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まずは、ずいぶんご無沙汰してしまい、今まで読んでくださっていた方に申し訳ありません。三月の東北大震災、そしてその後の津波や福島第一・第三での事、とても気にかかっています。私的には、この度親戚が本州にいるとはいえ仙台から程遠く暮らしているおかげで大事は免れたのですが、日系人として、そして特に二世なせいか、日本はやはり精神的には「母国」らしき存在であり、心の奥で日本の良い部分が誇りや支えにして暮らしてきたのが、はっきりわかりました。経済的にただでさえ大変だったところ、このような災難が起きてしまい、「頑張れ!」という応援のエールを送るにも、これ以上どうやって皆さんは頑張るのだろうか?という疑問にかられています。さて、アイルランドにいた期間にこのブログをまめにフォローしてくださった皆様、そして英語の練習をしたい方、ぜひ今後もよろしくお願いしたいと思ってます。キャリアに関連するトピックを主に、今週から英語でのブログを立ち上げました。たま~につたない日本語でそちらでもポストを書き込もうと努力をしますので、日本語でトピックを提出していただいたり、コメントも再びいただければ大変ありがたいです。そして、たびたびもっとウィーンでの生活についてなど、時々こっちでも書いていく努力もします。
2011年05月25日
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またまたご無沙汰してしまったネコである。これを読んでる皆様、いかがお過ごしでしょうか。キリスト教に基づいた祝日が多い今月と来月は、去年と比べれば寒い日や雨が降る事が今回多かった気がする。気圧の変化があるたび頭痛がするのでまいった。仕事は部署変わりがまたあり、今年こそ納得の行く結果をせいを出し得ようと思ってるが、まだまだ新人気分でがんばる必要がありそうだ。一月に某ブランドショップに修理を頼んでいたランヤードがなんとやっと昨日帰還した。それと、二月にリクエストしていたショルダーバッグが、実は今だ届いていないため結局は違うバッグをボーナスで購入していたのだが、どうもその時もお店の店長さん(?かどうかたしかではないが、一応新商品をオーダーする方だからお偉いさんだろうけど)の態度がいまいちで(ていうか、お客であるDが「ボイスメールもらった」という言葉を信じなくて嘘をついてるだろうとかとんでもないいいがかりしてたりしたし)不服だった事をメールでカスタマーサービスにたんたんと述べていたのだ。そうしたらよっぽどヤバいと気がついたせいか、特別プレゼントという形でまず香水やらスキンケア商品やらDに受け取ってもらおうとし始め、それらはネコはまずパスした。だって、香水はまずつけないし肌にスキンケアがあわなかったらどうしてくれよう、と思ったもの。欲を張っていた事も一理あるが(笑)。で、次はその店長さんがDに得点品を一つ持ち帰らせた(あえて何だったかはブランド名がバレバレになるので書かないが)。でもそれもネコは本当に使用しないので、つっかえした。なので、最終的にはアクセサリーの二つから選べる機会をDが与えられたので、それを今日持って来てくれた。しらてら価格は多分数百ユーロ!最初は良くて60ユーロくらいの小品だったのにまあなんとエスカレートしたものだ。でもこれなら気に入って使えるし、たしかに満足だ。
2010年05月29日
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久しぶりに重なった気がする。Dとも出会った年から一回りだし、私も彼も生まれは寅年だから、良い一年にしたいと思う。思えば2010年ははっきりいって大変だったり、悲劇的な事件がたくさんあったりですでに波瀾万丈(ってやっぱり死語?)な感じだ。世界的にも個人的にも生死に関わる事ばかりで、一方ネコの生活の平穏さのありがたみが増したが、大切に思ってる人たちが苦労するのを見守る事さえ遠くからしかできず、それがつらい。まだ風邪気味なので週末は家でおとなしくしていた。今テレビでメヌインの1961年からのブルックの第一バイオリン協奏曲の演奏を一番好きなチャンネル「アルテ」で放送してるが、それ以前はシンプソンズのDVDを観たりしていた。やっぱりメヌインの音は銀色の金属の糸を想像させられるなあ。今週は木曜にパテントをとった時の体験談をする事を頼まれたので、それと後輩が作ったドキュメンテーションを徹底的に編集するのが目的になってるが、今後の仕事柄がどうやって変わって行くのかが気になったままでもある。でも、冬もウィーンは美しい。そしてまた春が訪れる事も楽しみだ。
2010年02月14日
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今日は日曜日なので、典型的ヨーロッパの国オーストリアではお店はほとんど閉まってる。だが、昨日は寒い中ネコとD二人で遠くまで歩いていったのは、ショッピングがたくさんあるデパート、ゲルングロス。それは、やはりお金を使うのは苦手だがバーゲンに目がないネコにとっての醍醐味、セールがあるからだ。ヨーロッパは北米と異なり大きなセールが行われるのは年に二度、新年と、真夏だけ。そして年末から気になってたデパートは、今年新装するために普段はまったく割引しない品物もクリーランス価格になる事が判明していたのだった。超ブランド名のサングラスが半額だったり、良質のコートが7割引とか嬉しいことばかり。なので昨日はまた寄ってみたところ、今度はコスメ商品が一割引だった。まあたいしたバーゲンではないが、シセイ○ウとか絶対安くならないスキンケアなどのフォームとかがまとめて買えてネコは大喜び。だって贅沢品な価格なのに普段ありがたく使うものだもの。あと、エスニックなアクセサリーの売り場で見つけた半額のネックレス二つ購入した。そして、別のお店にも行って、風呂場のタイルに穴をあけずに棚を吸盤で着けられるシステムも選び、より便利なバスルームにするための役立つものも買った。おまけに帰りにはナッシュマルクトの道をたどって歩いていたら、新しい中華料理屋を発見した。そこでは今までウィーンではみた事がなかった魚香茄子がメニューに載っているではないか?食い道楽をして生きて行きたいネコにとっては大好物なので、いつかそれを試すのも楽しみなのだ。バレンタインあたりには行こうかな。
2010年01月17日
