旬 0
全473件 (473件中 201-250件目)
更に階段を登るとテラス兼屋上に出ますテラスから見た村の風景・・テラスから中に入ると狭い部屋にみごとな家具が置かれてて・・よく見ると部屋の奥に短い階段が見えます(右上の画像)あれはどこに・・城内は階段だらけ・・どの階段を登って降りたのかさっぱりわからなくなりましたガイドさんがいない旅行者迷っていましたよ・・ドラキュラのモデルになったのは実在の人物で15世紀にこの城を治めていたヴラド3世(左上画像)ルーマニアではオスマン・トルコ軍と勇敢に戦った英雄とされています気性が激しく串刺し王という異名があったことがドラキュラ伝説につながったらしいです串刺し王(右真ん中の画像)捕虜とした敵兵を串刺しにして晒し戦意を失わせるなどしたという・・・ヴラド・ツェペシュは統制のために見せしめとして裏切りを行った貴族階級の家臣を本来は平民への刑罰であり貴族階級には行われない串刺し刑を行った事から「串刺し公」と呼ばれた領主でもありました通常貴族の処刑は斬首によって行われますがあえて串刺しという最も卑しい刑罰を課すことで君主の権威の絶対性を表そうとしたと考えられています元々「ドラキュラ」は「竜の息子」という意味ですがルーマニア語で「ドラク」は“悪魔”の意味も持つことから転じて「悪魔の子」になったということみたいですヴラドがドラキュラと呼ばれていたまた・自称していたのは事実のようですがこれは単にヴラドの父が竜公(ドラクル)と呼ばれた事に起因しますヴラド3世の父は神聖ローマ帝国より「ドラゴン騎士団」に任じられたことで「ドラクル」と呼ばれていました単純にドラクル公の息子だからドラクレア(=英:ドラキュラ)公ということです・・左下画像・・これがドラキュラのイメージですよね(||゚Д゚)怖ァ...続くFC2・・はこちらから
2017/07/26
コメント(29)
ブラン城はブラム・ストーカーの小説でドラキュラが住んでる城のモデルとなりましたがドラキュラ公・ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)は実際にはこの城に住んだことはなかったそうです今は博物館として年間60万人が訪れています現在のブラン城は最初にあった木造の砦に代わり1377年にハンガリー王の命を受けてブラショフのザクセン人が築いた城塞ですオスマントルコ軍をいち早く発見し対抗するために造られたこの城はドラキュラ公の祖父であるヴラド1世(ミルチャ老公)の居城となりましたその後この城は1513年からブラショフ市が所有することになりましたが1918年のルーマニア統一に貢献した国王フェルディナンド1世の王妃・マリアに対する感謝のしるしとして1920年にブラショフ市議会から寄進されましたマリア王妃の住居となった城は改修されルーマニアの伝統的な家具・タペストリーなどの装飾品で飾られました右上の美しい女性がマリアです・・マリア王妃の娘イレアナ王女が(一番下真ん中の女性)ブラン城を母から相続しましたが1948年・王家の国外追放の後共産主義政権によって没収されルーマニアの国の財産に・・その後ルーマニア革命が起き2006年にイレアナ王女の子供たちに返還されましたが2014年・ルーマニア政府に対して売却交渉をしています政府は返還などしなければ良かったと思っているかもしれませんね・・・1番上の画像は歴代の城主で右から3番目がドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ公の祖父・ヴラド1世です見てるだけでため息出ちゃう・・テーブルの足・人が支えています・・凝ってるよね・・ここで・・クリスティーナさんとディアナさんがルーマニア民謡を歌いながら踊ってくれました・・思わぬプレゼントに皆さん拍手喝采・・左上クマさんの写真ここは1階と3階を結ぶ 「 秘密の通路 」 通路から出てくると図書室更に階段を登ると広いテラス(?)に出てきました覗き込むと中庭にある古い井戸が・・ブラン城には秘密の通路がいくつもあってその出口がこの井戸だそうです・・続くFC2・・はこちらから
2017/07/25
コメント(36)
2017年4月29日(土) 晴れホテル・キャピトルは中世の街ブラショフの中心部市庁舎の向かいにあり黒の教会とスファトゥルイ広場から徒歩10分のロケーション抜群のホテルでした・・ブラショフは中世の町並みを残す美しい都市・・トゥンバ山とポスタヴァルル山麓に位置し澄んだ空気が印象的な町・・12世紀にドイツ人商人が建設しルーマニア人・ハンガリー人の3民族によって発展してきました町を歩いてみるとドイツの香りが強く感じられルーマニアのほかの都市とは異なった独特の雰囲気がありました・・また・・ブラショフは小説「吸血鬼ドラキュラ」ゆかりのブラン城への起点・・ホテル出発8時30分ブラン城まで約30キロ・45分のバス移動9時15分ブラン城到着ブラン城は「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなったお城・・混んでいるのかなと思っていたらそうでもなく団体は私達だけでしたブラショフから南西約30キロ・・ブチェジ山麓にあるブラン村の山上にそびえ立つ典型的な中世の城砦ルーマニアといえばドラキュラ伯爵・・ワクワク・ドキドキしながら坂を上りお城の内部へ・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/07/24
コメント(32)
食事のあとクリスティーナさんの案内で旧市街へスケイ門 スケイ地区から門の向こうブラショフ旧市街へと入っていきますスケイ門をくぐりブラショフの旧市街町の中心地へ向かい散策します趣のある道が続いています・・路地・・いたずら書きがありますね・・この奥・・どうなってるんだろう・・黒の教会外観は特に黒いわけでもなくレンガ色がそのまま出ているだけなので黒の教会??って思いました ブラショフの町の中心にそびえ建つ高さ65mのトランシルヴァニア地方で最大の後期ゴシック教会です名前の由来は1869年にブラショフがハプスブルクの軍隊に攻められて火事でこの教会も焼けこの時外の壁が黒焦げになったことから黒の教会と呼ばれるようになったそうです・・この地で最初にドイツ語でミサをしたヨハネス・ホンテルスの像が教会の敷地に建っていますゆっくりと散策しながらスファトゥルイ広場を目指します音楽が聞こえてきました・・なんでしょう・・スファトゥルイ広場で野外コンサートが行われていますクリスティーナさんに聞くと有名な歌手だそうです私達も一緒にリズムに乗って楽しんできました・・歌声が素晴らしく今でも耳に残っていますお名前がわからないのが残念・・すでに8時を過ぎてるのにまだまだ明るいです家族連れがたくさん風船・・可愛いね・・皆さんこうして長い夜を楽しんで・・ここで解散・・各自自由行動ですスファトゥルイ広場に面する旧市庁舎現在は歴史博物館になっていますトゥンパ山にBRASOV(ブラショフ)の文字がカフェがならんで・・風を感じながらお茶や食事を楽しんでこの通りをまっすぐ大通りに当たると左折れ・・ホテルはそこからすぐのところにちょっとお勉強スケイ地区とはドイツ人移民によってブラショフの街が開かれたとき先住のルーマニア人たちが移住させられた地区で西南にあるスケル門より西側はスケル地区と言われルーマニア人が居住するスケイ地区を壁で囲み街の中心部とは大きな門で分けられて自由に出入りできなかったそれがスケイ地区です・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/07/21
コメント(41)
ペレシュ城を観光後ブラショフへ約49キロ・約1時間のバス移動17時25分・・ホテル・キャピトル★★★に予定より2時間早く到着クリスティーナさんの提案で夕食後時間がたっぷりあるので希望の方は徒歩にて旧市街を散策しませんか・・希望でない方は自由行動ということで・・と有り難い申し出です・・観光のコースにない案内をしてくださるってことなんです部屋の鍵を頂いて荷物をおいてロビーに集合バスにて夕食のレストランに移動ですとっても雰囲気のいいレストラン地元の方もたくさんいらしてましたお洒落な店内それぞれに気の合う方とお喋りの花が咲いています左が茄子のペースト右がトマトのペーストどちらも優しいお味で美味しかった・・完食・・ここもお水は無料で出てきますパン・・柔らかくてふわふわ・・ルーマニアのビール冷たく冷えてて最高!”(*>ω
2017/07/19
コメント(48)
シナイア僧院観光後バスにてペレシュ城に移動シナイアの町の東部小高い丘の上にペレス城があります徒歩でも15分くらいの近い場所ですペレシュ城 1875年にカルロス1世がルーマニア王室の夏の離宮として8年の歳月をかけて建てた宮殿ですペレシュ城はドイツ・ルネッサンス様式で建てられていますルーマニアで最も荘厳な城と讃えられるほど美しいお城です中に入るには靴にカバーをつける必要ありますシャワーキャップみたいなのを靴の上から履きます 建築様式が混在しているので部屋を移るとバロック次はロココとなり変化に富んだお城でした綺羅びやかというよりどっしりとした雰囲気です・・数多くの彫刻や噴水が配された庭園が素晴らしい・・初代ルーマニア国王、カロル1世ペリショール城ペレシュ城と同じ敷地内の左奥にありますカルロ1世の狩猟用の城で1902年に完成しました中世ドイツ風の質素な外観ですが内部はシャンデリア・カーペット敷で来客用の寝室まであるそうですこちらは外から見るだけ・・入ってきたところにあったお土産物屋さん民族衣装のブラウスや刺繍やレース編みの施されたテーブルクロス・・ハンドメイドのレース編みのコースターなどが売られていました・・続くFC2・・はこちらから
2017/07/18
コメント(34)
シナイア僧院の僧坊僧院の中には僧坊も備えられお坊さんは出家してここで修行に励むことができます通路を通ってもと来た道を戻ります大教会大教会内のイコノスタシス大教会のフレスコ画窓から入る太陽に照らされて光り輝いて見えます入り口の柱の細工どこをみても素晴らしいの言葉しかでてきません古い教会新しい教会と見学して移動です・・続くFC2・・はこちらから
2017/07/16
コメント(29)
シナイア城17世紀にワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された僧院でこの街の由来にもなっています門を入って正面に見える大教会は19世紀にドイツから招かれてルーマニア王国の国王になったカルロ1世が建立したものですが左側の門をくぐったところにある古い教会は17世紀末にカンタクジノの跡を継いだブルンコヴェアヌ公がポーチを増築した以外当時のまま保存されています教会の入り口に描かれたフレスコ画は必見・・外壁はもちろん教会内もびっしりと描かれています文字が読めない人たちのために絵でキリストの教えを広めるのに非常に役立つものだったそうです中にはいります・・カトリックならば正面に祭壇が見えるのですが正教の教会ではイコノスタシスと呼ばれるイコン(キリスト、聖母子、聖人などの肖像画)が並べて懸けられた壁でさえぎられていますイコノスタシスより奥へは聖職者以外は入ることはできません・・ルーマニア正教はキリスト教とは十字の切り方が異なりタテに降りた手は右から左へとヨコにクロスしますそして椅子がない立ったままの礼拝が行われます足の不自由な人だけのためにわずかな椅子が用意されてるだけですカトリックやプロテスタントの教会と違って礼拝中に聖歌を歌うときはア・カペラですだからパイプオルガンがありませんちょっとおさらい・・正教会とは正教会は東方正教会とも呼ばれますローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対しキリスト教が生まれた中近東を中心に聖地エルサレムをはじめとしてシナイ山・中近東各地・ギリシャルーマニア・ブルガリアロシア・アルメニア・グルジアなどの地域に広がりましたキリスト教会は現在は多くの教派に分裂していますが中世のある時期までは「一つの聖なる公なる使徒の教会」としてほぼ一致していました正教会はこの東西教会が一つにまとまっていた時代に五世紀間にわたって合計七回開催された全教会の代表者たちによる会議(「全地公会議」325年~787年)で確認された教義や教会組織のあり方教会規則さらに使徒たちの時代にまでさかのぼることのできる様々な伝統を切れ目なく忠実に守り続けていますハリストス(キリスト)がもたらした本物の福音という意味で本家のキリスト教の代名詞となっています続くFC2・・はこちらから
