売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2024.04.20
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カテゴリ: 太田伸之
今週は中国から来日したファッション業界人に向けたセミナー、連日の彼らとの食事会で深夜帰宅が続いて身体のケアが必要、久しぶりにリフレクソロジー(足裏マッサージ)店のお世話になりました。コロナ前までは週一度の頻度でよく通っていましたが、4年ぶりに施術してもらったら足は猛烈に痛かった。おかげで身体全体が軽くなり、あらためて足裏マッサージの効果を実感。再び病みつきになりそうです。

中国業界人にセミナーをする前日の日曜日、故郷で桑名市立光風中学校の同窓会がありました。私が最後に参加したのはもう四半世紀前のこと、懐かしい同級生たちと楽しい時間を過ごしました。みんなじーさん、ばーさんになりましたが、面影は残っているのでほとんどの参加者は誰なのかすぐ判別できました。


同窓会記念写真

前日土曜日に桑名に入って桑名高校時代の友人とまず一献。たっぷり飲んで、ぐっすり寝て、翌朝一番に実家近くにあるお花屋さんへ。その作業場が私の実家のお隣なんですが、ここの娘さんはかつて文化服装学院流通専攻課程の教え子でした。故郷のお隣さんの娘さんを毎週東京の学校で教えるとはなんとも不思議なご縁でした。彼女は卒業後ヨーロッパに嫁いで桑名にはほとんど帰ってきません。


我が家のお墓

実家から目と鼻の先にあるうちの菩提寺。オヤジを2001年、オフクロを2022年に納骨したお墓に手を合わせ、なかなか墓参りできないことを詫び、元気に仕事していることを報告しました。オフクロが亡くなったのを機に兄弟相談して実家を処分しましたが、生まれ故郷に実家がないというのは正直ちょっと淋しいです。


桑名市立益世小学校

墓参りを済ませたら徒歩5分にある母校の桑名市立益世小学校を訪ねました。私たちの在学中は木造のオンボロ校舎、廊下の床板が抜けてところどころ穴がありましたが、その面影は全くありません。このグランドで友だちとドッジボールやハンドボール、野球、相撲をよくやりました。

卒業時私は生徒会長でした。卒業式前日に卒業式運営責任の隣組担任M先生に確認したら、「おまえは何も用意しなくていい。卒業生の贈答品目録は校長先生に手渡すだけ、読まなくていいから」。ところが、司会者は「卒業生答辞」とアナウンス。私は誰かが在校生の送辞に応えるんだろうなと思っていたら、なんとM先生は私に「お前がやれ!」と目で合図するじゃありませんか。慌ててマイクの前に進んでアドリブで答辞らしきことを述べました。何の準備もしていないので何を喋ったか全く覚えていません。

さらに、壇上の校長先生に卒業生贈答品目録を渡しにステージに上ったら、なんと校長先生は私にマイクを向ける想定外の行動を。M先生は目録を手渡すだけと言ってたのに話が違います。私は慌てて校長先生に手を振ってノーサインを出し、そそくさとステージを下りました。M先生は私が通っていた学習塾の先生でもあり、私をちょっと試したのかもしれません。謎のままです。

次に小学校から徒歩10分の氏神さまにお詣り。大学受験直前にオヤジが倒れて大手術、毎夕氏神さまにお詣りしてオヤジの快復を祈念したことを思い出します。もしもオヤジがあのまま病死していたら私は東京の大学には行けず地元の南山大学しか選択肢はなかったし、その場合は全く違った人生を送っていたはず。


桑名市立光風中学校

氏神さまを抜けると母校桑名市立光風中学校。桑名市が決めた学区割りで益世小学校から光風中学校に進学した生徒はたった10%くらい、ほとんどの同級生はマラソンの瀬古利彦さんが卒業した市立明正中学校に進みました。なので光風中学校で私たちは完全な少数派、アウェー感覚は中学生活に微妙な影を落としました。もしも益世小学校出身者が多数派だったら私の中学生活は別のものだったでしょう。



また、試験管など揃え、薬局で塩酸、硫酸、硝酸など化学薬品を買い込んで化学実験したり火薬を作って悪戯していました。近所の薬局は面がわれるので遠くの薬局で過塩素酸カリを買うときその用途を質問され、まさか火薬作るとは言えないので「酸の摘出に」と訳わからないこと言いました。

自家製黒色火薬とティッシュペーパーで長い導線を作り、空き缶を吹っ飛ばそうと何度も試みたのですが、いつも空き缶は花火状態で燃えるだけ、吹っ飛ばすことができません。これじゃつまらないので友人たちに火薬を全部進呈したら、一人は家業の中華料理店かまどに火薬を大量投入して眉毛やまつ毛の一部を焼失、もう一人は実家が火事になったのでまずいと思いましたが、火災原因は私の火薬ではなかったので安心した思い出があります。

3年生最初の試験は6クラス約240人中15番の成績、勉強しないで化学実験と読書だけしていた割にはまずまずの成績でした。ところが卒業寸前の試験では97番、同級生は受験勉強しているのにいつも本ばかり読んでいたので取り残されました。年明けから短期間猛勉強、どうにか希望の県立桑名高校に入学することができました。

成績急落には忘れられない思い出があります。担任のO先生は父兄面談のときオヤジの前で「成績がこんなに落ちたのは何か原因がある。太田、おまえ女いるのか?」と。帰宅してオヤジに「どこの女の子や?」と厳しく追及されました。言葉遣いの荒い三重県ですが、中学教師が父兄面談の場で生徒に「女いるのか?」はないでしょう。O先生とは卒業から亡くなるまでずっと年賀状のやりとりはありましたが、あの発言は納得いきません。

母校の小学校と中学校を訪ねていろんなことを回想しながらのんびり同窓会場に向かいました。同級生とは「いまだから話せる秘話」などを披露し合いながら旧交を温め、翌日朝早くから中国業界人にセミナーがあるので二次会を早めに退出、お酒はほとんど口をつけず新幹線に飛び乗って帰りました。本当はもっといたかったのですが。

久しぶりに故郷の学校や神社を巡り、同窓会に参加して同級生たちと懐かしい話をすると、自分の長い人生にはいろんなターニングポイントがあったんだと再認識、あのとき別の選択をしていたら自分はどんな人生を送っていたんだろうと思いました。オフクロは東京、ニューヨークに行ってしまった私に「桑名にいてくれたらなあ」とよく言っていましたから、もっと親孝行できたでしょうね。

横浜から同窓会に参加したKくんは桑名で買った名物アサリのしぐれ煮や安永餅のことを同窓会LINEにコメントアップしていましたが、桑名の子はいつまでもどこで暮らしても桑名の味を忘れないんだなあと嬉しくなりました。実家を処分したので気持ち的には故郷は遠い存在になってしまいましたが、私もKくん同様いつまでも「桑名の子」、そのことをあらためて実感できた帰省でした。故郷があるって本当に素晴らしいな。





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Last updated  2024.04.25 23:47:32
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