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ネコは生来クラシックが好きなのだが、ウィーンはまさにクラシック音楽のメッカとも言える。しょっちゅう楽器を持った人を町中で見かけるし、道ばたで演奏してる人もランクが高めなのが多い。オーケストラも有名なフィル意外にもたくさん団体があるし、シンフォニーも数年前にベートーベンの第九の演奏から考えると、安心して聴けるのでうれしい。それに引き換えアイルランドのオーケストラはまったくひどかった。やはりbrain drain現象で、才能のある人はみんなイギリスなりアメリカなりもっと機会がある実力派の集うところへ出て行ったとしか思えない。嫌な思い出はさておき、今夜は11月以来のコンサート。いつも新年のコンサートが行われるウィーン楽友協会で、本来は10月に聴けたはずのパフォーマンスがあるのだ。指揮者のニコラウス・アーノンクール氏の体調が悪かったから延期されたのだったが、氏は80歳なので、実際11月にピンピンしてらっしゃるご様子がかえって驚くべきなのだろうか。もっとも音楽家は生涯生き甲斐があるし音楽を奏でる事によってボケにくいような気がする。今夜のプログラムは好きなヘンデルやパーセルのカンタータとオペラ、つまりバロックの音楽だ。実はヘンデルはバッハと異なりヴィオラのためにはあまり面白いパートを作曲していなかった感じがしたが(ネコは10年ほどヴィオラを弾こうとしていた、学生時代の頃に)ボーカルは常に美しいメロディ、そしてかなり難しいレベルが多いと思う。パーセルはちょっと笑わせるリブレットを使用してた記憶があるが、まあ結構歌詞を気にしなければ好きだ。残念ながら着物どころかドレスも着用したいところだが、冬らしい寒さなので黒いズボンにブラウス、そして暖かい長いコート姿になりそうだ。けれど家からホールへ歩いて行けるという贅沢、一生ありがたい事になりそうだ。ああ、楽しみ。
2010年01月09日
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昨夜から明朝にかけて雪が数センチ積もった。ダンナは雪と縁のない生活をずっとおくっていたせいか、めずらしがって写真をたくさん私が起きる前に撮ってきた。今日は祝日なのでどこもお店が開いてなく、年末のセールで購入したキューブリックの映画のコレクションの中から、監督自身のドキュメンタリーを観る事にした。ネコは映画が好きだけど素人目だ。それでも、キューブリックの映画はいつも良質なものだと感じていた。監督の貴重さ、照明とカメラワークの使い方などほかの映画監督のテクニックに比べて凄いと思える。写真家だったとか、チェスで食べて行けたとか、色々うなずけると思える情報がドキュメンタリーにあって面白かった。会社へ復帰するのは来週にしたが、風邪気味なのにこの雪の中には外出する気になれないから。まあゆっくりと新年を迎えられる幸せをもうしばらく噛み締めていようと思う。
2010年01月06日
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ウィーンでの年末はなんと今回で三度目だった。普段より長い休暇をとり、さあ職場に復帰しようかな、と考えてるネコ(なんとなくのんびりしてるのは、しばらくストレスとかすっかり忘れていたからか?)ここでのクリスマスは政府が伝統的にお金をたくさんかけて、暗い日々を明るくするような行事が多い。そして、大晦日からは舞踏会のシーズンになるから、華やかなイベントばかり。ダブリンのような貧しい素朴な街に比べてまるで別世界である。人口は同じくらいなのに、歴史の差はまったくあなどれない。皆様も良いお正月を迎えたかと思いますが、日本でもアイルランドでもカナダでも色々政治関係に基づいた不安がありますね。だんだんアメリカでの物価がのぼってるので傾向が良いとかもニュースできいてるけど、まだまだ問題が続くと私は予想してる。でも、セールスも今月いっぱいある中買い物をしてる人数には関心してる。古いけどマリアヒルファー通りの人ごみはまさに「黒山の人だかり」だ。アイルランドで暮らしていた時はひんぱんに海外旅行をしていたが(やはり島国なのでロンドンへ行くのも海を超えていた)、こちらへこして以来まるで飛行機に乗る気持ちが失せた。といってもまだテロ事件も多いし、里帰りを考えるにも冬真っ最中にカナダへ10時間も飛行機に乗って行く気持ちにも以前からなかった。いつ帰省することになるかな。ともかく、以前よりひんぱんにアップしようと思うので、ご無沙汰してましたが今後は再びよろしくお願いします。
2010年01月05日
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今年は50年ぶりにひどい雨らしいが、今日もお天気がよい朝だったので散歩へ行った。最近はブログよりツィッターやフェイスブックでのマイクロブログを試しているのでこちらはすっかりご無沙汰してることに気づき、反省してるネコである。そういえば8ヶ月の遅れを持っての、ハリポ6番の映画がリリースされたが、オーストリアではまた数日間待つことになる。といっても、映画館へ行くのも贅沢な気がする上、英語版だとアクセントも楽しめるので多分DVDを借りられるまで観ないことになると思う。
2009年07月12日
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今日は朝はゆっくりしたくてもホテルでの一騒動があったのでその結末を受付口で8時におりていけるように起床したのは早かった。そうしたら昨晩見かけた芸術家の日本人の女性が見えていて、その方の状況の説明を聞いて、少し助けることができた。お天気はまあまあで、午前中はまた友達と町中を歩き、別れを告げたのは午後三時、そして飛行場へ汽車で向かった。離陸が25分遅れで、着陸もなんと遅れたので一時間近くおくれをとってウィーンへ着いた。そして、あわてて汽車(Sバーン)へ飛び乗ったらなんと反対方向だった。めずらしくドジったなあとのんびり思ったけど、何より疲れがたまっていてそれが苦痛だった。結局帰宅したのは20時くらい。やはり翌日も休暇をとっていたのは正解だった。
2009年06月29日
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二年近くオーストリアに暮らしているけどスイスは今度初体験となった。口実は、大学時代の友人Cが奥さんとお子さんをつれて、仕事と休暇をかねてチューリッヒとストラスブールへアメリカから訪れる機会があったからだった。ウィーンからはフライト一時間弱でチューリッヒへ直行便なのだが、いくつもあるので朝一のを選択した。なので起床は4時前になってしまったので、眠かった。機内食とは言えないが、大きめな干しぶどう入りのパンと、驚くほどおいしいチョコの欠片をいただいた。予報通り、チューリッヒは曇っていた。駅からホテルは近くにあったがチェックインがまだできずしばらく中世風な町中を歩いてまわってから、途中で見かけたスーパーへよってみた。レモン味のアイスティーを購入して、さあ飲もうといったところCから電話がきた。仕事は一段落ついて、会えるとのことだったので早速ホテルへ向かった。Cは父親になったり教授になったりしたけど、十分面影が残っていた。一番かわったなと思えたのは、彼が菜食主義だったのが今や肉魚類なんでも食べるようになったこと。でもそのおかげで美味しい晩ご飯をいただけた(レストランの公式リンクはこちら)。夜はホテルの部屋でアイスクリームとワインをいただいて、話を色々して寝付いたのは午前様だった。
