
命をつなぐバッテリー2日目。
夜遅くに、うちに来ているボランティアさんがおにぎりを作って持ってきてくれた。
ありがたーい!!
朝を迎えた。いつものごとく私はぐっすりお休み。
しっかり朝ごはん。
電気も水もガスも回復せず。
ヘルパーさんが新聞持ってきてくれる。燃えた家が流されている。
いつも使っている空港も中二階まで浸水。到底信じられない写真。ママもびっくり。
そこから2駅の友達は大丈夫だろうか、ママの実家は、気仙沼のおじさんおばさんは、
多賀城のママのおじさんおばさんは、そして姉は大丈夫なんだろうか。
ママは寒くて、貼るホッカイロをタオルに貼って湯たんぽも入れて温めた。
電気毛布も使えない。とっても不便。
前に支援してくれていたF兄貴がやってきて、
「もしかしてアンビューならやろうと思って」
ありがたーい。でもまだ大丈夫。
海の石油コンビナートが燃えているらしい。
写真を見せてもらった。
今度は吸引器の外部バッテリーが駄目になってきた。
シリンジ(注射器)で吸い上げても全然だめ。
こうなったらと少ない水で洗って、
シャンプーのポンプでやってみたら体力要るけど結構取れそう。
でも2人でやらんとあかん。だめじゃん。
ヘルパーさんたちが荷物おきの部屋を片付けてくれて
私がカナダへ行く前に勤めていた会社で販売していた
2Lのペットボトルの水、6本入り一箱を救出。
賞味期限は2006年。勇気を出してみんなで飲んだら飲めたので使う。
アパートに帰ろうと思ったら給水所やガソリンスタンドが近くて
薬局も近くて大変な大渋滞。どこも行列。
迂回したら、道路がめきょってなってて、
「通っていいですか?」と聞くと「通れるなら」と言われる。
多分これが原因でタイヤの空気が抜ける。
アパートはめちゃくちゃ。

泥棒でも入ったようだ。
食器が割れてて土足でないと入れない。

熱帯魚は硝子の蓋が沈んで全滅。水は10cm程度になっていた。
電気もガスも水も出ない。ここもか。
奇跡的にシャンパングラスが無事!他はもう散々。

オルたんからもらった硝子の素敵なポットもやられた。悔しい。
ごめんね。守れなかったわ・・・。
隣の隣の男性に声をかける。
「3分の1くらいかたづきましたよー」だってうらやましい。
一人で大変そうなので、韓国のポッキーとたまたまあったペットボトルのお茶をあげる。
迂回して迂回して、実家に戻って屋根を確認。

2Fの私の部屋がこんなことに・・・
ベランダへ出て屋根を見ると瓦がガタガタでモルタルが落ちてきてる。
姉の部屋の室外機が30センチくらい飛び出てる。
近所の屋根も瓦がめちゃくちゃなとこもある。
外壁もヒビ。少しだけど割れ落ちたところもある。家と道路の間の土がもりっと出てる。
雨漏りするレベルではないと思うけど・・・大丈夫かなあ。
3時から小学校のタンクの水を1人2Lまで配りますと
メガホンで町内会の人が言ってまわっていたのを聞いて
ペットボトルで取りに行く。
校庭をぐるりと囲む大行列。校庭には亀裂が走っていた。
雲ひとつない青空なのに、遠くにコンビナートの煙が入道雲のように立ち昇っている。
後ろのおじさんは、地震発生時、職場の外来に通っていたので
奇遇だねーなんて話。
前のおばさんは孫が卒業旅行に行って電車の中で閉じ込められちゃったらしい。
みんな声をかけ、みんな笑った。みんな無事でよかったね。
トイレ用にプールの水を汲む人もいた。
体育館が避難所になっていて「カンパン・飲料水ありません」の張り紙。
子供たちは駆け回っていた。
1時間並んで2L。手にはしるしをつけられたけど、
もう1時間並んで2Lゲットしようとは思わないよ・・・なんてみんなで大笑い。
夜も学生が来てくれて、近所の幼馴染ヘルパーちゃんからカレーをもらって食べた。
歯列矯正はじめて以来のカレー解禁。(笑
夜またボランティアさんがおにぎりとか持ってきてくれた。
やだなー震災太りしたら(笑
携帯は今日も圏外。JJは大丈夫かな・・と思いつつ、
アロマキャンドルで過ごす。勿論よく眠りました。
バッテリー24時間経過。
このまま続けられるかの不安がこんこんとつもってきてるのを感じつつ、
何もないように、このまま過ぎて行くように祈った。