2017/07/15
コメント(24)
ランチをしたホテルの前には公園が広がって大きな噴水・・お水出てなかったのが残念こんな素敵な町でリゾートを過せるなんて最高・・広い通りをバスまで移動赤い電話ボックスが可愛いね・・可愛い汽車が止まっていますカメラを向けるとおじさんポーズをとってくれました・・市内観光の汽車だそうです・・時間があったら乗ってみたかったな・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2017/07/14
コメント(26)
シナイアへ約127キロ・・約2時間30分のバス移動ブルガリアの風景とそっくりどこまでも平原が続いているのが違うところお家も見えていますシナイアルーマニアの中央を「つ」の字型に走るカルパチア山脈は標高2000メートル級の山々が緩やかに連なりその麓から山肌を覆う樹海は四季折々の自然美を見せてくれるそうですシナイアはこの山脈の中でも奇岩怪石で知られるブチェジ山の中腹に位置しトレッキングの出発点でもある標高800メートルの景勝地ですカルパチアの真珠の愛称で知られブカレストからも近いので夏は避暑地・冬はスキーリゾートとして賑わっています町の歴史は17世紀にシナイア僧院が建立されたときに始まり18世紀にはブカレストの王侯貴族たちの別荘地として繁栄したそうですそのため宮殿風の小さな館がところどころに建ち並びルーマニアのほかの都市にはない町並みが見られます貴族が建てた館は今は宿泊客用のヴィラとして使われていますランチはホテルで可愛らしいホテルですみなさんすっかり打ち解けていますねパン・・ルーマニアもとっても美味しいパンでしたここでもたっぷりのサラダが新鮮なお野菜が美味しい・・ルーマニアのビール10レイ・・約300円冷たく冷えててたまらんね・・”(*>ω
2017/07/12
コメント(40)
バスにて統一広場南西の高い丘にある大主教教会へ・・大主教教会1650年代にワラキア公の館内に建てられたもので20世紀になってから大主教教会として認められましたこの銅像はアレクサンドル・ヨアン・クザ公でワラキア公兼モルダヴィア公(在位:1859〜1862年)後にルーマニア公(在位:1862〜 1866年)を務めた人物です現在ルーマニア国内に住むルーマニア人のほとんどが信者とされその信者数は約2000万人・・ミサが行われる建物は3つのドームが特徴的な美しい教会です左側に写っている宮殿のような建物は元国会議事堂でしたが革命後大主教教会に移されたそうです正面の外壁にはキリストと12使徒のモザイク画が飾られ教会内には聖ディミトリチ・バサラボフの聖体(ミイラ)が祀られています入り口正面のフレスコ画入り口に向かって右側のフレスコ画地獄を描いています入り口に向かって左側のフレスコ画天国を描いています残念ながら内部は撮影禁止!教会の脇にある慰霊所ここにもフレスコ画が描かれています鐘楼バスに乗り込んでシナイアへ・・レンタル自転車時間がたっぷりあれば自転車で回るのも楽しいでしょうね・・車窓からみえた凱旋門第一次世界大戦の勝利を記念して1919年に建てられました当初は木造の漆喰塗りのものだったそうですが1930年にルーマニアの彫刻家たちによって造り替えられ現在のような姿になったそうです続くFC2・・はこちらから
2017/07/10
コメント(37)
2017年4月28日(金) 晴れ午前8時ホテル出発ルーマニアの首都ブカレストはカルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置します人口は約188万人20世紀初頭には「バルカンの小パリ」と称されるほど美しい町並みを誇っていたそうです第二次世界大戦では枢軸国側についたことで連合国側の攻撃を受けましたその後の共産主義政権時代は計画的な街づくりが行われた結果無機質な街並みができあがることになります1989年12月にはルーマニア革命の舞台となり大統領だったチャウシェスクが当時の共産党本部で行っていた最後の演説で聴衆の反発の声に絶句するシーンは世界各地で繰り返し放送されました巨大な国民の館はチャウシェスクが遺した夢の跡のようにもみえますあの革命から四半世紀が過ぎ旧市街の復旧も進んでいますブカレストに残るチャウシェスクの遺産革命広場 旧共産党本部チャウシェスク政権を打倒するルーマニア革命(1989年12月)が起こった場所 1989年の12月の出来事12月16日 ルーマニア西部のティミショアラでセクリターテ(秘密警察)がハンガリー系のトケシュ神父を逮捕それに抗議するために集まった信者と警察の間で小競り合いが起こるそれがティミショアラ市民による反チャウシェスク・デモへと発展鎮圧のために軍隊が動員され・死傷者が出る12月20日 チャウシェスクが軍の愛国的行動を賞賛するテレビ演説を行うティミシショアラ県全域への非常事態を宣言12月21日 ブカレストの共産党本部前でチャウシェスク支持のための官製集会を開く チャウシェスクは共産党本部バルコニーから演説集会参加者のなかから予期せぬざわめきが起こりまもなくチャウシェスク打倒の叫び声が・・チャウシェスクが狼狽する様子がテレビで実況中継される12月22日 革命勢力の抗議運動拡大チャウシェスク夫妻が共産党本部屋上からヘリコプターで逃亡午後: ルーマニア国営テレビで革命への参加が呼びかけられる共産党本部が占拠され救国戦線の組織作りが始まる12月23日 チャウシェスク派と救国戦線との市街戦が続くチャウシェスク夫妻が逮捕12月25日 特別軍事法廷でチャウシェスク夫妻は死刑判決を受ける即日銃殺刑にされる12月26日 暫定政権が発足しチャウシェスクの処刑が発表される革命の犠牲者のための慰霊碑広場に建つ大理石の慰霊碑は革命で亡くなった1500人を超える人々への追悼の意をこめて2005年に建てられました隣には犠牲者の名前が刻まれた石碑もあり今も献花が絶えないそうですブカレスト大学図書館とカロル1世の騎馬像ヴィクトリア通り沿いにある革命広場の隣に大学図書館がありますその前に初代ルーマニア国王のカロル1世の騎馬像が建っています大学図書館はカロル1世が作らせたものでその記念として像が立てられたそうです共和国宮殿(現在、国立美術館)旧共産党本部から道路を挟んだ西側にありますチャウシェスク時代大統領府として使用されていましたルーマニア革命の時にはこの地下からチャウシェスクの側近の治安部隊が現れ多くの市民が犠牲になりました現在は一部が美術館として使用されています1989年・革命広場での銃撃戦の戦火を受け多くの絵画が消失してしまったのですが量・質ともにルーマニア最大級の規模を誇っていますもともと宮殿だった建物を利用しているので内部の装飾も非常に美しいそうですクレツレスク教会革命広場に建つ18世紀建造の教会典型的なルーマニア正教の教会です国民の館(現在は議会宮殿)故チャウシェスク大統領が日本円にして約1500億円を投じて造らせたという巨大な宮殿部屋数は3107にのぼるそうです世界中の官庁・宮殿などの建物のなかではワシントンD.C.にあるアメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ規模だそうです「国民の・・・」と言うのは名ばかりでその実私欲を満たすためのものだったのがよくわかります宮殿内部は天井・壁・窓枠にいたるまで純金の装飾が施されています幅18メートル・長さ150メートルにも及ぶ回廊Honour Gallery高さ18メートル・総面積2200平方メートルの大ホールUnion Hallなど圧巻だそうです宮殿を支える大柱は白・赤・黒・ピンク・ベージュの色をした大理石でルーマニア中から集められたそうですまさに贅の限りが尽くされていた陰で国民は飢餓を強いられていたのです現在は各政党のオフィスが入居するほか国際会議やコンサートにも使われているそうですどの建物も外から見るだけで内部は見ていません・・国民の館だけでも内部見学したかった・・残念・・続くFC2・・はこちらから
2017/07/08
コメント(38)
実は移動中のバスの中でマダムがクリスティーナさんにルーマニアのアンチエイジングにとっても効果があるエボリューションクリーム欲しいんだけど・・買えます?今夜のホテルの近くにカルフールがありますからおそらくそこで手に入ると思います10000円以上するクリームがカルフールで買えるの?スーパーで売ってるの?!私そういうの全く興味ないからと言うかわからないから(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!そんなのがあるんだぁ・・知らなかったなぁ・・私も買ってみるかな・・って呟いていたらマダムが私の顔を見てあなた・・シワないわね・・[壁]д=) ジーツアーの平均年齢おそらく64~65歳皆さん・・そのクリームに興味津々で耳ダンボ!いくつになっても女性は女性だねぇ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆食後に散歩がてらに出かけましたちょうどロビーに添乗員のSさんもいらしてて皆さんもう行っちゃいましたよ・・忘れてた・・アンチエイジングのクリーム!!Sさんと一緒にブラブラと徒歩5分でカルフール到着・・コストコもそうだけど海外のスーパーはでかいよねぇ・・店内をo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oエボリューションクリームみっけ!3.31レウ・・999円1万円とかいってたやん・・これ1000円弱やで・・( ゚ Д ゚!)・・・・マヂカッァァァSさんに聞くとその商品でいいと棚にはアンチエイジングのしわ取りクリームは売り切れてて私が買ったのは残ってた美白これしかなかった・・皆さんホンマに凄いんだよねぇ・・でね・・違う商品かなってネットで検索してみましたここホンマにお高いクリームでした・・ということでお楽しみはしわ取りクリームでした・・私は出遅れて買えなかったけど続くFC2・・はこちらから
2017/07/02
コメント(35)
夕食はホテルのレストラン広くて綺麗なレストランですテーブルセッティングも今回の旅で1番美しかった・・パンは外はカリカリ・中はふっくらとっても美味しい サラダ新鮮で美味しいお野菜がたっぷりですルーマニアのビール12レイ・・約360円普通に美味しいビールでした鶏肉あっさりしたお味付け合せの野菜がめっちゃ美味しくて彩りも綺麗・・デザートのエクレアとっても甘かった・・それまでにたっぷり頂いていたので半分残しちゃった・・でね・・今まではチップは一切いらなかったんだけどこのホテルはチップが必要といわれ1レイプラスして渡しました・・カード払いもOKでしたよ・・ゆっくり食事してお腹いっぱいになった後はお楽しみの・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/06/28
コメント(34)
ルーマニアの風景ブルガリアとあまり変わりませんね・・だだっ広くて菜の花畑が続きますキャノーラ油がよくとれるそうです・・( ゜д゜)ンマッ馬車が普通に車道を走っていますよ・・今夜のホテルは郊外にあるリン・グランデホテル・・★★★★ヨーロッパで1番部屋数が多いホテルだそうですロビーは2階まで吹き抜けで色鮮やかなユニークな調度品を配した開放的な空間になっています私達のお部屋は茶系で統一されたシックなお部屋バスタブもついていますルーマニアの紙幣はプラスティックで出来てるのだからシワにならないし間違って洗濯しちゃっても大丈夫1レウ=約30円です続くFC2・・はこちらから
2017/06/26
コメント(32)