2009年06月26日
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長年ダブリンについての苦情をいっぱい込めてきたブログですが、こちらへ引っ越して以来すっかりご無沙汰してるブログになりました。で、この私事ばかりのつたない内容が多いのにご親切に読んでくださってる皆様、今度は(といっても、ガイドブックなどではない、やはり私個人の意見が主になりますが)ウィーンでの生活についてご質問がありましたら、ぜひ書き込んでいってください。まずは、スーパーでの食品についての独り言を、と考えてますので万一何も質問がなくてもとりあえず少しは復帰しようと努力をおしまずがんばります。ですのでどうか再びよろしくお願いします。
2009年04月11日
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そう、前世紀の終わりに、大学の後はじめて図書館や学校と無関係の職についたのが、ちょうど12年前の今日だった。数年後は再び留学先だったボストンへ戻ることも知らない頃で、まだ比べたらやせていた時代だったなあ。さて、ウィーンでの生活は今年で二年目。春が訪れるのは去年よりやや遅めだが、今桜は満開、水仙は咲き乱れ、チューリップも蕾みが増えつつある日々を送っている。残念ながら風邪をひいてしまい、昨日散歩にいったらどっと疲れてしまい、ダンナも体調不良なのだが、気長にイースターの休暇を無理せずに楽しむ予定である。
2009年04月10日
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みなさん、だいぶまたご無沙汰してしまいました。あけましておめでとうございます。実は年末はしばらく休暇をとっていたので、色々と楽しいことをしたり、このブログにもフリーページを足す予定とかあったんですが、ちょうど風邪でダウンしてしまい、旦那と二人そろって床についたまま新年を迎えていた、無惨な状態だったのだ。今は回復しつつありますが、まだ咳は出るし、外へ行く体力も希望もないまま今日までなんとなく過ごしてきました。しかし先月中旬以来仕事をしてなかったのに、まるで休日などなかったように、早速忙しくなった。がんばらねば。
2009年01月11日
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今日は数週間ぶりにオフィスまで足をのばした。というのは、いつものチームの会議があるのと、私が議長をつとめる約束だったから。相変わらず寒く、今朝なんてマイナス9℃だったとか。会社帰りには、ずっと待ちかねていたセールを見に、Dと二人で町中の一等高価なお店ばかりの道へ向かった。Kohlmarktといって、プ○ダとヘ○メス意外には、ヴ○トンやフェラ○モ、ティファ○ーなどブランドのお店がずらり。その中でもかなり好きなのは、シャネ○なのだが、年に二回どうやらセールが行われることは、ダブリンにいた頃から知っていた。3割や5割引になった靴、ブーツ、帽子やバッグが結構あって、見るだけでもうれしかった。その中でも、メッセンジャーバッグが一つだけあって、どうやら2006年度のランウェーからのものだった。ツィードで、カメリアの花もついてる、大きめなバッグで最初は戸惑ったが見れば見るほど好感を抱くようになったので、結局衝動買いしてしまった。何せ半額といっても安いのとは違うので、当分節約せねばと実感してるネコである。*笑*
2009年01月09日
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昨日の大統領選挙が無事に終了し、今朝は心が軽い気分で出社。例のとおりに、Stadtparkを横切り、とにかく秋晴れの美しさを身にしみながらのルートをDと二人で歩いていった。ちょうど会社の前へたどり着いたところ、多分60歳代のおば様が、かわいい茶色のプードル系の犬を連れて散歩しているのを目撃した。いつも動物には見境なく甘いネコ(苦手なのはナメクジ・ゴキブリ・蛾くらいで、あと皆好き)。顰蹙を買うほど他人のペットと遊ぶのが正常で、しょっちゅう北米やアイルランドではそれらのペットのオーナーにいやな顔を見せられたことが数え切れないくらい。しかし、めげずに(笑)なでたり話しかけたりする性格は一生治らない(すでに病?)だろうなと実感してるので、今度もその茶色い犬さんをたくさんなでた。Dはそんなネコにすっかり慣れていて、ネコを笑ってるのか、ほのぼのした光景がうれしいんだかわからないがそばで微笑んでいた。こちらの子供も大人も礼儀正しい人が多く、今回もただ微笑んでとおっていくかな、と思ったが、急にそのおば様、こんなことをおっしゃった(ドイツ語で、だったのでなんとなく翻訳します)。まず、私へ向かって「どうもありがとう!」そして、私とDへ、「大きな愛を持つことこそ、もっとも大切なものです。私が、絶対に保証します。人へささげる愛、そして受け止める愛、それぞなければ人生でそんします。」人生三十ナン年生きていて、まず犬をなでてお礼を言われたのは初体験だった。で、こんなクサイせりふを真面目に言える度胸があるおば様、なんて素敵だろうと思えたのももう青二才ではない年齢になった証拠なんだろうか。また出会えればいいな、とも思った。とっても見かけも性格も共にかわいい犬だったので、やはりそのGrosse Liebeに包まれ愛しまれ一生を送ってるんだろうな。
2008年11月05日
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今日は母方の祖父の69年目の命日で、義父母の48年目の結婚記念日でもある。雨の予報だったが秋晴れで暖かく、朝は早めにパン類を買いにアパートから出勤したときも気分は快調…のはずだったが実は深夜に腹痛で起こされてしまい、トイレにずっと缶詰だったこともあり寝不足。気分はそれで優れず、同僚にあたってはまずいと思いつつどうも、本音を出しやすい午前中だった。会議はみんな変わりばんこで議長の役を果たしてるが、やれ病欠やコンファレンスで実は三週間ほど番がずれていた。でも最善をつくしたので、みんなにノートをその直後送ったら、同僚の一人が「まるでスピーチ・レコのソフトみたい」という返事をしてきて、にんまり一人で微笑んでた(←暗い性格?)
2008年10月10日
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コンファレンスが金曜・土曜と二日連荘で行われたが、ずっと頭痛がたえず結構苦しかったネコ。今日は夜遅くフライトがあったので一日ぶらぶら歩いていた。天候が良く、街の独特な風景に久しぶりに浸ることも出来、あとせめてもう少し日本料理のお値段が届ければ最高な滞在ができただろうに、と思いました。でもたくさん中華料理をいただいて、うれしかった。本場の麺屋さん、って感じのレストランはまるでウィーンでは今のところない。写真集パート1へのリンク写真集パート2へのリンク
2008年09月28日
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日曜に熱が出て、ずっと今週は苦しんだネコ。ついにお医者さんへ行ってノートをもらってきたのが水曜で、金曜日まで病欠となった。それもその先週に本当にオーバーナイト、って言えるほどとたんに夏の暑さから秋の肌寒さ、っていうかもっと寒い日々がしばらくあったこともあったと思う。とにかくどこか遠くへ引越しをすると、その地域のバクテリアやウィルスに体が慣れるのは18ヶ月だとどこかで読んだ覚えがあるが、アイルランドでのしょっちゅうな病気(主にアレルギー関係の風邪)に比べれば、すこぶる健康になってるから、これも驚き。
2008年09月17日
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ようやくこのマンションへ引っ越してから10ヶ月近くたってるが、なかなか「完成」した住まいとは思えない。というのは、とにかく本棚が入用だし、ソファはあるにしろリビングの椅子らしきものはない。なので、会議の合間にDとウィーンの北にある、大きめな家具屋をいくつかめぐった。地下鉄一本、徒歩15分で結構いろんなお店へたどり着けるので、便利だ。しかし晴天で30℃超えてる暑さですっかりまいってしまったネコは、まだまだ体力をつけねばと反省した。それに、お店があったのはいいが、とにかく価格が高い!椅子といっても、良質なものだったり本物のレザーだったりすると、ゆうに500ユーロを越す。もちろん開店セールとかを待ってのサーチだが、まだまだ値段もよくて、好きな物は購入で着なさそうだ。そんなお店のそばに、お休みだったお花屋さんがあった。そういえば別にめずらしいものではないだろうと想像するかもしれないが、それは色とりどりなグラジオラスばかりで、おまけにそのまま植えられたままの、まさにお花畑だった。フェンスもなにもなく、勝手に「自分自身で手折って買うべし」という看板があった。こんなものはアイルランドでは丸一日たらずで畑は荒らされ、跡形もなく花などなくなってるだろうな、とDと苦笑した。あいにくカメラは持参してなかったので、証拠写真はまた今度ということで。
2008年09月05日
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今日は北米では祝日なので、私にとってもどちらかというと、会議がなく寛ぐ事が出来る一日だった。つまり仕事の同僚はほとんどアメリカ在住な方だというわけだ。赤の他人のアルバムをここで公開するのはどうかと思うが、てんでFacebook以外で写真をアップすることがなくなってしまい、ウィーンの様子を見たいと思ってこのブログへいらっしゃる方々に申し訳なく思ってたので、とりあえずこのリンクをご覧ください。
2008年09月01日
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今日はMari? Himmelfahrtといって、キリシタン関連の祝日だった。もちろん去年も就職開始の頃にも、すでに体験してるのだが、去年はまだこのアパートには暮らしていなかった、というかまだ見つかってなかった。だがこちらへ移ってからは、結構頻繁に夜にポーランド人のカソリック教会で催し物(って、多分ミサだろうけど、みんなが外でアナウンス式に牧師さんの演説があったり、教会の周りを歩き回ったりする行事がある)をよく見かける。つくづく、キリスト教の存在が大きな国へ越してきたな、と思わされる。しかし、カソリックばかりのアイルランドでは、どうしてあんなに荒んだ様子の人々がいたんだろうか、と不思議に思うこともある。やはりアルコール飲料が過ぎた生活が基づいてる問題がたくさんあると思う。
2008年08月15日
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ニューヨーク滞在期間が今日で最後だったのだが、どうもユーロ高につられて、以前から使ってみたかったマック(ノート型、Airタイプ)を購入。それに、昨日はギャップでズボンを三本、セイラーペンのインキ、プラチェット(著者)の本幾冊、といろいろ買っていた。コーチも、ウィーンやダブリンにお店がないしオンラインだと輸入費、郵送費と値段がかさばるので初めてこっちで大きめなバッグと、スゥイングバッグというポシェットサイズのポーチを一つずつ購入。
2008年06月02日
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何せニューヨーク市に滞在中だったし、その映画はオープンしたてだった。実は土曜日の晩に観に行こうかと思ったが、映画館(ミッドタウン)では切符すべて午前様のスタートのものまで売り切り。大勢そこらへんに立ち話したりそばのカフェに流れ込んでたりしてる様子だったのであきらめた。が、日曜のマチネーとなれば、穴場だろうとふんでいってみた(ユニオンスクエァー近所)。やっぱり空いてたし安上がりだったし(6ドル)大満足。その後ヴィクトリアズシークレットにいったり、TJ Maxxとかバーゲンハントしたり、午後遅めにピザをスライスでおいしいのを買い食いして、再びホテルへ戻った。またショッピングの充実した一日だった(笑)
2008年06月01日
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そう、なぜかビジネス旅行の許可がおりたので、慌ただしく旅支度をした末、今日一日かけて、本はへ向かいました。ウィーンの汽車のチケットはオンラインで購入、するとダブリンの一時間かけて、7ユーロ片道払って8kmの道を思い出した。そう、自宅から今は24kmはなれた空港へいくのに、片道4.50ユーロで20分くらいなのだ。14ユーロ払えば14分。フライトは9時間ちょっとで、機内食はまあまあ、映画もウィル スミスのI am Legendを観賞。JFKから本社はタクシーでバカ高かった料金をなんとか現金で払って、朝7時半家を出て、そちらへ到着したのは午後5時半、つまりウィーン時間では23時半だった。
