した生き方ができているのかと問われれば、100%の自信をもって「YES」と答えられないふがいなさが、自分を責める。充実した人生を生きるにはどうしたらよい?己に問い掛けるとき、一つのキーワードが心に浮かんだ。それは「今を生きる」ということである。日々、あくせく生きていると常に未来のことが気になり、何かを行った「結果」だけを見てしまいがちになる。しかし、人が認識し、確実に改善していける事柄の範囲というのは、過去でも未来でもなく現在だけなのである。過去を後悔すること。未来を憂うこと。どちらにしても何かを行った「結果」に執着しているから「今を生きる」ことができない。未来でも過去でもない今現在を楽しむ。不安とは心が、過去に置き去りにされているか、未来に羽ばたいていってしまっていて、一番大切であるはずの今なすべきこと、今の生きている現状を直視できない状態であると生まれるのではないだろうか。「今を生きる」充実した人生のための座右の銘の一つとしたい。
2006.04.25
保守は順調に進んでいる。オンスケなので、ほぼ定時あがりである。なんとか今のところは安定している。ありがたいことである。今後のこともじっくり考える時間をつくることができる。稼動がオーバーヒートしていたらこうはいかない。最近思うのは、ものを知らない、勉強不足であること。何かアイデアを考えてもそれに先立つものがない。こころは常に前向きであるのだが、現実的な実績が伴わない。あせってもしょうがないが、若干の苛立ちも覚えることもある。自分の今後の行くべき進路の方向性をもう少し具体的にしてゆきたい。今は、そんな感じである。
2006.04.07
納品も無事?終わり保守へと突入。各メンバーは新たなるプロジェクトへ旅立っていきましたが、殿(しんがり)として残ることになりました。残課題を的確につぶす作業が4末まで続きます。たんたんとこなしてはいますが、残すところあと1ヶ月たらず。最後の結びをしっかりとやってプロジェクトを後にできれば言うことなしです。
2006.04.03
先日、営業担当さんとお話をしました。何をって?もちろん次回のプロジェクトに関ししてなんですが、まあ、現プロジェクトももう終わりに近いのでボチボチつぎをあたってゆこうというわけです。つぎの開始時期は6月くらいからの目標ですが、まだ、ふた開けないとわかりません。とにかく、今のシステムが安定して無事に完了できることが先決ですから。。一応、検収は終わったものの次はユーザー「研修」が待ってます。こちらのほうがシステムをより厳しく評価されるので、関門としては難問ですな。じたばたしても始まらないのですが、最終ゴールを目の前にちょっとした緊張感が自分の身体をしばりつけているような感じがします。システム開発に携わって8年以上もたった今でもこんな調子なので、我ながらだらしないことではあると思う。。もっと胸をはって、堂々と納品できたらよかったんんだけどね。さーて、自分の中のもやもやを払拭してテンションをあげながら突っ走りましょうか。最終回は近い。
2006.03.26
バグ改修に当てられる時間が伸びた。といっても、芋づる式に発覚する関連バグに恐れおののく一日でした。今月中に収束させないとホントに4月がやばいっす。5月以降の仕事もとってこなきゃならんし、プロジェクト内外でいろいろ課題は山積みです。頭の回転が鈍ってきているようで、ミスが目立つ感じがする。しかも、周りの人のスキルについていけてない感もあり、ちょっとあせってます(汗)なるようにしかならんので、悩むことはしないですが、むなしさとの戦いが日々多くなってきているような気がします。とにかく、完了までしのぐしかないでしょう。。
2006.03.24
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