トカトントン 2.1

トカトントン 2.1

2005/10/19
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カテゴリ: 映画
denen ni shisu

■映画の中でさえ、母の呪縛から逃れられないこのマザコン男のもってまわった2時間分の言い訳。ただし、ここまで表現の限りを尽くし、まやかしの偽世界を見事に作り上げられてしまうと、息を呑んだり、画面に吸い寄せられたり、とにかく幻惑されてしまうのですよ。

かくれんぼ 鬼のままにて老いたれば 誰をさがしにくる村祭

吸ひさしの 煙草で北を指すときの 北暗ければ望郷ならず

寺山の短歌はずるいと思う。佐々木英明の津軽弁にのせて語られる五・七・五・七・七、そのバックには青い画面と白塗りの顔、床をめくれば恐山。暗黒舞踏の女が誘う。

■犬神サーカス団のフリークスたち。中でも春川ますみの空気女のグロテスクさは何を意味しているのだろう。あのうっとりした表情はちょっとクセになるくらい色っぽい。

空気女の空気を抜けばあとに残るのはただの女だ

■前作同様、やはりこの映画でも新高恵子にやられる。少年の私を犯すシーン。この迫真の力は圧倒的。彼女を見ると条件反射でズボンのベルトを締め直してしまう。そして自分の赤ん坊を川に流すシーンの残酷さ。後を追うように、流れてきた(久月の)雛人形の迫力。バックの音楽的な高まり(J・シーザー)も忘れてはならない。この映画の音楽を聴いていて想像したのはピンクフロイド。使う楽器こそ異なるが、そのメロディは「エコーズ」あたりの展開とダブるダブる。

■「もし君がタイムマシンに乗って数百年をさかのぼり、君の三大前のお祖母さんを殺したとしたら、現在の君はいなくなるか」

木村功の放送作家が現在の私自身にこう問いかける。ここから現在の私は20年前の私に会いに行く。過去は全て虚構だと言う私と、この現在こそ、つくりものだと言う私。畑の真ん中で将棋を指すこのふたりの私の場面は寺山的世界ギューギュー詰めの名シーンその一。後ろにいる床屋の客がどんどん変わっていく。馬が通る。女が踊る。三上寛が画面をジャックする。あれ、誰かに似ていると思ったら荒川良々だった。






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Last updated  2005/10/19 09:17:31 PM
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Comments

ミリオン@ Re:「北の国から」を友達にすすめてみる(01/02) こんばんは。 嬉しいです。頑張って下さい…
Dehe@ Re[1]:カルトQ 2005 北の国から(10/18) adventさんへ ご指摘の通りです。例によ…
advent@ Re:カルトQ 2005 北の国から(10/18) 五郎が読んだ大江健三郎> 開口健ではなく…
しょうゆ@ Re:家庭教師 / 岡村靖幸(09/09) …最後まで岡村靖幸はわからなかったのでは…
背番号のないエース0829 @ Re:ヒトラー 映画〈ジョジョ・ラビット〉に上記の内容…
Dehe @ Re[1]:センチメンタル通り / はちみつぱい(04/17) Mr.Zokuさんへ 情報ありがとうございまし…

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