2008年05月27日
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スーパーで今日見つけたのは、Stracchiatellaとチョコレート味二種類の、冷蔵庫保存のケーキ生地。ただ開封して、ケーキ用入れ物に流し込み、オーブンで焼くという超便利なもの。こんど試そうかな、と思ってるがそれじゃダイエットどころではないな。ただでさえおいしいものは体によくないものがたくさん入ってるのに。カフェでのケーキとかも贅沢なチョコやゼリー、ベッケライ(パン屋さん)の品物だって甘くても塩辛くてもどれも良いし。困ったものだ。
2008年04月26日
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三月上旬に開始したドイツ語授業にもだいぶ慣れてきたネコ。上達してるかどうかは、まあヒアリングはたしかによくなって来てるが、自ら話を持ちかけようとすると、固まってしまう(笑)今日は久しぶりにお天気がよく、帰りはわざと遠い道を使って帰宅。その途中にランボルギーニを見かけたのだった。よくポルシェは見るし、ご近所にはフェラーリのお店もある。裕福ってのは、こういうもんだなあ、とのんびり実感。もうじきウィーンの街中をマラソンがある予定だが、ゴールの傍にサンドイッチを売ってる店があったし、ちょうど空腹だったのでシュニッツェル・サンドを購入した。揚げたてで、何も辛子とか使わずそのままでおいしかった。
2008年04月24日
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今日は、Dとカナダで出会ってから丸9年の月日が経っていたことに気がついた。しかし、それどころではない忙しさ。まず8時半から日本の方とのテレコンファレンス。といってもネコはビジネス用語や、敬語の使い分けが自然とあまりできず(はっきりいって練習が足りない。場数とかまるで踏んでないわけで)苦労しっぱなし。なんとか情報交換はできたし、来月もまたミーティングは設定した。で、午後には16時から90分いつもの会議があるが、それは会議のノート取りの役目をいつも果たしてるので、忙しい。それ以外にも今日は二個ミーティングがあった。みんな電話でだから、電話嫌いなネコは疲れる。そして、カリフォルニア州の方がチェアする会議なので、毎週水曜日の夜、21時から90分またテレコンファレンス。はっきりいってヘトヘトになってしまった。
2008年04月23日
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今日もNaschmarktへDと行ってきました。最近また体調がすこぶる悪く、とにかく疲れやすくなっていたのだが欲しいもの(主に食料)があったので、あと中華風の匙とか、鉢植えのハーブ(バジルと、レモングラス)など買ってきた。で、ちょうど通りかかったTheater an der Wienで、明日Barenboimが指揮とソリストとしてベートーベンの第3・4ピアノ協奏曲のコンサートのチケットを、最後の二枚購入!やっとこちらへ引っ越してから二度目のコンサート体験となるのだ。ああ、楽しみ。
2008年04月05日
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ほぼ毎日曜日二月と三月にStadtparkへ通っていたネコ。ずっとアップしてなかったブログだけど、皆さんにも写真をお見せしたくて、遅らせながら数枚個々公開させていただくことにしました。ずっとご無沙汰していてすみませんでした(汗)木蓮の写真へのリンクです
2008年03月30日
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ファースト・ネームの順(アルファベット)で、毎週あるウィーンでの会議のモデレーターが決まる。本来は来週が私の番だったが、マネージャがコースのせいで欠席する予定だったので、私がその役目をはたした。隣の町であるブラティスラバにいる人はなぜか連絡とれなかったし、もう一人の女性Sさんが今年はいろいろ大変なつらい私事が立て続きあったのでやはりいなかったが、結構のんびりしたミーティングが行われた。いつものパンを前もって買うのももうだいぶいたについてきたし、春の気配がする中歩くのも、うれしかった。
2008年02月29日
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イギリスやカナダではShrove Tuesday(マルディ・グラは、フランス語でFat Tuesdayで、ルイジアナでお祭りをする日でもあるが)を、Pancake Dayとも呼んでいる。それは、Lentを手前にケーキなどの材料を手早く費やしてしまう掟(?)があるから大勢の人が、パンケーキを食べる日だ。UKではMarks and Spencer類の老舗でも前々からパンケーキがたくさん売りに出てる。が、オーストリアではこの時期に多いのはKrapfenという、ジャムパン。なんとなくドーナツに雰囲気が似てるけど、穴は開いてなくて、アプリコット・ジャムが主に中に詰まってるタイプのものだ。同僚Rさんが親切に教えてくれたけど、Marille(ドイツ語でApricot)しか思い出せず、「桃に似てるけどもっと小さな果物だ」といってたので、「ひょっとしてアプリコット?」というようなのんびりとした会話をしてもいた。ちなみに今朝は通勤中大勢の人がケーキを持ち歩いてるのが目に付いた。
2008年02月05日
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本来は師走中に来るはずだった電話の会社、テレコム・オーストリアはやっと今日若い働き者の男性(どう見ても二十代前半だった)を送ってきた。インターネットと電話のラインをインストールするのに、結構時間がかかったし多少傍に住んでるHauswart(住み込みでこの建物の掃除や管理する方)にも騒音で迷惑をかけたが、最終的には寝室においてある机で電話もかけられるし、Dが使用してるブロードバンドとは別のサービスで会社のVPNへ繋がるようになった。本来は勤め先のほうで家具も調達してもらえるはずだが、まだオフィスとなる部屋には荷解きしていない箱で埋まってるので、それをどける頃には運送費もOKになるかと思ってる。去年はデリバリーのコストは出ないというわけだったので、選んである椅子や机、キャビネットなどもまだ届けてもらってなかったのだ。椅子がない間は踏み台に座って仕事をするはめになるが、それでもいずれはきちんとした環境で頑張れるのが楽しみな今日この頃であった。
