私が高校に入学したとき、教室の木製の机という机には彫刻刀でVANと彫ってありました。我々よりちょっと上の世代の先輩たち、世に言う団塊世代はビートルズに熱狂し、アイビーリーグファッションの伝道師VANの信者になりました。VANの文字が真っ直ぐで机を彫りやすかったことも大ヒット要因でしょう。
高校3年、私たちは書店で志望大学ごとに編集された「赤本」あるいは「螢雪時代」の大学案内を読んで受験校リサーチ。経営学部志望だった私は、自分の生まれ年に経営学部が新設された明治大学に妙な縁を感じました。明治大学の有名人卒業生の中に作曲家の古賀政男、政治家の三木武夫と並んでファッションの石津謙介(ヴァンヂャケット創業者)の名前を知りました。
私は団塊世代の先輩たちのようなアイビー信者でもVAN信者でもありませんし、熱烈なサッカー少年だったので、明治大学と聞けばどうしても俊足ドリブラーの杉山隆一(三菱重工選手)を思い浮かべます。
明治大学に入学したものの過激派学生がキャンパスを占拠、1ヶ月後の5月上旬には学校封鎖で休校、大学に真面目に通ったのは入学直後のたった1ヶ月だけ。オヤジに命じられて新宿の日本洋服専門学校(テーラーの事業者のほとんどはこの学校の世話になっていました)、加えて個人教授の先生から紳士服の科学的パターンメーキングを教わりました。大学を卒業したらロンドンのサビルロー修行に行けとオヤジから言われていましたから。
大学3年の春、たまたま知り合った紳士服業界関係者に誘われて日本メンズファッション協会のセミナーに初参加。このとき会場に現れたロマンスグレイのカッコいい紳士、これが同協会理事長でもあった石津謙介さんでした。カリスマ特有のものすごい異次元オーラ、ステージ上での発言もほかのパネリストの方々と違ってメチャクチャ面白かったです。
その後同協会の別のセミナーのお手伝いをしていたときのこと。事務局から大量のサントリー角瓶を持ち込んでパーティー会場のテーブルにボトルを並べていたら、そこに現れた石津さんに「キミはこの角瓶をどう思うかね」と質問されました。ファッション協会のパーティー、しかも会場はボトル持ち込み可、「我々学生が飲むような安い角瓶ではなく輸入スコッチではないでしょうか」と答えました。
「事務局長を呼びなさい」。石津さんは直立不動の事務局長に「これから女性を口説きに行こうというとき、いまの時代は何に乗って行くんだね?」。事務局長は緊張して答えられません。すると、石津さんは「自転車に決まってるじゃないか。キミがやってることはバスだよ、バス。すぐ酒を替えなさい」。私はその場で吹き出しました。
(1992年度日本ファッションエディターズクラブ賞授賞式)
また、別のセミナーでは石津発言の感想文を書いて郵送しました。「先生のご発言と現在のメンズファッション界とでは大きなズレがあると思います」と率直に矛盾を述べました。「学生でさえわかっているのに、キミたちはわからないのか」、私の手紙を見せながら事務局長を叱ったそうです。この直訴の手紙で気分を害した事務局長によって私は同協会の出入りを禁じられました。
明治大学を卒業してニューヨークに渡る寸前のあるパーティー、石津さんから「初めて1億円の赤字を出したよ」と声をかけられました。そしてその1年後、VANが数百億円の赤字を出して倒産、とニューヨークで聞きました。たった1年でこんなことになるとはびっくりでした。
のちにご本人に伺ったことですが、倒産騒動の最中に石津さんがレナウン中興の祖と言われる尾上清さんに相談に行ったら、「ファッションは虚業。再生なんか考えず、潔く破産でいいじゃないか」とアドバイスなさったとか。その際、「これで自宅の抵当権は外してもらえ」と尾上さんは石津さんに小切手を渡したそうです。すごい信頼関係ですよね。
晩年、ちょっとしたご病気で入院されたとき、退院を祝して一献と提案したところ、「僕が料理を作ってみんなが食べる会にしませんか」と逆提案されました。当日、ファックスでそのメニューが私に届き、「これに合いそうなお酒を頼みます」と指示がありました。お酒に詳しい友人に知恵を拝借、あえて甘めのシャンパン、スッキリ白と軽め赤のブルゴーニュワイン、これに食後のタンカレージンを買って持ち込みました。石津さんは目を細めて大変喜んでくださいました。
このとき、石津さんは参加者それぞれにちょっとしたギフトを用意して「実はあるテーマでギフトを集めてきました。テーマとは果たして何でしょう?」。このとき私がいただいたものはいろんな野菜を練り込んだナチュラルソープでした。テーマは「清貧」、石津さんはバブル経済後のライフスタイルの方向性を示唆されました。80歳を過ぎてもなお独特の洞察力で生活価値観の変化を予言される、とっても時代に対する感度の良い方でした。
2年余の新型コロナウイルスの影響で世の中の様子は大きく変わりましたが、いまから30年も前に石津さんがおっしゃった「清貧」という言葉、いまもズシリ重いです。
かつてお手本企業のいま 2024.06.22
交友録83 世間は狭い 2024.06.08
黎明期日本流通業を彷彿させる 2024.06.01