ヴェリコ・タルノヴォを観光した後はルーマニアのブカレストまで121キロ・・約2時間30分のバス移動ですブルガリアののどかな風景ともお別れですトイレ休憩ここ以降はブルガリアのお金はもう使えませんデリちゃんイリちゃんとももうすぐお別れ今朝・・ルーマニアからやってきたドライバーさんも乗り込んでいます自然豊かなブルガリアの観光歩くことが多かったけど楽しかったなぁ・・国境・・パスポートを預けてしばしバスの中で待機パスポートを返していただいて橋を渡りますルーマニアの看板が・・橋を渡りきってルーマニアにここで両替です1レウ・・約30円ここでデリちゃんとイリちゃんとはお別れですお二人はバスで帰りますやってきたガイドさんを見つけてイリちゃん大興奮ルーマニアのガイドさんは日本語学校で一緒に勉強した方だったんですルーマニアのガイドさんはクリスティーナさんアシスタントのディアナさんディアナさんも一人立ちするための勉強で一緒についてきていますこの画像クリスティーナさんを紹介するために後の観光で撮ったときのを使っていますトイレ休憩クマさんと話している方子供じゃないんですよ・・アシスタントのディアナさんです・・小人症(こびとしょう)?ブルガリアでも見かけましたがガイドさんとしてお会いするとは思ってもいませんでしたどこに行っても特別扱いされることなくみなさん普通に接していますとっても素敵な国だなって思いました続くFC2・・はこちらから
2017/06/25
コメント(27)
サモヴォドスカ・チャルシャをゆっくり散策したあとはツァレヴェッツの丘へランチをしたレストランがこの先にありました・・ここからまた前進・・旧市街のメインストリートを歩いて行くと頂上に教会の建つ丘が見えてきますツァレヴェッツの丘はヴェリコ・タルノヴォにある第二次ブルガリア帝国時代(12世紀末〜14世紀末)にブルガリア皇族・総主教の住居宅やブルガリア総主教座があったツァレヴェッツ城址が残る城塞です1187年に成立した第二次ブルガリア帝国(1187~1393)の首都はヴェリコ・タルノヴォに置かれていましたそしてこの丘の上に王の城塞が築かれたのです200年ほどにわたってバルカンの覇者であった第二次ブルガリア帝国は14世紀末オスマン・トルコ軍の侵攻に遭い消滅しました第二次ブルガリア帝国の時代にはこの丘全体が城塞でしたがオスマンによって瓦礫と化しました現在その一部が復興されているようです丘の頂上に立っているのは大主教区教会かつてブルガリア総主教座が置かれていました現在のものは社会主義時代に建てられたものだそうです私たちはここまでで中にはいれません・・中に入ると内装の壁画はブルガリア現代絵画の巨匠の手によるものですが硬直した筆使で社会主義があらゆるところに影響力をもっていたことがわかる雰囲気だそうですフリータイムが1時間あったら駆け足で見学してきたのに・・残念だぁ・・・(w_-; ウゥ・・続くFC2・・はこちらから
2017/06/23
コメント(28)
ヴェリコ・タルノヴォは国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈バルカン山脈の東部にある人口約7万の地方都市でブルガリア人にも人気の観光地です森に囲まれたいくつもの丘と周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは中央ヨーロッパでも際立つものです・・どこを歩いても違う表情をみせてくれ自然と中世の町並みが鮮やかに溶け合っていますかつては「タルノヴォ」と呼ばれ1187年~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えていましたイヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒しバルカン半島のほぼ全域を支配したこともありましたこの細いところを進んでいくとランチをとったレストランのテラスから見えた風景が広がっています・・文化的にもこの時代は周囲を押さえタルノヴォで勉学を修めるためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきましたしかしその帝国もアッセン王死後に衰退を始めやがて宿敵ビザンツ帝国に屈服1398年にはオスマン朝との3ヶ月にわたる首都攻防戦の後ついに滅亡タルノヴォが再び脚光を浴びるのは500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年以降から新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのですどのような歴史を経ようともタルノヴォの美しさは現在も変わりません石畳の坂道を歩きながら町が刻んできた歴史のひとつひとつを味わうのも旅の醍醐味・・中世の町並みが残り古き伝統を守り継ぐ職人工房とお土産物屋さんが並ぶサモヴォドスカタ・チャルシャサモヴォドスカタ(Samovodskata)というチャルシャ(Charshiya=市場の意味)の地図・・マラムレシュの仮面・・魔除けの意味があるそうです・・日本の東北の「なまはげ」を思い出しちゃった・・家の扉に写真が貼られていますその家で亡くなった方がおられると1年間はこうして家の入口に掲示するのだそうです日本でいうところの喪に服すという意味があるのでしょうか・・写真は銅打ち出し職人さん銀細工職人さんや刀鍛冶職人さん木彫り職人さんキリム職人さんなど色々な職人さんの工房が見れます出来上がった作品が壁にかけられていますおじいちゃまとってもいい雰囲気・・お茶を楽しんでいます・・声をかけるととってもいい笑顔を向けてくださいました・・小さな店が軒を連ねていてただただ見て歩くだけでも楽しくなってきますどのお店も工房を兼ねていて職人さんたちが作ったものをそこで売っているのですクマさん骨董品を並べているお店を発見しっかりチェックしています気に入ったものはなかったようです何かめぼしいものはないかとo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oバラのオイルを使ったお店発見・・ツアーの方が香水を見てたので一緒に香りを楽しんでブルガリアでのお買い物はここで最後今夜はルーマニア残ったお金で・・ちょこっとお買い物・・お姉さん美人だよねぇ・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪手作りのピアス・・可愛いのがたくさんあったんだけどここ数年前から金属アレルギーがひどくて欲しかったんだどなぁ・・・ムリッス(。+・`ω・´)続くFC2・・はこちらから
2017/06/22
コメント(29)
ヴェリコ・タルボノ琴欧洲の出身の町・・以前は観光ルートに琴欧州の実家が入ってたそうですが今はもうコースに入ってないそうです・・バスを降りるとすぐにランチのお店に・・・広くて綺麗なお店ですテラス席・・気持ちよさそうでいいなぁ・・団体の私たちはテラス席は無理・・残念・・テラスに出てみるとこんなに美しい風景が広がっていましたボブチョルバ(豆のスープ)「ボブ」とはブルガリア語で豆、「チョルバ」はスープ乾燥白インゲン豆を使ったスープでブルガリアの国民食だそうです見た目・・ちょっとって思ったけど一口食べると・・ウ,ウマ━━━Ψ(°д°;!)━━━!!完食!ホカホカの焼き立てパンナンみたい・・もっちりした食感のパンでした鶏肉・・胸肉かなちょっとパサパサしてたけどお味は良かったですよじゃがいもがもちもちしてるのと水っぽいのがあって通り道でお野菜を並べて売っているのをみてたクマさんじゃがいもはメークインと男爵と両方あったよとこれ・・混ざってたのかなぁ・・デザートはプリン濃厚なお味で美味しゅうございました食後のコーヒーこれ別料金で6レフ・・400円くらいアメリカンを注文したんだけど・・ちょっとしか入ってない・・デリちゃ~~んこれアメリカン違うよ・・アメリカンはブルガリアのコーヒーにちょっとお湯を足すだけだからこれ以上薄めると不味くなります・・これがここのアメリカン・・(*^^*)ということでしたそれでも濃かった・・イタリアで飲むエスプレッソの味・・ホットミルクをいっぱい注いでもらいたかったけどそれも経験・・o(*^▽^*)oあはっ♪FC2・・はこちらから
2017/06/21
コメント(36)
バラ博物館にさよならして向かうのはヴェルコ・タルボノバラがたくさん植えていますがまだまだです・・6月に来るとバラまつりで賑わうのでしょうね・・ブルガリアの真ん中を東西に横切っているバルカン山脈その中央部分に北部と南部をつなぐ道路が走っていますその峠の名は「シプカ峠」その「シプカ峠」は水牛のヨーグルトが食べられるという事で有名な峠・・ブルガリアがオスマントルコ帝国から解放された契機となったロシアとトルコの戦争「露土戦争」の際にこの峠で大激戦になり大勢の人が亡くなったそうですそのメモリアルとして標高650mの峠のてっぺんには大きな碑が建てられています水牛の乳は牛乳と比べてかなり脂肪分が多いのでヨーグルトも当然脂肪分が多い(7.5%ほど)とても濃厚でクリーミーな味わいその水牛のヨーグルトがここシプカ峠で食べれますこの売店で売っています右の冷蔵庫の中に入っています1個・・10レフ=640円はちみつがほしい方は売店で売っています写真撮るの忘れて半分食べちゃった・・これ結構大きくて一人で1個は無理私はいつもプレーンで食べてるからそのままのお味を・・めっちゃ濃厚でクリーミー!酸味はほとんどないです・・ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ クマさん・・どう?濃厚で美味しいわ・・ヾ( ´( ェ )`)ノ フッお持ち帰りができないのが残念・・水牛のヨーグルトはここにしか売ってないと・・とってもいい経験させていただきました・・o(*^▽^*)o~♪続くFC2・・はこちらから
2017/06/19
コメント(29)
2017年4月27日(木) 快晴朝食のレストラン停電でろうそくの灯りで食事床はなぜが水に濡れてびしょびしょ・・簡単にヨーグルトとコーヒーで済ませて・8時30分ホテル出発カザンラクはソフィアからヴァルナ間の幹線上に位置しますバラの谷で一番大きな町ですカザンラクとはバラを加工する際に使う銅の釜を意味しバラ産業の中心地ですここで催されるバラまつりの日にはたくさんの観光客が訪れます町の北東トュルベト公園の中にある世界遺産のトラキア人の墳墓へ向かいますこの階段の上がトュルベト公園です階段途中の水飲み場本物は見学できませんので精巧なレプリカを見学ですここがレプリカの入り口中に入ると狭くてくらい展示場となっていますすでに持ち運びしやすい金めのものこそ盗掘されていたものの天井や壁面の装飾はほぼそのままで残されていたことから丘のあちこちにあるほかの墳墓とは価値も扱いも異なり1979年には世界遺産に登録されました図でどの辺りにどんな土器が埋まっていたかがわかります発掘された土器の展示・・きれいに修復されていますね・・フォルムがとっても美しいですでは、中へ入ってみましょうちっちゃいな・・と思った・・この奥に・・丸天井のお部屋が続きます回廊や埋葬室はともに慣例的な葬儀の宴におけるトラキア人の夫婦を描いた壁画で飾られていますその壁画には素晴らしい馬が描かれていて目を惹きます周りを囲むようにいろいろな場面が描かれています葬送の儀式の場面の一つ・・座っている夫婦が手を握り合って最後の別れを惜しんでいるところです・・これは、王の死に際して王妃が殉死することを意味しているという説と先立つ王妃を王が慰めているとの説があり実際のところは定かではありませんが埋葬されていたのは男女二人でした・・トラキア人は死を恐れなかったので戦いの時相手がひるむ程・勇敢だったそうです死は苦難からの開放と考えられていたからだそうです新しい生命が誕生するとその子が経験する多くの苦難を思い嘆き悲しむ儀式をし・・人が死を迎える時は苦しみから解放され安らぎの本来の世界へ帰ることを信じて死者の旅立ちを祝ったそうです壁のひび割れやところどころの傷やかすれなどはレプリカとは思えないリアリティがあります小さな墳墓ですので一度に入れるのは5人まで・・デリちゃんが入り口でわたしたちの出るのを確認して交代で見学します・・すぐ近くに本物の墳墓があります鍵がかかってて・・隙間から中を覗きましたが何も見えませんでしたトラキア人の死生観・・生まれたときから苦難を背負い・・死ぬときは安らぎの世界へ・・そう考えたなら死を恐れることはなかったのでしょう・・続くFC2・・はこちらから
2017/06/14
コメント(36)
20時15分カザンラクのホテルに到着日が長いからまだまだ明るいです遅くなっても時間がいまいちわかんない・・時計を見てもうこんな時間!って感じですカザンラクは毎年6月にバラ祭りが開催されるバラ産業で有名な町でお祭りの時期以外は静かな小さな町ですその小さな町を代表する3つ星ホテル「グランド・ホテル・カザンラク」に宿泊お部屋の窓からセヴトポリス広場が見えますこの公園の水飲み場で水を飲むと地元の方と結婚すると言われているそうで飲まないでくださいね・・帰れなくなっちゃいますよ・・とデリちゃん笑ってました・・日が沈んできましたね・・今夜の食事はホテルにてホテルの外観も古さを感じますが中に入ってもおよよって感じです旧共産党の国なんだなぁとなんとなく思いましたエレベーターも手動ドアのタイプ自分でドアを開けないと開きません・・これがちょっと怖い・・クマさん・・(((ρT-T)ρオヨヨたっぷりのサラダ・・完熟トマトが最高!とにかくお野菜が新鮮でめっちゃ美味しい・・クマさんも認める美味しさです・・地元のビール・・とっても飲みやすくて喉越しの良いビールですご飯と豚肉のホワイトソースがかかったものご飯食べるんだ・・焼き魚・・これは白身のお魚でスズキの一種だそうです・・塩味の按配が良くて美味しかった・・こねくりまわしたお料理より素材を活かしたお料理が美味しい・・デザートはまるごとのりんご・・シャリシャリしたりんごで甘かったですよ・・食事中・・みなさんと話が弾んで・・結構遅くまで話し込んでいました・・お部屋に戻るとちゃっちゃとシャワーを浴びて明日の準備をしてベッドに倒れ込んで爆睡・・続くFC2・・はこちらから
2017/06/11
コメント(39)
やっと到着・・右の下の方見えますか女性の頭・・ここにテーブルや椅子が置いてあって皆さん・・冷たい飲み物を飲んで一休みしていましたよローマ劇場跡旧市街(トリモンティウム)の断崖にありますローマ時代の半円形の劇場跡です右上に黄色い建物が・・音楽学校です・・遠くにロドビ山脈も見える抜群のロケーションです3000人が収容できる劇場で保存状態はとっても良いです現在も夏は野外コンサートが催されているそうですデリちゃん・・一度だけ見たことがあるそうですチケットがなかなか手に入らないと言ってました時間がたっぷりあったらそういう経験したいですねぇ・・さて・・来た道を降りていきます皆さんもご一緒に歩いてくださいね・・同じ風景でも太陽の角度が違ってきて屋敷に木の影が写って違った美しさ・・したまで降りてきました名残惜しいけどバスにてカザンルクまで約104キロ・2時間の移動です続くFC2・・はこちらから
2017/06/09
コメント(34)
美しい町並みを見ながらどんどん登っていくと幼稚園が・・門の隙間から覗いているとこの幼稚園イリちゃんも通った幼稚園だそうで・・快く写真を撮らせてくださいました(-p■)q☆パシャッパシャ☆ボヤジエフの家19世紀に建てられたお医者様のお屋敷ですブルガリア現代美術館界で最も評価されている画家ズラトュ・ボヤジエフの学生時代から現在までの作品が公開されているそうです内部見学はなしです更に上へ・・車は通らないの?の質問・・通ります・・たまに車がやってきます・・上から町を見たところ結構・登ってきたね・・まだまだ登ります・・ここ・・結構・・体力使います・・ラマルティンの家1830年に豪商が建てたて家後に僅か3日間だけフランスの著名なアルフォンス・デ・ラマルティンと云う詩人が過ごしたのでラマルティンの家と呼ばれているそうです2階部分が道路にせり出した典型的な民族復興様式の家屋ですこの町で見られる富裕層の装飾豊かな邸はそれぞれが個性的でファサードだけでなく裏面や側面から眺めても絵になりますこの画像・・戻るときに撮ったものだから・・日差しが変わってきてるでしょ・・まだまだ登りますこの先に音楽学校があります楽器を練習している音が聞こえてきましたよ・・いたずら?どこにでもこういうのあるのねぇ・・目についたのはこの場所だけでした・・目的地までまだもう少し・・続くFC2・・はこちらから
2017/06/07
コメント(34)
ランチのあとはプロヴディフへデリちゃん・イリちゃんの母校であるソフィア大学・・約145キロ・・3時間のバス移動・・ずっとこんな風景が広がっています菜の花がいっぱい咲いていますキャノーラ油をとるための菜の花だそうですプロヴディフの歴史は古く紀元前4000年まで遡れるそうです実際町を歩くとトラキア人が残した要塞の跡からローマ時代の数々の遺産ビザンティン帝国が残した遺跡オスマン・トルコ時代の建物そして民族復興期の邸宅にいたるまですべての時代の見どころが存在しますそれら多種多彩な遺産が現代の風景の中に違和感なく溶け込んで共存しているのがこの町の特色です歩くのがこれほど楽しい町はなかなかないのではないでしょうかトラキア平原のほぼ中央部に位置することで古くから商業が栄え支配者が変わっても商業都市としての性格は変わることがなく毎年5月と9月に開かれる国際見本市には世界中からバイヤーや報道関係者が詰めかけるそうですここイリちゃんの実家のある町なんです・・イリちゃん・・こんな素敵なところで育ったんだ・・さて・・いよいよ・・旧市街に入っていきますちょっとした横道も素敵だね・・石畳の坂道・・結構あるきにくいけど素敵な町並みを見ながらだと全く気になりませんブルガリア民族復興博物館(ゲオルギアディの家)1848年に富豪のトルコ人によって建てられた屋敷で歴史博物館として利用されています1階がギャラリー2階が民族復興期の資料館となっています残念だけど内部の見学はできませんでした・・ヒサル・カピア(要塞門)ゲオルギアディの家から続く道にヒサル・カピア(要塞門)と呼ばれる門があります紀元前4世紀にマケドニアのフィリッポス2世によって建てられました旧市街防衛の要となる門でローマ・ブルガリア帝国オスマン朝と支配者が変わるごとに破壊と修復が繰り返されたそうです更に登っていきます地域民族博物館国の需要文化財に指定されていますイスタンブール出身のハジ・ゲオルギが1847年に建てた屋敷を利用した博物館ですバロック様式と民族復興洋式がミックスされた建築様式で黒を基調とした外壁に描かれた花模様が目を引きます建築当時の家具調度・民族衣装ブルガリアのバグパイプなどが集められていますここも中には入れませんでしたので窓から覗いて見てきましたもうねどこを見ても素敵で・・絵本の中に入り込んだみたいです・・こんな素敵な町で育ったイリちゃん羨ましいぞ・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/06/04
コメント(37)
これからお昼のレストランへ向かいますすでに1時半を回っていますお腹空いたぁ・・ちょっとした通りも素敵だよねぇ・・このお店でランチですパンはどこで頂いても美味しいです・・お皿一杯の新鮮なお野菜・・こんなに食べれるかなぁ・・って思ったけど・・キャベツの浅漬みたいな感じで完食!カヴァルマブルガリア全土にある家庭煮込み料理で豚肉や鶏肉などの角切りの肉に玉ねぎ・トマト・ピーマンなどの野菜を加えワインで煮込み土鍋に入れてさらにオーブンで焼いたものですこれは豚肉を使ったものでしたブルガリアの方・・豚肉がとっても好きとデリちゃんが言ってました・・素材の味を壊さない優しいお味でしたデザートはヨーグルト・・したには蜂蜜がたっぷり入っています・・お水は無料でついてくるからお昼はお水だけで十分・・ビールは夜のお楽しみ・・o(*^▽^*)o~♪続くFC2・・はこちらから
2017/06/03
コメント(28)
ボヤナ教会でまったりした時間を過ごしたあとはいよいよ・・聖ペトカ地下教会へマクドナルドどこにでもありますねぇ・・白とイエローは初めて見たかも・さっき通った道を戻りますローマ遺跡発掘場所奥に聖ペトカ地下教会が見えてきました聖ペトカ地下教会ソフィアの中心を南北に走るマリア・ルイザ通りとヴィトシャ通りがぶつかる街の中心点に地下から屋根を覗かせた教会が見えますこれが地下鉄セルディカ駅に続く地下道内にある聖ペトカ地下教会です正式には馬具工の聖ペトカ教会といい教会が馬具を作る馬具工の守護者となったことからこの名前が付けられたそうですオスマン・トルコの支配が始まった14世紀末にイスラム教徒から目立たぬように半地下に建てられた東方正教会の礼拝堂で外観は質素なレンガ造りで窓がありません教会内部は美しい装飾が施されていて2階部の壁にはキリストの生涯(誕生、奇跡、苦悩、受難、昇天等)を描いた異なる時代のフレスコ画があります内部の写真撮影は有料10レフ・・約600円・・入り口からはいったところはこんな感じです狭い階段を登って2階に上がりますかなり煤けています・・リラの僧院とは全く違いますね・・地下道から屋根だけを地表に突き出している半地下式の教会第二次世界大戦後の発掘により発見された地下聖堂などを有しています外壁は1メートルの厚さがあり石とれんがによって出来ていますオスマン帝国の支配下であった16世紀に登場しかつての古代ローマの宗教施設の跡に建造されていますこんにちでは14世紀・15世紀・17世紀・19世紀の壁画で知られる文化的遺産です小さい教会ながらも美しい教会です地下教会はブルガリアの聖ペトカと呼ばれる11世紀の聖人に捧げられたものですイリちゃん聖ペトカ地下教会に入ったのは初めてだそうで熱心にメモしています・・オスマン朝の治世下にあった14世紀イスラム全盛の世にあってこのような形を採らざるを得なかったキリスト教の教会は肩身の狭い思いをしていたのではないでしょうか・・この階段狭くて急でしょ階段の幅も狭くてちょっと怖かった・・続くFC2・・はこちらから
2017/06/01
コメント(31)
ソフィアっ子の週末の憩いの場「ヴィトシャ山」市内から車で30分ほどで行けるこの山は夏はトレッキングや避暑冬はスキーなど市民に愛されている山ですこのヴィトシャ山の麓に立つのが1979年に世界遺産に登録された「ボヤナ教会」です緑あふれる公園内を歩いていくと石造りの質素な教会が見えてきます外観だけみると「え?これが世界遺産?」と思うほどひっそりと佇んでいます中に入る前にボヤナ教会の周りを見てみましょう・・側面を見るとレンガの色・形・石など3つに分かれているのがなんとなくわかりますね写真左側は1048年に創建された聖ニコラウス聖堂真ん中の一番大きな教会は1259年創建のパンティレイモン聖堂そして左が1845年創建の第三聖堂とボヤナ教会は3つの聖堂からなるブルガリア正教会なのですボヤナ教会の中へは自由に出入りすることができず数名単位でまとまって管理人と一緒に中に入ることになります私たちは10人づつのグループに別れて入りました正面に写っている小さな入口から入ります低いから気をつけないと頭を打ちます入るとオスマン帝国時代に増築された四角い建物の中となりますこの中にもフレスコ画がありますがメインとなるのはこの奥にある聖パンティレイモン教会奥に進む前に管理人からカメラやバッグなどの荷物は全てここに置くように指示を受けます写真撮影は禁止!お土産物屋さんで日本語の本をゲットそこから画像を写しましたボヤナ教会で一番大きなパンティレイモン聖堂にはブルガリア最古の歴史人物の肖像画があります写真は当時ソフィア界隈一の資産家だったカロヤン伯爵と夫人のデシスラヴァこのフレスコ画を見て他との違いがわかるでしょうか聖人を示す光輪がありませんねこの二人は光輪がないことでも明らかなように聖人ではなくこの聖堂の建築費の提供者そのため、手に教会を持っているのですイタリアのサンタ・マリア・デッリ・グラッツェ教会に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチ作で有名な「最後の晩餐」この有名な場面も左側上部に描かれていますイエスと12使途たちの表情が豊かでついついずっと眺めてしまいたくなる作品でした外に出て・・みなさんが終わるのをのんびり散策しながら待つことにクマさん鳥を見つけて撮ろうとしたのですが60倍にしてしまって見失ってしまったみたい・・一気に望遠にしちゃうとそうなっちゃうよね・・もたもたしている間に飛んで行っちゃった・・o(*^▽^*)oあはっ♪イリちゃん・・のんびり座っていたので(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪入り口では絵描きさんご夫婦が絵を売っていました絵がならんでいなければ・・日本っぽい雰囲気しませんかぁ・・(´∀`*)ウフフ続くFC2・・はこちらから
2017/05/31
コメント(30)
大統領官邸前の衛兵衛兵さんってかっこいいよね・・どんなに見つめても絶対に動きません・・デリさんもうすぐ・・来賓が来るので早く見学しないと見学できなくなると慌てていますSPが警備していますねぇ・・こっそり(-p■)q☆パシャッパシャ☆聖ゲオルギ教会大統領府の中庭にあるレンガ造りの教会ですソフィア市内で最も古くローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代である4世紀にローマ帝国によって建設されて以来長い歴史を今に伝える貴重な建物です教会の背後にはローマ時代の浴場跡などが残っています内部は撮影禁止です・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/28
コメント(32)
徒歩にて移動・・・振り向くとアレクサンドル・ネフスキー寺院・・なんど見ても素晴らしい解放者記念像ロシア皇帝アレクサンダル2世(1818~81)の騎馬像ですアレクサンダル2世は露土戦争の勝利によってブルガリアをオスマン朝支配から解放した英雄ですアレクサンドル・ネフスキー寺院同様に解放戦争をたたえるために建てられたモニュメントです高さ14メートル右側にはオスマン朝に対する宣戦布告書を持ち台座には「我が兄弟、解放者のために」の碑文が刻み込まれています聖ソフィア教会戦没者慰霊碑とイヴァン・ヴァゾフの詩(正面真ん中の部分です)ブルガリアのために戦死した兵士を慰霊するために造られたもので石棺や5つの石像の壺には戦没者の遺骨やブルガリア全土から収集された土が安置されています4本の剣に支えられている聖なる丸い青銅製の祭壇には永遠の炎が燃えています2つの青銅製の月桂冠で装飾された厚い石板には傑出したブルガリアの詩人であったイヴァン・ヴァゾフが詩作した詩節が刻まれています聖ソフィア教会横のライオン像ブルガリアの国章には3匹のライオンが描かれていてブルガリアの象徴となっています聖ソフィア教会6世紀にユスティニアヌス帝が建てた教会ですビザンツ洋式とロマネスク様式の初期キリスト教会堂で首都ソフィアの名はここに由来しますオスマン朝の支配下にあった時代にはイスラム寺院として使用されていましたその後地震などで建物は破壊され現在の建物は1900年以降になって復元されました内部は写真禁止・・聖ソフィア教会とは道路を挟んで反対側にある市民公園聖ニコライ・ロシア教会ソフィアのロシア教会と通称されているこの教会はロシア正教の聖堂でオスマン帝国から解放された19世紀末にこの地にあったモスク跡にロシア復興様式で建てられたもので金色に輝く5つのドームが特徴的です移動中も遺跡があったりして目をはなせませんここでデリちゃん・ストップトイレ休憩・・この木にもマルテニツァのお守りがぶら下がっていますね階段を使って地下に降りるとこの奥にトイレ・・トイレは基本洋式の水洗ですが・・使用済みのペーパーは流せません置いてあるゴミ箱に。ρ(..*)(*・・)σ ⌒・ ポイッなんと・・ここ・・セルディカの古代要塞遺跡なんです大統領官邸前の地下道にあるこの遺跡古代トラキアのセルディ族が温泉のあるこの地に住み始めセルディカと名づけたのがソフィアの始まりとのことでローマ帝国時代の2世紀後半に要塞を築いたものが残されていますホンマに凄い!!続くFC2・・はこちらから
2017/05/27
コメント(28)
ホテル出発 9時05分今日はソフィアの市内観光ブルガリアの首都ソフィアは地理的にはブルガリアの中心部ではなくブルガリアの西部に位置しセルビアとの国境からわずか60キロほどのところにあります車窓より聖ペトカ地下教会ソフィア市の名称は聖ソフィア教会に由来します教会がソフィアにできたから聖ソフィア教会となったのではなく聖ソフィア教会があるところにできた町それがソフィア・・バスを降りて徒歩移動アレクサンダル・ネフスキー寺院5000人を収容するブルガリア最大で最も美しいと言われる寺院です高さ60メートルの金色のドームをはじめ12のドームからなるネオ・ビザンツ洋式の豪華な建物ですこの寺院はブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦士した約20万人のロシア人兵士を慰霊する目的で建てられ1882年に着工してから40年の歳月を経て完成しました存在感が凄いです・・ネオ・ビザンツ洋式はロシアなどで見られるような教会に多く円形のアーチやドーム・モザイク装飾が特徴的です白い壁に金色の装飾がされたドームやきれいなうす緑の屋根は私たちがイメージする教会そのもので間近から見上げると大きさに圧倒されますミサの時間以外は誰でも入場出来ます内部も見学出来ますがお祈りをしている人もいるので静かにする必要がありますでわ・・中にはいりましょう・・大聖堂の中に入ると天井の高い 5 つの身廊が高いアーチでつながった構造になっています市松模様の床・輝くシャンデリア・・複雑なデザインのステンドグラス圧倒されます壁は多数の壁画で飾られおりその多くはブルガリアとロシアの聖人が登場する場面を描いたものです内部はかなり暗くてうまく撮れていませんがロウソクの煙でかなり煤けているのがわかると思います内部から入り口に向かってドアから光が差し込んで内部の暗さがわかるでしょうか・・アレクサンドル・ネフスキーの聖遺物である指の骨「我々のために神に祈って下さった聖なる父アレクサンドル・ネフスキー大公」と書いているそうですこの指は1998年に当時の総主教アレクシー2世によって寄贈されたらしいです内部装飾で目を見張るのはメノウ・大理石をふんだんに使った精巧なモザイクが壁を覆う壁画大理石はブラジル・ギリシャ・エジプト・イタリアなどからはるばると運ばれてきたものですドームの天井からつりさげられた巨大なシャンデリアの豪華さも圧巻!3つある祭壇は中央がロシア向かって右がブルガリア左がほかのスラヴ諸国にささげられたものです地下室は国中から集められたイコンを展示する博物館となっています残念ながら今回は地下室の博物館はみることができませんでした重厚な扉どれをとっても素晴らしくてため息しかでません・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/26
コメント(32)
2017年4月26日(水) 快晴 7時からの朝食を済ませ出発時間まで近くを散策駅まで行ってみたいとホテルの玄関前でo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oそこへ・・お一人参加のAさんがやってきて一緒に向かうことにホテルを出発するとトラムの線路見っけ・・橋にはライオンが・・トラムがやってきました可愛い色ですねぇ・・お花も咲いてとってもいい季節・・どんどん歩いてみたけど駅らしきものがない時間が少なくなってきたので戻ることにパン屋さん・・めっちゃ美味しそうですねぇ・・ピザ・・1枚1レフ・・64円・・ホテルに戻る途中で向こうから大きなリュックを担いだカップルが日本人?????[影]ω ̄)ジーーーあちらも気づいて足を止めてくれました2ヶ月ヨーロッパを回って昨夜12時頃駅についたそうで駅のベンチで寝ていたと・・学生のカップル・・明日には日本に帰って・・教師試験を受けると言ってました真っ黒に日焼けした顔が逞しかった・・写真撮らせてもらうの忘れた・・▼▼”⌒☆o(_ _o)ドテッFC2・・はこちらから
2017/05/25
コメント(35)
夜は20時くらいまで明るいから観光で遅くなっても遅いという感覚がない・・夜はホテルで20時30分からバイキングバイキングめっちゃ苦手なんか・・サラダばっかりになってるし・・ビール・・10レフ・・640円普通に美味しいビールですここでえらいことが・・ガッシャーン!ビールを持ってきた女性スタッフ私とY村さんの席の間のところで瓶ビールとグラスをお盆から落として割っちゃった・・Y村さんの奥様の肩にもろにビールがかかって私のパンツも濡れちゃった・・その音に気がついて添乗員の新○さんや・・ガイドのデリちゃんが飛んできた・・椅子もベタベタになってて私・・すぐに椅子を取り替えてとお願いして・・Y村さんに怪我しなかった?大丈夫?と聞くと大丈夫・・怪我がなかったことに一安心女性スタッフ・・謝ることもなくY村さんが動いて当たったからこぼしたって言ったもんだからY村さん切れてしまって・・今日中に洗濯して持ってきて!新○さん・・ここはホテルで洗濯してないから出来ないと思います・・申し訳なさそうにいう新○さんの声を遮って・・そんなことない・・カジノがあるホテルなんだからできるはず!日本ならすぐに責任者が飛んで来るはずなんだけどここはでてこない・・お国柄の違いでしょうね・・デリちゃんが交渉に行ってくれて・・その間もあの人・私が動いたからだって言ってたよねうんうん・・言ってたね・・でもY村さんは動いてないから大丈夫・・そうよね・・私・・見てたから・・絶対動いてないから・・本当はそのビール私達のところに置くつもりのビールだったそれを横から・・ここにもビールってY村さんが口をはさんで振り向きざまに落としちゃったんだよね・・デリちゃん戻ってきて飲んでるビールを無料にしますと言ってますが・・そんなん駄目!ビールなんて飲みたくない!洗濯代出してもらって・・またまたデリちゃん交渉に洗濯代をだすことは出来ないみたいでワインのサービスでなんとか・・とかなり困った顔をしています黙って見ていた私あのネ・・もう仕方ないからワイン貰おうよ・・で・・そのワインお土産に持って帰れば良いやん・・d(*⌒▽⌒*)b ニコニコッY村さん添乗員さんやデリちゃんの話は一切聞かなかったけど私の一言で納得してくれて・・新○さんは・・私にズボンの変えがありますか?シミになるといけないからお部屋で濡れたタオルで拭いてくださいね・・大丈夫です・・o(*^▽^*)o~♪本当は下着まで濡れてたけどもう気の毒でそれ以上なにも言えなかったぁ・・せっかくの食事もまずくなっちゃうしね・・同席していた皆さんにもごめんなさいねぇ・・・いただきましょうねぇ・・o(*^▽^*)o~♪って言ったけどもうあまり食べたくなくなってた・・で・・これ・・ヨーグルトを固めたものにジャムがのってるもの濃厚で☆⌒d(*^ー゜)b グッ!!ブルガリアといえばヨーグルト・・朝食でいただいたけど美味しかったですよぉ・・と言うか日本で明治ブルガリアヨーグルト食べてる私・・あまり違いがわからんかったぁ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆ヨーグルトに水を入れて混ぜて飲むと飲むヨーグルトって言ってたけど・・Σ(ёロё)ホエー!!だよねぇ・・・お部屋に戻るとワインと果物が置かれていました・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/05/23
コメント(33)
