売り場に学ぼう by 太田伸之

売り場に学ぼう by 太田伸之

PR

Profile

Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

Calendar

2022.09.05
XML


ニューヨークにいた私にパリ情報は断片的にしか入らず、この若き天才クリエイターのブランドがどうして日本の大手アパレルメーカーから発売されたのか不思議でした。最初に売り場で見たコレクションの織りネームは、太文字ゴシック調フォントのKASHIYAMAのロゴの上にJean-Paul Gaultierのサインでした。大きなビジネスを市場展開する大手アパレルが超個性的な、着る人を選ぶ服を創作するデザイナーをデビューさせる、どう考えても異例の組み合わせでした。

フランスのファッション専門紙ジャーナルドテキスタイルは毎回コレクションシーズンが終わると各国小売店のバイヤーや新聞雑誌エディターに投票させ、半年後の紙面で評価ランキング上位ブランドを発表しますが、ゴルティエがその地位を固めて以降バイヤー部門では四半世紀50シーズンのほとんどが第一位。この業界紙がブランドランキングを開始してから今日まで、トップの座をこれほど長くキープしたデザイナーはほかにいません。そんなファッション界のスーパースターをデビューさせたのが日本の大手企業とはイメージがわかず「不思議だなあ」でした。

その謎はパリで解けました。あれは1983年秋パリコレのときだったでしょうか。ギャラリーヴィヴィエンヌの一画にゴルティエのモダンな大型直営店がオープン、このときオンワード樫山パリ駐在所長の中本佳男さんと初めてお会いしました。新ショップのオープニング、周辺エリアは車両進入が規制され、道には多くの大道芸人が好き勝手に演じ、ギャルソンがシャンパンやおつまみを運ぶ。招待客は数千人はいたでしょう。ホスト役のゴルティエ本人は派手なスカートのセットアップ、中本さんは古風な紋付き袴でゲストを迎える。これまで経験したファッション界のイベントの中で最もスケールの大きな、最も楽しい、そしてゲストのみんなが笑みを浮かべる素敵なパーティーでした。

中本佳男さん

このパーティーの直前だったか直後だったか、中本さんとサシでご飯を食べました。このとき、ずっと不思議に思っていたことの答えが見つかりました。日本の大手アパレルと稀代のクリエイターの組み合わせは、クリエーションを受け止められるインターナショナルなビジネスマンが存在したからだ、と。もしも中本さんでない普通の日本人駐在員であれば、当時パリで絶大な人気を誇っていたケンゾー、モンタナ、ミュグレーなどほかの誰にも似ていないスケッチを見せに来た若者を恐らく採用しなかったでしょうね。(中本さんは確かミュンヘン大学、トリンプ本社勤務を経てオンワード現地法人に転職)



このサシご飯で私は中本さんの熱烈ファンになりました。以降、パリコレ出張に行くたび中本さんに時間を作ってもらい、たくさんのアドバイスをいただきました。言い換えれば、「パリコレにいくたびに会う」ではなく、「中本さんに会うためにパリコレに行く」でした。パリにはデザイナーのクリエーションを受け止める素晴らしい日本人ビジネスマンがいるよと伝えたくて、東京でセミナーを企画し、わざわざ中本さんを招聘したくらいですから。​

中本さんにはたくさんの刺激をもらいました。ゴルティエを起用したそもそものいきさつ、ゴルティエと一緒に付属と縫製仕様書を工場に出した創業期のエピソード、パリコレ参加し始めた頃の資金不足と仲間を説き伏せて特設テントを割り勘にした話、ゴルティエ電車を仕立ててその中でショーをやろうとした話、新店オープンするかわりにパリ市内の売り場を大幅カットしたことなど、「へぇー」ばかりでした。

一番印象に残っているのは、ブランドビジネスは市場の中でどう位置付けすべきか、でした。クリエイティブなブランドは生地値や縫製工賃を抑え小売価格を下げようとはしない。クリエーションを商品化するためデザインに相応しい生地を選び、手のいい工場で縫製すれば当然小売価格は上がる。商品に袖を通し、価格を見て、「高い」と思う人は買わなきゃいい。世の中すべての人に着てもらおうなんて考えたら失敗する。一般的アパレルブランドの3倍の値段をつけたっていい。そのかわりお客様に3倍満足感を提供できなければ話にならない。

そう言われた翌日、ゴルティエ新店で中本さんが選んだメンズジャケットに袖を通したら、身体がとろけるような上質感、まるでオーダーメードでした。ゴルティエは単にデザインがユニークなだけじゃない、パターンも縫製仕様も半端ない、だから値段は高い、と実感しました。通常のアパレル企業が原価積み上げ方式で小売価格を決めているのとは別のものさしでものの価値を決める、度胸と自信とクリエーションがなければそんなことできません。そんな話を会うたびに熱く意見交換、東京ファッションデザイナー協議会でデザイナー諸氏をサポートしていた私には非常に刺激的でした。

その後オンワード樫山を離れ、リボンの木馬のパリ進出をサポートし、次に自分自身のブランドから離れた高田賢三さんの相談に乗り始めたところで不運が待っていました。短期帰国中に癌が発見されて入院、パリに戻ることなく都内の病院で亡くなりました。帰国なさった直後「ご飯食べましょう」と電話で約束したまま、実現することなく訃報に接しました。日本のファッションビジネスにとって大きな損失と思いますし、これまで私が出会った日本人ビジネスマンの中で最もカッコ良かった方でした。

写真(下)2019年秋、来日したゴルティエ氏。
     「パリ開店のときあなたはスカート、中本さんはきもの姿
     でしたね」と声をかけました。​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.06.05 14:29:05
[ファッションビジネス] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: