読書日記@はっさん
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「皇太子婚約解消事件」は昭和天皇の「宮中某重大事件」ではなく、大正天皇が皇太子時代にあった婚約解消事件の詳細だった。まだ明治天皇がまだ元気な時で病気がちな皇太子(後の大正天皇ね)の妃の為に元気な妃候補を探しており、候補として各宮家の皇女、徳川慶喜の娘、毛利・薩摩のお殿様の姫君たちが上がったがいろいろ事情(健康不安や実家の状況など)で落ちていき数人に絞られたが、「この女性に決定!」という決め手がなく一応の候補者として伏見宮家の皇女が妃候補になるが、なんと別の宮家からクレームが入りおじゃんになり、貴族の中から九条節子(後の貞明皇后)に決定されたそうな。伏見宮家では妃候補になり喜び勇んでいたのに、明治天皇が急に「婚約解消」を申し出たためかなりガックリしたそうな。大正天皇の妻となった貞明皇后は4人の男子皇族を生み、婚約を解消した伏見宮禎子(さちこ)さんは山内豊景氏の妻になったが子供をもうけることができなかったそうな。どちらが幸せだったかはわからないが宮内省の決定はある意味正しかったのだろうか。とても興味深い内容だった。
July 15, 2010
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