ネコ・サソリの独り言サイト

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「自分らしさ」



私にとっては、自分らしいというのは「母と同じ」事と異なる事が幼いうちから分ってたけれど成人してからしか本当にその「自分らしさ」を好きになれなかった。一人っ子で父母は自然と私が彼らの生活の中心になって育った。(注:あまやかさないように父母が注意を払ってたのでよく子ども時代の事を西洋人の友達に話すと「まるで虐待じゃないか!」と怒ることが多い)

で、常に母に観察され、真綿で首を絞められるような生活が当たり前だった。クラスメイトの状況はあまりにも違うのが多く、よほど私はユニークなんだなあと思ってたっけ。

父母とまったく相性の悪い私は、それでも彼らの価値観とか行儀よさとか役立つものは利用しようとしてる。子どもだった頃は、父の好きな事はなんでも嫌うべきだと思ってた。母と意見の違いとかあったら、悲しかったりつらかったりした。完全に飼いならされたペットの状態だったな。

で、両親に対する敵対心が出来るのは当然だと思うところ、「孝行」な娘になることと、色々と本当に頑張って私に良い人生を送って欲しいという気持ちへ対するありがたみ、そしていくら愛情表現が悪くても、私は二人の子宝だったしこれからもずっとそうなんだろうなあという真実にも向かい合ってみると、そら感情が複雑になる。父母なりに私を大切に育ててくれた。

バイリンガルになれたのも父母のおかげ。っていっても二人はただ家庭で英語は使いたくなかった事もあったと思うけど(笑)結果的にはそうなった。小さめの家に住む事によって、素晴らしい学校へも通えた。一人しか生まなかったから(特に男兄弟がいたら人生まるで違ってた)音楽も学べたし、色々と出来た。でも、自分のアイデンティティは父母と暮らしてるうちはすっかり押さえつけられてたようだ。でも私は我がとても強い。性格も、本当は昔から変わらない。

性格は一言では表せないなあ。客観的で感情を無視する性質で、よく非感情的と思われるが本当は人一倍感情が強いので、ロジック(論理ですよね)でコントロールしてる。顔は感情がバレるのが嫌で、ポーカーフェイスが多い(が、それを読める人がたまにいたりするのだ、面白い事に)。頑固だとも自分でさえ思ってたけど、意外とそんなことはない。心も視野も広くなるためにずっと努力してきたし、偏見や差別は大嫌いな観念主義者でもある。の割には写実的でもあるから不思議。子どもの頃からシニカルだったし。で、几帳面とは程遠いけど、いいかげんな考え方や人は大嫌い。頑張りやだけど集中してるかしてないかによってまるでパフォーマンス・レベルは(音楽・勉強・仕事どれも)激しく上下する。すっごく現実的だとも友人によく言われる。世才がある、とも。後者は父母も同じ。

それでも私は母のクローンになれなかった。第一性格がそっくりだったとしても、戦争時代に日本で育った母と、70年代の平和なカナダで育った私はどうやって同じ人間になれただろう。育ての親だって、母と祖母はまるで別人だったし、父だって、祖父は母の生まれた年に亡くなってたけど私のは健在だ。それらの違いを見りゃどう考えても無理な願望だってのに今だ母はよく解らないらしいが、私にはそのことも何も出来ない。本当は根気よく自分の説明をしてみるべきなんだけど、母の性格をかなり理解できるようになった私は、自分でなく思い込みが本当に激しいのは母のほうだと解った。いや、子ども時代から気づいてたけど。

本来私は人って十人十色なので面白いし、うれしい。問題なのは、私のマネージャみたいに自分と異なる価値観やリアクションがあるとまるで理解できなく、それが相手のダメージになることとか、コミュニケーションが不十分な場合すぐ誤解や感情のすれ違いが起こる事だと思う。

自分らしい生き方を皆にして欲しい。私はそれをしざろをえなかった事は置いておくとして、どの文化だって自分で作ってしまう「型」にはまらず新しい環境、問題にチャレンジしてみては、自分とはどういう人間で、どういう面を変えてみたいか考えながら毎日悔いなく、他人に迷惑をかけず人生を送るのが望ましいと思う。


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