ワインを持って来た道を下っていきます薪も沢山用意していますねぇ・・長閑でいいねぇ・・この町で一泊してゆっくりしたいなぁ・・お土産物屋さん可愛い置物がありますねぇ・・下まで降りると大きな公園になっています16時50分ここでバスに乗り込んでソフィアまで179キロ約3時間30分の距離ですバスが止まっちゃった・・前を見ると軍隊?みたいな車が・・軍人さんみたいな人もいるねぇ・・なんだ・・なんだ・・って見ていたらハリウッド映画の撮影に出くわしたらしいです以前もハリウッド映画の撮影があってデリちゃんお手伝いしたって・・なんか・・色んな車が沢山あって・・俳優さんの着替えの車とか食事を作る車とかありましたよ・・なんの映画なんやろ・・気になるわぁ・・19時・・予定より早く到着したからとスーパーに寄ってくれました・・ここで・・ブルガリアのチョコやお菓子をゲット・・ばらまき用ね・・支払いはカードで・・結構いっぱい買ったのに・・26.65レフ・・1705円・・(1レフ=約64円)安いよねぇ・・ちなみに平均給料は350ユーロ・・42000円くらい田舎と都会・・職種によって違いがあり田舎の方が安いそうです・続くFC2・・はこちらから
2017/05/22
コメント(31)
家の中の階段を上って2階のお部屋へとても広くって絨毯の敷き詰められた豪華なお部屋です窓の上にはステンドグラスの窓このステンドグラスはヴェネチアから運ばれてきたそうです大きくてふかふかのベッド〜大きな暖炉のあるお部屋壁に架けられているのは手作りの洋服この写真の方がコルドプロフさんかな?2階からしたの部屋を見たところ・・1階に降りると男前発見ブルガリアは美人とイケメンがいっぱい・・大きな樽と椅子が・・ここで赤ワインの試飲です・・ちょっと若かったけどとっても美味しいワインです洞窟の中にはいっていきますよ・・いきなり沢山の樽が並んで壁にはコインが沢山貼っています・・洞窟内はちょっとした迷路のように分かれ道になっていたどっちに進んでもいいみたいだけど初めての暗〜い通路内は迷子になったらどうしようとちょっと不安・・・クマさんが待っててくれましたぁ・・ホッε=(´ωノ[壁]ここでワインを買って赤ワイン1本・・5ユーロ(600円くらい)ここのワインは1年もねかさない若いワインお味は試飲済み・・荷物になるから1本だけにしましたそれにしても安いよねぇ・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/20
コメント(39)
メルリックへギリシャの国境にほど近いメルリックはワインの産地として世界的に有名な小さな町山岳地方ならではの雄大な自然景観と可愛らしい町並みが不思議と調和している町です町の歴史は古くトラキア時代に始まりますその後・・ローマ・スラヴの支配下で発展し第二次ブルガリア帝国の時代には帝国の南西部を治めていたアレクスィ・スラヴのもとでこの地方の中心になりました長い間のオスマン朝支配を経てブルガリア領になったのはバルカン戦争(1912年~13年)のあと往時には人口2万人教会の数も75あったと言われていますが今では数えるほどしか残っていませんやっとコルドプロフの家が見てきましたコルドプルフは19世紀の裕福な商人の家で現在は博物館になっています今回のツアーには杖をついたおばあさん1人旅の方もいらしってこの坂はきつかったと思いますそれでも最後まで1人で頑張って・・迷惑は一切かけませんでしたすごすぎっ!!((o(★≧∀≦★)o))ガイドのデリちゃんの説明の声も息が切れてハァハァ言いながら後ろからシン○さんが・・デリちゃ~~~ん速い・・もっとゆっくり登ってぇ・・デリちゃん私・足がながいですから・・o(*^▽^*)oあはっ♪デリちゃん・・杖をついたお婆さんがいること思い出してよ・・足元の悪い坂道を杖をついて必死で登ってるお婆ちゃんのこと忘れちゃったかな・・歩くスピードにも配慮が必要だよ・・ここから中にコルドプロフの家から見下ろしたところですあの道を登ってきました・・コルドプルフの家は2階の窓が張り出した独特のスタイルです階段を登って・・屋敷の中に入ります入り口では可愛いお婆ちゃまがお出迎えお願いして1枚撮らせていただきました・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/18
コメント(41)
バスに戻ると皆さん蜂蜜を沢山買って・・それぞれに・・あれを買った・・これを買ったと牛が道路にでてきていますちょっと車窓からの風景をお楽しみくださいねもうねずっとこんな感じなの広い畑がどこまでも続いてる風景を見てるだけで飽きない・・ここでトイレ休憩お水を買ったりお菓子を買ったりクマさんコーヒーが飲みたいと・・パンも美味しそうだねぇ・・お腹いっぱいだったから買わなかったけどクマさんが(* ̄o ̄)ゝオーイ!!こっちきてみ・・裏手の方に行ってみると木に結んだ赤と白のマルテニツァがバスの中でデリさんが説明してたものマルテニツァのお守りマルテニツァはブルガリアの代表的な伝統の一つであり白と赤の糸を織り交ぜて作られた春のお守りのような飾りで3月1日は春の訪れを祝う祝日で3月1日になるとこのお守りを家族、恋人、友人などの親しい人に贈る習慣があるそうです本格的な春がやってくるまで元気に暮らせるようにマルテニツァを手首に結んだり洋服につけたりする習慣が古くから伝わっていますマルテニツァはキリスト教以前からのブルガリアの土俗的なものだと考えられていますルーマニアとモルドバにも「マルツィショル」(mărţişor)と呼ばれる同様の習慣がありますがそこではブルガリアと違って女性だけがマルテニツァを身に着けますアルバニア・マケドニアと北ギリシャに住んでいるブルガリア人もマルテニツァを交換しますマルテニツァを身に着けるのは3月1日から初めてのツバメまたはコウノトリを見かけるまで見かけたら豊作の願いを込めて花の咲いた木へと結びます現在も生きているマルテニツァの習慣は子供にとって最も嬉しいものだそうです3月1日に子供も大人もお互いに祝いの言葉をかけマルテニツァを交換します人がくれたマルテニツァだけが幸運をもたらしてくれると信じられていますバスの中は基本食べ物は禁止です・・でも・・飲み物くらいならOK・・あと・匂いのきついものも禁止例えばおせんべいとかあの香りで酔う方もいるからと前もって添乗員のシン○さんから注意を受けていましたなのに斜め前の席の一人旅の女性がおせんべいをこそっと食べていた・・私の前に座っていたやはり一人旅の女性が気分が悪い・・誰かおせんべい食べたんや・・あの匂いあかんねん・・青い顔してました食べた本人・・あっち向いて知らん顔・・絶対聞こえてるはずなのに・・謝れ!っておもったから・・そっと・・あの人が食べたよ・・って目配せして教えましたこの方・・後々も色々とあって私も被害を受けました・・60代前後の方であちこち1人旅してるって言ってましたがご主人も子供さんもいますよ・・皆さんから嫌われていました・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...トイレもついていますが基本使用禁止です・・FC2・・はこちらから
2017/05/17
コメント(40)
13時10分レストラン出発行くときに目についてたハチミチ農家に立ち寄ってくれましたバスが止まるのを見つけたおじさん上の方に急いでいって沢山のハチミチを持ってきた色んな種類がありますデリさんがバスの中で松の蜂蜜があると話していました日本では松の蜂蜜ってみたことないよねおじさん説明を聞いて・・と言ってるのに・・皆さん殆ど聞かないで・・勝手にワァワァ言ってます松は1番人気で瞬く間に売り切れちゃった・・味は薄めみたいですが咳に効くんだって・・私も松の蜂蜜買いましたぁ・・おじさんホクホク顔でしたよ・・o(*^▽^*)oあはっ♪FC2・・はこちらから
2017/05/15
コメント(37)
リラの僧院を12時03分発レストランへ向けて出発登ってきた山の中を下って・・沢山の牛が放牧されています小さいからわからないかな・・12時11分レストラン到着玄関前に可愛い馬車?が置いてありますお水は無料でついてきます最初にサラダ・・トマトも胡瓜も玉ねぎもとっても新鮮で美味しい・・みなさん・・口々に美味しい・美味しいと食べていました・・パンもめっちゃ美味しくて・・嬉しい・・空になると追加してくれますクマさんパンを片手にサラダをぱくついていますマスのソテーとポテト・・じゃがいもはメークインっぽいお味・・マス・・臭みもなくてめっちゃ美味しかったぁ・・☆⌒d(*^ー゜)b グッ!!デザートのクレープ中にラズベリージャムが入っています甘酸っぱいジャムがよくあっててこれまたヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ トイレに行くとその手前に古いミシンとお花古いレコーダーもいい感じよねちょっと・こっち向いてぇ・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪ここで・・バラのハンドクリームやバラの石鹸が置いてあって・・添乗員のシン○さんがハンドクリームはいい感じだよって教えてくれて皆さん買っていました私もちょっと買っちゃった・・そのコーナーとっても良いバラの香りがするんだもん・・しかも安い!値段に釣られたかって?!大正解!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆
2017/05/13
コメント(48)
鬱蒼とした緑深き一本道の山道をバスに揺られて行くと曲がりくねった道の先にリラの僧院が突然現れます10時56分リラの僧院到着ソフィアの南約65キロ・・リラ山脈の奥深くにひっそりとたっているブルガリア正教の総本山とも言うべき僧院です僧院の歴史は10世紀にさかのぼりますイヴァン・リルスキという僧が隠遁の地としてこの場所を選んだそうです小さな寺院を建て・・それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったそうです現在の形になったのは14世紀で時の王の庇護の下で僧院文化は華開きましたその後ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになりますこの間キリスト教の信仰はもちろんブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていましたがこの僧院だけは黙認されていました往時には約360の房に全国から僧があつまり寝起きしていたそうです僧院の建物は1833年の大火事でおおかたが燃えてしまいましたがその後復旧され1983年に世界遺産に登録されました4階建ての外陣に囲まれ敷地内の中央に建っているのが聖母誕生教会建物自体は1833年の火事のあとに再建されたもので民族復興様式と呼ばれる建築形式によって建てられています白と黒の横縞模様が印象的な教会正面のアーチをくぐると外壁の壁面いっぱいにそして天井にもフレスコ画そこには36の聖書の場面やこの地方のそれぞれの時代の生活のようすが色彩豊かに描かれていますこれは民族復興期最高のイコン画家と言われるザハリ・ゾグラフを含む当時を代表する画家たちが無償で描いたといわれていますブルガリアの教会で見られるフレスコ画は殆どが屋内に描かれており・・しかもロウソクの煙で色がくすんでいますリラの僧院のように極彩色のフレスコ画は非常に珍しいそうです教会内に入ると正面奥に見える数多くのイコンで飾られた壁はイコノスタス聖障ともいわれブルガリアの正教会を含む東方正教会の教会ではなくてはならないものだそうです通常至聖所へは入ることも中を見ることも出来ません至聖所は天国を表していて礼拝のときなどには天国が開かれているという意味を込めてイコノスタスの扉が開くようになっているそうです聖母誕生教会のイコノスタスは幅が10メートルもある立派なもので精緻な彫刻が施され表面には金箔が施されていますブルガリアの木彫り彫刻の最高傑作ともいわれているものでその制作には5年の歳月を要したようです左の塔これがフレリョの塔です僧院ないで1833年の火災を逃れたのはこのフレリョの塔だけです14世紀に建てられた当時のままに残っていますそれでも外壁の壁画は殆ど退色しておらず十分に鑑賞に堪えうる見事なものです今は1階はお土産物屋さんになっていますクマさん・・ここでイコンを買っていましたもうねどこを見ても素晴らしくて圧倒されました僧侶が教会の中からでてこられて写真を撮らせていただきました優しいお顔してますね中庭を囲む外陣の東部分の建物1階とその地下が歴史博物館になっていますブルガリア語の文法を作ったネオフィト・リルスキのお墓です水飲み場このお水とっても冷たくて美味しかったぁ・・トイレ和式ですねぇ・・綺麗に掃除されています水洗ですが紙は流せません・・リラの僧院には8人の僧侶が住んでいます結婚してて家族もいらっしゃいます寄付が多いので車も持っているそうです建物の3階が宿坊になっていて信者が泊まることも出来ますここには有名なパン屋さんがあり揚げパンがおすすめだとデリちゃんから聞いていたのですがすっかり忘れていた・・ツアーの方が2人・・買いに行ってて私にも回ってきました揚げパン・・初めて食べた油の香りひまわりの油かな?これにお砂糖を好みでかけても良いようです私たち日本人には油がきつくて1個は無理デリちゃんは5個くらいぺろりだそうです残ったのはイリちゃんに・・イリちゃん・・嬉しそうだったよ・・o(*^▽^*)oあはっ♪フレスコ画・・沢山撮ってきたけど・・アップが出来ないよぉ・・FC2・・はこちらから