2008年01月12日
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が、大晦日に街中に散りばめてるので、歩くときは靴はちゃんとしたのを(つまりヒールとか足の露出度の高いのは危なくてバツ)はけ、と同僚から去年言われていた。さすがにまだ体調はよくなってない上、ここのところ冬らしく外は寒いことがおおかったので(昼間もマイナス2℃とか)外出は控えてたし、花火も教会の窓に映して多少見れたので(ブショウ)イブにはどこへも行かなかった。なのでカメラを持って今日は日向にでもあたろうと街中へ散歩しに行ったが、ワインのビンの破片なんて三本くらいしか見当たらなかった。掃除が行き届いてたんだなあと思った。まだPunschとか体の温まるアルコール入りドリンクは売ってたが(写真参照)。元旦のアルバムはこちらです。コメントは英語のみですがフェイスブックのなので、ご了承ください。とにかく、明けましておめでとうございます。なんとなく去年も何かイベントがあった日とかのエントリーをアップしたいと思ってますし、今後ももっと頻繁に日記を記入するつもりですので、今年もどうぞよろしくおねがいします。
2008年01月01日
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年末には絶対コンサートへ行きたい~と思ってたので、師走上旬にオンラインでチケット漁りした。新居から徒歩五分のKonzerthausで行われる、ベートーベンの第9。ずっとオーストリアへ引越ししてから貯金モードだったのでコンサートなんて贅沢なイベントなど考慮に入れてなかった。(何しろローンは学生の時以来持ってなかったので、アパート購入した大金を上回るレノベーションのコストと引越し自体の出費を考えるだけで気が遠くなるネコだった。っていうか、現在もそうだよな…)雪がまた降っていたけど、フォーマルに洋服を着込んで、本当に簡単にホールへ到着。チケットはKassaで短時間で手渡され、強引にコートチェックしなければと言われたのでそれにちょっと手間がかかったけど、席に着いたのは20時の15分前。今回はシンフォニーが三度コンサートで「Silvester」のフェスタ関係で30・31・1と毎晩パフォーマンスがある予定だった。オーケストラは有名なフィルに負けず劣らずのシンフォニーで、ゲストの指揮者は私とタメのスイス人、フィリップ・ヨルダン氏だった。ゾリストの方はあまり印象に残らなかったが、ウィーンのSingakademieのコーラスの皆さん、譜面なしでとても上手だったのは耳に残った。ヨルダン氏はやはり若いからなのか、ベートーベンの激しい怒りや夢想家の様子はよく表していたけど、ソフトでロマンチックな面はそれほどうまく表現してなかった感じがしてちょっと物足りなかった。まあ偏ったとは言い切れないけど、まあまあだったし、とにかくベートーベンは十分難しいのは私自身も第5・6のシンフォニーで経験してるので(学生時代にヴィオリストとして)十分に楽しめた。もちろんインターミッションがないので、ちょっと遅めにスタートした割には22時半にはとっくに帰宅していたりした。本当に近所に住めて感謝してるネコである。
2007年12月30日
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カナダで成人だった以来、会社へ「歩き」ではいけなかったネコ。散々ダブリンで苦労をしっぱなしだったせいか、よりにウィーンへ住んだら、絶対毎日出勤するのは徒歩で、と決めていたのだ。で、吹雪いてる日とかはちょっと無理でも、まあ対外は散歩がてら出社できる距離にあるアパートが新居となった。Innere Stadt(一番古い町並み)の東南にいるネコは、会社はちょうどドナウのKanal(川はまたさらに街の北を行く)の向こう側にあるので、信号などを考慮にいれれば、25分くらいで着くのだ。まあ走れば12分かもだし、いつか自転車で通うことにもなるかも。電車一本でやっぱり遠回りをするから15分弱、か地下鉄で行ってもやはり駅まで8分くらいで、二駅は5分とすれば15分。いいお天気で、朝はもう日が出てるので(アイルランドは朝も10時ごろまでは真っ暗だった)心地よく歩けて、夜はDと待ち合わせをして、ゆっくり遠回りしてアパートへ戻った。
2007年12月17日
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荷物がすべて届き、荷解きを開始する頃は、もう午後。ところが、まだアパートの暖房装置が使える状態でなかったのだった。それと、洗濯機も設置されるのも、やはり昨日の午後の15時から17時の間に着く予定だったのだ。Gさん(前日の日記参照)の作業員さん、小柄な若めな男性二人だった。喫煙は外でしてもらったのは一回の休息だったが、それ以外は本当は半日しか働くべきでなかったのに、遅くまでラジエーターやヒーターが働くように頑張ってくれた。ちょうど雪が降ったり水溜りが凍りついたりしてる気候だったので、マジで暖房が欠かせない状態だったのを、わかってくれた作業員さん。ありがとう(汗)ちなみに洗濯機なんか、あまり重要じゃないでしょ?とお思いの皆さん、なんとそれも大活躍してくれたのが、土曜日の今日。予想通り、アイルランドでずっと保管されていた荷物らは、湿気にやられてしまったものが多数あった。カビが生えてるのが見えなくても十分匂いでわかる、恐ろしさ。これを書いてる一月も、まだ私は鼻炎がてんでおさまらないほどひどいカビ。なので洗えるものは、熱めのお湯のセッティングで洗濯機にぶち込むことが一日に数度あり、それが続いたのも二週間ほど。手で洗ってたらきりがないほどたくさん洗濯物があったのだった。やれやれ。
2007年12月15日