2017/05/11
コメント(37)
2017年4月25日(火) 快晴荷物出しと朝食が午前7時ということで5時半に目が覚めてカーテンを開けるとブルガリアだった・・窓を開けて外の気温を確かめて見る冷んやりしてるけどいいお天気になりそうしばらくすると日が昇ってきてラマダ・ソフィア四つ星ホテルロビー・・カジノも併設されています昨夜到着した時はカジノのネオンでキラキラしてました・・予定通り8時半ホテル出発リラの僧院に向かいます約106キロ・・2時間30分の走行ですマクドがあるねぇ・・連結バスが走っていますリラ山・・2948メートル頂上には雪が残っています暫く走ると中古車市場が左右に・・新車は高くて買えないそうです皆さん中古車を買うそうです部品も揃っているから安心して買えると言ってましたベンツ・・人気だそうです日本車は高くて買えないと9時30分ここでトイレ休憩です女子トイレ少なくて結構時間がかかります日本語ガイドの左がデリちゃん・・そのアシスタントのイリちゃんクマさん両手に花で顔が緩んでるぅ・・イリちゃんはデリちゃんについて実践勉強中来月独り立ちだそうですお二人ともソフィア大学卒の優秀な生徒さん日本語がとってもお上手で発音の綺麗さにびっくり!まだまだガイドの仕事だけでは食べていけないそうで普段は二人共スペイン語でコールセンターで働いていると・・コーヒーはレジで注文してお金を支払ってからこちらのコーナーで受け取ります普通にコーヒーと注文するとエスプレッソがでてきますアメリカンタイプというとエスプレッソをお湯で薄めたものがきますそれでも結構濃い・・こういう道路をどんどん進んでいきます自然がいっぱい暫く走り・・10時15分にコチェリボ村に到着ここで写真タイムですコウノトリさんがいますよぉ・・ここはコウノトリで有名な村・・子供もいたんだけどうまく写ってない・・残念・・あちこちの屋根の上に巣をしているのが車窓からも見えましたよドライバーのマリアンナさん・・ドライバーさんとは英語で話していました安全運転でドライバーテク・・抜群のドライバーさんでした・・これ・・趣味で集めているんだって・・凄いねぇ・・アートになってる・お家はこんな感じです・・古いお家がおおいですどのお家にも煙突がついています冬はかなり冷え込む(-5度くらい)ので薪ストーブはかかせませんね・・実にのんびりとした自然一杯の農業国・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/10
コメント(39)
2017年4月24日(月)快晴関空の団体受付に8時集合・・5時半自宅出発早朝であり・・渋滞もなくスイスイと予定通り2時間で到着車を預け4階の団体カウンターへ・・すでに数人並んでいる・・ざっと見ると私達と同年齢が多い現地では円で両替が出来ないためユーロに両替たいして買うものもないようで1人100ユーロもあればいいらしい・・今回のツアーはお一人様参加が11名お二人様参加が20名の31名お一人様参加が11名なんて今迄で最高・・それにしても31名は多いな・・LH 741 10時発フランクフルト行き・・11GATE・・0920予定通り飛行機に乗り込む団体だから仕方ないけど後ろのほう・・055G・・055F・・真ん中4列の通路側から二席・・窓側を希望したけど満杯でどうにもならないと・・お隣は同じツアーのY村さんご夫婦・・15分遅れで出発・・2時間ほどして食事クマさんはカレー風味のチキンサラダ・・蕎麦・・鶏もも肉のソテーとトマトクリームソース・・フライドポテト蒸したさやいんげん・・人参のグラッセ・・果物私は牛肉のすき焼き・・玉ねぎのスライス・・人参・・三葉・・玉子・・ご飯・・果物お付き合いの長い方はご存知だと思いますが私たちあることがきっかけになって機内食を一切受け付けなくなっていました去年・・長男のところに行く時10数年ぶりに機内食が食べれて・・今回も美味しく頂きました4時35分軽食が出るサンドイッチかおにぎりおにぎりをゲットこういうのが嬉しいね・・二度目の食事は20時過ぎに豚肉味噌炒め・・揚げなす・・青梗菜・・人参・・ご飯ストロベリームース2人とも同じもの・・機内ではお隣席のY村さんご夫婦と仲良くなってちょっとほっとして・・眠たくなって寝ようとすると斜め二席後ろの女性2人・・私達と同じツアーの方すっごい大きな声で乗ったときから喋りっぱなしうるさくて眠れない飛行機に乗ったことのある方はご存知でしょうが飛行機の中・・結構大きな音がしています仕方がないから映画をつけて大音量にして(大音量でないと聞こえません・・)寝ようとしたけどまだ・2人の声が聞こえてくる・・11時間半の飛行中・・ずっと喋りっぱなし・・笑い声はひときわ大きくなる甲高い声に閉口する・・なんどか後ろを振り返って見る目は合うが声のテンションはフルパワーこれから先が不安になる・・フランクフルト空港21時45分着7時間の時差・・現地時間14時45分予定通り到着ここで4時間待ちトランジットのゲートがかなり遠い・・お茶を飲んだりして時間を潰すLH 1428 19時15分発ソフィアへ20分ほど遅れて出発すぐに軽食がでる・・チーズのサンドイッチ・・21時17分到着遅れて出発したけど早く到着しましたここでまた1時間の時差現地時間20時17分荷物を受け取って・・両替に戸惑っている方が大勢いてクマさん1人で黙々とツアーの方の荷物を取り出していますほかの方は自分の荷物だけ持って知らん顔・・なんだかなぁ・・バスに移動・・23時10分ラマダ・ソフィアホテル着カジノのある派手なホテル・・部屋の鍵を頂いて狭いけど清潔なお部屋ここは二連泊なので荷物は整理しなくて済みます明日は8時30分ホテル出発早々に眠りにつく・・飛行機でほとんど眠れなかったから爆睡・・続くFC2・・はこちらから
2017/05/07
コメント(46)
チェックインを済ませセキュリティーチェック出国検査を済ませ一休みクマさん・・ちょっとお疲れモードかな・・目一杯遊んだものねぇ・・・朝食を食べてなかったのでここでやっと~~■P_o(^-^o) COFFEETIMEお土産物屋さんを覗くもほしいものなしと言うか変えた20000円分のバーツと長男のツアー代金(20000円くらいをバーツでくれた)残ったバーツ・・殆ど長男にあげちゃったからねぇ・・長男・・こんなにもらっていいの?なんて言ってましたが今回の旅ではどこに行ってもすべて長男が出してくれてたし最初からそのつもりでいました飛行機が出発の準備をしています食事を運んだり忙しそう今度いつ来れるかなぁ・・マタネッ(^ー^)ノ~~Bye-Bye! チャイナ・エアラインの機内食本当に美味しいの・・完食!定刻通り15時40分台湾に到着トランジットの時間1時間45分余裕だなと思っていたらセキュリティーチェックで凄い行列どんどん時間が過ぎていくし焦ったぁ・・通過したのは1時間後あと45分だぁ・・すぐに搭乗口へ 17時25分発日本へ向けて出発外は薄暗くなっていました二度目の機内食わたしは魚の照り焼きこれ・白身魚に鰻のタレを絡めていてヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ クマさんはお肉これもちょっと味見させてもらったけど美味しかったですよ・・チャイナ・エアライン気に入っちゃった・・関空にも定刻通り20時50分着預けていた車をもってきてもらって自宅に着いたのは11時・・クマさん(*´∇`*)オツカレサマー買ってきたものは顔用のココナッツオイルと石鹸これお土産用に沢山買ってきましたタイの物価からすると結構なお値段だったなぁ・・使い心地はしっとりしてて☆⌒d(*^ー゜)b グッ!!セブンイレブンで見つけたラーメンお野菜たっぷり入れて作ると結構いけますこれも・・ばらして友人にもおすそ分けあとはありきたりなチョコレート終わりFC2・・はこちらから
2017/02/22
コメント(70)
2016年12月6日(火) 晴れいよいよ帰国CI834 11時10分のフライトです朝のバンコクの渋滞は凄いホテルを7時にはでたほうがいいとのアドバイスでタクシーを7時にお願いしておきました長男も7時には長男専用のドライバーさんがホテルに迎えに来ますエレベーターから降りてきた長男ビシっとブラックスーツ姿で現れた我が息子ながらかっこいい・・あの車の人が僕のドライバーさん・・とっても人の良さそうな方でしたちょこっと頭をさげてタクシーに乗り込み(=^ー^)ノ彡☆゜・。・゜★バイバイちょっと走るとすでに大渋滞朝食を食べるとクマさん・・40分後くらいでウンコに行きたくなっちゃう今回はそういうことが2度あり迷惑をおかけした・・長男から親父・・高速乗ったらトイレないからそこは考えんとかんとあかんで・・絶対に無理やから・・と注意されていましただから・・朝食抜き・・タクシードライバーさんなんか・・愛想悪いし・・タクシー汚いし30分ほど走って・・(゜O゜;アッ!メーター・・倒してないのに気がついた・・ホテルで呼んで頂いたタクシーということですっかり安心していたがすでに遅し不覚!!ヾ(゜、゜*)ネェネェメーター・倒してないよね・・・(*゜・゜)ンッ?・・ほんまや・・倒してない・・確か・・400バーツくらいだったと・・(ここでクマさんに話しておくべきやった)空港に着いたのは8時過ぎ・・でね・・800バーツだっていうのよそしたらクマさんが・・700・・ウソ……(l|゚Д゚l|l)……ッ!!!クマさん・・ホンマに値引き交渉下手や・・ほんまなら400やで・・スーツケースを降ろしてから700と言ってしまったクマさんの手前600というと700だと言い切るでも・・でも・・600だけ手渡した・・数えて・・700だ・・100足らないと・・もう・持ってない!と言ったら仕方ないなぁ・・って顔してたそれでも200の儲けやん!暫くしたら長男からLINE着いたかな?色々ありがとね。気をつけて帰ってや・・着いたけどメーター倒してないのに気づくの遅くてぼったくられた・・800言ったけど600だけ渡した・・あらあら。メーター回してなかったんや。でもそれもタイやからええ思い出になったんやない(笑)どこまでもポジティブな長男の言葉にそれもそうだと納得して昨日のお持ち帰りの鶏・・食べて処分することにしました長男が言ったとおり皮がとっても美味しかったぁ・・トイレに行くと・・すごい行列・・並んでいると中国人がいきなり中に入っていって先頭の人の静止を振り切って入っちゃった・・それを見ていたお掃除のおばさん・・すごく悲しそうな顔をしてた・・言葉はわからないけどあれは駄目だよねって・・身振り手振りで・・伝えて・・ホンマに中国人・最悪!私が前にいたら引っ張ってでも入らせなかったのに・・こんな光景・なんど目にしたことか・・今までも・・腕引っ張って後ろに行け!ってなんど言ったことか・・ホンマに(#`皿´) ムキーーーー!続くFC2・・はこちらから
2017/02/21
コメント(59)