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会社を休むのは大変気が重かった。なぜかって、十月も先月も病欠が多く、なかなか仕事が進まなかったから。すでにうんと休んじゃってる上に、引越しするために時間が必要だったのはまあしかたがなかったことはなかったんだが…ふぅ。とにかく前の晩も荷造りを初めていたけど、起床時間は5時で、Dが駐車場を空けておくためのサイン(プラカードで、コンクリートのベースが二個ずつある)のを政府のオフィスまで取りに早々行った(そのオフィスは朝6時から開業してる)。が、そのサインは電車ではもっていけないし、タクシーだって大きめな自動車でなければ無理だったことが判明。そして、パスポートも身分証明書として持っていなかったこともわかった。私といえば、今までの借家の荷造り作業を続けていたが、ぎりぎりに10時(大家さんていうか貸家をやってるビジネスの社員が訪れる時刻)までにほとんど完了。アイルランドから来た荷物はすでにオーストリアに5日に到着していたが、アパートをリニューアルしていたので都合上引っ越せるのは今月半ばになっていたのだ。が、Dが警察署にその駐車場の予約を48時間前に済ませてなかったため、その空けてくれる場所に車が停車しているままで、警察はお手上げだといって何もしてくれなかった。9時から11時まで荷物のトラックが予約してあったのに、さあ場所がない。ずらした場所に止めてもらうことが出来るかといえば、それもNG。それで、9時半に大パニックしていたDであった(で、携帯電話で私にもそのパニックを分かち合っていた(笑))。そこでアパートの面でお世話になった、Gさん、ちょうど荷物運びもGさんの会社の方に手伝ってもらう予定だったので、どうしようと相談したところ、小型のクレーン車(車を引いていってしまうためのトラック)をGさんが調達してくださった。それで邪魔だった車は無理やりにどけて、やっと荷物降ろしに挑むことができたのは、10時半だった。でも、われわれは地上にあるし路面に窓があるおかげで、二時間かかるはずだったのが、1時間半足らずで荷物降ろしは完了。なのでちょうど正午になっていた。私はまだアパートのチェックや、荷造りをしあげてDを待って、二人で二度往復しての荷物運びを貸家から新居へとした。午後には本当は住所届けを政府に出すつもりだったが、それどころではないほど疲れていた。とにかく大変な一日だった。
2007年12月14日
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北米では毎年恒例のThanksgiving。カナダより一足送れて、十一月の第四木曜日に祝うアメリカの祝日は今日だった。なので最近は仕事上アメリカ人ばかりと連絡を取ってる私には、とても静かな一日である。来年からは落ち着いた生活が送れるはず(?)なので、そうしたら私もカナダ人なのでなにか特別な食事でも腕をふるってみようかと思う。北米ではあまりない宗教と無関係の「ホリディ」(ってオーストリアではすべて祝日は名実ともにキリシタンなものなのだ。アイルランドは、名前だけはSecularになってたけど、やはりキリシタンばかりだったなあ、休みといえば。)
2007年11月22日
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今日はネコの誕生日だった。で、長らく食べてなかったインド料理を、手作りする気力も材料もなかったので、近所のレストランからオーダーすることにした。お値段は結構高めで、どんな感じかなと楽しみにしていたら、なんとまるで辛くないカレーだった。Vindalooって、普段なら口から火が吹き出そうなほど辛いはずだし、バルティーだって、それなりに辛いのが普通だ。なのに、味はあるけど、辛さがまるっきし、ない。とても残念だった。
2007年11月18日
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Aida(公式リンクはこちら)というカフェをウィーンの方々で見かける。今日まで一度も訪れたことはなかったのだが、ちょうど今月はDと私の誕生日があるし、ちょうどその合間だったので試してみようと、Mariahilferstrasseにあるお店へ顔を出しにいった。そこで、ケーキを何きれか購入、そして平凡なお寿司(日本では食べられないほどまずいだろうなあ。西洋の人だと舌がこえてないからわからないだろうけど)もバーゲンを買って貸家へ帰った。ケーキはすべて美味しかった。甘すぎずびっしりしっとりした感触があり、またぜひ戻ろうとDと話し合ったが、それはいつになるかわからない。
2007年11月17日
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大学時代からの悪友Mさん、長らく日本暮らしをしてきたので、最後に会えたのは2001年。彼は私の結婚(式というより、籍を入れたというかんじだったのよね)当時ニューヨーク市にいたので、わざわざ会社を休んでWitnessになってくれた上、美味しい中華料理もご馳走してくれた親切な人だ。Mさんはアメリカ人だけどハーフで、日本語もドイツ語もペラペラ、そして世界中方々で実績を重ねてきたITのマネージャさんでもある。いつもは年に二・三回はメールを交換してきたのに、今年は丸一年音沙汰なし。私の方からメールは三通ほど送ったんだけど、返事がこないので心配だ。九日はMさんの誕生日で、数日後は私の誕生日だったので普段はメールが必ず来てたのに。心配だから、どうか連絡とってくれるよう願ってる。大丈夫だといいけど。
2007年11月09日
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今日は休暇をとってあったのを残して休んでいるが、病気だった日を数えればずいぶんご無沙汰していた仕事へ戻る支度をすべきなのだ。しかしダブリン行きとか病欠だとか、オーストリアではシステムがいままでとかなり異なるので(いつも何時間働いたかとかソフトを使用して報告せねばならないし、病欠だとまた何かすることが増えそう…)それもちょっと心配だ。それに、ビジネスと私用のクレジット・カードも、今回初めて使ってみたりしたのでその支払いとかも、なんとなく気になる。日記はちぐはぐにアップしてますが、ご了承ください。(汗)
2007年11月05日
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購入したアパートの床は、パーケットなのはいいがとにかく古い。多分オリジナルなままだと思う(創立昭和三十なん年)。なので、床も壁もいろいろと清掃どころか取り替える必要がある。なので、今日は床の専門店へ行って、ウィーンではよく見る「魚の骨のパターン」の床を購入。
2007年11月03日
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…のほうが大切なオーストリア。少しはハロウィーンの飾りとかお店で見れたけど北米や最近のアイルランドやUKみたいにだいそれたものはなかった。一日・二日とキリスト教の祝日なので、それは大事らしいが、この頃私はまだ回復中だったので(ダブリンからの帰りにかなり重い風邪をひいてしまってた)たいしたことはしないまま週末へと時は流れていた。
2007年10月31日
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今日、先週成立したローンのおかげで弁護士さんへアパートの資金が銀行から渡った。なので、Dと私は銀行とともに、アパートのオーナーとなったのだ。
2007年10月29日
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前の二晩あまり眠れずかなりダウンしそうな状態だったネコ。今日はまた長い授業を受け、とても疲れた。気になるのはドイツからの人とかと話をしたかったのにまるでできないままだったこと。一応マネージャさんよりえらい人と挨拶が交わせたし、元のチームの人たちもあと数人と話ができたけど、へとへとになっていた。Hさんにホテルまで送ってもらい、ラウンジで話をしようと部屋から待っていた彼女へ戻ったところ、Hさんの元マネのいとこで、やはり同じ会社に勤めてらっしゃるマネージャさんと偶然同席して話しをしてるところだった。その女性はどうやら晩御飯へ誘われたからホテルへ出向いたそうだが、私の仕事のことを聞いて「そりゃ大変な役割だわよ。がんばってね」と親切にはげましてくれた。晩御飯は私一人でいただいたが、WiFiがあったので、Dとチャットしながら食べることができた。久しぶりにBBCのチャンネルを観てから、寝入ったのは22時半くらい。起床が翌朝4時半だったから大変だった。
2007年10月23日
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朝一に豪華なレストランでビュッフェスタイルの朝食をいただいたが、あまり知り合いどころか顔さえ誰が同社からなのかわからず、チームメイトのCさんの紹介でスロバキアからの皆さんと一緒に食べることになった。そしてタクシーがたくさんホテルに届いていたので、それに乗ってなんねんも働いていた某キャンパス(会社)へ到着したのが、8時ちょっと過ぎ。セキュリティの方たちはまるで私を覚えてなく、ちょっと悲しかったが、お客さん用のバッジを貸してもらい、教室へ直行(かって知ったる我が家気分)。お茶(もちろん紅茶)やコーヒーが休み時間に出してあったが、昼ごはんはなんといつもの激高・激マズいカフェテリアだったので、それも残念。コースはまじめに予習してあったのでまあわかりやすかったが、それでもなれない内容だったのでしんどかった。ちょうど休み時間の時にトイレから出て行くところで元・チームのBさんと、新マネだったLさんとまるで事前決まったかのように出会って、お土産を渡すことができた。友達のように親しかったHさんともちょっと会えて、火曜日のコースの後はホテルまで彼女に送ってもらうことに。Aさんともメールを打って、今日はお茶をホテルで一緒することに決めたので、それを楽しみにしていた。Aさんはいろいろとチームについての苦情とかニュースと話してくれて、私のことも心配してくれるとっても親切なアイリッシュの女性なのだが、久しぶりに会えてうれしかった。晩餐はチームで、という事だったのでなんとなく楽しみにしていたけど、なんとレストランはメル・ギブソン主演のBraveheartのお城の側にある場所だった。のはいいんだけど、ホテルからめちゃくちゃTrimは遠かったので、タクシー代はかさむは、帰りは車酔いして苦しむは。いやはや苦労した。おまけに七時半から、というのにタクシーで行きは45分、で食べ物の注文やらドリンクやらで食べだしたのは9時ちょっと前、デザートやコーヒーが出たのは10時過ぎで、帰りは23時にタクシーに乗っていたので超疲れた。行きにはスコットランドの人で、ダブリンで2年半くらいとても住みにくい生活に不満を持っていて地元へ舞い戻っていった男性Gさんと意気投合して、今後は仕事の事でも話すのは楽しみだと思った。吐き気がひどくて、それでもさむ~い部屋で寝ようとしながら午前様になってもつかれきったまま寝付けなかったことが印象に残ってる。
2007年10月22日
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今日から水曜日にかけて、二日間あるコースをダブリンで出席する予定だ(ってこれを書いてるのはとっくに戻った後だが…)飛行場へは特急の電車ではなく、普通のに乗ってもたった20分くらいで着くので大助かり。ちなみに出発先の駅は今の貸家から徒歩5分。ウィーンのSchwechatはダブリンの空港とかなり異なることを忘れていた。超豪華なお店など並んでいたが、それらは無視してゲートへ向かった。フライトでは偶然にやはりオーストリアで働いてるセールスの人(中国人とベトナム人のハーフだけどオーストリアで生まれ育った男性)と席がとなりあわせで、なんとなく話したり読書したりだった。ランチをおろそかにしたので空港でベーゲルサンドとコーラを購入したら、コーラはなんと500mlで2.60ユーロもしてショック。空港からタクシーで18kmを45分ホテルまで直行したが、やはり60ユーロくらいした(Mさんに払わせた)。ホテルはリゾートだったのでリッチだったが、とにかく部屋が寒く、ベッドも広くつめたく、まるで休まらなかった。
2007年10月21日
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いよいよ弁護士さんのところへDと二人で行って、今日アパートの鍵をもらってきた。すばらしい秋晴れで、オフィスは新居の近所、そしてコロンビア大使館の建物の部屋を借りてるものだったので超豪華。こんなに立派な建物なら記念にカメラを持ってくればよかったとDと声を合わせたくらいだった(笑)しかし、すでに二人とも体調を壊し始めていたので、あまり気分は優れず、疲れきっていたのも覚えてる。深い青空に、紅葉が映えてきれいな日だったなあ。
2007年10月15日
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今日で、ニューヨークで結婚してから丸七年たっていたことに気づいた。付き合いだしたころは彼はダブリン、そして私はまずトロント、それからボストン、で結婚した当時もまだアメリカ在住だった。それから仕事の都合でダブリンで就職して、長い月日がたって、やっと今年念願だったアイルランド脱出に成功。仕事もあったので格別なことはなにもしなかったが、なんとなくうれしい一日だった。
2007年10月03日
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