タクシーでホテルまで一旦戻って・・が・・そのタクシー暴走族がつけるようなマフラーをつけてたもうね・・バリバリ・・バリバリ・・やかましい事頭・・痛くなったわ・・タイってホンマに何でもありなんやとε-(;-ω-`A) フゥ…結構お腹もはっていたので夕食はどうするかということに・・明日は帰国しちゃうしおすすめのタイのお鍋食べに行こうか・・と長男が・右側のお店です中はお客さんでいっぱい1席だけあいていましたラッキー\(^^\)(/^^)まずはビールで(*´∇`*)オツカレサマーやっぱり氷・・長男はもう氷入りのビールしか飲まないと・・郷に入れば郷に従えどこにでも・すぐ馴染む性格わたしにそっくり!お肉・イカ・えび・・下にお野菜が入ったお皿がありますそのお皿に卵をのせて・・まぜまぜして土鍋に材料を放り込んで煮ます煮えるのを待つ間豚のモツをこれはちょっと甘辛いタレをつけるとコリコリしててヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ 野菜の炒めたものこれも唐辛子が入ってるからちょっと気をつけて食べないと炎炎炎>(~Q~;;) ヒィィイ!!カラィィイイ!! お鍋は・・とっても優しいお出汁が最高ここにも・・甘い・辛い・酸っぱいの調味料がおいてますちょっとずつ入れて味見これがまた違った味に変化してグッ!! ( ̄ε ̄〃)bこの野菜・・お口直しに食べるとお口の中がリセットできてまたまたお料理が美味しくいただけますそこに店員さんがやってきて長男に何か言ってます鶏を注文していたのを忘れていたようです長男・・もう食べれないと判断お持ち帰りにしてもらったよと・・それを私たちに手渡して皮がめっちゃ美味しいから朝・・チンして食べてと・・結構お腹はっていたけど美味しいものは入るもんだねぇ・・もうお腹・・パンパン満足じゃぁ~~~~!土・日・月と3日間目一杯付き合ってくれて・・いっぱい話をして楽しい時間はあっという間明日は帰国・・ちょっと・・寂しいなぁ・・続くFC2・・はこちらから
2017/02/19
コメント(66)
アユタヤの観光を終わりバスの中でみなさんと意気投合美味しいお店はない?と聞かれていた長男若いカップルと熟年ご夫婦・・目的のお店が同じだったのでご一緒に行かれることになりお店の近くで降ろしてもらっていました・・私達はマリさんのお家に向かいますお守りが買いたいと言ったらマリさんが売ってるところには行かないからご自分の持ってるものを上げると言ってくださったのきちんとお坊様に祈祷していただいているものだから安心してくださいとしかも・・ただで上げるからと・・お言葉に甘えることに地下鉄に乗って移動と思ったのですがなんと・・タクシーのほうがお安いということでタクシーで移動マリさんのお家の近くの食堂で待つことにここでラーメンでも食べて待っててとなんか線路ギリギリまでお店があるよねぇ・・((へ(;;;ФωФ)ヘ)),,,ス、スゲェ,,,,,,写真を撮っていたら電車がキタ━━・゚・ヽ(゚Д゚|||)メ(゚Д゚|||)メ(゚Д゚|||)ノ・゚・━━ッ1日に4回しか走らないという電車どこの路線か地理・・全くわかりませんが・・めっちゃラッキー!ヤッタァー!\(`∇\)(/`∇)/ヤッタァー!マリさんが注文してくれてたラーメン・・こちらの方は1食の量が少ない・・これもあまり多くないですそのままスープをいただくと優しくてとってもいいお味テーブルの上に・・甘い・辛い・酸っぱいの調味料が置いてありますそれを自分で入れて味の調整をして食べますオイシカッタニャー~(=^・・^)ノ>゜)##)彡このお店・・日本のテレビで紹介されたみたいです人気のお店なのですね・・店内は人でいっぱいですしばらくするとマリさんが戻ってきましたマリさん・・沢山のお守りを持ってきてくださいました私・・そっと用意していた500バーツを手に握らせてすぐに・・返そうとしましたが私の気持ちだからと受け取っていただきましたマリさん・・とっても喜んでくださってフカヒレみたいなのがあるの美味しいから食べてと注文してくださったぷるんぷるんした食感のたべものでしたフカヒレではないけど美味しかったですよ向こうのお店で待っていました屋台もでていますこんなに線路に近いお店日本では考えられませんね・・マリさんのお家に一緒に来たから来れた場所ツアーでは絶対に経験出来ないよね・・地元の方が食べてるのと同じものを食べて・・ワクワク((o(゜▽゜○)(○゜▽゜)o))ドキドキいい経験させていただきましたマリさんぁざ━━ヾ(*゚∀゚*)ゞ━━す☆続くFC2・・はこちらから
2017/02/17
コメント(64)
アユタヤの見所はほとんど川に囲まれた島のようなところに集中しているのですがこのワット・ヤイ・チャイモンコンは島の外列車のアユタヤ駅から南に2km程度行ったところにありますそのため戦禍を逃れアユタヤの寺院の中で唯一建造されたままの姿を保っている貴重な寺院ですワット・ヤイ・チャイモンコン14世紀の中ごろ(日本は室町時代初期)アユタヤ王朝の初代王であるウートン王がスリランカから帰国した修行僧達の瞑想場として建立した寺院で別名「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」とも言われます18世紀後半ビルマ軍の猛攻によりアユタヤ王朝が崩壊した際も幸い市内から少し離れた場所にあるため戦火は免れ残りました16世紀の終わり頃(日本は安土桃山時代初期)第19代王ナレスワンがビルマ軍との戦争で自ら象に跨りビルマ王子との一騎打ちでこれを討ち果たし戦争に勝利したことを記念して高さ72mの仏塔(チェディ)を建てましたこの仏塔は1569年にビルマの王様がアユタヤを占領したことを記念してアユタヤ郊外に建てたワット・プーカオ・トーンに対抗して建てられたものですがワット・プーカオ・トーンは高さが80mあり正確な測量技術の無かった当時高さが僅かに及ばなかったようですこの仏塔には仏舎利(釈迦の遺骨)が収められていると言われ途中まで登ることが出来ます途中階内部には8体の仏像と井戸のように掘られた穴があり底に枠がありその枠の中にお金を落として入ったらいいことがあると言われていますクマさん・・外しちゃった・・長男・・なんと・・なんと・・入ったんです・・ヽ(*⌒∇^)ノヤッホーイ♪仏塔の周りには恐らく百近い数の仏像が鎮座していますこの仏像が並んでいるあたりは回廊だったのだろうと思います右側が巨大仏塔ですがその間に柱の跡のようなものが残っていますこの回廊はビルマ軍の破壊されたのではないだろうと思いますがいずれにしてもかつては建物(回廊)の中に安置されていた仏像だろうと思います今は野ざらし状態となっていますが他のアユタヤ遺跡とは異なりワット・チャイヤイモンコンの仏像は破壊されていないのでアユタヤ時代の壮観な仏像群を見ることができます日本で言えば布袋さん?布袋さんは本名を契此(かいし)と言う実在した古い中国の禅僧が神格化したもので生前は人の運命や天候を予知しその能力は天才的で弥勒菩薩の化身とも言われたようですタイでは弥勒菩薩です貴重なものなのでガラスケースに安置されています弥勒菩薩像は中国や台湾でも日本でいう布袋さんですから日本の弥勒菩薩像だけが独自の風貌をしているのですここでまたローカルフードみっけ・・味見をさせていただいてからゲット!このあたりはワット・ヤイ・チャイモンコンに併設された現役寺院の為の付属施設らしいです地元の方々が熱心にお祈りを捧げています日本のように習慣的形式的な仏教とは違いタイの寺院では仏への心底からの敬意が深く感じられますマリさんにお守りが欲しいと話をしていた所売っているところはないからマリが持っているものを上げると言ってもらっていましたところがここで見つけたのですノブ・・こういうのにすごく興味があって出来たら買ってきてほしいと頼まれていました長男とクマさん熱心に選んでくれましたo(*^▽^*)o~♪続くFC2・・はこちらから
2017/02/14
コメント(68)
車で移動した場所は象さん乗り場なんと・・ヤギさんやら・・トラさんやら・・・大蛇がいるじゃありませんか・・すごい音量で音楽ガンガン流してるしちょっとしたテーマパーク!?((へ(;;;ФωФ)ヘ)),,,ス、スゲェ,,,,,,写真撮ろうとしたらすぐにお金を要求してくるから画像なし・・私たちは昨日・・たっぷり象さんを楽しんだので象さんに乗る気がなかったから外で待ってたのそしたら・・トラとの記念撮影があったみたいであとからマリさんが呼んでくれたトラとツーショット・・クマさん・・もっと近寄ってといわれてた・・でも・・ビビるよね・・長男いきなり直ぐ側に座ってまるで犬でも扱うように頭をなで始めたそこの方もびっくりするくらい・・こんなに近くでトラとツーショット初めての体験です・・いい記念になりました・・おまけ画像続くFC2・・はこちらから
2017/02/13
コメント(65)
ワット・プラ・ラーム 歴史的重要な遺跡であると同時にアユタヤ市民の憩いの場としても親しまれています周辺遠くから目立つシンボリックな巨大塔堂と4基の仏塔がそびえる寺院は1369年ラメスワン王(1369~1370、1388~1395年)によって建立されたとされるアユタヤ王朝初期のものです初代のウートン王の葬儀が営まれた場所と言われています寺院の前にはもともと大きな沼がありアユタヤ王朝が建設された際に地盤を高くするために沼の土が掘り起こされ池となったようです1767年のビルマ軍侵攻で建造物の大部分が破壊されました現在はトウモロコシ型が特徴的なアンコール・ワットと同じクメール様式の塔堂を中央に4基の仏塔そして朽ちた石造が残るのみです1970年には北側広場にウートン王のブロンズ像が建設寺の前の大きな池と自然豊かなその周辺は「プラ・ラーム公園」として整備されアユタヤ市民が集う場所となっていますここで長男がロティーを買ってくれていました練乳たっぷりのバナナクレープでタイのローカルスイーツですバナナを包んで焼いて・・食べやすくカットした後に練乳どばっとかけてお砂糖をまぶしてるものこれが激ウマ・・バナナがトロトロに焼けてて甘い・・しかも練乳に砂糖でしょ甘すぎて食べれない・・それが違うんだよねぇ・・いくらでも食べれちゃう美味しさご一緒した方にも一口ずつおすそ分け・・タイで食べたバナナでこれが1番美味しいと・・大好評でした・・アップしててあの味思い出しちゃった・・あ~~~~~~食べたいぃ・・・・”(*>ω
2017/02/12
コメント(50)
当時仏像の頭部には金箔が貼られていたらしくビルマ軍が頭部のみを持ち去ってしまったため全ての仏像は頭の無い無残な状態で放置されていますまた・・アユタヤのワット・マハタートを有名にしたのは石仏の頭部が根の部分に取り込まれた1本の菩提樹ですビルマ軍が切り取り放置した仏像の頭部が長い年月の間に木の根に取り込まれ木を切らない限り取り出すことができなくなってしまったもので戦争の悲惨さを如実に物語っています14世紀後半に建立された謎の多い寺院遺跡木の根に取り込まれた仏頭が戦争の悲惨さを物語るワット・マハタート(アユタヤ)ワット・マハタートは1300年代の後半に建立された寺院で建立者については異なる二通りの説がある謎深い重要な遺跡の一つです1369年~70年のラーメスアン王と1370~88年のボロムラーチャー1世王といわれていますマハタートとはお釈迦様の遺骨や遺灰を意味しておりその昔にはタイの各都市にワット・マハタートという呼び名の寺院があったと言われ現在でもスコータイには別のワット・マハタートが現存しています建立当時は境内中央に高さ50メートル上部が黄金に輝く仏塔とその東西に礼拝堂と仏堂があったと推測されていますが1767年にビルマ(現ミャンマー)の軍隊による攻撃により壊滅的な打撃を受け跡形も無くなり現在では崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみの廃墟となっていますまた仏塔があったと思われる場所を中心にこれを取り囲むように多くの仏像が置かれていますが1956年タイ政府の文部省芸術局は仏塔跡地の掘削調査を開始し17メートルの地下から数々の黄金仏や宝飾品などを発見これらは現在チャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています仏像の頭については米兵が記念に持ち帰ったという話もあるし現地の人が首をとって米兵に売ったという話もあり真実は闇の中ですが・・どれも本当に思える私です・・続くFC2・・はこちらから
2017/02/09
コメント(31)
全473件 (473件中 201-250件目)